風見幽香が一歩橙矢に向けて踏み出す。
それだけで辺り一帯が違う世界に変わった気がした。
しかしそれは気がしただけであって変わったところは何一つ無い。
ただそれほど幽香の霊格が強大と言うことだ。
「ッ!」
倒れている身体に鞭を打って足を地面に平行に浮かせ、幽香の足を払う。
「あら」
バランスを崩した幽香の腹に蹴りを入れた。
直撃――――ではなく、蹴りは幽香の手によって止められていた。
「――――――」
「甘いわね」
微笑むと片手で橙矢の身体を持ち上げ、地に叩き付けた。
「カハ…ッ」
肺の中にある空気が全て吐き出される。
しかしすぐに気を取り直して後ろに転がり、距離を取る。
目の前に傘の先が迫る。
刀を振り上げて何とか軌道を逸らして鞘で傘を持っている手を打つ。
それでも傘は手から離れない。
舌打ちすると殺す気で幽香の首目掛けて刀の先を向けると突きを放つ。
幽香はそれを首を少し傾けるだけで避けた。
「ッラァァ!」
突いた状態から刀を振り下ろす。
「ッ鬱陶しいわね」
刀が首を裂く寸前に刀の柄を握り、止めた。
「っ!離せ―――!」
「貴方がね」
顔面を殴り飛ばされる。
「ガァ!」
吹き飛んだ際に刀が手から離れる。
すぐに体勢を整えて顔をあげる。
「あら、結構いい刀使ってるじゃない」
幽香が刀の腹を撫でながら称賛する。
「返しやがれ!!」
足を強化して一瞬で幽香の目の前に来る。
「確か…………こう使うのかしら」
しかしそれを予想していたかのようにコンマ一秒違わず橙矢が来るタイミングと同時に刀を橙矢に突きを放った。
刀の先が橙矢の肩口に突き刺さる。
「ぐゥ……ァッ!」
刀が刺さっているのにも関わらず更に踏み込んで刀の刀身を掴む。
「悪いが…返してもらうぞ……」
腕を強化して刀を掴む手を殴り付けた。
「ッ………」
幽香は少々苦悶の顔を浮かべ、刀を離す。
肩から刀を抜くと逆手に持ち替え、斬りかかる。
「諦めが悪いわね」
空いてる脇腹に拳を放たれた。
「ゴ……ッ!?」
ゴキッ、だのボキッなどと骨が折れた音がよく聞こえた。
吹っ飛んで後ろにある木に激突する。
「……ァ。ゲホッ、ガハッ!?」
「…………分からないわね」
幽香がゆっくりと橙矢に歩み寄りながら言葉を発する。
「……貴方はただの人間、それなのに何故妖怪である私に歯向かおうとするの?」
「………あんたが訳のわかんねぇ理由で攻撃してくるからだろうが……ッ!」
刀を杖代わりにして立ち上がる。
「そう言うことでは無いわ。何故貴方は死ぬという決められた運命に抗おうとするの?」
「アァ?……決まってるだろ……。俺の人生だ、どんな運命だが知らないが……お前等の好き勝手で簡単に決められてたまるかよッ!」
刀を中段に構える。
「そう、私達の気分で殺されるなら抗うって事ね。嫌いじゃないわ。でも…」
気が付くと目の前に拳が迫っていた。
「―――――!」
反射的に腕を強化して受け止める。
「あまりに無謀よ」
次の瞬間横から強い衝撃が走る。
簡単な話、空いた腹に蹴りを入れられただけだ。
「ッチートかよ……!」
何とか耐えると刀を下から振り上げる。
幽香は下から迫る刀を足の裏で受け止め、地に叩き付ける。
その勢いを使って橙矢は後ろに回転して刀を上から振り下ろす。
「勢いが乗ってないわね」
刀身を掴まれた。
だがそれは想定内――――
「あぁ、それは囮、だからな」
瞬間上から橙矢の足が振り下ろされる。
「ッ無茶苦茶やるじゃないの」
幽香は少し楽しそうに笑みを作ると傘で受け止める。
その時橙矢は足にかかっている運動エネルギーを強化させた。
しかし強化させたのは一秒にも満たない刹那。
だが勢いは十分についた。
次に足を強化させ、傘をへし折った。
「ッ!?傘が――――」
僅かに幽香が動揺を見せた。
その隙を見逃さずに残った足で蹴り飛ばした。
「女性に手を出すなんて……モテないわよ……!」
傘を曲がった方とは逆の方へ折り、元に戻す。
「余計なお世話だァ!」
そこから踏み込んで追撃をしようとするが傘で殴られて地を何回も跳ねる。
「……ッさすがにさっきのは効いたな……――――!」
