第二十八話 覚めない少年
――――ルーミアを封印してから三週間後、東雲橙矢が目が覚める気配は一向に見せなかった。
「……気分はどうかしら東雲さん」
医者は目を覚まさない橙矢に話しかけ、手首に手を添えて脈を取る。
「………いたって正常ね」
一先ず安堵して息を吐く。
溶けていた皮膚や肉は治り始め、浅かった呼吸も深くなってきた。
「……まだあれから三週間なのね。……何千年と生きてると体内時計が狂ってくるわ。もう二ヶ月経ってるとばかり思ってたわ」
そろそろ歳かしら、なんて自自身に皮肉じみた事を言ってると姫様の声が聞こえた。
「永琳ー、何処ー?」
苦笑いして橙矢を一瞥すると部屋を後にした。
「ここにいるわよ。輝夜」
……永琳が去って二分くらい経った後、寝ている橙矢しか居なくなった部屋の戸が開かれた。
入ってきたのは赤いもんぺが特徴的な藤原妹紅。
「やぁ橙矢……元気か?」
少し躊躇った後に橙矢に歩み寄り、近くの椅子に腰を下ろす。
「………橙矢。あんたがいない日常って淋しいもんだな……。なんか最近調子が出ないや」
妹紅の声に応える者は誰一人としていない。
聞き手は橙矢一人だけ。
「ってこの話はこの前もしたか……はは」
微笑んでみせるが自嘲の笑みにしか見えない。
「はは…………は………………ハァ」
ついたため息が虚空に消えていく。
「……………」
無言で橙矢の手を取ると体温を測る。
「…………ちょっと冷たいな」
なんて思いながら次に額に手を当てる。実際は室内が寒いのだが。
「失礼するよ……っと」
布団を捲るとその中に入っていく。
「身体を暖めるのは人肌がいいらしいからな」
捲れた布団を直そうとした。
その時ガラ、と戸を開ける音が響き、
「ちょっとあんたら!押すんじゃないわよ!」
博麗の巫女が。
「うるさいんだぜ!第一看病するのは私だけで十分だぜ!」
白黒の魔法使いが。
「橙矢さん大丈夫ですかぁ!」
白狼天狗が。
「貴方達静かにしなさい。橙矢が起きるでしょう」
紅魔館のメイド長が。
「ここはカリスマである私の出番よ!」
そのメイドの主である吸血鬼が。
「お兄様の看病は私がするの!」
その吸血鬼の妹が。
一斉になだれ込んできた。
「……!!」
妹紅は急な事に驚き、橙矢の身体に飛び付いた。
それを一同は目撃した。いや、目撃してしまったと言った方が適しているだろうか。
「あ……あんた何してんのよ!」
「……お兄様から、離れろォ!」
フランがレーヴァテインを顕現させ、構える。
唯一冷静だった魔理沙が止めに入る。
「ま、待てフラン!さすがにそれはマズイ!」
「お兄様が……!お兄様が……!」
「それを降り下ろしたら妹紅は斬られても無事かもしれんが橙矢は本当に死ぬぞ!」
「うぅ……」
魔理沙が何とか説得に成功し、安堵する。
他の者を横目で見るとこれといってフランみたく暴走してる者はいないようだ。
「……にしても」
「これは何の冗談かしら?蓬莱人」
フランの姉であるレミリアが悠然と妹紅に歩む。
「何時から彼は貴方の抱き枕になったのかしら?」
「へ?抱き枕………?わっ!」
今橙矢に飛び付いてたのに気付いたのか慌ててベッドから転がり落ちる。
「いった……」
「橙矢は私、つまりこのレミリア・スカーレットの下僕なのよ?だから彼は主である私が直々に看病するわ」
「待ってください吸血鬼さん。橙矢さんはもう執事を辞めたのでしょう?でしたらその考えはないんじゃないですか?」
レミリアの言葉に椛が抗議に入る。
「………でしたらメイドである私が」
「いやパッd………いや、メイド長は仕事があるでしょう?」
「………今なんか聞こえた気がするけど気のせいかしら?」
「さぁ知らないわ」
ナイフを取り出していた咲夜に対して首を竦める霊夢。
「まぁいいわ。仕事ならすでに済ませてきたからいいわよ」
「じゃあご主人を帰すっていう仕事をしてくれるかしら」
「あいにくと今日はもう仕事は受け付けてなくてね」
「そ、自分勝手ね」
「――貴方達、患者の周りで騒ぐのは止めてもらえるかしら」
騒ぐ六人の背後で嫌に冷めた声が聞こえた。
