機械戦争戦記・レンの歌声が聞こえる   作:咲尾春華

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第1章・第1話 ザナルカンド襲撃隊 《マッド・レイダース》

    

    

 ――これが最後のステージになるだろう。》

 ぎしぎしと組みつけられたパイプの脇をすり抜けながら、彼女はその言葉を噛みしめていた。

 舞台中央の階段を上ると視界が “うわっ” と開ける。

 その一瞬間の印象で、その日のわたしのコンサートが決まる。

 そこは、いつもと変わらない景色をしていた。

 大きな歓声と悲鳴のような絶叫、地響きのような拍手が世界中に溢れ出す。

 考えていたほどに迷いは生じなかった。 心配は杞憂(きゆう)に終わった。

 どころか、心の底から高揚感がこみ上げてくる。

 ――わたしにはいろんな肩書があるけれど、やっぱりここに立っているのが一番だったね。》

 最後になってそんなことを感じるものだろうか。

 そう、しみじみと人生を振り返りながら、真っすぐに前を向いて立つ。

 これがわたしから見渡せる世界のすべて――。

 大勢の観衆がいて、ザナルカンドの街並みがあって、はるかガガゼト山の山頂が西からの残照を浴びて、かすかに輪郭を浮き上がらせている――そんな光景。

 夜空に目をやると、たくさんの飛竜が悠然と飛び交っていて、彼女の護衛役を万全の態勢で務めていた。

 中にひときわ目立って輝きを放つ巨大な召喚獣の姿がある。

 ――ユウナレスカさん、がんばってるなぁ。》

 もちろんすぐに気がついた。

 彼女もこのコンサートのためにガガゼト主峰の山頂からわざわざ降りて来てくれていたのだ。

 心の中で礼を言うと、舞台の中央まで正確に歩を進め、そこで立ち止まり、大きく深呼吸する。

 そのまま、この画面の中に吸い込まれてゆくように――。

 彼女は、自分が思い描いていた通りのしぐさで両手を伸ばし、マイクを取り、ソケットから抜いた。

 コトトっと普段と変わらない音がして、スタンドに固定されていたマイクが解き放たれ、歌姫の求めるままに宙を泳ぐ。

 レンは彼女のために集まってくれた黒だかりの群衆をはるかに見すえ、ふっと何かを思い出したような笑顔を見せて、1曲目のリードを構えた……。

 

 

 

■第1章 ザナルカンド襲撃隊(マッド・レイダース)

 

 

     1

 

 1カ月ほど前――。

 統合幕僚本部が主催する晩餐会(ばんさんかい)に出席するための打ち合わせの後で、あらためてレンの 「出征コンサート」 に話が及んだ時、ちょっとした事件が起こった。

 バンド・リーダーのジャックの姿を見かけると、レンは素早く呼び止め

 「あっ、ジャック。 ねえ、今度の公演のことだけど……この順番でやります。 それから、わたしはあの衣装を着るから」

 とだけ言ってメモを彼の手の内にすべり込ませた。

 確かに今回のことについては事前に何の企画書も出さないとは聞いていたし、レンちゃんも忙しいから無理もないか――くらいには考えていたが。

 「えっ! 何もしないって、本当に何もしないんですか」

 彼女の胸の内を知ったジャックは腰を抜かさんばかりに驚いた。

 「だから言ったじゃない。 最初からそのつもりよ」

 レンは “何を今さら” といった顔つきで平然としている。

 彼は 「そういうことだったのか」 というような表情であたりを見渡し、レンに顔を近づけてひそひそと話しかけてきた。

 「それで、ずーっと黙ってたんですね。 おかしいと思ったんだ。 いいんですか? 文化局が絶対に何か言ってきますぜ。 大目玉を食っちまうのがオチだ。 無理だと思うけど……」

