そうして、一色いろはは本物を知る   作:達吉

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例によって一話が長くなったので今回は切り出しました。
その分いくらか、次回更新日は早くなると思います。




■25話 失われた俺のニチアサ

 

日朝(ニチアサ)──それはカレンダーという名の神に従う多くの人々にとって、最後のユートピア。

 

週休二日といえば、大抵は土曜の朝から日曜の夜までの休みを指す言葉である。カレンダー様だって赤くなっているのはこの区間だ。しかし実効的な休日の期間として見た場合、必ずしもそうとは言えないのではなかろうか。

『サ○エさん症候群』なんて言葉もある通り、日曜日は夜になるほど憂鬱さが増していく。ならば実際にゆったり寛げるのは、金曜の夜を含めて精々が日曜の昼くらいまでだろう。

 

それほどまでに貴重な日曜の朝。俺も普段であれば、出来るだけ優雅に嗜むよう心掛けている。

飽きるまで惰眠を貪った挙げ句、妹に隠れてレッツプリキュアタイムと洒落込むのだ。HDレコーダーまじゴッド。生視聴になんて拘ってはいけない。というか、早起き小町さんがだいたい芸能ニュースを見てるので、どっちにしてもその時間には見られない。

 

このゴールデンな時間帯に、何故だかいそいそと制服に袖を通している俺がいた。

 

「ふむ…70パーセントという所か…」

 

節々の調子を確かめながら、強敵に挑む前の準主役キャラを演じてみる。事実こんな早起きをしているのも、ちょいと面倒な相手に会いに行く為だったりするわけで…。セリフに漂うそこはかとない差し違えフラグの香りについては気にしない方針でお願いしたい。

 

決して好調子とは言えないものの、これが100パーセントになったからって髪が金色に逆立つ訳ではないし、その気になれば120パーセントが出せる訳でもない。

誤解されやすいが、ああいった表現では100を全力としている訳じゃないんだよな。「今日は120パーセントで頑張るよ!」と言うヤツは間違いなく普段から手を抜いてやっているし、「エネルギー充填120パーセント!」というのも容量的にはまだ100パーセントではない筈なのだ。要するに通常運転のラインが100なのである。

 

そういう意味では、俺の70パーというのも最大スペック比で言えば50に近い値だろう。でも本気なんてまず出さないので問題ない。何しろ五体満足でも転んだりしちゃうからな。世の中には本気を出すのは子供、みたいな風潮があるが、大人は単に身体が付いてこないからやりたくても出来ないだけのような気がする。

 

ちなみに内出血の処置についてだが、ああいった場合は冷やすのが正解だ。つまり寄ってたかってぽかぽかのお手々を当てまくるスタイルの奉仕部式療法は大間違いということになる。

まあ人間の手で暖められたくらいで悪化するようなものでもないし、あれでも気持ち的には十分癒された。ましてやJKという職業は世間じゃ愚痴を聞くだけでお金が貰える役職である。そんな彼女らに無料(ロハ)でハンドセラピーされておいて文句も言えまい。

 

 

腰をさすりながらリビングへ顔を出すと、小町が朝から元気に動き回っていた。

 

「あれ、どしたの?まだ9時前だよ?それにその格好…」

 

時計を見れば8時45分。言うほど早起きじゃないな。むしろそれで驚かれた日頃の自堕落っぷりに目が覚める思いだ。

 

「ちょっと学校にな」

 

別に休みなんだしジャージで行っても怒られはしないだろうし、お目当ての相手も実はジャージを着ている可能性が高い。しかしワイシャツとブレザーというのはこれで案外と防寒性に優れているし、何よりコーディネートを気にしなくていいという最大の長所を生かさない手はない。

 

「…今日は日曜だよ?大丈夫?おじいちゃん疲れてるんじゃない?」

 

マジで心配そうな顔をする小町。せっかくボケてくれたのでご相伴に預かって、寄る年波に寿命を感じるしがない老人のような顔をしてみせた。

 

「小町よ、俺はもうじきお迎えが来るだろう…。だがその前に、一目で良いからお前の花嫁姿が見たかった…。あ、ちなみに新郎は抜きでよろしく」

 

