そうして、一色いろはは本物を知る   作:達吉

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拙い作品ですが200お気に入り突破しました。ありがとうございます。

モノローグを取り除くと、なかなかキモい独り言に。
それと葉山スキーの方には前もって軽く謝罪しておきます。
でも八色SSって時点で彼の扱いは決まってきますよね。南無。


■6話 悔しいけど、気持ちいい

「こんなこっといっいなー…でっきたっらいっいなー…」

 

 熱いシャワーと張ったばかりのお風呂は外せない冬場の楽しみの一つ。浴室に響く鼻歌と共に冷え切った身体の疲れと一日の埃を洗い流すと、真っ白なバスタブへと身体を沈める。

 

 今日はとっておき、先週千葉で手に入れたLUSHのバスボムを使ってみた。雑誌で話題の品だけあって、見た目もお洒落、置いておくだけで良い香りのするお気に入りのそれが、次第にお湯に溶けていくのをじっと見守る。

 花の香りと細かな泡が肌を滑るのを感じ、これはアタリかも、と口元を緩めた。

 

 いいことがあった時は、こうやって自分でささやかなお祝いをすることが多い。褒められて伸びるタイプだから、テンションは高めに維持しておきたいのだ。

 

「って、わたしアホかも…」

 

 我ながらあまりの鳥頭ぶりにうんざりする。今日は思い出すのも恐ろしいような体験をしてきたというのに。

 ともすればトラウマやら登校拒否やらになってもおかしくない程のもの。にもかかわらず、わたしは先輩と話を始めてから今この瞬間まで、今日この身に降りかかった人生最大級のトラブルのことを、すっかり失念していた。

 

「いやいや、でもだって、ちょお面白かったし…」

 

 缶コーヒー…あれをコーヒーと呼ぶのは許せない…ああ、だからマッ缶なのか。マッ缶を飲んだ後の先輩の顔は暗闇でも分かるくらい赤くなっていた。

 あのネタはさすがに誰にでも出来るものじゃない。自分自身、少なくない代償を支払う諸刃の剣だから。それでもあれだけ良い反応をしてくれれば、こちらも身を切ってまでやった甲斐があるというもの。

 

 それにしても…。

 

 例えば葉山先輩なら、あんな時、何と言うだろう。

 気にしていない、と爽やかに笑って見せるのだろうか。こちらが意識しているのが恥ずかしくなるくらいスマートかつ紳士的に、何事も無かったかのように場を収めてしまいそう。

 

 それはきっと、女の子のあしらいに慣れた、実に格好のいい対応なんだと思う。わたし達くらいの女の子が年上の男性に惹かれるのは、そういった余裕を求めているからなのかも。

 

 でもわたしが今日見たかったのは、まさにあの反応であって。見事に型にハマってわたしを楽しませてくれた先輩は、どう言い繕っても格好いいと言える要素はなかったけど。それでも一緒の時間を過ごせてとても楽しかったと、心から思えた。

 

「うーん、なんか、これだと…」

 

 おかしい。

 

 これだとまるで、葉山先輩よりも彼と一緒に居た方が楽しいのだと、そんな風に聞こえてしまう。

 

「ない、それはないよね! ないよー」

 

 口までお湯につかり、ぶくぶくと泡を立てる。

 こんなことをしているからのぼせるのだ。

 のぼせているから、こんなに顔が熱い。

 

 浴槽から出て、お風呂の操作パネルに指を伸ばす。

 ボタンを何度か押すと、設定温度が34℃になったことを告げる声。

 頭から被ると、数字の上では体温より少し低い程度のその温水は、しかし随分と冷たく感じた。

 身体の芯に、冷めない熱の塊が篭っている。

 

「だって先輩、目つき悪いし? 姿勢悪いし? あとモテないし?」

 

 とりあえず当たり障りのない…本人が聞いたら当たりも障りもするであろう特徴を列挙しつつ、自分の認識を再確認してみる。

 でも最近は、あのダウナーな感じもゾクゾクするというか。慣れるとクセになる玄人の味、みたいな?むしろあの味を分からないとまだまだお子様、みたいな? あれで真顔のときは結構かっこよく見えることもあったりなかったり…。

 

「いやいやなに言ってんのわたし…」

 

