機械戦争戦記・レンの歌声が聞こえる   作:咲尾春華

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第2章・第4話

  

 

     4

 

 

 しっとりと潤いを含んだ幻光虫のせせらぎが、四角く囲まれた白壁の中で揺れている。

 爽やかな風が一面に(そよ)ぐ。

 厳密にはもう “早朝” とは呼べない地点まで太陽が昇っていたが、それでも快晴の朝特有の透き通った輝きが視界の先まで照らしていた。

 心臓の高鳴りが収まらない。

 もどかしい、甘ったるい香りの空間を――。

 校舎の壁面をアーチ状に()()いたゲートを抜けて、レンは中庭から外に出た。

 “脱出した” と言い直すのが正解だろうか。

 幸い、青年はしつこくは追って来なかった。

 《ワンツ》 と言ったか。

 彼女の身に初めて訪れた “秘技” 実演の機会は、思わぬ助太刀(すけだち)の加勢もあって救われた――わたしの咄嗟(とっさ)のアドリブ演技も効いたと思うが、何と言っても殊勲甲(しゅくんこう)だったのは、校舎の2階の窓から絶妙のタイミングで茶々を入れてくれた仲間の生徒だった。

 クラスメートの視線を浴びている中でのナンパは、さすがに続けにくかろう。

 ワンツ君には(いわ)れのない恥を掛かせてちょっぴり悪いことをしたけれど、芸能界デビュー以来十余年、プライベートの空間でわたしの正体を見破った初めての人が彼だったのだ。

 いずれこんな時も来ることを想定して周到に準備をしていたレンだったが、いざ本番の演技を試す段になって、一つ、大切な経験を積んだ。

 それまでのわたしは――身分がバレてしまった時、周囲に人が居るのは最悪にマズい展開だと決め込んでいた。 だから、自分の演技で乗り切ることばかりを考えていた……。

 だけど、その場の状況次第では、群衆はむしろ味方に付けることだってできるのだ。

 先ほどのお芝居で最優秀演技賞を取ったのは、明らかに2階の窓から冷やかしの声を上げてくれた名もない青年だった。

 後ろを振り向けば――視力の利くレンなら、まだトンネルの向こうに噴水も見える距離だったが、 さっきの声につられた誰かが、まだわたしに注目してるかも知れない。

 ただし、後方からの気配は完全に消えている……。

 彼女は何食わぬ顔をして、真っ直ぐ駐車場の方へと歩いて行った。

 途中、何人かの学生とすれ違ったが、それらの人は別にどうということもなく通り過ぎて行く。

 いつもの光景があり、いつものレンが居た。

 いつも通り――わたしは完全にごく普通の女の子になっていた。

 まあ、“ちょっと可愛い” フツーの女の子かな、なんと年頃の娘さんらしく自惚(うぬぼ)れてみる。 そのくらいの感覚でいて本当に “普通” だ。

 レンくらいの女の子が、変に自信なさ気な波動を放っていると、(かえ)って目立つ……。

 

     ◇

 

 その頃、学園内の駐車場でレンの帰りを待っていたマネジャーのテリオ氏は、いつものように発売されたばかりの新聞紙・週刊誌・マンガ雑誌を手に取って、片っ端から目を通していた。

 全くの時間潰しというわけでもない。 待っている間に、レン関連、事務所絡みの記事を逐一チェックしていく。 これも大切な業務の一つだった。

 事務所絡みと言っても、レン・エージェンシーは限りなくレン個人の活動を支える事務所なので、所属タレントは当の彼女一人である。 その分、調査は楽とも言えたが、レンについての記事は他のどんなタレントより膨大(ぼうだい)で、細心の注意を要するのが常だった。

 連載マンガの台詞の吹き出しの中に突然、脈絡もなくレンをパロった活字が載るとも知れず、油断は禁物なのだ。

 エアカーの電源は落とさずに、エンジンを掛けたまま空調を保ち続ける。 自分のためではない。 あくまでもレンが帰ってきた時に備えてのものだ。 あるいは何時(いつ)なんどき、緊急発進が必要な場面が来るか。 とにかく用心に越したことはなかった。

 だから雑誌類に目を通している間にも、周囲の様子には常に注意を巡らし続けていた。

 はずなのだが……。

 テリオ氏は突然、助手席のドアをノックされて、電撃にでも打たれたように目を()いた。

 反射的に本を閉じて顔を上げると――レンがにこやかに笑いながら手で合図をしている。

 ――――。

 ????

