機械戦争戦記・レンの歌声が聞こえる   作:咲尾春華

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第2章・第6話

 

 

     6

 

 

 ザナルカンド北東側の海岸線付近はこの国でも一番のリゾート地帯で実際、風光明媚(めいび)なところだ。 沢山の人がいろんな目的でここを訪れる。

 ブリッツボール南地区リーグ所属のプロチーム、ザナルカンド・シティの選手たちもよくここで合宿を張っていた。 (もっと)も海岸沿いの浅瀬は人、人、人でごった返すから、それよりはずっと沖合いの通称 「クレーター海礁」 域付近まで足を延ばすのが普通だが。

 その日は、昨シーズンの中盤から本格的にレギュラー・ポジションを掴んだばかりの新進MFシューインが、主将でGKのビッグスとその相棒のRDFウェッジとともに、自家用のボートを駆ってやって来ていた。

 ――――。

 「キャプテ~ン、あそこなんかどうでしょう!」

 小艇の舳先(へさき)に立っていたシューインが指差して操舵室を呼んだ。 ビッグスがひょいと顔を(のぞ)かせて様子を(うかが)う。

 ……確かに。

 ほど良い高さ、大きさの岩礁が、彼の示した先に見えている。

 「うーん、そうだな。 いいだろう。 寄せられそうなとこ、あっか?」

 舵を握っていたビッグスが、そう言いながらスピードを落として左回りに近づいて行く。

 「下は全然……大丈夫そう。 そのまま前進、OK」

 隣で “チョコっと・ソナー” の画面を(にら)みながら、ウェッジが相槌(あいづち)を打った。

 ビッグスご自慢の自家用艇は岩場の脇に卒なく横着けすると、クッションボードを膨らませて錨泊(びょうはく)した。 渡し梯子(はしご)船縁(ふなべり)から90度旋回して伸張し、岩場に接地させると三人はそれぞれ荷物を抱えて上陸を始めた。

 ちょうど波も静かで良い天気だ。 気温も水温も申し分ない。 トレーニングをするには絶好のコンディションと言えそうだ。

 北東海岸からクレーター海礁域まで続く遠浅の海は、世界でも最も幻光虫濃度が高く、また南からの暖流が入り込んでくるため地勢に似ず温暖で穏やかな場所だ。 そのためブリッツの選手たちにとっても、そこは最高の環境である。

 現に彼らが上陸した岩場を歩いてみると、こんな沖合いにある岩場にも(かか)わらず過去、既に何度も人が利用したであろう跡が散見された。

 ――――。

 「どぉ~れぇ。 それじゃ俺たちもチト、世話になるか」

 三人は岩場の頂上付近の窪地(くぼち)に簡易テントを張って荷物を整理すると、さっそく今後の練習方法や新フォーメーションのテストについて話し始めた。

 主将のビッグスと相棒のウェッジは筋金入りと言えるくらいの理論家で、作戦や戦術、陣形などの話を始めると終わらなくなる人たちだ。

 シーズン・インに先立って、それらこのオフ中に話題に上った作戦理論の山を実際に逐一(ちくいち)テストして、使えそうなものについてはマニュアル化していこうというのがこのキャンプの目的だった。 特に今回の場合は、チームの根本的な守備システム総取り替えの議題がメインに採り上げられており、本気でやり始めたら今日一日ではとても終わりそうにない状況だった。

 ここなら人の目を気にすることなくサインプレーも含めた反復練習、テストが行える。

 だが、「言うは(やす)し、行うは――」 の例に漏れず、地道で時間と根気の要る作業だ。

 チームの他のメンバーは

 「取り敢えず、結果が出たら教えてください。 そこからみんなで話しましょう」

 と言うだけでテスト合宿には尻込みし、結局新人のシューイン一人がお供することになった次第である。

 この新進MFは真面目(まじめ)で一見大人しそうだが、熱くなるとハートがぐいぐい前に出てくる好青年だ。 案外――と言っては失礼か、彼もブリッツの話をするのは嫌いな方ではないから、ついつい二人の大先輩のペースに乗せられてしまう。 お陰で今ではすっかり気に入られてしまった。 親分が二人で子分が一人だから忙しいこと、この上ない。

 このとき三人が話し合っていたのは主に同じ南地区リーグの最強豪チーム、ザナルカンド・ユナイテッドの天才FWヤクトをいかに対処(ケア)するか、という課題についてだった。 今シーズンは開幕戦でいきなりの対戦が組まれていた。

 正直、難敵である。 とにかくヤクトの突進を止めなければならない。 この相手と対戦するときの勝敗の行方は、そこに全てが懸かっていると言っても過言ではなかった。

 彼を潰すための守備陣形を 「大名マーク(マンツーマン・マーク)」 方式から 「地域分担(ゾーン・ケア)」 方式に、抜本的に切り替えようということを最初に言い出したのは確かシューインだったと思う。 もちろん最初はほんの冗談のつもりだったのだが……。

 普通に考えたらそれは全く逆で、他のチームはどこでもユナイテッドとやる時にこそ、ガチなマン・マーク方式にシフトしてくる。

 とにかくこのチームが対戦相手のときは、何を()いてもヤクトのマークが機能しなくてはゲームにならない。

 そのマーク方法の是非を巡っての議論になるのは当然のことだった。

 どこかで飲んでいたときに(はず)みで出た話だ――要するにヤクトを可能な限り 「1対1」 ではなく 「2対1」 でケアできれば楽なんだけどねぇ……という。 「それなら “ゾーン” でやるしかないっすよ」 と、雲行きが怪しくなるのを察知したシューインが素早く口を挟んだのが発端だった。

 ヤクトにラスト・パスが入ったとき彼に対応しているのは、普通はRDFのウェッジだ。 そこからシュートの体勢に持って行かれるまでの間に 「2対1」 の状況をつくり出すには、結局のところMFのシューインが駆けつけるより他に方法がない。 彼は基本的にはパスの受け手のヤクトではなく、そのパスの出し手をケアする人間だ。 距離が開きすぎていて、そのままでは現実的でない。 ブリッツボールにとってラインの上げ下げは死活問題だから、単純に連係距離を稼ぐという目的でMFのシューインが引いて守るというのは本末転倒である。

 水中ではボールがなかなか進まない。 パスを通すにも限度がある。 だから逆にシューインが高い位置を取れれば取れるほど普通、ヤクトへのパスは通らなくなる。 そこで(しび)れを切らしたヤツ(・・)がパスをもらうために下がってくれば、マーカーとして一緒について来るRDFウェッジとMFシューインとの距離が自動的に縮まり、一方で自陣ゴールまでの距離は当然どんどんと開いていき、シュートも打たれにくくなる道理だ。

