そうして、一色いろはは本物を知る   作:達吉

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パラで話が動くと脳内の伏線がこんがらがって大変です。



■18話 その発想はなかった

「うー、二度手間だぁ…」

 

その日の放課後。

わたしは生徒会室から教室へ向かって、ひとり陽の傾いた廊下を歩いていた。

体調も回復し、差し迫った問題も解決。なので溜まりつつあった仕事を消化しにお仕事部屋へとやってきたんだけど、教室に忘れ物をしてしまったのだ。

 

「あぅ。やっぱ貼り替えよっかなぁ…」

 

歩きながら眺めていたスマホの画面を軽く指先で小突く。画面のほうは頑張って光を放っているようだけど、窓から差してきた西日が急に写り込んだのだ。キレイな色合いだとは思うけど、今はもっと見ていたいものがある。手首をひねってあれこれ角度を変えていると、今度はバカみたいに顔の緩んだ女子の顔が映り込んだ。

 

「うわっ、キモ…」

 

言うまでもなく、目の前にあるのはわたし自身の顔だ。さっきまで延々見ていたもののせいで、随分ステキな表情になっていたみたい。てか、こんな風に突然自分の顔にピントが合うと、何してても興が削がれちゃうよね…。

 

この薄っぺらいシートはなぜか発色と映り込み防止の両立が出来ないらしい。それでいて値段はケーキセットくらいするんだからどうにも納得いかない。貼り替えにも慎重になるというものだ。

 

「…えへへ」

 

けれどそんな些細な文句も、写真のことを考えればすぐにどこかへ行ってしまった。写真というのはもちろん昨晩撮ったあれのこと。ただしこっちは無修正版──なんだか違う意味に聞こえるなぁ──えっと…そう、加工前の生写真だ。

結衣先輩が記念にとデータを欲しがり、検討の末に女子にのみ配布が認められることになった。わたしは先輩にも持っててもらおうと思ったんだけど、顔を真っ赤にした二人に全力で阻止されてしまったのだ。女って見られて美しくなるものだと思うんだけどなー。可哀想だから、ハブられさんにはあとで見映えのいい自撮りでも送ってあげようかな。

 

貰ったデータはみんなで撮った写真としても十分価値のある物だったけど、わたしはちゃっかり別名でツーショット版を作っていた。トリミング機能さまありがとうございます!これは今後の交渉で有意義に使わせてもらいますね♪

 

「くふふ…真ん中でよかった…」

 

い、いいよね?ツーショットくらい。

こんなのフツーだよフツー。うん、フツーだ。

ま、シチュエーションはぜんぜんフツーじゃないけど…。

 

そりゃね、昨日のことは、自分でもかなり…ううん、確実にやりすぎたと思う。

けど、わたしのせいで傷つけられた先輩に、どうしてもお詫びとお礼がしたかったから。

だからすっごく恥ずかしかったけど、後悔はしてないつもり。

 

「…わたしの柔肌、先輩が思ってるほど安売りしてないんですからね…?」

 

とは言え、全部が全部、殊勝な心尽くしだったというワケでもない。女子の肌の感触を知らないであろう彼に、わたしの感触を一番に刻んでしまおうという(しん)の目的もあった。

肉を切らせて骨を断とうとしていたのは、結衣先輩じゃなくてこのわたしだったのです!ふははー。

 

「…………はぁ~」

 

まったく、それで宿敵に先手を譲ってちゃ世話がない。あんまり贅沢を覚えさせるとキリがないというのに、いきなりあんな極上品を…ってそれはペットの話だったっけ。

それに結衣先輩も結衣先輩だ。悪ノリついでの冗談だったのに、まさかホントにやるだなんて。

 

「てか、あのひと強敵過ぎでしょ…」

 

わたしは当初、まず警戒すべきは雪ノ下先輩のほうだと思っていた。

スペック的に不利なのは分かっていたけれど、結衣先輩の行動原理は理解できる範囲のものだったし、先輩の性格的に落ち着きのある清楚タイプが好みなのでは、と思ったからだ。

実際、彼女は誰も入っていけないような独特の会話で二人の世界を作り、その中で大きなリードを広げているように見える。けれどその反面、会話だけで満足してしまっているような気配があった。

 

そしてどう見ても日和見主義だったはずの結衣先輩が、困った事にここへ来てかなり攻めの覚悟を決めているのである。なんで分かるかって、わたしも同じようなスタンスだから。ふとした拍子にちょくちょく目が合ったりするものだから、やりにくいことこの上ない。

