戸と壁の僅かな隙間から外の冷たい空気が侵入してきて布団を被っている橙矢の身体を冷やす。
と、そこで戸をノックする音が聞こえた。
「ん…………」
あまりの寒さに耐えきれず目を醒ます。
重たい瞼を開けて身体を起こす。
「……………誰だ、依頼なら明日に持ち越ししてくれねぇかな」
「何言ってるのよ橙矢。咲夜よ」
「………」
……出たくなかった。
「あー………何の用スか?」
「まずは開けてちょうだい。話はそのあとするから」
「別に用があるなら戸越しでも良いでしょう」
すると戸が叩かれる。
「いいから空けなさい」
「………はいはい」
どうせ断り続けたら強行策に出るだろうと思い、諦めて戸の鍵を解いて開ける。
そこにはいつも通りにメイド服を着込んだ咲夜がいた。
「や、やぁ咲夜さん。如何しまして」
正直いって紅魔館の住民とは会いたくなかった。
誰であれそうであろう。
しかし咲夜はごく自然に微笑んで手をあげて応える。
「久し振りね橙矢。用っていってもそんな大したことじゃないわよ」
ホラ、と言って手に持っていた封筒を橙矢に渡す。
「?咲夜さんこれは?」
「貴方、二週間近くだったかしら?働いていたでしょう。だからその給料」
封筒の中を見ると二週間分とは思えないほどの金額が入っていた。
「……?咲夜さん。俺一ヶ月も働きましたっけ」
「半月ね」
「……それじゃあ何でこんな金額は入ってんですか?」
「別に」
「いやいや、明らかにおかしいですよ」
「良いのよ。貴方には一ヶ月分の働きをしてもらったからね」
「俺そんなに働きましたっけ?」
「そんなに謙遜しなくてもいいのよ。なんせ貴方はドラキュラを倒したもの」
その話題を咲夜が持ち出した瞬間橙矢に脳裏にあの事がフラッシュバックする。
部屋に広がる血の海、所々に転がっている妖精メイドの死体、そして中央に位置するように妖精メイドの肉を貪っている吸血鬼。
(しの……のめ……さん……)
目の前で死んでいったメイドもいた。
「…………」
「………橙矢?どうかしたの?」
そこで咲夜が橙矢の肩を掴んで揺らしていた事に気付いた。
「……ッ。あ、あぁ……すみません。ちょっと考え事をしてました」
咲夜はため息をつくと肩から手を離す。
「にしてもさっき私が外にいるとき依頼がなんのって言ってたけど何か自営業でもやってるの?」
「え?あ、いや、別になんでも無い」
「………何か言えないことでもあるのかしら?」
「そんなこと無いけどプライバシーの権利に関わるんで」
「美味しいのかしらそれ」
「とても不味いです」
「そ、なら良いけど。………退治屋の事でしょう?」
言い当てられて一瞬橙矢の思考が動かなくなった。
「……退治屋?何の事でしょうか」
すぐに作り笑顔を作る。
「そんな取り繕ったって無駄よ」
「…………………ハァ」
バレてしまっては仕方無い。
橙矢は態度を一変させて壁に背を預ける。
「実は一週間前、つまり紅魔館の執事を止めた日から何処から聞いたかしらねぇが決まりを守らない妖怪の討伐をしてくれって依頼が殺到してな。一回依頼を受けてみればそのあと倍の依頼が来てな」
「つまり嫌々やってると」
「あぁ、だから里の守護者にも言ったんだがなかなか取り合わせてくれなくてな」
「……貴方里では嫌われてるの?」
「ハッキリと言うな……。けど違うな。居ないもの扱いされてるだけだ。ま、大抵退治屋ってのは嫌われるらしいから別にどうでもいいんだけどな。どうせ里の奴等と関わる気は無いもんで」
自嘲的な笑みを浮かべて家の中に入っていこうとする。
「そろそろ帰ってくれるか。もう来るはずだ」
「…………来る?」
その時咲夜の橙矢の家の前に里の人であろう男が訪ねてきた。
男は咲夜を一瞥すると口を開いた。
「…………退治屋、ちょっと頼まれてくれないか」
「あぁ、ちょっと待ってくれ」
橙矢は真っ黒の制服に着替えてから部屋の壁に立て掛けてあった刀を手に取る。
そして玄関に戻ると家の外に出た。
「待たせたな。それで、今回はなんだ?」
「昨晩里の南方面に多数の妖怪が出てきた。被害者も出ている。早急に頼む」
「……………チッ。わーたよすぐ行く」
「………頼むぞ」
