機械戦争戦記・レンの歌声が聞こえる   作:咲尾春華

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「馬鹿と天才が紙一重に見える“馬鹿”が多すぎるのだよ……この街にはな」――広報室から帰るなり総指揮官は小さく毒づいた。今回の責任を取って幕を引くのに最適な“下っ端の将軍閣下”が、黙って宙空を睨み据えている。……ボスがこうでは職場の空気も重い。「だがな、レン軍曹。君はよくやってくれた。見事だよ。本当に見事だ。今回の一件で戦雲は確実に遠退いたろう。これは君と私の二人の命で掴み取った、紛れもない“勝利”なのだ」部屋の隅では文字通り下っ端の情報部員が、歯噛みしながらそれを見ている。「早まるな。我慢だ、親っさん。まだ軍曹の遺体が揚がってきた訳じゃねぇ」「人間って、他人に惚れるものじゃないわね」そう呟いたミー少尉の声は、どこか寂しそうだった……。 (『鋼の錬金術師』から、アームストロング少佐の台詞を1箇所引用)



第2章・第7話

 

◎アバン・タイトルを書く練習をしています。煩わしくなりますが、ショート・バージョンの決定稿を『あらすじ・前書』の欄に、大元になったフルサイズの原型を本文冒頭に入れます。

 

 

 「馬鹿と天才が、紙一重にしか見えない“馬鹿”が多すぎるのだよ、この街にはな。……揃いも揃って、馬鹿者どもめが!」

 ――政庁舎内にある統合幕僚本部のプレス・センター、言うところの広報室から帰ってきて席に着くなり、総指揮官の少将は小さく毒づいた。

 今回の失態の全責任を取って幕を引くのに最適な“下っ端の将軍閣下”が、黙って宙空を(にら)み据えている。

 ……ボスがこうでは職場の空気も重い。

 「だがな、レン軍曹。君はよくやってくれた。見事だよ。この千年間、誰一人として起こせなかった召喚獣を一発で叩き起こしたんだ。本当に見事だ。私自身、こんな誇らしい気持ちになったことは、かつてない。

 ――今回の一件ではベヴェルもさぞや肝が冷えたろうて。戦雲は確実に遠退(とおの)いた。

 いいかい、軍曹。これは君と私のたった二人の命で掴み取った、紛れもない“勝利”なのだ」

 部屋の片隅では文字通り下っ端の情報部員たちが、歯噛みしながらそれを見ている。

 「早まるな。我慢だ、親っさん。まだ軍曹の土左衛門(どざえもん)が揚がってきたワケじゃねぇんだ」

 …………。

 「人間って、他人(ひと)()れるものじゃないわね」

 そう呟いたビクニ・ミー少尉の声は、どこか寂しそうだった。

   (『鋼の錬金術師』から、アレックス・ルイ・アームストロング少佐の台詞を1箇所引用)

 

 

     7

 

 ――雨が降っている。

 雨が蕭々(しょうしょう)と降っている。

 雨……、か。

 統合幕僚本部ビルが隣接する中央街道沿いの歩道を歩きながらミーノック情報局長官は傘の(ひさし)を上げて空を仰ぎ見「ふうっ」と溜め息を()いた。

 ――今日の天気予報は確か一日“晴れ”マークが付いていたはずだが……。》

 雨が降っていた。

 ――だから、雨が降っているのだ。

 時刻はちょうど午後2時を回ったばかり。

 いかに極北の国ザナルカンドと言えど、この時間帯ならさすがに真昼の情景そのものといった喧騒(けんそう)と活力に満ちていた。

 しかし道行く両隣のビル群の窓灯りはみな、この折からの雨に(けぶ)って(にじ)み、上層階は一様に天空へと消えていた。

 雨の上がった今宵(こよい)には、さぞや美しい流星群の輝きが見られるだろう。

 雨だけの影響(せい)ではない。

 昨日、あれほどの規模の召喚空間が北東クレーター海礁域に突如として現出し、辺り一帯の幻光虫を根こそぎ食い尽くしたのだ。

 ――()だ。……(いま)だに信じられない思いの(しずく)が後から後から()()なく落ちてくる。

 その茫然(ぼうぜん)の水滴の落ち(きた)る先に統合幕僚本部ビルの窓の灯りが、やはり雨滴に煙り、上層階に向かって淡く消えてゆく(さま)が見えてきた。

 ――あの……。》

 これから私が用があるのが、ちょうどそのビルの雨滴に霞んで消えている辺りの部屋だった。

 そのビルを正面に見据え、ただ真っ直ぐに歩を進めて、もうこれ以上は目的の画面が大きくならない景色の前まで来て、つっと立つ。

 彼は左手首に巻いた時計でもう一度、時刻を確かめてから玄関前の石段を3段ほど上り、構わずに開いたドアの先へと進んでいった。

 ビルの中は表通りの雑踏(ざっとう)や降雨など無関係と言わんばかりに、乾き切った空調のよく効いた空間だった。

 通路脇に設置された傘乾燥機の差し込み口に自分の手に持っている傘を突っ込み、ブゥーンと音を立てて乾かしてから引き抜き、また先のホールへと歩いてゆく。

 高くて長い階層を一本のエレベーターで一気に上って、開いたドアの先の通路を2回、右へ左へと曲がり、そこにある受付で身分照会を済ませてからその更に先の扉の前で立ち止まる。

 ――『最終作戦会議室』。

 この観音開(かんのんびら)きのドアは故意に自動ドアにはなっていない。

 つまり、たまたまドアの前に立ったので勝手に扉が開いてしまった――ということはない。

 この部屋に入ろうとする者は皆“入室の意思”をはっきりと示してドアノブを手に取って回し、手元に引き開けねばならない。

 たとえィエボン総帥やゼイオン本部長といえど例外ではないということだ。

 そういう責任のある部屋だった。

 手に持った傘を扉脇の傘立てに()して……。

 ミーノック情報局長官は(えり)元を正し、帽子をキュッと左右に揺すってから軽く被り直して扉をノックし――そのままドアノブをゆっくりと回した。

 扉を引き開けると部屋の正面中央最奥の席に既にそのィエボン総帥閣下とゼイオン元帥閣下の両者が着席している姿がいきなり見えた。

 思わず“はっ”として顔面が硬直する。

 何も自分が遅参したわけではない。現時刻は通達を受けた時日の15分前なのを入り口の玄関前で確認している。

 素早く右手でビシッと敬礼し朗々とした声を発す。

 「失礼致します。 ミーノック情報局長、ただ今参上致しました。此度(このたび)は総帥閣下、元帥閣下をはじめ皆様方一同のご出席を賜り大変恐縮に存じます。宜しくお願い申し上げます」

 ――――。

 それから室内を見回す。

 ……当然、未だ半分以上が空席だった。

 居合わせた数名の将官が応礼を返してくれた。

 そして――。

 「うん、宜しくな。まあ、とにかく掛けたまえ」

 と長閣下が穏やかな声で促す。

 「はっ。失礼致します」

 そう応えてミーノックは歩を進め自分の席に着いた。

 彼が着席して腰を落ち着かせるとすぐに、いや――腰を落ち着かせる暇もなく、かな。

 各方面軍の将軍たちが続々とドアを開いて現れた。

 入ってくるのはいずれも大将、中将、少将といった最上階級の将官ばかりで准将以下の階級者など、それこそ全体を見渡してもザナルカンド直勤務側の准将と大佐の数名が、単に議場の運営、進行補佐のために出席しているだけ――といった按排(あんばい)だった。

 今回の会議で、いかに証言が必要な作戦現場に展開した当該・当事者であるとはいえヘキサノ少佐のごときを伴ってなどおらず本当に良かった、とミーノック少将は改めて胸を()で下ろした。

 ――――。

 さほどの時間を経ずして出席予定者が全員、顔を揃えた。

 それを確認するとゼイオン本部長がチラリと右隣に視線を走らせ、ィエボン総帥の「おう、時間がない。始めろ」という合図をもらってから(おもむ)ろに会議場全体を見渡して声を発した。

 「それでは全員揃ったようなので、そろそろ始めたいと思うが。――突然のザナルカンド中の大混乱で大変に忙しかったと思うが皆、よく来てくれた。今回、諸君に集まってもらったのは他でもない。昨日、北東海海上で行われたアレクサンダーの召喚試験の結果を受けて今後のザナルカンドの善後策(ぜんごさく)を検討してもらうためだ。――まあ“結果”といっても未だ全ての事実が確定しているわけではないのだが……そこのところを早速、今作戦の立案・総指揮責任者であるミーノック情報局長官にまずは説明してもらいたい」

 そこまで言ってゼイオン統合幕僚本部本部長がミーノック局長に目線を流し言葉を切った。

 部屋中が静まり返り部屋中の視線が一点に集まる。その目の色は様々な意味合いに染まっていた。

 いきなり針の(むしろ)である。

 いや、そんなのは最初から分かっていたことだ。これくらいの方がむしろ清々して有り難い――余計なことを考えなくて済む。

 促されてミーノック少将が立ち上がり説明を始めた。

 「はっ! 今作戦の指揮を執りました情報局付少将ミーノックであります。皆様方の今回のご足労、本当に申し訳ありません。感謝致します。では、これまでの概況を()(つま)んでご説明致します。――昨日正午、北東クレーター海礁域の海上に設置されたステージにおきまして従召レン軍曹による召喚獣アレクサンダーの獲得を目指した150年ぶりの召喚試験が敢行(かんこう)されました」

 「…………」

 「――――」

 「試験自体の経過についてご説明します。ステージ上で軍曹は召喚試験を開始後さほど時間を掛けずしてアレクサンダーと思われる祈り子素体との接触交感に成功致しました。その後ただちに“召喚の舞”に移行、直径約400ディスツ強程度の“召喚空間”を形成しましたが、その直後に空間自体が消滅。召喚獣の実体化は成りませんでした。原因は不明であります。この時点から起算して丸一昼夜が経過しましたが、レン軍曹の消息確認につながる情報は依然、皆無であります」

 ミーノック少将の発言の途中「ほぉ、400!」という嘆息めいた声が方々で上がったが、そのニュアンスは微妙なものだった。

 「これが現在の状況でありますが、これまでで何かご質問はございますか?」

 そう言ってミーノックは言葉を切り会場を見回した。

 テーブルが長方形に並べられて配置された席の並び順の中で、ちょうど総帥や元帥の鎮座する上座とは反対側の席に居を占めていたミクロン・ライカーツ大将が真っ先に挙手して発言を求めた。

 「それじゃあ僭越(せんえつ)ながら……まず私が一番に。宜しいかな?」

 精鋭・南西方面軍の中核=重戦集団の長、つまり軍全体の召喚獣軍団を(つかさど)るザナルカンドきっての重鎮(じゅうちん)である。

 確かあと半年足らずで退役となり、家督のポジションと自身の召喚獣を共に息子のミルック・ライカーツ准将に譲るという(うわさ)の人であった。

 「どうぞ、将軍」

 とミーノック少将が応える。 

 返事をもらって大将が口を開いた。

 「あー、先ほどの(けい)の説明、何とも突っ込みどころ満載のようにも思われるのじゃが……ふむ。それはひとまず()いといてだな。――まずは、そち(・・)が説明してなかったことについて発言しようか」

 「――――」

 「あー、いきなりで済まんな。じゃが重要なことなのじゃ、まぁ、聞いてくれや」

 「…………」

 「――レン君の召喚試験な、もちろんワシらもガガゼトは遥か南西壁面の果てからスフィアTVで見ておった。ずいぶん前から楽しみにしておったのじゃが、その、卿が説明しておった、ちょうど“レン軍曹が召喚の舞に入った辺り”からなんじゃが……スフィア波が突如、乱れてしもうて肝腎(かんじん)なところが全く映らなんだ。で、ウチの軍の者は皆が同じで大騒ぎじゃ。

 さて、でな。――事がそれだけで済んだのなら、我らが世紀のスーパースター・レンちゃんの一大イベントを見逃して無念残念、至極……な笑い話で収まったのかも知れんが……。

 事はそれだけでは済まなかったな。

 放送電波の受信途絶と同時に、それのみならず軍全体の非常連絡回線、緊急通信網までもが全て完全に作動不良(フォールト)を起こした。

 南西方面軍が一瞬にして消え失せるのと同義となった。

 これは捨て置けぬ一大問題じゃ。

 言うまでもなく我ら南西面軍はガガゼト南西壁面を守護する対レミアム国境線防衛の(かなめ)

 その軍全体が一時的にせよ機能不全に陥ったのは看過すべからざる喫緊(きっきん)の提示案件と言わざるを得んわい。

 幸いこの通信麻痺は一時的な現象に留まったので今回は事なきを得たが……と言っても詳細は現在調査中で、細かいところではまだ何かあるやも知れぬがな――。

 ま、我々は……、例えばこれがガガゼト方面軍ならまだ中央の幹線登山道一本を死守しておれば取り敢えず何とかなる、ような一側面があるのだとしても南西壁面には突破点の通行路だけで個別に6本もあるのじゃぞ。

 これら通行路の全てを同時に常時監視・把握し続けるのがどれだけ大変か少しは考えてもら――」

 「ご発言中に申し訳ありませぬ。お待ち下さいませんか、将軍閣下!」

 長テーブルの右隣、あらぬ方向から突然の(とが)った声が上がり一同が一瞬、氷り付いたような顔で振り向いた。

 ライカーツ大将が驚いて声を止めた。

 発言したのはガガゼト方面軍のSMC(スマック)パクマー総司令官その人だった。

 その顔を見て、その場に居合わせたほとんど全ての人が(むし)ろ納得した。

 通常の場合であれば軍の最高責任者が出席している会議で、わざわざ大将が挙手して発言許可を得てから発言してしている最中なのだ。それを中将が勝手に横槍を入れて発言を中挫(ちゅうざ)させるなど絶対に有り得ないことであった。

 が、事態が割れると意に反してその場の空気はさほど乱れることもなく『ああ、また早速いつものが始まったか』くらいの思いで皆が眺め始めた。

 今回については明らかにライカーツ大将の側に非のあることで、余りにも軽率な発言と言わざるを得なかったのだ。

 SMCパクマー中将の対応はある意味、当然と弁護される一面があった。

 「大変な非礼をお詫び致します。ですがその大将のご発言、余りの仰りようではありませんか。我々は確かに幹線道一本を守護する方面軍ではありますが、それは同時にガガゼト全山脈中で唯一と言ってもいい大幹線道であります。さらに道を下ってすぐにビーカネルへと向かうやはり唯一の迂回道が分かれますので、実質2本の大幹線があるのと同じ。

 この幹線道の交通量、行き来する物資の総トン数、人員数、船舶数を一々数え上げれば、南西壁面の6本の通行路のそれを全て合算したとしても最低に見積もって2(ケタ)、まあ普通の日なら余裕で3桁は違っていると思うのですが。

 3桁違うということは、つまり最低でも1000倍以上の交通量の差ということになります。これだけの交通量を毎日毎日、滞ることなく管理・運営するのがどれだけ大変で技量を要する作業であるかについても今一度ご高察を賜りたい次第でありますが――」

 繰り返しになるが現在はィエボン総帥閣下、ゼイオン元帥閣下の両名も出席している最高会議の真っ最中なのだ。その両閣下の目の前で、いきなり南西方面軍とガガゼト方面軍のまたぞろいつもの不毛で的外れな泥仕合(どろじあい)が始まったのでは『ナントカの喧嘩(けんか)は犬でも喰わねぇ』の(たと)え通り、誰もまともに取り合おうとはしなくなる。

