そうして、一色いろはは本物を知る   作:達吉

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懸念していた葉山の話が概ね好評だったので安心しました。
順調に伸びて気が付けばお気に入り700!ありがとうございます。
テンション上がったので筆も進み、早めの投稿です。


■10話 何のフォローにもなってない

「うう…さ、さむい…」

 

 吹きっさらしの決闘場からなんとか生還したわたしは、校内に設置された自販機の傍に行儀悪くしゃがみ込んでいた。

 

 場末のサラリーマンよろしく、黄色い缶を両手でもってちびちびと口に運ぶ。既に外は真っ暗ではあるけれど、単に日が沈むのが早いだけで、まだそれほど遅い時間でもなかったのだろう。グラウンドからは相変わらず気合いを入れるような掛け声が聞こえてくる。

 随分長い間やり合っていたような気がしていただけに、ちょっと拍子抜けしてしまった。

 

 あれから一言二言だけ交わし、わたしは丁寧に頭を下げて先にその場から立ち去った。残された葉山先輩が最後にどんな顔をしていたか、暗がりのせいでよく分からなかったけど、少なくとも、今のわたしの顔はとても見せられたものではない。結果的に、あの場所を選んだのは正解だったのかもしれない。

 

 今はとりあえず、無性に甘いコーヒーが飲みたかった。

 

 それにしても甘いなぁ、これ。

 甘過ぎて、涙が出てくる…。

 

「頑張ったなー、わたし…」

 

 泣くほど甘いその缶が空になる頃には、涙腺も元通り。コンパクトを覗いてみたけれど、さすがに昨日ほど酷いことにはなっていなかった。

 

「…うん、OK」

 

 目元のフォローをしているうちに、気持ちもすっかり落ち着いたみたい。缶をゴミ箱に捨てようかと思ったけど、何となく気が変わって水飲み場へと持っていった。

綺麗にゆすいで水を切り、ハンカチに包んでカバンの中へ。

 昨日のは貰う前に先輩に捨てられちゃったからねー。

何に使うかって? ぜんぜん大したことじゃないですよ、ほんと。

 

「さって、これからどうしよっかなー」

 

 無事──でもないけど、当初の目的を果たしてしまった今、奉仕部に思いを巡らせるわたしを咎める声はもう聞こえてこない。

 

 葉山先輩との会話の流れからすると、今のわたしは真っ当に恋をしている、ということらしい。でもそれは、あくまでも理屈の上でのハナシだ。

 事実として受け入れる覚悟はしてるつもり。けど、感情としてはまだちょっと、恋という実感には達してないと思う。そう気安く切り替えられるものでもないだろうし、その辺は…それこそなるようになれってカンジかな。

 

 今はとにかく、話がしたい。

 

 声が聞きたい。

 

 生まれ変わったわたしは、自分の願望に素直ないろは。

 

「ま、まあ、どうせ一緒に帰らなきゃだしね!」

 

 決意も新たに口から出た最初の言葉は、みっともない言い訳だった。

 

 あーあー、心の声なんて聞こえませーん。

 

 廊下の窓ガラス相手にえへへっと照れ隠しをすれば、間抜けな半笑いの自分が映る。でも、今だけは少しくらい緩くたっていいかな、と思えた。

 

 ぼーっと自分の姿を眺めているうち、その先にある中庭へと意識がシフトしていく。校舎に四方を囲まれた空間は季節柄その彩をすっかり失っていて、生徒の姿もない。愛すべきあの部屋はといえば、残念ながらこの角度からは見えなかった。

 

 中庭を挟んだ向かいの校舎を眺めていると、ふと見覚えのある姿が視界の隅に入ってきた。お昼に声をかけてきたクラスメイトの男子だ。

 キョロキョロと辺りを見回すその様子は、人を探しているように見える。わたしは咄嗟に身をかがめ、冷たく冷えきった廊下の壁に背を付けていた。別にわたしを探していると決まったわけでもないんだけど…。

 

「あのひとも、ちょっと苦手だなぁ(名前なんだっけ)」

 

 一世一代の悩み事に心を砕いているところなのに、さっきからなんなのだ、空気読め。

 

 まったく、今日は色んな意味でストレス過多な日だ。

 こんなの美容にも良いコトないのに。

 