 一瞬でんぐり返った認識の中で視覚器官の水平線を落ち着かせ、前方をチラリと見た。

 あそこから一直線に? ……レンさんが歩いて来たのか。

 唖然として――。

 そのままドアロックに右手を伸ばしてポンと解除する。

 助手席のドアを開けて、(かろ)やかにレンが滑り込んできた。

 「ご苦労様です。 首尾はどうでした?」

 「満点よ。 テリオでも気がつかなかったわね~。 ホッとした」

 …………。

 「さっきね、校長室から帰って来る時に、トラブルに遭っちゃって」

 「校長……室? ですか」

 「あー、間違えた。 理事長室だ」

 ――ははははは、と笑いながら、レンは上気した自分の声を制御できず、思わずポロったことに驚いた。

 テリオは彼女がシートベルトを締めて座席に落ち着くのを確認すると、素早く車を発進させた。

 間を置かずにエアコンの噴き出し口から柔らかい風が流れてきて、レンの熱っぽい(ほお)を洗ってゆく。

 「中庭の噴水のところでね、ここの生徒さんにわたしの正体を見破られちゃった」

 「えっ。 ……それは珍しい。 レンさんでも、そんなことがあるものですか」

 「うん。 ないことだと思いたい。 ――でもね、幸い助けに入ってくれた人が居て、騒ぎにはならなかったの。 初めてのアクシデントだったけど、ツイてたわ」

 「…………」

 「校舎のゲートを(くぐ)って外に出てからは何人もすれ違ったけど、誰もわたしとは気がつかなかったし。 いつも通り。 車の中に居るテリオも、ばっちり巻けたから、ホッとしたよ~。 こっちに問題があったわけではないようね」

 「……勘弁してください」

 苦笑いしながら軽くブレーキを踏んで一時停車し、正門の出口で左右の確認をして、テリオは学園の敷地から車道に走り出た。

 ステアリングを戻しながら、アクセルをグーンと踏み込んで車線に乗る。

 ザナルカンドの街並みが一斉に車窓を流れ始め、緊張感から解放されたレンが “ふぅっ” と息をして緩む。

 一方のテリオ氏はエアカーの運転をしているので、それなりに気を抜くわけにはいかない。 

 「何か、対策を講じた方が良いですかね……スタッフを何人か付けましょうか」

 「冗談はよして。 それじゃ、どこに行くにも “退いて、退いてー。 邪魔だよ、邪魔ァ~! レン様のお通りだぁ~” みたいなことになっちゃうよ」

 「ははは。 さすがに、そこまで大仰(おおぎょう)なことにはならないと思いますが……プライベートは、確かに無くなってしまいすかね」

 プライベートと言っても、別に付き合っている男が居るわけでもない。 幼少時よりデビューして早々と世間から隔絶され、周りは 《レンの友だち》 という肩書欲しさに近づいて来る人ばかり――という有り様だ。

 と言って、どこかに行きたい場所があるでもなく、普段は母親と二人暮し、人が知ったら驚くほど(わび)しい生活である。

 ふと――ぶらり街に繰り出して孤独な群衆の中に紛れ、当てもなく散策しているのが趣味といえば彼女の趣味だった。 もっとも、それほど自由気ままな時間が取れる人でもない。

 しかし、そんなレンさんを見破ってしまう人がいるとは確かにすごい。 何者だろう。

 「今回のことは本当にイレギュラーだと思う。 対策は特に必要はないわ」

 「――そうですか」

 「ほら! わたしって、言ってみれば1から10までマスコミに作り出された存在でしょ。 “ザナルカンドのレン” なんてスフィアTVの中に居るだけで……本当は、どこにも実在しない架空の人物よ。 みんなが勝手に “居る” って信じているだけ。 最初からこの世に存在もしない人と、街中でばったり出会(でくわ)したりしちゃいけないわ」

 そう(まく)し立てて、レンはフフフと笑った。

 …………。

 ――要するに、レンさんはとっくに 《アレクサンダー》 みたいな存在になってるわけだ。》

 テリオは肝腎(かんじん)の理事長室で交わされた話の内容についても早く聞きたかったが、あえて自分からは切り出さなかった。

 「少し休ませて。 いろいろあったから疲れちゃった。 後はお願い」

 そう言うとレンは助手席のシートを倒し、後方座席にゴソゴソと手を伸ばしてタオルケットを取り出すと、そのまま体に引っ掛けた。

 「お休みなさい」

 ――――。

 北B地区から東A地区の撮影所まではたっぷり2時間はある。

 ま、それまでに心と頭の整理をして、改めて話してくれればいい。

 なのでその時は、テリオは黙って運転を続けた。

 

 東A地区にある国営局の時代劇スタジオに着くと、レンはたちまち輝くばかりのオーラを放ち始め、今日も他を圧倒するような演技に冴えを見せた。 いったい世の中、こんなにも巨大な存在感を持つ人が居るのか? と(あき)れてしまいそうになる。 スフィア画面に映る彼女は、まさに天才だった。