一切の情も持たずに男は去っていった。
「…………さて行こうかね」
「ちょっと橙矢。何なのよ今の」
「あ?仕事だよ。あ、良かったら見学するか?」
咲夜を外に出して戸を閉めると歩いていく。
「仕事って……。聞いてたの?多数の妖怪よ?殺されるかもしれないのよ?」
「別にどうでもいい」
さすがの咲夜でもこの一言には唖然とした。
「なんだよ。俺変な事言ったか?」
立ち止まる咲夜に振り返る。
「…………もう貴方には何を言っても無駄なようね」
元からこのような気がしていたが咲夜は今確信した。
この少年は壊れているのだ。
心も肉体も全て。普通の人間ではない。
それは本人は全く気付いてないのだろう。
「…………………そうさね」
橙矢は再び歩き出すと咲夜の姿が見えなくなるまで振り返らなかった。
戦況は一方的だった。
ただしそれは最初だけだったが。
橙矢は舌打ちして刀を横に振るう。
妖怪を一匹斬り伏せるとその勢いで回し蹴りを入れる。
そこから踵を顎に引っ掻けると縦に一回転する。
顎を引っ掻けられた妖怪はそのまま地に叩きつけられる。
回転した勢いを使って後ろにいた妖怪を叩き斬った。
「ハァッハァッ!」
橙矢の息はとうに切れており肺が痛い。
それでも止まるわけにはいかない。
止まったらその時点で殺されるだけなのだから。
足を強化させてその足を地に思いっきり叩き付ける。
衝撃波が走り、回りの妖怪が吹き飛ぶ。
「ハァ……ハァ…………」
膝から崩れ落ちるが目線はまだ前を向いたままだった。
戦闘が始まってすでに二十匹は殺している。
その間ずっと動き続けているのだ。
普通だったら酸素不足で動けなくなっているだろう。
しかしすぐに妖怪達は立ち上がり、橙矢に向けて疾走する。
「くそ………!」
無理矢理足を動かして立ち上がると刀を横に一回転させる。
それを読んでいたのか一匹が跳んで上から強靭な爪を振り下ろす。
「グッ………!」
すぐ刀で防ぐ。
咄嗟に受けた所為か勢いは止められずに地に背をつける事になった。
「しま………」
追い討ちをかけるように他の妖怪が橙矢に群がる。
身体の所々を牙で噛みつかれる。
「ガ…ァ……!」
終いには身体を押さえ付けられて、身動きが取れなくなる。
「くそ……離せ……やアアァァァ!!」
右腕を強化させて何とか拘束を振り解くと次に左腕、右脚、左脚とそれぞれ強化させて振り解いた。
「ハァ……ハァ……」
木にもたれ掛かり、息を整える。
「うぜぇんだよ……てめぇら……!」
妖怪達を睨み付けながら呟く。
今までの怒りを込めながら。
「好き勝手やってるてめぇらも……!里の奴等も……!」
グンッと体勢を低くし、その溜めた分を一気に解放して一匹に飛び掛かる。
額に刀を突き刺し、それを抜いて顔面を蹴り飛ばすとまだ残っている腕を掴んで後ろに投げる。
そして先程まで妖怪がいた場所の真後ろにいた妖怪の顔面を殴り飛ばす。
すると一斉に四方八方から妖怪が飛び掛かってくる。
「しゃらくせぇ!」
地に手をつけて両足を振り上げると広げて百八十度回す。
大半を蹴り飛ばし、再び地に足を着くと残った二匹を横凪ぎで斬る。
蹴り飛ばしたはずの奴等が後ろに迫ってきていた。
「調子に乗るんじゃ……ねぇよ!」
右足を軸にして先程と同様蹴り飛ばした。
蹴った足で地を蹴り、妖怪に肉薄する。
上段から刀を振り下ろし、真っ二つに斬ると横から纏めて蹴り飛ばす。
斬られた妖怪の身体は周りにいた妖怪を巻き込んでいく。
「………あらかたは片付いたか?」
諦めていったのか生き残った者達が慌てて逃げていく。
「……そんな慌てて逃げる事ねぇのに……」
その時足元でカサ…と音がした。
「ん?」
どうやら花を踏んでいたらしい。
「あれ、何でこんなところに……って」
顔をあげると目の前には花畑があった。
「……………何処だここ」
暇潰しに寄ってみるか、と思い足を踏み入れる。
「……と待てよ……。里の南方面にある花畑って……ッ!」
前方から殺気を感じて足を強化して横に跳ぶ。
瞬間橙矢がいた場所を凄まじい威力の光の奔流が突き抜けた。
「あらあら残念。賊を取り逃がしたわね」
「ッ……一体何の因果があって俺に攻撃を仕掛けた……。風見幽香……!」