 「大丈夫よ。 今回はわたしは完全に “お客さま” なんだし、せっかく準備してくれているボランティアの人たちに、ああだこうだって言いたくないの」

 「う~ん……。 それもあるけど、でも、それだけじゃないんでしょ」

 ジャックが苦笑しながら痛いところを突いてくる。

 「わたしはそのままガガゼト山に “高飛び” だし、気にすることは何もないわ」

 レンは開き直った。

 「オイラはそのままザナルカンドに “居残り” だし、クワバラ、クワバラ……」

 ジャックがやり返す。

 何と言ってもレンのバンド・リーダーを務めるほどのミュージシャンだから彼だって一廉(ひとかど)の才能の持ち主である。 さしものレンも、どうにも分が悪い。

 「んもぅ、イジワルなんだからぁ! あなたたちには絶対に迷惑は掛けないわよ。 全部わたしが責任を取るから。 ね、分かるでしょ。 お願い。 協力して」

 レンはすがるような目つきでその場を収めようとした。

 「困るんだよね。 ……それが分かるから逆に心配なんじゃないですか。 オレたちで引っ被ってあげられるものなら一肌でも二肌でも脱ぐんだけど、レンちゃんの肌に傷がつくのを黙って見てるわけにはね」

 「――――」

 レンの表情が曇る。 ジャックの顔つきも渋い。

 彼は言い聞かせるように続けた。

 「一度、誤解されてしまうと、これまで築いてきたものが “台なし” になる。 しかも弁解の機会もなく。 ……当分の間、勘違いされたままね。 いったん話が出来上がってしまうと、後で打ち消すのが大変だ。 ひょっとするとこれが――この国での最後のコンサートになるかもしれないんですよ。 いいんですか」

 ジャックはもう一度、念を押した。

 「“ひょっと” じゃないからよ。 本当にこれが 『最後のコンサート』 だから、本当にわたしの納得の行くようにやりたいの。 でもね、……分かってるわよ。 そういうの、わたしのワガママとか通るわけないってくらい。 だけど、どうしてもこれだけはしておかなきゃって思うから――わたしの(・・・・)生きて(・・・)いられる(・・・・)うちにね(・・・・)

 「えっ、何を――縁起(えんぎ)でもない」

 絶句して固まり、足の動かなくなったバンド・リーダーを置き去りにするとレンは一人で会議室を出て行った。

 

 「国策女(こくさくおんな)ですから」――。

 生前のレンは冗談でよくそう言って、笑っていたものだ。

 時代の荒波がたくさんの人生を飲み込んでいった。 もちろん彼女とて例外ではない。

 レンは 《戦時下の歌姫》 である。

 意外に見落とされがちだが、そのことの意味するものは大きい。

 ザナルカンドの歴史に 「戦後」 という――つまり機械戦争以後(・・)という区分は存在しないので、戦争前夜から戦中にかけてというこの都市にとっての最後の時代は、ちょうどレンの 《絶頂期》 とすっぽりと重なっている。

 そのために彼女の円熟期の活動の多くは強力な国家の意思によって誘導され規制されるのが常だった。

 何もレン一人ではない。

 この時代に生まれ落ちた者はみな――たとえどんなに才能があったとしても、いや、むしろ才能があればあるほどこの宿業に取り込まれていった。

 一部の心ない人によるやっかみ(・・・・)や中傷は()くとして、彼女のずば抜けた名声が国家によって強制的に創り出されたものでないことは明白である。

 仮に戦争が起こらなかったとしても、レンはやっぱりザナルカンドで一番の歌姫になっていたに違いない。

 普通に考えるなら、レンが自身の創作活動のために、ことさら国家にすり寄る理由は何もなかった。 彼女の才能を必要としたのは明らかに国家の方だった。

 そのことについて、ある人は 「レンは国権にいいように利用され、“捨てゴマ” にされた悲運の歌姫」 であると言い、また別の人は 「その活動は 《祖国称賛》 や 《愛国団結》 など本質から大きく外れたものを強要され続けたため、不自然なまでに(ゆが)んで見える」 とも言う。

 レンのたどった運命が大いに世間の同情を誘うので、このような意見を声高に唱える人が後を絶たない。

 『レンの実像は実は全く違う』 説はいつの時代でも根強い人気を誇った。

 確かに彼女にそういう一側面があることは否定しようのない事実である。

 一方でこの歌姫は、自ら強い意志を持って明確な方向性を示した人であり、決して時代の奔流(ほんりゅう)に流されただけの女性ではなかった。

 皮肉なことに、彼女に内在するこの二面性こそが 『レン』 という歌姫の評価を難しくする。

 レンは決して権力に(おもね)るような人物ではなかったが、ザナルカンドの政策に深く関わり、結果的に政治的側面で小さからぬ役割を演じた。

 その行動のすべてを 「国家に強要されて仕方なく――」 という言葉で片づけてしまうには無理がある。

 “時代” という視点から眺めるなら、確かに彼女は悲劇の運命に(もてあそ)ばれた人だが “レンの人生” という地点から捉え直せば、むしろ彼女こそ時代をリードした張本人とも言い得るのだ。