 その場で一緒に演技をしている役者たちは一様に――。

 レンが召喚士役を演じている時、誰もが彼女を召喚士 “役” とは思わなかった。 本物の召喚士が演技をしている、という錯覚に引きずられた。

 ウソかホントか、レンが一度、召喚シーンを撮っている時に 《召喚の舞》 の後まで続けて演じそうになり、

 たまげた助監督が

 「本当に呼ばないで!」

 と叫んでしまったことがあったとか。

 まあ、作り話とは思うが、そんな逸話があるくらいレンの演技はリアルで鬼気迫るものがあったのだ。

 ただ、とりあえず今日のシーンは召喚とか戦闘といった殺陣場(たてば)の撮りではないので、レンの演技にそういう心配をする必要はなかった。 が、相変わらす演技には空恐ろしいまでの迫力を見せていた。 地味なお芝居であってもレンは決して手を抜くことはない。

 ――場面は障害児童を預かって教育をしている養護学校でのシーン。

 幼い頃に、召喚士の兄が粉々に粉砕されて爆死する姿を目撃した弟が癲癇発作(てんかんほっさ)を起こして重篤(じゅうとく)な精神障害を負ってしまう――その児童を巡っての撮影だった。

 その子が物語に関わる重大な秘密を知っている可能性があり、主人公のレンが学校を訪れて接触を試みるシーンのカットだ。

 児童を受け持つ女性の先生役に、本物の資格を持つスタントさんを起用するらしく、その人が学校での仕事を終えて、スタジオに駆けつけて来るのを待っているところだった。

 幸い、その他のコマは全て撮り終えて既にOKも出ており、出番のなくなった役者たちは 「お疲れ様したぁー。 また、宜しくお願いしま~す!」 と挨拶して次々と帰ってゆく。

 残っている中で台詞のあるのはレン、レンの助手役の青年、児童役、その先生役、見回りの教頭役の5人だけとなっていた。

 ポットからコーヒーを注いでレンに差し出しながら監督連中(ベンチ)も交えて演技の打ち合わせをしているところに、(くだん)の女性がやって来た。

 早速スタッフ、役者たちに紹介され型通りの挨拶を終えると、すぐに状況説明をして実際の演技の指導に入った。

 彼女は本物の養護学校の先生だったが演技は素人(しろうと)なので、丁寧にやり方を教えて、1カット1カット、順を追って進んでゆく。

 助監督からは 「演技しようとしないで、普通の日常業務をして下さい。 そのリアルな動作が欲しいからこそのスタントです。 台詞や手順も “おかしい” と感じたところは、どんどん指摘して下さって結構です」 とアドバイスが飛ぶ。

 子役の少年は本当の癲癇(てんかん)障害を持つ児童だったので、さほど作り込まなくても撮影が進みそうな、良い展開となった。

 が、そうこうするうち、今度はレンが生放送で抜ける番になった。

 せっかく揃った面子(メンツ)が崩れてしまうが、今度は先生個人の演技指導に時間が欲しいところだったので、レンの代役に一人立てて練習するには好都合な面もある。

 1時間くらい、さほどのロスとはならないだろう。

 とにもかくにも、これがスケジュールに追われまくるレンの日常の光景だ。 「ごめんなさ~い、ちょっと行ってきます」 と言い残すと、レンはそのまま楽屋の控室に駆け込んで、着替え、メーク直し、打ち合わせの後、即、次の仕事のスタートとなった。

 Hスタジオで収録された生放送は、国営局始まって以来という教養臭のしない純娯楽バラエティ番組で、ぶっちゃけ話、楽屋の裏話などを(たた)き台にしてトークを繰り広げるという難しい番組だった。

