そうして、一色いろはは本物を知る   作:達吉

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さてさて、そろそろあちこちで動きが激しくなって参りました。
どうでもいいけどサブタイの役立たずっぷりが尋常じゃないですね。


■22話 もうハダカしか残ってない

「こんにちはー!」

 

その日の夕方、わたしはすっかり慣れ親しんだ奉仕部の部室に顔を出していた。

まだ先輩は来ていないみたい。そのせいか、結衣先輩は机にぺたーっと伸びた状態でひらひらと手を振っていた。押しつぶされた胸元が迫力満点ですねーむぐぐ。

 

「こんにちは」

 

「やっはろーいろはちゃん。ヒッキーそのうち来ると思うから。待っててって言ってるのに、いつものトコにいなかったんだよねー」

 

「あ、あはは。そですか、どもです…」

 

それでこんな風にペタってるんですね。でも待ち合わせて一緒に部活とか羨ましいです。ちょおゼイタクです。

にしても、いちおうわたし達ってライバルのはずなんだけど…。こうもあっけらかんと言われると変なカンジだなぁ。いちいち探り合いとかしなくていいのは助かりますけど。

 

「今日はどうだったの?なんもなかった?」

 

「中原くんが登校してきましたけど、教室ではとくに動きナシでした。あとは昨日の夜、キモいイタ電があったくらいですねー」

 

朝の一件は、どう報告すべきだろう。

わたしのために葉山先輩が動いてくれたこと自体は嬉しいんだけど、先輩方に頼りきりの立場からしたら、なんだか二股を掛けてるような後ろめたさもあったりして──。

そんな風に迷っていると、結衣先輩が慌てたように顔を上げた。

 

「くらいって…きっちりなにかあったんじゃん!」

 

「ごめんなさい、それはきっと私の責任だわ。一色さんに電話をするようにって、比企谷くんに番号を教えてしまったの。やっぱり早まったかしら…」

 

雪ノ下先輩が丁寧に頭を下げるのを見て、わたしは苦笑いを浮かべた。

先輩の卑屈な態度はどうやらここに原因がありそうだ。

 

「なんで先輩と同じような反応してるんですか…。違います、イタ電は別口です。先輩はむしろフォローしてくれました」

 

「なら良いのだけど…。その、悪戯電話の方は平気なの?」

 

当たり前のように目の前に差し出される湯気の立つ紙コップ。お礼を言って琥珀色の紅茶を口に含む。

品の良い香りのおかげか、夕べの出来事を思い浮かべても心がざわつくような事はなかった。

 

「はい。掛かってきたときはちょっと怖かったですけど、先輩も電話してくれましたし。あとこまちゃんともお話しできましたから。とりあえずは結果オーライってカンジです」

 

「あー、小町ちゃん?話したんだ。どーだった?」

 

「ヤバいですね。ちょお可愛いです」

 

「だよねー!」

 

「彼女、欠点らしい欠点のない子よね。強いて言うなら比企谷くんと血が繋がってるのが珠に(きず)だけど」

 

「そこ否定したら先輩の妹じゃなくなっちゃいますよー」

 

談笑していると、突然背後からがらりと音がした。

ノックをせずに開けられた戸の音に振り返ると、そこには期待通り彼の姿があった。

 

「うす」

 

「あー先輩!なにしてたんですかーもー。わたしちょお待っちゃったじゃないですかー」

 

無意識に飛び出した甘え声に、自分でもちょっと驚いた。

彼を求める気持ちは日を追う毎に強くなる。夕べは電話だってしているはずなのに、こんなんじゃ先が思いやられるなぁ。

ともあれ今の気持ちに逆らわず、戸口に突っ立ったままの彼にするりと腕を絡める。

自分のそばに座らせようとこちらへ引っ張ると、先輩は「痛っ!」と声を上げた。

 

「えっ?」

 

驚いて反射的に手を離す。

そんなわたしを見た彼の顔には「しまった」とでも言いたげな表情が浮かんでいる。

もちろん痛がられるほど強くなんてしないし、静電気が走ったとか、そういう反応でもなさそうだ。

 

わたしに見つめられ、先輩は腕を身体の後ろにゆっくりと隠そうとしていた。

しかしいつのまにか回り込んでいた結衣先輩が、それを素早く取り押さえる。

胸元に腕を抱き込まれ、「ちょ、おま」とキョドっている先輩のブレザーの袖を、彼女はシャツごとグイッとめくり上げた。結衣先輩がいきなり痴女になってしまったわけではもちろんなくて──。

 

外気に晒された彼の素肌には、青黒い(あざ)が痛々しく広がっていた。

 

「うっわ、いたそー!…どしたのこれ?」

 

「触んなって。マジ痛いから」

 