 しかし、それを(かえ)って好都合とばかりに二人の将軍が各々の方面軍の面子(メンツ)を懸けていがみ合いを始めたわけだ。

 実際、ガガゼト方面軍全軍の総司令官が、南西方面軍内部のたかが一部隊を任されているに過ぎない重戦集団長にこうまで言われて、黙って見過ごしているわけにはいかない事情があった。

 いかに“御前”であろうと、いかに“大将閣下”であろうとも、だ。

 「ガガゼト(うち)の大将、大将でも中将だからなぁ……。南西(むこう)の重戦集団長さんは部隊長でも大将だから、会議でも頭が上がらなくてぺこぺこしてるんだとよ、ハハハ」

 ――お終いである。

 こうなってはガガゼト方面軍全軍が立ち行かない。

 こんな暴挙をよりによって両閣下の居る御前会議で認める訳には断じていかないのだ。

 何も南西方面軍が出世コース(エリート)の集団で、ガガゼト方面軍が落ち(こぼ)れの集まりというわけではない。

 決して南西方面軍の仕事が大変で責任が重く、ガガゼト方面軍のそれ(・・)が簡単でカルいというわけでもない。

 何となれば『辞表の一通や二通、いつでも叩きつけてやるさ』くらいの気概がなくてはガガゼト方面軍の総大将は勤まらぬ。

 これは伝統的なザナルカンド軍内の悪弊(あくへい)でもあった。

 一方でガガゼトの総大将から突然に(キバ)()かれて当の重戦集団長が泡を喰って驚いた。

 「あああ、っと。――済まぬ、済まぬ。調子に乗って喋っておってツイ、口が滑ってしもうたか。これは相済まぬな。私は何もガガゼト方面軍は楽チンで良いかも知れぬが、南西方面軍の仕事は大変なのだぞ、ということが言いたかったのでは決してない。ここでは南西方面軍とガガゼト方面軍とでは日常の業務で重要となる指針が違うことに、そもそもの問題が起因しているのだ――ということが言いたかったのじゃ」

 ――否定は、……しないんだ(笑)。

 ま、そこらあたりは茶目っ気大将の意地である。

 一方、SMCパクマー総司令官としても大将の発言中に、発言内容を巡って中将が突然に難詰(なんきつ)を入れて、そのことを大将が詫びたのだ。

 ここらが限界、潮時だった。

 彼も引き際を(わきま)えぬほどの馬鹿ではない。

 一連の悶着(もんちゃく)を黙って眺めていたゼイオン元帥が、ほとぼりが冷めるのを待ってから場を執り成した。

 何ということのない彼自身が見慣れている、どうってことのない、いつものお決まりの騒動だ。

 彼は彼で、そのへんちゃっかりしていた――ま、ナントカの喧嘩は犬も食わぬというなら、元帥閣下だって下手には食わぬさ。

 一方、降って湧いたような一連の騒動で助かったのは文句なくミーノック少将だった。

 袋叩きのタコ殴りな目に遭うことを最初から覚悟していたのだが、いきなり思わぬ喧嘩が持ち上がってくれたお陰で会議全体のピントがずれ、正直、何かもう今さらミーノック一人を吊るし上げても……な空気が場内に漂い始めていた。

 ――まさかライカーツ大将。最初から、これを狙ってワザとに!?》

 …………。

 いや、さすがに勘繰(かんぐ)り過ぎか――。

 「先ほどの大将のオヤジが提案した案件についてだが……確かに捨て置けぬ問題だ。この状況はザナルカンド市内でも同じで一般の生活圏にもかなりの範囲で混乱が起こったようだ。通信、交通関連の障害は特に影響が甚大(じんだい)だった。で――。そもそもこれは、あの召喚獣を召喚するときに必ず付帯する絶対要件と考えても良いものなのかな? ミーノック局長」

 そう――ゼイオン本部長に話を振られミーノック少将はパッと顔を上げた。

 「はっ! 詳細についてはこれからであり、ただ今、全力で調査中です。ですが今回の件ではいくつかの点で整合考察ができる箇所があります。――まず一番に重要な点について申し述べます。今回発生したスフィア波障害が召喚獣アレクサンダーの召喚に起因したものであることは疑いようのない事実でありますが、この障害はアレクサンダー本来が所持している根源的な特性でないことは明白です」

 「分かるのか?」

 正面の席からィエボン総帥が肩を揺らして聞いた。

 「あ、はい。ちょうど古史料に検証が可能な文言(もんごん)が出てきます。例の“魔女の騎士”サイファー・アルマシーが書いている『戦記』に出てくる一節です。当時ザナルカンドと事を構えていたレミアムがアレクサンダーの機動力のなさに目をつけ、この召喚獣とは徹底して戦わない戦術を採ってザナルカンドを苦戦させる(くだり)であります。故意に戦力の大半をレミアム平原に突出させ、西方よりザナルカンドに侵攻すると見せかけてアレクサンダーを(おび)き出すのですが、このときに戦力を分散させる必要上、彼らはスフィア通信を使っています。その際に故意に暗号電文ではなく通常の会話交信の中に符牒(ふちょう)を交ぜる手法を使って本隊と連絡を取り合っていますので、ザナルカンド側も気づくことができず、見事に()められてしまいました。――この記載内容からして当時のアレクサンダーにそのような“個性”が付帯していたとは考えられません」

 「――――」

 「なるほどな。……そうか。言われてみれば確かにその通りだ。サイファイーの『ザナルカンド戦記』は掛け値なしの第一級古文書だし確かにそんな一文もあったな。……とすると、あれは今回1回限りのアクシデントの可能性も、ないわけではない」

 「長閣下、そこまではまだ……」

 慌ててミーノックがゼイオンを制した。

 「あれがアレクサンダー本来の特徴でないことはほぼ確実でありますが、何ぶん対照に足る史料が少な過ぎます。特にアレクサンダーが倒されて北東海に爆沈した時の事情はザナルカンドか滅亡した時とほぼ同時でありますから――当然その前後一連の様子を記録している者が一人もおらず、そこだけすっぽりと抜け落ちて欠落している状態です。このときの一番肝腎な実情を伝える史料がありません。ために今回の障害の原因がアレクサンダーの側にあるのかレン軍曹の側にあるのかの区別もつきません。あるいは召喚中に両者間のマッチングで何かあった可能性も多分にあります。とにかく一刻も早くレン軍曹を救出して、召喚中に召喚空間の中で何があったのかを聞いてみないことには詳細な事情は分からないかと――」

 「そのレン軍曹がどうなったかが一番の問題なのだがな。レン軍曹が、だ!」

 ィエボン総帥が苛立(いらだ)ちを隠し切れないといった声で北東海の虚空に消えたスーパースター・アイドルの名を吐き出した。言われるまでもない。ザナルカンドにとっては現在まさにその事実こそが大問題なのだ。

 …………。

 「ただ今、必死になって“証拠”を捜しております」

 ミーノック情報局長官が静かな声で答えた。

 「その肝腎の証拠は、いつまで捜しても、どんなに捜しても、永久に出てこないのではないかな?」

 総帥閣下が眉間《みけん》に皺寄(しわよ)せて、さらに皮肉な声で詰め寄った。

 「あれだけの召喚空間ができて、あれだけ超高圧の幻光虫流の只中(ただなか)に確実に彼女は居たんだ。である以上その肉体は頭の先から足の先まで幻光虫の塊となって跡形もなく四散した、と考えざるを得まい」

 元帥閣下が負けずに静かな声で(さと)した。

 「はい。その可能性は当然です。ですから必死になってその痕跡(こんせき)を今、必死に捜しているのです。何物たりとも見逃さないように」

 ミーノックが、まるで“能無し”とでも言ったふうに同じ言葉を繰り返した。

 「跡形もなく消え失せてしまったのでは、そもそも何らの痕跡も出て来ようがないではないか!」

 痺れを切らして南西方面軍のビッコール大将――この人が正真正銘、南西方面軍全軍の総司令官である――が口を挟んだ。

 「そうでありましょうか。小官は決して必ずしもそのようには考えてはおりません。()しんば彼女の肉体全てが幻光虫流に押し潰されて圧壊し果てたのだとしても、では彼女の着ていた服はどうなったのでありましょう。彼女の居たステージは確かに粉々に砕け散りましたが決して消滅などはしておりません。ステージ上には多くの垂れ幕や(のぼり)も飾られていましたが、それら布切れは皆ビリビリに破けながらも無数の断片となって、海上・海中を漂い、捜索隊によってキチンと回収され続けております。――さて召喚当時レン軍曹が召喚空間の中で幻光虫流に飲まれて殉職(じゅんしょく)したと仮定します。もしも、そのようであるのなら、その死亡の証拠が何か必ず出てくるはずなのです。小官が現在、必死のなって捜させているのはレン軍曹がまだ生きている可能性の証拠などではありません。そのようなものは現実の彼女自身が出てくるのでもない限りは何もないでしょう。私が捜させているのはただ一点、本当に意味のある証拠、彼女が既に確実に死亡している証拠なのです。ですが、そこに(つな)がるような証拠品は、現時点ではいかなるものも含めて小さな断片の一品たりとも出てきてはおりません」

 「ではミーノック長官はレン軍曹がまだ生きていると信じているわけだな」

 ゼイオン本部長が変わらず静かに言葉を吐き出した。

 「彼女が生存している可能性はまだ(つい)えてないはずだ、と確信しております。何としても彼女を救出して、アレクサンダー召喚時の事情を詳しく聞かねばなりません。そのことにこそ(ひとえ)にザナルカンドの命運が懸かっております」

 ミーノック局長が毅然(きぜん)とした態度で懸命に食い下がった。

 「――――」

 「ふふふっ。まあ、確かにそうだな。その通りだ……おい、ゼイオン。当時の召喚獣の召喚技術、ああっと――当時は確かガーディアン・フォースと呼んでいたのだな。そいつを呼び出す方法で、何か引っ掛かる史料はなかったか?」

 総帥父(そうすいほ)が隣りを振り向いて娘婿に尋ねた。

 「はい。当時の召喚関係の事情に関してなら、やはりほぼサイファーの『戦記』に依るしかない状況ですが、なにぶん現在とは様相の異なる時代ですので……。彼の書き記している“ジャンクション”という召喚法についての正体不明の概念が、恐らくは突破口になるのではと思われます」

 「どのようなものなのだ、それは解読ができるのか」

 「現在の我々の時代と“完全に同一の召喚獣の、別の召喚法”について記しているのですから、当然それなりにヒントになるでしょう。サイファーの書いている文章を改めて精査してみると、前後の文章の文意からして“ジャンクション”システムというのは、まるで召喚獣の祈り子を(あらかじ)め何かの器に封じておいて、その器自体を装備・装着でもするかのような概念として記されているのが特徴です」

 「……(にわ)かには信じられんな。――そんなことが可能なのか」

 「現在、地下空洞内の兵器資材局で必死になって追跡調査・再現研究中です」

 「ふむ。あそこなら確かに好都合な場所かもな。空洞の使えなかった20年前だったら一苦労な研究だろう」

 「地下空洞内ならエネルギー、場所、空間とも殆ど無尽蔵に提供できます。そのような広大な施設全体を完璧に秘匿(ひとく)もできますし……。これを全部、地上でやるとなると、そもそもプロジェクト自体が認可されてないでしょう」

 「それで、その研究の成果はどんな具合なのだ」

 「はい。……まあ、その。次年度の予算が打ち切りにならない程度には、といったところです。今すぐに実用化して結果を出せという要求に応えるのは残念ながら難しいかと」

 「それなりに形は出ているのだな」

 ィエボン総帥が言質(げんち)を取るように念押しした。

 「祈り子を封じる器として最適なのがフィルダー家に古来より伝わる魔水晶だということまでは突き止めました。実際にこの器が最も安定して祈り子の力を維持できます。彼らがこれを使っているのは、ほぼ間違いがありません」

 「ではそいつを使って、その頃にザナルカンドがやっていたことをそっくり再現するのも――」

 「やり方さえ突き止めてしまえば後の行程は存外早いと思います。元来できると分かっている事象の再現調査ですから最終的な答から逆算できる強みがありますし――」

 「当然アレクサンダー召喚の際にも適用できると?」

 「それを実現する意味からも、やはりレン軍曹からは必ず事情を聞き出す必要がありますね。である以上そう簡単に、死んだ、死んだ、と認めて、早々に(あきら)めてしまうわけにも行きますまい」

 「…………」

 ――様々な感情や思惑の入り混じった空気が会議室の室内に漂い出した。

 さっきからグッと唇を噛み締めてミーノック少将が下を向いている。

 誰一人としてレン軍曹の死を認めたくない。

 誰一人としてレン軍曹の死の責任を取りたくない。

 誰一人としてレン軍曹の死の証拠を掴んでなどいない。

 誰一人としてレン軍曹の死が好都合な者はいない。

 誰一人として、そんなことを望んでいるわけではないのだ。

 ――かくて。

 「つまり今現在、レン軍曹の死亡に繋がる確証が何一つ揚がって来ない以上、状況に何らかの進展がない限り『レン軍曹の殉召』という判断は今後一切、軍部は行わない――という見解に立ち意思統一を行う、ということで宜しいのかな」

 ゼイオン元帥が会議室内全体を見渡しながら強く示唆(しさ)した。

 心の中ではどう思っていたにせよ出席していた将軍たちは皆一様に口を閉ざし、異議を唱える者はさすがに居なかった。

 「それじゃあ、この懸案はひとまずその線で行くとして、もう一方の問題だ。例の通信障害のことなんだがね……。南西方面軍はどうしてもその性質上、監視範囲が広くならざるを得ない。そこで一つ、諸君にお願いを兼ねて相談と言っては何なのだが……ウチの娘を何とか佐官にでも上げて極・小規模クラスで良いので飛行1個連隊でも新設してだな。それを一つ、親父さんところに預けて面倒を見てもらうわけにはいかんだろうか」

 ィエボン総帥が申し訳なさそうに言い出し(にく)いことを切り出した。

 「ええ。(わたくし)は一向に構いませぬが……。それは我が重戦集団に直属の1個連隊を補充、という認識で宜しいのでありますか。南西方面軍に、ということなのでしたら寧ろビッコール大将殿の管轄かと思いまするが――。さては大将殿、いかに?」

 そうライカーツは隣りのビッコールを振り向いて問うた。

 大将が指揮する軍団内の中核の一軍を別の大将が指揮している――これはこれで難しい、何とも妙竹林(みょうちくりん)な関係であるが、このシステム内の根源的な矛盾をビッコール、ライカーツの両将軍は人間力で上手に棲み分け、互いに信頼・協力関係を築いていた。言わばザナルカンド軍内の模範でもあった。

 「……確かに。監視、偵察、通信が主目的の飛行連隊ということなら、それが召喚獣部隊であるからといって無理むり貴卿(きけい)の重戦集団の中に居るより、私直轄の独立部隊としてあった方が遥かに使い勝手が良いですね。それに卿は近々、家督と召喚獣を息子さんにお譲りになって退役なさる予定の身。何かと手を掛け(にく)い事情もおありでしょう。ここは小官がお預かりして、他軍との戦力調整は来年度の編成でバランスの出入りをお願いする方向でいかがでしょうか、総帥閣下」

 ビッコール大将はィエボン総帥を見て答えた。

 「いや、そうしてもらえると助かる。願ったり(かな)ったりだ。では今後、南西方面軍の索敵、連携、通信網の強化という当面の懸案に対しては、その方向で解決する――ということで宜しいかな」