 これが 「ユナイテッド」 とやるときの、どのチームでも採用している基本的な戦術だった。

 しかしラインを上げれば上げるほど――スフィア・プールは球状だから――守備エリアが拡大し、各人の負担が増大していく。 そうこうしているうち、結局いつかは薄くなった防衛線のどこかの突破を許してしまう。

 かくて 「やっぱりヤクトは凄い」 という、お決まりの評価を献上する運びとなるのが常だった。

 ――――。

 「もちったぁ、学習しようぜ!」

 というビッグスのいつもの決まり文句で、酒の勢いも借りて、“雑談” とも “冗談” とも “愚痴(グチ)” ともつかない会話をしているうちに、先のシューインの言葉がひょろりと出てきたわけだ。

 そもそもヤクトにパスが通ったときに二人で壁を作って守備をするには、シューインがウェッジのところへ駆けつけるのではなくて、シューインとウェッジの二人が常に等距離を保って守備し、要所でヤクトを同時に絞め付ける――という形を取らざるを得ない。

 ウェッジが最初からヤクトのマークにべったりと付いているのは、妙な言い方だが(かえ)って邪魔なのだ。

 それではヤクトの次の行動、突破コースを想定できなくなるし、ウェッジ自身が移動距離を稼げなくなる。

 MFシューインがマーカーのウェッジの元に一方的に寄るのではなく、味方の二人が同時に相手FWのヤクトを絞め付ける形なら、理論上の移動距離は実質2分の1で済む。

 故意に誘いの(すき)を作るという危険な行為は、そのガラ空きのコースをヤクトが狙って来る以上、一方で常に二人の連係距離を短縮するという利点を生む。 要は発想の転換だ。

 一理ある。 これは確かに捨て難い。

 「ゾーン・ディフェンスに抜本的移行か……」

 聞くなりビッグスが、はたと考え込んだ。

 それをするためにはシステム全体を一から作り直さなければならないが――。

 下手をすると選手、チームの構成メンバーを入れ替えるところまで話は容易に行ってしまう……。 恐らくその試合専用の選手を確保する、くらいの手は必要になるだろう。

 ――しかし、果たしてそれで間に合うかな。》

 「しんどいんじゃないですかねぇ」

 シューインとウェッジの間に誘いの隙をつくったら、気持ち良くそこを突破されて “ごっちゃんゴール” では話にならない。

 マーカー役のウェッジは本能的に反対意見を述べた。 ヤクトのマークを故意に外して「()フリーにしてしまう」 など、彼にとっては想像を絶する行為だった。

 「だけど、誰もマークに付かないとヤクトさん、目を()いて驚くでしょうね」

 「おう、シカトだよ、シカト。 思いっ切り無視してやるのさ。 ナメとんのか、われェ~! てな。 ゲームが始まっていきなりよ、誰も寄って来ねぇんじゃな。 そりゃあびっくりだべ」

 「プライドを傷つけられますよねえ、ヤクトさん。 どんなプレーしますかね」

 言いながらシューインが笑っている。

 「ハハハハッ。 遮二無二(しゃにむに)、誘いの(わな)に乗って来ること請け合いだ。 それは間違いない。 (やっこ)さんを怒らせるとどうなるか、けだし見モノってやつだな」

 「見てるだけでいいのなら問題ないっすよ~。 その “怒りのパンチ” を頂戴するのは、結局おいらだもんなー。 そこんところをね……、無理だと思うけどなぁ」

 「まあ、そう言うなって。 “2対1” にしてぇんだろ。 最初から決めつけちゃ何も始まらんさ」。

 …………。

 彼らはそのことについて話し合い、これなら何とかなるかも知れないという幾つかの案を(まと)めてこの日の確認作業に入った。 実際に動いてみてどうなるか細かいところを詰めていく。

 取り敢えずその場での打ち合わせが纏まると、さっそく海に入って逆三角形のゴールネットを張り、実験の繰り返しを始めた。 問題が起こる毎にプレーを中断し、すぐ岩場に上がって話し合う。 時間はどんどん経過していったが、お陰で午前中だけでもかなり突っ込んだところまで確認することができた。

 やりようによっては、かなり何とかなりそうなところもある。

 それなりの手応えはあった。

 ――結果的な事を言うと、その本番の実戦では、この時の彼らの努力がドンピシャリと功を奏すことになるのだから巡り合わせとは皮肉なものだ。

 実戦本番においてザナルカンド・ユナイテッドのエースFWヤクトが世間に初めて披露した驚天動地の必殺技――。

 ヤクト・シュートに代わるヤクト・シュート2号自体を想定したものでは勿論なかったが、その新シュートをいきなり鉄壁に防いで、この(こけら)落としの開幕戦を歴史に残る名勝負としたのは、この新型ディフェンス・フォーメーションだったのだ。

 この前代未聞の奇抜な陣形は、結果として―― 「ヤクト・シュートは一点見えたら打てる。 だがヤクト・シュート2号は一点もなくても打てるんだぁ~!」 という奴の(うた)い文句を初戦で早々と返上させることとなる。

 が、それは本当に後々の結果的なことだ。

 まだこの時点では、まさかヤクトがそんなシュートを打ってくるとは夢想だにしてない。

 あくまでも彼にヤクト・シュートの体勢に持って行かれないための対策である。

 取り敢えずここから先はチーム全員で一度、突っ込んだ話をする必要があった。

 ――余談ではあるがこれより1000年の後、別の時空のザナルカンドで全くの別人によってこのヤクト・シュート2号を発展的に改良した3号シュートが日の目を見るが、その時なぜ唐突に “3号” の名が(かん)せられているのか誰にも説明がつかず不思議がる、という事件があった。

 それについては、その息子なる人物が出て来て

 「あれ、本当は1号も2号もないんだぜ。 だけど適当に――取り敢えず “3号” って言っときゃ、ますます注目を浴びるだろ。 だから……」

 みたいなことを言っていたが。

 ――いや、いや。 いくら何でも、さすがにそれはないだろう。》

 と、聞いている人は全員思ったに違いない。 ――ユウナ以外は。

 てか、ユウナしか聞いてなかったんだけどね~、そのときには。

 とにかくその当時には、それくらい説明がつかず不思議なことだったのだ。

 本当に、本当のことを言うなら――。

 それには実はこういう1000年前からの因縁があったのである。

 そしてこのシュートは何故かザナルカンドが滅びる時に限って、決まって象徴的に現れるのだ。

 まるで何かの寓意(ぐうい)でもあるかのように……。

 それはともかくこの後、三人は天辺のテントに戻って昼食を摂り、午後からはシューインは遠泳トレで一人、沖に出掛けて行った。 先輩二人は午前中の成果を纏めるため、そのままテント内で話し合っていた。