ちょいちょいと青アザをつつく結衣先輩。彼は嫌がっているんだけど、その割には抵抗が薄いような気がした。

なんだか動きがやけに鈍いような…。

もしやと思って、ガラ空きの膝をツンツンしてみると──

 

「いっつ!」

 

その声は思いのほか部室に響いた。

かさぶたを剥がすの剥がさないので騒いでいる子供のようだった結衣先輩。彼女の無邪気な顔からすっと表情が消える。

またも「やらかした」という顔色の先輩に、三人分の視線が集まった。

 

今度はズボンの裾に向かって、結衣先輩の手がゆっくりと伸びる。

 

「おい、何して──」

「動かない」

 

ぴしゃりと言い放つ結衣先輩。こういう時の迫力は下手したら雪ノ下先輩よりも凄い。

彼女の手によってめくられた先輩の向こうずね。

そこにもやはり、大きく広がる内出血の跡があった。

 

雪ノ下先輩が(おごそ)かに口を開く。 

 

「…比企谷くん」

 

「違う、ちょっとコケただけだ」

 

「何が違うのかしら。まだ何も言っていないし、聞いてもいないわよ?」

 

「説明するほど面白いことなんてないし。高校生にもなって恥ずかしいからあんま深追いしないでくんない?」

 

「ヒッキー…ウソついてる。どうして?」

 

「嘘じゃないっての。転んだ場所が悪かっただけだ」

 

結衣先輩は既に疑問ではなく確信として彼を問いつめる。

ちらちらとこちらに投げかけられる視線。

なぜだろうか、先輩は明らかにわたしのことを気にしていた。

 

「階段ね」

 

謎は全て解けた、と言わんばかりに瞑目して解を告げる雪ノ下先輩。

果たしてその答えは事実を違える事がなかったらしく、

 

「見てたのか?」

 

とあっさり先輩の自白を引き出した。

 

「まさか。そんな目に悪い…もとい趣味の悪い事、するわけないでしょう。校内で転んで大怪我をするとしたら、十中八九そこだと思っただけよ」

 

「見ただけで目に悪いとか。俺は黒魔術の原典か何かですか」

 

雪ノ下先輩はいつものペースを取り戻そうとするように先輩弄りを始める。

でも、わたしは彼の言葉を聞き逃す事ができなかった。

 

「つまり階段で転んだってことですか?」

 

「ん、だいたいそんな感じだな」

 

「危ないじゃないですか!」

 

ついつい、大きな声が出てしまった。

先輩は食って掛かるかのようなわたしの勢いに面食らったようで、「お、おう。危ないな」とオウム返し。

 

「それは転落したっていうんですよ!頭とか平気ですか?」

 

「その言い方だと語彙の少なさを罵倒されてるみたいにも聞こえるんだけど…。頭は打ってないから」

 

一番心配なところは打っていないらしい。とりあえず良かった…。制服に隠れていて分からないけど、他にもぶつけてそう。

雪ノ下先輩はやけに真剣な目で彼の顔を見つめていた。大丈夫だから、とその視線を手で払う先輩を見て、ふっと息をつく。

 

「比企谷くん。いくら人生に絶望したからといって、学校の階段で身投げするのは感心しないわね」

 

「お前さ、そういう発言が人を絶望に追い込むとか思わないわけ?」

 

まるで話を逸らすかのようにやりとりを再会する雪ノ下先輩。渡りに船とばかりに言葉を返す先輩もまた、この話を終わりにしたいと言っているように見えた。

 

雪ノ下先輩、心配じゃないのかな。

まだヘンな意地張ってるのかな。

わたしは、すごく心配なんだけどな…。

 

「お、おい。くすぐったいんだけど」

 

「…?」

 

なぜか顔を赤くしている先輩が抗議の声を上げる。

その視線の先には、彼の膝をゆっくりとさすり続けるわたしの手があった。

どうやら無意識にやっていたみたい。

少し恥ずかしくなったけれど、それでもやめようとは思わなかった。

 

「だって、ちょお痛そうなんですもん…」

 

なんだろう、先輩の怪我をみていると、自分の胸まで痛くなってくる。

ニュースやドキュメンタリーで見る"不幸な人"への同情なんかとは違って、むしろ共感といった方が正しい感覚かもしれない。彼の傷を見ていると、自分のどこかがキリリと痛む。

 

「えへ。こんなの、ぜんぜん意味ないですけどね」

 

いくら念じたところで、痛いのは急に飛んでいったりはしない。もしも冷やすのが正解なら、こうしているのは悪化させるだけかもしれない。だからこれはただの自己満足だ。

 

「無意味とは限らないわよ」

 

俯いていた顔を上げると、雪ノ下先輩が優しげな目でこちらを見ていた。

 

