機械戦争戦記・レンの歌声が聞こえる   作:咲尾春華

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第1章・第5話

    

    

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 レンが総帥府から呼び出しを受け出頭するように申し渡されたのは、戦争も2年目に突入した4月の初め、よく晴れた穏やかな日だったと記憶している。

 彼女のその日の予定は、まず 「キャロン・セレーナ首都防衛総軍総司令官の元帥昇進祝賀昼食会」 で午前11時半から午後1時まで拘束され、1時半から国営スフィア放送局内での 「新元帥とレン特命大佐の独占対談」 が45分間、その後はしばらく空いて夕方の5時半から、今度は北C地区で 「戦災孤児たちと戦没遺族を支援する夕食会」、7時半から同地区商工会主催のミニ・コンサート、それが引けた後で関係者との懇親会――という内容だった。

 直前のキャンセルで午後に3時間もの “空き” ができていた以外は、特段いつもと変わりのない一日だった。

 レンにとってこの日は生涯忘れることのできない一日となる。

 その、すべての発端となる出来事は 「独占対談」 の最中に舞い込んできた。

 彼女の最も信頼を寄せる 《レン・エージェンシー》 のゼネラル・マネジャー、ダスカイユ・ノ=テリオ氏が総帥府から連絡を受けたのは午後2時を回った頃、ちょうど新元帥の士官学校時代の苦労話などに一頻(ひとしき)り花を咲かせた後

 「さて、それでは元帥閣下、これからの抱負についてお伺いしたいのですが……」

 と、レンがまとめに入ったところだった。

 テリオ氏の携帯している通信スフィアの特殊回線に呼び出しが掛かった。

 ここに掛けてくるのはかなり限られた人からだ。

 その人たちの顔を彼は一つひとつ思い浮かべて

 ――また、ロクでもない厄介事(やっかいごと)のお願いか?》

 と軽く舌打ちして通信に出た。

 それがまさか 『レンの体を “(ハチ)の巣” にして異界送りにする』 お誘いだったとは、さすがのテリオ氏にも思いようがない――。

 「はい、エージェンシーです」

 と事務的に応えて画面を見、びっくりする。

 予想は見事に外れた。 思いも寄らない人物がそこには現れていた。

 「こちらは総帥府セクレタリーです。 ィエボン総帥から緊急を要するご相談があります。 つきましてはレン特命大佐には大至急、総帥府にお越し頂きたい」

 スフィアの中の係官はテリオの顔を確認すると自らの身分証を提示しながら用件を伝えた。

 どうやら総帥の秘書官のようだ。

 「今、生放送をご覧かと思いますが――止めに入りますか」

 テリオはスフィアの画面から視線を外して “ちらり” と上方に流した。

 放送局のロビーに向かって左側、壁面に設置された大型ビジョンの大画面と通信スフィアの受像機の双方から、微妙にズレたレンの声が響いていた。

 当然、向こうの秘書官にも同じように聞こえているはずである。

 「いや、それでは困るのです。 できるだけ絶対、秘密裡にお願いしたい」

 スフィアの中の秘書官は意味不明な要求を突きつけてきた。

 ――出来るだけ絶対に?》

 テリオの口元が(かす)かに揺れた。

 しかし相手は、問答無用に用件のみを話してくる。 こちら側の都合など一切がお構いなしといった感じだ。

 ――訓練の行き届いた事務的な話法は便利でいい。

 そう言いたくなるような話しっぷりは実はテリオ氏も負けてはいないのだが、まあ反面教師にはなるな――と皮肉の一つも出るほどの手際良さだ。

 「インタビューは間もなく終わるはずだが、大佐のその後の予定はどうなっておられるでしょう」

 「いえ。 このあとは5時半から “(キタ)” で夕食会がありますが、……そこまでは空いています」

 「おお、それは良かった。 用件は緊急を要するものですが、それほどの時間は取りません。 フリーウェイから総帥府5階の専用駐車場に直接入り、そのまま向かって一番左奥までお進み下さい。 そこでお待ちしておりますので」

