そうして、一色いろはは本物を知る   作:達吉

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さて、八幡と同じくド忘れされていた方はどの程度いらっしゃったでしょうか。


■21話 どうあれ一色いろははモテる

 

このところ、朝から肩の張る日が続いていた。

 

課せられた重荷が精神に負担をかけていたのだろう。眠りが浅く、夜中にしばしば目が覚めてしまう。

元来俺は小心者だ。一色の手前もあって余裕があるような振る舞いを心掛けてはいたが、毎日降りかかる難題に心が(きし)むのを感じていた。

 

しかし何故だろうか、今朝の体調は万全そのものだった。

小町の尻ですっかり温くなったベッドで熟睡したからか?いや尻は関係ない。ないと思いたい。

よほど盛り上がったのか、笑い声は夜更けまで聞こえていた。あの調子なら一色もいいストレス発散になった事だろう。ケアを任せたのは正解だったな。

 

「お兄ちゃんさー、なんか忘れてることない?」

 

15秒混ぜた程度では到底駆逐できないカップスープのダマを相手にダイニングで黙々と格闘していると、軽く睨むような目つきの小町が二階から降りてきた。

めんどくせえな、あの日か?

 

「…えーと…今日も愛してるよ小町?」

 

「小町はそうでもないけど今日もありがとーお兄ちゃん。でもそれじゃないなー」

 

冷蔵庫を漁りながら返事する彼女はこちらを見向きもしない。

しかしこの対応を冷たいと言う事無かれ。もしも「小町も愛してるよ!」なんて返ってきた日には白い壁の病院に連れて行かなければならないところだ。むしろこんな益体もない事を考えている俺からまず行くべきである。

 

「いろはさんの電話」

 

ジャムとバターを両手に携え、テーブルに着いた小町が再び口を開く。

折りよく焼きあがったトーストを皿に乗せて出してやると、いそいそとペーストを塗り始めた。この餌付け感が結構クセになるので毎朝パンを焼いているうち、いつしか俺がトースト係となっていたのは余談である。

 

それにしても、早くも"一色さん"を卒業してしまったか。コミュ力の高い女子の接近速度はいつもながら異常なまでに早い。俺だったら何年経っても名前で呼ぶとか無理だわ。俺史上、最も会話した女子かも知れない由比ヶ浜でさえ、下の名前で呼ぶとか考えただけでも身悶えする。

 

葉山なんかは大抵の女子をさらっと下の名前で呼んじゃっているようだが、知らない人が見たら誤解するのではないだろうか。

ヤツはなぜ彼女でもない女子を下の名前で呼べるのか。そしてなぜ男友達の方は名字で呼んでいるのか。

実はあいつら友達でもなんでもない疑惑が再浮上したが、それはとりあえず置いておいて──。

 

「…電話ならしただろ」

 

「っかー!これだからゴミいちゃんは。結局何があったか聞いてないでしょ?」

 

「いや、だからイタ電だろ?」

 

「おバカ!それは偶然でしょ!もともと別の話があったんじゃん!」

 

「あ」

 

悪戯電話のインパクトですっかり忘れていた。

そうだ、そもそもは雪ノ下に言われて掛けたんだった。一色がまた何かされたから、と。

 

「つまり昨日だけで二件って事か?」

 

「そうなるねー。いろはさんかわいそう…やっぱあんだけ可愛いと仕方ないのかなぁ」

 

冗談じゃない。犯行が加速度的にエスカレートしている。

単純計算すると2、3日の内に直接行動に出そうな勢いだ。早く何とかしないと。

…ところで今、可愛いとか言ったような。

 

「もしかして写真でも貰ったのか?」

 

「せっかくだから自撮(じど)って交換したんだー。お兄ちゃんと全然違う世界の人だよね。ゆるふわ清楚系っていうの?フツーに雑誌とかに載ってそうだった!いろはさんて超モテるでしょ?」

 

「いや…まあ…なんつーか…」

 

ゆるふわに続く部分を訂正しようかと思ったが、ビッチというのも明確な根拠があってのことではない。一色が葉山以外の男にコナを掛けている所を、俺は一度も見ていないのだ。

自分で思っているだけならともかく、仲良くなったばかりの先輩を売女(ばいた)呼ばわりする兄というのは小町的にもどうだろうか。

妥協点を模索した結果、

 

「──ゆるふわ清楚風?」

 

と答えておいた。

 

「だからそう言ったじゃん」

 