「人の手の平からは生命エネルギーのようなものが出ているという説があるの。科学的に立証はされていないのだけど、古くから治療行為が"手当て"と呼ばれているように、人の手を患部にあてがうというのはそれなりの意味があるのだとか」

 

だからそれは必ずしも無駄ではないと、彼女はわたしの行為を肯定してくれた。

 

「…確かに、ちょっといいかもな。関節とかあったかいし」

 

そっぽを向いて頬を赤らめる先輩。

 

そっか、あったかいんだ。

わたしの体温、伝わってるんだ。

なんか、すごく嬉しいかも…。

 

「うんうん。おなか痛いときとか、自然と手を当てちゃう!」

 

ならこれでどうだーっと腕の打ち身にグイグイ手のひらを押し当てる結衣先輩。

痛い痛いマジやめてと騒ぐ先輩の膝に、わたしはそっと手を当て続けた。

 

 

「そういや一色、昨日は聞きそびれちまったけど…今度は何されたんだ?」

 

照れ隠しなのか本当に忘れていたのか。顔を赤くしたままの彼の言葉に、雪ノ下先輩が渋い顔をした。

 

「呆れた…なら何のために電話したの?悪戯?」

 

「それどころじゃなかったんだよ。つか、このタイミングでその冗談は笑えないから」

 

「あー、それはですね──」

 

結衣先輩が心配そうにこちらを見ている気配を感じる。

ありがとうございます。でも大丈夫です。

 

さんざん渋っていた手袋事件の全容を、わたしはあっさりと伝えることができた。

その理由はたぶんこれ。今も先輩の膝から伝わってくる彼の体温だ。

 

いまわたしと直に触れ合っているのは、他ならぬ先輩自身。間違っても知らない誰かじゃない。

例えあの手袋で誰かがなにかをしたとしても、こうしているわたし達にはなんの関係もない。

これはまさに雪ノ下先輩が言っていたことそのものだ。

あの場ではすぐ頷けなかったけれど、実際に先輩に触れてみて、ようやく実感が持てたんだと思う。

 

黙って話を聞いていた先輩は、視線を下に向けて顎をさすった。

うーん、この角度から見ると実はイケメンなんだよね。急にやられるとドキッとする。

 

「教室の中には誰も居なかったのか?」

 

「他には女子が一人だけでした。その子、居眠りしてましたけどね」

 

「居眠りて…。それだとアリバイ要員としては微妙だな…」

 

先輩は何が起こったかよりも、それが起こった状況の方を気にしているようだった。

ヘンに思われるかも──だとか、わたしの考え過ぎだったのかも。

 

「あと、クラスの男子から例のビラを1枚回収しました。どうもお昼に取りこぼしちゃってたみたいで」

 

「げ、マジか…。変だな、きっちり全員から巻き上げたはずなんだが…」

 

「そうなんですよねー。イモ先輩大丈夫ですかね?」

 

再び進級の危機に晒されるかもしれない人物に二人で思いを馳せていると、雪ノ下先輩が「ところで」と先輩に問いかけた。

 

「肌着の類の盗難ならよく聞くけれど、女物の手袋なんて盗んで、犯人は一体何をしたかったのかしら」

 

ちょ…?!

いきなりなに口走ってるんですかこのひと!昨日の話、もう忘れちゃったんですか?

いくら先輩に話せたからって、恥ずかしいって気持ちはなくなってないんですけどー?!

 

「いや俺も変態じゃないから分からんし」

 

「全く想像が及ばないのよね。例え話で構わないから、良かったら参考までに教えて貰えないかしら」

 

「そうだな…。あくまで例えばだけど、嗅いだりしゃぶったりしごいたり突っ込──って危うく(つまび)らかに語っちゃうところだったわ!相変わらず誘導尋問すげえな…」

 

「私は何もしていないのだけど…」

 

「前置きの説得力のなさがハンパないですね」

 

「あたし、ヒッキーには絶対手袋貸してあげない」

 

結衣先輩とわたしは手を取り合って震えた。昨日の下ネタ発言が可愛く思える、想像を絶するヘンタイ行為。特にラスト、とんでもないこと言いかけてませんでした…?

 

「要するに、比企谷くんに掛かればストーカーの行動なんて児戯にも等しい。(へそ)で茶を沸かすレベルだと?」

 

「いやそれ逆だから。何で俺がストーカー軽く凌駕しちゃってるの」

 

顔を見合わせたわたし達は、同じように思っていただろう。

犯人もきっとこのひとには敵わない。色んな意味で。

 

 

<<--- Side Hachiman --->>

 

 

一色に撫でられた所が熱を持っているように感じる。

いや、撫でられていない所もだ。何だか全身が熱いような気がしてきた。

これはまさか──恋?

