黒桜ちゃんカムバック   作:みゅう

15 / 23
#14 衛宮士郎の名にかけて

 夢を、見た。それは一人の少年と少女の物語。

 穏やかな日常が崩れ去り、戦争に巻き込まれる二人。

 絶望的という言葉すら生温いとさえ断言できる程、それは熾烈な戦いであった。

 故に無力な少年は最愛の少女を救うために全てを賭して戦うしかなかった。文字通り「全てを」だ。

 その少年には夢があった。生きる意味、課せられた使命とも呼べる程に焦がれた理想があった。しかしそれは少女を救う道とは相反していた。もし自分が少年の立場なら、少女をその手に掛けてでも信念を貫いただろう。

 だが少年は違った。自らの命よりも重いその信念、自分の確たる物を捨て去ってまで、彼は彼女を救おうとした。

 結局少年は少女を救うことができずに道半ばで倒れ、少女は絶望に打ちひしがれる。後味の悪いバッドエンドで物語は締めくくられ、意識は現実へと舞い戻る。そして、答えを得た。

 

「……そうか。衛宮士郎(アイツ)(オレ)と違う道を選べたんだな」

 

 正義の味方になることは運命ではなかった。

 それを知ることができただけでも救いだった。

 そして己の内に問いかけた。あの時の選択を本当に後悔しているのかと――――否だ。

 あの時の覚悟は、選択は、嘘ではないと今ならば胸を張って言える。

 英霊、守護者としての自分にもう二度と絶望も後悔もしない。

 だからこそ、教えてくれた者たちに心から誓う。

 

「意志は受け継いだぞ。衛宮士郎(もうひとりのオレ)

 

 

 

              ×          ×

 

 

 

「一体、どうしたらいいのよ」

 

 熱風にかき消されそうな声はソラウさん。それは皆の気持ちを代弁していたはずだ。

 先輩から話こそ聞いていたけれども、魔術的な常識にまだまだ疎いわたしには有効な案などすぐに浮かぶわけがない。おじさんも然りだ。だからここで頼るべきは――

 

「固有結界は貴様の領分だったな。単刀直入に聞こう。ここから脱出するにはどうしたらいい?」

 

 ケイネスさんは努めて冷静であろうとしていた。工房が破壊されるというショックを受けた直後だったものの、固有結界を一度体験したが故に落ち着きを取り戻しつつあるようだ。そして蛇の道は蛇。固有結界を扱う先輩の知識にわたし達は縋るしかない。

 

「外界からの圧力に抵抗し、固有結界を維持するには莫大な魔力が必要だ。ライダーは連戦を経ている上に、マスターも未熟。通常なら持って数分、と考えたいところだが」

「あの一騎一騎がサーヴァントとなれば、おそらく維持に必要な魔力を担っているのはあの軍勢全て、というのが最悪な場合の想定だな」

「その場合、固有結界が保てなくなるまで削り切るしかあるまい」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で先輩が答える。灼熱の陽光を背に並び立つ軍勢、理不尽ともいえるほど鉄量だ。先輩やランサーがいくら優れた英霊と言えども、わたしやソラウさん、雁夜おじさんという足手纏いを抱えながら戦い抜けれるはずがない。

 

「あとは私の心象風景で世界を上書きするということも万に一つは可能かもしれんが、そのような博打よりは――対話に賭ける方を私は推したいと思うのだが」

 

 先輩の視線の先を追うと、隆々たるライダーの影から、黒髪の長髪の男が再び現れる。間違いなくわたしにとって、お爺様に次ぐ障害であろう長髪の魔術師は戦車からわたしたちを見下す様にして答えた。

 

「それが賢明な判断だな衛宮士郎。今回こそは実りある対話にしよう。いや、しなければならないのだ」

「そうだな。あの時のヒントでようやく記憶を掘り起こせた。そして、裏取りも取れている」

 

 今にも首を穫りに飛びかかって行きそうなランサーさんを手で制しながら先輩は答えた。訳ありげな様子に仕方なくランサーさんは下がったが、それでも油断なく双槍を構えながらマスター二人を守るべく牽制の意を見せる。

 

「そう殺気立つでない。器が知れるぞ、ランサー。そちらから手を出さん限り、余には今ここで貴様等を排除する気はない」

「僕たちの勝利条件の一つは二人を遠くに離脱させることだからな。対話で時間が稼げるなら上出来だ」

 