 ィエボン総帥は上機嫌な顔で室内を見回した。

 もちろん異論の出ようがなかった。

 「何ぶん娘は極端に経験不足だ。おまけに召喚獣の方も素体の実力が最上級なのは疑いようがないとしても、つい最近発見されたばかりの未登録上がりで実質レベルは《1》。実戦経験も丸でなく、現状ではカタログ性能ほどの力を出すのも難しいはず。山のこちら側で索敵、通信の任務をやってる分には、ちょうど良い機会でもあろうしな。何より卿なら任せて安心だ。宜しく鍛えてやってほしい」

 「はっ!」

 ビッコール将軍が即答した。

 「肝腎のレン軍曹の召喚試験については、彼女は召喚獣アレクサンダーとの交感には即座に成功し、その後通常の召喚過程を問題なく踏んでいたが直系約400ディスツの召喚空間を生成したところで何らかのトラブルを生じ、直後に召喚空間自体が消失。――この間、召喚獣は一度も実体化してはおらずレン軍曹も行方不明。今後、生存確率の境界線である2週間を目処(めど)にそれまでの間、全力で捜索、救助に挑む、ということで全員の意思統一を図りたい。その線で発表も行う。防衛総軍の諸氏にはご苦労だがこの2週間、引き続き特別総員態勢で救出作業に全神経を集中してもらいたい。その分、通常業務は緊急のもの以外、全クリアで結構とする。皆、その辺の分担協力は良いな?」

 ィエボン総帥の発言に誰も何とも口を出す者はいなかった。

 この一連の会議は直接にはレン軍曹の捜索を巡って開かれたものだったが、後世的に見るなら寧ろ後々に大活躍することになる『ユウナレスカ旅団』の原型が初めて誕生、発足(ほっそく)した会議として意味を持つことになったのである。

 

     ◇

 

 「…………。――ょう夫ですか~、大丈夫ですか~!」

 唐突に右肩をゆさゆさと揺さぶられ、またしても右手の付け根から指の先まで(しび)れるような痛みを感じて目を()ましたとき、シューインの目の前には一人の女性が居た。

 ―― ……??? 》

 彼はその右腕の痛みに加えて体全体にだるい疲労感を覚えながら上体を起こすと、不意に「バシャッ!」と音がしたのでびっくりと飛び退き、思わず石段に背腰を打ちつけてしまった。

 「アテテッ……」

 そのとき初めて自分の体の胸から下が水にどっぷりと浸かっているのに気がついた。

 視界の先に向かって同心円の水紋が大きく周囲に拡散してゆく――。

 「…………」

 どうやら階段の中ほどまで水没した神殿のような遺跡の中に流れ着いたらしい。

 その階段の水際に打ち揚げられて横たわっていたようだ。

 「あっ、ぅーん。ここは……?」

 ゆっくりと辺りを見回しながら声を絞り出す。

 落下したときに運悪く頭でもぶつけたか、まるで霞でも掛かったみたいに意識がぼんやりする。

 思考が何かに邪魔されて考えるのがもの凄く億劫(おっくう)だった。

 ――いや、これは……。まさか幻光虫のせいなのか!? …………。それにしても凄いな。ここは。》

 ()せ返るほどに立ち込める湿気のせいで頭がついグルグルと回りそうになる。

 目の前の女性は何ともないようだ。

 ――くそっ、何だ。俺だってザナルカンド人のくせに……。》

 シューインは上体を起こしたまま両手を後ろに突いて、しばらくじっとしていた。

 「ふうーっ」と息を一つ。

 まるでダウンを取られたボクサーが“カウント5”までその場にへたり込んでいるような(てい)である。

 情けないことこの上ない。

 しかし――。

 「大丈夫ですか、大丈夫ですかー! わぁーっ、良かったぁ~! もしもこのまま目覚めてくれなかったら、どうなることかともう心配で心配で。わたしの声、分かりますよね。お気分はいかが?」

 何だかこの状況で……エラくゴキゲンな人だな。

 この女性は明らかに場違いなテンションで大喜びしている様子だった。

 ――そのパワーは何なんだ。》

 しかし絵に描いたような美しい女性がそばに寄り添って背中をさすってくれると、現金なもので何だかずいぶんと楽になった気がした。

 頭も徐々にすっきりしてくる。

 彼女はパチリとした(つぶ)らな瞳をさらに大きく見開いて、本当に心配そうに(のぞ)き込んでいた。

 「うーん……。そうか、ありがとう。あなたが助けてくれたんだ」

 ――って、おいおい! それじゃ、あべこべじゃん。

 何だか少し不本意な気がしたが成り行き上そう応えると、そのままの姿勢で背中に力を入れて伸びをした。

 「アテテテテ……」

 右腕だけでなく脊椎や肩甲骨、骨盤、背筋、側筋、腰筋などいろんな箇所が(きし)み、あるいは痺れた。

 どうやら落下の際に相当あちこちとぶつけたようだ。

 幸い体の部位(パーツ)を順番にチェックしていくと、どこもそれなりには動かせた。

 言うほどに(ひど)い状態ではない。

 まあ、何とかなるだろう。

 「大丈夫? ねえ、どこが痛むの?」

 目の前の女性は彼の反応を()に受けたらしく、シューインの体を慌ててどこかしこと揺すり出した。

 ――うん。とりあえず一番に痛むのは、あなたがさっき揺すってくれた右腕だね。》

 なんて意地悪なことを言う人じゃないよ。

 シューインは好青年だ。

 と言うか、この女性は俺を見ても未だに自分のことを“かのプロ・ブリッツボールのスーパースター選手”シューイン氏だとは全く気づいてないようだった。

 ――ま、仕方ないかね。》

 いきなり、こんなところに放り込まれたんじゃ。

 それで偶然に人を一人見つけてさ。

 その最初に出会った人が、ブリッツ・リーグの昨年度の新人王選手でした~! なんてことを思うはずはない。

 だろう……フツーは。

 何と言うか、そこんところが、まだまだ――例えばユナイテッドのヤクトさんとかとは一緒じゃないんだよな。

 ――――。

 でもさぁ。

 だけどよォ~!

 せっかくここまで密着取材よろしく顔を寄せ合って二人っ切りで話してんだから、いい加減チビッ~ィとは気がついてくれても良いよな~とか。

 ――さすがに少しメゲるわ。》

 つまりいろんな意味でツッコミどころ満載の会話をしていたわけだ。

 このときは……。

 ま、俺だって殊更(ことさら)シティーのユニフォームを着てたわけでもなく、このときはホント誰でも持ってるような普通の単なるトレーニング・ウェア姿だったし。

 ただ着ているというなら彼女も彼女で、どこかの芸能プロダクションにでも居る人なのか、まるでステージの衣装でも(まと)っている――みたいな格好をしていた。

 つまりお互いにそれぞれの事情があったのであり、今がそれだけ緊急事態ということなのだ。

 「うん。ありがとう。大したことないよ。お陰で体の方は問題ないみたいだ」

 「そう、良かったぁ~! これでわたしたち、とにかく一人ぼっちじゃないんですね。何とか最悪の事態は脱したわけだわ」

 彼女はホッとしたような表情で本心を包み隠さず(おもて)(あらわ)した。

 ――それにしても無用心な……。何ともお目出度(めでた)い人だな。》

 彼は故意に体を傾けて女性の姿を上から下までしげしげと眺め見た。

 ――いったい、どんな女性だぁ~?》

 それがシューインの感じた第一印象だった。

 「……???」

 彼に急に顔を寄せられて、まじまじと()めるように見つめられ、さすがに女性は思わず身を引いた。

 が――すぐにハッとして微笑んだ。

 『商売用』の取って付けたような笑顔、とでも言うのかな。

 女の子なら誰でもやる、嫌われたらマズいと気づいて咄嗟(とっさ)に取り(つくろ)ってしまう顔だった。

 恥ずかしさというのは後から気づくほどに恥ずかしいもの。

 内心ではどうだったか。

 とにかく夢中になって自分のやっていたことに気づいて、やっと「はっ」となって我に返り、少し落ち着いてくれたようだ。

 何でも目を醒ますといきなり一人の女性が居て、その彼女が無防備にグイグイやって来るので何も分からず、先に面食らって引いてしまったのはシューインの方だったのだ。

 しかも自分が『ブリッツボールのスーパースター選手』だとも気づかずに、だぞ。

 それで、ついね。

 少し“ムッ”として大人気ないことをしてしまったが……。

 彼自身、少し申し訳ないことをした気がして照れ笑いを返した。

 まあ、彼女にも彼女なりの言い分はあったに違いない。

 そりゃあそうだろう。

 うら若い女性が何も持たずに着の身、着のままで突然こんなところに一人で放り込まれたらどれだけ心細いか……。

 意識を取り戻したとき目の前にシューインが倒れていたのは彼女にとっては何より重要なことだったのだ。

 今の彼女にとっては、その人がスーパー・スターかどうかなんて関係がないだろう。

 とにかく、自分の命が助かるか、助からないかの二択の場面だ。

 だから(すが)るような思いで一心に彼を揺り起こそうとしたのも無理からぬ行動だった。

 「で、ここは?」

 彼は取り敢えずそう聞いてみた。

 「ううん。全然分からないの。ここがどこなのか、どうしてこんなところにいるのか、何でこんなことになったのかも」

 「そうか。――じゃあ僕たちの他に人は」

 「この付近には、……居ないと思う。少なくともまだ他には誰も見つけてないわ。もっと全体を探してみないと何とも言えないけど、とてもそんな雰囲気じゃないの。どうしてあなたとわたしの二人だけがこんなところに居るのかも」

 つまりあのときの事情をさっぱり覚えてない訳か、この人は。

 彼はどう説明したものか考えあぐね改めて周囲の様子を(うかが)った。

 ここは――何と言えばいいだろう。

 本来なら光など一切差し込まないはずの暗黒の空間に、(おびただ)しい数の幻光虫が散舞して摩擦し光り輝くことで、新聞さえも、さほど苦労せずに読めるくらいの明るさが保たれていた。

 きっと果てしない長さの静寂の時間。

 ずっとずっと前から、ずっとずっと後まで、永遠に。

 誰に知られるでもなく誰のための明るさでもなく、ただひたすらに広大な空間で限りない無制限なエネルギーの浪費が行われていた……。

 そもそも意味のない場所に“意味”などないのだ。

 重苦しい湿った空気が(かす)かに揺れている。

 ――まるで死の空間。

 そんなイメージがぴったりの不思議な光景だった。

 自分たちが飲み込まれたときの事情を考え合わせれば――。

 当然ここには人っ子一人、居ないはずだ。

 至るところで幻光虫だけが緩やかに音もなく輝き続けている。

 本当、壮大で無意味な空間だな――と心底、思わざるを得ない。

 「そっか……。なるほどね。そのことについてなら僕の方が答えられるかも。もう少しだけ、あなたの不安を取り除いてあげられそうだ」

 シューインは笑いながら両足を引き寄せ、膝小僧を両手で抱え込んだ。

 また水面がバシャリと揺れて新たな波紋が視線の先の方へ丸く拡がる。

 「僕が気を失ってから目覚めるまでのほんの少しの間は君の方が知ってるけど、その前のことなら僕の方が記憶している。何故ここに居るのか、どうして僕と君の二人だけなのかについては説明ができるよ」

 そう言って彼は今までに見たこと、起こったことを掻い摘んで振り返った。

 「つまりここは北東クレーター海礁の海の真下で、きっとあの(うわさ)の“アンダー・ザナルカンド”って呼ばれてる地下空洞の一端だよ。だから頑張って二人で出口を探していけば必ず戻れると思う。寧ろあのまま、どんどんと海中を流され続けるよりはずっといい。ここの水面はなかなか浮き上がってこないので有名だからね。本当にラッキーだったと思うべきだよ。僕たちは海底の割れ目に吸い込まれて気を失ったけど離れ離れにもならなかったし、真っ逆さまに落ちたのに二人とも無事ケガもせずにこの地下空洞に辿(たど)り着いた。特に何をしたわけでもなかったのに、いきなり“ラッキー”のカードが二枚連続して手に入ったわけだ。この偶然を大切にして、まずはそこから始めよう」

 シューインは言葉を繋げて力強く言い放った。

 「うん! そうだね、ありがとう。それがいいな」

 女性の顔は見る見る生気を取り戻して輝き始めた。

 何が何だかさっぱり――という恐慌状態(パニック)は脱し、彼女本来の落ち着きを完全に取り戻したようだ。

 ここがいったいどこなのか、いま自分の立っている現在地の確認ができたのは大きい。

 それが理解できれば目的も対処法も明確になってくる。

 最初に想像していたほど、とんでもないことにはなっていなかったらしい。

 いや、いよいよとんでもないことになったと理解できた、の誤りかな。

 ――本当は、ね。

 ただこの人の話を聞いていると、何だかそんな気分にさせられてとても助かった。

 いや、まだ助かったわけでも何でもないけれど、一時は「もう駄目かもしれない」と本気で考えたくらいだから。

 ……その思いは綺麗に霧消した。

 さあ、とにかく正しい答は見つかって目的も定まった。

 あとは結果を信じて前進あるのみだ。

 二人は早速、最初の水没した階段から続く水辺を後にして、その先にある広間のような天井の高い空間に出ることにした。

 ザバッと水を跳ね除ける音を立てて起き上がり、膝上まで水の来ている階段を二人揃って一段一段上っていく。

 ――っと!》

 歩き始めると、いきなり隣を歩く女性が段上に付着した水苔(みずこけ)で滑って転びそうになった。

 「きゃあ!」

 「おっと!」

 倒れ込む彼女の手を素早く掴んでバランスを支える。

 ――――。

 ま、彼はブリッツのプロ選手だからね。

 その辺の反射神経に抜かりはない。

 「ご、ごめんなさい!」

 思わずしがみついてしまった女性が慌てて声を上げた。

 「いえ。――大丈夫ですか。この先、何があるか分からないから用心して。お互いに気をつけてね」

 「……はい。どうもありがとう」

 故意に女性の手を強く握り締め励ますように先導する。

 それに応えて彼女がしっかりと手を握り返してくる。

 ゆっくりと。

 一歩一歩を確認するように階段を(のぼ)り、程なくして二人は無事水面を脱した。

 ヌルヌルと滑る石段は一転、土埃(つちぼこり)でザラザラと音を響かせる石畳(いしだたみ)に変わった。

 水から出た時に感じる特有の少し全身が気だるい感覚をシューインは覚えたが、それには慣れているので、この時は特に気にする素振りも見せなかった。

 最後の乾いた石段を上り切ると、新たな光景の全貌(ぜんぼう)が彼らの面前に広っていた。

 シューイン自身は初めて見る光景だった。

 思わす目を見開いて闘志を鼓舞(こぶ)する。

 二人は水没した階段から続く水辺を後にして、その先にある広間のような天井の高い空間に出た。

 そのまま黙って進み、広間の中央付近まで来て倒れた石柱に向き合って腰掛け、取り敢えず当面これからの行動について話し合うことにする。

 「最初にあなたを見つけたときは、とにかくびっくりだったよ。ガキのころにさ、どこかの国の伝承だったかな……亀の背中に乗って海底の城に行った漁師が戻ってくると千年経ってた……って話を何かで読んだ記憶があってね、そいつを思い出した。ホントそっくりだったよ」

