機械戦争戦記・レンの歌声が聞こえる   作:咲尾春華

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第1章・第10話

 

 

    10

 

 ――言ってくれるじゃん。》

 祈り子さまは驚き、たじろいだ。

 勢いにまかせて突っ走っていたアーは、蹴躓(けつまず)いたように思考を停止して――。 相棒の顔をまじまじと見た。

 まさか、ここまで言われるなんて思ってもみなかった。

 心の準備が……。

 自分の方からさんざ(・・・)喧嘩(けんか)を売っときながら、ずいぶんと虫の良い話だが、こうして面と向かって言い放たれてしまうと――やはりショックだ。

 たとえ演技をしている風を(よそお)っていたとはしても。

 ――――。

 レンが本気で怒ったのが分かった。

 元来どんなことがあっても決してネガティブな態度を(おもて)に出さないレンが、こんな凄い言葉を口にするのを祈り子のアーは初めて見た。

 それだけに彼女の放った一撃は、(したた)かアーの鳩尾(みぞおち)(えぐ)った。

 ざま(・・)はない。

 『ザナルカンドのレン』 を怒らせたらどうなるか――。 最初に試してみたのは 「総帥府」 でも 「元帥府」 でもなくて、このあたし(・・・)だったよ。

 今さら遅いんだけどさ……。

 ()()ない愛情と()()ない信頼感が、浜辺に打ち捨てられた風車(かざぐるま)のように、からからと空転している肖像――。

 アーは咄嗟(とっさ)に返す言葉もなく薄暮(はくぼ)に浮かぶ山並みの、とある一地点に向けて目を戻すしかなかった。

 レンも決め台詞(ぜりふ)()いた後は黙って立ったまま、後れ毛を右手で()き上げて、やはり海の向こうに視線を投げていた。

 その仕草は激情にまかせて口走ったことを後悔している風のものではない。

 祈り子さまがレンの真意を探り兼ねている様子は気配で分かったはずなのに、彼女はむしろサバサバとした穏やかな表情で、けれどその瞳は瞬きもしないで真っ直ぐに正面を見据えていた――。

 心深いところで沈黙が(さざなみ)のように二人の間を揺れ動いた。

 隣で女の子がスカートを払い、岩場に腰掛ける物音がする。

 「そこまで言わなくてもいいじゃん」

 先に口を開くことになったのは、今度こそアーの方だった。

 「 “嫌なこと(・・・・)” と “くだらないこと” と “(ののし)ること” は一緒じゃないよ」

 「――――」

 「どんなに嫌なことでも、たとえどんなに嫌われるだろなって思たとしても、言わなきゃいけないことを言いもしないでニコニコしてるの、ダメだよね。

 レンなら分かるでしょ。

 そりゃさ、こんな言い方になってしまうあたしが “イイ女” なワケないのは認めるよ、悔しいけど。 あたしは、あたしだから」

 「――――」

 「でもね、いざっていうとやっぱり言えないこと多くてさ。 レンのためだから、心を鬼にして、嫌われようと何だろうと絶対に言わなきゃ、って思うんだけど、言うと結局こんな風になっちゃうじゃない」

 「…………」

 「でも、これだけは――今、話しとくね。 さっきからあたしが言ってることを誤解されたままじゃマズいから。 単に個人的な “人生論” とか “散り際論” をしてるわけじゃないんだよ。 問題を解決する方法についてだよ。 後悔しないで済むように、レンもシューインも納得できるように、取って置きの奥の手が……。

 嫌われついでにさ。

 言うか言うまいか、本当にどうしようかって……ずっと迷ってたんだけど。 うん、実は今でも、まだ迷ってる。 だけど、運命がこうなってしまった以上、まさか――本当にこんな日が来るなんてね……」

 いささか脈絡のない、言葉にならない文章をつなげながらアーが話し始めた。

 「レン。 これから大切なことをしゃべるよ。 とにかく黙って聞いてて。

 いい?