「あ、なんか…頭まで痛くなってきた気がする…」

 

 ああ、だめだね。

 これはもう、お薬が必要だね。

 ほら、ちょっと思い浮かべただけで、少し痛みが引いてきたもん。

 

 つられて頬がじんと熱くなってくる。冷え性の手でぺたぺたとクールダウンしつつ、そのよく効く薬を備えているはずの場所へと、わたしは足を向けた。

 

 

* * *

 

 

「こんにちはー!」

 

 悩みに痛む頭を抱えて開けた扉は保健室──なんかではもちろんなくて。

 

「やっはろーぉ。待ってたよー」

 

「今日は遅かったのね」

 

「ちょっと野暮用がありまして」

 

 わたしを迎えてくれたのは、まるで正式な仲間に向けられるような親しげな声だった。

 

 色恋とはまた違った柔らかい気持ちにほにゃっと頬が緩む。温度以外にも感じる空気の暖かさは、抜けきっていなかった身体の力を取り除いていくよう。

 

 訪れた奉仕部の部室の中央には、でんと置かれた長机。その片側には、魅力的かつ対照的な二人の女の子が紅茶を囲んでいる。反対側にいつも陣取っているはずの人物は、残念ながら部屋の中には見当たらない。片方だけ人口密度の高くなったその光景は、どこかバランスの悪いシーソーを思わせた。

 

 今日はまだ来ていないのかぁ。

 まさか休みとか言わないよね?

 うぅ、気になる…。

 

「そのうち来るんじゃないかしら」

 

 わたしが視線を巡らせていたのは、時間にすればコンマ数秒足らず。だというのにその行方は、文庫本に目を落していたはずの雪ノ下先輩にバッチリ捕捉されていた。

 

「何のことですかー?」

 

「いえ、誰かを気にしていたようだったから」

 

「別に先輩のことなんて気にしてませんけど?」

 

「あら、私は依頼人の事を言ったつもりだけれど」

 

「うぐ…」

 

 い、依頼なんて滅多に来ないくせにー!

 ダメだ、とても口で適う相手じゃない…。

 

 珍しく悪戯めいた笑みを微かに浮かべる彼女は、同性のわたしから見ても魅力的だ。一色いろはという素材をいくら磨いたところでこの輝きは得られないだろうと思うと、少しだけ気分が下を向いた。

 

「ん~むぅ…」

 

 長机に突っ伏し顔だけこちらを向けてうなっているのは結衣先輩。口では重々しさをアピールしているつもりのようだけれど、その姿はきゅーん、と鳴く子犬のように愛らしい。

 しかし、机と身体に挟まれて潰れている圧倒的な物体の存在感は、子犬なんて可愛げのあるものじゃない。そして今日はおまけでもう二つほど丸いもの──ぷっくりと膨らんだほっぺがくっついていた。

 

 何かの不満を表しているのか、それともお菓子がたんと詰まっているからなのか。もごもごと動くそれを見て、どうやら後者のようだと安心していたら、彼女は急に妙なことを言ってきた。

 

「…いろはちゃんさ、何かあった?」

 

「ふぇっ?!」

 

 あうち。

 先輩が居たら、その反応あざといとか言われそうな声が出ちゃった。頑張って続けてたせいで、こういうリアクション、もう身体に染み付いてるんだよね。そういう意味ではほんとに素なんだけど、直した方がいいのかな…。

 

「な、何か、とおっしゃいますと?」

 

「ん~? なんかねー、今日のいろはちゃん、ちょっと雰囲気違うかなって」

 

 腰掛けようとしていた身体がビクッと跳ね、ぶつかったパイプ椅子がガタリと大きな音を立てた。

 

 え、なに、わたしそんなに分かりやすいですか?