ノンノン、未熟者め。"系"ではなく"風"と言ったろうが。この二つには天と地ほども差があるのが分からんか。

ミラノ風ドリアは当然ミラノではなく、「ミラノっぽい雰囲気の」ドリアの事だ。手作り風ハンバーグだって基本的に手作りではない。

すなわち○○風というのは、そうである必要のない看板なのである。

だがしかし。

「インテリ系」と「インテリ風」だったら、後者の方がモテそうな気がするんだよな…。バリバリの理系よりも頭良さげなファッションのチャラ男がモテるというメカニズムは確かに実在する。

 

つまるところ、どうあれ一色いろははモテる。

 

「まあ…そうだな、モテる。たぶん」

 

…やたら屁理屈をこね回して出た結論がこれか。

確か前にも似たような事があった気がする。ちくせう。

 

「お兄ちゃんてああいうタイプ好みだったっけ?」

 

「お前相手に好みについて語った覚えはないぞ」

 

「やー、見てれば分かるし。好きでしょ?雪乃さんみたいな清楚系」

 

「あれはむしろ塩素系とか青酸系とかのカテゴリーだろ…」

 

正論でねじ伏せてくる漂白力とか、洒落にならない毒の強さとかな。

つか、そんな露骨に雪ノ下ばっか見てないと思うんだけど、小町は俺の心の目線すら感知できちゃうの?由比ヶ浜の胸とかに時々飛んでる意識さえも悟られちゃってるの?

兄貴の威厳とか、地の底通り過ぎてブラジルで草が生えちゃうレベルですわ。

 

「ま、今さら電話しても仕方ない。一色には後で直接聞いとくわ」

 

「そうしたげて。あとちゃんと謝ってね?」

 

何で俺が、と思わないでもないが、小町はこういう時の為のアドバイザーである。

彼女が言うのだから、謝っておくのが正しいのだろう。

「ん」と首肯した俺は、席を立つ前にさっきから気になっていた事を聞いてみた。

 

「ところで小町」

 

「うん?」

 

「さっきから何でガン付けてんの?」

 

「ちっがうよ上目遣いだよ!わっかんないかな~!」

 

予想に違わず、早くも技術供与が開始されていた。

しかし、一色流の奥義はどうやら相性が悪いらしい。小町にとってわりと自然にやってしまっている仕草のひとつだが、下手に意識したせいで仰角オーバーになってしまっている。どちらかと言えばアヘってる目に近かった。

考えてみれば小町はゆるふわ系でもないし、単純に真似ればいいと言うものでもないのか。

 

「八幡的には超ポイント低い」

 

「えぇー!?」

 

姿見の前で変顔を繰り返す愚妹を放置し、俺はさっさと学校へと向ったのだった。

 

 

 

<<--- Side Iroha --->>

 

 

(あれ、ホントに先輩の妹だったのかなぁ)

 

こまちゃんとの電話を思い出しながら、わたしは通学路を歩いていた。

このところ奉仕部の誰かと一緒の事が多かったけど、今日は一人きり。けれど夕べの電話の内容を思い出すのに忙しくて、あまり寂しさを感じはしなかった。

 

"こまちゃん"というのはもちろん小町ちゃんの事。"ち"が並んでいていつか噛んじゃいそうだと思ったわたしが思い切って提案した呼び名だ。結衣先輩とも雪ノ下先輩とも違うと、彼女は喜んで受け入れてくれた。

 

()()先輩の妹というくらいだから、わたしは最初、雪ノ下先輩みたいなキャラクターを予想していた。あの二人、姿形は似ても似つかないものの、やり取りを見ていると兄と妹…あるいは姉と弟なんじゃないかと思わせるような瞬間がある。スレた物の考え方とか、強情なところとか、変に頭が良いところとか。冷静になって挙げていくと、少なくない共通点があるのだった。

 

実際にこまちゃんと話してみると、賢い結衣先輩のような、気安い雪ノ下先輩のような、スピードのある城廻先輩のような、そして何より、わたしを一回りグレードアップしたような「可愛さ」を持ち合わせた、とんでもない女の子であることが分かった。

一見詰め込みすぎのようで、全部の要素がギリギリのところでバランスを保っているカンジ。

 

(わたしなんてスルーされるわけだよ…あんなの反則でしょ)

 

自撮りを交換してみても声に違わず可愛い子だった。先輩が過保護になるのもわかる。あれは相当モテるタイプだ。

先輩の目つきにそっくりの女の子が居たらお世辞にも「可愛い」とは言えないだろうし、似ていないんだろうなーとは思っていたけど、まさかここまでとは…。

柔らかそうな黒髪の質感を見てようやく「ああ、兄妹なんだな」と思ったくらい。カラーを入れたら共通点がなくなっちゃうね。

 

(ていうか、まさか義理の妹とか言わないよね…?)

