機械戦争戦記・レンの歌声が聞こえる   作:咲尾春華

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第1章・第6話

    

    

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 総帥府の5階のロビーで備えつけの新聞や雑誌などを所在なげに眺めていたダスカイユ・ノ=テリオ氏は、係官に伴われて下りて来たレンの姿を見留め、息をのんで固まった。

 彼女の身に何か、――只事(ただごと)ではない事態が起きていた。 ……衝撃的に生気を失った所作(しょさ)がそう告げていた。 こんな痛ましい彼女の姿を、かつて見たことがなかった。

 

 しまった!

 

 と思ったが、後の祭りだった。

 

 ――いったい……どうしたんだ。 何があった? レンさん……。》

 ……この、たった30分ばかりの間に――。

 彼は目を白黒させて仰天する。

 当人はエレベーターを降りて何か礼を言い、一人で広間に向かって来た。

 テリオは体の震えを悟られまいと懸命に足腰に力を込めて立ち上がり、レンの目を真っ直ぐに見つめた。 彼の姿を見つけたレンは窮屈(きゅうくつ)そうに笑顔を浮かべ 「こくり」 とうなずきながら歩み寄って来た。

 「――――」

 テリオには、とっさに言葉が出てこない。

 彼女に掛けるべき、思いやりのこもった、こんな場面では大切な――。

 その……。

 

 「待たせたわね。 行きましょう」

 

 もごもごと口籠(くちごも)っているうち、彼女の方から優しい言葉を掛けてきた。

 どんな時でも誰に対してでも常に気遣いを(おこた)ることがない。 そういうところは悲しいくらいに 「いつものレン」 だ。

 冷たい空気がそっと背筋をなでて過ぎた。

 ――レンさんに気を遣われてしまうのは、いつ以来だろう……。》

 彼は呆然(ぼうぜん)と唇を空転させて、引きずられるように足を運び始めた。

 「――――」

 どういうことだ?

 何か――。

 最近、そんなとんでもないことを言われるようなことがあっただろうか。

 無駄な努力と知りつつも必死に記憶を手繰(たぐ)り寄せる。

 レンの艶やかで美しいヒールの音だけがこつこつ(・・・・)とフロアに響いて(こだま)した。

 テリオ氏はこの瞬間にきっと一生分の後悔をしたのだと思う。

 何が起こったのかはまるで分からない。

 だが――。

 はっきりしていることが一つだけあった。

 

 甘かったのだ。 彼女を連れて行くべきではなかった。 どんなことをしてでもレンさんを(かば)うべきだったのだ。 自分の勘をもっと信じるべきだった。

 

 俺はあの時 “これはマズいぞ” と反射的に思ったじゃないか……。 危険の信号(シグナル)はちゃんと警告してくれていたのだ。

 なのに――。

 思い返すほど自責の念が噴き上げてくる。

 その方法は、いくらでもあった。

 「彼女が一人になる機会がない」

 「レンを極秘で連れ出すなんて不可能だ」

 ――etc.

 理由は何とでもなる。

 自分は彼女の代理人なのだから 「私が代わりにお聞きしておきましょう」 と言い張ることだって出来ただろう。

 それを…………。

 「俺は決して “善人” ではないが “無能” でもない」

 彼はそう、今の今まで自負してきた。

 それが単なる自惚(うぬぼ)れに過ぎなかったことを、嫌というほど思い知らされた。

 この、今の今になって――。

 

 ――クソッ、大莫迦(ばか)野郎! この “能無し” め!!》

 

 俺は……いったい何をやっているんだ――。

 

 取り返しのつかない失態と、言葉にならない謝罪の念と、ぶつけようのないこの腹立たしさを――。 ()()ぜになった情念が頭の中で激しく交差する。

 全ては手遅れだった。

 

 総帥府5階の左奥の駐車場スペースから、レンとテリオを乗せたエアカーが静かにすべり出す。 閉塞(へいそく)した空間の白いコンクリートの柱を()うように抜けて、車はフリーウェイの明るみに出た。 明るいと言っても(すで)に日は落ちかけていて街路灯や高層ビルの光彩が満遍(まんべん)なく辺りを照らし始め、どこにも影のできない不思議な空間をつくり出している。

 ここは北の最果ての地――ザナルカンド――だ。

 時計は午後3時半を大きく回り、大方45分を指そうとしていた。

 

 「海、見に行こうか……」

 

 それがレンの第一声だった。

 テリオ氏は黙って北西海岸に接続する道に車を走らせた。

 次の予定は北C地区だったから、どのみちそちらの方角に向かうつもりではいたのだ。

 

 レンさん……。

 