 「レンという女性がいなければ恐らくこの大戦争は起こっていなかった」 ――という歴史学上の定説がある。 この戦争によって悲劇的な運命を受け入れざるを得なかった彼女にとっては “ずいぶん” な言われようだが、また事実である。

 レンがスピラ史上最強の能力を持つ 《伝説の召喚獣》 を手にしたことによって、この歴史的大破局は避けられないものとなった。 のみならず最終段階において、ザナルカンドはもちろんスピラ世界の文明社会に終止符を打つ役を(にな)ったのは、他ならぬ彼女だったのだ。

 そういう意味ではレンという存在は一人の女性、一人のザナルカンド市民、一人の召喚士、一人の歌姫、この時代に生きた人間の等しく背負った宿命――という意味を超えて、たった一人の人間がたまたまその時代に居合わせた、ただそのことのためにスピラの歴史が大きく動いたのである。

 未来を決するのはいつだって真に偉大な一人の人間の意志によってであり、そこには民主主義だの生まれや肩書といったものの入り込む余地はない。

 彼女はそういう宿命を生きた人だった。

 最晩年のレンは召喚士、歌手、女優、外交特使、福祉活動家、冒険家、ちょっと変わったところでは都市開発局のアドバイザーなどという肩書を掛け持ちし、そのすべての分野において他の追随(ついずい)を許さない功績を残した。

 当時のレンは、どこで何をやっていても全く不思議に思われない、というほど不思議な人で、実際にいろいろな仕事を涼しい顔をしてこなしていた。

 当然、彼女の本分である歌手としての活動も時間的には大きな制約を受け、「リハーサルとか打ち合わせとかは特にしないから」 と言い出しても、最初は特に誰も気に留めたりはしなかった。 それで問題なく成功させるだけの力量を実際に彼女は示していた。

 先に見たレンとジャックとのやり取りは、そういう事情もあってのことである。

 そんな状況にもかかわらず大戦中にレンは2枚の新曲を発表し、さらに1枚のアルバムを制作していたと言われている。 リリースされたシングルはともに秀逸(しゅういつ)な内容で、むしろ彼女の代表作とも呼び得るポテンシャルを有していた。

 その人並み外れた才能は彼女の人生の最終局面にあってなお尽きるところを知らず、どころかさらなる可能性をさえ模索(もさく)していて、今となってはもの悲しい限りの透き通った伸びやかな歌声が、ザナルカンドの夜空を(うるお)していた。

 遺作となった2枚目の方は出征コンサートで一度だけ歌われたきりであり、通称である 『レンの遺言状(ゆいごんじょう)』 の名で呼ばれることの方が多い。 戦後しばらくの間はスピラ中に流布(るふ)した有名な曲だった。

 この楽曲をすべての事実を知った後から振り返ってみると、大変に興味深い暗示がいくつも浮かび上がってくる。

 当時の人々もすぐにそのことに気がついたので、実曲名の 『千の言葉』 より “通称” の方が通りが良くなったのだと思われる。

 実際、この曲で彼女は何を言いたかったのだろう。

 これを歌っている時のレンは、(すで)に自身の出征が生還の見込みの全くない 「死出(しで)の出撃」 になることを知っていた。

 旅立ってゆく自分自身の背中に向けて一つの思いを吐露(とろ)したのか、あるいは彼女をひそかに支えてくれたある一青年に託したメッセージだったのか。

 本当のことは彼女しか知らない。 すべては(なぞ)である。

 ただしレンは自分の実体験をそのまま歌にするような凡庸(ぼんよう)な人ではないから、想いは当然昇華(しょうか)され、一つの寓意(ぐうい)と化している。

 その言葉尻の一つひとつを捉えて、あれこれと勘繰るのは深読みどころか曲解とも言われかねない。

 そのことを承知の上で、なお彼女の実人生にまで想いを寄せてみたくなる――そんな気持ちを抱かせてくれる曲なのだ。

 試しに一度、聴いてもらえば誰もが納得するものと思う。

 それはともかくとして、約千年の後に 「ユ・リ・パ」 三人娘の活躍によってレンが再発見された時に、(よみがえ)った唯一の曲が 『千の言葉』 であったのは何とも幸運な運命の悪戯(いたずら)であった。