 彼らが後輩の姿を見たのは、このときが最後である。

 シューインは運悪く、この直後に近海で行われていた軍部の召喚試験騒動の余波に巻き込まれ、遭難したらしかった。

 ビッグスとウェッジが話し込んでいると、突然大きな衝撃が来て地面が揺れ、続けざまに大爆発音が沖の方から聞こえてきた。 驚いてテントの外に出てみると、水平線に巨大な水柱が立ち昇り、純白の輝光線がそこから轟々(ごうごう)冲天(ちゅうてん)しているのが見えた。

 信じられない光景だった。

 「何だ!? ありゃあ……」

 真っ昼間だというのに、思わず額に右手を(かざ)してしまうほどの輝き――。

 二人は何が起きたのかさえ分からず、唖然としたままその場に立ち尽くしてしまった。

 一方、そのころレンのつくり出した召喚面から3ディスタールスとちょっとの海中を泳いでいたシューインは、“唖然” では済まない事態に見舞われた。

 いきなり 「どしーん」 とくぐもった音がしてビシっと全身を鞭打つような衝撃を受け、そのまま海中を弾き飛ばされた。

 「うわっ!」

 右手を伸ばして強く()き込もうとした瞬間を強烈に横から殴打(おうだ)されて、彼は独楽(コマ)のように回転した。

 続けざまにドーン、ドーン、ドーン、ドーンと連続爆発でも起きたような波動が襲って来る。

 体勢を立て直すことも(まま)ならず、その都度、全身をメチャクチャに打ちのめされた。

 そしてすぐさま潰されるような高圧水流がドッと押し出して来る。

 あっという間に思考が飛び、視界が 「キューン」 と鋭い金属音を立てながら暗転してゆく。

 幸いにして突然に起こったこの振動も長くは続かず、すぐに治まった。

 が……。

 シューイン自身がそれを確認することはなかった。 彼の身体は、そのまま静かに水中を漂い始めた。

 

     ◇

 

 ザナルカンド――。

 統合幕僚本部内に設置された臨時作戦室に陣取り、一人苦虫(にがむし)を噛み潰したような顔をしてゼイオン元帥は苛立(いらだ)ちを隠し切れないでいた。

 レン軍曹が召喚試験に臨んでから、既に30分が経過していた。

 しかし何がどうなったのか、肝腎(かんじん)なことがまるで分からない。

 事態がさほど(かんば)しい方向に推移していない状況は理解ができた。

 しかし。

 ――まさか、失敗したのか?》

 現場はいったい、どうなっているんだ!!

 とにかく正確な情報が欲しい……。 

 と思っているところに、この作戦の総指揮官ミーノック少将が駆け込んできた。

 「ご報告致します」

 「おう! 現場はどうなっている!?」

 ゼイオン元帥が怒鳴るように()き返した。

 だが、対応は思っていたより……まあ、迅速(じんそく)な方だ。

 ミーノック少将が右手でびしっと敬礼してから報告を始めた。

 「ハッ。 ご報告を致します。 本日、正午よりクレーター海礁域にてレン軍曹が召喚試験を敢行(かんこう)致しました。 彼女は開始してしばらくの後に召喚獣アレクサンダーと思われる祈り子素体との接触交感に成功。 そのまま直ちに召喚の舞に移行しました。 間を置かずに召喚獣実体化のための召喚空間を形成致しましたが、その召喚域は直後に消滅。 召喚獣の実体化は成りませんでした。 理由は不明であります。 ――レン軍曹は現在、消息・安否不明の状態であります!」

 報告は決して喜ばしいものではなかったが、こういう時は――いや、寧ろこういう時にこそ正確を旨とし、変に言葉を選ばないに限る。

 自身の保身や都合は一切無視して、だ。

 そういうところをミーノック少将は(わきま)えていた。

 しかし案の定、聞いていたゼイオン元帥は絶句して(うめ)いた。

 この事態に臨んで、まるで覚悟ができてなかったのだ。

 あるいは、失うものが大き過ぎるのか。

 この人にとっては、ね。

 ――――。

 しばらく待って、元帥閣下からの応答(レスポンス)が得られないので少将は頑として意見を述べ続けた。

 「現在、判明している事実の要点を申し述べます。 まず、召喚獣アレクサンダーの実在が今回、初めて正式に確認されました。 が、残念ながら実体化には至りませんでした。 召喚獣・レン軍曹ともに消失。 レン軍曹は現在、全力で捜索中です。 手掛かりと思しき遺留物は一切、発見されておりません。 レン軍曹の他に死傷者、不明者が出たという報告は現在のところ入って来ておりません」

 「――――」

 「…………」

 「……………………。 今回の試験は、……失敗した。 ということか」

 「――――」

 「何を()って “失敗” と言うのか、によると小官は愚考します」

 「――――」

 「交感・制御に(とどこお)りなく成功し、召喚獣の入手を完遂(かんすい)したことを以って初めて “成功” と言うのであれば、残念ながらその事実は達成できませんでした」

 口を開こうとしたゼイオンの機先を制して、ミーノックが続けて答えた。

 「しかし、もしも仮にレン軍曹がこのまま殉職(じゅんしょく)――ということになれば、そのことは逆にアレクサンダーの実在が初めて証明された、何よりの動かぬ証拠となります」

 「…………」

 「祖国復興以来700年、唯一、再召喚の手掛かりも掴めぬまま “未登録” の身に甘んじていたザナルカンド全召喚獣の象徴が、もはや伝説や伝承、御伽話(おとぎばなし)や数少ない古史料に(すが)るよりなかった時代は終了致しました。 これが現時点で、今後の如何なる状況の変化にも拘わらず、既に獲得が確定している “今回の成果” であります」

 …………。

 「それで、……本当にアレクサンダーの実在が……確定した。 と言えるのか?」

 「長閣下。 レン軍曹は今回の試験で、召喚空間の生成までは成功しております。 そのことは、現場に居合わせた者全てが一部始終を見届けております。 召喚空間が出来ました以上――。 この世に実在もしない召喚獣の召喚空間など、作りようもありませぬゆえ」

 「う~むぅ……」

 「これでアレクサンダーの扱いを、一気に “未登録” から “空位” の段階にまで引き上げることが可能となりました。 そもそもアレクサンダーは建国の勇者ハインの手で最初の召喚実績が記載されておりますゆえ――」

 「…………」

 「また、今回の件で千年間眠り続けていたアレクサンダーのスイッチが晴れてオンになりました。 これからはこの召喚獣も多少、呼び出しやすくなるものと推測されます」

 「それは。 ――確かに、そうかもしれんが……」

 「ですから今後の勝負は、(ひとえ)にレン軍曹の無事生還が為るか否かに懸かって来ると思われます。 それが達成できたなら、ひとまずは “成功” と呼べるのではないかと――」