「そっかー。でも無理かなー、本番以外でウェディングドレス着ると、婚期が遠ざかるって聞くし」

 

ジーザス!確かあのお方、ちょくちょく試着しに行ってるって言ってなかったか?そんな悲しいジンクスは知りたくなかったわ。世界には優しい嘘が足りないと思います。つか、装備する度に運気消耗するとか…明らかに呪いのドレスじゃねえか。

 

「そんなの事実無根だろ。わざわざ進んで着るってのは結婚願望が強い女性ってことだ。結婚したいと思ってる男から見たら、そりゃどう見てもプラス要素だろうが。むしろ早まるんじゃないの?」

 

「お?確かに…。なんだーデマかー。良かったぁ、実は一回くらい着てみたかったんだよねー!」

 

計画通り──。

これで我が家のアイドル流出を阻止できそうだと内心ゲス顔でほくそ笑んでいると、ネタに飽きたらしい小町がこちらに背を向けながら言った。

 

「で、冗談はともかく、なんで制服?」

 

「ま、野暮用だよ」

 

「ははーん、いろはさんに会いに行くんでしょ?」

 

「いや違うし。学校っつってんだろ」

 

「小町知ってるんだからね!いろはさんも今日は学校らしいじゃん。なんかケーサツ関連のイベント運営とかで」

 

なにそれ初耳なんですけど。

警察のイベントってなんだ?一日署長とかか?確かにやたら似合いそうだけど。

 

「いちいち一色のスケジュールまで把握してないから。俺はプロデューサーさんじゃないんだよ。あと会いに行くのは男な」

 

「えっ!小町、まだちょっと薔薇とかはよく分かんないかも…」

 

俺もお前のことが分かんなくなってきたよ…。

ほあーっと奇声を上げて悶える妹の先行きに不安を感じつつ、俺は我が家を後にしたのだった。

 

 

* * *

 

 

休日の通学路は人気が少ない。妙な新鮮さを感じながら自転車を漕いで行くと、校門に近づくにつれて敷地内から掛け声のようなものが聞こえてきた。よしよし、この分だと無駄足にはならずに済みそうだ。

 

「ふーん、これか…」

 

校門の脇には臨時の看板が立っていた。そこにはでかでかと『交通安全・応急救護教室』と書かれている。小町が言っていたのはこれの事か。

確か俺も小学生の時にやった気がする。交通事故のビデオを見せられたり、人形使って人工呼吸の練習をしたりするヤツだな。人形は使いまわしだから口の周りをアルコールティッシュで拭いて使うんだけど、もちろん俺の後には誰もやりたがらなかった。確かその次はいつもハナ垂らしてる男子の番で、お前にだけは言われたくないと悔しい思いをした記憶がある。

 

どうやらその教室は体育館で開催されているらしい。なるほど、一色はこれの運営要員に駆り出されたのだろう。椅子を並べたりお茶を用意したり…生徒会長って一番権力あるはずなのに地味な立ち回りが多いよな。しかしこうして休みまで奔走しているのを見ると、少なからず罪悪感を覚えてしまう。

成績に関係ない行事に積極的に出てくる生徒もそうそう居ないだろうし、さぞや薄ら寒いイベントになっている事だろう。しょんぼりしている一色の後ろ姿を想像してしまい、冷やかしに行ってやろうかという仏心も湧きかけたが、止めておくことにした。今日は一応、用事があって来ているのだ。

 

ガラガラの駐輪所に愛車を止めた俺は、校舎や体育館には目もくれず、目的地へと足を運んだ。

 

寒風吹きすさぶグラウンドでは、派手な色のゼッケンをつけた生徒達が、声を上げながら土まみれのボールを追って走っている。

両手をポケットに突っ込んでその集団をぼんやりと観察していると、一際大きな声で指示を飛ばしていた男子がこちらに気づき、メンバーに向き直って声を上げた。

 

「よーし、終了ー!10分休憩だ!明けたら1on1から。戸部、悪いけど戻るまで待っててくれ」

 

こちらへと駆け寄ってきた茶髪のイケメンは葉山隼人。

休みの日にまで見たい顔ではないのだが、二度寝を諦めて学校に足を運んだ理由はこいつと話をするためだ。

ひとつ覚悟を決めて、俺は葉山と向き合った。

 