自分でけしかけておいてなんだけど、ただでさえ入りかけていた彼女のスイッチを後ろから後押ししてしまったかのような、若干の後悔があった。先輩の鼻血だって、単にタイミングの問題で、別にわたしだけに反応したって保証はないわけだし。

 

…なんか考えてたらどんどん不安になってきたなぁ。

 

「もう少し探りでも入れとこっかな」

本当なら牽制攻撃くらいするべきなんだろうけど、今はまだ完全不利の状態だし、下手したら反撃でやられかねないのは百も承知。だからまずは偵察なのだ。

昨日できなかった恋バナをするくらいの体で、軽くお話ししてみよう。彼女の本気度合いによっては、わたしも悠長にしてはいられない。

 

「よし、じゃあさっそく…」

 

ちっとも見飽きることのない写真をいったん引っ込めて、わたしはすぐに結衣先輩へ電話をかけた。

数回のコール音の後、『やっはろー!』と明るい声が聞こえてくる。

 

『いろはちゃん、どしたの?』

 

「結衣先輩、こんにちはです。いきなりですけどこれからデートしませんか?」

 

『えっ?いいよ!…でもどゆこと?』

 

オッケーしてから聞くとか可愛すぎですか!

わたしが先輩だったらこのままデートしつつ勢いで告白までいっちゃいそう。

 

「えーと、ちょっとご相談というか、お話とかしたいかなーって思いまして」

 

『ん…。ヒッキーのこと?』

 

「えっ?!」

 

『違った?』

 

「…えっと…いえ…」

『そっか。ならゆきのんにはあたしから言っておくね。校門でいい?』

 

「あ、はい、じゃ、じゃあそこで…」

え?え?

なになに?なんですかこれ?

一瞬油断したら、あっという間に主導権とられてるんですけど。

このままボロ負けの展開しか見えないんですけどー!?

 

『じゃ、すぐ行くから──』

「さ、30分!」

 

と、とりあえず、このままペースを譲ってしまうとヤバそう!

 

「…30分後でお願いします。ご、ごめんなさい、まだちょっと仕事がありまして…」

 

すみません、結衣先輩のことまだナメてたみたいです。

ちょっと時間下さい。作戦タイムぷりーず。

 

わたしからこういう話がくるのを、彼女は既に想定していたみたい。いまのは間違いなくそういう反応だ。

どうも彼女は恋愛方面においては上級者と考えた方が良さそう。ううん、女子高生ならこのくらいの感度が普通なのかもしれない。先輩や雪ノ下先輩を基準に考えようとする方が間違いだった。わたしの女子力、低すぎ……!?

 

『おっけー!じゃ、ヒッキーにはいろはちゃんからヨロシク!』

 

「あっ…」

 

気付いても時既に遅く、画面には「通話終了」の文字が踊っていた。

 

「まいったなー、先輩になんて言おう…」

 

塩を送られたのか、はたまた無自覚のキラーパスか。

忘れていたわたしもわたしだけど、結衣先輩と帰るのなら"彼氏"にはごめんなさいしなければならない。本当に申し訳ないと思っている時にお約束のネタが使えるわけもなく、わたしは頭を抱えた。

 

「電話だとテンパっちゃうかもだし…」

 

先輩のアドレスを呼び出してメーラーを立ち上げる。数えるほどしかない彼からのメールは全てが保護フォルダにしまってあった。これまでのやりとりから自分の言い回しを確認し、そのペースを引き継いでぺちぺちとメールを打っていく。

 

「甘えて見せるのと甘えるのって、勝手が違うんだよね…」

 

えーと……『今日は男子には聞かせられないトークをしたいので』…これはちょっと意味深すぎるかなぁ。

…あっ、そうだ!『昨日の今日でわたしと帰るとか、先輩には刺激が強すぎで──

 

「一色さん!」

 

(…あ゛?)

 

悩ましくも楽しい作文タイムを邪魔され、苛立ちがノドまで出掛かった。

もちろん顔にはこれっぽっちも漏らしたりはしない。一色いろは、特技は鉄面皮です☆

よそ行きモードにシフトしてから顔を上げると、いつの間にやら教室にたどり着いていたようで、平べったい笑みを浮かべた男子が扉の前に立っていた。

 

(げっ…コイツ……)

 

昨日──じゃなくてもう一昨日のことか、お昼に教室で声を掛けてきた俺様くん。そういえばパニクってて忘れてたけど、最初のビラをわざわざ持ってきたのも彼だったっけ。待ち構えていたかのようにわたしの道を塞いでいるのは何のつもりだろう。

あ、まって、ちょっと思い出したかも。たしか名前に山がついてたような…?