 「――――はい」

 テリオがそう返事した途端、取って付けたような挨拶(あいさつ)を返してスフィアが切れた。

 まるで取りつく島を与えてくれない。 言いようのない不満だけが残される。

 ――ハメられたか?》

 テリオは苦虫を噛み潰したような顔をして心の中で毒づいた。

 先方はレンの予定など、ハナから “お見通し” だったのだ。それでこのタイミングを見計らって正確に掛けてきた――。

 マズいことになったな――と彼は直感した。

 防衛総軍総司令部でも統合幕僚本部でもなく総帥府から呼び出しが掛かる。しかも “絶対秘密裡に” という条件つきだ。

 ただ今、レンさんは彼女の身分を預かる首都防衛総軍の総司令官と対談中なのだ。 急いで呼びたいのなら、そちらへ掛ければ良い。 彼女の居場所ははっきりしている。

 にもかかわらず軍ではなく自分のところにわざわざ連絡が来るのは、相応の理由があってのことだろう。

 そんな用件が “面倒” でないはずがない。

 半民半軍のレンをそういう政争の具にされるのはご免蒙(めんこうむ)りたい、というのが正直な気持ちだった。

 言うまでもなく、彼女には余人には真似のできない価値がある。

 しかも正式にはどこの軍に所属しているわけでもないので、こういうことがしばしば起こり、そのたびにレンに余計な気を遣わせてしまうのだ。 困ったことにレンの名声を利用したいと考える(やから)は、ザナルカンドにはごまん(・・・)といた。

 「またか」 と思ったが相手は総帥府だ。 無下(むげ)に断るわけにもいかない。

 テリオ氏は思案した。

 “絶対極秘” という言葉が 「首都防衛総軍」 を指しているのは明らかだ。

 その前に付けられた “できるだけ” という単語が、つまり 「今回の件に関して、できることなら総帥府(こちら)側に配慮してほしい (防衛総軍の肩は持たないでほしい)」 という意味であることに気がつき、彼はようやく合点がいった。

 ――それで 「出来るだけ、絶対秘密裡に」 ってわけか。》

 やれやれだ。 …… “軍隊” だの “政治” だのってのはこの危急存亡の(とき)に味方同士で何をやってるんだか。

 確かにレンさんはザナルカンド在住の一市民で、成り行き上 「防衛総軍預かり」 とはなっているが、民間の職務を中断することなど絶対にできない身分だった。

 したがって正式な軍籍はなく、どこの軍属でもない。

 「半民半軍」 と言うと何だかとても半端(ハンパ)なイメージに聞こえてしまうが、こと 「レン」 に限っては、実態は全く逆だった。

 『金的(きんてき)8を含むスコア26』 ――ザナルカンドの空をたった一人で守り通したミラクル・エースである。

 民間人としては、例えば音楽家や福祉活動家としての活躍について、今さら何かを言う必要もあるまい。

 実はそれだけでなく戦時都市整備計画一つを取ってもレンの了解がないと高射砲陣地の敷設さえ満足に行えない――という事情があった。

 さらに彼女には 「外交特使」 としての顔もある。

 各国との交渉が(こじ)れるたびに彼女が出向いて、堅実な手腕と絶大なカリスマでまとめ上げ、《歌姫外交》 と呼ばれた。 譲りどころの見切りと優先順位の判断が大変に正確な人だった。

 相手はレンさえ出て来てくれれば、安心して本音を打ち明けた。 それくらいの信用を彼女は全世界で獲得していた。

 特に正召喚士となって以降の彼女には一種の “凄み” さえ感じられるようになり

 「レンの背中には後光が射している」

 「いや、あれは召喚士としてのオーラじゃないか」

 等々、外交筋の関係者が等しくささやいていたものだ。

 要するにレンには 「軍人として、ただ戦闘だけをしていれば良い」 という立場はとうてい許されるものではなかったのだ。

 ザナルカンドという街はそれほどに彼女の力を必要とした。

 しかしだからこそ、こうしていろんなところから 「お声」 も掛かる。

 ――それで今回は何の用件だ?》

 この時点では、まだ彼はそのくらいに考えていた。

 それが結果的には後々の世界を揺るがすような大事件に発展してゆくのだが、今のこの段階でそんなことに 「思い至れ」 と言われても無茶である。だから、彼がピント外れな勘繰りをしたとしても、一概に責めるわけにはいかない。