 ちょっと先輩の椅子みてただけなんだけど…。

 

 マズいなー、さっきの今だから、なにか顔に出ちゃってるのかな。女の勘って、自分が向けられるとほんと恐いんだよね…。結衣先輩も普段はあんな緩そうなのに、さすがにこういうのには鼻が利くなぁ。

 

「あっ、あれですかねー、今朝バタバタしてて、髪がうまく決まらなかったんで…」

 

「んー、そーゆーのじゃなくてねー?」

 

 雪ノ下先輩になら通じたかもしれない適当な言い訳は、もちろん結衣先輩には通用しなかった。普段快活な彼女がのそっと身体を起こして立ち上がる姿は、どこか異様な圧迫感がある。

 ゆさりと揺れる胸元についつい視線を奪われていると、目の前まで来た彼女は「ふーむ」と顎に手を当て、わたしの目を見つめてきた。

 

「な、なにかいつもと違いますかね…?」

 

「うん、目がね。なんか湿っぽい…じゃなくて、水っぽい…でもなくて…」

 

 え、ちょっと、なんかヒドくないですかそれ…。さっきダメージ受けた目元なら、もう直してあるはずなんだけど。結衣先輩の基準だとNGなのかな。やだなー、女子力負けてるのかなー?

 

「もしかして潤んでいる、と言いたいのかしら」

 

「そうそれ! うるるっとしてて、なんか色っぽい!」

 

「はあ、そうなんですか?」

 

 うるるはたぶんどこかのエアコンだと思いますけど、なんだー、よかったー。水っぽいとか言われても、どう直したらいいか分からないし。

 

 確かに、涙ぐんだりぽーっとなったり、今日は忙しかったからなぁ…。

 涙腺がゆるゆるなのもさもありなん、と本日の過去ログを頭の中で順に辿っていると、キスでもしかねない距離まで迫った結衣先輩が、わたしの目を無遠慮に覗き続けていた。

 

「ちょ…結衣先輩、ち、近いです…!」

 

「こらこらー、逃げないの。…なんか顔も赤くない?」

 

「こんな近づかれたら赤くもなります!」

 

「ちょっと由比ヶ浜さん、そのくらいに…」

 

 鼻息荒く迫ってくる結衣先輩ともみ合っていると、部室の戸口ががらりと開かれた。

 

 「うっす」という聞きなれた低い声と共に、男子の登場で女子の香りに満ちていた空気がかき乱され、飛び交う黄色い嬌声がぴたりと止まる。ちょっとした時間の空白が生まれ、視線は無遠慮な闖入者に集まった。

 

 冷蔵庫に残った魚の干物のような目を若干見開いて、現れた先輩はその場で固まっている。彼の視線を辿ってみれば、大きく脚を開いて椅子に座ったわたしと、そこに半ば馬乗りになった結衣先輩。暴れた拍子に二人の制服がはだけ、おまけに何の偶然か、彼女の手はわたしの胸の辺りに。

 

 彼の顔色が気になってそっと振り返る。

 そこには最初から誰も来なかったと言わんばかりに閉じられた扉があった。ゆっりゆっらっらっら…と廊下から聞こえてくる調子っぱずれの歌声。わたしと結衣先輩は顔を見合わせ──

 

「ちょっ、ちがっ、ちがうからぁ!!」

「なに歌ってんですかぶちますよぉ!?」

 

 

* * *

 

 

「…何か、悪かったな。その、いろいろと」

 

 顔を赤くした女の子二人がかりで部室へ引っ張り込まれた先輩は、いつも以上に不振な素振りで目を泳がせていた。

 

「謝られるようなことないから! なにもないから!」

 

「あら、謝罪くらい聞いてあげたら? 彼が色々と悪いのは事実なのだから。間とか、目つきとか、意地とか…あと手癖もだったかしら?」

 

「お前が全部言っちゃうのかよ。自虐の余地くらい残しとけ」

 

 いきなり始まった雪ノ下先輩との漫才に、なんとかいつもの調子を気を取り戻したみたい。そんな先輩を見ていたら、わたしの頭痛もだんだんと消えていくようだった。やっぱ効果あるんだよなあ…。

 本格的に常備について検討しようか迷っていると、ふと真っ先にすべき事を思い出した。

 

「先輩、ちょっといいですか」

 

「良くな──待て聞け、良くない良くない!」

 

 返事を待たずにぐいぐい腕を引いて、再び廊下へと連れ出す。不思議そうな顔で追いかける結衣先輩の視線を扉でシャットアウトし、先輩と向かい合った。

 

「折角(ぬく)いオアシスに辿り着いたってのに…」

 

「実はわたし、先輩にひとつ謝らなければいけない事があります」

 

「な、なんだ改まって…うっかり昨日の事を通報しちゃいましたてへぺろっ☆とか言うなよ?」

 

「それはまだなんで、安心してください」

 