 ライダー主従の言うことに嘘はおそらくない。武力を以て交渉を有利に進めようと意図でもないのだろう。対話の場に無理やり立たせるために。そう考えたほうがおそらく自然だ。交渉ではなく、対話と言った先輩の言葉が胸に引っかかる。だがわたしを置いていくようにして目の前の男は先輩と話を進めようとしていた。

 

「時間はあまりない。答え合わせといこうか衛宮士郎」

「あぁ。だが、その前にやるべきことがある――――桜」

「はい、何でしょうか?」

「君には伝えなければいけないことがある」

 

 目線が同じ高さになるようにしゃがみ込んだ先輩。わたしの首と背中に手を回して抱き寄せると、右耳に優しい音を吹き込んだ。

 

「私は、君の知っている衛宮士郎とは違う」

 

 こんなにも穏やかで愛しい声が、嫌というほどに鼓膜に突き刺さる。

 

「そうですね。わかって、います。わたしが愛した人は、正義の味方を辞めたんですから」

 

 元が同じ人でも歩んだ道は真逆。目の前にいるこの人はあの人が理想を追い求めた先にある可能性のうちのたった一つの姿でしかない。

 

「だが、私は君の愛した衛宮士郎の名にかけて誓おう」

 

 先輩は一度頭を撫でてから両肩に手を移し、見つめあうようにして言の葉を紡ぐ。戦争開幕からの数日間の夢見心地だった日々はもう終わる。揺らぐことのない光を灯したその瞳を見ると、確信めいた終焉の予感が脳裏によぎってしまった。

 

「私も最後まで桜の味方だ。だから」

 

 決して聞き逃さないように、耳を澄ます。

 

「何があっても私を信じて待っていてくれ」

「はい」

 

 ――――すとん。そんな音が聞こえた気がした。

 首に走る衝撃が、網膜に暗幕を降ろしていく。

 もう声を発することもできない。

 ねぇ、どうして、先輩?

 

「後は私に任せてくれ。今夜中に終わらせる」 

 

              ×          ×

 

 

 

 肌を刺すような鋭いビル風が、破られたマンションの窓から容赦なく吹き込む。書類やカーテンの切れ端が宙を舞っては落ち、引きずられる様にして部屋の隅に集まっていく。 

 静かとはとても言い難い惨状。しかし喧騒の中心だった者たちは固有結界へと隔離されたため、この部屋にはもう居ない。残るは切嗣とアイリスフィールの二人だけだった。

 

「アイリ、君が無事で本当に良かった」

「私もよ。ずっと待っていたんだからね」

「それは……色々あったんだ。詳しい話は後だ。まずはこの場を脱出しよう」

 

 アイリの手足を拘束しているのは呪符を紙縒り合わせた縄。それにナイフの切っ先を滑らせ手際良く解放する切嗣。

 

「ゆっくりとでいい。立てるかい?」

 

 そっと掴んだ細い手首に浮かび上がっているのは紫色の痕に、切嗣は思わず顔をしかめる。膝を震わせながら椅子から立ち上がろうとする彼女だったが、バランスを保てず前のめりになり、切嗣の胸元に抱きかかえられるようにして受け止められた。

 

「ライダー達から話は聞いた。怪我の具合はどうだ?」

「おかげさまで、と言うのも変かもしれないけれどしっかりと直してもらえたわ。流石時計塔の名門だったわね」

「そうか」

 

 だが顔色が悪そうだ、と続けようとした言葉を切嗣はとっさに喉の奥へと仕舞いこむ。拷問の類をされた形跡こそなかったが、長時間に渡って物理的、魔術的な拘束をされていたのだ。疲労が蓄積していないはずがなかった。

 

「迷惑ばかりかけてごめんなさいね。急に動いちゃったから少し足が痺れたみたい」

「気にするな。下に降りて少し離れたところまで向かうぞ。靴は……あった。これを履いたら僕に掴まれ」

 

 コートを襷がわりにしてアイリスフィールを背負う。そして何事もなかったかのように堂々と部屋を出て、そのままエレベーターで降り、駐輪場側の入り口から裏道へと身を隠す。