立ち上がって―――――愕然とした。
幽香が傘の先をこちらに向けていた。
「………何の真似だ?」
「…………」
何も言わずに口の端を歪めた。
「…………何か言ったらどうだ?」
「…………久々に楽しめたお礼……をね」
「そんなもんいらねぇな」
「貴方に拒否権なんてあるわけ無いでしょう?」
次の瞬間傘の先から光の奔流が走る。
「――――――――ッ!?」
慌てて避けようとするが意味が無かった。
相手は光、一瞬もしない内に橙矢に直撃するだろう。
脳は異常なまでに働いているというのに身体の方は全く動かなかった。
「くそ……………」
「お仕置きはそれまでにしておいた方が良いんじゃないかい?」
そんな声が聞こえると同時に橙矢の身体が幽香からかなり離れた場所に移動した。
「…………は?」
何が起きたか分からない。完全に直撃コースだったはずなのに痛みどころか当たった感覚さえ無かった。
「やぁ、大丈夫かい、人間?」
不意に後ろから声がした。
振り向くと一風変わった格好をして、デカイ鎌を持ち、高い下駄を履いた女性が立っていた。
「……………死神、何の用かしら?」
幽香が傘を下ろして死神と言われた女性に微笑む。
「………死神?」
死神というのは外の世界では人を死に誘う神であると言われている。
その死神が人を助けた?冗談にしては面白すぎる。
「ん?なんだい人間、あたいの顔に何か付いてるのかい?」
「………あ、いや」
「あの女が言ってる通り、あたいは死神だよ。小野塚小町っていうんだ。以後お見知り置きを」
「……………」
「………あれ、何その目線、さては疑ってる?」
「………いや、逆に疑うなって方がおかしいと思うがな」
「失礼な奴だね。それが命の恩人に対する対応かい?」
「は?命の恩人?」
橙矢が首を傾けると小町は豊満な胸を張る。
「そうだよ。あたいが居なかったらあんたは死んでたところさ」
「………何で助けた」
橙矢の声に怒気が含まれていたのに気が付くのにそう時間がかからなかった。
「……何で助けたって変な質問する奴だな。あたいが助けたかったから、それで満足がいく?」
「………他に理由があんだろ、死の神様よ」
「………死の神様……ねぇ、残念ながらあんたが思ってる死神とあたいは違うよ」
は?と小町の顔を凝視する。
「死神の中にはね、結構役割がいるんだよ。それこそあんたがさっき言ったように死の神……というか寿命がきた人間を迎いにいく死神もいれば死んで魂になったものを彼岸へと渡す船の船頭等々」
「で、お前は何なんだ?」
「あたいはただの船の船頭だよ」
「成程、仕事をサボって来たわけか」
「人聞きの悪い事言うんじゃないよ。それにあんたの寿命はまだだからねぇ。勝手に締めさせる訳にはいかないんだよ」
「……死神もご苦労なこった」
「ま、そう言うことだよ―――――っと!」
小町が慌てて橙矢の首襟を掴むと一瞬で幽香の側まで移動した。
その時先程まで橙矢達が居たところに光の奔流が走る。
「いきなり危ないじゃないか、せっかく話をしているのに」
「それは貴方にも言えることよ死神」
「にしてもそろそろ止めてあげたらどうだい?それ以上あんたとこいつが暴れるともっとあんたのお気に入りである花が傷付くと思うね」
そう言って橙矢と幽香を指差す。
「………………それもそうね」
笑みを消すと興味が失せたように来た道を戻っていく。
「……………………」
幽香の姿が見えなくなると急に身体の力が抜けて地に倒れる。
「おっと、大丈夫かい?」
すぐに小町が腕を掴んで立ち上がらせる。
「あ、あぁ………悪い」
「全くだね。大体あの妖怪とどんな風になったらあそこまで怒らせる事が出来るんだ?普通の人間だったら確実に死んでるよ」
「事実上生きてるんだからなんだって良いだろ」
「あーあ、素直じゃないねぇ。助けなかった方が良かったかな」
「だったらあんたの仕事が増えるだけだ」
「止めて欲しいね。前言撤回。助けておいて良かったよ」
「…撤回するくらいなら言うなよ」
「いちいち五月蝿い少年だね。可愛くないよ」
「俺より背が低い奴に言われたくない」
