機械戦争戦記・レンの歌声が聞こえる   作:咲尾春華

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 ■欄外夜話 『ザナルカンドの情景』 スケッチ 7

 

 

 渦を巻いて落ちてゆく記憶の螺旋(らせん)

 心の奥底でキッと光る印象の断片。

 何か――。

 

 どうしても、しなければならないことがあった……ような気がする。

 

 その短くはっきりとした(おん)の響きに、鼓膜は震え、暗黒の(さざなみ)が濁り立つ。

 不安、戸惑い、焦燥感、緊迫感、そういった属性の中にあるもの。

 

 私はその事実の深淵に触れて、大切なことを伝えようとしていたのではなかったか。

 

 取りとめもなく、理由もなく、そんな感情がこみ上げてきた。

 敢えて言うならば、たとえようのない恐怖。

 そう――“恐怖” だ。

 何とも禍々(まがまが)しい響き。 忌避(きひ)すべき言葉――その象徴。

 

 「レン……レン……。 ――レン……」

 

 口を()いて出た言葉に自ら(おのの)き、両手で頭を抱え込む。

 

 取り戻したいのか、そうでないのか……分からない。

 

 私は、何かをしていた、のか?

 

     ◇

 

 ――ちょっと刺激が強すぎたかな。》

 

 ケーキ屋の少女は目の前の青年の予想外の驚きように慌てた。

 身を乗り出して、肩口をとんとんと擦って励ます。

 

 「何か、思い出したことがありますか?」

 「――――」

 

 彼女は心配そうに覗き込んだ。

 とんでもないことを言って、患者の容態を(こじ)らせてしまっては大変だ。

 

 ――でも、どう考えても、そんなビックリするような言葉じゃないんだけどなぁ……。 なんでだろう?》

 

 釈然としない気持ちで、フォローのしように困った。

 

 「やはり何も思い出せませんか」

 

 取って置きのキーワードが通用しないんじゃ、打つ手なしだよ。

 

 わたしがこの人のために特別にしてあげられる唯一の手段が空振りに終わり――。

 少女は今回の訪問の目的の半分が無駄になったことを知った。

 

 ――行けると思ったんだけど……。》

 

 ベッドの上の青年は頭を押さえ込んだまま、必死にもがいている。

 

 「あ、無理をする必要はないですよ。 幻光虫症は時間を掛ければ徐々に回復していくものですし、きっと思い出しますから。 そんな、焦らなくても……ね」

 

 半ば諦め気味に声を掛けると、不意に青年の手が彼女の上着へ伸びてきた。

 

 「レン――。 ああ、そうだ! そうでした。 今、思い出しましたよ。 あなたは昨晩、やっぱりこの緑の上下を着ていましたね」

 

 ――だから、着てなーーーいって!!》

 

 何をするのかと思えば――。 て言うか、全然、会話になってないよ~!

 

 青年の口が、お構いなしに(ほとばし)る。

 

 「あなたはこの服を着て、あの時、傘を差していたんだ。 そうだ! 僕は抱き起こされて、……雨が降っていて、雨が――。 傘の滴……、くそっ! ダメだ。 今度こそ――思い出せそうな気がしたのに!!」

 

 彼は悔しそうに(かぶり)を振って、沈んでゆく記憶の断片を懸命に(すく)い取ろうとした。

 だけど最初の地点で脱線している以上、そこから先は何を言っても無駄である。

 どうしてこの服に固執(こしつ)するのかは分からないけど、そこに(こだわ)っている限り正解には永遠に辿(たど)り着けない。

 ただでさえ手掛かりが乏しい上に、一度 “思い出した” はずの記憶が、実は誤りだったと認めるのが、どうにも耐えられないのだろうか。

 その気持ちは理解できなくもないけど……残念ながら、わたしはあの時はお店の制服を着ていた。 これは動かしようのない事実だ。

 

 ただ、それを言うと、ますます彼を苦しめてしまう……。

 

 そこで(いたずら)に彼の言葉を否定するのは止めて、話の方向を変えてみた。

 たとえば、こんな風に――。

 

 「じゃあ、“ザナルカンド” はご存知ですか」

 

 青年は不思議そうな顔をする。

 が、すぐに意を察して、はっきりとした口調で即答した。

 

 「それは知っています。 この街の名だ。ガガゼトの北東、大陸の最果てにある都市。スピラの首都と言ってもいい」

 

 「う~ん、そっか……。 実際には “ほぼ真東” なんだけどね、ガガゼトから見れば。 ま、正解。 合ってるよ。 ――記憶って面白いね。 どこまで覚えてて、どこからは覚えてないとか、時間のことだけじゃなくて、単語によって覚えてたり覚えてなかったりするものなんだ」