 最初、国営放送から出演依頼を受けた時、周囲の関係者は 「聡明で純粋で、超の付く優等生のレンに、いったい何を喋れってんだ?」 と心配した。

 他の出演者たちも一様に

 ――ぶっちゃけったって、果たしてどこまでやっていいものか……。》

 ――天下の国営局の生番組で……。》

 と、互いに顔色を(うかが)いながら、手探りでの出発となった。

 しかし、放送開始と同時に、イの一番に飛び出したのは、他ならぬレンだったのだ。

 女度胸、心を決めてぶっ飛ぶようにハッチャケるレンの姿に、ザナルカンド中の人が目を見張った。

 「これって、演技……じゃないよな。 それとも、やっぱ台本とかあんのか???」

 スフィアの画面一杯に、いつものレンじゃないレンが居る。

 「これが、本当に――あの(・・)(つぶら)な瞳のレンなのか」

 誰も見たことのないレン。

 今まで世界中の人々が、“レンのことなら何でも知っている” と思っていた。

 レンは幼少の頃からデビューして、常にザナルカンド中の注目を浴び続けて来た少女。

 彼女の成長を、まるでカレンダーでもめくるように追い掛けてきたはずだったのだ。

 なのに――。

 この世の全ての人が、実はとんでもない勘違いをしていたらしくて……。

 レンの中には、それまでとは似ても似つかないレンが居て、時として何か空恐ろしいまでに狂気に満ちた輝きを放つのではないか。

 この時の彼女に、その片鱗を見た人は多かった。

 何にしても、出演者たちは間違いなくレンに合わせることになるし、ある意味それで随分(ずいぶん)と救われた。

 その実、一番に飛び出して先頭を走るレンが、番組に(たが)を掛ける役を(にな)ってもいた。

 ゴシップ話に付き物の、下品、低俗、中傷路線に流れることを、彼女が先回りしてコントロールしていたのだ。

 で――。

 この日の1時間も成功裡(せいこうり)に終えて、また時代劇のスタジオに帰ってくると……すっかり馴染んだ様子の先生を囲んで良い空間ができていて、レンはホッとした。

 半分はみんなで気を利かして、半分は旺盛(おうせい)な興味本位の性分(しょうぶん)から、逆に先生の方に質問が飛んでいた。

 おおよそ世の中にある細々(こまごま)としたことや、どうでもいいことなど、性懲りもなく首を突っ込んで興味を示そうとしない人が、良い役者になることはない。

 それに看護や介護、急病人の手当てなど、他の現場で演技を求められる機会なんていくらもある。

 ここで知り合ったが何かの縁――この際、聞いておきたいことは山ほどあった。

 「あ、なぁ~~るほどねぇ~! つまり、こうするワケだ」

 レンの助手役の青年 (といっても実は結構、歳が行ってる) が、ポンと手を打って椅子から立ち上がり、素早く実演し始める。

 それを見て役者のみならず、周りに居た監督、助監督、カメラさん、照明さん、果ては音響さんなどからもボコボコにツッコミが入って一同、大笑いだ。

 質問された先生も、さすがオーディションに受かって連れて来られた人だけあって、にこやかに笑いながらそつなく対応してゆく。

 で、正直、こういうことはレンが居ない時の方がやりやすい。

 ――わたしって女王様だからね……寂しいけど。》

 案の定、主役がドアを開けてスタジオのセットに入って来ると、辺りの空気がいっぺんに変わった。

 「はいはい、レンちゃんが帰って来たよ~。 さっそく演技に入ります。 皆さーん、位置に就いて」

 と監督が素早く執り成す。

 「遅くなりました。 よろしくお願いします」

 と返事をして、レンが間合いの中に入ってくる。

 早速、助監督が状況説明をして、穴の開いていた飛び飛びのシーンを駆け足で撮ってゆく。

 それからの作業はおおむね順調に進んだが、最後に問題の場面が残った。

 教室に一人で残って残務処理に追われている先生を、レンが訪ねてくるシーンだ。

 ここは完全に一対一で、アップもある、台詞も多い、しかも物語を動かす大切な場面である。

 素人然(しろうとぜん)とした先生には難しいところだったが、ここで珍しくレンが 「最初から “別撮り” はしない方が良い、わたしが何度でも相手をします」 と強く進言した。

 監督もできることなら、もちろん極力そうしたい意向だったので、一応、替え玉の役者を二人待機させて、その線で強行することになった。

 さすがに1シーン、1カット、何度もやり直しながらOKテイクを重ねてゆく。

 その分、時間も掛かったが、この掛け合いは絶対に譲れない見せ所である。

 撮影に入ると、レンは一切の意見をしなくなった。 監督から指示が飛び、彼女は逐一それを演技に移していく。

 かなりの時間を消費して、それでも一通りのシーンを無事に撮り終え、休憩に入った。

 後は首脳陣(ベンチ)がどう判断するかで、改めて撮り直しの必要なカットの協議に入り、役者たちはちょっぴり遅い夕食の差し入れだ。 と言っても、残っているのはわたしと先生の二人だけだが……。

