機械戦争戦記・レンの歌声が聞こえる   作:咲尾春華

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 ■欄外夜話 『ザナルカンドの情景』 スケッチ 6

 

 

 天頂に(きらめ)く星座を割って一筋の流れ星が落ちる。

 それを合図に、また(おびただ)しい数の青白い星が一斉に走り始めた。

 雨上がりの夜空は穏やかに澄み渡っていて、透明な淡い光跡の一つひとつまでも、くっきりと見分けることができる。

 激しい降雨の後に現れる流星群と、大潮の日に西海岸から東海岸に向けて海水流の虹が架かる 《ザナルカンド・アーチ》 は、この国の二大風物詩だ。

 

 アルバイトからの帰り道――。

 レンは瞳の奥に幾条もの美しい光芒(こうぼう)を描きながら歩いていた。

 この光景を見るたびに、何故か小さい頃にしてもらったお伽話を思い出す。

 

     ◇

 

 ずっとずっと昔――。

 わたしたちの星は、遠い空からやってきた別の星とぶつかり合って出来た。

 元からあった星を 《ガイア》、空からやって来た星を 《テラ》 と云う。

 ぶつかったテラはそのままガイアに飲み込まれて地中深くに沈んで行き、やがてそれが異界となった。

 

 だから異界への道は、テラへと続く道でもある。

 

 有名な神話伝承の古話を下敷きにしたお話だと、いつか学校で習った。

 

 このザナルカンドの地中のさらに奥深く……。

 彼岸と此岸の間に横たわる 『異界の(その)』 には、今でも真っ白な丸い月が煌々(こうこう)と輝いている。

 マカラーニャ南方平原の南端にある 《異界点》 のテラスに立てば、その見晴るかす幽界の月を眺めることができると云うが――。

 わたしはまだ、それを一度も見たことがない。

 

 「月ってどんなものだろう」

 

 レンは思った。

 

 いろんな人がいろんなことを言う。

 何でもその不可思議な星は自分たちの星と互いに重力を共有し、影響され合うらしい。

 

 心地よい夜風に乗って、青白い光芒が次々と上空を過ぎてゆく。

 

 ――あの流れ星の一つひとつに願い事を3回唱えれば、想いは成就すると言うけれど……。

 

 ザナルカンド市街の億万の灯火に照らされた仄明(ほのあか)るい空間を眺めながらレンは考えた。

 

     ◇

 

 「だけど、あれってさぁーあ、実際は単なる幻光虫塊の発光でしょ。 願い事は恋の女神様が “無効” にするって話だよ~ォ」

 

 いつだったかカリちゃんが、メルヘンだかメルへンでないんだか、ビミョーに分からないことを言っていた。

 

 「だから願い事なんかしたことないヨ。 損するの、ヤじゃん」

 

 …………。

 

 ――そうなんだ。 》

 

 何だかとっても夢がない。 むしろ、そっちの方が “ヤ” な気もするけど……。

 

     ◇

 

 局地的に大雨が降って大気中の幻光虫濃度が下がると、ああして幻光虫の一団が周囲の空から流れ込んで来て、巨大な流星群のように見えるのだ。

 

 余談だがこの光景は実は1000年ほど後、召喚士ユウナの一行がグアドサラムに立ち寄った際に、そこの族長からスフィア映像として見せられている。

 画面いっぱいに広がる青白い彗星の輝きは、グアド族長・シーモア老師の言を()つまでもなく、当時のザナルカンド市民なら誰もが思い浮かべることのできる、ありきたりの風景だった。

 

 レンは遥か頭上を追い越して左前方に流れてゆく箒星(ほうきぼし)に導かれるようにして家路を急いだ。

 

     ◇

 

 翌日――。

 南C地区の中心街の外れにある病院を、レンは訪ねていた。

 午前もかなりの時間を回っていて、太陽はおおかた南中しようかという位置で燦燦(さんさん)と輝いていた。

 爽やかな風の吹き抜ける中、正門から中庭を抜けて、玄関のドアを(くぐ)り、入り口の受付でアポを取る。

 しばらく待たされた後、階段を下りてきた看護婦さんに案内されて、レンは目的の病室に向かった。

 

 正直……。

 こんな所に居るのが、ちょっと不思議な気がした。

 何でそんなことをするのか、そんなことをしようとするのか――自分でもよく分からなかった。

 実際、そこまでする必要はなかったのだと思う。

 あの人を助けた後、病院に引き渡せば役割は終了だ。

 