 振り向いて顔色を(うかが)う勇気がなかった。 彼女の顔を見るのが辛かった。 だがこんな時にこそ、自分が……自分の言葉が支えにならなければ――。

 そんな当たり前のことが、当たり前すぎるほど分かっているのに。

 どうすることも出来ないでいる。

 ただ、理由にならない葛藤(かっとう)がレーンに規制された空間に合わせて左へ右へと揺れ動いているだけだった。

 車間も(まば)らな片道三車線の高速道(フリーウェイ)を、エアカーは軽やかに駆け抜けて行く。 しかし車内の空気はそんな外見からは想像もつかないほどに重たかった。

 助手席のレンは車側を流れてゆく景色に目を遣ったまま口を利かない。

 テリオ氏もその隣で真っ直ぐに前を見ながら運転している。

 「フィーン」 という、いつもなら気にもならないようなエアカーの作動音が、今日はやけに耳につく。

 一頻(ひとしき)りの空白の後――。

 沈滞を破って口を開いたのはレンだった。

 「ごめんね、テリオ。 心配かけてるのは分かってるんだけど……上手く説明ができない」

 …………。

 「いえ。 とにかく海に出て、風に当たりましょう。 もうすぐ夕凪(ゆうなぎ)が来ます」

 車は渋滞に巻き込まれることもなく快調に走り続けた。 やがて市街を抜け、二車線になり、街路灯の間隔も次第に疎らになってゆく。 前後の車間は言うに及ばず、対向車のライトさえたま(・・)にしか見かけなくなる。

 テリオは再び左脇の時計に目をやった。

 長針と短針の合計はもうじき4時10分になることを告げていた。

 夕焼けが鮮やかに空の西半分を染めて、そろそろ残照と呼んでも良いほどの闇が天頂付近まで押し寄せている。 海流と濃厚な幻光虫層のおかげで年中温暖なザナルカンドも、さすがに高緯度の国であることは誤魔化(ごまか)せない。 眠らない街 “召喚獣の国” ザナルカンドの、これが日常だ。

 

 海が見えて来た――そして彼らの他は、人っ子一人居なくなった。

 車の中にレンとテリオの二人だけが居た。

 

 左側の助手席に座っていたレンが、その美しい光線に照らし出された海原を見るともなしに見ている。

 「綺麗ですね」

 とテリオが言ったので

 「うん。 きれいだね」

 とレンは応えた。

 車の速度をぐんと落とし、彼女を降ろせそうな場所を物色しながら手際良く車体を寄せていく。

 

 「あのね……」

 

 唐突に、またレンがぽつりと話した。

 まるで映画の 「一シーン」 みたいに――。

 彼女は向き直ってテリオを見つめ、その愛らしい透き通った眼差しをキッと揺らすと、突然何かを思い出したように微笑み、また正面を向いて座り直して、フロントガラス越しに左右の照明(ライト)に照らされて消えてゆく闇の先を見すえた。

 「わたし、ザナルカンドから転出するように要請されたの」

 「要請……ですか」

 「うん。 命令、ではないと思うわ。 ほら、最初からそうでしょ。 “出頭要請” ――わたしに総帥府に来てほしいって」

 「はい、そうです……」

 やはり、そのことか。

 テリオ氏は思った。

 しかしそれだけのことであれば何もここまで動揺する必要はない。 他に何か言われたに違いないのだ。 レンさんの、この取り乱しようは尋常(じんじょう)ではない。

 問題はそっちの方である。

 ――あ(いつ)ら、いったい彼女に何を言ったんだ!?》

 テリオは怒りを押し殺して奥歯を噛んだ。

 「で、いつからですか。 返事はいつまでにすればいいんです」

 「もう返事はしたの。 “行く” って言ったから……それは、はっきりしてる。 はっきりしてないのは、わたしの “外” のことじゃなくて “内” のことなの。 だからそれをはっきりさせたくて……とにかく一人になろうと思って、確実に一人になれる場所は――」

 彼女はそこまで言うと、その先の想いをのみ込んだ。

 ――ああ、なるほどね。》

 良い按排(あんばい)に下りられそうな海岸線を見つけてテリオは納得した。

 ――だが、こんな時に限って。》

 タイミングが悪すぎる……。

 彼は先程スフィア放送局のロビーで確認したばかりの事案をふと思い出し、申し訳なさそうにそれを伝えた。

 「レンさん。 一つ断っておかなければならないんですが……実はしばらくの間シューインさんとは連絡――」

 「だめっ! あの人には言わないで!!」

 レンが()頓狂(とんきょう)な声を上げたので、テリオ氏は思わずエアカーのブレーキを反射的に踏み込んだ。

 車が “がくん” と縦に揺れ、二人はそろって前につんのめり、そこで停止した。

 テリオがレンを覗き込む。

 はっ――と口を手で押さえたまま、彼女の顔の輪郭が震えていた。

 「お願いだから――シューインには言わないで。 絶対内緒にしたいの。 言っても解決するようなことじゃないわ……ますます(ひど)くなるだけよ。 テリオ、本当にお願いね。 今はシューインには会いたくないの。 会えないよ。 こんな顔、絶対見せられない。 見られたくない。 …………あの人には当分、連絡も約束もしないで。 ――お願い」