 シューインが彼女を発見したときの様子を身振り手振りで楽しそうに説明した。

 「あっ、そのお話、わたしも知ってる。確かお土産にもらったお弁当箱の(ふた)を開けたら、ぱっと幻光虫の煙が出てきて、召喚獣の祈り子さまになっちゃうんだよね。……そっかぁ、そうだよね。――ねえ、もしわたしたちがザナルカンドに帰り着いたとき、本当に千年経ってたらどうしよう」

 「ははは、僕たちが生きた昔話になっちゃうよ。千年後の歴史の教科書見てさ、あー、これは違う、あれも嘘だー、そいつは全く逆だー! ……って大声で叫ぶの。思いっ切り嫌がらせでね。そのころの学校の先生、困るよなー。(ちな)みに現時点でどれくらい時間が経ってるかというと――」

 と言って何気なく左手首に目をやると彼の巻いていた腕時計は、あろうことか液晶が粉々に砕けて割れていた。

 落下時の衝撃はやはり冗談抜きで大きかったのだ、という事実をまざまざと見せつけられた。

 気を失っていたし、体のどこを致命的に傷めたでもなかったので、特に気にもしていなかったのだが……。

 実情はこんなにも危ない状態だったのだ。

 ――やはりここは、これくらいのことで済んだのだからラッキーだった、と思っておくべきなんだろうな。》

 しかしその代償として現実には、もはや彼らの時間はこの薄明るい空間の中で刻むのを止め停止していた。

 その事実と直面せずにはいられなかった。

 「チッ、やられた。さすがに三枚目のカードは回って来なかったね。そうそう都合良く事が運んでは物語が面白くないってか」

 シューインは左手首を目の高さに(かざ)しぐるぐると回していたが、思い切って腕から外し床に向かって無造作に放り投げた。

 かたかたかた……と転がって、それは浮き上がった石畳の縁で止まった。

 「ここは……うーん、神殿か何かの中央大広間って感じのとこだよね。迷路になってなければいいんだけど」

 その動作につられるように女性も改めて辺りを見回す。

 「そうですねぇ。どのくらいの規模があるのか、ここからは、ちょっと想像がつきませんけど……」

 「そういうときは“総当り法”が鉄則だ。とにかく動ける範囲を順番に調べて全体像を把握しよう。空間がずっと続いているようなら、そのときはいったん戻って来て改めて考え直す。人が造ったものなら無限に繋がっている、ということはないはずだけど」

 「うん。きっと大丈夫だよ」

 「じゃあ、行こうか」

 シューインが立ち上がると、そばに腰掛けていた長髪の女性も立ち上がり、その前に――と言わんばかりに声を掛けた。

 「待って!」

 えっ、とシューインが振り返る。

 その女性は立ち上がると唐突にぺこりと頭を下げて彼を驚かせた。

 「あの、最初にお詫びをしなければなりません。ごめんなさい。あなたをこんなことに巻き込んでしまったのは、実はわたしなんです」

 そう言って今度は彼女の方がシューインが最初に海中で右からの衝撃波に見舞われる前のことを説明し始めた。

 「そうか。あなた、召喚士さんだったんだ。それにしてもあの伝説の召喚獣を呼ぶなんてね。へぇー、あれは単なる言い伝えかと思ってたけど本当に居たんだ」

 ――なっ! おいおい。これ、シューイン! 何なんだよ、お前さんは!! あんなに街中で騒いでいただろう、それくらいは分かれよな。

 いったい、どこの星の住人だ?

 これはお前ェさんだって、かなりお目出度いクチだゾ!

 しかし、さらに次の一言はその驚いたシューインより彼女の口の動きの方が、さらにさらにスゴかった。

 「はい。それからわたし“レン”っていいます」

 ――おっ! ついに自己紹介のときが来たか。》

 けれど、それには一向に構わずシューインは聞くなりニヤリとほくそ笑んだ。

 いや、ま。

 つまり彼女の口にした言葉なんて、最初からロクに聞いてなかったんだけど……。

 彼女が自己紹介を始めた雰囲気に密かに心は小躍りでもしてたかね。

 いよいよ、ついに、その“運命の時”が来てしまった!

 いやぁ~、参っちゃうよなぁ。

 いいかい、一度しか言わないゼ。

 い・ち・ど・し・か・!

 俺サマの名前、聞いて、聞いて、驚くなよ。

 ふっ――。

 さてはそれを聞いてぶっ飛んでしまうであろう彼女の顔たるやいかなるものか、などと勝手に先走って妄想し……。

 「はぁ、レンさん、ですか。あぁと、僕はね、実は――。ぅん!? ううん!! ……レン?? レン、さん、って、もしかして、あのォ――、ぉっ……『ザナルカンド』――の」

 「はい。歌手のレンです」

 当たり前と言ったふうに、何ということもなく彼女が答えた。

 彼女が答えた。

 答えた。

 こた――。

 !!!~~~???

 ――――。

 ――――――――。

 何ということもなくはないだろうよ!!! 少なくとも。

 …………。

 プロ・ブリッツボール界のスーパースター・シューイン様が、一度聞いて驚いた。

 当ったり前だろぅ!

 そりゃ、おめェ~、普通は驚くよな。

 えっ……。

 ……………………。

 空間が停止した。

 いや、この空間は既に全ての活動を停止しているのだが。

 本当に何もかもが固まったみたいに動かなくなった。

 まさか……。

 彼は(たま)らずぶっ飛んだね。

 ええええ~!

 ――――。

 ――――――――。

 かっ飛びだよ、かっ飛び~。

 ()っくり返った彼はさらに驚いて目を剥いた。

 シューインの瞳がレンよりも円らに見開かれたのは後にも先にもこのとき一度切りだったろう。

 そんな……ばかな。まさか、その、今まで全然……。なんで、そんな……。

 ――この大馬鹿野郎め、ニブチンがぁーーー! いい加減に気がつけよ、フツーはな。

 いや、でもまさか本当に……。

 こんなところに“そんな人”が居るなんて思うはずが――だ、だから……きっと、俺も気が動転してたんだ、な。

 な、何も見えない状態だった。

 うん、とてもそこまで気を回す余裕がなかった。

 つまり――その。

 ……ちょっと、ちょっとぉ~。プロ・ブリッツボールのお金持ちで有名でエラ~イ新人王の選手、サマ?

 ――お前さん、確か彼女の顔をしげしげと見てたよな、さっき?

 いやぁ、だから……。

 ――結構イイ気になって、ずいぶんと失礼なことしたよなぁ、お前さん?

 だから、あれは……。

 そう言われてみれば、確かにレンが人生で初めての召喚試験に挑戦するって話をテレビとかでやってたのを今になってやっと思い出した。

 だけど何を言っても、もう遅い。

 既に、ぜ~ん然、遅いんだよ。お前さぁーんヨォ!!!

 ……恥ずかしさというのは後から気がつくほどに恥ずかしいものだ。

 つまり、なんだ。

 全ては後の祭りである。

 祭りの後の静けさとか、何とも言えない脱力感、とか――はははっ。確かに体全体がダルいゼ、な、な。

 ――この応対も、ばっちダルいよ。

 …………。

 あっちゃ~~~ぁ……。オレは、いったい何てことを仕出かしちまったんだ!

 参りました。

 恐れ入りました。

 ご、ご、ご、ゴメンナサイ……。

 シューインの顔が見る見る強張(こわば)り、彼はしどろもどろになりながら今までの非礼を逆に詫び始めた。

 「申し訳ありません。あの、わ、わたくしはプロ・ブリッツボール南地区リーグのザナルカンド・シティに所属しておりますシューインと申します。全ては気づかなかったこととはいえ、先ほどまでの数々のご無礼、どうぞご容赦くださいますよう……」

 ――しまった、いけない!》

 彼の豹変振(ひょうへんぶ)りを見て、レンは自分が下手を打ってしまったことを悔やんだ。

 彼女としては自分がオーラを隠している時に、他人が彼女のことを“レン”だと気がつかないのは寧ろものすごく当たり前のことなので、本当に何とも思っていなかったのだ。

 シューインさんの取っていた今までの一連の態度は何ら彼自身に非のあるものではない。

 極、真っ当な人のそれと言えた。

 彼の気さくな人柄を信用してつい本当の身分を明かしたのだが、やはり(マズ)かったか。

 この人の反応はいつも通りで全くわたしに気がついてなかったのだから、自分から余計なことを言う必要はなかったのだ。

 ついこの前に会ったワンツという青年がわたしの素性を見破って驚いたが、そちらの方がよっぽどおかしいのだから、ここで変に気を回す必要はなかった……。

 だが全てにおいて今はもう何もかもが遅かった――。

 彼女は素早く歩み寄ってシューインの手を取った。

 「いえ。レンはちっとも失礼だなんて思っていません。これからも今まで通りのままで居てもらえると助かります。状況が状況です。ここには今、わたしとあなたの二人しか居ないんですから、ね。わたしがレンであろうとなかろうと、それは関係ないと思いません? とにかくここを脱出して無事ザナルカンドに辿(たど)り着くまで“それ”は封印しましょう。それまでは、わたしは“ただのレン”です。そう思ってくださって結構です。そうしないと助かるものも助からなくなる」

 シューインは握られた左手を咄嗟に引っ込めようとしたが。

 ――レンは離さなかった。

 二人の体が揺れた。

 …………。

 しっかりとその手を両手で包み込んで、レンはじっと彼を見つめた。

 それを見て納得したようにシューインの表情も次第に緩んでいった。

 改めて間近で見て――良い目をしている。

 さすがは『ザナルカンドのレン』だよ。

 本当にそう思えた。

 シューインは力を抜いて、彼女の手の上に自分の右手を優しく添えた。

 「うん、分かった。じゃあ、そうしよう。――行くよ」

 と手を握ったまま促した。

 「えっと、どこから?」

 にっこりと微笑んでレンが()き返す。

 「さっきも言った通りさ。基本的には虱潰(シラミつぶ)しに(くま)なく――だけど、ここで厄介(やっかい)な問題が一つあるんだ。単に出口を見つけるだけじゃ駄目でね。もっと大切なことを常に頭に入れておく必要がある。分かるかい?」

 シューインが悪戯(いたずら)っぽく笑いかけた。

 ―― ……??? 》

 レンがぱっちりとした目で不思議そうに見上げる。

 「方角だよ。それをどうやって特定するか。この地下の密閉された空間内で。僕らは北東クレーター海礁の真下に居るんだから、つまり南西の方角を正確に目指さないとザナルカンドには帰れない。単に道が続いているから、そちらの方向に動けるからというのでは正解にならないんだ。で、早速その問題だ。南西の方角は、どちらだと思う?」

 「えーっと、それは……」

 「だよね。だけど、必ずどこかでその答を見つけ出さなきゃいけない。しかも、できるだけ早い段階に。どうやって見つけるか。そこが本当の勝負になるよ。そのことを頭に入れながら注意して歩いていこう」

 「じゃあ……」

 レンが握手していた手を持ち上げた。

 シューインはにっこりと微笑んでその手を強く握り締めた。

 本当なら……先ほどシューインが投げ捨てた時計が無事なら、この問題は何と言うこともなく解決していた。

 彼が左手に()めていたのは多機能のスポーツ用防水ウォッチだから当然、方角指示機能も付いていた。

 だから『三枚目のカード』が回ってこなかったのは実は本当に結構、痛かったのだ。

 実際これはこれで大きかったが、そのことで今さら何を言っても愚痴(グチ)にしかならないから。

 今は――。

 そこでシューインはそのことについては何も言わないでおくことにした。

 代わりに。

 「二人で別々に手分けして歩けば確かに効率的かも知れないけど道に迷ってしまう危険もあるし、トラブルに遭う危険性もある。一人で歩いては大切なものを見落としてしまう可能性だってあるし――注意力と記憶力が常に二つあった方が寧ろいいと思うんだ。もし君さえ良ければこのままこうして手を繋いでいよう。そして何より――その方が、お互いに心細くなくて済むから……」

 「うん。そうだね。その通りだと思う。――じゃあ、宜しくお願いします」

 「こちらこそ宜しく」

 レンが女優らしい鮮やかな所作(しょさ)で、さっとシューインのそばに寄り添った。

 シューインは改めて彼女の右手を握り直した。

 「最初はどちらに行きましょうか」

 「どっちに行きたい?」

 シューインがおどけた口調で訊き返した。

 「じゃあ……さっき壊れた時計を投げましたよね。その方角を、とりあえず“基準の北”にしましょうか。まずはそこから」

 ……何のことはない。

 最初に――。

 壊れた時計の方角指示器が取り敢えずの北を示してくれたわけだ。

 全く何の役に立たないでもなかった。

 これも何かの因果か。

 フフン、と彼が口の()を揺らした。

 「ああ、いい答だ。そうしよう」

 そう言ってシューインがレンの手を引いた。

 二人は寄り添うようにして薄明るい暗闇(くらやみ)の中に踏み出していった。

 

     ◇

 

 レンが召喚試験の最中に事故を起こして行方不明に――という衝撃的な情報はたちまちザナルカンド中の人が知るところとなり、つまるところスピラ全土にも至急電として一斉に流されていった。

 もとより隠し通せるものでもないので、ザナルカンド政府、軍当局者などはあっさりとその事実を認めた。

 翌日、急遽(きゅうきょ)会見場に設定された政庁舎内の統合幕僚本部広報室=プレス・センターでは一様に重苦しい空気に包まれていた。

 ィエボン総帥との緊急会談を終えたゼイオン統合幕僚本部本部長は翌午後2時半に全軍首脳を幕僚本部ビルに集めて会合し、その足で政庁舎を訪れて会見することとなった。

 そこに随伴(ずいはん)したメンバーは当の元帥閣下一人を除けば作戦全体の指揮を執ったミーノック情報局長官(少将)、アドバイザー役としてザナルカンド最強の召喚獣を持つ軍一番の人気者ミクロン・ライカーツ南西方面軍重戦集団長(大将)の二名だけだった。

 すし詰めの関係者でざわつくプレス・センターの雛壇(ひなだん)に用意された一席に一足先に腰を下ろしたミーノック少将は、会見前の(わず)かな時間を借りて、壇上に向かって右隣りに腰掛けて平然としているライカーツ大将に密かに声を掛けた。

 「将軍、先ほどは本当に助かりました。どうも有り難うございます」

 ――ふうぅん?》

 どうってことはないさ、という顔をしてこの親っさんは振り向きもせずに答えた。

 「思えばあのSMCパクマーもよく出世したもんだな……と、しみじみ感じておるよ。階級こそ私の一個下だがガガゼト総本山の山頂にあって全山壁面に(にら)みを利かせる一個方面軍の長にまでなれば鼻高々だろうて。――私は……本当ここだけの話だが、実質ゼイオン閣下の次に偉いのは彼ではないかとさえ常々、思っておってな」

 南西壁面最強の守護者(ガーディアン)の口からびっくりするような台詞が飛び出してきた。

 「閣下のご指摘の通りと思います。確かにガガゼト方面軍はザナルカンド三軍の中で最も貧乏(クジ)を引いてしまう嫌いのある方面軍ではありますが……」

 「なに、簡単なことさ。良家の子弟や金持ちの御曹司(おんぞうし)は皆、山を嫌って内地の勤務を希望する。成績の良い者が揃って南西壁面を目指し、残ったあぶれ者たちがガガゼト勤務になる道理だ。ザナルカンドを取り巻く地形、地勢、政治、経済、人口、軍事、人の価値観といった問題は一朝一夕(いっちょういっせき)に改変するものではないから、どんなにパクマーが吠えたところで所詮(しょせん)どうにかなるものでもない……。だがな。――ここ最近、仮想敵のターゲットが明らかにレミアムからベヴェルへと変わっ(シフトし)た。にも(かかわ)らず体制がいつまでも旧態依然のままでは早晩、取り返しのつかないことになるのは目に見えておる。本当に困ったもんじゃ」