 実はね。 シューインとレンの二人で召喚獣の祈り子になるって手があるの。 “死ぬ” とか “死なない” とかの間にね。

 今まで考えたこともなかったでしょう。 だけど、あるんだよ。

 そのことを言おうと思ってた。 その前に脱線しちゃったけど」

 そう言って彼女は一人で笑った。

 「あくまでも “可能性としては” というレベルの話なんだけど、レンくらいの力があれば、十分なれて不思議はない。

 そのためにね。 その前に、レンの本心をどうしても知っておきたかった……軽々しくは言えないから。 ワザとに試したりしてゴメン――。 そのことは今、謝っとくよ。 ……ザナルカンド、守りたいんでしょ。 どんなことをしてでも」

 ―― ? 》

 レンは脇に座っている女の子を振り返り、黙って見返した。

 祈り子さまは海の向こう、相変わらずガガゼト山の稜線付近を見つめながら話している。

 「ただし……それにはいくつかの難しい条件があるんだよ。 いろんな意味で。 運が必要、というのもその一つ。 だから自信をもって勧めることは出来ない。 あたしが、今の今まで言いだせなかったのも半分はそのせい。 レンの気持ちを確かめたのもね」

 「――どういうこと?」

 「うん」

 相槌を打ってから、アーは更に思いを巡らし言葉を選んだ。

 「これはきっと “ご褒美(ほうび)” なんだよ。 レンがこの街のために命を投げだすならそのかわりに与えられる権利。 だと思うんだけど……」

 そう言ってまた考え、少しだけ逡巡(しゅんじゅん)した後、決心したように言葉を(つむ)ぐ。

 「いい? とりあえず言っちゃうからね。 よーく聞いて。

 まずその最初の条件。

 たぶんレン一人では祈り子にはなれない。 サポートしてくれる人が必要よ。 それも単なるサポートでなく、その人が “レンを守りたい” という強い意志をもっていることが絶対。 死による意識の拡散に耐えなければならないから。

 幸か不幸か――レンにはその相手がいる」

 「…………」

 「次の条件ね。 レンが祈り子になるためには、必ずその人と一緒に死ぬ必要があるの。 同じ場所で、同時にね。 二人で抱きあったまま死ぬことが出来れば、間違いなくて確実――そんなイメージの死に方」

 「待ってよ、アー。 そんなこと」

 「出来るわけない、かな。 シューインと二人では。 あるいはやろうと思っても実際問題、難しい。 ただ、今話してるのはあくまでも “方法論” だから。

 そういう選択肢もあるというだけで、そうしなさいとか、そうしてほしい、と言ってるわけじゃないの。 そのつもりで聞いててよね。

 でも、そんな方法もあるんだってことを知っておかないと、いざってときに選択することさえ出来ないでしょ。 “する” “しない” はレンとシューインの二人で決めることだから、あたしからどうしろなんては言わないよ」

 「…………」

 「じゃあ、とりあえず次の条件いくよ。 どんどん難しくなるからね。

 二人で抱きあって死ぬ際に、強い心残りと未達に終わった使命感への執着が必要。 そうでないと幻光虫に結晶しきれないと思う。 よほどの想い(・・・・・・)がないと。 ……異界にいくことを拒絶してスピラに幽体をもつわけだから。

 ただ、気をつけてほしいことが一つある。

 愛の結びつき自体(そのもの)は、この問題に対しては無力ってこと。 錯覚しないように注意が必要よ。 二人で抱きあったままビルから飛び降りれば、それで召喚獣になれるのか――って言うと、もちろんそんなワケない。

 同じ死ぬにしても、二人の心がそこで完結してしまっては意味がないの。

 レンとシューインがどんなに愛の(きずな)で結ばれていても、それだけじゃダメで “無念さ” と “怒り” を共有する必要がある。 《悪あがき》 と嘲笑(ちょうしょう)されようと気にしないくらいのね。