いいえ、ただの全身打撲です。

 

野郎、思い切り突き飛ばしやがって。おかげで一瞬、空飛んじゃっただろうが。

飛ばない八幡はただの八幡。是非ともそのままの俺で居させて欲しいものである。

しかし打撲だけで済んだのは不幸中の幸いだったな。まだあれから一年経っていないのに、また骨折とか冗談じゃない。まあぼっちはこれ以上悪化のしようも無いし、堂々と入院するのも悪くはないが。

 

「ヒッキー」

 

痛む手足をさすっていると、いつの間にか由比ヶ浜が俺の背後に立っていた

 

「それ、突き飛ばされたってホント?」

 

ぎくりと身体が固まる。その抑揚のない声が逆に恐ろしい。

あれ?まさかさっきの、声に出しちゃったりとかしてないよな?

動揺を隠すため、湯呑みに注がれた紅茶を口に運ぶ。

 

「は?誰がそんなこと言ったよ」

 

「ゆきのんに聞いた」

 

「げほ…っ。雪ノ下!なんで教えた?」

 

はぁ、と悩ましげに顔を手で覆った彼女は、その細い指の隙間からこちらを睨むようにして言った。

 

「全く…語るに落ちるとはこの事ね。私から言うわけがないでしょう」

 

「やっぱり!ゴメンねゆきのん、ダシに使っちゃって」

 

「一色さんが居なかったのがせめてもの救いね」

 

どうやら、俺は一杯食わされたらしい。

 

雪ノ下の言う通り、一色は既にここにはいない。俺の膝をさんざん撫で回した後、そそくさと生徒会室へ向かった。あのナリで時々勤勉だったりするもんだから、彼女の性格というのは未だによく分からない。

やはり仕事が溜まっているらしいのだが、そんなに忙しいのに何しに来たんだろうか。珍獣ヒッキーのグルーミングはさほど重要とも思えないのだが。

 

「まさか由比ヶ浜にカマをかけるだけの知恵があるとは…」

 

「貴方ばかりを責めるのも酷かしら。今のは私も驚いたもの」

 

「いつも思うけど、二人の間であたしってどういう扱いなの!?さすがに気付くから!ゆきのんもなーんか不自然にそっぽ向いてたし!」

 

「…だとさ」

 

「こほん…。仮に私の所作が多少のヒントになったのだとしても、私自身は何も言ってはいないわ。嘘はついていないでしょう」

 

「また小学生みたいな負け惜しみを…」

 

「だいたい比企谷くん、私にもきちんと説明していないじゃない。そりゃ、転んだなんて話を本気で信じてはいなかったけれど」

 

「それで、どうなってるの?あたしだけ知らないとかヤだからね!」

 

仲間外れにするつもりはなかった、なんてお為ごかしはしない。実際、由比ヶ浜のことは意図的に遠ざけようとしていたからな。どう見ても腹芸の得意なタイプではないし、いつも通りの彼女で一色の相手をしていて欲しかったのだ。

 

「正直、このタイミングで教えるのはあまり気が進まないのだけど…」

 

俺のやろうとしていた事。

一色に伝えていない最終目的。

ぐいぐいと詰め寄る彼女の圧力に屈したように、雪ノ下は口を開いた。

 

* * *

 

犯人の敵意を引きつけ、俺に対する事件を起こさせる。彼女が話した内容は要約すればそういうことだ。

この方針における問題点は「俺の身が危ない」という一点に尽きる。昨日までなら上手くやれていると主張することもできたが、今の状況ではそれ見たことかと言われかねない。共犯者である俺達は、揃って決まりの悪い顔をしていた。

 

「それ、いろはちゃんには隠してるんだよね?」

 

「ええ。何も知らされない事が辛いという事もあると思うのだけど…」

 

話を聞き終えた由比ヶ浜の顔は悲しげだったが、意外なことに否定の言葉を口にはしなかった。

間違いなく止めに来るであろうと身構えていただけに、ちょっと肩透かしの気分である。

一色の心情を(おもんばか)る彼女の尻馬に乗っかって、チラチラとこちらに視線を投げる雪ノ下。

おいおい、その話は済んだはずだろ?ったく、由比ヶ浜が絡むとすぐ雪解けしちゃうなこいつ。

 

「一色は既に相当なストレス状態にある。今は何とか凌いでるみたいだが、これ以上心労を増やすとトラウマになるぞ」

 

「ガイシャもこう言っている事だし。その遺志を尊重して、とりあえず秘密ということになっているわ」

 

「言葉の端々に故人への配慮が混じってるのは気のせいですかね」

 

「あら、草葉の陰からなにか聞こえてくるわね」

 