や、やま…山田…?山元…?いや山元はE組のチャラいのだっけ。

 

「これ凄いね!めっちゃ水着似合ってるし」

 

「……えっと」

 

山田くん(仮)が興奮気味に差し出したのは、朝から飽きるほど見てきた例のビラ。

うっわー、そういうの本人に直接持ってくる?

ここまで空気読めないと逆に人生楽しそうだなぁ。

 

──ん?ちょっとまって。

 

何でそれ持ってるの?

全部回収したはずなのに。

 

「そ、それ、どこから持ってきたの?」

 

「え?掲示板だけど。昨日と同じところだよ」

 

「そうなんだ?悪いけどそれ、昨日と一緒で生徒会で回収することになってるんだー」

 

やや早口になったわたしを見て彼は軽く首を傾げたけれど、特に抵抗もなくそれを渡してきた。

 

「そっか。生徒がこんなことしてる写真なんて残ってたらヤバいか」

 

「ありがと。まあ、そんなカンジかな」

 

愛想笑いで用紙を受け取ると、そのまま教室へと逃げ込んで、後ろ手にぴしゃりと扉を閉めた。

何となく息を殺して様子を伺っていたけれど、どうやら彼が追いかけてくる気配はない。

「やれやれだよ…」と小さくぼやき、わたしは肩を落とした。

おっかしいなぁ。あの場の全員から没収したつもりだったんだけど…見逃しちゃってた?

他にも持ってるひとがいたらどーしよ…。

 

教室の中に視線をやると、他に生徒の姿はないようだった。

 

部活をしている人にとってはまだ早く、帰宅部にとっては遅いという、中途半端な時間だからだろうか。暖房では拭えない寒々とした気配が漂っている。

わたしはふと、三日前から空いたままの席へと視線をやった。

席の主は相変わらずお休みを続けている。これくらい長く休むと担任から何かしらありそうなものなんだけど、「体調不良」の一言で済まされているのが少し不気味で──

 

(って、まだひと居るんじゃん…ビックリした)

 

よく見たら誰か一人、机に突っ伏して寝ているひとが居た。一瞬身体が緊張したけれど、それが女の子だと分かって安堵の息を吐く。

 

(男子にビクつくだなんて、わたしも随分と落ちぶれたものですにゃー)

 

心の中でおどけつつ、自分の机に掛けてあったバッグを開いた。

中にはぎっしりと紙束が詰まっている。シュレッダーに掛けるためにわたしが引き取った、例のビラだ。忘れ物というのはこれのこと。シュレッダーを好きなだけ使えるのも生徒会長の特権の一つなのです。わーすごいねー(棒)

 

(ちゃんと数えておけば良かった…)

 

剥がすのを手伝ってくれた男子達の中には乱暴に破いてしまったひとも居たりして、正確な枚数なんて今となっては分からない。これが本当に最後の一枚である事を願いつつ、わたしはさっき回収したものを無造作に突っ込んだ。

 

「よっ…って重っ!」

 

そのままバッグを担ぎあげると、机の脇に紙袋がちょこんと置かれているのが目に入った。

 

(うえー、()()野良プレゼント?)

 

せっかく担いだ荷物を下ろし、わたしは眉をしかめた。

実はこういう一方的な贈り物は初めてじゃない。さすがに数え切れないほどではないけれど、見つけて動揺しない程度には慣れていた。むしろこのパターンは靴箱を漁られてないだけスマートな部類だろう。

なんであれ、見知らぬ相手からのプレゼントなんて気持ち悪いだけだし、ちょっと前まではそのまま中身も見ないで落し物コーナーに届けていた。

けれど、残念ながら最近はそういうわけにも行かなくなってしまった。落し物の管理もまた、生徒会のお仕事なのだ。

 

(どうせ後で見ることになるんだよね…)

 

結局は自分で処理しなければならないのなら、不安要素は早めに確定させておくに限る。

大きなため息と共に、わたしは紙袋を手に取ったのだった。

 

 

 

<<--- Side Hachiman --->>

 

 

いつものように部室へ顔を出すと、俺を迎えたのは紅茶を淹れる雪ノ下の背中だけだった。

 

西日の眩しい部室は黄昏に染まり、人の輪郭を(おぼろ)げにさせる。女子が一人きりの部屋に当たり前のように立ち入っているのに、抵抗が感じられない。彼女と俺の境界線もまた、夕焼けに薄れて揺らいでいるのだろうか。

 

「取り調べの方は済んだのかしら」

 