 そのためには、出来るだけ可能な限り “悲惨” で “無残(ムザン)” で “ザンコク” な死に方をした方がイイのよ。 確実に召喚獣になろうと思うなら。

 二人で必ず悲惨な(・・・)死に方をすること――これも必須(ひっす)の条件ね。

 うん、そう。

 ちょ~っとガマンが必要だけど……痛ければ痛いほど効果があるってこと。 誰よりも悲惨な死を迎えることが出来れば、その分成功の確率も高くなるわ。 その意味では、差し出した 《苦労》 は正しく(むく)われるの。

 たとえばね。 た・と・え・ば――の話だよ。

 もしもレンとシューインの二人が(そろ)いも揃って、枕を並べて、ガン首揃えてより不幸でザンコクで、エッグ~い(・・・・・)死に方をすれば、そのヒサンな “想い” の分量だけより強力な召喚獣が生まれてくる道理だから、本当にやるんだったら “ぜひ” そういった、思わず皆が目を(そむ)けてしまうような死に方をですね、二人で仲よく、後クサレなく、すっきりと決めるよう、あたしとしては――」

 「ねぇ、アー。 わたし、ちゃんと聞いてるよ」

 唐突にレンが、無表情な声を差し挟んだ。

 「だー・かー・らーぁ、これは “ホーホーロン” なのよ、 “ホーホーロン”。 あくまでも、そのためには、そうする方法があるのよねーー、っていう……。

 やっぱり……やめようか?」

 アーが()()めた気持ちを押し隠すように()いた。

 「――ううん。 ……続けて」

 レンは至って冷めた口調で(うなが)した。

 それで 「コホン」 と咳払(せきばら)いして、また努めて明るく話し始める。

 単なる(カラ)元気なのか、あるいは救い様のない運命を茶化してでもいるのか。

 「さーらーにーだね、まだあるの。 条件その四。 で、これが輪をかけて厄介(やっかい)

 それはシューインの属性がよりによって “(ダーク)” だってこと。

 今回話した条件の中でも間違いなく最大級の障害よ。 これをどうするか。

 確かにね――。

 《聖属性(ホーリー)》 と 《闇属性(ダーク)》 は対極属性だから相性は抜群よ。 レンとシューインが()かれあうのは見ていてよく分かる。 お互いの属性がそれぞれの肉体の内側に封じられている分には、どんなに強く惹かれあっていても問題はない。 だけど、もし二つの属性が物理的な制約から解き放たれて本当に融合してしまったら、対消滅(ついしょうめつ)が起こる。 あたしとレンが結びついていられるようには、シューインとレンの関係は実はうまくいかないんだよ。 “そのまま” ではね」

 「じゃあ、どうするって?」

 「うん。 シューインが自ら 《本性(ダーク)》 をきり離して、レンに依存するしかない。 生まれてくる召喚獣の主体はレンだから、残念ながらあなたの方から聖属性をきり捨てることは出来ない。 レンとシューインが融合して(むすびついて)出来上がる召喚獣は必ず 《聖属性(ホーリー)》 。

 そうすると――。

 シューインから強制的にきり離された闇属性はもう一人のシューインとして主体をもつことになるのよ。 言ってみれば “影” ね。 この影がどうなるのか、何をやり始めるのかは――。

 ……やってみないと分からない」

 ――そんな恐ろしいこと、平気な顔して言わないでよ。》

 (なか)ば呆れ顔をしてレンが心の中で訴えた。

 「それじゃシューインがあんまりだよ。 あの人の体を真っ二つに引き裂いて半分だけ抱き締めろなんて言われても……。 たとえ闇属性だろうと何だろうとわたしにとっては、シューインはシューインだからね」