 「この状況では、過去の例に照らしても――そのレン君の生還は、厳しいのではないかな?」

 「たとえそうであったとしても、軍事行動に友軍の多少の損耗(そんこう)は付き物です。 過去、試験中に従召が命を落とした例など幾らもあります。 決して珍しいことではありません。 現に、今回の件に関しましては非常の事態に対応するため、(あらかじ)め従召本人の射殺隊まで配置して臨んだ試験であります。 その非常の事態は完全に回避されました。 また銃撃隊が誤って発砲し、不用意な射殺を実行してしまったわけでも、決してありません」

 …………。

 「――――それで、その銃撃隊は帰ってきたのか?」

 ゼイオンが何を思ったか、唐突に怒声を発した。

 「はい。 既に部隊全員、無事に帰等(きとう)を完了しております」

 ミーノックが(おく)せずに答える。

 「何名だ?」

 「7名であります。 当該時刻には全員、ステージから230ディスツ離れた岩場に臥せっておりました」

 「――――。 現場の指揮官の階級は?」

 「少佐であります。 小官の直属の部下ですが」

 「低いな……。 事態がこうなってみると、だが。 ――しかし、最前線の1小隊長として見るならギリギリ妥当と言えるのかな。 まさかそんなところに大佐や将官を充てるわけにもいかんか」

 「申し訳ありません。 ……(わたくし)自身が少将でありますゆえ。 通常の隊でしたら准尉、曹長クラスの任務であります」

 「う……ん。 で、その少佐と今、直接に通信器で話すことができるかな」

 「えっ、はっ。 至急、呼び出します」

 ――――。

 小発で何とか無事に基地の港まで帰り着いた小隊員たちは、息も絶え絶えに医務室で銘々(めいめい)がコーヒーなど飲みながら必死に心を落ち着けて、とにかく暖を取り、びしょ濡れに強張(こわば)った身体を温めていた。

 すると――。

 突如、ヘキサノ少佐のスフィア通信器が鳴り出した。

 相手は勿論ミーノック司令からだった。

 ――おう、ヤべッ! 親っさんの方から先に来ちまったか。》

 まだ、身体が言うことを利かないんだが……そうも言ってられんか。

 (かじか)んだ力の入らない手でベルトから通信スフィアを強引に(むし)り取り、通話口に出た。

 「報告が遅くなり申し訳ありません、閣下。 第一報は先の通りであります。 現在、新情報は何も入って来ておりません。 身体が回復次第、大至急、きちんとした報告を差し上げるつもりでありました。 ――それとも先のことで、何か?」

 ――――。

 震える舌と唇を懸命に動かして、上記の意味の言葉を通話口から押し出した。

 受信器からいつもの、ミーノック少将の落ち着いた声が返ってきた。

 「身体の手当て中に悪いな。 とにかく急いでいるのでね。 君が直接に見たことを知りたいのだ。 今、ここに長閣下がいらっしゃる。 ぜひ、お()きになりたいそうだ。 その感じで構わないので、とにかく通話に出てくれ。 じゃあ、代わるぞ」

 ――ってぇ~! ちょっ、長閣下がぁー!!??》

 これには、さすがにぶっ飛んだが、有無を言わさずに本当にその元帥閣下が通話口に出た。

 TVスフィアでよく見知っているゼイオン閣下の声だった。

 もう間違いようもなかったし、当然どうしようもなかった。

 本当の長閣下が、通信器の口に――。

 とにかくゼイオン閣下であろうと、話すより他はない。

 ――おい、マジかよ。 この俺サマごときが……。》

 この際、心の準備が――とか、身体の準備が――とか、変に時間を与えられなかったのが(かえ)って良かったのかも知れなかった。

 「長閣下! 失礼致します。 現場で指揮を執っておりましたヘキサノ少佐であります」 

 「うん。 治療の最中に()かせて済まぬな。 今、大丈夫か」

 「はい。 問題ありません」

 ――と、答える割に声は随分と震えているようだ。》

 まだ無理か、ともチラリと思ったが、時間がないのも事実だった。

 「その様子だと少し、まだしんどいかな。 だが、急いでるんだ。 軍部の公式発表を遅らせる訳にはゆかない。 声や口調など、この際いい。 意識はしっかりしてるか?」

 「はい。 大丈夫であります」

 「これから、君個人の予測や考えは一切排除して、ただ起こった事実、その目で見たことのみを話してほしい。 出来るか?」

 「はい。 心得ました」

 「回答できないこと、不確かなことがあったら、遠慮なく “分かりません” と答えるように」

 と、ゼイオン閣下はしつこく念を押した。

 「はい。 分かりました」

 観念したようにヘキサノ少佐が震える声で答える。

 「では最初の質問をする。 君はレン軍曹の召喚試験の際、いつからいつまで、どこに居たか?」

 「はい。 ステージから230ディスツの距離にある岩場に臥せっておりました。 レン軍曹が軍の小発でステージに到着する1時間ほど前から、軍曹が召喚空間を作り出して、完全に視認が叶わなくなり、脱出したまでの間です」

 「君の指揮下の部隊員、全員がそうか?」

 「はい。 小官の他6名全員が同一の場所で、同一の行動を取っております。 全員が終始、完全に小官の指揮下にありました。 別行動を取った者は居りません」

 「君の隊が港を離れて作戦行動に入ってから、該当の岩場に布陣し、撤退して基地に帰等するまでの間に試射、誤射、暴発を含めて実弾は全員で都合、何発発射した?」

 「0発であります。 出港時より帰港時までの作戦中、誰一人、唯の1発も発砲してはおりません」

 直ちにヘキサノが言葉を返した。

 対して、ふっと息を吸い込む音が受話器の向こうで聞こえた。

 「おい! このことは最重要事項だぞ。 分かってるな。 ――念を押す。 本当だな? 本当に誰も1発も撃ってないのだな? 必要なら今直ぐ、全隊員にもう一度この事実の有無を徹底、再確認せよ!」

 「了解致しました。 もう一度、全隊員に再確認を取ります。 申し訳ありません。 少々お待ち下さい」

 迷う暇はなかった。

 ヘキサノ少佐は、そう答えて通信機をポーズにしてベルトに戻すと、顔を上げて隊員を見据え部屋中に響く声を張り上げた。

 「治療中に済まない。 全員、聞いてくれ。 ……ま、先ほどから既に聞いていたとは思うが、長閣下から直々の確認要請があった。 ――ので、心して再確認してくれ。 先ほどの作戦に携行した連装ライフル、みんな持ってるな。 今作戦のために出港してから港に帰等するまでの間、我々は唯の一人として絶対1発も射撃をしてない――はずだ。 そうだよな」