 

けど、そう言われた方がしっくり来るような気もする。大人になったら一旦籍を抜いて、それから結婚しようとか言い出しちゃったり…。

ネットに無数に転がる妄想小説なんかだと、そういう展開はさして珍しくもない。現実にはありえないと思うけれど、先輩の面倒見の良さや年下好きが全て彼女によって形作られたものだとしたら…。

彼は普通とは程遠い思考回路をしているし、周りの目とかも気にしなさそうだし──

 

(いやいやマズいでしょそれは。やっぱ真っ当な彼女がリードしてあげないと!)

 

清楚で知的な雪ノ下先輩は、わたしの最も苦手な人種と言える。妹さんがそのタイプだったならば、先輩と仲良くしていく上で小さくない障害となるのでは、と思っていた。そういう意味では昨日の電話で心配事が一つ解消したと言ってもいい。

 

高校に入学してこっち、ずっと後輩として生活してきたこともあって、先輩扱いされるのも新鮮だった。彼女は総武高(ウチ)を受験するらしい。合格してくれればわたしの女子コミュニティーが大幅に強化されることになる。是非とも受かってほしい。

 

 

そんな事を考えながら足取りも軽く校門をくぐったわたしだったけれど、間の悪いことに見知った姿がグラウンドを駆けているのを見つけてしまった。

 

(な、中原くん……来たんだ…)

 

蛍光色が目を引くビブスをつけた彼は、サッカー部のメンバーと朝錬に参加しているみたい。

彼を見つけたわたしの脚は、さっきまでの軽さがウソのように、地面に縫い付けられて動かなくなった。

 

(忘れようとしてたのに…なんでいるの…!)

 

ずっと登校してこなければよかったのに。そんな勝手な考えが頭に浮かぶ。彼が犯人だという証拠はないけれど、そう考える事にもう罪悪感は感じなかった。

 

盗撮写真、盗まれた手袋、そして無言電話。

 

このところの出来事が一気に頭の中を巡り、胃の中まで同じようにぐるぐるしている。

先輩やこまちゃんとの電話で上書きしたはずの昨日の記憶が、鮮明に浮かび上がってきた。

ヤバ、急に吐き気してきた…。

 

「中原」

 

軽くパニックを起こしかけたわたしは、けれども辛うじて平静を取り留めた。

意外な人物が、彼に声を掛けたからだ。

 

(は、葉山先輩…?)

 

彼はグラウンドから中原君を連れ出すと、部室棟の方へと向った。

いったい何が始まるのか。見当もつかなかったけれど、放っておくこともできずに後を追う。

どうやら葉山先輩は、この前わたしと話をした場所へ向っているみたい。確かあそこは部室の中からでもギリギリ見えるはず──。

先んじて建物の中に駆け込むと、窓のそばに隠れて外の様子を伺う事にした。

 

思ったとおり、二人はすぐに建物の裏手へやってきた。

葉山先輩は中原君にタオルを渡しながら声をかける。

 

「お疲れ。暫く休んでたようだけど、もう大丈夫か?」

 

表向きは彼を気遣ったようなその態度。けれど一度彼とぶつかったわたしからすれば、声色を聞いただけで本心から心配して出た言葉でないことくらいすぐに分かった。

 

「あざっす。…あの、オレが休んだ理由とかって、誰かから聞いてますか?」

 

「いや…ただ、噂みたいなのは聞いたよ。それでお節介とは思ったけど、少し気になってさ」

 

「やっぱそうですか…。あの、葉山サンて、一色さんと付き合ってるわけじゃない…ッスよね?」

 

「違うよ。なんでそんな事聞くんだ?」

 

「よ、よかったー!いや、もしかして殴られんのかなって思って…」

 

「殴られても仕方ないような真似をした自覚はあるってことか?」

 

割と本気で怯えた目をする中原くんに、葉山先輩はいたずらっぽく拳を握ってみせた。

 

「か、カンベンしてくださいよ…」

 

「冗談だよ。大体、それは俺なんかの役目じゃない」

 

「ど、どういうことスか?」

 

「いろはにも、自分の為に怒って欲しい人が居るって事かな」

 

ちょっとちょっと。ひとの秘密、勝手にバラそうとするのやめてもらえます?