「珍しいな。今日は日曜だぞ?」

 

「分かってる。ちょっと頼みがあるんだよ」

 

「勘弁してくれ──と言いたいところだけど、どうも今回は俺の話って訳じゃなさそうだな」

 

× × ×

 

俺の話を聞いた葉山は、迷わず首を縦に振った。

あまり時間も無いし、渋られたらどうしようかと思っていただけに、正直ホッとした。

失われた俺のニチアサも浮かばれようというものだ。

 

「すまん、助かる」

 

「君も変わったな。人を頼ることを覚えた」

 

「"立ってるものは親でも使え"が最近のマイブームなんでね」

 

「…()()はとても良い関係だな。お互いに高め合っている。そんな相手は探したってそうそう見つかるもんじゃない。正直妬ましいよ」

 

流石に「誰と誰のことだ」なんて聞き返す気は無いが、そんな風に言われるほど葉山に見せ付けた覚えも無い。

しかしそれよりも、葉山が"羨ましい"ではなく"妬ましい"という言葉を選んだことに、俺は若干の違和感を覚えた。敢えて人間臭さを装っている、みたいなその言い回し。清廉潔白な生き方を強いられ続ける自身の生き方について、やはり何かしら思うところがあるのだろうか。

 

「比企谷、君は中原が犯人だと思うか?」

 

「…分からないから頼んでるんだろ」

 

「そうか…。その他の可能性を考えてくれているだけでも十分だよ。俺が彼の無実を証明してみせる」

 

葉山自身、中原に対して何の疑いも持っていないという事はないだろう。

それでもそんな言葉が出てくるのだから、俺とは本当に根っこから違うんだな、と改めて感心した。

 

「すげえな。頼んでおいて何だが、よく他人の為にそこまで出来るもんだ」

 

「そんな立派な理由じゃない。単に自分の判断が誤りだったと思いたくないだけさ」

 

その言葉を額面通りに受け取るならば、要するに自分の為という事になっちゃうんだけど…。

俗っぽい理由に拍子抜けしていると、俺の顔色を見た葉山は見慣れた仕草で肩を竦めて言った。

 

「いつもそう言ってるだろう?」

 

「…違いない」

 

なるほど確かに、こいつは自分で何度もそう言っていたっけな。

その理由なら任せられそうだと、俺は卑屈な笑みを返したのだった。

 

 

 

《--- Side Iroha ---》

 

 

「ふーっ、疲れたぁー…」

 

制服を着替えもせず、わたしは帰るなりソファーへと突っ伏した。

 

朝イチで登校してから現場の設営、警察のひとへの挨拶、交通安全教室、最後に現場撤去──。

プログラムそのものは2時間程度だったのだけど、運営側で参加した結果、一日掛かりの大仕事だった。

 

参加人数が少なかったおかげで指導員と生徒は終始マンツーマン状態。しかもわたしに付いた若い男性指導員は、妙に距離が近かった。あれ絶対下心あったでしょ…。

そのあと殆ど使わなかった椅子の片付けやら会場の後始末やらをしていたら、いつの間にかすっかり日も暮れていた。明日はもう月曜日だなんて、もの凄い損をした気がする。

せめてもの救いは、今のわたしにとって平日は平日なりの楽しみがある、ということだろうか。このところ毎日一緒にいたせいか、彼の姿を一日見なかっただけで、なんだか落ち着かない気分だった。

 

「えへ、えへへ…」

 

わたしは転がったまま、キッチンの一角に目をやった。

そこには柔らかなライムグリーンのエプロンが掛かっている。

先輩がわたしにくれたもの。わたしの為だけに選んでくれたもの。

見ているだけで面白いように頬がふにゃふにゃと緩んでいく。

 

「まともな笑顔がレア過ぎるんですよ、先輩は…」

 

昨日別れ際に見せてくれた先輩の表情は、今思い出しても胸が熱くなる。

あんなものを見せられて、気持ちが燃え上がらなかったらウソだろう。

あのエプロンを身に着けて彼の前で料理をしてあげたら、また笑顔を見せてくれるだろうか。

そう考えただけで、いくら疲れていても明日という日が待ち遠しかった。

 