小町は高い下駄を履いているがそれでも橙矢と同じ背丈くらいだ。
「つれないねぇ、まぁいいか。それより少年。家まで送ってってあげるよ。どっちの方角だい?」
「…………里から見て北側だ」
「……成程、分かった。それじゃあ行こうか」
小町が橙矢の腕を掴むと一瞬で里についた。
「………さっきも思ったんだがあんた、どんな能力持ってんだ?瞬間移動か?それともその類とか」
「まぁねぇ、言ってる事は間違ってないよ。正解、とまではいかないけど惜しい、くらいかな」
「どっちにしろ俺には関係無いことだ………。ここまで来れればあとは帰れる、礼を言うよ」
「気になさんな、あたいはただ能力を使っただけだからね。でもそうさね、じゃあ今度遊びにでも行かせてくれないかい?」
「……そんなんでいいならどんだけでも」
「了解了解。それじゃ、あたいはこれで失礼するよ」
そう言い残すと一瞬で姿を消した。
「………………………」
見送ると目の前にある里に一瞥する。
「………………行くか」
ゆっくりと歩みだして里の中へ入る。
橙矢が歩いているのに誰一人として気付かない。
いや、気付こうとしない。
それを心地よく思いながらある場所へ向かう。
簡単な話、寺子屋だ。
コンコン、と寺子屋の戸を叩くが返事が無かった。
「…………あぁ、授業中か」
裏に回って子供の声が聞こえてくる。
「…………帰るか」
報告は夜でいいか、と思い、来た道を戻ろうとした。
その時前方から知ってる顔が歩いてきた。
「あれ、橙矢じゃないか、久しぶりだな」
白髪の少女、藤原妹紅だった。
「……………ん」
軽く手をあげて答える。
「珍しいね、お前がここにいるって」
「あんたこそな、寺子屋になんか用か?」
「まぁね、ちょっと慧音に呼ばれて。橙矢は?」
「俺は仕事の報告だ」
すると妹紅は橙矢の格好を見る。
「………その傷、仕事の時に出来たものか?」
「いや、さっきこけただけだ」
「……………そうか」
あえて妹紅はそれ以上は聞かなかった。
「それで、今は寺子屋の授業中なもんでまた出直そうかと思って」
「……だったらまずは服を着直してきなよ仮に慧音が出てきたとしてめっさ心配するかもよ?」
「………面倒事になりそうだな」
「じゃあさっさと家に戻って着直してきな」
言われたままに背中を押して行く。
「それで、橙矢の家はどっちにあるんだ?」
「なんだよ、付いてくる気か?」
「別にいいだろ、暇なんだし」
ニッ、と笑ってもっと強く押す。
「あーもう、分かったから押さないでくれ」
結果、橙矢は折れて歩き出す。
「久しぶりに会ったんだからもう少し愛想良くしてくれたって良いじゃないか」
「あ?何か言ったか?」
ボソリと妹紅が何か言った気がしたがほぼ何も聞こえなかった。
「いいや、何も言ってない。それより早く行こうか」
「?………あぁ」
変な奴だな、などと思いながら自分の家へ向かった。
「………久々に着ると違和感あるな」
家には執事服しかなく、一応下のシャツを着ただけ。
「まさか服がそれしか無いとは思わなかったよ……」
妹紅がため息をつく。
「仕方無いだろ、一週間前まで執事やってたんだから」
「服屋にでも行ってきたらどうだ?」
「結構だ」
そんな事を話してたら寺子屋の前についた。
「そろそろ昼間の休憩になる頃だろ」
妹紅がそう言うと寺子屋の戸が開かれ、件の慧音が姿を見せた。
「あれ、妹紅………と橙矢じゃないか。妹紅はともかく橙矢はどうしたんだ?」
「………仕事の報告だ」
「あぁ、ご苦労。……どうだった?」
「大半は殺ったけど数匹に逃げられた」
「……まぁその辺りは大丈夫だろう」
「何の根拠で言ってるか知らねぇが………」
「最悪の場合私や妹紅が出るから大丈夫だ」
「ま、そんな事にはならねぇと思うがな」
「確かにな」
慧音が苦笑いしてから妹紅に向き直る。
「そうだった。妹紅、午後からの授業やってくれないか?昼からどうしても外せない用事があってな」
「………まさかその為だけに私は呼び出されたのか?」
「その為だけって……酷い事言うな」
「妹紅、受けてやれよ」
橙矢が横槍を入れる。