 それは、彼女の最終進化形、ザナルカンドきっての歌姫が出した最後の答、『レンの遺言状』 とまで呼ばれた大切な歌……。

 もちろん当のユウナたちがそこまで知ることはなかったが――。

 彼女の死後に追悼(ついとう)作品として発表されるはずだったラスト・アルバムの方はザナルカンドの街と命運を共にしたので、今となっては知る(よし)もない。

 

 昔、レンという女性がいた。 彼女はザナルカンドに生まれ、ザナルカンドに生き、この街の輝きとともに消えていった――まさに 《ザナルカンドの寓意》 そのものと言える存在だった。

 レンはその時代を見渡しても並ぶ者のないほどの歌姫として、早くから名を成した。 ザナルカンド中の人々から愛され、称賛され、彼女の歌に励まされたという感謝の手紙は途絶えることがなく、名声ははるかべヴェルにまで届いた。

 いつしかそれは彼女にとって 「自分が自分であること」 以上に大切なものとなっていた。

 “自分のこと” よりも大切なものが自分の内にできてしまうと、自然しぜんと自分のことが削られてゆく。 そのサイクルに終わりはない。

 「自分」 「わたし」 「レン」 という存在は、きっと自分の体の中ではなくて世界中の人々の中で生きているんだな、と時々、認めてしまうことがある。

 ――全く。 何なんでしょうね、このいまいましい社会のシステムは。》

 レンはさも可笑(おか)しそうな顔をして、よく祈り子さまにそう、ささやいていた。

 「皮肉を言うのなら、ちゃんと皮肉にきこえるように言いなさいよ」

 何度目かの時、祈り子さまが突っ込みを入れた。

 それが祈り子さまから見たレン評だった。

 なるほど、言い得て妙――である。

 要するにレンとはそういう女性だったのだ。

 「あら、皮肉を言ったつもりはなかったんだけど……」

 ――そう聞こえちゃうかな。》

 彼女は少し困った顔をして考えた。

 「ううん。 だ~か~ら~ぁ、ちっともそうきこえないンだってばーぁ!」

 「えっ? じゃあ最初から何の問題もないじゃない」

 そう言って二人は笑い合った。

 

 レンの祈り子さまは見た目は彼女よりずっと若い女性で、売れっ子のレンでさえ一目を置くほどの美人だった。 思わず吸い込まれてしまいそうになる青い瞳と緑の瞳を一つずつ持った不思議な少女は、いつでも口元にきりりと紅を結んで、白と青の愛らしい(はかま)姿をしていた。

 はるかな昔か、さもなければ、はるかな未来か――まるで千年の時でも(へだ)てたように現実離れした雰囲気を(かも)し出す――そんな祈り子さまとレンは、会った時からウマが合った。 そしてよく口論もした。

 実際、祈り子さまとしての力量を措くとしても、彼女はなお尊敬と信頼に()る人だった。 レンは北東岸沖の通称 「クレーター海礁(かいしょう)」 の海で交感に成功して祈り子さまと結ばれて以来、自分が一人で取り残されてしまう不安や、居場所がどこにも無くなってしまう孤独感から解放された。

 全く彼女のおかげだった。

 だからレンには “自分が召喚獣を使っている” という感覚がなかった。

 いくたびもの危機を乗り越え、ベヴェル軍の装甲戦艦と正面から撃ち合う恐怖にさえ落ち着いて耐えられるのも、いつも祈り子さまと一緒に居られるからだった。

 向こう側はレンの姿を見つけると決まって彼女一人を目がけて突進して来た。

 数十本の砲火を自分と祈り子さまは一身に浴び続けた。 ザナルカンドの市民はこぞって彼女の勇気と活躍を称賛した。

 ――世界は否応なく悲劇の生産を強要する。

 きらびやかなザナルカンド市街の片隅で、出征が決まり、耐えがたい試練に頭を抱えてうずくまる兵士を、レンは決して臆病だとは思わなかった。

 その気持ちは嫌というほどよく分かったから、レンはせめて彼らのそばに、いつも “わたし” がそこに居てあげようと、ただそれだけを心に誓った。

 つまるところ、そうやって兵士の背中を押して死の戦場に送り込んでゆく――自分は正真正銘 『死宴(しえん)の魔女』 だということを、レンは正確に理解していた。

 

 

 

  〔第1章・第1話 =了=〕 

 

 

  

 【初出】 小説を読もう! 2009年11月2日

 

 


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