「あーダメダメ、シワになっちゃう…」

 

このままソファーに沈んだら良い夢が見られそうな気もするけれど、制服を着替えないといけない。

身体に鞭を打って立ち上がったその時、玄関に来訪者の存在を告げるインターホンの音が響いた。

 

- ピンポーン -

 

「…えー、なんだろ、こんな時間に」

 

時刻は夜の18時を回ったところ。

遅いと言うほどでもないけれど、勧誘が来るような時間でもないし、なにか届く物があるというような話も聞いていない。

 

「ママー?」

 

声を上げてみても求める返事が返ってくる気配はない。

 

「…あー、今日もだったっけ」

 

このところママと顔を合わせる機会がやたら少ない気がする。なんでだろうと考えてみたら、そもそもわたしが外泊してばかりだった。ちゃんとした彼氏が出来たら、こういう生活にも慣れていくのかな。

 

来客の対応をしようと室内機のモニターを覗いてみると、外の様子を映しているはずの画面はなぜか真っ黒だった。

 

「え、なに…?さっき鳴ったよね?」

 

玄関の電気が切れでもしたのだろうか。ううん、暗いと言っても山奥の田舎じゃあるまいし、夜だからってこんな真っ暗闇にはならないはず。

 

「故障かなぁ…」

 

応答スイッチをOFFにして、ソファーへと腰を下ろす。

なんだか寒くなった気がして、エアコンのリモコンに手を伸ばした。

 

- ピンポーン -

 

「っ!」

 

すぐさま振り向いてみたけれど、やっぱり何も映っていない。

モニター自体は反応しているようだ。さっきOFFにしたのに、またカメラ作動中のライトが点灯している。

間違いない。家の前には確かに誰かが居るのだ。

画面に映っていなくても、そこに確かな気配みたいなものを感じた。

 

- ピンポーン -

 

どうしたものかと動きあぐねていると、再度インターホンの鳴らされる音がした。

もしかしたら本当にカメラが故障しているだけかもしれない。勇気を振り絞って室内機に向って返事をしてみる。

 

「…どなたですかー?」

 

『………………………』

 

相手からの返事は無い。スピーカーからは微かなノイズがしているから、繋がっているはずなのに。

もう一度画面をOFFにしてみた。でも無駄のような気がする。だってこのパターンは──

 

- ピンポーン -

 

「うー…っ!」

 

予想通りの展開。自分の精神状態が徐々にパニックへと向っているのが手に取るようにわかった。

わたしはソファーに(うずくま)ると、頭の上にクッションをぎゅっと押し付けた。

外界を遮断して一旦落ち着こうと思ったんだけど、頭隠して尻隠さずのこのスタイルは、ちょっと失敗だったかもしれない。お尻がスースーするし、何より周りが見えないと余計に怖くなる。

 

(ま、まさか家の中に入ってきてたりしないよね…?)

 

一度考えてしまうと怖くて仕方ない。もしも後ろに立っていたらとか思ったら、確かめるのさえ怖くなってしまった。でもずっとこのままという訳にもいかないし…。

思い切ってクッションを退かそうと、わたしは心の中で勢いをつけた。

 

(よ、よーし、いちにのさんで顔出すよ?いち、にの──)

 

- ピンポーン -

 

「ひっ!…もうやめてよぉっ!」

 

怖い、怖い、怖い!

今までで一番怖い!

 

だって、いま相手は確実に、すぐそこまで来ているのだ。

目と鼻の先で息を潜めて、怯えるわたしを追い詰めて楽しんでいるに違いない。

それが悔しくて歯軋りしたいくらいだったけど、恐怖に震えてカチカチと鳴るばかりだった。

 

わたしの手はいつの間にか、スマホをぎゅっと握り締めていた。

 

電話したい。

先輩の声を聞きたい。

助けてって言いたい。

 

「だ、ダメ…我慢しないと…」

 

せっかく昨日はいい雰囲気で終われたのに。

初めて先輩の役に立てたのに。

先輩に、ちゃんと褒めてもらえたのに。

なのにここでまた、みっともないところを見せるのか。

 

そんなのイヤだ。

 

「負けない…がんばれ……が、がんばれぇ…っ」

 