手を止めずに雪ノ下が問う。挨拶さえないその態度は一見すると失礼だが、とあるラインを超えるとかえって気恥ずかしい類のものだ。

何て言うか、まあ、こんなのも悪くはないな。

 

「まあな。形だけっつーか、事後承諾っつーか」

 

俺を準備室に呼びつけた平塚先生は、写真を見て「私だってあと十年──いや五年若ければ」とか「いいなー青春。いいなー」とか、何かとコメントに困る言葉を列挙し、俺にたっぷりと嫌な汗をかかせてきた。けれど、しでかした理由だとかやり方の是非についての小言みたいな事は、一切口にしなかった。

繰り出される痛発言に耐えかねた俺がなぜ叱責しないのかと理由を問うと、彼女は「これが良い写真だからかな」とだけ答えた。その言葉の意味するところが一色カントクのセンスに対する賞賛でないことくらいは俺にもわかる。撮影会の事を思い出して顔を赤くした俺を、大人っぽい笑顔で眺めていたのが印象的だった。

 

「そいや、由比ヶ浜は?」

 

「今日は一色さんと一緒に帰るって連絡があったわ。残念だったわね」

 

「いや、別に期待とかしてないから」

 

「そう?」

 

この中で一色と波長が近いのは間違いなく由比ヶ浜だし、二人ならそれほど心配する必要も無いだろう。別の女子がいる時に手を出したストーカーの話ってのは聞いた事も無いしな。

つか、対策って最初からこれで良かったんじゃ…。

俺ってば働き損してるよね?むしろ働くほど酷くなるとかワープア以下だよね?

 

「一色さんから何か聞いていないの?」

 

自分の携帯を見ると、確かに着信を知らせるランプが点滅していた。差出人の欄に一色の名前を見て警戒心を強める。あいつは大抵ろくなメールを送ってこないからな。

 

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From  : 一色 いろは

Subject: 愛しのハニー♥より

昨日の今日でわたしと帰るとか、先輩には刺激が強すぎですよね?

 

結衣先輩とお話ししたい事があるので、今日は二人で帰ります。

急な話でごめんなさい。

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なんか、後半は中の人が交代したのかってくらい文体が変わっているのが気になるが…。

どうやら俺は、一時的に悠々自適なぼっちライフを取り戻したらしかった。

 

一色と由比ヶ浜だけでなければ出来ない話。想像も付かないが、きっと驚くほど他愛のない話に違いない。

もしくは百合的な何かだろうか。それはそれでビックリだな。攻守については大変興味深く、しかし観測してみるまで分からない難題だ。これがかの有名なシュレディンガーの受け(ネコ)というやつか。

 

雪ノ下と二人きりの空間の緊張感。久しぶりに味わったそれは入り口でも感じた通り、以前ほど刺々しくは感じられなかった。変わらないと思っていたこいつとの関係も、日々少しずつ変化しているのだろう。決して俺のM化が進行しているわけではない。

 

「…あの時、貴方がやけに気にしていたのはこの事だったのね」

 

ふいに、雪ノ下が呟くように漏らした。

 

「ごめんなさい。一色さんの家から登校するというシチュエーションに気を取られて、すっかり失念していたわ。盗撮の可能性くらい、考えて然るべきだったのに」

 

昨日の朝、一色の家を出たときの事だ。

確かにあの時、俺は不審な人物が居ないかと思って辺りを警戒していた。けれど今思えば、あんな露骨にキョロキョロしてたんじゃ、仮に居たとしても逃げられてしまったことだろう。下手したら善意の第三者から俺が通報されちゃうまである。

 

「どんだけ気をつけても、結果はあのザマだったからな…」

 

「毎日のように警戒や対策を必要としている今の状況が異常なのよ」

 

「一色の家の玄関周り、だいたいの角度は確認したつもりだった。例の写真を撮るために必要な方向もだ。けど、少なくとも人は居なかった。つまり考えられる可能性は二つ」

 

「遠隔式の小型カメラ。あと一つは…望遠かしら」

 

「だな。けど角度から見て望遠の線はナシと考えていい。たぶん遠隔の方だろ」

 

「そんなに簡単に手に入るものなの?」

 

「わからんけど、どっちにしても言えることは、思ったよりヤバいって事くらいだ」

 

高校生でここまで(こじ)れるもんかね。

一色もまたとんでもないヤツに目を付けられたもんだ。

 

「まさかとは思うけれど、家の中にまで何か仕掛けられていたりは…」

 

「保障はできない。けどまだそっちは無いと思う。つか、思いたい」

 