「気のせいじゃありませんでしたねやめて下さい泣きますよ」

 

「…ずるいよ。いろはちゃんのこと持ち出されたら、止められないじゃん」

 

「諦めた方が良いわよ。私も同じやり口で黙らされたのだから」

 

こいつらさっきから人聞きが悪すぎるな。ここだけ抜き出すと、まるで俺が女子二人を脅迫してるみたいに聞こえる。ご近所さんの耳に入ったら悪い噂じゃ済まないレベルである。つっても、この教室にやってくる物好きなんてそうそう居ないんだけどな。

 

そんなフラグめいた俺の考えに世界が反応したのか、狙ったようなタイミングで軽妙なノックが部室に響いた。

 

「やあ、こんにちは」

 

「あ、隼人くん」

 

訪問者は葉山隼人。まあ来るだろうとは思っていた。

おそらく昨日の話の続きだろう。身体めっちゃ痛いし、出来れば動きたくないんだけどな。

 

「何かご用?」

 

葉山は軽く部室を覗き込み、素早く視線を走らせた。一色が居ちゃ話しにくいだろうからな。

その仕草に雪ノ下の眉が不愉快そうに動き、「おっと、失礼」と葉山は頭をかいた。

 

「比企谷にちょっとね。でも君達にも知らせておきたい話だしちょうどいい、聞いてくれ」

 

勧められた椅子を固辞し、葉山は戸口の傍の壁に寄りかかった。

 

「中原のことだけど、彼はここ数日のトラブルとは無関係だと言っていた。俺は信じてもいいと思う」

 

「ちょっと待って。葉山くんがいつの間にか首を突っ込んでいるのはともかく、まさか本人に直接そんな話をしたの?」

 

「ああ、今日は登校していたみたいだったから、朝練の時にちょっとね。彼もちゃんと気持ちを話してくれたよ。この前教室で騒いだ事も随分と反省しているみたいだった」

 

「朝練って、どゆこと?」

 

「サッカー部の後輩なんだとさ」

 

昨日、俺が呼び出された後でどんな話をしたのか──。

葉山の発言に平然としている俺を見て、雪ノ下は大方の予想がついたのだろう。

彼女は疲れたOLのように額に手をやり、首を振った。

 

「なるほどね…。つまり比企谷くんのソレは、彼のとばっちりという事かしら」

 

俺に反対されることは折り込み済みでも、ここまで否定的な反応は想定していなかったのだろう。

露骨に視線を合わせようとしない雪ノ下の様子に眉尻を下げた葉山は、由比ヶ浜に説明を求めた。

 

「…結衣、何かあったのか?」

 

「ヒッキー、さっき階段から突き落とされたんだよ…。それってさ、もしかして、その…」

 

「葉山くんの接触に刺激された中原くんの仕業。そう考えるのが自然でしょうね」

 

つまりは葉山の行動が間接的な原因なのではないか。

口ごもる由比ヶ浜の言葉を引き継いだ雪ノ下が、遠慮の欠片もなく言い切った。

 

「そんな…。中原がやったっていうのか…?いつ?」

 

「一時間くらい前だ。後ろからだったから顔は確認できなかった。だからそいつがやったとは限らない」

 

庇った様にも受け取れる俺の言葉に、雪ノ下が語気を荒くする。

 

「現実的に考えれば、いま一番可能性が高いのはその中原という男子でしょう?」

 

「最有力候補ではあるな。けど断定は出来ない」

 

「待ってくれ!中原はかなり反省していた。今のアイツがそんな事をするとは思えない」

 

「ねえ隼人くん。その中原くんさ、アリバイとかってないの?ホラ、さっきまで一緒だった、とか…」

 

「…いや、残念だけど」

 

話にならない、と雪ノ下は顔を背ける。

そのあたりについては彼女に同意だな。根拠が無いなら容疑を外すのは難しい。俺が同じ状況になったら間違いなく面従腹背に徹するだろう。むしろリア充相手の態度なんて常日頃からそんな感じである。

 

「…もし中原がやったっていうなら、俺の責任だ」

 

「そうなるわね」

 

歯に衣着せぬ言葉が暗鬱な部室に響く。いつも容赦のない雪ノ下だが、今日は特に辛辣だ。実害が出たのが葉山のせいだと確信しているからだろうか。彼女のロジックはサッカー部という枠組みを得て小綺麗に纏まってしまったようだが、俺はいまいち釈然としない思いだった。

 

中原の立場になって考えてみよう。

先輩に目を付けられた直後に、そんな目立つ真似をするだろうか。事実、こうして真っ先に疑われている。何かするにしても、もう少し間接的な行動を選ぶのではないか。

 

「俺に何か出来ることがあったら言ってくれ」

 