 目をつぶってシャワーの放水に正対する。

 気持ち良いをギリギリ通り越した、強すぎる刺激に眉根が寄る。

 そのまましばらく温水の滝行を続けた。

 

 シャワーを止めて、フェイスタオルで顔の水滴を拭う。

 ふんわり花の香りが立つお気に入りだ。乱れる感情に任せてゴシゴシとやってしまいたい気分だけど、そこを堪えて極力丁寧に扱う。女の子のお肌は桃と同じくらい丁寧に扱うべし。まだまだ若いとは言え、力を入れて擦るなど以ての外だ。

 

「ま、まぁわりとお世話になってるし? 無理に嫌う理由とかないし?」

 

 口先でなんと言おうと、どうしてか彼を擁護する方向に思考が傾いていく。やっぱり、今日の件で助けられたことが強く影響しているのかな。今のわたしが先輩に抱く感情は、困ったことにどう見積もってもマイナスとは言えないようだった。

 

 これは別に、葉山先輩から気持ちが移ってしまったという話じゃないはずだ。そう、単にお気に入りの先輩がひとり増えただけ。

 好きな人以外に、仲が良い異性の先輩がいたらいけない? さすがにそんなことは無いよね。

 

 自分が一人の男性に尽くすタイプかどうかは今のところ定かではないけど、生涯ただ一人の男性とだけしかお話しない、みたいな制約を課して生きるつもりもない。お話したり、遊んだりするくらいならセーフでしょ。

 

 だったら、どこまでするとアウトなのかな。

 逆にセーフなら、どこまでしたいのかな。

 

「別に、そういうんじゃ、ないんだけど…」

 

 頭を悩ませつつ、身体はお風呂上りの工程を着々と進めていく。

 乾いたバスタオルを頭に巻きつけ、ボディローションを滑らせる。16歳の肌にはまだここまで入念なケアは要らないのかもしれないけれど、肌がぷるんとしていると自分でも嬉しくなるし、嫌いじゃない作業だった。

 

 ローションが馴染んだら、髪の水気も適度に抜けた頃合。トリートメントを含ませ、ドライヤーを手に取ると、スイッチを入れた。鏡に自分の姿を映しながら、ぼんやりとした頭で髪を乾かしていく。

 

 女子からの嫉妬を受け流し、男子を上手くあしらい、楽しい学校生活を過ごす──

 

 そんな刹那的な考えで、わたしは日々を生きている。

 ピュアとか清純とか、そういう白さとは離れたところにいるのかもしれない。けど、心の底から腐っていると揶揄されるほど、ねじくれているつもりもないのだ。

 

 つまり、見返りもなしに親切にされ続ければ、わたしだって感謝と親愛の情くらいは抱くのである。とは言え、ウラのない施しなんてものは、あの先輩が一番嫌いそうなものだけど…。

 

「ま、でもあのひとって、悪いの口ばっかりだからなー…ふふっ」

 

 温風を吐き出す機械音が、そう広くない脱衣所を埋め尽くしている。この瞬間は、ついつい独り言が大きくなってしまうので注意が必要だ。口から零れる言葉のボリュームはもう会話におけるそれの域に達している気がする。

 

 思い返せばわたしと先輩の関係は、打算とか利用とか──言うなれば腹黒さの象徴みたいな単語に満ち満ちた始まりだったと思う。

 

 わたしは保身のために先輩方を利用することしか考えていなかったし、先輩は先輩で、奉仕部が崩壊するきっかけになりかけた生徒会選挙を丸く治めるために、自らのテリトリーに近づいてきたわたしを逆に利用した。

 

 こういった腹の探り合い自体は、これまでのわたしの人生において、さほど珍しい体験ということもなかった。毛色こそ違えど、男女入り混じる三角四角の多角形な関係性において、爽やかとは言い難い感情が飛び交う諍いは、度々あったのだ。そして、揉め事に決着が付くと、勝敗──何をもってそう判じるべきかはわからないけれど──その如何に関わらず、決まってその関係は崩壊した。お互い、「友人」から「因縁のある知人」へと肩書きを変え、彼らとの距離は時間に比例して広がっていった。

 

 それなら、先輩との出会いはどうだろう。

 

 少なくともわたしにとって、あの結果は「敗北」と言って良いものだっただろう。押し上げられた玉座から穏便に下りたいと持ちかけたのに、最終的にはそのまま祭り上げられてしまったのだから。