 「はい」

 と、6名が一斉に声を発した。

 「よし。 では今からその事実を再確認する。 もしも違っている者が居たら――その時は、そいつは俺と一緒に死んでくれや」

 ヘキサノ少佐がそう言って不敵に笑った。

 間違いはない。 7人全員が知っている。 我々は本当に誰も1発も撃ってはいない。

 ――絶対だ。》

 「ミー少尉。 全隊員が出港直前に記載した射弾カウンターのリストを持ってきてくれ」

 「はい」

 と答えて、ビクニ・ミー少尉が1枚の紙切れを大佐の座っている丸テーブルの上に置いた。

 「みんな自分の銃を持って、ここに集まってくれ。 全員で確認するぞ」

 銘々が一人ずつ自分の愛銃をリストの数値の前に差し出し、各自の射弾カウンターの数値と見比べる。

 「数値――00◎×◆□▲*000――。 下3桁の数値は000、その最後の1桁は間違いなく0」

 と、7人全員で全員の銃を確認する。

 まるで宝(クジ)の1等でも当たったかのように、震える声を出していた。

 わざわざ全員の銃の射弾カウンターを下3桁が “000” になるよう、前日までに試射して揃えておいたのだ。

 間違いない。 誰も、1発も撃ってはいない。

 「よーし。 じゃあ全員、弾倉マガジンを抜け。 初弾の薬莢(やっきょう)は?」

 各人がガチャッとマガジンを外して弾倉からベルトを引き出し、初弾を確認する。

 「入ってます」

 と、確認動作の抜群に早いヒッカリ中尉が一番に声を発した。 続いて他の者も順次

 「あー、あります」

 「装弾されてます」

 「OKっス」

 …………。

 6人とも、確かに初弾が装填されているのを確認し、ヘキサノ少佐は最後に自分の銃のマガジンを抜き出し、薬莢が空になっていないのを指差し確認して、フゥ~と息を()いた。

 「よし。 確認終了だ。 全員、解散して戻っていいぞ」

 そう言って視線を再び自分の腰に落とし、通信スフィアを急いで取り出すとポーズ(ぼたん)を解除した。

 「お待たせ致しました、長閣下。 作戦に出動した7名全員、携行した銃の射弾カウンターが出港前に記載した数値から目盛りが動いていないこと、並びに弾倉マガジン内の初弾が装填されていることを確かに確認致しました。 (カラ)薬莢は1発もありません」

 身体が回復してきたようで、随分としっかりした声を出しているのが自分でも分かった。

 「宜しい。 ご苦労だったな。 では、どこかの浜に軍曹の遺体が揚がってくるようなことがあっても――」

 「はい。 その身体には、間違いなく1発の銃創も付いてはおりません。 我々は唯の1発も撃ってはおりませんので。 それだけは絶対に請け合えます」

 それを聞いてゼイオン閣下の口元が、ふぅ~っと緩んだのが聞き取れた。

 「良かった。 何よりその事実を確認したかったのだ。 これで最大の懸案事項は解決した。 ――では次にもう一つだけ、重要なことを聞かせてくれ」

 ……とっ、とっ、とっ、と。

 ――――。

 ホッとしかけたが、まだ気を抜くには早いようだった。 ヘキサノ少佐は下腹にクッと力を入れ直して答えた。

 「はっ。 どのようなことでありましょう」

 「君の隊はレン軍曹の召喚当時、ステージから最も近い所で一部始終を見ていたはずだな」

 「はい。 見ておりました」

 これから何を問われるのか――緊張しながら少佐は返事をした。

 「レン軍曹が召喚空間を作り出した時のことを詳しく聞きたいのだ。 覚えているか。 出来るか?」

 「覚えております。 どうぞ」

 言葉を選ぶようにゆっくりと、ゼイオン元帥が質問を投げた。 

 「これも実に馬鹿馬鹿しことだが、重要なことなのだ」

 ――はっ? …………》

 ゼイオンが突然、通話口の向こうであらぬ言葉を発して構えたので、ヘキサノも思わず身構えた。

 ――いったい、どんなことを?》

 …………。

 「軍曹が召喚空間を作り出した時にだな、…………それは本当に “召喚空間” だったか?」

 ――――。

 ――――――――。

 「そ――、あの……。」

 発言しかけてヘキサノ少佐は口を(つぐ)んだ。

 難しい。 ――質問だった。

 馬鹿馬鹿しいと言えば確かに馬鹿馬鹿しい質問だが、それでは済まない要素を含んでいるのは容易に理解ができた。

 「長閣下! 事実の報告と意見具申(ぐしん)の別を付けるのが大変に困難であります」

 ――ふむ。》

 「――ので、正直に “分かりません” と答えるのがこの際、一番妥当で確実な方法であろうかと思います。 ですが小官らはステージから230ディスツの距離で見ておりました。 意見具申という不確定情報の陳述(ちんじゅつ)をご許可頂けますか」

 ヘキサノ少佐が男気を見せて食い下がった。

 「そうか。 なるほど……そう言われれば、ある程度は仕方のない問題でもあるな。 ――済まなかった。 宜しい、言ってみたまえ」

 「はっ。 有り難うございます」

 そう即座に返事をして、ヘキサノは必死に記憶を手繰り返した。

 「小官が岩場から見ていた感じでは、ステージに着いてしばらくは、軍曹は何だか決まりのつかない落ち着かない様子でありました。 ――が、その後中央に歩み出て……歌の披露を開始しました」

 起こったことを順繰りに報告してゆく。 ――この時点ではまだ完全に “事実の報告” と言える内容だった。

 「歌っていたのはそれほど長い時間ではなく、恐らく1曲であったでしょう。 ――それから……次に、祈り子様の素体を探して交感を求めているようでありました。 あ、いえ、確たる根拠があってのことではありません。 そのように見えたというだけであります。 ですがその後、直ぐにドシーンと地面全体が大きく揺れて、しばらくの間断続的な振動が続きました」

 間違ってはいないはずだ。 ヘキサノはつい小1時間ほど前に起こったことを、落ち着いて思い返していた。

 「我々は岩場に臥せっていましたので、隊員全員が(あご)や額など顔面を(したた)か岩にぶつけてしまいました。 ステージから目を離してしまったのはこのときの数秒間の間だけです」

 ――――。

 「慌ててステージ上に目を戻すと、レン軍曹も前につんのめってしまったようですが、直ぐに体勢を立て直してステージ中央に立ち返り、即座に “召喚の舞” を舞い始めました」

 通信器の向こうでゼイオンがピクリと反応したのが分かった。

 ()られてヘキサノの声も緊張する。

 「これは間違いありません。 間違いなく“召喚の舞”でした。 これは単なる(わたくし)個人による、勝手な “だろう判断” ではなく、“強く 『だろうー!!!!』 判断” であります」