 この時のテリオは彼なりに、しごく常識的な発想を巡らせていた。

 ――きっと呼び出しを掛けたのが総帥府であるというところがミソなのだ。 防衛総軍を “故意に” スキップして総帥府が直接出頭要請を掛けても、形の上では何の問題もない。 政府がザナルカンド在住の一市民を呼び出すのに、わざわざ軍に断りを入れる理由がないからだ。 これが統合幕僚本部が呼びつけたのなら、さすがに防衛総軍との間で “ひと騒動” も起こったろうが、実質的にはそうであっても 「軍中央は関係がない」 とシラを切ることもできる。

 そうすると話の内容は、ほぼ 《レンの引き抜き》 に関するものと考えて間違いなさそうだった。 彼女のか細い腕を両側から(つか)んで 「えいえい」 と引っ張り合いをする前に、周到(しゅうとう)篭絡(ろうらく)しておこう――という(はら)ではないのか。》

 そういう推理だ。 当たらずといえども遠からず、悪くはないものだろう。

 テリオ氏は腕時計に目をやった。 2時5分を過ぎたところだった。 彼はふと 「連絡を受けているのは自分だけだろうか」 と思い立ち、念のため大隊幹部をスフィアで呼び出してみた。

 ――すると……。

 「はい。 特一砲・工作部です」

 はきはきとした張りのある声がすぐに応えた。 ベラーチ・ノン大尉だった。

 “特一砲” というのは 『第101独立特殊高射砲大隊』 の略称で、対外的には圧倒的に 《レン大隊》 の名で通っているが、彼ら自身はこのように呼んでいる。 要するに “召喚士レン” 一人のための部隊である。

 どうやら外で作業をしている様子ではないようだ。

 「どうも。 レン・エージェンシーのテリオですが……ご覧になってます?」

 「やあ、テリオさん、お久しぶりです。 そりゃあもちろん。 何たって、ウチのボスが出てますからね」

 ノン大尉が人懐っこい顔を見せて笑った。

 ―― “うちのボス” って、どっちのことだ?》

 テリオもつられて笑いそうになった。 彼らは全員、防衛総軍から派遣されて来ている人たちだ。

 その疑問には大尉自身がすぐに答えてくれた。

 「いやぁ~。 しっかし、ウチのボスはスフィアに映ると一段と映えますねぇ。 マジでグッと来ますよ。 セレーナ元帥閣下……ですか。 あの爺さんがここまで立派に見えるのも、我らがボスの引き立てあってのことですからね」

 テリオは不自然さを悟られぬよう注意しながら、素早く探りを入れた。

 「そのインタビューを見ていて気になったのですが……これから新型高射砲が配備されて新体制に移行するのなら、ひょっとしてレンさんの部隊の再編成もあるかと思いましてね。 異動とか、何かそういった話がそちらで出てますか? もしお聞きできることがありましたら、ぜひ知っておきたいと思いまして……」

 大尉はびっくりして即座に否定した。

 「えっ! ない、ない。 それは絶対にないですよ。 どうぞご心配なく。 いくら新型といっても、しょせんウチらの比ではありませんよ。 何たってこっちは(すで)に8隻落としてますからね。 話のレベルが違います。 新型のために特一砲がどうにかなるのでは本末が転倒してますよ。 だいいち、市民が大佐(ボス)の召喚獣と新型と、どっちを信用しますか。 それに、あの程度の砲であれば設置に苦労することもないでしょうし……」

 「そうですか。 それを聞いて安心しました。 ときに……ノン大尉は原隊復帰のお話とかはないのですか? もう随分(ずいぶん)になるでしょう」

 するととたんに、苦笑に滲んだ声が通信機から弾け飛んだ。

 「そんなの、しょっちゅうですよ。 それこそもう毎日、誰かに帰って来いとか、俺が代わってやろうとか言われてます。 有り難くお断りしてますけどね。

 軍隊ってところは “勝ち馬に乗る” のが鉄則でしてね、手柄を立てなければ何も起こらない、死んでしまえばそれでお終まい、っていう。 私の同期で尉官に昇進しているのは3名ですが、他の二人はやっと准尉(みならい)になったばかりですよ。 だから私たちはもう(みん)な、F.C.(ファン・クラブ)の会員以上に “レン様命!”」