 改めて出向いたりしなければ、彼はわたしのことなど思い出しもしないだろう……。

 ――永遠に。

 

 わたしが介抱したのは彼の記憶が完全に飛んでいた間だけ。

 

 だから、彼はまだ、わたしには一度も会ったことがない。

 

 そのまま放っておけば何の問題もなかった。

 世の中には、こんなすれ違い方もあるものだ。

 

 事実上、これがわたしと彼との初対面だった。

 そして初対面という場面が訪れる必要も必然性もなかった。

 本来なら……。

 

 彼には、わたしに会わなければならない理由がない。

 わたしが彼に会わなければならない理由は――。

 

 …………。

 

 何だろう。

 

 わたしは何をしているのだろう。

 

     ◇

 

 レンは長い長い階段を一歩ずつ踏みしめながら上った。

 

 せっかくの思いで介抱したのに、そのことを忘れ去られるのが残念だったのだろうか。

 まだ彼の記憶が辛うじて(つな)がっていた時に混濁した意識の中で呟いた言葉は、わたししか知らない。

 たぶん、彼自身も思い出すことはない。

 

 わたし一人が黙っていれば済むことだ。

 

 やがて階段は途切れて踊り場へと達し、整然とした角を曲がり、幾つもの廊下を過ぎて、とある病室の戸口に立つ。

 

 看護婦さんはドアの中へと消えてゆき、わたしはそのまま一人で待たされた。

 

 ――どうしよう。 》

 

 今さらのようにレンは迷った。

 

 ――わたしの中の少女の心が、行けと言っている。

 ――わたしの中の大人の心が、退けと言っている。

 

 どちらが正しいのか、わたしには分からない。

 

 結論は “時間切れ” という形で出た。

 

 「どうぞ」

 

 中から声を掛けられて、レンは真っ白な心のまま、ドアを押して入った。

 

 声の主は先ほどの看護婦だった。

 その理由はドアを開けてみて分かった。

 ドアの向こうに、さらにドアがある。

 

 「入ったら早くドアを閉めてください」

 

 間髪を()れずに促される。

 

 「あ、はい」

 

 レンは慌てて後ろ手にドアを閉めた。

 

 「しっかりと!」

 「えっ、は、はい」

 

 向き直って、ぐいぐいとドアノブを引っ張る。

 ガチンと音がして、扉にロックが掛かった。

 看護婦さんが脇のボタンを押すと、シューッと空気が乾いてゆく。

 

 幻光虫濃度が見る見る低下してゆき、ザナルカンド人にとってはヒリヒリと感じられるような湿度まで変化する。

 

 全てはこの部屋の先にいる人に対面するための準備だった。

 が、レンには(いささ)刺戟(しげき)が強すぎたようだ。

 まるで呼吸の仕方を忘れたクジラのように、口を開いてひくひくと喉を揺らす。

 いくら空気を吸い込んでも、ちっとも肺の中へ入って行かない感じがした。

 慣れるのに、ちょっと時間がかかりそう……かな。

 

 「入室したら、そこのドアも必ずしっかりと閉めてください」

 

 背中から追い討ちをかけるような無機質な言葉が飛んでくる。

 

 ――はいはい。 分かってますって。》

 

 次のドアを押して入ると、その先の景色など確かめもしないで、くるりと背中を向け、分厚い扉を押し返す動作に集中する。

 未だ心も定まらぬまま――。

 

 やがてその鉄板の塊はガタンと音を立てて世界を隔絶し、レンに飛躍の勇気を求めてきた。

 喉に纏わりつくような湿気を呑み込み、さらりと髪を揺らして正面に向き直る。

 

 彼は、ベッドの上に上体を起こして、光の中に佇んでいた。

 溢れ出る緊張感と、口パクを誘うもどかしい空間の中で、レンが視線を泳がす。

 

 あ、あ、あ、あの……、わたし……、今日は――。

 

 ――ご、ごめんなさい。 この部屋の中は上手く呼吸ができなくて、言葉が……。 》

 

 「やあ。 あなたは――」

 「あのォ……こんにちは。 ご加減はどうですか」

 「―― (わたしは、レ) 」

 「……確か、昨晩……雨の中で助けて下さった方ですね」

 「えっ!? 分かります? 覚えてるんですか???」

 

 自己紹介しようとして機先を制され、レンは思いもよらない言葉を咄嗟(とっさ)に発した。

 

 「――ええ。 ……いや、どうだろう。 でも、……何となく……うーーん。 ……今、あなたが入って来たのを見て、ふと思い出したんです。 ――そうだ。 昨日もその服を着ていましたね。 ……だからかもしれない」

 

 ――へっ?