 ……何だよ、それは。

 だが、この時のヘキサノは必死だった。

 必死に食い下がった。

 親っさんの命運が懸かっていたのだ。

 落ち着いた声で会話してはいても総責任者のミーノック少将が今、どういう立場にあるかをヒシヒシと感じていた。

 せめて、私を抜擢して下さったご恩にだけは報いなければ……。

 ヘキサノ少佐は構わず続けた。

 「そこで小官は思うのですが、レン軍曹がそこから直ぐに “召喚の舞” を舞い始めたということは……つまりそれは祈り子さまの素体を探り当て見事にクラッチ・ミートした、祈り子さまからのGOサインが出た――ということではないでしょうか。 もしも仮に、そこで祈り子さまから拒絶されて “NO” と言われてしまったのなら、そもそも軍曹がそれを受けて、舞の体勢になど入るはずがありません」

 ――――。

 「ふむ。 ……なるほどな。 確かに、それはその通りだろう」

 …………。

 「ですが、その直後に起きた事象を……、あれを “召喚空間” と呼べるのか――という見解については、難しい点もあるように思います」

 「なに!? そんなに、みすぼらしいものだったのか?」

 元帥が慌てて問うた。

 「いえ、違います。 全くその逆であります」

 ――????》

 少佐が淡々と説明を続けた。

 「小官は、さほど召喚試験に立ち会った経歴がある訳ではない身分でありますが、それでも十指には余る機会を経験しております」

 …………。

 「それらの経験と照らし合わせましても、今回の試験は少々イレギュラーの度が過ぎるように思いました。 まあ、今回は相手が相手で1000年振りの召喚ですから、ある程度は仕方のないことがあるにせよ……。 余りにも規模が異常過ぎるのです」

 「どんなふうにだ? 具体的に、分かりやすく説明できるか」

 ゼイオンが確認するように返答を求めた。

 「はい。 例えば、レン軍曹によって形成された “召喚空間” の規模であります。 ……今回、我々隊員は彼女のステージからは230ディスツ離れた岩場に居たはずですが、召喚空間を囲う水柱が直ぐ目の前まで来ました。 つまりこれは200ディスツ以上、ということになります」

 「200ディスツだと!?」

  聞いていたゼイオンが(たま)らずに声を(あら)らげた。

 「はい。 ですから我々が身の危険を感じて、直ちに退却したのであります。 ――あ、いえ、退却を決断した直接の動機は、あくまでも水柱のためにステージの視認が完全に不可となったためでありますが」

 ――200ディスツだと……。》

 「何を馬鹿な! 召喚空間の直径が200ディスツなど、幾ら何でもあり得ないだろう」

 「あっ!? あの、長閣下!! 申し訳ありません。 それは違います。 あの、召喚空間の直径が200ディスツなのではなくて……」

 ヘキサノ少佐が慌てて前言を撤回して言い訳を初めたので、仰天して聞いていたゼイオン元帥が、思わず 「チッ!」 と鼻白んだ。

 「こらっ、馬鹿者! 意見具申にしても、誤解を招かぬように正確に話さぬか。 だいたい召喚空間の直径が200ディスツなど、考えただけでも有り得ないだろうが!! ――君の話をいちいち真に受けて馬鹿正直に聞いていたので、心臓が止まるかと思ったぞ」

 ――っつたく……。》

 「いえ! 長閣下。 あの、申し訳ありません。 違うのです。 直径ではなく、半径であります。 その――直径が200ディスツなのではなく、半径が200ディスツの召喚空間です」

 ――――。

 ――――――――。

 ――な・ん・だって!?》

 「ですから、直径ということで申し上げますと……」

 ――何を……馬鹿な……。》

 通信器の向こうでゼイオンが言葉を失ったのが分かった。

 まあ、もし自分が聞いたとしても鼻で笑っていただろう、そんな絵空事みたいな話。

 ほんの1時間ほど前に、目と鼻の先、ほんの15~20ディスツ先で起こったあの巨大な水柱を目撃してなかったら、ね。

 心臓が止まると思ったのは、本当こっちの方だ。

 まあ、あのとき止まらずに済んだから、今、話ができているんじゃないか。

 ヘキサノは意を決して構わず続けた。

 「さらに得心が行かないのは、それだけの空間を囲ったにも関わらず、まだ幻光虫量が足りなかったようで、突き抜いた雲の上から辺り一面の幻光虫を強烈に吸い込んでいるように見えたことであります。 果たしてそこまで幻光虫塊の超圧縮が必要な召喚獣なのなら、中の人間が、いかに召喚士といえど耐えられるはずがありません。 もしあれが召喚空間なのだとしたら、通常の召喚手法による実体化はとても無理ということになってしまいます。 建国の勇者ハインがどのようなやり方で実体化させていたのか想像もつきませんが、新たな難問が出現したのも事実かと思います」

 「…………」

 因みにこの時点では明らかとならなかったが、この召喚獣が実体化するときは実はこれだけの広さを囲ってもまだ召喚面が十分ではなく、純白の双翼を丸々と召喚空間の脇から突き出して降りて来るのだが……ま、それは今回は言うまい。

 「分かった。 とにかく有り難う。 質問は以上だ。 部下の隊員共々、しっかりと養生したまえ」

 「はっ、有り難うございます。 それでは、失礼致します」

 そう挨拶してヘキサノ少佐は通信器のスイッチを切った。

 ゼイオン元帥もほぼ同時に受話器を置いて、中空に目を遣った。

 …………。

 少なくとも。

 「最悪の事態」と「最悪から二番目に悪い事態」は回避したのだ。

 伝説の召喚獣アレクサンダーは暴れ出さなかったし、核体となる召喚士の射殺によってその事態が回避された、ということでもなかった。

 だが――。

 これでは何の慰めにもならない。

 彼は必死に気持ちを落ち着かせようと思案した。

 覚悟していたとはいえ、いざその報に接してしまうと、やはりショックは自分の想定していた範囲を遥かに超えた。

 これからどうしていいやら、想像さえつかない。

 まさか、あのレンが本当に命を落とすとは……。

 たかがアイドル・タレント一人の命。

 そのたった一人分の決して代用の利かない命が、ここまで大きなものだったのだ。

 この街にとっては――。

 取り返しのつかない現実。 迷走する後悔。 意味のない自己嫌悪。 甘ったるい自責の念。

 そして永遠に失われてしまった 『ザナルカンド』 の未来について。

 ――彼女ならやってくれると信じていたが。》

 彼は、レンの 「召喚能力鑑定に関する報告書」 と題された調書を忌々(いまいま)しげに見遣りながら虚しく(うな)った。

 

     ◇

 

 やがて海水面が落ち着きを取り戻すと、今度は人間の方が大騒ぎを始めた。 直ちに大発や小発が幾隻も出動して付近の捜索に乗り出して行く。 皆、慌しい活動の中にも何か呆然とした、果てしない空白の思いが空回りするのを隠し切れないでいた。