 そう言って彼は笑った。

 「出世したけりゃレン様と一緒、死にたくなけりゃレン様と一緒。 どこまでも――ね。 今のザナルカンドで確実に勝っているのは、ユウナレスカ様の旅団とウチのボスだけですから」

 「で、ユウナレスカ様の配属になるには召喚能力が必要と――」

 「ご明察。 全くもってレン様は我々凡人にとっては希望の星ってわけなんで。 あっ、終わったようですな」

 スフィア放送を見ながらノン大尉がつぶやいた。 テリオもうなずいて、お別れの挨拶を述べた。

 「今夜も遅くなるのでしょう。 宿舎にお戻りになりますか。 それとも事務所の方へ?」

 「北C地区が最後です。 たぶん日付が変わるくらいの時間になると思いますが、本人はまだ何も」

 「では今晩はぜひ宿舎(こちら)にお越しください。 “(ミナミ)” まで帰るのは大変でしょう。 入浴と就寝の準備をさせておきます。 お食事はよろしいですか?」

 「それはお構いなく。 有り難うございます。 では、こちらの予定が決まり次第、あらためてご連絡を差し上げますので――またその時に」

 「ええ、お待ちしております。 ボスによろしく。 あっ、それからあの爺さんにあんまり()びておると、あとで大変な荷を背負わされちゃいますよ、とノンが心配しておりましたとお伝えください。 それでは――」

 「失礼します」

 そう言ってスフィアは切れた。

 テリオはしばし黙考した。

 ――やはり大隊の方には何の連絡も行ってはないようだ。》

 とすると “防衛総軍の連中には内密で” という部分の裁量は、下手に彼女に(ただ)したりせず、黙って連れて行くのが得策だろう。

 その責任は自分で引っ被ればいいことだ。

 番組は終わったが、まだ彼女が出て来るには時間がある。

 ダスカイユ・ノ=テリオ氏はその間に、事務所の人間にスフィアでいくつかの指示を与え、最後に 「自分もレンも、たぶん今日はそちらには帰らないから」 と伝えた。

 さらにプロ・ブリッツボール 「ザナルカンド・シティ」 の予定をチェックし、合宿の帯同メンバーの中に 《シューイン》 の名前があることを確認する。

 これで少なくとも来週の木曜までは、仮にレンさんの都合がついたとしても彼を引き会わすのは不可能だ。 東海岸沖の島嶼(とうしょ)部に出掛けられてしまっては、さすがのテリオにもどうしようもない。 逆にそのことを気にしないで済むのは彼にとっては有り難い面もあった。

 何と言っても 「シューイン氏との密会」 を手引きするのは、最も神経を使う仕事である。

 次に彼はポケットから手帳を取り出し、午前中のうちに事務所に舞い込んだ仕事の依頼を順に入力していった。

 ――全部で17件。

 あっという間に予定欄が重複(ちょうふく)していく。 そのうち、遅くとも今日、明日中には返事をしなければならない5件について調整を始めた。

 最終的にレンの意思を確認する必要はあるが、彼女はテリオの立てた予定に注文を付けることはめったにないので最悪、事後承諾でも何とかなる。 とりあえず総帥府の件を聞いてからの方が良いだろう。 事と次第によっては長期間ザナルカンドを空けるような事態だって起こり得る――。

 そうこうしているうちに、レンが数人のスタッフに伴われて現れた。 時計の針はいつの間にか2時40分を回っていた。

 (こと)の外時間が掛かったのは、番組終了後もあの好々爺(こうこうや)に捕まっていたのか、それともこの後、時間が空くことを知っているレンがゆっくりしていたか――と思っていたが、彼女の取り巻きの中の一人に、ガチガチに緊張して “感激(しき)り” といった表情の青年がいるのを見て得心がいった。