そこまでいくと、隠しカメラがどうというより、知らないうちに進入されている恐怖の方が大きいような気がする。隠している桃色資料の配置が少し変わっていることに気が付いちゃった時の絶望感とでも言おうか。男の俺でこれほどなのだから、女子にとっては死活問題だろう。

 

「そうなると、この部屋の会話も盗聴されている可能性を疑った方がいいのかしら」

 

「どうだか…けど安全地帯扱いはしない方がいいんじゃねえの?声なんて機械なしでも丸聞こえだからな…」

 

「お昼の時は気が緩んで騒いでしまったけれど…少し迂闊だったわね」

 

「そっちは平気だろ。どうせ犯人にだけは俺たちの小細工だってバレてるんだし」

 

とは言いつつも、個人的に盗み聞きの可能性はかなり低いと思っている。以前、聞き耳を立ているところを俺達に気付かれているからだ。相手の顔こそ確認できなかったが、この部屋は警戒されていると思わせることくらいは出来たんじゃないだろうか。

盗聴に関しても、今のところは心配要らないだろう。俺が"偽者"であることを知っていれば、ああも分かりやすく嫉妬を向けてくるはずが無いからだ。

 

「今回の一件は材木座にスポイルされる形になった。これであいつにタゲが移るか、それとも…」

 

「貴方に一層執着する可能性はないの?」

 

「それなら話は早いんだけどな」

 

「これ以上は危険だわ。やり方を変えるべきよ」

 

「現に一色から狙いが逸れ始めてる。こっちの思惑通りだろ」

 

「それはそうだけど…せめて相手に直接手を出させるよう仕向けるというのは止めましょう。見たところ、相手は理性の枷がかなり緩んできてる。この先何をしてくるか──」

 

コンコンッ

 

珍しく前のめりになっていた雪ノ下を押し留めるように、ノックの音が響いた。

このリズムは――って、そんなんで分かってしまった自分が嫌だ。おお気持ち悪い。

 

「比企谷、ちょっと話せないか」

 

顔を出したのは予想通り葉山隼人。

ノックの仕方もそこはかとなくシャレオツなんだよなーこいつ。

目で入室を促してみたが、ヤツは薄い笑みを湛えたまま戸口から動こうとしない。ここでは話したくないという事だろうか。

雪ノ下も口を引き結んだままだ。

 

「わかった」

 

俺は腹を括るとイスから重い腰を上げた。

俺が付いてくるのを確認すると、葉山は三歩ほど先を歩き出した。

そのまま微妙な距離を保ちつつ、言葉も無いままに男二人は歩みを続ける。

 

「…どこまでいくんだ」

 

「うーん、あんまり考えてなかったな。屋上なんてどうだろう?」

 

「いや、俺に聞かれても…」

 

やがて階段ホールに差し掛かると、上階から覚えのある美脚がとことこ降りてくるのが見えた。

 

いや、俺の識別能力に偏りがあるのは否定しないよ?けど、この脚は特別っていうか。

ほら、感触まで知っているくらいだから、すぐに区別が付いてしまうのも致し方ないっていうかね。

…駄目だこれ、正気を疑われそうな言い訳だわ。SAN値!ピンチ!

 

「あれ、いろは?」

 

はい。要するに、降りてきたのは一色さんです。

 

…言わないで下さい。俺も悔しいんです。

貴重な記憶容量を、いろはすの太ももにごっそりと食いつぶされているというこの事実…。

つか、まだ校舎内に居たんだな。これから由比ヶ浜と合流するところだろうか。

 

「あっ、葉山先輩…」

 

「どうかしたのか?顔色が優れないようだけど」

 

「いえ、その…」

 

先行していた葉山を先に視界に捉えた一色は、その後ろに潜伏する隠密艦比企谷の存在に気づかなかったらしい。我ながらなんと強力なパッシブスキルだろうか。

既に挨拶メール(?)を貰っていた事もあって、自分から「俺も居るんだけど」とは言い出しにくい。なんかほら、気まずくない?こういうのって。帰る宣言したあとで忘れ物を取りに戻ってきた時みたいな据わりの悪さがさ。

 

「俺でよければ話くらいは聞けるよ?」

 

「……そうですね、ちょっとご意見頂けますか?」

 

ねえそこのイケメン、あなた確か俺に話があって来たんですよね?

いや俺なんぞよりいろはすの顔色が気になるのは分かるけどさ。ついでに言えばそうしてあげて欲しいって気持ちもわりとあるんだけどさ。

 

「実はさっき──って、先輩?!な、なんで…?」

 

「お、おう…一応さっきから居たんだけどな…」

 

やっと気付いたか。このまま僕だけがいない街ごっこしてても良かったんだけど、気付かないまま青春劇場とか始まりかけてたし、流石に可哀想じゃん?俺が。

ちなみにこっちの無名先輩のハートは鋼鉄の被膜で覆われたりしてないから、そう露骨に区別されると簡単にブレイクしちゃいますよ?