 「レンが召喚試験に失敗して行方不明に」――。

 マスコミは(こぞ)って第一報を世界に報じた。

 『失敗会見』 の緊急特番の雛壇(ひなだん)に、彼女が同席することはなかった。

 皮肉にも軍部が狙撃班を潜ませてまで取り繕い(よそお)おうとした事態が、現実に起きたのだ。

 レンは現在行方不明である。 生死も定かではない。 状況は絶望的と言えた。 あの巨大な召喚空間の中で何が起こったのかは全くの謎だった。 誰一人として空間の中を目撃した者はいない。

 彼女の遺体が実際に発見されるまでは、それでも微かに希望は残されていた。

 何隻もの捜索艇がどんな痕跡(こんせき)も見逃すまいと発動機の甲高い作動音を立てて走り回っている。

 まだこの時点では、プロ・ブリッツボール・プレイヤーのシューイン氏が巻き添えを喰って遭難したことは、誰一人として認識してはいなかった。

 北東海のクレーター海礁付近がスピラ世界で最も幻光虫濃度が高い地域だということはこれまでにも再三に渡り述べたが、それ以上に高い場所となると、もう 「アンダー・ザナルカンド」 地区を措いて外にはないであろう。 どころかこの両者は実はどこかで(つな)がっているのではないか、とさえ言われている。

 海水は常に温かくて、軽く柔らかく、酸素濃度に富み、水中遊泳にはもって来いの水質だ。

 一つだけ難点を挙げるなら、比重の関係で沈んだ物がなかなか浮き上がって来ないことだろうか。 それが人間の場合だとちょうど釣り合いが取れて、逆に沈みもせず浮き上がりもせず、晴れてクラゲの仲間入りを果たす事態になる。

 左手首に巻いた腕時計が正確にラップを刻み、設定したタイム毎に振動してそれを身体に伝えてくる。 何だかその手首の内側がムズムズしてくるので、無意識にそこを搔こうとして

 「痛たたたたっ――」

 と右肩に電撃でも走ったような激痛を覚え、シューインは目を覚ました。

 「ツぅーっ…………」

 はっとして水中で体勢を立て直し、逆に右の肩関節や(ひじ)(さす)る。 幸い骨折などはないようだが打撲で痺れていて右手全体に力が入らない。 しばらくの間、筋肉や骨端部を丹念に(ほぐ)していた。 次の設定タイムの振動が来たので 「おっ!」 と思い出してストップウォッチを止め、メイン画面に目を遣る。 気を失っていたのは正味15分ほどだった。

 ――そうか。》

 その間、何もなくて本当に良かった……。

 あれから大した時間は経過していない。

 ほっと胸を撫で下ろしながら――。

 彼は身体を岸の方に向け直してゆっくりとクロールで戻ろうとしたとき、左後方に沈降して行く妙なものを発見し目を凝らした。

 ――何だろう?》

 しばらく呆気に取られて見ていたが、「もしや」 と思い直して追い駆け始める。 近づいて行くと、それは段々とはっきり確認できるようになってきた。

 予感は的中した。

 「人だ!」

 恐らく、さっきの爆発でシューインと同じように巻き込まれてしまったのだろう。

 幸い彼はブリッツの選手だから気を失って4時間、5時間と漂っていても、まあ平気だったが、常人であればそうもいかない。 いかに幻光虫の濃度が高いといっても、そこは海中だ。

 パッと見た目には、一人の女性が海亀の背中に乗って泳いでいるという大変にユニークな姿だった。

 まるで、有名な昔話の挿絵でも見ているような……。

 察するに衣装かロープ(よう)のものが甲羅の出っ張りにでも引っ掛かっているのだろう。 彼女も気を失っていた。

 一方、亀はパニックを起こして、どんどんと海底の岩場に向かって逃げ去って行く。

 「まずい!」

 シューインは右肩の付け根にゴリゴリと痛みが走るのを(こら)えながら全速力で距離を詰め始めた。

 右手の痛みなどを気にしてる場合ではない。

 海亀はそんな追跡者の存在には気づいた様子もなく、ひたすらゴミゴミした岩場の中に一目散で降りて行く。

 結局、シューインが追いついたのは()が岩場の陰に身を潜めて大人しくなってからだった。

 そっと、そおっ~と……。

 大小の岩影を縫うように泳いでやっとの思いで近づいてみると、驚いたことにその女性は見たこともない球形の膜で守られていて、その膜の底が亀の甲羅に吸い付いているのだと分かった。

 「何だ、これは……」

 お陰でこんな海の底にいてさえ、彼女は全く影響を受けていない様子だった。 その女性は球体の中でぺたんと腰をつけて、すやすやと眠っている。

 「これは、……幻光虫エネルギーの障壁か何かか?」

 シューインは縄張りに戻って大人しくなった海亀の背中にそっと降り立ち、初めて目にする不思議な物体を注意深く眺め回した。

 こんなものをどうやって作ったのか、またどうして彼女がその中に入っているのか皆目、見当もつかない。 海中の濃い幻光虫濃度の泡が球体の膜面に反応して、この状態を上手く保ち続けている。 この球の中に入っている限り、とりあえずは大丈夫のように見受けられた。

 しかし、それでは助け出すことができない。

 さて、どうしたものだろう――。

 もしも、このまま海亀がじっとしていてくれるのなら、救助隊を連れて来ることもできるのだが……。

 それにはどのくらい時間が掛かる?

 1時間か、1時間半か。

 いったんあの岩場に戻って通信スフィアで呼び出せば、それくらいの時間があれば何とかなりそうな感じがした。

 ただし一度この場を離れてしまうと、再び正確にこの岩陰まで戻って来られるという保証はない。

 …………。

 諸々の事情を考え合わせて。

 ――そんなわけにもいかないだろう。》

 という結論に達した。

 やはり、この場所を絶対に動くわけにはいかない。

 そこでシューインは仕方なく、甲羅にへばり付いている球面の底にそろりそろりと指を滑らせて、引き()がそうと試みた。

 両足を広げて亀の甲羅の上で踏ん張り、両手で膜の表面をそっと摑み上げて、ちょうど雪球を前方に転がす要領でギリギリと押しつけていく。

 いや、正確には押しつけていこうとした。

 のだが――。

 ぎゅっと力を入れた瞬間。

 「いてっ!」

 右肩に痛みが走り、咄嗟(とっさ)にぐいっと指で膜面を突いてしまった。

 すると堪らず 「バン」 と音がして、いきなり球が割れた。 海水が 「ばしっ」 と空間を鞭打ち、中の女性が身体を仰け反らせる。

 「うわっ!」

 しまった――と思う間もなくシューインは女性に飛び付き、素早く彼女の口と鼻を押さえて力強く甲羅を蹴った。 全速力で浮上しようと試みる。

 ところが悪いことに、それに驚いた亀がまた急にゴソゴソと動き出した。

 振動で激しく岩塊が崩れ落ちる。

 ズドドドドドド……。

 連鎖的な地響きが断続的に発生し、海底の岩礁の一角が大きく陥没(かんぼつ)した。

 そこから巨大な水流が立ち昇り、いきなり渦を巻いて襲ってきた。

 あっ、という間の出来事だった。

 これではいかにブリッツの選手といえども、どうすることもできない。

 岩片と一緒に海底に引きずられながら、瞬くうちにシューインたちはその渦の中へ呑み込まれた。

 「うわーーーーっ!!」

 恐ろしい断末魔の叫びのあと鼻梁(びりょう)の奥が 「カーッ」 と燃え上がり、彼は再び気を失った。

 