 「はぁ…………」

 テリオはそう言った切り、次の言葉を継げなかった。

 「今は何も言えないの……機密事項だし。 転出の時期はまだ言われてないわ。 テリオにはそのうち、きちんと本当のことを話すから――だから、ごめんね」

 レンはちらりと窓の外を見た。

 「ちょっと歩いてくるね。 小一時間(こいちじかん)ほどで戻って来るから待ってて」

 そう言うと、高級(たか)そうな柄のバッグをそっと脇に押し退()けて――。

 彼女はシートベルトを外しノブをぽんと持ち上げてドアを開き、外に出た。

 もわぁっとした甘ったるい風が吹きつけてきた。 レンは薄手のコートの襟を立てて歩き始めた。

 辺りは星影とザナルカンド市街から流れてくる灯火にほんのりと照らされて黒いごつごつとした岩肌の輪郭をくっきりと浮かび上がらせている。

 首筋と、手首、足首などから引っ切りなしに湿気が忍び込んできて、まるでそこだけ金属の(かせ)でもはめられているかのように冷える。

 レンは黙って歩いた。

 彼女は召喚士だから一人になるのは決して “孤独になる” ことではない。

 「一人になる」 というのは、つまり 「祈り子さまと二人っ切りで話がしたい」 ということに他ならなかった。

 だがこの日のレンの祈り子さまは、何があったのか黙って気配を消したまま慰めの言葉一つ掛けようとしなかった。 せっかくレンがその機会をつくって、一刻も早く相談したいと思っているのに肝腎(かんじん)の彼女が現れない。

 話すことは山ほどあった。

 居ないはずはないのだ。 分からないはずもないのに――。

 ――わたしのこと、怒ってるんだろうか……。》

 

 どうしてだろう?

 

 レンはちょっと心配になった。

 それならそうと一言言ってくれれば、いくらでも説明するのに……。

 「行く」 と返事したこと――そのこと自体については後悔してはいなかった。

 

 北西海岸は、ザナルカンド東海岸とは違って風波の荒い場所である。 普段は人も寄りつかない狭くて殺風景な海岸線が続き、北から回り込んで来た海流が行き場を失って渦を巻く海だ。