「だったら安心を阻害する単語を含ませるのやめてね」

 

ところでそのバカっぽい偽ギャル、まさかわたしじゃありませんよね? 確認の意味でにっこり笑いかけたら、なぜか先輩は頬をヒクつかせてたじろいだ。

 

「冗談はさておき」

 

 こほんと可愛く咳払い。

 居住まいを直して、先輩に向き直る。

 今この瞬間は、真面目な顔が似合うだろう。

 このひとには、一番最初に言っておきたい。

 

「わたし、サッカー部のマネージャーを辞めました」

 

 

 さっきまで聞こえていたランニングの掛け声も折り悪く途絶え、廊下に沈黙の幕が降りる。何も言わない先輩の視線に心地の悪さ…もとい居心地の悪さを感じて口を開きかけると

 

「…そうか」

 

 わたしの言葉の意味をかみ締めるように、彼は眉根を寄せて目を細めた。

 

 暇になったわたしに、ますます振り回される未来でも想像でもしてるのかな。

 どうぞご心配なく。その想像、ちゃんと叶えて差し上げますからね♪ てか、こういう時でもないと、このひと目も合わせてくれないんですよねー。折角のチャンスだし、胸がドキドキうるさいけど、ここはガン見で受けて立っちゃいますよー?

 

「なんだ、その…すまなかった……」

 

「え…」

 

 鉛のように重く沈んだその声を聞いて、わたしは我に返った。

 

 改めて見てみれば、彼の目には後悔や自責といった色の感情が浮かんでいる。調子に乗って騒ぎ立てる心臓に、思いきり冷水を浴びせられたような気がした。

 

 何を浮かれていたのだろうか。少し考えれば分かる、簡単なことなのに。

 

 先輩は、本当の意味でわたしに生徒会長を勧めてくれた、この学校でただひとりの人物だ。その意図がどうであれ、二束のわらじを勧めてきたのだってこのひとだ。

 納得して彼の口車に乗った? そんなのわたしにしか分からないことだ。何の慰めにもならない。やめておけば良かったっていう甘ったれた顔を、何度も何度も彼の前で見せてきた。

 だとしたら、さっきの言葉は、先輩にはこう聞こえたのではないか。

 

 お前のせいで部活をやめるハメになった、と。

 

「それ、完了形なのか? 相談じゃなく」

 

 続く彼の言葉は、遅すぎたわたしの思考を肯定するものだった。明らかに、何とかしようとしている。

 

 色々気持ちに整理が付いて、物事の優先順位もハッキリしてきて。だから自分の選択を誰よりも先に聞いて欲しいと思っただけだった。

 わたしの今の気持ちはまだ伝わらなくてもいい。ただ、わたしは動き出しましたと、宣言したかっただけなのに。

 

「もう退部届けは出しちまったのか?」

 

「え?あ、はい、さっき葉山先輩に…じゃなくてっ」

 

 まずいまずいまずい。

 早く言わなきゃ。誤解とかなきゃ。

 

 ちがいます、そうじゃないんです。

 そういうつもりでお話ししたんじゃないんです。

 わたしは感謝してるんです。

 だから先輩の責任なんかじゃないんです。

 むしろ先輩のおかげですから。

 

「…そっ…あの、だ、だから…っ」

 

 どれでもいいから早く言うのっ!

 何を言ったって、きっと受け止めてくれるから!

 メチャクチャでもいいから、まず気持ちを声に出さないとっ!

 

「むっ、むしろ先輩の責任なんですからっ!」

 

 ひいいいぃぃっ!?

 だからってそれ混ぜたらダメでしょぉぉおおっ!?

 

「あ、うん…。そうね…やっぱそうですよねー」

 

 おや…? 先輩の様子が…。

 ちょっと、笑ってる?

 

 これはもしかして、ケガの功名というヤツではないですか? 責任にかこつけて無理難題っていう、いつもの流れだと思ってくれてるっぽい…。

 大チャンス! これぞ日ごろの行いのタマモノだね! よーしこのまま押し切っちゃおう☆

 

「これで葉山先輩に頼るって手段が、かんっっぜんに! 使えなくなっちゃいましたね? なので、先輩には彼氏の件、今後ともよろしくお願いしますね♪ サッカー部でもなくなったわたしじゃ、もう葉山先輩は頼れませんし。イヤとは言わせませんよー、イヤとは」

 

 一息に言って、空気を変えるようにぺちっと両手を合わせる。とどめに得意のにっこりスマイルで…どうだー!