あまりの威圧感に六人はビクッと跳び跳ねる。
「え、えぇと………医者?」
恐る恐る霊夢が振り向くとそこには笑顔の永琳がいた。
「大正解」
手に弓を顕現させると六人に向けて放った。
凄まじい勢いで六人を追い返した永琳は再び橙矢が寝ている部屋に戻ってきた。
「全く……何をしているのかしら。貴方も」
ため息をついて妹紅を見下す。
「………様子を見に来ただけだよ」
「………それで確認はし終えたかしら」
「あぁ、いつも通りで何よりだ」
「それなら早く帰ってもらえるかしら」
「何か問題でもあるのか?」
「えぇ、治療がしにくいわ」
するとピクリと片眉をあげた。
「ちょっと待てよ。あんた確か三週間前に後は橙矢の生命力に賭けるだけって言ってただろ!?」
「………えぇ。外傷はほぼ完治したと言っても過言ではないわ」
「だったら………」
「………ただ、彼が……」
チラ、と橙矢を見る。
「………橙矢がどうかしたのか?」
「………半人半妖になりかけているわ。それを少しでも遅らせるための治療よ」
「…………………は?」
時が止まったかのような静寂が続いた後妹紅は何とか声をあげる。
「ちょっ、ちょっと待てよ……橙矢が半人半妖……?」
「なりかけ……だけどね」
「そんな………」
別に橙矢が半人半妖になることに驚いた訳ではない。人間としての誇りを持っていた橙矢が自身が人間を止めた、と聞いたときどれだけ絶望するか、それが心配だった。
「………月の頭脳の名に懸けて何としても阻止するわ」
「………………」
「………頼むから出ていってもらえるかしら。それじゃないと……力尽くでも出ていってもらうわよ」
「………………わかったよ」
鋭い眼孔に睨み付けられ、妹紅はゆっくりと引き下がる。
「健明な判断よ」
「…………橙矢の事、頼むよ」
心配するようにもう一度橙矢の方を見ると永遠亭を後にした。
「やっと行ってくれたわね」
それにしても、と橙矢を視界に入れる。
「……不思議な人ね。東雲さん。普通だったらただの人間ではあれほど心配されないわよ……。ま、それだけ貴方に何かしらの魅力があるということかしら」
これまでに外来人は死ぬほどいたがどれも彼もパッとする人は誰一人としていなかった。
しかし橙矢はその考えを覆していた。
人間という立場でありながらかの吸血鬼、ドラキュラを殺害した功績を持つ。
その他にも大妖怪である風見幽香とも死闘を演じたという。
「ほんと……分からないわね。どうしてただの人間である貴方がそんな能力を持っているのか……」
それに何回もの死闘の果てには死に体となっているが、どれも短時間で快復している。
(………まるで元々この世界に適応した身体を持っていた……らしいわね。だとしたら彼の祖先は……この幻想郷の住人で外の世界に行った人?)
だが永琳が記憶している中で外へ出ていった人の中に東雲、という名字の人間はいなかった。
(だとしたら東雲さん………。貴方は一体何者なの?)
橙矢自身でさえ説明のつかない能力、そして東雲橙矢という人間。
掴み所のない空に浮かぶ雲のように誰からも気付かれず消えていく存在。
何も分からないというのはある意味恐怖だ。
――――正体不明
これほど橙矢に合っている言葉は無いだろう。
(もし彼がこのまま完全な妖怪と開花したと仮定して……。おそらくスキマや四季のフラワーマスターと同等……くらいいくかも……なんてね)
それは無いか、と苦笑いして自問自答する。
あんな怪物共と同等だなんてこの幻想郷のパワーバランスの一角を担っているのと同じことなのだ。
(さすがにそれは考え過ぎよね……)
所詮人間は人間。半人半妖になろうと大半がその力を制御出来ずに暴走する。多分この少年も例外ではないだろう。
それほど妖怪が持つ妖力というのは人間にとって有害である。
―――果たしてこの少年はどうなるのか。
「………未来の事なんて解るはずないわよね」
―――その時永琳の他に人の気配を感じた。
「―――誰!?」
即座に弓を展開させて気配のする方へ矢をつがえる。
「誰は失礼だろ医者」
目を覚まし、瞳に永琳を映した橙矢だった。