 「…………。 そう言えば確かに。 不思議です。 こうして言葉はちゃんと話せるわけだから……それは忘れてない。 言葉は覚えていて、単語は忘れているわけか……」

 「それにね。 さっきから気になってたんだけど、実はそれだけじゃないの。 例えば今あなたが喋っているのは共通語でも公用語でもなくて、ずっとザナルカンド寄りの言葉でしょ。 でもザナルカンド語じゃないし……。 (注) これって、大きなヒントになるんじゃないかな」

 「ザナルカンド――語、ですか……」

 

 青年がまた考え込む。

 だが、その表情から急に不安と焦りが消えた。 思いもよらない助け舟になっただろうか。

 

 それで勇気を持って、また会話を戻してみた。 例の言葉の蒸し返す。

 

 「因みにわたしが助けた時には、あなたは(しき)りとレンの名を呼んでいましたよ」

 

 「えっ! レン、を――。 私が……ですか?」

 

 青年は電撃にでも打たれたように両の目をカッと見開いた。

 戸惑いと――ちらりと(かげ)りを帯びた感情がその瞳に(きざ)す。

 

 ――そこで、すかさずフォローだよーーーっ!!!》

 

 今度こそ、レンの演技がすぱーっと飛ぶ。

 

 「知ってても、何~んの不思議もありませんってばぁ。 て言ぅーか、知らない人を探す方が難しいんじゃないかな。 ザナルカンドきっての歌姫、スーパースターの名前だから」

 「えっと、それは――」

 

 会話に詰まり、青年が絶句する。

 

 その様子を見て、目の前の少女がくすくすと笑い始めた。

 

 そっと囁くように聞かせてあげる。 わたしの取って置きの “決めゼリフ”。

 

 「あのね。 実はわたし、レンって云います」

 

 それを聞くなり、青年が思わず目を()いた。

 

 「えーっ! あなた、スーパースターだったんですか!?」

 

 ――そこまで、びっくりするか。 ……ま、するわな、フツー。

 

 「その通ォ~~り!! こう見えてもわたしはスーパースターなんです」

 

 少女が調子に乗って相槌を打つ。

 

 「そう見えても、あなたはスーパースターだったんですね」

 「そう、そう! そう見えてしまうのは、単にお忍びの姿だからです」

 「そうだったんですね。 そう見えてしまうのは、――何だかショックだ」

 

 わたしだってショックだわよ。

 

 心の中で苦笑して、もの淋しい余韻を持て余す。

 そっくりなのは名前だけで――ね。

 

 ああ、生まれてこの方、二十年。 偉大な同名者の名を持つと、どれだけ苦労することか。

 でも、これだけは言わせてもらいますね。 確かに生年は彼女の方が上だけど、デビュー年よりはわたしの生まれの方が先なんです。

 自己紹介の時に 「やっぱり」 というリアクションを受けるたび、そう答えてきた。

 よく誤解されるのだが、わたしの名前は彼女とは関係がない。 全くの偶然だ。

 

 そこんとこ、宜しく!

 

     ◇

 

 「へぇ~、そうだったんですか。 ……あなたが、レン、さん……」

 「ええ、そうですとも。 わたしは間違いなく “レン” ですヨ!」

 

 そう言って、亜麻色(あまいろ)の髪の少女が胸を張る。

 青年の瞳の奥に何かの色彩が揺らめく。

 それがちょっぴり彼女の心を不安にさせた。

 この、切ない思いを――。

 大して自信のあるわけではない薄っぺらい皮一枚の笑顔で乗り切ろうとする。

 

 これが、わたしの精一杯の “美人顔” よ。

 

 「レン、さん」

 「はい?」

 「なら……。 あの、記念に一曲、歌っていただけませんか」

 「高いよ」

 「お金なら幾らでも出します」

 

 ――本気(マジ)かよ、オイ!》

 

 そんな冗談を交わしているうちに制限時間が来て、不意に呼び出しのブザーが鳴った。

 

 「あら、残念。 時間が来ちゃいました! 今日はここまで、かな。 早いね」

 

 レンはバッグの中の呼び鈴がチカチカと点滅しているのを取り出して見せた。

 

 「あの――。 もし宜しかったら、またいらして頂けませんか。 そ、……お暇な時でいいんです。 お願いします」

 

 思わず、つっと柔らかな服の袖に手が伸びる。

 

 どうか、行かないで……。

 

 ――きゃ~~~ぁ。 袖を摘ままれちゃったぁ!!》

 

 初めて体験するお約束の《ヒロイン・シーン》にまんざらでもない顔をして、彼女はさり気なく答えた。

 

 「あなたさえお邪魔でなければ」

 

 「そんな、とんでもない。 宜しくお願いします」

 

 「なら、また来ますね」

 

 「はい!」

 

 元気よく言って青年は手を放し、レンは戸口へと向かって行った。

 

 重たい扉を開いて、またガチンと押し込む。

 

 ……お待ちしてます。

 