 「組織の改革ということでしたら大将閣下こそ、ご手腕を振るわれるに最適任者かと思いまするが」

 「わしには時間がなかった、かな。残念じゃが、もう時間がない。しかし(せがれ)のミルックでは、まだいかようにも務まらんし」

 「――――」

 「……そんな折に卿が現れたのじゃ。卿が命を懸けて起爆剤となることで、あるいは突破口が開けるやも知れん――本当に期待しておったのじゃぞ」

 「もったいないほど有り難いお言葉です。――しかし不肖(ふしょう)、精魂を尽くして努力致しましたが何ぶん力が及ばず……」

 「うむ。結果は結果じゃ。それは真摯(しんし)に受け止めなければならんわな。責任もきっちりと取らねばならん。皮肉なことに一番難しい答が出たな。……払った代償と引き換えるには、何とも中途半端な成果と言わざるを得ん」

 「ですが、まだ代償の総価数は正確には定まっておりません。レン軍曹は本当に……まだ、どこかで生きている可能性がありますので」

 「うん、まさにそこじゃ。そこが全ての勝負点となるな。……完敗となるか大逆転勝利となるかのどちらかだ。その中間の地点はない。――長い2週間となるな。だが、ワシはまだ卿を見捨ててなどおらんぞ。そのことを忘れんでくれ」

 壇上の袖から現れたゼイオン閣下の姿を見やりながら、ライカーツ将軍が立ち上がり敬礼した。

 「有り難うございます。このミーノック、人生最後の勝負を懸けますので宜しくお願い致します」

 同時に立ち上がって敬礼しながらミーノック局長が早口に答えた。

 ――――。

 応礼を返しながら、そのゼイオン統合幕僚本部本部長が登壇してきた。

 壇上の中央で、ゼイオン、ライカーツ、ミーノックの3名が並んで着席した。

 嵐のようなフラッシュが()かれ、プレスルームの全注目が一点に注がれる。

 しかつめらしい、だがよく通る声をマイクから発してゼイオン元帥が会見を始めた。

 「皆様、この緊急の非常時の中、お集まり下さりありがとう。

 突発の事件から24時間以上が経過しましたが、市民の皆様におかれましては身の安全は大丈夫でしたでしょうか。生活の回りの状況はいかがでしょう。

 無事、安全を確保できてますか。

 家族、学校、職場、地域社会の全員で、今一度の確認を、強く、お願い致します。

 我々もガガゼト全山を含むザナルカンド三軍の全首脳を招集して情報を収集し終え、やっとご報告できる状態になりましたので、これより現状での最新の状況をご報告を致します。

 昨日正午、北東クレーター海礁域にて従召喚士のレンさん(軍曹待遇)による召喚試験が行われ――。

 

 一、レンさんが目的の召喚獣の祈り子との交感に見事、成功したこと

 二、しかし、交感直後の召喚中に何らかのアクシデントが起こり“交感の儀”が中断してしまったようであること

 三、レンさんはそのまま消息を絶っていること

 四、召喚獣自体は一度も実体化しておらず、その詳細は依然として謎であるが、形成された召喚空間の半径が200ディスツあったことから想像を絶するほどの巨大召喚獣であると判明したこと

 

 ――等の説明を行った。

 集まった記者団からは当然のように矢継ぎ早な質問が浴びせられた。

 それでも政軍首脳が開いた会見場内での公式会見中のことであるので一応、挙手して一社一人一問ずつ、な形が取られてはいたが……。

 最初の記者が挙手をして立ち上がった。

 「早速ですが、『ティンバー・マニアックス』のオーベールと申します。今回の召喚試験では召喚獣の実体化自体は一度もしてないということですが、レンさんが交感で引き当てたと思われる召喚獣は“アレクサンダー”と断定しても宜しいのですか」

 当然の質問だった。まあ、記者として最初に一番おいしいところが出るものだ。

 ゼイオン元帥が横をチラリと見、意を察した少将が代わりに答えた。

 「今回の召喚試験で全作戦の指揮、準備・運営を司ったミーノック情報局長官であります。そのことについては私がお答え致します。先ほどのご質問ですが、そのようにお考えになって結構かと思います。現在、我が軍内に相違する意見は一つも出ておりません。そのことでは完全な一致を見ております。レン軍曹は交感に成功後、即座に迷うことなく“召喚の舞”にはっきりと移行していますし、その直後までの映像は皆さん既に全員がご覧になっている通りかと思います。現在、北東クレーター海礁域には“空位”の召喚獣は一体も登録されておりませんから、交感に成功した時点でこれは確実に未登録の召喚獣ということになります。加えてレン軍曹によって形成された召喚空間の直径が400ディスツになったこと、召喚の舞直後に発生したイレギュラーなスフィア波障害等を考え併せると、これはアレクサンダー本体であるか、さもなくばそれと同等の能力を持つと思われる未知の未登録召喚獣のどちらか――と考えざるを得ません。まあ、余り回りくどい言い方をするのはやめましょう。……そういうことです」

 集まった記者団からすれば今さら情報局の長官というよりは例の北B地区の召喚士養成学校の理事長さんとして、すっかりお馴染みになってしまったオジサンなのだが、さすがに彼の行う発言を(なか)ばポカンとした感覚で聞いているようなところがあった。

 次の記者が挙手して立ち上がった。

 「今日は。『共報通信』のシェリンダです。レンさんが交感に成功して召喚空間を作り出した時のことについて質問します。この召喚空間が半径200ディスツという途方もない規模なのは本当なのでしょうか。それはどうやって測ったのですか。そのような規模の現象が本当に召喚空間であるのかについて、軍部内で疑義は出なかったのでしょうか」

 ――――。

 やや考えてミーノックが口を開いた。

 「レン軍曹の作り出した召喚空間の大きさは半径200ディスツ、直径にして400ディスツの規模になったというのはほぼ間違いがない事実――とご理解下さい。保証もできます。この大きさには絶対に間違いがありません。直径は400ディスツより若干、更に微妙に大きかった可能性もありますが、いずれにせよ大差はありません。これより大きくも小さくもなかったということです。今回の試験で召喚獣アレクサンダーの召喚空間の大きさは400ディスツと判明致しました。召喚空間が形成された直後にスフィア波が乱れて映像関係の資料は全く使い物にならなくなりましたが、今回の召喚試験に臨んで我々は様々な用意を施して準備していました。そのうちの一つの方法を使って上手く計測ができたのです――」

 「詳しい方法についてこれ以上説明することは軍事機密に抵触しますので、ここではご容赦ください。レンさんの作り出した召喚空間が仮に更にもう少し大きかったら軍内部に思わぬ被害が出ているところだった、とだけ申し上げておきます」

 ゼイオン本部長が機転を利かせて横から素早く助け舟を出した。

 「……レン軍曹の作り出した現象が本当に召喚空間だったかどうかについては当然、先ほどまで行われていた軍首脳の会議でも話題にはなりました。――ですが、レン軍曹はステージの上ではっきりと“召喚の舞”を舞っておりますし、その直後にステージを中心に起きた事象であります。海上で召喚するときに起こる特有の召喚空間を区切る召喚面上に沿った水柱も立ち上りました。今回は、その空間規模が通常のそれに比して極めて異常であること、肝腎の召喚獣が一度も現れることなく現象自体が消失してしまったこと、現象と同時にスフィア波障害が発生したこと、の3点が心情的に引っ掛かるというだけで、召喚空間の生成自体を疑う証拠は何もありません。これは紛れもなく、今回のレン軍曹本人の手柄であります。軍曹は、ここまでのことを本当によくぞやり遂げてくれたと、心から誇りに思う気持ちで一杯であります」

 ミーノックはそこまで言って本当に誇らしげに胸を張った。

 その行為が、しかし(かえ)って部屋全体に、どうしようもない虚しさを喚起せざるを得なかったのだが……。

 また次の記者が挙手して立ち上がった。

 「私は『ザナルカンド・ジャーナル』のププルンと申します。先ほど情報局長官が仰ったことについて、お話を蒸し返すようで恐縮なのですが。――レンさんの作り出した召喚空間が400ディスツというのは、今ここでお聞きして“はい、そうですか”とすぐに納得するには正直、強い抵抗を感じざるを得ません。例えば小・中学校の義務教育の施設では通常15ディスツのプールが設置されているのが普通です。公立の中学校でたまに競技用の30ディスツのプールがあって、折り返しで一往復60ディスツ競泳、2往復で1ダース(120)・ディスツの競泳が可能なものがあります。正規の競泳用のプールを2往復して、やっと120ディスツの長さになりますね。……で、今回。レンさんの作り出した召喚空間の直径が400ディスツと言うのはどうでしょう? 余りに無理がありすぎるように思うのが普通ではないでしょうか」

 …………。ミーノック少将が注意深く言葉を選んで発言した。

 「貴方の仰られていることは確かにご(もっと)もと思います。さて、……ではどのように説明すれば納得して下さるでしょうか。レン軍曹が“召喚の舞”を舞い、400ディスツの召喚空間ができました。その大きさの計測には成功し、その事実をありのままに隠さずご報告したまでなのです。これは本当に事実です。現実にそうなったのだから、そのように言うのは仕方のないことです。あとはどうすれば貴方が納得して下さるかの問題であって、それを“本当の事実はどうだったのか”という主張一点張りの手法で、貴方個人が納得する回答が得られるまで“事実”を(いじ)り回すというのは、余り感心しないようにも思います」

 ミーノックの(とげ)のある彼特有の言い方に少しカチンと来たが、一応その記者は引き下がった。

 ――が、その右斜め後ろから次の記者が即座に挙手して立ち上がった。

 「『ザナルカンド日日』のフューリー・カーウェイです。開示された情報について私もお聞きします。先ほど情報局長の仰った“事実”がその通りであったと仮定しますと、つまりレンさんは400ディスツもの召喚空間を自ら作り出し、終始その只中に居た――ということになります。その様に考えても宜しいのですね」

 「はい。私自身もそう考えております。当然、レン軍曹は想定外の規模の空間にアクシデントで取り込まれてしまった訳ではありませんから、召喚士として常時、召喚空間の中心部にあって終始、全空間をコントロールしていたはずです。詳しいことは一刻も早く彼女を救出して、事情を聞いてみないことには分からない部分もありますが……まずは、その通りでしょう」

 「そのような莫大な幻光虫流の中心に居たのでは、コントロールも何も、根源的に人間としての肉体が持たないのではないでしょうか? 400ディスツの幻光虫空間など、そもそもそのような規模の幻光虫の集積が可能なものなのかどうかすら正直、私には想像もつきませんが、どうでしょう」

 …………。

 ……………………。

 どうにもこの“事実”が記者たちには一様に納得が行かないらしい。先ほどから質問は繰り返しこの一点に集中していた。

 今、このプレス・センターには総勢300人余の人間が(つど)い、半ばすし詰め状態であったのだが、誰かが遠くで咳をした音やパイプ椅子の軋む物音などを会場に設置したマイクが拾えるくらいに、重苦しい静けさが立ち込めていた。

 突然、ミーノック少将が声のトーンを変えて――あらぬ方向の話をし始めた。

 「アレクサンダーが倒されて北東海にその姿を消してより約1000年、記録が確かな祖国復興後から数え上げれば700余年。そして前回、最後にこの召喚獣との交感を試みたアーク様の召喚試験が今から150年前。……この間に幾多の天才召喚士が挑戦しながら、いずれも何らの反応さえなかったアレクサンダーを、レン軍曹が呼んだら即座に反応して、交感に成功したのはなぜなのか。何の理由もなくそのようなことが起こるとは考えられません――しかし我々軍部では、当初より彼女の召喚試験では何らかの成果があるのではないかと想定しておりました。東海岸の沿岸部でやれば事足りる試験を、わざわざ北東クレーター海礁の沖合まで出掛けて行って(おこな)ったのもそのためです。何ぶん記録が定かでないので断定はできませんが、この召喚獣は一度ザナルカンドを滅ぼしている可能性さえありますので……。私たちはレン軍曹のことで実はまだ公表されてない一つの情報を持っておりました。――長閣下、宜しいでしょうか」

 そう言ってミーノック少将は横を振り向いた。

 「ああ。事態がこうなった以上、仕方がないだろう。許可する」

 とゼイオン本部長が即決した。

 その返事を受けてからミーノック長官が改めて発言を続行した。

 「アレクサンダーの復活を試みる挑戦はこの五百有余年の間、様々な人によって行われましたが、いずれも何らの手掛かりを得ることもなく、ただ(いたずら)に大失敗の歴史を延々と繰り返してきました。ご存知のようにあのアーク様さえ、その数の中には含まれております」

 …………。

 会場内は未知なる情報に対する緊張と、局長のいきなりの話の展開についていけない戸惑いで、微妙にざわめき始めた。

 「にも拘らず今回、レン軍曹が呼び掛けた途端、なぜにこのアレクサンダーがあっさりと反応を示したのか。――以前、レン軍曹の召喚士鑑定試験が行われた際に結果の数値が公表されたのはご存知かと思いますが……。その中の一つの数値を巡って軍内部で見解が分かれ、実は我々の判断で一部分の公表が差し止められていた事実があったのです。――ああーっと……」

 そう言ってミーノックは急に机の後ろを振り向いて資料をゴソゴソとし始めた。

 「えーっと、これです。……ここですね。――カメラさん、ちょっと寄れますか。少し小さい表なので見づらくて恐縮ですが」

 彼が(ページ)(めく)って横向きに倒し、緑の(けい)囲みの表を示した。

 カメラが拡大倍率で、その表を雛壇の背後に設置されたスクリーンに大きく投影した。

 例の問題の数値である。

 《幻光虫結合能》――そこには、通常の召喚士の平均を『1』として対比してみた時のレンの数値『9999』が、はっきりと映し出されていた。

 ――――。

 「何ですか!! これは――!?」

 映された表を見て会場内が一様にどよめいた。

 まあ無理もない、か。

 ――――。

 ――――――――。

 「無理もありませんね。今の皆さんと全く同じ反応を軍内部でもかなりの割合の人が示しました。ですから取り敢えず発表を差し止めたのです。でもなければ、軍部がそんな姑息(こそく)なことをするわけがないでしょう」

 ――――。

 ――――――――。

 場内がざわめいている。

 感情と理性の(せめ)ぎ合いが止まらない……。

 さすがに咄嗟には声も出ないという感じだった。

 ミーノック一人だけが変わらずに淡々とマイクに向かって語り続けている……。

 「因みにこの時、測定計器は何らの故障もなく正常に計測作動をフォローし続けております。――数値自体に誤りはありません。ただ単に……測定の動作中に計器が一杯となり針が振り切れた、というだけのことです」