 統合幕僚本部のいつもの部屋、いつもの自分の机に戻ってきて――。

 ゼイオン本部長は一度、つっと立ち止まり辺りを見回し、「フウ~ッ」 と息を()き出した。

 ここだけは、いつもと変わらない風景。 いや、さすがに人の数がいつもに比べて少ないかな。

 職員一同、微妙に殺気立ってバタバタしていたかも知れない。

 実際、このときはすることがいろいろと多かった。

 例えば、これはゼイオン元帥とヘキサノ少佐が会話している時点では、明らかになっていないことだったが……。

 レンが “召喚の舞” を舞い “召喚空間”と思しきエリアを出現させていた、ちょうど同時刻にザナルカンド地方全体では正体不明の強烈な電波障害が発生していたのだ。

 後から分かったことだった。

 連絡がここまで遅れたのは一連の騒動で事態の把握に時間が掛かったこともあるが、想像を絶する巨大な召喚波動で周辺域に超スフィア波障害が発生し、最前線に設置した機材が根こそぎ故障してしまったことが大きな原因だった。 命懸けで取材に臨んでいた(くだん)の新米アナウンサー氏も、強烈な衝撃波に見舞われ身体のあちこちに打撲や擦過傷を負ったようだ。

 だが彼の場合には、命に別条がなかっただけでも良しとせねばなるまい。 問題は彼と最後に握手をしたまま虚空に消えていった人である。

 レン――。

 しかし一方で、口を()の字に曲げて渋面をつくっていた統合幕僚本部のゼイオン本部長も、いつまでもそうして固まっているわけにもいかなかった。 特に事態がこうなったからにはなお更だ。

 彼は気を取り直して辺りを確認し、司令室内に居た三人の次官を手招きすると慌しく指図し、また通信器を取り上げて、局長クラスの人間に次々と指示を与えていく。 最後に室内に飛び込んできた報道官長と二言三言会話を交わして彼は、また 「ふぅ」 と息を()いた。

 その様子を遠巻きに眺めていた新妻がコーヒーの盆を持って近づいてきて、そっと差し出した。

 「ああ、ユウナ。 ちょうど良いところに。 これから総帥父(そうすいほ)にご報告に行かねばならない。 ――君も一緒に来るかい」

 卓上に置かれたカップを摘んで口に当てると、表面的にはホッとした表情でそれを喉に流し込んだ。

 「お父様に?」

 「うん。 少しばかり面倒なことになった」

 彼は相槌を打つと、

 「これから総帥府に行ってくる。 あとを頼む」

 とだけ秘書官に告げて席を立ち、ユウナレスカ夫人を連れ立って入り口に向かった。

 司令室を出て広くて長いカーペット敷きの廊下を二人で歩きながら、沈黙が重たくなってしまわないようにユウナレスカの方から気を利かせて問い掛けた。

 「やはり無理だったのかしら」

 「ああ。 だが……どうせ失敗するなら、最初から箸にも棒にも掛からなければ良かったんだよ。 なまじ才能があるとな。 交感には一度で成功してあの召喚獣を本当に叩き起こしたそうだ。 大したものだ、恐れ入る。 しかし、引き続いて召喚の舞に入ったところで……どうも、レンの方が耐えられなくなったらしい。 信じられるかい。 彼女のつくり出した召喚面の直径は、400ディスツあったそうだ」

 「げっ! 400――。 本当なの? だとしたら、それは凄いわ」

 思わず新妻が振り向いた。

 「だろ? ……ユウナ、ちなみにお前で幾らある」

 「えっ、わたし? わたしのは公称で20ディスツだけど安全圏込みだから、実質は18ディスツってとこかな。 確かライカーツ様も同じくらいのはずよ」

 「だよな、やっぱり。 で、もしも本当に直径が400ディスツあったとして、そんな召喚空間が必要になる召喚獣を呼び出そうとしたら、――どうなる?」

 「まず無理ね。 そんなの、とても重たくて呼べないわよ。 空間そのものは何とか本人の才能で作れても、実体化を支えるために必要な体力とエネルギーの量が人間の度量の範疇(はんちゅう)を超えてる。 そんな凄い幻光虫流の中心(なか)に居たら、召喚士はあっという間に圧し潰されてミンチ肉になっちゃうと思うわ。 うーん、……ちょっと想像したくないナ」

 跳ねッ返り(ジャジャうま)のユウナレスカの顔が可愛らしく歪んだ。

 「そうか……、そうだよな。 ――いや、実際その通りになったんじゃないか、という報告を受けたんだ。 一応、大発やら小発やらを出して捜させてはいるんだが……」

 「そう。 ……レン。 ……惜しい人を亡くしたわね。 残念だわ。 これから一緒にやっていけるかも、って期待してたんだけど」

 「私もだよ。 そういうこともあるとは聞いていたが、まさか本当に命を落とす羽目になるとは。 甘かったよ。 相手が悪過ぎた。 申し訳ない気持ちで一杯だ。 ただ、私は最終的に命令した人間として “申し訳ない” では済まないが」

 ゼイオンの声はさすがに落ち込んでいた。

 「ご遺族の方は?」

 「母親が一人居るだけだ。 しかも生前のレンとは、必ずしも折り合いが上手くいってなかったようだ。 もちろん連絡は入れるがね。 諸事については実質的にエージェンシーのテリオ氏にお願いすることになるだろう。 ――あっ、これはここだけの話だぞ。 彼女のトップ・シークレットだ」

 「そう――なの。 ……意外ね。 レンって全然そんなふうには見えなかったけど、私生活じゃ大変な思いしてたんだね。 でも、そっかぁー。 そう言われてみると思い当たる節もあるかな。 彼女の笑顔とか、独創的だもんね。 今にしてみると、もっと良くしてあげてたらって思うわ。 ほらぁ、わたしたちの結婚式とか随分と祝福してもらったじゃない……。 お返し、できなかったわね」

 「ああ。 そうだな。 彼女の名誉のためならできる限りのことはしてやりたいと思うが……。 そういう意味では、レンの遺体が揚がってくる可能性がないのはむしろ幸いかも知れん」

 夫と妻のこの会話の温度差は、単に立場の違いだけであっただろうか。

 ゼイオン本部長は口にはできない思いを噛み締めながら総帥府への道を急いだ。

 

 

  〔第2章・第6話〕 =了=

 


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