 局の新米スタッフをいちいち紹介されていたのだ。

 レンはスーパースターとしてのオーラを常に放ち続ける一方で周囲に対して大変に気を遣う人であり、それは彼女の人柄を端的に表わしてもいるのだが、同時に一個人として我を通すのが苦手で、流されるところでは案外あっさりと流されてしまう――という一側面があった。 断るのは特に下手な方だ。

 これが一方で、『誰からも愛されず、誰からも愛された』 と揶揄(やゆ)されるレンの八方美人的な評価につながってもいた。

 決して――意志の弱い人ではなくて、譲らないところはテコでも譲らない人なんだけどね。 本当に不思議な女性なのだ。

 テリオ氏自身はそれをある意味 「全体としてレンの個性」 と捉えていたが。

 透き通るような彼女特有の感情表現は、きっとそこから産み出されているに違いなかった。

 そういう姿を見知っているだけに――国営局の一新人スタッフにまで懸命に気を遣って応対している彼女を目の当たりにすると、テリオはそのことを感慨深く思うのである。

 

 「ねえ、さっきのインタビューどうだった? 上手く行ったかな」

 車に乗り込むなり座席の脇に 「ぽん」 とバッグを置いてレンが聞いてきた。 中で通信スフィアや化粧ケースが 「カサリ」 と揺れた。

 「将軍閣下はたいそう満足しているように見えましたよ。 ザナルカンド防衛の総司令官ですから一般市民の関心も高かったでしょうし、レンさんで良かった――と思ってもらえたんじゃないですかね」

 「そう、良かったわ。 将軍じきじきのご指名ですものね。 ご期待に添えなかったら、わたしとしても辛いとこよ。 あの方は軍隊一筋の人だから組織とか家庭とか上下関係がカチッとしてるところだと全然そんなことないのに、ああいうのはからっきしなの。 “防衛専科” の典型的な軍人気質の元帥閣下ね」

 「ユウナレスカ様のようにはいかない?」

 「もう、ぜーん然。 あのド派手な飛竜ですっ飛んでって、このぉ、この~ぉ、こ~の~ぉ……ってポカポカやるのは、あの人にしかできないキャラだから」

 「じゃあ、ザナルカンド軍も適材適所で上手くやってる」

 「かもね。 わたしをふくめてそうかも。 要塞型だし、地味ぃーだし……」

 「(はね)、生えてるじゃないですか」

 「あ、テリオ偉い! 2番目に言ってくれたのは、やっぱりテリオだったね。 いつか “あなたの召喚獣のチャームポイントはどこですか” って誰かが聞いてくれるの待ってるんだけど、世の中、ホント世知辛(せちがら)いの」

 「じゃあ3番目はノン大尉あたりですかねぇ……。 ちなみに彼の評は、うちのボスはインタビューさせても “ピカイチ” だって言ってましたよ。 ただし、あんまり元帥閣下を持ち上げて、勘違いさせないようにって――」

 「うん。 ――――ねぇ、テリオ。 事務所に帰るんじゃないの?」

 唐突に、窓の外を見ていたレンがぽつりとつぶやいた。

 来たか! と思いながらダスカイユ・ノ=テリオ氏は事務的な口調に戻って事情を説明し始めた。

 「今日、新たに18件の依頼が入ってきました。 そのうち17件は事務所の方へ、あとの1件は先ほど、私の専用回線に直接――。

 相手は 《総帥府》 です。

 今から向かいますので、至急、ィエボン総帥と会談をなさってください」

 「えーっ! ちょっ……待ってよ。 ねえ、そんな大きなお仕事、急になの?」

 「“仕事” ではないと思います。 いや、聞いてみないと分かりませんが……」

 テリオがそろりそろりと実情を切り出す。

 レンが途端に複雑な表情をつくり始めた。

 エアカーの中に、打って変わって戸惑いの空気が充満してゆく。

 「どうして……誰も教えてくれなかったんだろう」

 と、怪訝(けげん)そうな声を出す。

 ――やれやれだ。》

 テリオはきつい口調にならぬよう注意しながら言葉をつなげた。

 「とにかく向こうの秘書官が言ってきたのは “大至急” と “絶対秘密裡に” の二点です。 念のためノンさんをスフィアで呼んでみましたが、彼は何の連絡も受けていない様子でした。 どうも防衛総軍には関係のないことのようですね」