 それは結果的に、当時わたしが抱えていた問題の解決に役立った。でも、概ね先輩の一人勝ちだったと思う。でもわたしと彼との関係は、そしてあのひとの行動は、そこで終わらなかった。

 

「てか、わたしから行っちゃったんだよね。なぜか」

 

 お風呂から上がったわたしは、パジャマを着崩した状態で冷蔵庫を覗き込んでいる。フルーツのミックスジュースをカップに注ぐと、それを片手にカーペットの上に腰を下ろした。

 

 カップの中身を一口飲むと、大きく息を吐きながら両足を開いて身体を倒していく。サッカー部から足が遠ざかったため、何となく始めたお風呂上りのストレッチだ。運動部と言っても立場はマネージャーだったんだから、運動量が減ったって事もないはずなんだけど──生徒会に入ってからはストレスのせいか、毎晩の眠りが浅くなっている感覚があった。

 最初はダメもとで始めてみたんだけど、意外なことに少なくない効き目があった。今では美容効果なんかにもちゃっかり期待しつつ、そのまま続けている。

 

 前屈のためか、それとも心理的なものなのか。判断が付かない色合いの吐息が、圧迫された肺の中から押し出されていく。

 

「はーーーぁぁ……ぁ」

 

 会長を引き受ける際に先輩が提示したプランは、「何かあれば葉山先輩を頼れ」というものだった。なのに、わたしは事あるごとに先輩を頼っている。憧れのひとではなく、身近な頼れるひとを求めてきた。彼も、きっと負い目を感じているのだろう。求めれば、文句を言いつつも必ず応じてくれた。

 でも、依頼のアフターケア──この場合は選挙後のフォローのことだけど──彼がそんな労力を幾度となく費やしているというのは、結衣先輩や雪ノ下先輩から見ると、とても珍しいものだったらしい。

 

 先輩はわたし達の関係について「上手く使われているだけだ」と言い張っているけど、こっちからしたら、常に手の上で踊らされているような感じがする。悪い意味じゃなくて、あくまでわたしを主役とした舞台の上でだ。

 

 わたしが動きたいように、動けるように。

 悔しいけど、気持ちいい。

 

「あれ、なんかエロい言い方だーこれ…」

 

 そもそも、初めてなのだ、あんなひとは。

 今まで出会ってきた男子はみんな、「気にしないで」とか「俺がやりたいだけ」とか。内心で失笑するわたしに微笑みかけて、表向きはさりげなさを装いながら、必死になってご機嫌をとろうとしていた。

 そして決まって最後に「どう?」と言わんばかりのドヤ顔をみせる。そんな彼らに、わたしも用意していたお決まりの言葉を返すのだ。「ありがとう、嬉しいよ」と。

 

 先輩はどうだろう。

 面倒くさい、嫌だ、仕方ない──そんなのばっかりだ。

 

 せめてもう少し着飾った方がいいんじゃないかと言いたくなるくらいの、剥き出しの不満。彼はいつだってそんな言葉をぶちまけてくる。そんな風に(うそぶ)きながらも、本当に困難な状況の中からは、きちんと助け出してくれるのだ。挙句、最後の締めは「やれやれ」という苦笑い。

 

 見た目や調子ばかりが良い男の子とは、何もかもがちょうど真逆だった。

 

 だからだろうか。

 いつもは男子に"やらせてあげてる"わたしの相手。それをこのわたしが、自分から何度もお願いしてまで、彼に求めている。ううん、もうおねだりと言った方が良いかもしれない。

 

 これは──

 

「…なんか、ちょお悔しいんだけど」

 

 ストレッチを終え、カップに残ったジュースで体内に篭った熱を冷ますと、ごろんとソファに身体を預けた。手の届くところにあったロングピローに手足を絡め、ぎゅうっと抱き締めてみる。

 

「もしかしてわたし、甘えてる…?」

 

 "甘えてみせる" と "甘える"。

 

 は傍から見ると、どちらも相手に甘えているようにしか見えないだろう。けど、本質は全くの逆だとわたしは思う。

 

 甘えてみせるのは、言ってしまえば相手──男の子を喜ばせるためだ。

 様々な手法が氾濫し、ネットや女子向けの雑誌には具体的な実践例さえ載っている。あまりに奇抜な記事は流石にネタなんじゃないかと思えるけど、どれにも共通していることが一つだけある。