 「あの――。 お聞きしたいことが幾つかあるのですが……宜しいですか」

 先生が近寄って、小声で話し掛けてきた。

 演技が始まると無駄口は一切利かないレンである。

 この際、監督や助監督にではなく、相手役のレンに直接()きたいこともあるのだろう。

 「あ、じゃあ、時間もあるし、二人だけで話をしましょう」

 そう答えると、レンは自分のトレイに果実と紅茶だけを載せて先生を誘い、ガラ空きの食堂に出た。

 普通の役者なら、こんな恐ろしいこと、なかなか言い出せないものだ。 事務所の問題や周囲の視線もある。

 「あいつだけ “イイ格好” して、レンに取り入りやがって」 みたいに思われ、現場から総スカンを喰ってしまうのがオチだろう。

 しかしこの時は周囲に人は居らず、下心も打算もない、この場限りの素人さんなのが幸いした。

 レン自身、こういう申し出を気持ち良く受け止められる滅多(めった)にない機会が、ちょっぴり嬉しくもあったのだ。

 「はてさて、どんなことを聞かれるやら」 と思いながら閑散としたテーブルにトレイを置き、向き合って腰掛ける。

 果たして――。

 座を落ち着けて、にっこりと微笑みながら先生が口を開いた、その第一声はこうだった。

 「ミーノック将軍からの至急伝達です。 今日になって、レン軍曹が学園内に居るという(うわさ)が一部生徒の間に広まりました。 早晩、学園の外にまで漏れるでしょう。 制止する方法がありません――ので、明朝の早々にも統合幕僚本部が会見を開き、レン軍曹のアレクサンダー召喚試験について公式発表をします。 心の準備をしておいて下さい」

 …………。

 ……………………。

 ――やられたゼ。……全然、気がつかなかった。 今の今まで一番の名演技をしてたのは、この先生だったってワケね。》

 まんまと一杯喰わされて言葉を失ったレンを見据えながら、先生は続けた。

 「会見は軍首脳で行いますので、軍曹が出席する必要はありません。 最重要注意事項です――あなたには正式な軍籍がないので、“レンさんは軍曹の待遇で便宜上、学園に籍を置いてもらっている” ということになっています。

 ですが、軍部が発表をすれば、あなたの身辺は騒がしくなることが予測されます。 ですので、エージェンシーのダスカイユさんには、既にその対応の準備に掛かってもらっています」

 ――あ。 それでさっきからテリオの姿が見えないんだ……。》

 レンは疑問に思っていたことが氷解して、一つ納得した。

 でも、いつからだろう?

 慎重に記憶を巻き戻す。

 ――確か……Hスタから帰って来て以降は姿を見てないから、恐らくわたしが生放送をやってる間に話したのね。》

 だとしたら、そんなに前のことじゃない。 きっと、まだまだ掛かりそうだ。

 ――帰りはどうしようか。》

 レンは別の心配がちょっと気になった。

 「発表はそれ以外、特別あなたの認識と異なる内容ではありません。 会見をよく見て、発言内容を合わせて下さい。 発表されていない事実をあなたの方で新規に盛り込む行為は、悪意的な誤解や曲解を産む原因ともなりかねません。 厳に謹んで下さい」

 ――――。

 「……分かりました。 しかし、わたしが学園に在籍していることを公表してしまうと、学園の存在に重大な不利益が生ずるのではありませんか」

 「あなたの存在の方が、はるかに大事です。 私達も危険な橋を渡っている以上、相応の犠牲は覚悟しています」

 …………。

 ――いよいよ逃げ場のないところに立たされたわね。》

 「わたしの決意は変わりません。 背中を押された方が、(かえ)って楽になるのかなって気もします」

 「そう言ってもらえるとホッとするわ。 私の身分ついてはあと少しの間、知らないふりをしていてくださいね。 あなたの名演技を信じてますよ」

 「敵いません。 先生の方がはるかに達者です。 わたしこそ、良い勉強をさせて頂きました」

 「ふふ。 ……才能よりも年季の方がモノを言う世界もあるってことよ。 私達は毎日、命を張って演技してますからね」

 

     ◇

 

 軍部からの緊急記者会見を受けて、北B地区にある学園も(にわ)かにカクテル光線のシャワーを浴びる事態となった。

 まるで自分が “時の人” にでもなったかのようにはしゃぎ立てる生徒が居る一方で、学校側では一貫してマスコミの取材を断り、「レンさんの身分は軍部から要請があって一時、受け入れているだけであること。 召喚試験までの2カ月間、必要な技能があればその都度レンさんに来園してもらい、手解きしているだけの関係であること」 等の説明に終始した。