 「そう。 そういう(・・・・)こと(・・)なのね。 他に何か言ってた?」

 「いえ、何も。 とにかく緊急に伝えたい用件があるので大至急出頭するように、とだけ」

 「そっかぁ。 どんなことかなぁ……。 わたし、“しかられる” ようなことしてないよね」

 「どうします? 引き返しますか」

 「引き返せるかな」

 レンが “ぴょん” と身を乗り出して聞いた。

 言い出しっぺのテリオが苦笑する。

 「普通は無理でしょう。 ただしそれをやっても法律で罰せられるということはありません。 単なるお願いですから。 ――そのことで、不当な圧力を受けることもないでしょうね。 そういう意味ではレンさんは無敵です。

 それが分かっているから、先方(むこう)も “大至急” だの “秘密裡” だのと御大層な言葉を並べているのですよ。 会って話す必要は総帥府(あっち)の方に100%あって、レンさん(こっち)の方には0.1%もない……どうせ、そんな内容です。 どうします? すっぽかしますか」

 「…………」

 さすがにレンも気乗りはしない。

 「あぁ~~あ、せーっかくゆっくりできると思ってたのになー」

 ことさらに(ふく)れっ(つら)をつくってから背凭(せもた)れに上体を預ける。 見事なまでに嫌味に聞こえないのは彼女の人柄のなせる業だろうか。 思わず笑ってくれる観衆は、ここには居ない。

 その様子を見てテリオが付け加えた。

 「ああ、そうだ。 先方の秘書官はね、厳密には “出来るだけ絶対秘密裡に” と言ってましたよ。 だから “出来るだけ” でいい。 どうしても嫌だと思ったら、向こうだってちゃんと分かってる。 レンさんがそこまで気を揉む必要はない。 ただし、行くと決めたら “絶対極秘” でないと後がややこしくなる――そういうことですよ。

 ……じゃあ、やっぱり事務所に戻りますかね」

 そう言って――。 テリオ氏はステアリングを 「ぐいっ」 と握り締め、本当に対向車線に目を走らせ始めた。

 すると、それまでは調子良く相槌(あいづち)を打っていたレンが、伸び上がってそれを制した。

 「待って。 冗談よ! いくら何でもできないよ、そんなこと――」

 えっ!? という顔をしてテリオを覗き込む。

 それで――。

 彼女のマネジャー氏はちょっとだけ不服そうな表情を浮かべて、黙ったまま真っ直ぐに車を走らせ続けた。

 

 ……いいんですか。

 ……だって、しようがないでしょ。 他に――。

 

 沈黙の数秒間――。

 助手席に腰を沈めた売れっ子の歌手が、打って変わって物憂(ものう)さそうな顔つきに固まる。

 溜め息が微かに()れたのを、真横にいたテリオは聞き取っただろうか。

 

 …………。

 わたしは―― 『ザナルカンドのレン』、だから……。

 

 どんな表情をしても “さま” になるのが美人の美人たる所以(ゆえん)だ。

 だから結局こういうことになる。

 

 「仕方がないわ。 行きましょう」

 

 損してばかりいるレンの真骨頂がこの時も出た――。

 

 後のスピラの千年の歴史を決することとなる重要な決断が、このようにして決裁されたのだと知ったら、人は何を思うだろう。

 そのことについて学校の教科書は何も伝えない。

 ただ――。

 この時二人の交わした一見他愛のない会話こそが、他のどんな国際会議より重大な決定を下したのだ。

 スピラの未来が 「たった一つの方向」 に定まってしまった、その一瞬間。

 誰もそれと気がつかないまま。

 誰一人、それを望んでいたわけでもなかったのに――。

 

 そうして運命のレールの上を “悲劇” が走り始めた。

 

 

 

   〔第1章・第5話 =了=〕

 

 

    【初出】 小説を読もう!  2009年12月1日

 

 


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