 ホテル丸ごとの爆破解体に続き、高層マンションの一室が爆発する事故だ。非常灯の色で染まるほどに街が混乱を極めた今、身を隠す絶好のチャンスだ。路地裏の闇を縫うように切嗣はアイリスフィールをなるべく人目に触れないようにして移動を続ける。

 

「こうしているとまるで子供に戻ったみたいね。子供になれた、と言う方が正しいかしら」

「それは何よりだ。ライダーが馬を貸してくれると言っていたが断って置いて正解だったみたいだね」

「あら、そうだったの? 一度は馬にも乗ってみたかったのだけど残念だったわ。でもこっちの方が良いから許してあげる」

 

 吐息を耳元にあてるようにして彼女は言った。そして切嗣は夜の街の乾いた空気を肺へと大きく送り込んだ後、伝えるべき言葉をようやく口にした。

 

「なぁ、アイリ。今度乗馬に行こう。イリヤと君と僕の三人で」

「三人で?」

「あぁ世界中を回ろう。白い壁の向こう、外の世界を、君にもイリヤにも、もっともっと見せてあげたいんだ」

「……切嗣、もういいのね?」

「聖杯は要らない。ようやく気付けたよ。僕にはアイリ、君とイリヤが傍に居てくれればそれだけでいい」

 

 反響するサイレンにかき消されそうなほどに小さな声で、そして当たり前のことのように淡々した口調で切嗣は言葉を続ける。

 

「世界中で助けを求める誰かよりも、君たち二人が僕にとっての一番なんだ」

 

 それが世界の変革には至らないと自信の無力さを痛感した彼にとっての答えだった。

 

「これから僕は、君とイリヤを守るためだけに全てを賭けるよ。そのためにならアインツベルンも、時計塔も、全ての障害を振り払ってみせる」

 

 実の父、恋焦がれた人、母の様に慕った人、数多のそして救えなかった人々や救わなかった人々。命の選択を前にして後悔を重ね続け、屍を踏み越える度に心を削りながら戦ってきた日々。

 それら全てに報いるために自らに課して来た使命よりも、家族三人で過ごした穏やかな日々の方に彼の天秤は傾いた。数の理論ではなく、愛情の深さで切嗣は傾けてしまった。

 

「アイリ。こんな情けない僕を、かつての理想を曲げてしまう僕を、君は許してくれるかい?」

「もちろんよ。だって私はあなたの妻だもの」

「……ありがとう」

「ふふっ、どういたしまして」

 

 首に回した腕を固く喰いこませながら答えるアイリスフィール。それに応える様に下から身体を支える手に切嗣は力をグッと込めた。

 

「ねぇ、この後の動きはどうするの?」

 

 その問いに応えようと、口を開きかけたときのことだった。

 

「……たッ!?」

 

 切嗣の左手小指の付け根に痛覚が走る。その皮下に埋め込まれていたのは呪術的処置が施された舞弥の髪の毛だ。即ちこの痛みが意味するのは助手である舞弥に生命の危機が訪れたということ。しかも助けを求めることすら不可能だったことから推測すると、舞弥の生存は危ぶまれる。

 

「切嗣、どうかしたの?」

「追手が掛っている。しかもおそらくはランサー達と別口だ」

 

 あえて切嗣はそれ以上の言葉を発しなかった。舞弥を救出するか、見捨てるか。答えは口にするまでもなく決まっていた。サーヴァントを失っており、且つアイリを抱えている現状を鑑みると後者の一択しかない。

 合流地点への移動を放棄し即座に別のルートを模索している最中、それは無人の交差点で道を塞ぐようにして現れた。メルセデス・ベンツ300SLクーペ。最高速度時速260kmを誇る凶悪なエンジンを搭載した白銀の貴婦人。アインツベルン城から持ち込んだ移動手段の一つだ。

 

「ご無事でしたか切嗣、マダム」

 

 舞弥の姿形をした女が、本人と何一つ違わぬ声を発しながら運転席から降りて来る。だからこそ一切の躊躇なく切嗣は行動に移った。

 

「――何故、気付いた?」

 

 運転席のドアに刻まれたのは無数の銃痕。髑髏の白面を付けた黒い肌の女が車体の屋根に昇り、一部の隙なく胸部に銃口を向け続けている切嗣へと視線を向ける。

 

「敵の問いに答える義務があると思うのかい?」

 