 

「いろは?どうかしたのか?」

 

「あ、えと、その……」

 

意を決して開いた口をうまく閉じられない、といった様子の一色は、俺と葉山を交互に見てうろたえている。

我ながらお邪魔虫にも程があるだろ。これでフラグでもへし折ってたりしたら、また彼女に対する負債が増えてしまう。今でも消費者金融ばりの取り立てに喘いでいる最中なのに…。

 

(わり)ぃ、俺は外すから──」

「いえ何でもなかったです!お邪魔しましたー!」

 

俺が立ち去ろうとする前にぺこっと勢い良く頭を下げ、一色は階下へと駆けていく。

やめて!返済のチャンスを!待ってください一色様!

必死の祈りが届いたのか、彼女は階段の途中ではたと立ち止まってこちらを振り向いた。

 

「先輩、今日はごめんなさいです。また明日、お願いしますね!」

 

「え?お、おぉ…」

 

最後に見せた笑顔にあざといと突っ込む事も出来ず、俺は一色の背中を見送った。

 

残された男達の間には、何とも言えない気まずい空気が漂っている。

一色のヤツ、やっぱヤキモチを焼かせるのが狙いなんだろうか。この状況でそんなことしたら、行き場を失った葉山のモヤモヤは残った俺への怒りにシフトするんじゃないの?

 

「…えーと、今のはなんつーか…。そういうアレとかじゃなくてだな…」

 

しどろもどろになっている俺を見て、しかし葉山は嫌味を感じさせない笑いを見せた。

 

「知ってるよ。ボディガードを引き受けているんだろう?」

 

「ボディガード…なのか?まあ、そうか。知ってたのか…」

 

もうそのへんの状況まで察知しているのか。まずいな、偽装とは言えあまりダラダラやっていると、一色の学内でのポジションを揺るがしかねない。実際、一番知られたくないであろう相手に早くも知られてしまっている。

すまんいろはす。なるだけフォローはしてみるけど期待しないでね。

 

「なんか、ほんとすまん…話の邪魔したな」

 

「少なくとも君が想像してるような話じゃないと思うけど…でも気にはなるな…」

 

一色とは逆に俺達は階段を上り、そのまま屋上へと足を運んだ。

基本的に人通りはないし、誰か来たとしても精々が居場所を無くした材木座くらいだろう。

確かに話をするには良い場所なのかもしれない。

ここに来るのは、前に相模を追ってきた時以来だろうか。

いや、もう一回あったな。あれは恥ずかしいからノーカンでお願いします。

 

重たい音を立てる鉄の扉を開けると、大きな太陽がちょうど町並みに迫っているところだった。

俺はこの冬の夕日ってやつが嫌いじゃない。そそくさと家に帰ろうとするところなんて特に親近感が持てる。

 

「悪いな、引っ張り回して」

 

夕日を背に佇むイケメンと俺。無駄にいいロケーションだけど、コイツに好感度パラメータとかないからね。海老名さんの腐臭がしてくる前に終わらせてしまおう。

 

「戸部の事か?」

 

「それもある。でももっと根本的な話になるかな」

 

葉山の表情は珍しく真剣だ。いや、珍しいと言ってもそれは日常の葉山ありきの話であって、俺と話す非日常においては大体がこんな感じばかりのような気もする。俺だってガチでやりあうのが好きって訳じゃないのに。

 

「最初は少し自信がなかった。だから勘ぐるようでいい気はしなかったけど、少し調べたよ。何人かの話を聞いて、ようやく確信が持てた」

 

流石はみんなの葉山隼人。校内に張った情報網の密度は某国の公安並みである。

戸部というインプットからきちんとゴールにたどり着けるか少しだけ不安だったが、どうやら杞憂だったみたいだな。

 

「いろはは男にしつこく付きまとわれて困っている。そうだろ?」

 

「…ああ」

 

「俺との事以外にも、何か悩み事があるようだとは思っていたんだ。でも彼女は既に頼る先を決めているようだったから…。だから俺が口を出す必要はないと思ってた。けど、昨日今日と君のやり方を見ていて、考えが変わったよ」

 

こちらを正面から見据えた葉山の目は真っ直ぐで、ある意味では雪ノ下のそれに似ていた。

それを受け止める事が出来ず、しかし逃げるのも(しゃく)に感じた俺は、気だるげに頭を掻いてみせる。

 