責任を感じていますと書き殴ったような顔の葉山が詰め寄ってきた。

ほーん。なら一色の彼氏役を交代してくれって言ってみようかな。一色は本命とイチャつけてハッピー、俺は解放されてハッピー、そして葉山は挽回のチャンスが得られてハッピーと言うわけだ。WIN×WINな取引とは斯くあるべきである。

 

「そう。なら余計な事をしないで貰えると助かるわ」

 

「ゆ、ゆきのん!隼人くんも良かれと思ってやったことだしさ!」

 

「分かっているわ。彼はいつもそうだったもの」

 

「……」

 

俺が要求を口にする前に、雪ノ下の鋭いカウンターによって葉山は沈黙してしまった。

そのまま言い返しもせず部室から立ち去ろうとする背中に、俺は一つだけ質問を投げかけた。

 

「昨日の件、中原に話したか?」

 

連日欠席していた中原と朝イチで話したのなら、ここ数日に起きた事件を説明してやる必要があったはずだ。

しかし葉山はバカじゃない。だとすれば──

 

「…話したのは靴箱と盗撮の件だけだ。君らのやった事は話してない。俺も実際には見ていないけど、かなりその、挑戦的な写真だったって聞いたから」

 

そう。穏便に会話を運ぼうと思ったら、俺たちのやった事は伏せておくのが正しい。

ただでさえ噂レベルでしか認識されていない上に、一色に惚れている相手にとってはかなり気分の悪いものだからな。

 

「…お前のせいじゃないぞ、たぶん」

 

葉山の答えから導かれた考え。

論理的に考えた結果としての意見を述べたつもりだったが、もしかすると情けをかけられたように聞こえたのかもしれない。

余計に顔を強張らせて、葉山は戸口から出ていった。

 

「ヒッキー、優しいんだね」

 

「何言ってんだ、全然違う」

 

由比ヶ浜から生暖かい目を向けられて、俺は正直鼻白(はなじら)んだ。

誰が葉山なんぞ庇うものか。もしアイツのせいだと確信していたら、ここぞとばかりにネチネチ文句を垂れ流してやっているところだ。そうしてやれないのが実に残念である。

仮に葉山の行動が原因だったとしても、つまりは猟犬に焦った犯人が動いたことになる。それは元々こちらの計画通りであるはずだった。故にここで尻尾を掴み損なったのは、戦略的にも物理的にも痛いミスである。

 

こうもストレートな攻撃をされる原因となると、まず思い当たるのは例の水着写真だ。

あれがコラではないと知っていれば、一色とイチャコラこいていた俺に対する敵意は爆発的に膨れ上がったことだろう。なら、今回の襲撃はそちらがトリガーになったと考えた方がしっくりくる。

そして中原が本当に知らなかったというのなら、むしろ犯人候補からは遠ざかる事になるのである。

 

ただ、今の俺は少し中原に同情的な所がある。昨日の葉山の話を聞いた時、一色相手にのぼせ上がってしまった彼の気持ちが少しだけ理解できるような気がしたのだ。教室でやらかしたことについてはフォローするつもりも無いが、もしかすると今は本当に反省しているのではないか、という甘い考えが頭の片隅にへばりついていた。

だからこの二人には、引き続き中原を疑ってもらうことにする。葉山としては女子二人に敵視されて針の(むしろ)かもしれないが、ドMの素養もあるみたいだし問題ないだろう。

 

「比企谷くん。これでもまだ現状維持を続けるつもりなの?」

 

「やられっぱなしとか超くやしいんだけど…」

 

やられたのは別に由比ヶ浜ではないんだが、当人よりよっぽど腹に据えかねているようだ。

今回の事で犯人候補をきっぱり定めてしまったのか、雪ノ下もこのままでは収まりが着きそうにない。

少々予定とは違うが、ここは動くべきタイミングであると判断する。

 

「──いや、防戦するにしてもこう毎日じゃ身が保たない。次はこっちから仕掛ける」

 

「おー、さすがのヒッキーもやる気だ!でもどうするの?」

 

「今度はきちんと聞かせてもらえるのよね?」

 

「もう写真なんてヌルい事は言ってられない。面倒だけど俺が身体を張る。もちろん一色にも一肌脱いでもらう」

 

「えっ!まだ脱がす気?あともうハダカしか残ってないんだけど…」

 

何かこれ、売れないアイドルの末路について話してるみたいだな…。

アホの子オーラを遺憾なく発揮する由比ヶ浜をスルーし、俺は携帯を取り出した。

数少ないアドレス帳から登録したばかりの名前を見つけ、迷わず電話を掛ける。

 

短い呼び出し音の後、スピーカーの向こうから昨晩と同じ相手の声が、しかし遥かに高いテンションでもって聞こえてきた。

 