 レンは努めて冷静に言い放った。 だがその声音の表面的な色合いとは裏腹に 「興味がない」 「気乗りがしない」 といった調子を装い(おお)せてはいない。

 祈り子のアーはあくまでも他人事(ひとごと)のような口調に努めて終始した。

 「何度も言うけど、これはあくまでも方法論だから。 だけど、もし成功すればレンはシューインと一緒になって大いなる力を手にすることが出来る。

 彼と二人で、ザナルカンドの街を守り続けていけるよ。 いつまでも、たとえ千年ののちまでも、この街の人々に必要とされ、ずっと愛されながら――ね」

 「…………」

 「それはそれで素晴らしいことだと思わない? もしもそういう方法があればシューインにも “きて” って言えるじゃない」

 「やり方は分かったよ。 だけどきっと無理ね。 “ヒサン(・・・)” な死に方には自信があるんだ。 その当てもある。 だけどそんな贅沢(ぜいたく)な死に目には遭えそうにない。 わたしはいつも通りよ。 アーと二人で戦って、倒れるときに倒れて行く……」

 レンが言葉ほどには自信のない顔をして隣の女の子の様子を横目で(うかが)った。 祈り子さまは相変わらず海の向こう、西方山脈が海に落ちて消えてゆく付近をじっと凝視している。

 凝視(・・)、して?

 そういえば、さっきから――。

 こんな深刻な会話をしている最中(さなか)にも、彼女は何か心ここにあらずといった(てい)そこ(・・)を見ていた。 二人で言い合いをしてるせいとばかり思っていたが……。

 ――何だろう?》

 レンは今さらのようにびっくりした表情で、彼女の視線の先を追い始めた。 夕闇に沈みゆくガガゼト連峰の山並みが、それでも輪郭だけはまだくっきりと見えていた。

 「どうしたの。 何かあるの?」

 怪訝(けげん)そうなレンの声に

 ――ああ、気がついた?》

 という顔をして祈り子さまが答えた。

 「さっきから……あの山の稜線ぞいに左から右へ等速度で移動しているもの(・・)が見えるのよ。 それも複数。 何だろうと思って、ずっと見てたんだけど――。

 目と頭が、全く逆の(・・・・)ことを言う(・・・・・)ので混乱してる。 あたしの両目ははっきりと一つの答を出してるんだけど、頭の中が同じくらいはっきりと “それは絶対に間違いだ” って。

 実際どう考えても、あんなところにそんなもの(・・・・・)がいるはずないんだよねぇ。 だから……困ってる」

 「えっ、何処(どこ)どこ?」

 レンが眉根(まゆね)を寄せて、()めるように視線をすべらせる。

 アーが素早く助け舟を出した。

 「一番右端のK1峰、見えるよね。 そこから左へ2センチくらいのところ」

 ――2センディス?》

 言われるままにレンの瞳が海の先、山脈の右端から少し戻ったところ付近に固定される。

 すると……。

 指差された場所に浮かんでいる物体を確かに彼女も発見した。

 常人であれば肉眼はもちろん、たとえ光学式の双眼鏡を持っていたとしても何も見えなかったに違いない。 電子式の暗視装置(スコープ)でもなければ絶対に無理――そんなレベルの話である。