そして妹紅が頭をかくと口を開いた。
「あーもう、分かったよ。やればいいんだろ」
「よし、それじゃあ頼んだぞ。私は仕度が済んだらすぐに行くから」
「了解。それとこいつも連れていくわ」
妹紅が急に橙矢の首根っこを掴む。
「……………………は?」
不意な出来事に頭が追い付かなかった。
「おぉ、それは良い考えだな。妹紅からの情報によるとかなりの博識らしいじゃないか」
「いや、ちょっと」
「そうそう、下手したら勉学では慧音の足元くらいはあるかもしれないね」
「おい、人の話を」
「だったら安心して任せられるな。頼んだぞ二人とも!」
そう言って慧音は再び寺子屋の中に姿を消した。
「…………………………………おい妹紅」
「ん?どうした?」
長い沈黙の後に橙矢の低い声が地味に響いた。
「…………俺、ガキ苦手なんだが………」
殺気が篭った視線が妹紅を貫いた。
「………ま、頑張ろう………」
妹紅はそう言う他無かった。
「おーしお前ら座れー」
妹紅が一冊の本を片手に授業を行うであろう部屋に入っていく。
すると高い声で、妹紅だー、もこたーん、などと言う声が聞こえる。
それに続いて橙矢も入っていく。
部屋を見渡すと男女の子供等が十人近くいた。
「今日は慧音がいないから午後の授業は私とこの橙矢……じゃなくて東雲がするから」
よろしく、と言うと次いでよろしくお願いしまーすという声がした。
「それじゃあ橙矢、初めの授業は私がやっとくからそれが終わるまで奥の部屋で準備でもしていてくれ」
妹紅にはいよー、と返すと部屋を出て、言われた通りに奥の部屋に入る。
「…………」
まず目に映ったのは書物、それも膨大な数の。
どうやら授業で使うものらしい。
「……すげぇな、まさかこの量を一人で………?いやいや、まさかな」
近くにある書物を手に取り、捲る。
すると年表とその隣に色々な事が書かれてあった。
「………歴史書……か」
次々と捲りながら一気に頭のなかに入れていく。
「……………おいおい冗談だろ……何年前からあんだよここ……」
歴史書を見ただけでもざっと千年近くある。
下手すれば三桁代はいってるかもしれない。
「…………ったく知らない事だらけじゃないか………と、これは」
一冊の本が目に止まり、手に取る。
「へぇ……外についての本か」
特に興味が無いので元あった場所へ戻す。
「さて……それじゃあ拝見しようかな」
空いてる場所に腰を下ろして本を開いた。
授業が終わり、部屋から妹紅が出てくる。
「あー、疲れた……」
誰かにものを教える事はやったことがないため余計に疲れる。
「橙矢ー終わったぞー………っ!?」
戸を開けて驚愕した。
「ん……………あぁ、もうそんな時間か……」
一心に書物を読み漁る橙矢がいた。
「お、お前まさかこれを読んでたのか?」
「………そうだが…。それよりどうしたんだよ、そんな慌てて」
「…………いや、何でもない。授業が終わったから呼びに来ただけだ」
「………そうか、分かった」
ゆっくりと立ち上がると部屋を出ていく。
「橙矢」
そんな橙矢を妹紅が止めた。
「………あ?」
「知識の詰めすぎは身体に毒だぞ」
「………身体に悪い知識なんて聞いたことねぇな」
「ひとつ教えてやる。脳の容量ってのは限りがある。それを越すと……自分を壊すだけだぞ」
「………………脳の隅に置いとくよ」
呟くと授業を開始させるために子供がいる部屋へ向かった。
書物がある部屋で残された妹紅はため息をついてから腰を下ろす。
「何やってんだあいつ………」
そう言いつつもひとつの本を開いた。
「……歴史書ねぇ……」
妹紅にとって歴史というものは合って無いようなものだった。
歴史書というものは人が自身や偉大な人達がいた事を次代に残すために出来事などを書物にしたものだ。
妹紅は死なない不死の身体を持っているため遺す物など無いため歴史書など書く必要もない。
歴史とはそんな程度のものだった。
そしてその中にスペルカードについての資料が書いてある項目があった。
そこには簡単な栞が挟んである。
「……………」
さっきの橙矢の事といい、妹紅は何か嫌な予感がしてならなかった。