『もしもしー?どうしたんですかー先輩。わたしの声聞きたくなっちゃいました?電話代だけでこんな可愛い声が聞き放題ですもんねーちょおラッキーですよねー!あーでもでもー、学校に居るんだからフツーに会ってお話しませんかー?そりゃ電話の声も悪くないですし目つきが見えない分余計に──』

 

とりあえず通話を切った。

 

「…一色ってこんなんだっけ?」

 

「う、うーん。…相手によるんじゃない?」

 

夕べとは別人だな。あれでイタ電に怯えた状態だったってことか?俺としてはあのくらいでも十分過ぎるんだけどな…。

 

掛け直すのを躊躇(ためら)っていると、俺の携帯がブルブルと震えだした。

曲を入れれば趣味を蔑まれ、電子音ならダサいと言われ、マナーにし忘れれば顰蹙(ひんしゅく)を買いかねない。音を鳴らして良い事なんて一つもないのだ。つまり常時バイブこそが絶対の正義である。

 

『なんで切るんですかー!』

 

「…お前、違う人からだったらどうすんの?かなり可哀想な子だぞ?」

 

『そんなの分かっててやったに決まってるじゃないですかー』

 

「俺まだ一言も喋ってないんだけど」

 

『そこは雰囲気で!…というのはまだ無理ですけど、ちゃんと着信設定してるし二度と間違いませんよ。なのでご安心を』

 

「そ、そうか…」

 

俺の番号が女子の携帯に登録されているという事実。じわじわこみ上げてくる嬉しさみたいな感情を全力で踏み潰す。訓練されたぼっちはこの程度では取り乱したりしない。

 

『それで、何の用ですか?もしかしてまだ撫でられ足りないとかですか?雑用が残ってるので終わるまで待っててもらえれば、もうちょっとだけしてあげないこともないですよ?』

 

待ってたらしてくれんのかよ。じゃなくて。

 

「あー、あのな。明日なんだけど。土曜だろ?」

 

『はい、土曜ですね』

 

「お前、ヒマだったりする?」

 

 

プーッ... プーッ...

 

 

返事の代わりに俺の耳に届いたのは、無機質なトーン音だった。

 

「…き、切られた」

 

「あ、当たり前じゃん!なに急に誘ってんの?!バカじゃん?!ヘンタイ!ヒッキーのエロス!」

 

ええー…。ブッツリ切られるのって当たり前なの…?やっぱ慣れない事はするもんじゃないなー。

確かにそういう趣旨の発言ではあった。けど少なくともエロスの介入する余地は無かったように思うのだが。

由比ヶ浜にとっては男女が出掛けるとエロいイベントが発生するのがデフォなのだろうか。夏祭りに行った時は魔王に遭遇する以外のハプニングなんて無かったはずだけどな。

 

「仕掛けるってそういう事?これ以上犯人を刺激したら本当に危険よ?」

 

「同感だな。だからこれで最後だ。今度こそ引きずり出す」

 

「けど比企谷くんが──」

 

雪ノ下が食い下がったところで、再度携帯が着信に震えた。

これ幸いと話を打ち切って電話を耳に当てる。

 

『…す、すみません、ちょっと電話落としちゃって…また分離しちゃいました』

 

えへへー、と照れたように笑う一色の声がやけに甘く耳に掛かる。昨日も感じたむず痒さが背筋を走ったような気がした。

それにしても、切られたんじゃなくて本当に良かった。もしそうだったら今後の距離感とか接し方について真面目に考え直さなければならないところだった。

いや待て、ショックのあまり取り落とすって、反射的に切るよりずっと酷い反応なんじゃ…。

 

『──で!で!さっきの件ですけども!』

 

「お、おう…」

 

『残念ながら、わたしはぜんぜんヒマじゃないです。明日は予定でいっぱいですねー。もう分刻みで詰まっちゃってます』

 

おっと、いきなり計画が(つまづ)いてしまった。でも仕方ないか、一色は対外的にはリア充の筆頭株なのだ。週末ともなると相当忙しくしているに違いない。

平日に学校で出来る事を前提条件にして策を練り直すとするか。

 

「VIP並みのタイトスケジュールだな。…悪い、聞かなかったことに──」

『でも!でもですよ?ほんとーに仕方なく、さっき全部キャンセルしました。なので今なら貸し出し可能です。最長一泊二日までオッケーです!』

 

「そ、そうなの?悪いな。つか半日くらいで良かったんだけど…」

 

新作のレンタルを勧めるようなそのフレーズに、ちょっと不安になってきた。すんなりOK出してきたけど、まさか金とか取ったりしないよな…?

後から一泊おいくら万円とか言われても払えませんのことよ?