 最初の2~3日は、それでもまともな授業が出来ないほどに混乱したが、軍が専用の窓口を設けて対応したこともあり、取材攻勢は最小限の期間で沈静化した。

 が、マスコミが来なくなっても、ここを訪れる人が居なくなったわけではない。

 生徒の父母、御用企業、新製品のセールス等々、学園を訪れてくる人は数限りなく居た。

 1週間ほど経ったある日の朝にも、職員の一人が理事長室に続く通路を歩いていると、ちょうどその部屋からパリッとした背広を着た営業マン風の男性が出て来た。

 ――へぇー。 こんなに早くから商談……でもあるまい。 生徒の保護者か何かか?》

 みたいな顔をして、軽く会釈だけ交わして通り過ぎる。

 彼は理事長室をノックし、入れ替わりにドアを開いた。

 ――入り際に横目で男の後ろ姿を見遣り……。

 部屋に入ってドアを閉めると、職員は右手でパッと敬礼した。

 「お早うございます。 ミーノック将軍」

 「あー、お早う。 朝早くから呼び付けて済まぬな。 幕僚本部は何か言っておったか」

 「いえ。 特には何も聞いておりませんが――あ、あの。 ダスカイユ氏が来たのでありますか」

 「ああ、すれ違ったか。 なに、大したことではない。 召喚試験が終わって以降のことについてな、あれこれと()いてきた。 顔を見られてしまったか」 

 「すれ違った時に軽く頭を下げた程度です。 恐らく向こうは覚えてないでしょう。 声は一切、出しておりません」

 「そうか、余計な心配を掛けたな」

 「いえ」

 「まあ、それは良い。 今回、君に来てもらったのは他でもない、そのレン軍曹の召喚試験のサポートの仕事についてだ。 とんだ尻拭いをさせることになってしまって済まぬ、ヘキサノ少佐」

 「とんでもないことです。 私のような若輩者(じゃくはいもの)抜擢(ばってき)下さり光栄です。 必ずやご期待に沿えるよう万全の態勢で臨みます……ですが、そんなに有望なのですか」

 「――軍曹に無理だったら、あと千年間は他の誰にも無理だ。 この際、彼女にはどうしても挑戦してもらいたくてな。 私も手渡したリストにその名前を載せようとさんざん努力したのだが、いろいろあって結局許可が下りなかった。 軍部にも(きも)の据わってない、煮え切らない上司は多い。 ザナルカンドも所詮ここまでかと思ったが……レン軍曹の方から言ってきたよ。 渡したリストを破り捨てて、北東海に眠る伝説の召喚獣をやってみたいとな。――“天佑(てんゆう)” とは、本当にあるものだ」

 「閣下にそこまで(おっしゃ)られるとは、彼女には相当の可能性があるのですね。 小官には想像がつきません……」

 「ヘキサノ少佐」

 「はっ」

 「君は先般(せんぱん)公表されたレン軍曹の鑑定結果を知っているな」

 「はい、存じております。 確か、全項目に渡って大変に優秀な数値が出たと記憶しておりますが……」

 「発表された部分についてはな――あれを見て。 不思議に思ったことはないかね」

 「はい。 …………そう言えば、《幻光虫結合能力》 の判定結果が抜けておりました。 レン軍曹の承諾(しょうだく)が得られなかったのでしょうか」

 その測定器は、過去に測定数値のある全召喚士の中から上位10%と下位10%の数値を除いた残りの平均値を “1” として表示するもので、 “0.001”、つまり1000分の1の単位まで計測できる、かなり精密なものだった。

 ――そんなに結果が悪かったのか?》

 ヘキサノ少佐は(いぶか)った。

 「いや、彼女は何も言ってはおらんよ。 軍部(われわれ)が止めたのだ。 何故かと言うと――あー、これがレン軍曹の最終的な鑑定結果だ」

 そう言って、ミーノック少将は右横のラックから冊子を取り出してヘキサノ少佐に手渡した。

 「3ページ目だ」

 「拝見致します」

 急いで受け取ったプリントをめくり、全面緑の罫線で囲まれた図表のページを開いて、横向きにして眺める。

 すると……表の中段やや上の欄に、お目当ての数値が記されているのを見つけた。

 「こんな――!」

 思わず目を見開いて息を呑む。

 数値を見れば、差し止められた理由は明白だった。

 表を(にら)みつけたまま言葉も出ない……。

 ――――。

 (ケタ)が違うって?――それはそうだろう。 でなければ、わざわざ軍部が口を出したりなどするものか。

 じゃあ、2桁違う? 通常の3倍の……とかではなく、700倍とか800倍とか……。

 「…………」

 まさか、3桁――!?