 

 それは「本心からの行動ではない」ということ。

 

 どんな表現方法であっても、本質的な狙いは男の子の自尊心をくすぐってコントロールし、実際の主導権を握ることだ。カテゴリとしてはお世辞や愛想笑いと同類と言っていい。

 たとえ好きなひと相手であったとしても、自分の言うことを聞かせたいときに女の子が狙って取っている行動は、あくまでも"甘えてみせる"と表現すべきだと思う。このアクションはわたしの得意技でもあって、今までも、それこそ息をするような感覚でやってきた。これが同性から疎まれる一番の要因だということだって、自覚した上で。

 

 だけど、最近のわたしが先輩にしているのは、ちょっと違うんじゃないだろうか。

 

 自分の要求を、相手の意を汲まずにぶつけること。これが"甘える"ということだと思う。つまりは「わたしがしたい事、やって欲しい事」そのものだ。

 "かわいい"の計算をすっ飛ばして、純粋な本心をオブラートなしにぶつける。相手の好感度を消費して願いを叶える仕組みだから、日頃から愛されポイント稼ぎに余念のないわたしとしては、完全にポリシー違反のはずなのだ。

 

 そのような変則的な行為を、よりにもよって特技が通用しない──好感度を稼ぐ目処の立たない人物に対して濫用しているこの状況。やっぱりこれは相当におかしいと思う。大体、あのひとにワガママを叶えて貰えるだけのポイントを、わたしはまだ稼げていないはずなのだ。

 

 だったらなぜ、彼はわたしに優しくするんだろう。

 

 最初からわたしを好きだった、とか…?

 

「ん。それは、違うな…」

 

 初めて会った時の彼の目は、実にハッキリ語っていた。

 うっわぁ、と。

 

 普段であれば、女の子から頂く類の視線。それを男の子から向けられたという驚きと相まって、しっかり記憶に残っている。あの視線から察するに、ゼロかマイナスからのスタートだったはずだ。

 

 そんなわたしが、しかも好きな男の子に迷惑をかけたくないという、男子的にはモチベーションが墜落して地面にめり込んじゃいそうな理由で、厄介ごとを持ち込んできた。

 こんな女の子を好きになる理由なんて、どこを探しても見つかりそうもない。っていうか客観的に見ても、この女の子は相当に「ウザい」輩ではないだろうか。

 

「あー、そういや実際に何度か言われた気が…」

 

 あのひとはわたしに対してビックリするくらい遠慮がない。あざとい人物を指差して真っ向から「あざとい」と指摘できるひとなんて、一体どれだけ居るだろうか。少なくともわたしは、面と向って言われたのなんて初めてだ。

 

「男子もひとそれぞれってことかな」

 

 例えば葉山先輩。

 

 あの人も、わたしの演じるタイプのキャラクターが好きなようには見えない。ううん、彼に関してはどんなキャラでアピールしたところで、当たりを引くビジョンがちっとも見えてこない。

 今までずっと、気に入られようと四苦八苦する女子の姿ばかり見てきただろうし、ひょっとすると「相手によって接し方を変える」というスタンス自体が気に入らない、という感じなのかもしれない。

 

 でも、女の子としては、そんなの仕方のないことだ。それに相手を見て態度を変えるなんて、なにも恋愛に限ったことじゃない。もしそう考えているのなら、少し潔癖過ぎるんじゃないの? と今なら思う。

 

 女の子に夢、見過ぎないで欲しいんだけどな。

 

「てか、葉山先輩をディスるっていうのがもうね…」

 

 少し前なら、彼に対する否定的思考そのものが、絶対に浮かんでこなかったと思う。恋は盲目とはよく聞く表現だけれど、ならば冷めた目で葉山先輩を見ることの出来る今、やはりわたしは失恋してしまったのだろうか。

 

 そして今、先輩に対して盲目的になっているかと言うと──

 

「ところが悪いとこはちゃんと見えてるんだよねー、なぜか」

 

 目つきとか姿勢とか覇気の無さだとか。極めつけにあの、都会のスーパーに並ぶお魚のような、ほの暗い目つきとか。その辺りはこの際諦めるとして、猫背が酷いのは注意すれば直せるだろうし、いざと言うときはあれで気合の入った表情も見せてくれるので、普段のガッカリ感も許せないというほどじゃない。