 「そんな馬鹿な! こんな馬鹿げた数値を、生身の人間が出せるわけないでしょう!!」

 “大佐”の二つ名で呼ばれる名物記者のカーウェイが思わず叫んでいた。

 二階級上の本物の“少将”がニヤリと笑った。

 「そうなのですよ。まさにその通りなのです。軍内部でも――そのことがずいぶんと物議を(かも)しましてね……。そもそも召喚獣アレクサンダーへの挑戦は、最初から私たちから彼女に提案したものではありませんでした。(わたくし)個人はこの数値を見て以来より終始一貫、強く推薦していたのですが、軍部の組織というのは一人の少将の都合や見解でどうにかなるものではありませんから、一時は許可が下りず完全に断念したのです。彼女に最初に手渡した召喚試験に臨む際に挑戦できる召喚獣のリストにもアレクサンダーの名は外してありました。……しかし“縁”というものは、よくよく不思議なものですね。彼女とアレクサンダーとの繋がりを感じずには居られないのですが、翌日、軍曹の方から私にリストを突き返して来て、突然『アレクサンダーをやってみたいのだが可能か』と打診してきた時には、運命の蠢動(しゅんどう)を感じずにはいられませんでした」

 ――おい、ちょっ、待てよ! この少将さん。……何を言うのかと思えば早速、責任逃れな薀蓄(うんちく)披瀝(ひれき)し始めたぜ。

 ――――。

 「……これだけの幻光虫結合能力を持つ軍曹の力なら、アレクサンダーさえ再び呼び出せるかも知れないのです。もし軍曹で駄目だったら他の誰でも駄目でしょう。これが召喚獣アレクサンダーをこの世に呼び返す最後のチャンスでした。私たちは少なくともその認識でこの試験を敢行しています」

 ――だが、そうだとしても……。

 「しかし結果論的ではありますが、アレクサンダーの召喚空間は直径が400ディスツもあったわけですよね」

 「はい。そうです」

 「それでは、いかに幻光虫結合能の高い数値を出しているレンさんといえど、どだい無理な話なのではないですか。たとえ常人の何倍の数値を出していようと、これでは――」

 「例えばその数値が『通常の3倍の……』程度であれば確かに、どんなに、凄い、素晴らしい、前代未聞の驚異的な高数値――と(はや)し立てたところで、所詮タンクローリーに踏まれた史上最強のゴキブリがどうなるか……という結果を見ていたでしょう。――ですがレン軍曹の叩き出した数値は“通常の3倍”どころではありませんでした。どころか通常の30倍でも、300倍でも、3000倍でもありませんね。この測定器の、計測できる限りを記録した結果は」

 「――――」

 聞いていた名物記者の“カーウェイ大佐”が思わず絶句した。

 その更に横から割り込むように一人、手を挙げる者が現れた――。

 「申し訳ありません。『ウワサの新潮』のノーグと申します。質問の途中、横からで本当に申し訳ありません。その記録装置が記録した“9999”という測定不能の数値についての強い疑問点なのですが、ぜひ質問させて下さい。針が振り切れて測定が続けられない事態となったのなら、装置の対応数値の幅をもう一桁上げて、なぜ正確に測定しようとはなさらなかったのですか。実際の数値は正確には2万倍であったのか、3万倍であったのか――。今となってはですが、それが余りにも残念です」

 「……装置の計測幅をもう一桁上げて測るのは言うほどには苦労しない簡単な行為ですが、そうすれば新たに計測される測定数値はもちろん『99999』です。計測の秤の振り切れ具合から見て、明らかに断言できます」

 「ならば更にもう一桁上まで測れるようにして――」

 「その新測定値『999999』を発表すれば宜しいですかな。そんなことでしたら簡単ですので実際に計測してはおりませんが、今、ここでそう公表することは何ら(やぶさ)かではございませぬが……それで納得して頂けるのなら、そのように報道して下さっても大いに結構です」 

 「なっ――――」

 ――馬鹿か? このオヤジは!》

 会場に居合わせた人々は、またぞろ北B地区の召喚士養成学校の名物理事長がお得意の大法螺(おおぼら)を吹き始めたよ、という思いで会見を眺め出した。

 またまた、あんな結末になってしまうのはご免だがね。

 この親父にこれ以上真面目な質問を続けても無駄だと感じ始めた記者団は、質問の矛先(ほこさき)を変えることにした。

 「ライカーツ大将、ザナルカンド最大・最強の召喚獣を持っていらっしゃる貴方にお聞きします。貴方の今までの経験、感覚から判断して今回のレンさんの召喚試験の様子、アレクサンダーと貴方の召喚獣を見比べて、どのようにお感じになりましたか。率直な感想をお聞きしたいのですが」

 そう、いきなり話を振られてライカーツ将軍は「ふむ」と考え込んだ。

 正直、公人としては余り軽はずみな発言をしたくはなかった。

 特に今回の一連の騒動については最初の時点から徹頭徹尾、彼は完全な部外者であり、全く何の関わり合いも持ってはいなかったのだ。

 一応アドバイザーとして、こんな席には名を(つら)ねたが、事情をよく知らない上に、余計で無責任な見解を()じ込みたくはない。

 だが現実にザナルカンド一の実績と経験を持つ人気者の大将としての立場もあり、その立ち位置は大変に微妙だった。

 常に誰からも頼られてしまうのは彼の人生においてはいつものことであり、市民の彼に対する尊敬と期待も当然に大きい。妙な言い方だが、ある意味、レンの日頃の立場や苦労なども重々(おもんぱか)れる最適の人物であったのだ。

 「…………。さようでありますな。今回の件については肝腎のレンさん――あ~、この場合は召喚試験の最中ですのでレン軍曹、でありますか――えーっ、……肝腎の彼女自身の召喚獣が実体化には成功しておりませんので何ともコメントのし様がない、といった正直、大変に困った状況に立たされておりますですな、はい」

 会見場から思わずどっと笑いが漏れ出した。それで幾らかは会見場全体の空気も(なご)んだかに見えたが……。

 「ですが彼女の作り出した召喚空間は一目瞭然、間違いなく本物ですよ。本当に最低限、これだけは間違いがないと断言できます――のでな。実は、だからますます大変に困っておるのですじゃよ。……うむ。しかし一方で召喚空間というものはですな、このぉー、召喚獣を実体化させるための単なる便宜上の器に過ぎないものでもありまして、例えるなら――ちょうど蝉の抜け殻とも似ております。一概にその大きさが何ディスツだったと言ってもケース・バイ・ケースなのであり、その抜け殻の大きさを単純に見比べる、比較するというのは大変に危険な行為だ――ということだけは強く申し上げておきたいのです。何らかの事情があって召喚空間を大きく取らなければならなかっただけのことで、実際の召喚獣本体の大きさは、さほどでもなかった可能性も多分にあります。これが今回、まず私の感じた一番の感想でありますな」

 さすがはザナルカンド一の召喚獣持ちの大将。伊達に一部隊長の身で“大将”の位を名乗るだけのことはある。

 その発言は分かりやすく、説得力があり、正確に的を射たものであった。

 ノーグ記者が、それを受けて言葉を継いだ。

 「召喚空間の大きさにだけ注目して、レンさんと大将の召喚獣を比較するのは早計――ということでしたら、大将ご自身の召喚獣の場合はどうなのでしょうか。レンさんはともかく、あくまでもライカーツ大将の場合だけに限定してみたなら、召喚空間と実体としての召喚獣との関係はどのようになっておられるのですか」

 ――――。

 「ふむ……。ナニ!? 我輩の召喚獣をここでご覧になりたい、と言うことですかな? やぁやぁ、それなら簡単でありますゾォ~。ええ、喜んでお見せしますとも。遠慮など要りませぬ、ここでお見せしないで何としまするかぁ~! この我がライカーツ家に代々伝わりし芸術的召喚獣を、(とく)とご(ろう)じよ~!!」

 言うとこのアドバイザーのおじさん大将は、ここぞとばかりに大見得(おおみえ)を切り始めた。

 「いえいえ、大将、大将! こんなところで、そんなモノを呼ばれても困ります。私たちだって命は惜しい……」

 手前の記者たちが大笑いして、慌ててそれを制した。

 「ふむ。そうか……。ご覧には、なりたくない――とな。それでは、仕方がないのぉ」

 ――――。

 因みにくどいようで恐縮だが――。このライカーツ将軍の召喚獣の召喚空間が20ディスツ弱の大きさであることはユウナレスカ少尉が以前に述べているが、レンの場合(ケース)がどうであるかと言うと……。

 この、今回判明した召喚空間の400ディスツというのは、あくまでも召喚獣本体のボディーラインぎりぎりのサイズであり、この召喚獣は純白の巨大な双翼を根元より、この空間から丸々と突き出した形で降りてくる――まあ、要するに実体化するのだけどね。

 そのとき片翼の翼長がほぼ500ディスツだと計算して、総翼長の合計が都合1400ディスツもの大きさになる。

 皮肉にもライカーツ大将が発言した内容は、全く逆の方向に正しかったのだ。

 召喚空間がたまたま400ディスツだったからと言って、そこから出てくるアレクサンダーは元来そんなちっぽけな召喚獣ではない。

 召喚空間なんてあくまでもその場の都合上のものであり、本当まさしくケース・バイ・ケース。

 1400ディスツというのは、つまり1.4ディスタールスということだ。

 で、そもそも『ディスタール』などという距離単位は本来、召喚獣の大きさを計るために作られたものでは、断じてない。

 ちょうど『トン』という重量単位が、人間の重さを測るための単位でないのと同様だ。

 体重が0.1トンを超えているほど“()えている”人も極、稀に見掛けたりはするが……。

 のちにフォーン提督に率いられたべヴェル第13特設艦隊が、ガガゼト山脈の裏側斜面をはるばると迂回してナゾの“イプセン回廊”を突破するルートでザナルカンド初空襲の敢行に挑戦するが、このとき彼らは当初“Aステージ”のフォーメーション艦隊形を採用して市街区を爆撃し、アレクサンダーを誘き出す予定であった。

 ザナルカンド市街の上空1ディスタール半の高度を、一列時計旋回に周回運動して――という作戦だ。

 ――もし。

 たまたまこの隊形はアレクサンダーが早々に出てきたので最初からキャンセルとなってしまったが、もしも、この予定の艦隊行動を採っている最中に、いきなりアレクサンダーが彼らのど真ん中に現れたら、どうなっていただろう……。

 まあ、彼らは市街の上空1.5ディスタールスの高度を取っていたであろうから、それでも“ぶつかる”心配はなかったと思うがね。

 要するにアレクサンダーとは、そういう“けしからん”ほどに非常識なサイズの召喚獣なのだ。

 翼のことについての詳しい事情の説明は、ずっとずっと後になってから改めてキチンとすることになるので、よかったら覚えておいてほしい。

 ――結構、重要だ。

 この召喚獣には過去に――ある事情があって、召喚獣本来が根源的に持つはずの召喚空間からは双翼を丸々と突き出した形で降りてくる……。

 しかしさすがに、そんな巨大空間を馬鹿正直に作るのは不都合が余りに大きいのも事実。

 で、全容が判明した後、この召喚獣は実際ザナルカンド市街区では(ほとん)ど呼び出せない、全く使い物にならない――ということになり、右往左往をすることになる。

 すったもんだの末、第101独立特殊高射砲大隊――言うところの『レン大隊』が設立され、防衛総軍から派遣されてきたベラーチ・ノン大尉(彼は第2次レミアム戦役(せんえき)の直前に、晴れて“少佐”に昇進した)ら工作隊員たちが、レンが召喚をする度にいちいち市街区の推定召喚空間内を(くま)なく駆け回り、巻き添えを喰う一般人が一人も居ないかチェックをする羽目(はめ)になった次第である。

 ミクロン・ライカーツ大将はふとプレス・センターの窓を遠く見やりながら、またこうも続けた。

 「そう言えば、昨日のお昼休みには空が青く晴れ渡り、大変に良い天気でしたなぁ。確か予報では今日も晴れるはずでしたが……。そうですか。レンさんの昨日の大活躍で、すっかり天気も変わってしまいましたな」

 会場内に一転、しんみりした空気が流れ始めた。

 「私はあと半年ほどで現役の召喚士を引退して退役する身ですが、思えば軍人としてのキャリアの最後になって凄いものを見させてもらいました――。さすがは『ハインの(いかずち)』。レンさんの実力のほどを思い知りましたね。もはや私のごとき老いぼれの出る幕はない、ということです」

 …………。

 続けてライカーツは思い入れも深そうに、しみじみと、左隣りに座るミーノックに声を掛けた。

 「それにしてもレン君な。また、どエライ事をしてくれる。――クレーター海礁で400ディスツもの空間を揺るがす幻光虫結晶を起こして、翌日のザナルカンドの天気も変えたか。……ははは。心底、恐れ入る。――――。私の召喚士人生でも、こんなことは初めてだよ。……ところで彼女は、本当に人間なのかな」

 「小官は最初から怪物(モンスター)だと思ってましたよ。400ディスツの召喚空間を見た時からではなく、《9999》の数値を見た時から……。彼女の召喚試験も一貫して、その前提で対処しておりましたし――」

 「はは、モンスターか。天才ではなく?」

 「彼女が並の天才だったらいつもの通り、何事も起こってなかったでしょう。あのアーク様でさえ恙無(つつがな)く失敗しておられます。また、2年後に――今度は最初からリストに記載されていた召喚獣のどれかで追試験してもらって、我々は晴れて、新たな一人の正召喚士を迎えていたでありましょうな」

 「……そうか。――しかし、この《9999》という彼女の叩き出した数値な。確かにこの街には納得の行かぬ者も多かろう。余りに非常識すぎて、彼女は怪物どころか、この数値はどう見ても何かの間違い、あるいは計測した者の不手際ということにでもなるのかな――何を言っても誰も信じまい。これでは、レンさんが単なる“馬鹿”にしか見えんぞ……」

 「私たちザナルカンド市民全員の度量が試されているのだと思います。彼女にも、彼女の出したこの数値にも、何らの責任もありはしません。ザナルカンドがアレクサンダーを獲得するかどうかは、ザナルカンド市民全員の問題であり、レン軍曹一人の問題ではないのです。レン軍曹一人が天才で、ただ彼女一人が召喚試験をして、彼女がアレクサンダーを獲得するかどうかを周りの市民が、ただ興味本位で見て、その結果に一喜一憂している――というのでは、いけません。彼女の出した数値は一つの啓示(けいじ)です。つまるところ本当に“馬鹿”にならねばならないのは、彼女一人の方ではなく、私たちザナルカンド市民、皆の方ではないでしょうか」

 「…………。うむ。卿の言ってることは分かる。確かにその通りなのであろうな。……だが、それで皆が彼女を信じ切れるかどうか」

 「とにかく彼女の捜索に、今は全力を注がねばならないということだ。そこにザナルカンド人の未来の全てが懸かっているな」

 ゼイオン元帥がそう、横から引き取った。

 ――――。

 “その肝腎の、レンさん救出についてのことなのですが……。”

 記者たちは、もう一つの最も質問しにくい、そして最も知りたいことについて、誰もはっきりと口にすることができず実はさっきから口ごもっていた。

 一社、一人、一問ずつ――な制限の中で、先ほどまで先を争うように質問攻めにしていた記者団たちが、いつの間にか一転、順番を譲り合って周りの様子を(うかが)い始めた。

 まだ質問する権利を持っている――つまり、まだ質問していない社の人々が、歯噛みして押し黙っている。

 質問しやすくて質問自体に価値もある、言うところの“美味しい質問”はそろそろ完全に出尽くしてきた。

 あとは――。

 果たして誰が地雷を踏むのか……だけ。

 そして、その勇気が、おいそれとは出ない。

 勇気が誰にもない。

 突如ポカンとした、それでいて何か重苦しい空気が室内に漂い出した。

 ――――。

 「それでは、そろそろ宜しいでしょうか。現在、我々は主に防衛総軍を中心にして、総動員で行方の分からなくなった従召・レンさんの捜索に全力を挙げております」

 それを確認するように、ゼイオン本部長は言葉を結んだ。

 あとは、とにかく時間を繋ぐため、場を持たせるだけの、どうということのない質問が幾つか飛び――そうやって一人一回限りの権利を行使してしまう、つまらない記者が順に脱落していった。

 質問に対してはその都度ゼイオン元帥が丁寧に応対する。

 不思議にも。

 言葉に詰まり、言い(よど)み――何だかもどかしい口ぶりになるのはゼイオンの方ではなくて、むしろ記者陣の方だった。

 こんな……奥歯に物が詰まったようなピント外れの質問では、心の(もや)はちっとも晴れてこない。聞きたいのは実はそんなことではなくて、本当に知りたいのは、つまり――。

 “誰か早く! 誰でも良いから。”

 その、誰もが問い(ただ)したいと感じている質問を、しかし恐ろしくて誰も口にできず、結果的に空虚な時間ばかりが浪費されていった。

 もう、いよいよ時間がない。

 センター内に詰め掛けた“まだ権利の残っている”記者たちは揃って顔を見合わせるばかりだ。

 要するに、召喚試験に失敗したというレンは、『ザナルカンドのレン』は、つまり……その――。

 「現在は行方不明です。捜索に全力を挙げております」

 …………。

 誰も恐ろしくて結局それ(・・)を訊くことができない。

 既に質問を終えた、つまり権利を失っている記者たちは、揃ってこの勇気のない情けないクズ記者どもを腹立たしく見下すような気配を見せ始めた。

 ――ちょっ、それはおかしいだろう!!