鳴り続けるインターホンの音をかき消すようにして、わたしは自分を励まし続けた。

 

 

 

《--- Side Hachiman ---》

 

 

「──でもね、小町としては複雑なんだよ」

 

「なるほど」

 

「お兄ちゃんがモテるタイプじゃないのは言うまでもないし、チャンスがあれば買い取って欲しい。心からそう思ってます」

 

「そういうもんか」

 

「別にいろはさんがお姉ちゃんになってくれるのはいいの。むしろ歓迎かな。でもね、雪乃さんや結衣さんも好きなの」

 

「そうかもしれないな」

 

断っておくが、こんなおざなりな返事をしているのにはちゃんと訳がある。

俺は今、かつて読みかじった本に記されていた、とある実用的な理論を実践に移しているところなのだ。

 

「だいたいお兄ちゃんごときがあーんな綺麗なお花を両手どころか口にまで咥えて三刀流とか、おかしいと思わないの?前世や来世の分まで運を使っちゃっても足りないくらいの奇跡なんだよ?」

 

「なるほど」

 

「だからさ、今は恥ずかしいかも知れないけど、絶対本気出した方がいいんだって。そしたら後で小町に泣いて感謝することになるんだから」

 

「そういうもんか」

 

「大学行ったら彼女出来るとか根拠の無い期待しちゃダメだよ?自分から女の子に声掛けられない人にとっては高校以上に接点無いらしいって、よーちゃんも言ってたし。あ、コレよーちゃんのお兄さんの話ね」

 

「そうかもしれないな」

 

本のタイトルは忘れてしまったが、ざっくり言うと『女性の四方山(よもやま)話は返事三つで対応できる』みたいな内容だったと思う。

残念ながら具体的に何と何で事足りるとされていたかも覚えていなかったので、取り敢えずは当たり障りのない選択肢をチョイスしているのだった。基本的なポイントさえ押さえておけば適当で良かった筈なんだよな。

「共感してみせる」、「否定はしない」…あともう一個は何だっけか。

 

「だからね、この際みーんなお嫁さんに貰っちゃうくらいの覚悟でさ…あっ、ちょっと!これって超画期的じゃない?」

 

「妹が何を言っているかわからない件。これはむしろ末期的と言うべきだろう。基本的な法律も知らないとか、このまま受験したら合格は難しいかも知れない」

 

「ちょっとそこのひとー。心の声的なやつが漏れてるっぽいんですけどー、それ声に出しちゃダメなやつじゃないんですかねー?」

 

おっと、うっかり全力で否定してしまっていた。でもわりと途中まではナイスコミュニケーションが成立してたよな?あの理論が凄いのか小町が緩いのか、判断が難しいところだ。

しかしこの単純さ…ともすればソシャゲの二次元男子にも楽々落とされかねない勢いである。うちのチョロインには再教育が必要かも知れない。

 

「やっぱ差し当たってはいろはさん問題の早期解決かなぁ。あんまり一人だけに構ってたら他の二人に愛想尽かされちゃうかもだし」

 

「なるほど」

 

「取りあえずはご機嫌伺いだね。ってことで、はい、電話」

 

「そういうもん──いや何でだよ?」

 

「今なるほどって納得したじゃん」

 

「……そうかもしれないな」

 

どうやら既にパターンを見切られていたようだ。それどころか返事を利用して誘導までされていた。

しらっとした目を向ける小町の手には彼女のスマホが乗っている。そこには既に一色の名前が表示されていて、後はワンタッチで呼び出せるようスタンバってあった。

 

「さっきから適当に返事してるの、小町ちゃんと分かってたんだからね?」

 

「…だって最近お前、やたらと恋愛事とか推してくるんだもん。今日だって俺が帰ってからずっとそんな感じだし。相手すんの疲れるっつーか、ぶっちゃけめんどくさい」

 

「うっわー、それ女の子に言っちゃいけないセリフのワーストランカーだよ?仕方ないじゃん、八幡史上最大のビッグウェーブなんだから。今を逃したら次なんかあるわけないし!」

 

「ウェーブはウェーブでも雇用の波じゃねえの?」

 