「比企谷、やっぱり君とは相容れない。そのやり方は許容できない」

 

部室に来たときの顔を見たときからだいたい予想はしていたが、やっぱこうなるんだな…。

そもそも戸部経由で焚きつけたのは俺だし、葉山の行動を止める道理はない。けれどもこうも面と向かって否定されると、俺の中の屁理屈の虫が黙っていない。

 

「別にお前に許して欲しいとは思ってない。それに、それしか思いつかないだけだ。間違ってようと何だろうと、出来ることをしてる」

 

「それが許されるのは、問題が自分一人で閉じている場合だけじゃないのか」

 

ああ、全くもってその通り。だからこれまでの対策に共通する真の目的は、一色の抱える問題を「俺に向かって閉じる」ことだった。今回はちょっとばかり材木座も巻き込んでしまう形にこそなったが、それも例の写真を見た犯人のヘイトが俺一人に向かうという確信があればこその選択である。

 

「もっと簡単な方法があるだろう。まず最初に試すべき手段が」

 

「馬鹿だから分からないんだわ。良かったら教えてくれ」

 

「本人と話をすればいい」

 

──おぉう。その発想はなかった。

やっぱり人種が違うと根本からズレてくるな。

 

「いろはのクラスで騒ぎを起こしたっていう中原、あいつはサッカー部(ウチ)の部員なんだ。ひっかき回す前に、まずはきちんと話をした方がいい」

 

「そうか、元はそっち繋がりか…」

 

汗まみれで走り回ってるところにあの笑顔でタオルでも差し出されたりしたら、そりゃあ日照った男子なんぞカトンボのようにポンポン撃墜されてしまうだろう。

俺なんて彼女がスイッチを切り替える瞬間をこの目で視認までしていながら、直撃もらって瀕死の無様を度々晒しているくらいだ。

 

ほんの少し…ほんの少しだけ、中原とやらに同情心が芽生えてしまった。

 

しかし、そうなると部活を辞めたのはやはり早計だったのではないだろうか。元々足は遠のいていたのだし、籍だけでも置いておいた方が良かったのでは。一色が自分から離れていくことに焦りを感じてヤツがヒートアップしても不思議ではない。

 

「話すって、何をだよ」

 

「まずは事実の確認かな。もし本当に迷惑を掛けているなら止めるように説得するさ。でも、ちょっとした行き違いがあっただけかも知れないだろう?」

 

「ちょっとした、ねえ…」

 

「君の考え方のおかげでうまく回った事も確かにある。ただ今回に関しては、俺の方が彼のことをよく知ってるんだ。練習も一生懸命やってるし、根は良いヤツなんだよ」

 

お前に言わせればウドの大木も童貞風見鶏も、みんなまとめて「良いヤツ」だろう。その信用度たるや女子の「可愛い」とどっこいどっこいである。

そもそも、体育会系だから良いヤツという考え方が何の根拠もない希望的観測だ。何なら古代ローマ時代からグチられ続けている。「健全な精神は(以下略)」の真実はかなり有名なトリビアだ。それをこのインテリが知らないとは思えないんだが。

 

「別に(ハナ)っから無実と信じ切ってるわけじゃない。実際、クラスで騒ぎを起こしたのは事実らしいからな。ただ、俺は人を信じたいだけなんだ」

 

「善人が後付けで悪行を覚えていくってんなら、"良いヤツ"の集まりが 人間を悪に染めていることになるな。"良くないヤツ"の集まりからはどんな悪党が生まれるんだか」

 

「別に性善説を信奉してるわけじゃないさ。それに君は人とつるんだりしないだろ?」

 

ここでまさかの論破!

そうだった、ぼっちは群れないから他人に影響なんて与えないんだった。つか、しっかり俺を後者に分類してくれやがってますね。合ってるけどね。

 

「なにも難しいことじゃない。俺もそういう風にしか出来ないって話だよ」

 

そうか。そういう事であれば、同じ理屈で動いている俺がウダウダ言うのもおかしな話だ。ベクトルは真逆だけどな。

 

それに正直なところ、葉山であれば可能かも、という気持ちもなくはないのだ。

普通に考えればここで説得という選択肢は正気を疑うが、それはあくまで俺にとっての普通でしかない。きっと固有スキル『ザ・ゾーン』の圏内において、奇跡は日常的に起こり得るのだろう。「俺が間違ってたぜ!」と青春の汗を流し大団円──なんて可能性も、ゼロではないのかもしれない。

 

「参考までに聞いとく。話してみてクロだったらどうする」

 

「そうだな…負け戦を続けさせるのは見ていて忍びないし、男同士やけ食いにでも連れて行くかな」

 

お前はもう死んでいるってヤツですか。

…確かにそうなんだろうけど、コイツにだけは言われたくないんじゃない?