 

 ――はっ??

 

 …………。

 ……………………。

 

 ガァーーーーン!!!

 

 「――――」

 

 ちょっ……。

 

 ――そんなワケ……ないでしょ!? ……ないわよね?? 冗談ですよね。そんなこと……そんな……絶対に、あ・り・え・ま・せ・ん!!!》

 

 頭の中がくらくらとした。

 

 何と言うか……ショックだった。

 

 ああん、もう!

 

 これが、わたしと彼の記念すべき会話の第一声だったのだ。

 

 しかし後から考えると、この一言で(かえ)って気持ちが楽になったのかもしれないのだけど――。

 この時は、いきなりびっくりするようなことを言われて、咄嗟に言葉を継げなかった。

 

 そんなこと、ちょっと考えれば――いや、考えなくたって分かるでしょう。

 

 (おもて)に出そうになる感情をぐっと(こら)えて、レンは頬の筋肉の痙攣(けいれん)を懸命に取り(つくろ)った。

 

     ◇

 

 「う~ん、残念! 昨日は、お店の制服を着てましたぁ!! 覚えてないですかあ?」

 

 にこりと微笑みながらも、半ばキョーハクするような声音で歩み寄る。

 

 「おや? ……そうでしたか。 今、一瞬。 ――思い出したような気が、したんだけど……」

 

 男は申し訳なさそうに視線を落とし、再び考え始めた。

 

 レンは少しだけ気の毒な思いにも駆られたが、といって素直にわだかまりを解消する気にはなれなかった。

 

 だけど……。

 

 彼の記憶は今、激しく混乱していて、根拠のない思いつきにさえ(すが)りたい気持ちで一杯なのだろう。

 

 きっと……。

 

 ――多少は大目に見なくちゃいけないのかな。 》

 

 そう、気を取り直して、レンは改めて彼の容姿を見つめ直した。

 

     ◇

 

 昨夜のずぶ濡れの時とは打って変わって、入浴してこざっぱりとした姿は、やはり周囲の女が放っておくはずはないだろな、と思わせるに足るものだった。

 

 故郷に恋人とか、いるのだろうか。

 いても全然、不思議ではないが――。

 

 …………。

 

 「うーん、言われてみれば……。 確かにあの時は、――もっとゴワゴワした生地だったような……」

 

 また何かを思い出すように、ぽつりぽつりと、目の前の男が記憶を手繰(たぐ)り寄せ、言葉を絞り出す。

 

 ――そう、そう、そう! イイ感じ!!》

 

 「いや、…………。 やっぱり、ツルツル、キラキラした生地のような――」

 

 だけど、すぐに脱線してしまう。

 やはり相当に曖昧(あいまい)なようだ。

 

 ――そーんな! コスプレ喫茶じゃないんだからぁ!! 》

 

 滑稽(こっけい)な仕草を交えながらも、当の本人は大真面目に考えている。

 

 とっても心細いというのは分かるんだけどね。

 当てにならない記憶の断片を繋ぎ合わせて無理やりに結論を急いでも、問題は解決しない。

 却って逆効果だ。

 

 …………。

 

 「えっと、それから……髪の毛の感じは――」

 

 ――それはこの通りですよ! ……それとも、わたしにスクワットの勝負でもしろって言うの!?》

 

 レンは流行のゲームで、主人公の青年が敵のアジトに潜入するため、女装に必要なカツラを調達するミニゲームを連想しながら、思わずツッコミを入れそうになった。

 

 むーん。

 

 …………。

 

 「ご免なさいね。 僕は、変なこと、言ってるのかな。 …………。 ただ、一目見て、あなたが僕を助けてくれた恩人だというのは分かった。 何故だかは分からないけど。 …………。 そのことを覚えていて良かった。 あ、これは間違いじゃないですよね。 だから……あの時は、どうも有り難う」

 

 そう言って、彼はぺこりと頭を下げた。

 

 「ううん。 いいの、そんなこと。 ……とにかく無事で、お元気そうで何よりです」

 

 この人が自分のことを微かにでも覚えていてくれたのは意外だった。

 少しは助けた甲斐があっただろうか。

 

 それで

 

 ――ま、いっか。 》

 

 と心の中で強引に呟いて、そこで手打ちにすることにした。

 これ以上、幻光虫症患者の彼と意地を張り合っていても仕方がない。

 