ていうか、遠慮せず殴ってもらって良いんですよ?ぜひお願いします。

先輩だと逆に手とか怪我しちゃうかもなんで、それは葉山先輩の役目です。

 

「それ、もしかして比企谷さんの事スか?」

 

「なんだ、知ってたのか」

 

「知ってたっていうか…。くそっ、葉山サンならまだしも、なんであんな…」

 

んにゃろー、まだ言うか!

キミには関係ないでしょ!もうほっといてよ!

握り込んだ爪が手の平に食い込むのを感じていると、不意に葉山先輩が冷たい声を出した。

 

「比企谷よりも自分の方が優れているって言いたいのか?」

 

「え、いや、その…そういうわけじゃ…」

 

声色に怯んだ中原君に、彼は畳み掛けるように続ける。

 

「人の評価なんてのは主観で決まる。比企谷をどう評価するのもお前の自由だけど、それが必ず他人にも共感して貰えるとは思わない方がいい」

 

葉山先輩が庇うとは夢にも思わなかったのだろう、中原くんは口を開けて間の抜けた顔を晒した。

わたしの口も開いていたかも。それくらい意外な反応だった。

 

「でも!あの人すげえ評判悪いじゃないスか!みんな言ってますよ?」

 

「そうかもな。けど、少なくともいろははそう思ってはいない。彼女に好かれたいなら、その価値観を認める事から始めてみたらいいんじゃないか?」

 

「…難しいっス」

 

どうやら葉山先輩は彼を諭そうとしているようだった。

でもどうせなら諦めるように言って欲しい。今さらなにをどうしたところで、わたしの気持ちがなびく可能性は万に一つもない。人生には取り返しの付かないこともあるのだと、彼に教えてあげて欲しい。

 

「正直、あんま納得はしてないです。でも葉山サンも庇うくらいなんだから、単純に噂通りのイヤな奴ってことでもないんスよね、たぶん。そう思うことにします」

 

「やめてくれ、別に庇ってなんかないさ」

 

この時ばかりは本当に嫌そうな声で、葉山先輩は大仰に肩を竦めた。

なんなんだろう、照れ隠しにも見えないし…。彼と先輩との関係だけは、本当によく分からない。

中原くんはまだ不満げだったけれど、いくらか落ち着いた様子で口を開いた。

 

「実は、休んでたのって親父の命令なんですよ。こないだの事が親バレしちゃって…ぶっちゃけ謹慎っていう体の軟禁でした」

 

「軟禁とはまた。えらく過激な表現だな」

 

「いやマジですよ。この三日、部屋からもまともに出して貰えなかったです。ウチの親父、警察勤めで超ガタイとかよくて。その大男にグーでぶん殴られて、まだ痛いっス」

 

「なかなかワイルドな教育方針じゃないか」

 

二人の会話を聞いて、わたしは当然の疑問に行き当たった。

 

もし彼が言っている事が本当なら、盗撮や手袋の件は別の犯人がいることになるんだけど…。

本当にそうだろうか。電話だけなら家からでも出来るかもしれない。軟禁だなんて言っているけど、話を盛っている可能性は高い。ただの外出禁止令なら、馬鹿正直に守る高校生の方が少ないのでは。

 

「まあ自業自得ってことなんですかね。確かに夢中になりすぎてたとは思います。一色さん、下手な地下アイドルよりぜんぜん可愛いじゃないですか。それでクラスも同じだし、なんとなく親衛隊みたいなつもりになってたんですよ…」

 

「アイドルね…。なんて言うか、皮肉だな」

 

くっくっと、葉山先輩は苦い顔で笑いを零した。

うぐぐ…あれ絶対、わたしの話を思い出して笑ってる顔だ…。

ドヤ顔で好きな人を偶像呼ばわりしておいて、まさかの時間差ブーメラン。

 

中原くんの懺悔を神父のように穏やかな顔で聞いていた葉山先輩は、少しだけ怖い顔をしてこう言った。

 

「そこまで自省してるならもうハッキリ聞こう。最近の嫌がらせはお前じゃないんだな?」

 

うっわ、またストレートに行きますねー。ちょっと他人にはマネできないですよこれは。

でもその聞き方はどうでしょう。ここで「いいえ、自分がやりました」って自白するようなひとなら、最初からあんな風にはならないような…。

 

葉山先輩は真っ直ぐに彼の顔を見据えていた。まるで目を逸らしたら有罪と言わんばかり。

でもそれ、目を逸らさなければ信じちゃうヤツでしょ。一番ダメな判定方法ですよ?