 

「えー。なんだこれ…」

 

 あれを許して、ここを直して。

 

 そうして気に入らないところがすっかり無くなったとき、わたしは彼をどうしたいのか。

 

 ほっぺたを指で摘んで、ぐいーっと左右に引っ張ってみる。理不尽な仕打ちに我が身が訴える痛みも、この胸のモヤモヤを吹き飛ばすには至らない。

 

 よし。ここはひとつ、言葉に出して整理してみよう。

 

 先輩の良いところはどこか──。

 

「見た目と違って面倒見はいいよねー、あと頭も良いかな。実は顔も意外と」

 

 先輩の事が好きか──。

 

「さすがにそれは…ないんじゃないかなぁ、と」

 

 先輩の事が嫌いか──。

 

「それもないかな」

 

 先輩と手を繋いでみたいか──。

 

「それ、は……」

 

 強くかき抱いていたせいでへにょんとしなびたロングピローを開放し、ソファから立ち上がる。

 

 「それもない」とスムーズに答えて笑うつもりだったのに。

 一通りの自問を終えても、自分が望んだ結論は出なかった。

 

「あーもう! わかんない!」

 

 お風呂上りのリラックスタイムに、いつの間にか癇癪を起こしている。これはいけない、ストレスは美容の天敵だ。問題があれば即座に回避、これがわたしの処世術。

 

 時計を見ると、時刻は22時を回っていた。

 

 お風呂に入る前は確か20時台だったはずだから、随分と時間が経過していたわけだ。わたしにとって、この問題は思った以上に重要な案件なのかもしれない。

 

「このままじゃ、ぜんぜん収まんないよー…」

 

 自室に戻ったわたしは、いつものクセで意味も無くスマホを手に取った。発信履歴を表示し、フリックして画面を流す。

 意外なことに、先輩に対して電話をかけた経験はかなり少ないようだ。そして葉山先輩に対しての回数はそれに輪をかけて少なかったことに気が付いた。

 

 今一番気になっていること。

 

 今一番気に障ること。

 

 それはわたしが先輩をどう思っているか、じゃない。

 葉山先輩を差し置いて、先輩のことで頭を悩ませているという、この状況だ。

 

 「だったら──」

 

 状況の打破のため、やるべきことは見えてきた。

 でも、それは少し…いや、とても勇気がいる行動だ。

 いつかの夜のネオンの群の中で傷ついた記憶が二の足を踏ませる。

 もうあんな思いはしたくない、と弱い心が訴える。

 

 だけど、ここで停滞しているのだけは嫌なのだ。もしかしたら、何か大きなものが動くような、そんな予感がする。動かなければ何かを逃してしまう、そんな予感がする。これ以上傷つく事を恐れていて、これ以上大事なものが手に入るだろうか。彼が求めていた何かは、本気を出さずして、手に入るようなものだろうか。

 

「…わたしも、欲しい」

 

 カーテンを少し引いて、夜空を眺める。明かりのついた部屋の景色がガラスに反射し、星なんてちっとも見えない。顔を近づけた窓ガラスから、外の冷気が立ち上ってくるのを感じた。

 

「──命令」

 

 指先をガラスに映った自分のそれとつき合わせ、相手に向って言い放った。

 

「明日、葉山先輩と話してみること」

 

 自分の顔をしばらく眺め、外から見たら馬鹿なコだろうなーと思い至り、自身へ突きつけた指を下ろした。恥ずかしくなって逸らした視線が、机の上のフォトフレームに止まる。

 

 そこに収められているのは、サッカー部のメンバーと一緒に撮った写真だった。確か、マネージャーになってしばらくしてからだったか。ちょっと埃っぽい、でも楽しげな様子の男の子達が肩を並べる中、華奢な女の子が茶髪の男の子にまとわりついている。彼らの顔を、じっと見つめた。

 

 この時のわたしは、どういう気持ちを抱いていたんだろう。

 

「…………」

 

 しばらくそうしていたけれど、残念ながら、写真を撮った時の気持ちを思い出すことは出来なかった。

 

 胸の鼓動は、静かなままだった。




いろはす100%でお送りしました。ちょっとクドかった気もしますが…。
ってか、ストーカーの扱い小さいなー、さすが恋愛脳。

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