 「でも、ちょっとだけ、ナットク行かないよなぁ……」

 

 この日、思い切りおめかししてやって来たレンとしては、心の中では遣り切れない気持ちでいっぱいだった。

 

     ◇

 

 少し落ち着いて病室の中を見渡すと、いろいろなものが目に入ってくる。

 まず室内のレイアウトが独特だった。

 幻光虫の影響から極力遠ざけるためか、普通であれば判で押したように “窓際の” と表現されるはずのベッドは、反対側の壁面へと押しつけられていた。

 替わりに窓際の不自然に空いた棚の上には、綺麗な花が活けられている。

 レンは花の名前とかは言うほどに知らない女の子だ。

 

 「どうぞ――」

 と声を掛けられて、

 彼女は誘われるままベッド脇に寄り、丸椅子に腰掛けた。

 

 「でも、わたしのことを覚えてくれていたなんて意外ですね。 助けに行った時はもう道端に倒れていたから、記憶はないと思ってたんだけど……。

 あなたにとっては今日が初対面のはずだから、ちょっぴり驚かしてあげようと思ってたのに、残念! アテが外れちゃった」

 

 「ははは。 それは……きっと、あなたが急いで助けに来てくれたからですよ。 その時はまだ、微かに意識が残っていたんでしょう。 ……完全に記憶が無くなる前に一度お会いしているわけだから、初対面じゃない。

 貴女は私のことをよく知っているのに、私の方は初対面というのは何だか悔しい」

 

 「確かに。 それ、分かります。 じゃあ、記憶が途絶えるギリギリ直前のことって覚えてますか? どこまでは覚えていて、どこから先が分からない、という境目のところとか。 ……記憶って、欠落すると繋ぎ目の部分はどうなるの?」

 

 「うーん、難しいな」

 

 徐に頭を捻って――。 しかし実際には、青年は考えるような材料など持ってはいなかった。

 

 「僕の頭の中にある一番古い記憶……本当に確かなのは、今朝、このベッドで目を覚ました時のものです。 その時点から後の記憶は問題なく繋がっている。

 だけど、あなたが昨晩、僕を助けてくれた人だということはすぐに分かったから、記憶が完全に消滅したわけでもなさそうだ……。 何と言うのか、こう――」

 

 「頭がぐるぐると回るよう?」

 

 「はい。 ――ああ、そうだ、ちょうどそんな感じです」

 

 「幻光虫症に(かか)った人って、みんなそう言うの。 逆にね、わたしにはその感覚がイマイチよく分からないから。 ものすごく不思議」

 

 そう言ってレンは楽しそうに笑った。

 

 「頭がぐるぐる回るって、どんな感じなの?」

 

 「う~~ん……そうだな。 色々とひらめきそうになるんだけど、言葉にしようとすると、ひらめいた画面がすぅーっと逃げて行く感じ、かな。 何か――うーん……キー……ワード、になるような言葉を思いつけば、一気に捕まえられそうな気がするんだけど……。 それが、どんどんと逃げてゆくんですよ。 どの言葉を捕まえようとしても、そう。 全ての記憶が、思い出せそうで何も思い出せない。

 で、焦って、捕まえようとして、何一つ捕まらなくて、強引に言葉を追い回して、結局グルグルと回っちゃうんです」

 

 ははははは……と、乾いた声で力なく答える。

 その青年の笑い声の方は、どことなく寂しそうだった。

 

 「そっか。 ――じゃあ、キーワードがあればいいんだ」

 

 レンは少し迷ったが、何故か無性に言ってみたい気持ちになった。

 

 「えっ? あ、うん。 そうですが……」

 

 何も知らない青年が、きょとんとした顔をして頷く。

 

 それで意を決し、丸椅子に腰掛けていた女の子は、その一言を押し出してみた。

 

 南C地区のケーキ屋の少女の瞳が悪戯(いたずら)っぽく見開かれ、正面に居る青年の顔に固定される。 まるで彼の顔の筋肉の動きを10ミリディスさえも見逃さないと云うように――。

 

 怪訝(けげん)そうな青年の笑顔を注意深く見つめながら、彼女は1音ずつ、正確にその単語を発音した。

 

 「 “レン” って、ご存知ですか?」

 

     ◇

 

 室内の空気が5度下がったように固まった――。

 

 

   ――〔つづく〕――

 

   【初出】 にじファン (『小説を読もう!』 サイト内)  2010年10月11日

 


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