恋敵に慰められるとかどんな罰ゲームだよ。爽やかそうに見えて、その実かなりエグい処刑方法だな。

 

「ま、それで解決するんならこっちも楽できるわ」

 

繰り返すようだが、俺は自分の方法が正しいとは思っていない。葉山の言うやり方には度肝を抜かれた思いだが、コイツから見た俺の行動もやはり同じように見えているんじゃないだろうか。俺に出来ない事をやろうとしているのだから、やらせてみればいいのだ。

 

というか、話の流れでつい噛み付いてしまったものの、これこそ俺が期待したアクションではないか。

葉山が失敗するケース──それは犯人を糾弾して追い詰めるということに他ならない。つまり「猟犬に咆えさせる」という状況そのものだ。それで焦った犯人が動くのなら、その時こそこっちの出番だろう。

そうなれば何かしら穏やかでない事態になるのは想像に難くないし、出来れば葉山のターンで終わって欲しいというのは偽りない本音なのだった。

 

「…彼女に懐かれるのは迷惑か?」

 

脈絡なく投げかけられた言葉。

それが一色の事を言っているのだと気付き、少しだけ俺の眉が動いた。

 

「…お前にしちゃ随分な物言いだな」

 

そんな、犬猫じゃあるまいし。

──待てよ、猫耳いろはすはありだな、いや超ある。ついでにあざと過ぎてイラッと来る可能性もある。

 

「そういう反応をするって事は、噛ませ犬以外の目もあるのかな」

 

なに?葉山にとってはあの子ってわんわんなの?

俺には全然そうは見えないよ?言うことさっぱり聞かないし、気まぐれだし。

つかさっきから何が言いたいんだコイツ。

 

「正直なところ──」

 

こちらを向き直った葉山の目は、あまり見たことのない感情を浮かべていた。生々しい、と言うべきだろうか。

 

「俺としては、()()さえなびかなければ、どう転んでもそれほど許せないという事はないんだ」

 

「分かんねーよ。誰に誰がなびくって?」

 

「誰の事だと思う?」

 

うぜぇ…。お前の周りの女子なんて星の数ほどいるだろうが。俺の周りなんて小町とおかんと戸塚の三択だよ。

あ、おかんは女子枠じゃないから実質二択だったわ。

葉山が気にしているのが誰であろうと、そんなものに興味はない。

ただ、その言い方だと──

 

「一色を指していないって事だけは、まぁ分かった」

 

「何だか残念がっているように見えるな」

 

「別に。あんなでも意外と一途っぽいし、さぞかし凹むだろうと思っただけだ」

 

「はは、それはないんじゃないかな」

 

楽しそうに笑いを漏らすその姿には、少々カチンときた。

そりゃコイツにも都合はあるだろうし、きちんと返事だってした。それをいつまでも引きずっていろとは言わない。

俺だって何も見ていなければ、次の日には他の男子を侍らせている彼女の姿を想像していただろう。

 

けど、見てしまった。

報われなかった悲しみに涙を流し、それを隠して笑おうとする姿を。

知らなきゃ良かったとすら思える、夢の国の舞台裏をだ。

 

「あいつだって落ち込む事くらいあんだろ」

 

俺が一色の魅力を滔々(とうとう)と語って聞かせても仕方がないし、そもそも付き合いだって葉山の方が長いだろう。結局、フォローしてるのかディスってるのかよく分からない表現しか出来なかった。

 

「……特別、か。本当にそうだったのかもな…」

 

「…は?」

 

なんでお前まで特別とか言っちゃってるの?流行ってるんですかそれ。

 

「何でもないよ。こっちの話だ」

 

遠く町並みに視線をやる葉山は、驚いたような、眩しいものを見るような目をしていた。

やがてこちらへ意識を戻すと、話はそれだけと言わんばかりに軽く手を挙げ、来た道と戻っていく。

 

「葉山。余計な世話だろうが、何するにしても──」

「いろはに迷惑は掛けないさ。君に言われるまでもない」

 

背中だけで言葉を返すその姿は嫉妬するほど決まっている。

 

俺はひとつ息をつき、フェンスの向こう側に顔を向けた。

 

 

 

冬の太陽は、もうとっくに沈んでいた。

 




次回『IKEMEN vs Stalker』をお楽しみに!(嘘

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