 だが元来、召喚獣の祈り子と召喚士は共に抜群に目が利く。 そこに居たのはスピラ世界で最強の召喚獣の祈り子と、ザナルカンド史上でも最高と称される天才召喚士だった。

 この暗闇の中、よくもあんなものを見つけると感心するくらいに。

 「実は最初からそこに現れることを知ってたんじゃないのか?」 ――。

 アーの能力を知らない人が聞いていたら絶対そう思ったに違いない。

 彼女はそれくらい優秀だった。

 いや、感心などしてる場合ではない。 理屈なんかどうだっていい。

 とにかく彼女たちはそれ(・・)に気がついたのだ。 誰よりも早く、まだ “大事(おおごと)” になる前に――。 何よりもそのことこそが重要だった。

 果たしてそこに見えたものは……。

 喫緊(きっきん)の事態がザナルカンドに迫ろうとしていた。

 レンは思わず息をのんで固まった。

 次の瞬間――。

 「アー、どうしよう!!!」

 それが彼女の回答だった。

 「だよね、やっぱりそうだよね! 要するに、サ・イ・ア・ク・ってこと?」

 二人の目に映っていたのは明らかに怪鳥とも飛竜とも異なる巨大な人工物の群れ―― “飛空艇艦隊” としか呼び様のないものだった。

 ――だけど、どうやってこんなところへ!?》

 信じられない現実にレンは慄然(りつぜん)とした。 実物を目の当たりにしてさえ、なおあり得ない光景だった。

 そんな……不可能だよ、絶対に――。

 だいいち、ガガゼトの山頂(てっぺん)で張っているユウナレスカさんが、そんなものを見逃すはずは――と考えて、彼女とは “ついさっきまで総帥府の 《最上階(てっぺん)》 で話をしてたんだ” と思い出し、「しまった!」 と心の中で呟いた。

 何を言っても無駄だった。

 状況は一刻を争う。 事ここに至った以上、ぼやぼやしてなどいられない。

 「とにかく連絡しなくちゃ」

 「信じてもらえるかな?」

 「そんなこと言ってる場合じゃないよ!」

 「だね。 でもここじゃあ……」

 レンは “はっ” として脇腹に両手を当てた。

 「ぱん」 と空しく音がした。

 周囲には誰もいない。

 彼女の通信スフィアは車の中だ。

 ――戻ろうか。》

 振り返った瞬間、アーが止めた。

 「それじゃ、全然まにあわないよ。 あたしたちが召喚して迎撃態勢をとるのがいちばん早くて確実。 そして現実的」

 「でもそんな場所、なかったよ」

 レンが元来た道を見つめ返す。

 「じゃあ先に進むしかないね。 そこに()けるしか――」

 「行こう、アー」

 言うなりレンは一目散に駆け出した。

 

 走り始めるとすぐに美しい珊瑚岩(さんごがん)の岩場に出た。 つい2分ばかし前だったら感傷に浸ってしみじみと眺められたかも知れない景色だったが、そんな気分はもうすっかり吹き飛んでいた。

 二人は辺りの風景には目もくれず、どんどんと走り抜けて行った。

 岩肌の小道を抜けて、岩肌の小道に入った。

 岩肌の小道に入ると、また道は細く続いていた。

 無情にも――二人の想いを嘲笑(あざわら)うかのようにそんな場面の連続だった。

 今度こそは、その次こそは、と懸命に願いながら走るのだが――。

 あの岩鼻を曲がり、この岩肌を抜けて、新たな視界が開ける度に、そこには独創性に富んだ岩礁がアートの粋を競っていて、彼女たちを失望させた。

 今、必要なのはそんな場所じゃないの。 ただ召喚を行えるだけの、何もない殺風景な空間が欲しい。

 繰り返すが、次々と現れては消えてゆく岩模様は、つい先程までの傷ついたレンの心を癒すには最高の環境を見事なまでに提供していた。

 まるでそのためにこそ用意されていた舞台セットみたいに――。

 突然台本だけが変わり、もはや何らの意味もなくなった豪華なセットの中で、それでも必死になって滑稽(こっけい)な演技を続けるレンとアーの二人。

 そんな疾走を重ねれば重ねるほどに期待と失望が繰り返され続けた。

 走っても、走っても……。

 狂おしいまでに前進しない現実の中で 「じりじり」 とした焦りがレンたちの行く手に襲いかかって来る。

 とにかく時間がなかった。

 「今度こそは」 と思って曲がると、目の前にまた造形美に満ちた岩肌が出現し、少なくともその先までは走らなければならない羽目(はめ)になる。

 そこで更に致命的な何分間かが経過する――。

 風は完全に止んでいた。

 まとわりつくような湿った空気の中をレンが懸命に突っ切って行く。

 彼女は 「広い場所、どこか広い場所」 と心の中で呪文のように呟きながら、海岸線を走り抜けた。

 ――こういうときってホント “使えない” んだよなぁ……わたしって。》

 次第に腹立たしい思いに駆られてくる。

 今日、わたしが腹を立てるのはこれで何度目だろう。

 召喚獣はデカけりゃいいってものではないということを、レンは身に()みて知っていた。 誰に言ったわけでもないが、一度だけシューインに打ち明けたら彼は腹を抱えて笑っていた。