そりゃ八幡経済的には景気上向きと言えるかも知れない。自分でも最近わりと忙しさを感じているしな。雪ノ下や由比ヶ浜のみならず、今日に至ってはわざわざ休日に葉山と言葉を交わしてきた。

しかしそれは俺の鎖国的な交友関係が改善された結果ではない。誰かさんがこそこそハッスルし続けてるもんだから、なかなか気苦労が絶えないだけだ。

つか、そもそも金銭的報酬が発生していないのだから、経済もへったくれもないわけで…。伊達に奉仕の二文字を掲げてはいない。万年サービス営業とか、ブラックを通り越してクトゥルフ級の闇の深さである。

 

「あのね、お兄ちゃん。モテ期ってのは他人から見ないと分からないモノなの。それか、終わって初めて分かるモノなの」

 

「え、いま俺モテ期なの?」

 

「そうなの!」

 

そうなのか。男の人生には三回モテ期があると聞いたんだが、この調子では後の二回も気が付かないうちに終わっていた可能性が高いな。この後の人生に集中してることを祈るしかないのか。

つか、この状況がモテ期としてカウントされるのなら、社畜になって先輩女子にこき使われるのも該当するってことだよな。それって世に言うところの"勘違い"ってやつじゃないのん?所詮は生きることに疲れた男たちの妄想が産み出した都市伝説でしかないという事なのか。

 

「ん。LINEなら電話代気にしなくていいでしょ?」

 

さらにぐいっとスマホを押しつけられ、俺は仕方なしにそれを受け取った。

料金を気にするほど長話するつもりもないんだけどな。

 

昨日の別れ際、一色が見せた表情が脳裏を掠める。

小町の手前、冷静を装ってはいるものの、ディスプレイに表示された文字列を見ているだけで心拍数が上がっていく気がした。一日時間を置いたが、どうやら未だに解毒は完了していないらしい。

 

「どしたの?」

 

「いや──」

 

ちらりと小町を見ると、こちらを無遠慮に覗き込んでいる視線とぶつかった。その顔が「おんやぁ~?」と言いたげな腹立たしいものにシフトしつつあったので、俺は慌てて呼び出しアイコンをタップする。

 

「…で、何話せって?」

 

「色々あるでしょ、昨日の事とかこれからの事とか。緊急事態とはいえせっかく接近してるんだから、鉄はホットなうちに打っとかないと」

 

俺としてはむしろクールダウンさせて欲しいのだが──。

まあ一応、今日一日何事もなく乗り切れたかの確認くらいはしてもいいか。

そんな風に気持ちを切り替えたところで、ちょうど通話が繋がったようだった。

 

『──もしもし、こまちゃん!?』

 

「…残念ながら、兄の方だ」

 

『えっ!?先輩、ですか?』

 

「おう。いま電話平気か?」

 

『へ、平気っていうか……いえ、なんでもありません。どうしたんですか?』

 

電話に出た一色の声は切羽詰ったみたいな声だったが、俺だと分かった途端に一気に暗くなった気がした。

分からないでもないけど、小町じゃなかったからってそんな露骨にがっかりしないで欲しいな。うっかり死んじゃいたくなるからね。

過去二回ほど聞いたはずの、電話越しのいろはすボイス。今の彼女はどちらかと言えばイタ電の時の空気にも似たものを感じさせる。ひょっとして自宅だとテンションが下がるタイプなのだろうか。

 

「悪いな。ちょっと気になったんで」

 

『え…』

 

「昨日も機嫌悪いみたいな誤解させちまったし、念の為っつーか。あと今日の状況とか聞き込みもかねて…その、あれだ、進捗報告会みたいな?」

 

一色からの返事はない。

自分でもこの説明はどうかと思った。もしかして恒例のお断り芸すら出ないほど呆れて──

ん?今なんか電話の向こうから音が聞こえたような気が…。

 

『じゃあ、先輩はわたしのこと心配して、電話してくれたんですか?』

 

そう真っ正直に言われると恥ずかしいのだが、ポジティブに解釈すれば、そういう事になる。()()()と表現したくらいだから嫌がってはいないのだろうと判断し、俺は彼女の言葉を否定しなかった。

 

「まあそうとも言うか。ウザかったなら言ってくれ」

 

(お兄ちゃんすっごいウザイ。卑屈なの禁止!)