 あんたらは“美味しい質問”を先にしたというだけで、何も地雷を踏む“勇気”があったわけじゃない。現にまだ誰も踏んでない。地雷はそっくりと残っている。ただ、あんたらが単に美味しかったというだけだ。

 そんなことなら誰にだってできるさ――。

 まだの記者たちが、憤懣(ふんまん)やる方ないといった表情で(にら)み返した。

 ま、社会の正義なんて所詮そんなものさ。いつの世でも、どこの国でも……。

 一方でゼイオン本部長は、所持している情報を惜しみなく正直に公開した。マスコミ関係者にとって、取り敢えずそれで無難に今晩のニュース特番や翌朝の紙面展開をするに事欠かないほどの材料は入手した。

 これで記事になる――。

 そのことが却って、ますます彼らの心を(くじ)けさせていく。

 結局……。

 そんな記者会見の会場には、次第しだいに(ひと)しく過去を振り返るような気分が満ち溢れていった。

 可愛い笑顔を振り撒いてステージの上で歌っていた偉大な歌姫のことを……。

 ――あのレンちゃんが、ねぇ。まだ若かったのに。》

 「過去」はある日突然にやって来る。この業界に居るとその思いをひしひしと感じさせられる。

 ――完全に過去の人だった。

 最初に彼女を勝手にそのようにしたのは政府でもなく軍でもなく、ザナルカンドの市民だった。

 結局、彼らは“レンを信じる”ことができなかったのだ。

 不屈の思いと信念を、彼女に……。

 やがて記者団たちは皆、誰もそれ(・・)を質問することもなく、力尽きて、すごすごと会見場のプレス・センターを後にして行った。

 この日ばかりは夜空を照らす億万の灯火も何だか随分、色褪(いろあ)せて見えた。

 そうやって一つの記憶が哀愁の色彩を帯び、眠らない街を駆け抜けて行く。

 そのあとに残るのは、ただ――。

 いつものザナルカンドの街並みだけが、変わらずそこにあった。

 そして、ただ相も変わらずに……。

 

 雨が降っている。

 雨が降っている。

 雨が蕭々と降っている。

 

     ◇

 

 南C地区の中心街にある「レン・エージェンシー」の事務所では、ゼネラル・マネジャーのダスカイユ・ノ=テリオ氏が勢揃いしたスタッフの一人ひとりの顔を眺めながら淡々と現状を説明し、自分が実際に目撃したことなども交えながら今後の見通しや可能性についての話をしていた。

 「とにかく今は、最悪の事態に対処することから順番に決めていこう。レンさんが無事ザナルカンドの街に帰ってきたときのことを、あれこれと心配する必要はないわけだから」

 今に限った話ではなく、この人はいつもこんな感じである。

 恐らく、自分の人生の最後の瞬間に際しても決して取り乱したりはしないんじゃないか。

 そんな喋り方をする人だった。

 「なあ、テリオさん。レンちゃん、もう異界に行ってるのかな。確実に……」

 ベースギターのキングが不躾(ぶしつけ)に訊いた。

 思わず“二人そろってダイヤ”の、バック・コーラスの女の子二人組みが「きゅっ」と唇を噛んで下を向いた。

 この、何とも恐ろしい――。

 先のプレス・センターを埋め尽くした超一流の経歴を持つ取材記者たちが束になっても訊けなかった、その恐ろしい質問を彼はあっさりと口にした。

 それが“(きずな)”ってものだろう。

 しばし押し黙り、それから言葉を組み立てるようにしてテリオ氏は答えた。

 「マカラーニャの端にある異界ポイントに行けばはっきりする。恐らくは……私が出向くことになると思うが。まだ、そういう状況には至っていない。希望を捨てるような段階ではないだろう」

 「それは、テリオさんがそう思ってるってこと? 本気で。言葉の(あや)とかじゃなくて」

 「もちろんだよ。単に思っているだけではなく、根拠もある」

 「じゃあ――」

 「だが、予断を許さないのも事実だ。私が目撃した限りでは、状況は大変に厳しい。残念だが……、それを認めないわけにはいかない」

 「…………」

 「しかし、いずれにしても、はっきりするまでは時間が掛かる。で、それまでボーッと遊んでいるわけにもいかないだろう、ということだ」

 エージェンシー社内のスタッフは皆、レン個人との直接的な結び付きにより成り立っている。

 彼女なしでは、当たり前だがこの事務所はとても立ち行かない。

 ゼネラル・マネジャーのテリオ氏自身といえども、それは例外ではなかった。

 幸いレンの創り出してきた莫大な収益の恩恵(おんけい)を受けていたお陰で、彼らの大半は今、路頭に迷ったからといって、ただちに生活の心配をしなければならなくなるということではなかった。

 加えて『レン・エージェンシー』の肩書があれば再就職先を探すのに困ることもないと思われた。

 よくしたもので、彼女の周りには自然と良い人材が集まった。

 そもそも個々人の力量はそれぞれが絶対的である。

 繰り返すが『エージェンシー』のスタッフの信用は抜群だ。

 だからテリオが心配していたのはそういった現実的な身の振り方ではなくて、むしろ銘々(めいめい)の心の中の問題、踏ん切り方の方であった。

 彼らの人生にとって“レン”という存在は余りにも大きな指標だったのだ。

 その彼女が急に居なくなったからといって、すぐさま新しい価値観や目標を持てと言われても混乱するのも無理はない。

 一人ひとりを見れば皆、前途将来のある類い稀な才能の持ち主だ。

 であればこそレンの創り出す音楽世界にもついて来られたわけだが、それが(いたずら)を為す事態だけは避けなければならない。

 事実、正直言ってキングは呆然とした空虚の中に居た。

 未来が、あまりにも空っぽだった。

 ……そうか。

 もし二度とレンちゃんと一緒にやれなくなるとしたら、オレはこれからどうするだろう。

 考えたこともなかった。

 きっと、どこへ呼ばれても評価されるとは思う。

 自信もあるさ。

 いろんな人に満足してもらえるだろう。

 だけど、どこのバンドでやっててもオレは物足りなく感じてしまうに違いない。

 レンの音楽を知ってしまった以上……。

 その思いを隠し通すなんて不可能だ。

 どうやったって“音”に出る。

 ――音楽って、ウソ吐けねぇんだ。》

 レンちゃんが……。本当にいなくなってしまうと――。

 バンドリーダーのジャックが強引に口を挟んだ。

 「そもそもレンちゃんの召喚試験、途中まで成功してたんだよね。クソッ! それが何だってこんなことに」

 テリオ氏が答えた。

 「私が見た限りでは、召喚は万事が上手くいっているようだった。レンさんは迷うことなく“召喚の舞”の体勢に入った。幻光虫の球体に包まれて、冲天(ちゅうてん)してゆくエネルギー流の中を順調に駆け上がって行く――ように見えたんだ。

 ほんの一瞬だがね。

 私は確かにこの目で見たよ。ああ、レンさんもついに正召喚士になったか、と思いながら眺めていた。

 ……いったい何が起こったのか、……どこがいけなかったのか分からない。召喚は成功したはずなのに、召喚獣は現れなかった。やがて召喚空間が収束しエネルギーが消滅したとき、レンさんは消えていた。何処へ行ったかは――」

 「じゃあ、まだ死んだと決まったわけではないんですよね。レンちゃんはきっとどこかで助けを……」

 「軽々しいことは言えんが、可能性は十分にあると信じているよ。ちゃんと召喚球もつくられていたし、彼女はその中でしっかりと守られていた。滅多(めった)なことでは中の召喚士には危害は及ばないはずなんだ」

 いつもながら“よくそんなことまで知っているな”と感心するくらい博学なところを見せて、テリオ氏は皆を落ち着かせた。

 「なら、オレたちのすることは一つだな。レンちゃんが無事に帰ってくるのを待とう。今は彼女を信じよう。今、バンドのメンバーが軽々しく動いて、よけいな風評や詮索を受けるのは良くない。まだ単なる“行方不明”だぜ。焦って寺院に予約を入れる必要なんかないじゃん」

 バンドリーダーのジャックが思いを吐き出した。

 そばに居たキーボードのクイーンが

 「あの人はきっと笑いながら帰ってくるわよ。また、(みん)なで一緒にやっていきましょう」

 と湿り気を含んだ声で相槌(あいづち)を打った。

 結局、当面の身の置き所を考えるような話にはならなかった。

 誰一人としてここを離れることを(がえ)んじ得なかった。

 それはテリオが最も恐れていたことでもあったのだが――。

 ――どだい、このメンバーやスタッフたちが容易に心を切り替えられないのも無理はないか。》

 彼は『エージェンシー』を解散しなければならなくなったときのことを思い暗澹(あんたん)たる気分になった。

 

     ◇

 

 ザナルカンド当局の必死の調査により、それでも様々な事実が明らかとなりレンの召喚試験当時の様子も次第に理解され始めた。

 さらにその後のクレーター海礁周辺域の捜索でも幾つかの情報が(もたら)された。その中でも一番に驚かされたのは、召喚海域の近くでプロ・ブリッツボールの選手が練習中、事件に巻き込まれて遭難した可能性がある――というショッキングなニュースだった。

 彼らは自主トレのためこの日午前からたまたま周辺海域に来ており、消息が掴めていないのはそのうちの一名、ただし詳細は現在確認中――という内容を告げる報道官の冷静を装った声が、翌朝のガラ空きとなったプレス・センターに響き渡った。

 ただちに行方不明者・捜索者リストの中にその人物の名が追加され、捜索の範囲が付近の海中、海底にまで拡げられた。

 だがそんなニュースも一時の“(しの)ぎ役”を果たしたのみで、あっという間にマスコミ各社の発信する情報の渦に呑み込まれていった。

 そして更に――。

 正午近い時間になって、また新たな衝撃情報が統合幕僚本部を揺るがした。

 レン軍曹のステージが銃撃されている証拠物件である。

 情報局のあるオフィスの一室で軍曹捜索のために、次の命令が下るのを待っていた隊員の部屋へ、ヒッカリ中尉が転がるように駆け込んで来た。

 「大変です! 軍曹のステージに銃撃痕の付いた断片が揚がってきました。幕僚本部では今、大騒ぎです」

 その時、頭の後ろで両手を組んでテーブルに足を投げ出すように座っていたヘキサノ少佐は、それを聞いて思わず口に(くわ)えていた煙草(たばこ)をポトリと落とした。

 「はあ~っ!? お前ェ~、ナニ言ってんだ」

 

     ◇

 

 ザナルカンド北東海岸沖の浅海域――通称『クレーター海礁』の海底下には誰にも知られていない地下空洞がある。

 それを最初に発見したのは同市に在住する二人の若い男女だった。

 彼らがいったい何をしてそんなものを見つけたのかというと、そこには聞くも涙、語るも涙の数奇な運命の導きがあったのだ。

 この場所に閉じ込められてしまったシューインとレンは、広間の中央にある倒れた石柱に肩を並べるようにして座り、何やら真剣に話し合っていた。

 二人は既に地下空洞内の都市の発見に成功していたが、まだ“発見に成功した”ことにはなっていなかった。

 それは無事にここを脱出して、ザナルカンドに帰り着いて初めて意味を為すものであったから――。

 シューインとレンの二人が手を繋いで歩いてみると、予想に反して当初考えていたほどにはこの空間が広いものでないことが分かったのだ。

 それは“閉じ込められてしまった”という表現がぴったりの内部構造と空間だった。

 だが、お陰でこの場所全体の立体的な把握がそれほど時間を掛けることなく無事にできた――とも言えた。

 「とにかく道に迷わずに済んでラッキーだよ。これなら何とかなりそうだ」

 強がりではなく、シューインはごく普通の確信に満ちた口調で言った。

 つられてレンが「うん」と相槌を打つ。

 が、さすがに不安そうな表情は隠せない様子だ。

 それでもこの人の言うことを聞いていると、自分も本当に何とかなりそうな気がしてくるから不思議だった。

 彼はどんな絶望の中からでもプラス材料を見つけ出し、それを起爆剤にして突破口を切り開いていく――そういう才能の持ち主だ、とレンは感じていた。

 二人が話していたのは文字通りの意味でその突破口を切り開く方法についてだった。

 彼らは現在、完全に閉じ込められているわけだから、まずはその状況を打破しないことには先が見えてこない。

 どうやって脱出するか――。

 二人が注意深く歩き回って観察した結果、人力で何とかなりそうな障害物を取り除けば(くぐ)り抜けられそうなポイントが何箇所か見つかっていた。

 それらの候補のうち、最初にどこにアタックを掛けるべきか――そのことについて彼らは慎重に意見を交換した。

 レンが完全に炭になった棒切れを拾ってきて、床の上に線を引き始めた。

 その手つきの鮮やかさにシューインは思わず目を(みは)った。

 歌手のレンに、絵の才能があるとは知らなかった。

 明らかにそんな感じの絵だ。

 彼女の手から、瞬くうちに正確な見取図が床の上に描き出される。

 しかもそれは単に上手いというだけでなく、彼女の記憶力と注意力、認識能力がいかに優れているかを雄弁に物語ってもいた。

 シューインが口を挟む余地など全くない。

 凄い図面だ。

 レン自身には今、自分が特別なことをしているという認識はないようで、それを事もなげに描き終えた。

 彼は知る由もなかったが、ザナルカンドの建設省都市開発局連絡部には通称『レン課』と呼ばれる部署があり、“重量の問題が構造的に解決せず、製図に困ったらレンちゃんに聞け”――という嘘みたいな言葉まで存在するのは、関係者の間では有名な話であった。