 そんな言葉が、閉ざされてゆく想いの隙間(すきま)から()れてくる。

 

     ◇

 

 幻光虫濃度が正常に戻ると、レンは「はぁ~っ」と息を吸い込んで呼吸を整えた。

 また来るはいいけど、あそこに慣れるのは一苦労だよ。

 

 ――早く良くなるといいな、とは思う。》

 

 だけど、そうすれば、そのとき彼は何を言い出すだろうか……。

 全ての記憶を取り戻した後で、それでもあの人は、わたしのこの服の裾をそっと摘まんで、なお――行かないで、と。

 

     ◇

 

 その後で、彼女は入り口で待っていた看護婦に再び案内されて医院長室に通された。

 

 「どうぞ。 お掛け下さい」

 

 勧められてレンはちょこんとソファーに腰掛けた。

 机で書き物をしていた医院長先生がペンを置き、応接セットに向かって来る。

 低い声の割に小柄でひょろりとした初老の医師だ。

 

 「どうでした、あの患者さん。 あなたに会って、何か思い出したことがありましたか」

 「うーん。 昨日の今日ですから、さすがにいきなりは。 ……でも、わたしが最初に助けた人だってことはすぐに分かったみたいです」

 「ほーう、そうですか」

 

 彼は意外そうな顔をしてレンを見た。

 言葉では 「どうですか」 と言ってみたものの特段、何かの進展を期待していたわけではなかったのだ。

 

 「それは珍しい。 あなたが駆けつけた時には、患者さんは完全に意識が回っていたはずですが」

 「そうなんです。 確かに言ってることは、ちょっと――かなり事実とは違うんですけど、当てずっぽうではないような……」

 

 昨日の状況については、病院に搬送された時に既に詳しく説明してある。

 

 「雨の中で、しきりに 《レン》 さんの名前を口にしていたから、彼女のコンサートでも見に来ていたのかもしれません。 きっと熱烈なファンなんですね」

 

 くどいようだが、珍しいことではない。いかにもありそうなシチュエーションだ。

 だいたい世のスピラ中の男どもで 「レン」 の話題を口にしない者などいない。

 中にはイキがってカッコつけてる輩もいるが、要するに 「レン派」 も 「アンチ・レン派」 も、どちらも立派にレンのファンだ。

 

 「そうですか。 案外そういうことなのかも知れませんな。 ……それであんなところに宿泊していたわけだ」

 

 ふーんと溜め息を()いて、ふかふかの背凭(せもた)れに体を預け、老医師は呟いた。

 

 「判明したんですか!?」

 

 レンが、ドキリとして叫ぶ。

 

 彼の、身元が――。

 

 刻まれた皺に浮かべた意味深な笑顔。 頭の中で言葉を選んでいるよな素振り。

 

 「あなたも会って話したのならピンと来たでしょう。 国外からの渡航者にしては、少し妙な言葉を喋っている」

 

 レンは大慌てで心の動揺を隠し、何気ない素振りを作り上げた。

 

 それは……えっと、確かに……。

 

 「はい、わたしも変だなぁとは思って……彼にそのことを話したんですけど、本人には心当たりがないようでしたよ」

 

 「うむ。 それを手掛かりにホテルを探したのだが、……いったい、どこに泊まっていたと思います?」

 

 言葉を投げてから、医院長先生は一瞬、黙った。レンの顔を見る。

 

 ――どこって……。 そんなにスゴイところなの?》

 

 実はそうなんだ。 それもハンパじゃなく。

 

 「グラウンド・スピリチュアルの最上階(スイート)ですよ。

 同盟圏為替券(ザナルカンド・レート)を山のように抱えてらしてね――全く、羨ましい限りの人だ」

 

 聞いていたレンが思わず息を呑んだ。

 

 「ビ……ビーカネルの、方――なんですか」

 

 

  ――〔つづく〕――

 

 

 (注) …本作は、咲尾春華がワードで作成した元データを 「読もう!」 ……じゃなかった、「にじファン」 に掲載するために全面改訂した二次データを使用しています。

 原文の元データには、ザナルカンド人 (とビーカネル人) は少し古い言葉を使っているという設定があり、緩やかな旧仮名・旧漢字を交えた文章で書かれています (例:対→對、予→豫、体→體、昼→晝、画→畫、旧→舊、など)。

 これは後々の章で、さらに千年前の 「ザナルカンド建国闘争」 時代の話をする際に、より強い旧字体表記を使用して時代感を出そうという試みだったのですが、処々の事情によりこのプロットは掲載データでは放棄することになりました。

 従って、稀にこういった意味の通らない会話文が出て来ますことをお詫び申し上げます。

 

 

  【初出】 にじファン (『小説を読もう!』 サイト内)  2010年10月19日

 

 

 ※ただし、この稿に限り、さらに全面改訂した新原稿を掲載しております。

 

 

 


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