 

『貸し出しは1日からになりまーす。あとできれば朝からで。なるべく長くで!』

 

融通が利かない上に時間帯指定もあるとは…面倒なショップである。

そんなに長くは俺がもちそうにない。頃合いを見計らって適当に解散すればいいか。

 

「なら明日の10時に駅前で受け取りってことで。それでいいか?」

 

『すっごい言い方が気に入りませんけどわたしから言い出したネタなのでそこはグッと飲み込んで──了解でーす♪遅刻したら(めっ)☆ですよ?』

 

「なんか今の発音おかしくなかった?」

 

『あっ、あと今日は送ってもらわなくて結構ですので』

 

「へ?いいのか?」

 

『大丈夫です、何なら副会長でも呼び出しますから。その方がデート、盛り上がりますよ?ではでは、明日はよろしくでーす♪』

 

「あ、ああ…」

 

そっかー、副会長って手があったかー。あとでローテーション組んでくれないか交渉してみよっと。

しかしこちらから持ちかけた話だったはずが、いつの間にか主導権を奪われていた。この調子じゃ明日が思いやられるな…。

通話終了と表示された携帯の画面を眺め、俺は椅子の背もたれにだらりと身体を預けた。

 

「…またデートするんだ?」

 

さっきと同様、いやそれ以上にむすくれた顔の由比ヶ浜がこちらを覗き込む。

雪ノ下は澄ました顔で紅茶を口に運んでいたが、すっかり温くなっていたようで、微妙に顔をしかめていた。

 

「別にデートじゃないから。あと前のも違うし」

 

そういや一色もさっきデートとか口走っていたな。目的についてちゃんと釘を刺しておけばよかった。

しかしデートの定義は人によってまちまちだし、いちいち訂正するのもなんか意識しているみたいで恥ずかしい。

彼女のデータベースには「男性と出掛けること(ただし戸部を除く)」とでも定義されているんじゃないだろうか。

 

「いろはちゃんにも危ないことさせる、みたいな言い方してさ。心配して損したかも」

 

「犯人に見せて攻撃的な行動を誘発するのが目的だから、危険っちゃ危険だな」

 

「なら、やっぱ危ないんじゃん!いろはちゃんを危ない目にあわせたくないなら、それってダメくない?」

 

「いや、一色は今のところ犯人にとって崇拝の対象だ。まず危険ってことはない。恨まれるとすれば俺の方だけだ。ただ、空振りになれば結果的に俺なんぞと二人で出歩くだけになるからな。あいつにとっては結構なリスクだろ。お前だって似たような経験あっただろうが」

 

「あ、あんなのぜんぜんリスクとか思ってないし!」

 

ほらな、"いつ"とは言わずとも、ちゃんと通じてるじゃないか。ちなみに夏祭りで相模たちと鉢合わせしちまった時の事な。

一色は由比ヶ浜以上にブランド戦略に頼って生きている。そんな彼女が休日の駅前という危険地帯を底辺男子とブラついていたら、クラスメイトに見つかって恥をかく可能性もある。悪いとは思うが、ストーカーにおかしな事をされるよりはマシだと考えてもらうしかない。…マシだよな?

 

「犯人が必ず貴方達を見ているという保証はあるの?」

 

「保証はないな。でもここ数日の行動から見て、俺か一色…たぶん集団から外れて行動している方を監視してる可能性が高い。けど、相手がどっちを見ているかが分からないから──」

 

「一箇所にまとめてしまえばいい、と。そういう事かしら?」

 

「正解。なら他に俺が言いたい事も分かるだろ?」

 

「集団化しては意味が無いから付いてくるなという事よね。でも…」

 

「ヒッキーは恨まれるんだから、けっこう危ない立場なんでしょ?」

 

「そうね。普通のデートならともかく、これは言わば(おとり)作戦だわ。なら適切な支援が必要じゃないかしら」

 

確かに。この手の作戦は本来、囮役の何倍もの裏方スタッフが居て初めて成立するものだ。それにさっきの理屈で言うなら、犯人に見つからない範囲で尾行してくる分には問題ないと言える。

だけど俺の感情的には問題大有りだ。いくらヤラセといっても、知人(しかも女子)に見守られながら後輩(これも女子)と街を歩くとか、色々としんど過ぎる。

大丈夫、相手も街中で行動を起こすほどブチ切れてはいないはず。少なくとも、今はまだ。

 

「いいから。絶対に付いてくるなよ?」

 

説明しても納得してもらえないと思ったので、有無を言わさず結論だけを告げる。

色々な不満が混ざり合ったような二人の視線を背中で受け止めながら、この先の方針について、俺は静かに考えを巡らせたのだった。

 

 




砂糖大盛り、準備よーし!
次話は待望のデート回です。皆様応援ヨロシク!


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