 ――――。

 ――正確には4桁以上、だな。 この数値の意味するところは。》

 そこに記載されていた計測結果は “9999”、つまり 《測定範囲外》 であることを指し示していた。

 「閣下。 この測定値は、本当に認定されたのでありますか」

 ヘキサノ少佐が、顔を上げて言葉を発した。

 「測定器自体は正常に作動したようだ」

 「では――」

 「認定はされていない。 だから差し止めたのだ。 軍部(うち)上層部の方(えらいさん)たちは、レンに何か未知の能力があって、その力で測定器に干渉したのではないかとお考えのようだ。 針が振り切れたというのが、どうにも胡散臭(うさんくさ)い」

 そう言うミーノック少将だって十分に “偉いさん” なんだが……と思いながらヘキサノ少佐は聞いていた。

 「いずれにせよ、レン軍曹を普通の人間だとは思うな、ということだな。 それくらい(はら)(くく)って掛からんと、アレクサンダーは起こせん」

 「一つ、質問しても宜しいでしょうか」

 「何だね」

 「閣下は、この測定結果をどのようにお考えですか」

 ――――。

 「君はどう思うね」

 「小官でしたら……別のメーカーの機器で再測定を試みると思います。 この測定結果を不確定のままで放置するのは、得心がゆきません」

 ――――。

 「測定器の出した結果は、何もレン軍曹が実際に山を動かす姿を記録した、というものではない。 単に “山を動かすことができる” と言っているに過ぎんのだ。――が、せっかく言ってもらったものなら、有り難く受け取るのが筋だろう。 大いなる可能性の芽を、自身の納得が行かないという理由で潰しに掛かるのは建設的ではない。 握り潰せる結果が出るまで調べ続けるというのでは、既に検査ではあるまい。 君が納得しようがすまいが、アレクサンダーは起きる時には起きる。 君の得心がいかないせいで起きなかった、ということではない」

 「はい。 浅はかでありました。 申し訳ありません」

 「いや、よい。 むしろこの際、レン軍曹がどんな能力を持っていようと関係ないのだ。 極論するなら、今度の召喚試験でアレクサンダーとの交感は、成功するか、失敗するか、それとも暴走するか――の三択の未来しかない」

 「その召喚試験のサポートについてですが……」

 ヘキサノ少佐は、あえて “レンのサポート” とは言わなかった。

 「なに、怖気付(おじけづ)いたか」

 「いえ! 決してそのようなことは」

 「必要な瞬間が来たら、躊躇(ちゅうちょ)なくやれ。 全責任は私が取る。 弱気の虫を引きずっていると命取りになるぞ」

 「頭部に当てても構わないでしょうか。 それとも胸部より――」

 「頭でも顔でも胸の谷間でも構わん。 何なら体中、(ハチ)の巣にしても良い。 一番恐ろしいのは、迷いが生じて仕損じることだ。 相手は一度ザナルカンドを “灰” にしている召喚獣だぞ。 それを忘れるな」

 「はっ! よくよく肝に銘じておきます」

 …………。

 ……………………。

 交感に成功した後、召喚士と祈り子との協調(リンク)が不調に終わり、召喚獣から召喚士への乗っ取りが起きると、もう召喚士側からの再逆転はあり得ない。 それが実際に始まってしまうと、どのみち助かる方法はないのだ。 

 その場合、速やかに核体となる召喚士を殺害して取り除けば、いかなる召喚獣といえども実体化はできなくなる……それが最善にして唯一の方途だった。

 「8人の狙撃手で250ディスツ以内、見通しの利く固定された地点から狙えば、確実にレン軍曹の射殺は実行できます。 まず、失敗する案件ではありません」

 「多いな。 6人でやれるか」

 「――できます。 念のため連装銃・4連射弾の使用をご許可下さい」

 「それは問題ない。 許可する。 隊員の選抜は君のところでやった方がいいだろう。 足場の設営等は私の方で準備しよう」

 「有り難うございます」

 「何かあったら、……今は、ビクニ・ミー少尉を(わずら)わせるよりヒッカリ君の方が早いか。 彼を寄越してくれ」

 「(かしこ)まりました」

 「以上だ。 何か質問があるか」

 「いえ」

 「では、早速手配に掛かるように」

 「はっ!  失礼致します」

 そう言ってヘキサノ少佐がビシッと敬礼すると、ミーノック将軍も立ち上がって敬礼を返した。

 そしてそのまま部下が退出するのを待って、彼はゆっくりと着席し、しばし物思いに耽るように茶色い光沢を放つドアをあてもなく見つめ続けた。

 今日、この扉を開けて去って行った、ヘキサノ少佐の背中を、ダスカイユ・ノ=テリオ氏の姿を――。

 …………レン。

 

     ◇

 

 美しい夕陽の輝きが幻光虫の分厚い層で揺らぎ、(にじ)み出していた。

 ここは極北の国・ザナルカンド。

 夕焼け空といっても午後4時を回って幾らと経っていない。 太陽が完全に水平線から没し、夕凪(ゆうなぎ)の海岸べりを迎えるには、まだたっぷり1時間はある――そんな時間帯だった。