本当にウソが得意なひとはそんなヘマしませんよ。わたし自身、演技するときはまず目から入ってますし。

 

「えっと…さっきも言いましたけど、オレ家から一歩も出して貰えなかったんで…何かあったんですか?」

 

葉山先輩は、彼にここ数日の出来事を語った。

え?戸部先輩の下駄箱に盛り土のプレゼント?全然知らなかったんだけど…。

先輩はそのこと知ってたのかな。ていうか、なんで戸部先輩なの?

まさか。まさかだけど、彼氏と間違えられたとかじゃないよね。

もし、万が一そうだとしたら、違う意味でも犯人許すまじ。

 

でも、これでモヤモヤしていた疑問がひとつ解消した。葉山先輩を呼び出して貰ったときの、戸部先輩のあの態度だ。

彼はわたしに対して「何か言うべき話があるだろう」みたいな事を言っていた。下駄箱の件がわたしのとばっちりだと思っての反応であれば辻褄が合う。知らなかったとはいえ、結果的に泣き寝入りさせてしまった。本当にごめんなさいでした。

 

一通り話を聞いた中原くんは、青くなって首を振った。

 

「ち、違いますよ!そんなん、もうカンペキ犯罪じゃないスか!」

 

「張り込みや待ち伏せもやり過ぎれば犯罪だぞ?」

 

冷たいツッコミにたじろぎつつも、彼は弁明を続けた。

 

「う…それはマジ反省してます。でも盗撮とかは断固否定しますよ!言いましたよね、親衛隊のつもりだったって。追っかけってのは追っかける以上の事はしないもんスよ!」

 

「まあ、俺はそういうのは知らないんだが──」

 

葉山先輩は中原くんの目を改めて睨みつけた。

造りが整っているだけに迫力がすごい。無実のひとでも目を逸らしちゃうかも。

けれど、さっきまでは罪悪感から泳いでいた中原くんの目は、いま真っ直ぐに葉山先輩を見返していた。

 

しばらく続いた睨み合いの後、葉山先輩がふっと肩の力を抜いた。

 

「…分かった、信じよう」

 

「あ、ありがとうございますっ!」

 

「いや、悪かったな。疑ったりして」

 

「いえ…みんなの前でバカ丸出ししたんですから、真っ先に疑われるのは当然スよ…」

 

二人の会話に緊張感が失われていくのが肌で分かる。

もうこれ以上聞く必要はないだろう。わたしはその場を離れることにした。

 

(葉山先輩、信じることにしたんですね)

 

彼の選択が正しいのかどうかは分からない。

二人のやりとりを見届けたわたしの胸の中には、安心も失望もなかった。

あそこで疑い続けるというのは、彼にはきっと無理なんだろうな、とだけ思った。

これもまた、わたしの──そしてみんなの知る葉山隼人らしい振る舞いだったのだろう。

 

それにしても、あんな風に根拠も無いままに信じるっていうなら、最初から黙って信じてあげていればいいような気もする。わざわざ審判の真似事をするあたり、らしいっていうかなんていうか。そりゃ、本当に彼が犯人じゃないっていうならこのやり取りはあとあと美談になるのかもしれないけど…。

 

大人になるのは疑うことに慣れること。そんな風に格好をつけるつもりはない。

無邪気に他人を信じられるのが子供だというのなら、わたしだって子供のままでいたかった。

でも、悪意というものはこの世界に確かにあって。

どんなに胸がむかむかしても、ひとを疑わなくてはいけないことがたくさんあって。

 

だから望む望まぬに関わらず、みんな大人にならざるを得ないのだろう。

 

ふと、昔読んだ童話の一節を思い出した。

いつまでも歳を取らない、素直で明るい子供達の人気者。

けれどいつしか彼は、大人になったかつての友人を羨ましく思う。

葉山先輩も、いつか疑うことに慣れていくんだろうか。

 

目を閉じて、素直でも明るくもない、捻くれた誰かさんの顔を思い浮かべてみた。

 

「放課後、早く来ないかな…」

 

朝からすっかり滅入ってしまったわたしは、あの部屋で過ごす時間だけを支えに、朝の玄関を潜ったのだった。

 




よし、難所は乗り切った!
乗り切った…よね?

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