 ――ほんと大変なんだよ、もう! わたしってば、その度に街中(まちなか)を大慌てで走り回ってるんだから。》

 これは間違いなくレンの最大の弱点だった。

 実際、彼女は広大雑多なザナルカンド市街の地図と(にら)めっこして召喚可能な場所を残らず頭に(たた)き込んでいた。 だから市内の構造物については都市開発の担当者が腰を抜かして驚くほどよく知っていた。

 いったん市街を抜けてガガゼト方面に出切ってしまえばレンは無敵だった。

 でも、それにしてもまさかこの北西海岸で召喚地点を探すことになろうとはさすがの彼女も想像さえしなかった。 つい10分ほど前までは――。

 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、…………。

 息を切らしてレンが走った。

 トントントントン――と小刻みに脈打ちながら、美しいストレート・ヘアが漆黒の闇を流れて行く。

 しかし――。

 「アー、あそこ!」

 結局20分近くも走り続けたところで、ようやく神様が意地悪を止めてくれた。 何度目かの岩陰を曲がった瞬間、岩塊の先に何とかなりそうな砂浜を見つけてレンが叫んだ。

 「だね!」 と力強く相棒が答えて素早く値踏みを始める。

 完全に足場の取れる広さがないのは明らかだが――どだいそんなスペースを探すのは無理だ。

 「半分、突っ込んじゃうけど大丈夫?」

 レンが不安そうに訊いた。

 「うん。 補助支脚(サポート・アーム)を広げれば全然平気。 沼地で撃ったこともあるし」

 「海水に浸かっても()びたりしない? 飛沫(しぶき)が散っても、配線とかメモリとか突然ダウンとかしないよね!?」

 そう言いながらも彼女はもう砂浜に向かって走り出している。

 「…………」

 ――あのな、レン。 あたしゃ、こんなカッコしてても召喚獣(・・・)でっせ、一応。 そんなものが付いているわけ――。》

 「アー! 一つ、お願ーーーい!!」

 「なあに?」

 「草叢(くさむら)の後ろにアベックとか居ても、踏んづけたりしないでね~~~~」

 …………。

 ……………………。

 「ねぇ~え~、レェ~ン。 それ、ワ・ザ・と・に言ってなぁ~い?」

 当の本人は一向(いっこう)構う様子もなく、 砂浜の一番広いところを目指して一直線に走って行く。

 「えーッ、なにーィ? 聞こえなーーーーい!」

 半分も過ぎたところで、思い出したように返事が返って来る。

 ――全然会話になってないよ、レン。》

 祈り子さまは彼女の耳をイーッと引っ張って息を吹き込んだ。

 「何だか今日のレン、の・り・の・り・ダ・ネ!」

 ちょっと負け惜しみ、ちょっと照れ隠し。 ……ちょっと仲直り。

 「イェ~い、その通ぉーり」

 そう答えて砂浜の中央まで走り寄り、ピタリと立ち止まる。

 「はい、ここです。 アー、お願い!」

 

 レンは両手を拡げて 「すぅーっ」 と息を整えると、軽やかに足先(ステップ)を踏み出し、くるくると 《召喚の舞》 を舞い始めた。

 

 

 

 〔第1章・第10話 =了=〕

 

 

  【初出】 にじファン (『小説を読もう!』 サイト内)  2010年12月28日

 


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