 誰が何と言おうと仕方がない。

 事実は事実だ。

 『ザナルカンドのレン』は、この街のことなら何でも知っていた。

 彼女は天才である。

 その姿を目の当たりにして、シューインは

 「この人と一緒なら本当に何とかなるかもしれない」

 という気がしてきた。

 ――俺一人では、とてもこうはいかなかった。》

 レンの描き出した俯瞰図(ふかんず)を見つめながら彼は(うな)った。

 正確な図面を与えられれば、彼の記憶も一段と鮮明になる。

 詳細な部分部分を眺めながら、“ああそうだった”“そういえばこうだった”と思い出すことも可能になる。

 幾つもの候補の中から、本当に手をつけたいと食指をそそられるポイントを選び出す。

 その横顔をじっと見つめていたレンが

 「どこから行きましょうか」

 と問い掛けた。

 何だか試されているような感じだ。

 「うん。それなんだけど、……ちょっと気になるところがある」

 「えっ?」

 シューインがあやふやな言葉をさも自信あり気に(つぶや)いたので、今度はレンが一杯喰わされたような顔をした。

 ぱっちりとした円らな瞳で彼を覗き込む。

 ブリッツの勘、とでもいうのかな。

 図面上に書き込まれたポイントの並びを見た瞬間、嫌なフォーメーションだ――と思ってしまったのだ。

 それを言葉で説明するのは難しいのだけど、一種の職業病に近いものだろう。

 普通の人なら“取り越し苦労”と一笑に()してしまうような細かなことだから。

 彼は何も言わなかった。

 そしてただ、レンの描いた図面の一箇所を指し示した。

 「じゃあ、せっかくだから気になるところから手を付けていこうか」

 とだけ――。

 シューインに指差されたポイントを見て、レンも同意した。

 「うん。そうね。行ってみましょう」

 相槌を打ってそのまま立ち上がろうと……。

 ――次の瞬間。

 彼の差し出した手を再び握ろうとして、レンの右手が空振りした。

 ―― ……??? 》

 「どすん」と音がして、シューインの体が石畳の上で弾んだ。

 小さな石ころが、弾かれたように四方に散っていく。

 びっくりしたレンが腰掛けていた石柱から飛び退()いて、しゃがみ込む。

 「どうしました? シューインさん、しっかり!」

 レンに体を揺すられて、しかしシューインはすぐに体を起こした。

 「……あっ、……ごめん。ご、……単なる立ち(くら)みだ。驚いちゃった?」

 頭を掻きながら立ち上がる。

 「大丈夫ですか」

 「ああ、大丈夫。みっともないところを見せちゃったね。今までこんな経験をしたことなかったから、気でも張ってたかな……。ちょっと休んでて、急に立ち上がったもんだから、つい」

 「わたしも同じだよ。随分いろんなとこを回ってきて大抵のことは経験したつもりだったけど、こんなところはさすがに初めてだわ」

 二人で笑い合い、改めてシューインが左手を差し出すと、レンが今度こそしっかりと握り返してきた。

 不安、孤独、絶望、勇気、危機感、信頼感……いろいろな感情が掌を通して伝わってきた。

 「行こう」

 シューインが語り掛け、レンが(うなず)く。

 二人の歩く足音が、硬質な石畳を踏み締める。

 薄明るい暗がりがそれをレーダーのように弾いて、方々に跳ね返してゆく。

 こうして注意深く耳を澄ましていると、この空間の奥行きがあとどのくらいあるのか感じられるようになってくる。

 相変わらず夥しい数の幻光虫の塊が引っ切りなしに飛び交っていた。

 彼女とこうやって、二人で手を繋いで歩いていると、何だか急に身体が軽くなった気がした。

 そりゃあ、あの『ザナルカンドのレン』さんと二人切りで手を繋いでいるんだもの、元気だって出るさ――。

 そう思おうとして、実はこんな極限状態に置かれると全然そんな気分になれないことを彼は思い知った。

 とにかく何としてもここを脱出して、ザナルカンドに帰り着かないと――。

 たとえ、帰り着いたその瞬間に“さよなら”がやって来るのだとしても。

 目的の場所はすぐに分かった。

 レンの見取図が正確だったおかげだ。

 やはり、立体認識が格段にしやすくなっている。

 ――そこの柱の先を右に曲がってすぐだよ。》

 自分が今、どの辺りを歩いているかが手に取るように把握できる。

 ――ほーら、ね。》

 曲がり角の奥は障害物で塞がれていて、それ以上先には進めない状態になっていた。

 改めて状況を観察したあと、二人は手分けして瓦礫(がれき)の山を注意深く取り除く作業を開始した。

 所々に隙間が透けて、向こう側が見えている。

 塞がれた道の奥にも空間は続いているらしく、幻光虫の揺らぎがその穴の輪郭を浮き上がらせては消えていった。

 どきどきした思いで気ばかり()くが、大きな壁塊が何かの拍子に倒れてきて押し潰されてしまったら一巻の終わりだ。

 作業は慎重にも慎重を期して、かつ効率的な除去を進めていった。

 が、30分ほど進んだところで、通路は数個の巨大な岩塊に()し掛かられて崩落していることが明らかとなった。

 二人で結構な距離を進んだのだけど、これ以上は危なくてほじくれない。

 また手作業で行うには限界がある。

 先に手を挙げたのはシューインの方だった。

 二人は顔を見合わせた。

 「残念だけど、ここまでだね。次、行ってみよう。もう一つだけ当てがある」

 「もう一つの? ……この、反対側ってこと?」

 レンが振り向いて、何もない壁の先――明後日の方向を指差す。

 「あれっ、バレてたか。さすがだね。お見事」

 少し驚いた顔をして、シューインは苦笑した。

 「なら話は早い。早速行ってみようよ。そこが最初の勝負だ」

 二人はまた手を繋いで歩き始めた。

 ゆっくりと音も立てずに舞い続ける幻光虫に照らされながら、二つの足音が規則正しく響いていった。

 その間、二人は特に話をしなかった。

 ただ手の平をしっかりと握り合わせて、そこを通じて言葉にならない想いを交し合っていた。

 こうして並んで歩いていると、レンの歩幅が微妙にずれてストレスを受け始める。

 すると素早くシューインが修正する。

 レンは決して“おチビさん”ではなかったが相手はプロ・ブリッツボールの選手だから。

 そういうカラダをしていることは、こんなときなどよく分かる。

 最初のポイントは駄目だったか……。

 二人は重苦しい空気に包まれていた。

 果たして――。

 出る、脱出するは良いとして、この神殿のような構造物の空間の外側には、本当に“外側の世界”があるのか?

 とにかく俺たちは閉じ込められたのだから、“外”に出ないことには何も始まらないのだが。

 この外側ってどんな世界だ?

 どうなってる?

 考えると、ますます怖くなってくる。

 その葛藤(かっとう)がお互いの掌を通して頻々(ひんぴん)と伝わってきた。

 お互いがその想いをやり取りし、お互いを確かめ合い、お互いに共有する。

 この空間では、二人の命は実質一つだ。

 助かるときには必ず二人同時に助かり、そうでないときは必ず――。

 その意思の疎通を、リアルタイムで音声にすることは(はばか)られた。

 最初からトントン拍子に上手く事が運ぶとは考えていなかったが、それでも心のどこかでそれを期待する想いがあった。

 とにかく早く楽になりたかった。

 「やれやれ、一時はどうなることかと思ったよ」

 という言葉を早く……。

 その思いを成就するための成功と、目に見える成果と、はっきりした前進が必要だったのだ。

 レンが手の平を強く握り締め、シューインがしっかりと応えた。

 ――うん、頑張ろう。諦めちゃいけない。試練は始まったばかりだ。》

 彼女たちは大広間に出たあと、そのまま壁沿いに歩いて次の目的ポイントに到達した。

 その間、注意して付近の様子を観察し続けたが特段に有効な手掛かりは得られなかった。

 先ほどチャレンジした通路とは反対側の地点、ちょうど最初の水辺の階段へと繋がる降り口のすぐ右隣の壁面まで来る。

 そして目標地点の(くぼ)みに立つと、状況を観察し、また同じ作業を繰り返していく。

 さあ、今度はどうか。

 幸いにして――と言って良いかは分からないが――こちらの方の除去作業は特に危険もなくスムーズに進み、簡単に白黒がついた。

 その先に現れたのは小ぢんまりとした室内空間で、当初通路だと思っていた窪みは、その部屋へ繋がる出入り口だと判明した。

 つまり完全に行き止まり、だ。

 部屋の中は全くの“ガラン堂”だった。

 人が通り抜けられそうな穴どころか、壁には(ヒビ)一つ入っていない。

 この神殿(?)の内部はあちこちで崩壊が起こり、至るところで通路が寸断されているというのに、皮肉といえば皮肉なものだ。

 一方で、こんな何の意味もなさそうな小部屋が傷一つ付かないで残っているなんて。

 「…………」

 室内には、瓦礫どころか、(ほこり)一つ落ちていない。

 ――いや。

 奥の壁面には中央に、まるでスフィアでも嵌め込むためのような小さい窪みがあり……。

 その真下の床には、これ見よがしに怪しげな岩が一つ置かれていた。

 シューインが一人で何とか持ち運べそうなサイズの岩である。

 「????」

 怪しい。これは、幾ら何でも怪しすぎる、だろう。

 そんな、いかにも場違いな岩だった。

 天井も周囲の壁面も罅一つ付いてない。

 当然、上から落ちてきたとか、横から崩れ落ちてきて、たまたまこの場所にある――という過程を経てある(・・)ものでないことは一目瞭然だ。

 人為的に、わざわざ誰かが持ってきて、ここに置いたのだ。

 それ以外には考えられない。

 こんな岩を、か???

 何の目的でだよ???

 ――――。

 「ふう。……ここも駄目だったわね」

 レンが嘆息した。

 「でも――。これは何とかできるかな。ま、退けたって、どうにもならないとは思うけど」

 そう言ってシューインは構わず部屋の奥まで進み、両手で岩を「よっこいしょ」と持ち上げた。

 普段なら何と言うことのない大きさ、重さの岩だったが、取り敢えず右手に力が入らずに痺れた。

 岩を退かすと果たして――床下にも、奥の壁面下部にも当然、何の仕掛けも装置も隠されてはいなかった。

 レンも早足で近寄って来て、(かが)み込むように覗き込んだのだが、何も発見することはできなかった。

 「ふう~っ……。改めて、ふう~だよな。ま、分かっちゃいたけどね、こんな紛らわしい悪戯(いたずら)、すんなよと言いたくなる」

 「この頃のザナルカンド人って、なに考えてるのかしら」

 「さあね。ま、俺たちも一応、“今日ビ”のザナルカンド人なんだけど」

 「確かに――」

 そう言ってレンも笑った。

 最後に正面の壁の中央に埋め込まれている丸いスフィアのような窪みを一応、(あらた)めて溜め息を吐く。

 やはり変わったことは何も見当たらない。

 で、シューインは両手に持った岩を――。

 そのままその場には置かず、黙って外に運び出し始めた。

 こういうところは、気の利いた優しい、几帳面(きちょうめん)な青年なのだな、とレンは思わずにはいられなかった。

 日頃の何気ない行動にも、そういったことは出てしまうものだ。

 レンがシューインの背に目をやっていると、重そうな岩塊を抱えて入り口を出て行ったシューインが、思わずドスンと岩を床に突いて突然しゃがみ込んだ。

 ――いや、いや。いくら重くても、入り口の真ん前に置くってのは、どうかしら……。》

 さすがに、そこは邪魔よ。

 まあ、気持ちは分からないでもないけれどね……などと思っていると、ややあって、彼の体はその場にドサッと転がった。

 ――えええっ?? きゃあ! そんな!?》

 驚いたレンが部屋の奥から飛び出し、慌てて彼に駆け寄る。

 「大丈夫ですか! ねえ、大丈夫?」

 同じ言葉を何度も繰り返す。

 「ねえ! しっかり」

 他には言いようがなかった。

 シューインは肩で息をしていた。まるで空気が、肺の中にちっとも入っていかないような……。額や首筋から異様なほど汗が噴き出して、心臓の高鳴りが背中を触っただけで伝わってきた。

 ――おかしい。いったい何が。》

 ついさっきまでの元気な様子からは考えられないほど突然の変調ぶりだ。

 だが彼の身体を抱き起こし、額に手を当ててみて、レンはようやく全てを悟った。

 他でもない――。

 過去にお芝居で、何度も何度もやってきたことだ。

 余りにもベタな展開の恋物語のお約束。

 ザナルカンドの少女と、見も知らぬ外国人の青年との運命の出会いなんて。

 しかし状況が違いすぎた。

 周りの景色が、今、自分たちの置かれている立場が、余りにも違いすぎる。

 よりによってこんなところで……。

 しかも、まさかザナルカンド人同士でそれ(・・)を演じる羽目(はめ)になろうとは――。

 もちろん、見間違うこともなかった。

 これは……。

 

 「――幻光虫症だ!」

 

 シューインの肉体は過剰なエネルギー反応で溶けそうなまでに発熱し……、目は虚ろ……、頭の中はぐるぐると回り始め……。

 レンのいかなる言葉も、もう彼の世界には届いてなどいなかった。

 

     ◇

 

 長い階段を上る――。

 長い階段を、目の前に居る直属のボスと二人きりでだ。

 視界の限られた単調で狭隘(きょうあい)な空間を、こうもグルグルと回っていると、本当に気が滅入(めい)りそうになってくる。

 この構造は、何かの作為か、でなければ悪意でもあってのことなのかね……。

 ここは、通称『白の塔』と呼ばれる全面白亜の石壁で造られた塔の中だ。

 塔の中でも一番暗い場所。

 ――なに。

 一番に暗いといっても、外の明るさに一番近い場所だった。

 塔の外周の壁面一枚を挟んで、そのすぐ内側なのだから。

 そこが一番に暗いなんて、この塔を造った人間の気が知れる。

 最上階に巣食っている主人の素性が垣間見(かいまみ)えるってもんだぜ……。

 やれやれ、だ。

 とにもかくにも仏頂面(ぶっちょうづら)を押し隠して、彼は黙ってボスの後をついて行った。

 ――――。

 長い階段を上る。

 それは本当に長い階段だった。

 最後の一段を上り切ったとき、思わず「ふうっ」と溜め息が出た。

 「何だ。疲れたか」

 「――いえ、申し訳ありません。この程度、慣れておりますので。……いよいよ来たな、と実感しております」

 「ああ、そうだな。そうだ……。ここが全ての出発点だ。もう、後戻りはできんぞ。それと、時間がない――簡単にな。くれぐれも粗相(そそう)のないように」

 「はい、心得ております」

 男はそう返事した。

 ボスは立ち止まり、チラリと振り返って確認すると、それ以上、何も言わずに狭い通路を進んで行った。

 その先に現れた薄黒いドアを静かに“ポン”とノックする。

 ―― ! ……。》

 「猊下(げいか)、お久しゅう――ガラムサイズに御座ります。ただ今、宜しいでありましょうか」

 小声で囁いた。

 「おう、卿か。確かに久しいな。……そうか、レミアムより戻ったか。ご苦労であった。――して、隣りの御仁(ごじん)は?」

 「はっ。猊下より、兼ねてご所望(しょもう)のあったエージェントに御座りまする。至急、お目通しを賜りたく、連れ参じました。……これ、猊下の御前であるぞ。ご挨拶を」

 そう言ってガラムサイズは脇に寄った。

 連れの男が一歩前に進み出て口を開く。

 「お初にお目に掛かります。諸国遍歴(へんれき)のフリー・ジャーナリスト、“さすらいの騎士”……あ、記者だった……こと、ラグナ・レウァールと申します。私がここに来た、ということは――つまり、猊下が私の“本当のボス”と考えて宜しいんで?」

 

 

 

  〔第2章・第7話〕 =了=

 


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