 先輩にも笑って欲しいと思って作ったその表情は、いつもの営業スマイルと違う手応えだったけれど、それなりには効果があったみたい。彼はちゃんといつもの苦笑いを返してくれた。

 

「超イヤなんですけど…」

 

 はー、焦った…でも、もう大丈夫かな。「イヤよイヤよも好きのうち」は先輩のための言葉だって、わたしの辞書にはちゃんと書いてありますからね。

 この不真面目さが顔を出したなら、シリアスシーンは終了ってこと。あやうく「償い」とか「責任」とか、重たい空気になるところだった…。

 そういうのは、もっと面白おかしいシチュエーションで、わたしの方から求め──けほけほ。

 

 

* * *

 

 

 長話を終えて部室に戻ると、待ちぼうけにされていた二人から強烈な視線で迎えられた。わたしと共にその追求光線に晒された先輩は、さっきのやりとりを実に簡潔な一言でまとめた。

 

「一色、部活辞めるってよ」

 

 どこかで聞いた様なフレーズに、しばし呆然とする待ち人ふたり。辞めるっていうか、もう辞めたんですけどね。

 

「笑いを取るような話ではないわね」

 

 キリッと睨みつける雪ノ下先輩を、まあまあとわたしがお諌めする。変に重苦しくされるより、笑って欲しいんだけどなー。

 

「…それで、なぜ彼に報告を?」

 

 雪ノ下先輩の傍に立った結衣先輩はコメントも無く、やけに沈痛な面持ちをしている。

 

 えと、こっちでもこういう空気になっちゃうの…?

思ってた以上に、女性陣もわたしを気にしてくれてたってことなんだけど…。女の子に心配してもらうの、なんか久し振りすぎてじーんときゃうな──って、感動してる場合じゃなかった。

 

「んと、先輩には色々ご迷惑をお掛けしましたし。ほらわたし、両方うまくやってみせる、みたいなノリで始めたじゃないですかー。その手前、お恥ずかしいと言いますかー、なんと言いますかー」

 

 なるべく明るく聞こえるように、あはっと笑ってみせる。

 

「だってー、もともと葉山先輩目当てで入った部活ですよ?そんなトコ振られた後もいられるワケないじゃないですかー」

 

「そういやお前、まだ頑張るとか言ってなかったっけ?」

 

 まーた余計な事を覚えてますね、このひとは。あの時はまだ本気の相手を勘違いしてただけなんです! だからウソはついてません。

 

「もちろん恋は頑張りますよ? 乙女ですから。頑張る方向が少し変わっただけです」

 

 なので気にしないで下さい、と巻きついてしまった責任という名の鎖をせっせと取り払う。

 

 むふふー、だがしかーし。

 一度気に病んでしまった心というのは、そうそうすんなり自由にならないもの! そこで活躍するのが女子の108の奥義のひとつ。すなわち「もぉ、気にしなくていいって言ってるのに~♪」なのです。

 

 言葉とは裏腹にその古傷を抉るようなこの技は、関係をしば…深めるのにとても有効なんだとか。ソースはうちのママ。言われるパパは、確かにいつも満更でもなさそうな顔でママに奉仕してる。もしかしたら、これもWIN×WINっていうものなのかも。

 

「そ、そうなの…? よく分からんけど…お前がいいならいいんだけど…」

 

「はい♪」

 

 えへへ、これでまずひとつ、種を仕込みましたよ?

 とは言えあんまり軽々しいと、浮気っぽい女の子に見えるかな。でも重い女と思われたくもないし…。

 ううん、浮気性なのか一途なのか、それが決まるのってこれからでしょ。時間が解決してくれる問題もあるってことだね。

 

 

「…いろはちゃん」

 

 小さな、けれどどこか思いつめたような声がわたしを呼ぶ。

 

 …ですよね。

 こんなの、あなたは黙って見過ごすわけにはいきませんよね、結衣先輩。わたし自身よりも先に、わたしの気持ちを見抜いてたかもしれない、あなたなら。

 