 虚勢は見透かされて当然だ。次の言葉を発するより早く、長く前に突きだした車体のフロント部分へと銃口を向け直し、ありったけの弾丸を叩きこんだ。夜のしじまを引き裂く轟音と共に、黒煙を帯びた紅い風が場に吹き荒れる。

 

「流石に容赦がないな。衛宮切嗣」

 

 詰襟の僧衣の男が燃え盛る炎を背に、ゆったりとした歩調で相対する距離を縮めて来た。

 

「言峰綺礼」

 

 雌伏を続けていたこの男が今になって何故この場に現れたのか。その疑問に答える様に綺礼は言葉を紡ぐ。

 

「……アサシンの存在が全ての陣営に露見した今、もう隠れ潜む理由がないというものだ」

「アイリ、決して離れるなよ」

 

 闇夜に浮かび上がる白面の数が、瞬く間に増えていき、二人の周りを決して逃さぬとばかりに取り囲んでいく。その数は五十を下らない。復調したアイリも自らの脚で立ち、切嗣と背を合わせる様にして臨戦の構えを取った。

 そして黙したままの綺礼は依然として徒手空拳。だがマスターたる証が宿る右拳を顔の高さまで掲げ、その力を行使する素振りを見せた。

 

「全ての令呪を以て、我がサーヴァントに命ずる」

 

 しかし本人以外の誰が次に続く言葉を想定できたであろうか。

 

「一人残らず速やかに自害せよ。アサシン」

 

 全ての予想を裏切る形で、綺礼は破滅の呪詛を紡いだ。言葉にならない驚きの声を上げたのは切嗣とアイリのみ。圧倒的に有利なこの状況で自害を命じられるなど、アサシンたちは夢にも思わなかったであろう。だが事実、戸惑いの声を上げる間すら与えられないままに全てのアサシン達は闇夜に霧散して行った。もう口を開くことができないアサシンたちに代わって問いかけるのは切嗣。

 

「何を考えている?」

 

 それは当然の疑問である。動揺する彼らを尻目に、綺礼はあくまでも事務的な口調で語った。

 

「アサシンが存在している限り、父上や時臣師が窮地に追い込まれる可能性が高い。だがマスターたる令呪とアサシンを全て消滅させれば証拠は消える。至って単純な論理だ」

 

 その言葉は一見正しくもあるが、それにはこのタイミングで使い潰す理由が含まれていない。綺礼個人の思惑が何なのか切嗣は測りかねていた。対峙する綺礼は心の機敏というものを微塵も感じさせないからだ。

 だがそんな男の口元が一瞬吊り上がる。それは背中を合わせていたアイリスフィールの膝が崩れ落ちた瞬間と同じタイミングであった。

 

「やはり、そうか」

 

 不調を隠せないでいる妻に対して声をかけるよりも早く、対峙する綺礼が「それが答えだ」と言わんばかりに言葉を発した。

 

「父と師の脚をひっぱる前に、冬木を後にするつもりだったが出てきた甲斐があったようだな」

 

 もう戦いは避けられない。確信を抱いた切嗣は、焦げ付くアスファルトの煙を肺に取り入れる。そしてすぐに彼は場の魔力の変化を感じた。

 

「ご丁寧に防音結界までご用意か」

「監督者の息子なのでな」

 

 開き直った様子で答える綺礼に舌打ちで返す。

 

「もうこれ以上交わすべき言葉はない。そんな顔だな」

 

 相手の目的はハッキリしている。交渉の余地もない。そう判断した切嗣は会話という機能を切り捨てていた。

 そして手の中に収まる冷たい銃把の感覚を身体中に行き渡らせ、自らを完全なる兵器へと存在を昇華させる。ただ敵に銃口を向け、人差し指を引き絞るという動作のためだけに、筋繊維の収縮、血管の脈動、呼吸の深度、その一つ一つまでも精密にコントロールする。そう、彼は五感(いのち)の全てを、この刹那の邂逅のために解き放つのだ。 

 

「衛宮切嗣、お前なら答えを見い出せると思ったが、私の思い違いの様だ。我が師の悲願のため、力づくでも器は頂くぞ」

 

 これ以上二人が発する言葉はない。眼前の言峰も胸元のロザリオを掲げ、十字を切った。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。