 

いてっ!小町のやつ、向こう(ずね)にローキック入れて来やがった。そして自分も痛みに顔をしかめている。そんな彼女を顔だけでザマァと嘲笑っていると、耳に当てていた電話からぎょっとする声が聞こえてきた。

 

それは一色のすすり泣くような声だった。

全身を覆っていたこそばゆい微熱が弾け飛ぶのを感じる。

 

『や、やだなぁ…せっかく頑張ってたのに……。えっぐ…。てか、このタイミング、は、反則です、よ…。ひっく…』

 

涙に濡れる声の向こう側に、今度はなんとか聞き取れた。

 

間違いない、インターホンの電子音だ。

嘲笑うかのようにも聞こえるそれは、よくよく聞いてみると10秒と置かず繰り返し鳴らされていた。

音に合わせて一色が喉を震わせるのが電話越しにも伝わってくる。

 

「……いつからだ?」

 

『ごめんなさい…ごめんなさい…迷惑かけてごめんなさい…っ』

 

泣きながら繰り返されるその言葉が、状況の全てを物語っていた。

 

彼女が遠慮して助けを呼ばないという可能性──。

何故そこに考えが及ばなかったのだろう。思えばイタ電の時だってそうだ。たまたま俺が掛けたから発覚しただけで、あれも一色から報告してきたわけではない。

俺自身、彼女に負担を掛けたくないからといって被害を隠しているではないか。一色が同じような行動に出る可能性は十分考えられたはずだった。自分の間抜けっぷりに心底うんざりする。

 

「30分で行く」

 

そう告げて立ち上がった俺に、小町がブルゾンを手渡してきた。

聡い彼女は余計な事を聞き返すようなことはせず、手を差し出しながら頼もしい笑顔で言った。

 

「いってらっしゃい。場は繋いでおくね」

 

「悪い、助かる」

 

「いいってことよ!今のお兄ちゃん、小町的にもポイント高いぜ?」

 

「ほっとけ」

 

まったく…良く出来た妹だよお前は。

泣きじゃくる彼女に繋がったままの電話を預けると、焦燥感に突き動かされるまま、俺は家を飛び出したのだった。

 

 

 

《--- Side Iroha ---》

 

 

『まーそんなワケで、兄はリンゴカットだけは無駄に上手になってしまったのですよー』

 

「うん、あれ、すっごく可愛かったなぁ…」

 

あれからしばらく、わたしはこまちゃんとお話を続けていた。

しつこく鳴っていたインターフォンの音は、今はもうしていない。

彼女が気を遣って振ってくれる他愛ない会話と、音の恐怖から開放された安心感。わたしの心にはやっと余裕が戻ってきていた。

室内機のボリュームを無音(ミュート)にするという作戦が功を奏したのだ。こまちゃんに言われるまで、そんな単純な手も思いつかないくらい、わたしはテンパっていたみたい。

 

犯人が居なくなったかどうかは分からない。

でも、もうすぐ先輩が来てくれる。

そしたら、もう何も怖くない。

 

『そのせいで普通にリンゴを剥くことが出来ないっていうおかしな──あ、待って下さい、兄から連絡です。いろはさんちの前に着いたそうですよ?』

 

「えっ、ホントに?!あ、あの…」

 

『どうぞ行ってやって下さい。あんなのが夜に住宅地でボケーッと突っ立ってたら、それこそ通報されかねませんので』

 

「ご、ごめんねっ、ありがとう!」

 

お礼を言って電話を切ると、わたしは玄関に向ってバタバタと駆け出した。

 

ヤ、ヤバいよー、いま先輩の顔みたら、思いっきり抱きついちゃうかも!

でもでも、それくらいしてもバチは当たらないよね?

わたし、頑張ったよね?

 

ガチャガチャと音を立てて鍵を外し、勢い良く扉を開け放つ。

そこに先輩が立っているものだと信じ込んで。

 

「先輩っ!」

 

 

 

玄関の灯りに照らされて、目の前に立っていた人物──。

 

 

 

それは待ちわびていた彼ではなかった。

 

 




葉山への頼みごとの内容はいずれ。

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