 ちょいちょいと胸元で小さく手招きする彼女の元へと、息をのんで近づく。その目はいつもと異なる感情を宿しているように感じた。

 

 そう、言うなればこれは、女の目。

 きっと今のわたしも、似たような目をしているんだろう。

 

「それ、やっぱそういうこと、なのかな…?」

 

 それは核心を真っ直ぐに捉える言葉だった。葉山先輩のやり取りとも似た、ふわふわしているくせに致命的なまでに鋭い槍。

 

「…っ」

 

 一瞬だけ、答えに迷ってしまった。

 

 この手の修羅場に慣れている身として、考えを巡らせる。ここで正直に彼女に話すことに、何かメリットはあるのか。

 デメリットだけは、これまでの経験から嫌というほど思い浮かんだ。このひと達に嫌われるかもしれないと考えたら、どうしても身体が震えてくる。この部屋の暖かさに慣れてしまった今のわたしに耐えられるだろうか。

 

 けど、いま逃げたらこの先ずっと、ここの空気に潰され続ける。この部屋で何をしても、絶対に勝てなくなってしまう。自分の答えはもう出ているのだから。

 

 結論を得たわたしは、挑戦の意志を瞳に込めて答えた。

 

「ご想像にお任せします」

 

 散々かっこつけておいて、なんなんでしょうねーこのチキン。

 

 だってだって! 結衣先輩の目力、ちょおヤバいんだもん…。いいの! これ女子言葉ではYESなの!

 

 ちらりともう一人の守護者(ガーディアン)へ目をやったけれど、そちらは全くの自然体。相変わらず優雅な手つきで紅茶を口に運んでいるだけだった。

 

 気にならないのかな…。

 あ、よく見たらティーカップ空ですね。ぜんぜん自然じゃなかったです。

 

 じっとりと重いような、もしくは逆に乾いた風が吹き抜けるような、独特の空気感。沢山の女子に囲まれるよりもずっと緊張するけど、わたしの意地にかけて逃げ出したりはしない。

 

「そっか…」

 

 わたしの言葉を受け、結衣先輩はすっとその長い睫毛を伏せる。じっと身を固めていたけれど、再び目を開いたときの彼女は、いつもの彼女に戻っていた。

 にひっと人懐っこい笑顔を浮かべてわたしの元に歩み寄った。

 

「いろはちゃんて、意外と趣味悪いんだね♪」

 

「そっくりそのままお返しします♪」

 

 生意気にもニッと笑い返してみせる。

 現時点で周回差をつけられているわたしの、精一杯の強がりだった。そんな風に目で語り合うわたし達に置いてけぼりを食らった先輩が、

 

「え、なんでそれで会話成立すんの? 男には聞き取れない帯域で通信してるの?」

 

 と目を白黒させていたので、おかしくなってちょっと笑ってしまった。

 

「ふふっ、そういうんじゃないですよ」

 

「うんうん、ヒッキーだから内緒♪」

 

「いやそれ何のフォローにもなってないから。むしろピンポイントに悪化してるから」

 

 ふてくされる先輩に愛しげな──今ならはっきりとわかる、そんな視線をちらりと送る結衣先輩。いつもの柔らかな目尻を少し引きあげ、私の肩をポンと叩いた。

 

 同じように趣味の悪いもの同士、仲良く出来たらいいんだけど。それでもいつかは、恨みあってしまうんだろうか。大事なものを大事な人と分け合えたらいいのになあ。

 

 沈黙を守っていたもう一人の先輩を盗み見ると、彼女もいつも通りの仕草で紅茶を淹れ直していた。皮肉の一つも言ってこないその心情は計ることができないけれど、さっき一瞬感じた重たい空気はまたいつも通り動き出した彼女達によって攪拌され、いつの間にか消えていた。

 

「先輩って、真っ二つに切ったら二人に増えたりしませんかね?」

 

「お前らさっき拷問方法でも検討してたの? ほんとに趣味悪いな…」

 

 ついポロっと本音が出てしまったわたしに、なんとも失礼な目を向けて不安がる先輩。二人で一緒にそんな彼を弄っている時間は、ずっと続けばいいと思えるほどに、楽しいひと時だった。

 




おかげさまでもう10話です。
0話は…扱いが微妙ですよね…。書き直したいわぁ。
ぼちぼち章立てをすべきなのかも。

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