橙矢の目線の先には緑髪で日傘を差している女性がいた。
「あら、誰かと思えば一週間前の宴会の人じゃない」
「………なんだ覚えてたのか」
油断なく睨み付けながら話し掛けた。
「名前はええと……東雲、だったかしら」
「あぁ、うん……」
「まぁそんなことどうだっていいわ」
「……………」
「問題は貴方の足元よ」
「足?」
言われた通りに足元を見てみると花を踏んでいた。
瞬間しまったと思ったがすでに遅かった。
目の前にいる妖怪は花をとにかく愛するしかもこの幻想郷でも強者の中の強者。
この五日間でどれだけ妖怪について調べたと思ってる。
仕事が無いときはひたすら妖怪について調べるに調べ尽くしていた。
「……今更後悔したって遅いよな。にしてもおかしいな、あんたは確か向日葵畑にいるんじゃなかったのか?」
「夏はね。今は冬近くだから向日葵も休んでるのよ」
「という事はここは夏だったら向日葵畑で今の季節は普通の花畑だって言いたいのか」
「正確に言うともう少し先に言ったところだけどね」
「わざわざ出張ご苦労なこったな」
「貴方が花達を踏まなければ良かった事よ」
「へーへー」
適当に返事をして踵を返す。
そんな事をしていた橙矢だが内心は乱れていた。
(くっそわざわざ花だけの為だけに来るか普通!?こいつのテリトリーにさえ入ってなければ良かったと思ってたが………)
「待ちなさい、何処へ行こうとするの?」
「何処へ行こうと俺の勝手だろ?今後ここには近寄らないようにするからそれで……」
「―――冗談言いなさいな」
ハッと思い、振り返る。
目の前に傘の先が迫っていた。
「ッ!」
上半身を倒して何とか避ける。
「あら、これを避けるのね」
「どうもォ!」
足を振り上げ、傘を蹴りあげる。
着地すると同時に足を強化させて後ろに跳ぶ。
とにかく距離を取らないとマズイ。
「っだよ急に!攻撃を仕掛けるこったァねぇだろうが!」
「貴方が花を殺したからでしょう?」
その言葉にあの時の光景が再びフラッシュバックする。
「殺……した……?」
「えぇ、だから殺された花達に代わって……貴方を殺すわ」
「殺した……違う……俺は……」
橙矢は急に身体をガクガクと震わせる。
「……何?どうかしたの?今更後悔しても遅いって言ったのは誰かしら?」
「違う……俺は殺してなんか………」
「話にならないわね」
幽香が一瞬で橙矢との間合いを殺すと腹に拳を放つ。
ほぼ放心状態の橙矢は避ける事も出来ずにまともに喰らった。
「――――――」
派手に吹っ飛び、地を転がる。
「…………………」
「………少し強めにやり過ぎたかしら」
「…………いや、十分だ」
「ッ!」
不意に背後から声がし、振り向く。
そこには先程吹き飛ばした筈の橙矢が上段まで刀を振り上げていた。
「おかげで目が覚めたわ!」
ニィ、と獰猛な笑みを浮かべて刀を振り下ろす。
幽香は驚きもしながら傘を盾代わりにして防ぐ。
「ッ随分と硬ぇ傘使ってんな!」
次々と刀を振り回しながら幽香の持っている傘の強度を推測する。
刀とはいえ橙矢の能力で硬化までしてあるのだ、普通の得物ではとっくに壊れていてもおかしくはない。
と、傘を腰から抜いた鞘で弾くと空いた脇腹目掛けて身体を無理矢理捻り、足を強化させて蹴り抜いた。
「……ッ」
さすがの幽香でもこれには少々苦悶の顔を浮かべる。
「もう……一発!」
さらに踏み込んで刀を鞘に納めて蹴り抜いた箇所を殴り付けた。
案の定吹き飛ぶが、空中で体勢を整える。
「やってくれるじゃない」
「……大妖怪様に言ってもらえるなんて光栄だな」
「そう………でもそれまで」
瞬間、頬を殴り付けられた。
「ガ……ッ!」
地に頭を叩き付けられ、意識が朦朧とする。
「忘れてた?私言ったわよね。花の代わりに貴方を殺すって。その事に修正はしないわよ」
幽香を見上げると先程までとは威圧感が違っていた。
「…………ッ」
まるで違う生物を見ているようだった。
これまで様々な妖怪を見てきたがこれほど危険だと感じた妖怪は始めてだ。
「覚悟なさい。花達が受けた苦しみはこれだけじゃ済まないわよ」
――――四季のフラワーマスターが本当の姿を現した。