 いつもであれば過密(ハード)予定表(スケジュール)をこなしているレンも、いよいよ明日に迫った召喚試験に備えて、これから明後日の夜までは全ての予定をキャンセルしていた。

 とは言っても、試験を終えた後にはどういう特番が組まれるかも知れず、結局レンは引っ張りダコになるのだろうが、とは予測していた――召喚試験に成功しようと失敗しようと……。

 「今日は一人にして欲しい」 とテリオの車を断り、レンは一人で事務所を出た。

 この前のことがあるのでテリオは心配したけれど、レンも心得ていて、油断なく気配を消し、常に細心の注意を払っていた。

 最寄のエアトレインの駅に向かう途中で彼女はさり気なく通信スフィアを取り出し、サッと開いてピッポッパする。

 ――――。

 「……あ、お母さん。 わたしィ~」

 「えっへっへ……ちょっとネ。 変えてるの。 いちおー、街中だしィ」

 「うん。 今、一人。 これからエアトレインで帰るからぁ。 あと1時間ちょっと、かな」

 「ソォ~なの。 ずいぶん、いろんなこと言われているわよネェ! 全く……。 でも、イイわ、それで皆んなが喜んでくれるのなら。 わたしって、そういうキャラなのよ。 どーせ、失敗するって最初から分かってるんだし。 …… “オメェ、心の中じゃ、絶対そんなこと思ってネェだろー!” “ハッキリ言えよ、コラァ~” みたいなね」

 (でも、映画じゃ、いつも成功してるじょない。)

 ――出たよ! これだ。 お母さんの名セリフってやつは……。》

 (何だか、レンが失敗するするシーンなんて想像できないわ。 いつだって、無理だ、無理だって言われながら結局、成功してるからねえ。)

 「はいはい、そりぁどうも。 じゃあ、一つだけ言っておくわ。 あのネ、お母さん。 モノには “限度” ってあるでしょう。 あのアーク様(・・・・)が実際にやって失敗してるのォ~、150年前に! それを役者のわたしがやって成功すると思う? するワケないでしょう」 

 ここだけは、さすがに声を潜めて言った。

 言った後で、改めて、さらりと周囲を見渡す。

 (そ~なのかい? 本当に失敗しちゃうのかねぇ……。)

 ――そりゃあ、わたしだって格好良くはないケドさ。》

 レンは今さらのように、失敗した後の記者会見の模様を思い浮かべた。

 ――まぁ、その時はテリオだって何とかしてくれるよ。》

 (だけど、……そうするとアレクサンダーの後は、“次は召喚獣アークに挑戦!” って話になるわよねぇ、世間様は」

 ―― ! 》

 …………。

 ……………………。

 ――なにか今、ものすごく恐ろしいことを、サラリと言わなかった?》

 …………。

 ……………………。

 冗談じゃない!

 あの召喚獣は16人が失敗して、二人が死んでいるのよ!!

 レンは携帯スフィアを握り締め絶句した。

 (ほら。 アーク様役のお前が、アーク様と同じように失敗しちゃった後で “次の召喚獣アークはやりません” なんては言えないだろう。 そんなことしたら一生言われちゃうよ。 芸能界、終わっちゃうかもよ。)

 ――芸能界の前に、わたしの人生が終わる心配はしてくれないワケぇ?》

 「はい、やりません! 絶対に。 今回が最後の火遊びだと思って。 召喚試験に失敗したら、最初の会見で正直にお()びをします。 今回の騒動の真相について、洗いざらい、みんな暴露するわ。 何を言われてもいい。 何を書かれてもいい。 どんなに叩かれても構わない。 だって、それが真実なんだから――。 その時は、一番の証人であるお母さんも必ず来てね。 一緒よ。 その積もりでいて! それだけは忘れないで!」

 (あららら……。 そうなのかい。 だけど召喚士の検査では、何だかすごい数値が出てるんだろう。 私はハナから、全くダメとは思ってないんだけどねぇ。)

 「うん。 その励ましだけは有り難く受け取っておくわ。 じゃあ、電車乗るから」

 レンは駅の階段を上り切って言った。

 (本当に今回が最後ってことなんだね。 分かったわ。 今日は型通り、精一杯の手料理作って待ってるから、早く帰っといで。)

 「はい! そっちに帰るの、久しぶりだね~。 楽しみにしてるわ。 宜しくぅ」

 (はいはい。 それじゃあね。)

 ――――。

 そう言葉を交わして改札を(くぐ)り、彼女はホームに出た。

 それが、レンが母親と交わした、生涯で最後の会話となった――。

 

 

 

   〔第2章・第4話〕 =了=

 


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