 それでも夕凪が近づいているせいか、一日のうちでも最も穏やかな時間帯を迎えようとしていた。

 寄せては返す(さざなみ)の白い文様(もんよう)が、美しい彼女の澄んだ瞳をなぞっている。

 空を仰ぎ見れば星もちらほらと輝き始めているが、きっと見えてはいない。

 レンの大好きな海風は、心の中に立ち込めている(もや)をちっとも払い退けてはくれなかった。

 仕方なく彼女は歩き続けた。

 ずいぶんな距離を歩いたと思う。

 考えをまとめるには十分な距離のはずだった。

 けれどもいくら歩いても祈り子さまは 「うん」 とも 「すん」 とも言ってはこなかった。

 レンは次第に腹が立ってきた。

 無性に心が濁れてきた。

 ()りに()ってこの大事な時にわたしを “無視” するなんて。

 ――ちょっと! ねぇ、どういうつもり?》

 真っ先に声を掛けてくれたって罰は当たらないでしょうに。

 てっきりそうなるものと疑いさえしなかった。

 まさか――。

 彼女は(いら)ついた。

 一度考え始めると、どんどん怒りが膨らんでくる。

 何故だろう。 自分でも大人げないことをしてるなぁ――と自覚はしていても心が言うことを聞いてくれなかった。

 何としても彼女の方から優しく声を掛けてきてほしかったのだ。

 この気持ちだけはどうしても譲ることができなかった。

 ――ほんの一言でいいのよ。 一言だけ。 ねぇ、お願い! お願いだから……今日だけはわたしのワガママを聞いて!!》

 心の叫びが、さんざめく潮騒(しおさい)(まぎ)れて消えてゆく……。

 わたしはね。 今、こんな思いをしているのよ。

 それなのに――という気持ちが胸の内からこみ上げてきた。

 この日のわたしは、やっぱりどうかしてたんだと思う。

 それでもレンは意固地になって、なお数十歩の距離を歩いた。 黙ったまま。 甘い香りを乗せた爽やかな風が、髪の毛や頬にしつこくまとわりついてくる。

 だが――。

 結局、先に口を開いたのはレンの方だった。

 いつまでもこんなドロドロとした感情の中に居続けることができないのだ。 レンはそういう人だ。

 少なくとも彼女の祈り子さまはそのことを知っていた。

 「ごめんね、アー。 わたし、一人で決めちゃった」

 「うん。 そうだね」

 すぐそばで声がした。

 ――なによ、やっぱり居たんじゃない!》

 “アー” と呼ばれた祈り子さまは存外あっさりと答えた。

 レンが最も心配したように、彼女のした返事そのものに不満があって無視を決め込んだわけではなさそうだった。

 ただし言いたいことは大いにあるといった口ぶりだ――。

 と思いを巡らす間もなく彼女は早速啖呵(たんか)を切り始めた。

 「あ(いつ)ら、あたしとレンを(たた)き売って、そのお金で余生をすごすつもりだよ」

 「うん。 そうだね」

 レンが元気なく答える。

 「そんなのって……。 うまくいくかな」

 「上手く行かなかったら大変なことになるよ。 ザナルカンドは、どんなことをしても守らなくちゃいけないからね。

 それは――頭では分かっているんだけど、何だろう。 言葉が出て来ないの。 いっぱい単語を思いつくんだけど、どれも言いたくない。

 選ぶ言葉が一つもね。

 どうしてこんな()な言葉ばかり浮かんで来るんだろうって、情けなくなる。 それが分かるから、……全ての選択肢が(ノド)のところで止まってる。

 今、話しているのは思いついた中でも一番まし(・・)な言葉……だから全然、答になってないね」

 「そんなことないって。 それって全然、普通だと思うよ。 誰だってそうだよ。 だからさぁ、ことさら自分を責めたり自己嫌悪になる必要はないんじゃない?

 あたし、そばで見てていつも思うんだけど……。

 レンって考え方の順序とか、発想とか、理解の仕方とか、選択の基準とか、そういうのが突拍子(とっぴょうし)もなく人と違ってたり、個性的だったりするのよね。

 それが “才能” とか “想像力” とか “独創性” とか、そういう形でよばれているうちはいいよ。 だけど代償があまりにも大きすぎる。 “キケン” だよ。

 その切りかえがうまく出来るようになってしまうと―― “コザカしさ” とか “ズルさ” とか、そういうのがレンの本質を壊してしまいそうで、……あたし今まで何にも言えなかったんだけど」

 「…………」

 レンは視線を落として押し黙った。

 毎度まいど手厳しいところを突いてくるこの祈り子さまが腹立たしくもあり嬉しくもあった。 『ザナルカンドのレン』 に向かってここまで正面切って物を言ってくれるのは、世界中を探しても彼女一人だった。

 やはりわたしにとっては、かけがえのない人なのだと思う。 その分喧嘩(ケンカ)にもなるけれど、気がつけばわたしにはとことんまで口論できる相手もいない。

 レンはそんなことを考えながら、二人並んで波打ち際を歩き始めた。

 

 風は止み、空は澄み、いつしか夕凪の闇が辺りを包み込もうとしている――お互いの想いはすれ違い、寄せては返す波の狭間(はざま)で、ある時は引っ張り、またある時は逆に一方を強く求めて、そんな揺らぎを延々と繰り返しながら連綿(れんめん)と連なってゆく岩場の中に溶け込んで行った。

 彼女たちの会話は、例えて言うなら二人の間の溝を埋めようとしているのか、それとも橋を架けるために溝を掘り起こそうとしているのか、分からないようなところがあった。 そうして対立は鮮明化し、問題はより一層浮き彫りになり、(せめ)ぎ合いながら、やがては核心へと(いざな)われて行くのだろう。 その苦悩の過程を経た後に、ようやく――。

 一方で、この日の出来事はこれで全てが終わりというわけにはいかなかった。 レンとアーの二人の目の前で、“これでもか” とばかりに事件の起こる一日。 いや、2500万ザナルカンド市民にとっては事件はこれから起こるのだ。

 歴史の語り部たちが(つむ)ぎ出す衝撃の物語、迫真の描写は、判で押したようにいつでもここから始められてゆく。

 この時、彼女たちは偶然にもその災禍の只中(ただなか)に向かって、魅入(みい)られたように真っすぐに歩いていた――。

 

 

 

  〔第1章・第6話 =了=〕

 

 

   【初出】 小説を読もう!  2009年12月22日

 


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