機械戦争戦記・レンの歌声が聞こえる   作:咲尾春華

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 ■欄外夜話 『ザナルカンドの情景』 スケッチ 1

     

    

 「ケーキ」 って、《景気》 に繋がるんだよ――。

 

 横長のショーケースに陳列された色取り取りのショートケーキを眺めながら、彼女(・・)はふと、そんなことを考えていた。

 

 ――売れないなぁ……。》

 

 可愛らしいフリルの縁取りのある白い半袖シャツにピンクのエプロン・ワンピを着た女の子が庇の外に目を遣る。

 往来をエアカーや人並みが、ひっきりなしに流れてゆく……。

 

 

 ――けっこー “自信作” なんだけどなー。 ホント、美味しいんだよ、これ。》

 

 …………。

 ここはザナルカンド南C地区、『ダグルス通り』 の外れにある商店街の一角。

 時刻は、ちょうど午後3時を回ったところだ。

 雨が降っている――。

 道行く人たちは皆、傘を差している。

 

 「今日もダメだねぇー、レンちゃん」

 彼女とお揃いの制服を着たノッポの子が声を掛けてきた。

 呼ばれた女の子が “同感!” っといった顔付きで相槌を打つ。

 「そーだねー。 こんな雨じゃー、ますます売れなくなっちゃうよーぉ」

 

 ――そう。 わたし、《レン》 って云います。

 あ、こっちは本名ですよ! “あっち” のレンさんがどうだったかは知らないけど。

 取り敢えず売れっ子度では……残念ながら正反対かもね。

 わたしたちの作ったケーキ、さっきから全然出て行かない。

 先週末に 「1年経ったけど、昇給はご免な」 って店長に言われたばっかなのに……。

 

 「景気がこうも悪くなっちゃうとねぇー」

 

 彼女は思い付くままに答えた。

 

 「ちょーっとぉ!! そーんな “おじさん” みたいなこと言わないで~。 あたし、そーゆームズカしいことは分かんないんだけどさぁー、……結局、誰のせいなんだろね。 ――あ、べヴェルのせい?」

 

 レンが少し笑った。

 

 「かもねぇ。 わたし、ここでバイト始めてキッカリ1年になるんだけど、来月からの時給、上がらないんだってー」

 「そら店長のせいだわ~」

 

 特段、周囲の耳目を憚るでもなく、相棒の女の子がケタケタと笑いながら言い放った。

 その当の店長の濁声が、直ぐ奥の厨房脇の勝手口から洩れて来る。

 

 「えーっ!? そら冗談でしょう!!」

 

 ――ホーント、冗談だわよ。》

 

 「だって、こんな薄っぺらい間取りじゃあ、次の店子だって直ぐには見つかりませんゼ。 ウチだって “ぎりぎり” でやってんだしさぁ……。 戦争が終わるまで、ここが 『空き店舗』 になっても仕様がないでしょう」

 

 ――そっか! 戦争が悪いのか。》

 

 二人は顔を見合わせて苦笑した。

 

 「悪いけど、絶対に呑めないよ。 現状維持か、どっか他の場所を探すかの二択だ。 いいのかい? 往来の客もそろそろウチの味に飽きてきた頃だし、そういうことなら、むしろちょうど良い機会かもな」

 

 店長は頻りと 《空き店舗》 の殺し文句を “材料” に、店賃交渉をして来る不動産屋に反撃を試みていた。

 が、相手もプロだ。

 その程度のことであっさりと丸め込まれるような手合いではない。

 先方の営業マン氏は昨今の不動産事情や新たに引越しに掛かる諸費用・リスク等を勘案して、店長の言い分が如何に現実的でないかを指摘した。

 彼は早速、“頑固親父” の翻意に掛かった。

 持参した黒革の鞄から青色のファイルを取り出して、ここの店賃が他の同条件の場所と比べてどれくらい安く設定されているか、たとえ賃上げ改定後の店賃であっても依然 《格安感》 は損なわれていないこと等、立て板に水のごとくに説明してゆく。

 説得力の伝では不動産屋の渉外担当の方に数段の分があることを認めざるを得なかった。

 店長の脂ぎったテカリを放つ額に、見る見ると深い皺が刻まれてゆく。

 

 ――このまま押し切られちゃうのかなー、店長。》

 ――こりゃァ、お給料、とーぶん上がりそうにないね。》

 

 彼女たちは興味津々といった体で聞き耳を立てている。

 表通りを忙しなく行き交う人になど一向に注意は向かない。

 どうせこんな雨じゃ、わざわざ傘を折り畳んで庇の中に入って来てくれるお客さんだって居ないだろうし……。

 

 「この先行きの見えない戦時経済のインフレ下にありまして、当社と致しましても自信を持って 《良心価格》 と胸を張れるような店賃設定をさせて戴いております。 これだけはご承知おき下さい」

 

 渉外担当はそう明言すると本当に胸を張る仕種をした。

 ――いや、ここからは見えないけど……、如何にもそんな感じの物言いだった。

 

 「そんなこと言ったってヨぉ……。 くそっ、世の中、一体どうなってやがんだ。 ウチの店だってこの10年、値上げは一切やらずに来てるってのに――」

 

 ――そ~だョ!! ケーキの値段、上げればいいじゃん。》

 ――そーんなことしたら、ますます売れなくなっちゃうよー!》

 ――ははは……、そっか。》

 

 レンは溜め息を吐いて再び表通りに目を移した。

 

 相変わらず雨が降っている――。

 

 南C地区の中心部の外れにあるごく普通の商店街。

 高架道を支える大きなコンクリートの支柱があるせいで、このお店は間口は結構あるのに奥行きの全く取れない場所に建っていた。

 お陰で店賃が両隣と比べても格段に安いのだ。

 横長のショーケースに商品をズラリと並べて見せる必要のあるケーキ屋にとっては絶好のポジションと云えた。

 

 ……でもね。

 

 ――――。

 せっかく高架橋の真下なのに、上の高速道路までは20ディスツくらいの距離があるから全然、意味がないの!

 雨が巻き込むようにして、ばしばし落ちて来る。

 ビニール製の庇を一杯に開いて防いでいるんだけど、それでもこうしてボーッと突っ立っていると、かなり肌寒い。

 レンはシャツの裾から覗く腕を両手で軽く包み込み、上下に擦った。

 

 驟雨――。

 

 街ゆく人たちは皆、傘を差している。

 歩道の石畳の上に激しく雨が叩き付け、辺り一面、2センディス(センチ・ディスツ)程も垂直に立っていた。

 貧弱な簡易庇の雨樋ではたちまち水量を処理し切れなくなり、溝の縁から溢れ出た水滴がポタポタと滴り始めた。

 とうとう本降りだ。

 

 「しゅうう、……かぁ」

 

 彼女は、所在なげに空を見上げた。

 

 その時である――。

 

 「しゅうぅイーーーーーンっ!!!!」

 

 突如、通りの向こう側から “妙な色” の付いた叫び声が上がった。

 それを合図に

 

 「キャー!」

 「わぁー!!」

 「嘘ーーーォ!?」

 

 と、若い女の子の悲鳴が一斉に連鎖する。

 空間が一点に凝縮し、皺寄って靡いてゆく。

 

 「えっ!?」

 

 レンは思わず目を見開いて、声のした方、庇の左端の街路に身を乗り出していた――。

 

 

 

   ――〔つづく〕――

 

 

    【初出】 小説を読もう!  2009年12月12日

 


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