機械戦争戦記・レンの歌声が聞こえる   作:咲尾春華

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 ■欄外夜話 『ザナルカンドの情景』 スケッチ 3

     

    

 「あっ、店長! 今、そこで見掛けた知人が大変なんです!! トラブルに遭っちゃって……。 助けに行ってもいいですか? 私用外出をお願いします」

 

 そんな言葉一つで店長を丸め込んで、奥の間に引っ込んで行ったカリちゃん。

 制服の上からジャケット一枚をさっと羽織り、傘立てから傘を引き抜いて――って、ちょっとォ! それ、わたしの傘!!

 

 ――だって、こっちの方が広いんだもん。》

 

 ……たく。 ちゃっかりしてるよ。

 あ、「ヒクリ」 って云うのは彼女の本名ね。

 ケーキのトッピングに、やたら 「かりかり」 「こりこり」 した素材を使うので付いた愛称が “カリ” ちゃん。

 因みにわたしは 「レン」 って云います。

 もちろん本名ですよ。 ちょっと紛らわしいけど覚えてね。

 

 あっちのレンちゃんは 『ザナルカンドのレン』 ちゃん。

 こっちのレンちゃんは 『ケーキ屋レンちゃん』。

 

 ――――。

 

 (……そう来たか。)

 

 覚えやすくてイイでしょ。

 

 ((もっと)も、その古典的ギャグが通用すればですが。)

 

 “ユーモア” です!!

 

 (さいで……。)

 

 さて、どちらのレンちゃんが可愛いでしょう。

 

 …………。

 

 ――あえて白黒を着けようって?》

 

 …………。

 

 ――ま、いいか。

 

     ◇

 

 とにかく、その日は雨だった。

 夕闇に(けぶ)るザナルカンドの片隅の街で、冷たいものが引っ切りなしに落ちていた。

 それだけは、はっきりと覚えてる。

 

 しばらくすると店長も勝手間に引っ込んでスフィア通信で何やら話をし始めたので、わたしはまた一人切りで店頭に取り残された。

 お客さんも入って来る気配がないし……。

 だから、わたしもすることがなかった。

 ちょっと肌寒くて透明な空気の漂う空間――。

 実際には往来を行き交う人々の喧騒が雨脚に乗って響いて来るんだけど、不思議だよね。

 何だかこういう時間の中に佇んでいると、無性に寂しさが込み上げてくる。

 半面、ずっとこのまま仄明(ほのあか)るいカクテル光線に照らし出されて、馴染んでいたいような雰囲気もあって……。

 わたしはただ、ぼーっと外の景色を眺めていた。

 

 お店の軒先の雨雫の間から歩道を行き交う黒い人影がチラチラと交差する。

 その先の車道にはエアカーのライトが引っ切りなしに流れていて、途切れることがない。

 そして、ふと、さらにその向こう側の薄暗い林並木の手前の歩道を……。

 一人の男性がタタタタタって走って行くのが見えたの。

 左から右へ――。

 この雨の中、傘も差さないで、だよ。

 

 ――え? 無茶する人だなぁ……。》

 

 と目で追っていたら、マジ、案の定だよ!

 その人は急に足を(もつ)れさせ、その場にバタンと倒れ込んだ。

 ほぉ~ら、言わんこっちゃない――。

 

 ――きっとこの国(ザナルカンド)の人じゃないんだ。

 

 「店長、店長! 大ぁーい変ぇーんッ!! こっちでも人が倒れちゃいましたぁ……。 トラブル発っ生ぇー! ちょっと助けに行って来まーす!!!」

 

 「えーっ!? おい、何だよ。 人が? って……あ、レン!! なぁ――ちょっ」

 

 野太い声が背中の方から響いてくる。

 しかし構わずに、レンは傘立ての中に一本だけ残っていた何だか怪しげにマジカルな形状のパラソルを引き抜いて、さっと表通りに飛び出して行った。

  

     ◇

 

 ぱしゃぱしゃと薄い水膜の張った歩道を駆け抜けて、素早くその人の側に走り寄る。

 改めて確認するまでもなく、一目で異邦人と知れた。

 恐らく何も知らなかったのだろう。

 ここガガゼト以北の地で、雨の日に傘も差さずにずぶ濡れになっていると、どんな目に遭うか――。

 

 ――やっぱりね。 もろ、「幻光虫症」 にやられてる!》

 

 大気中の幻光虫は水に溶けてよく馴染む。

 この国の住人なら誰でも知っている常識だ。

 体質にも依るのだけど、何の免疫も耐性もない人が突然これだけの濃度の幻光虫を浴びてしまうと、頭がぐるぐると回って思考や記憶に重篤な障害を引き起こす。

 大抵は一時的な混乱で治まるが、早く手当てしないと後遺障害が残ることもある。

 特に、こんな天気の日に無茶をしていては――。

 

 「こ、ここここ、ここは、どこだーーーーーっ」

 

 はいはい。 今、助けますから。

 

 思った通りの――何だか男前で、ちょっと 「ドキッ」 とするほど優しそうな目をした青年だった。 そういうのって、チラッと遠目に見ただけでも分かるじゃない。

 

 「大丈夫ですか。 ここはザナルカンド南C地区ですよ」

 

 抱き起こして、ポタポタと滴る上着から泥を払い除ける。

 そうこうしているうち、わたしまで見る見るびしょ濡れになってゆく。

 カリちゃんの傘って、妙に可愛いんだけど、実用性がなくて全然使えない。 あの人らしいと云えばそうだけど……。

 木乃伊(ミイラ)取りが木乃伊になったんじゃ、洒落にならないわね。

 

 「おっ、俺はまた、こ、ここ……帰って来るぞ~~~ォ。 ……おっ、あ、あぃ、アア、……アイ・シャル・タリーーン!」

 

 ――はへっ!? アイ・シャル・足りん?》

 

 あーあ、ここまで頭が回ってしまうと、せっかくの男前も台無しだよ。

 

 ――で、こういう時って、決まって女の名前が出てくるからね。》

 

 どれどれ、とばかり――。

 抱き抱えたついでに、もごもごと動く口元に耳を当ててみる。

 この人の記憶は早晩、飛んでしまうはずだから、今のうちに手掛かりになるような単語を聞いておくのも大切な介抱の一つだ。

 

 「レンは……確か……美人だが、色仕……は、まっ…く通用し……。 早く、別の手立…を――」

 

 あうちっ! いきなり何よ! ――てゆーか、人の名前なんか勝手に呼ばないで!!

 

 「レンに、レン……。 コンタ…トを…す…には。 早、く、この…とを、こ、の……伝え……」

 

 ――えっ! 何なの、それ? どうしてわたしの名前を……。》

 

 思わず 「はっ」 と体を反らせて、男の顔に目を凝らす。

 どんなに眺めても、全く記憶にない人だった。

 

 レンは急に後悔し始めた。

 「赤い薔薇には棘がある」 というのは定番だが……。

 

 ――って、そんな “ジョーク” を飛ばしている余裕はないか。

 

 (どうしよう……。)

 

 「どうしよう」 って、助けないわけには行かないでしょう。 ここまで来たら――。

 まさか今さら、この人を水溜りにバチャっと返して逃げ出すなんて……。

 と思いつつも、つい、さささっと周囲を見渡してしまう。

 

 ――相当、混乱しているようですね。》

 

 あうっ!? 何を突然――。

 

 ――あ、ごめんなさい。 でも……。》

 

 当たり前でしょ!! 知らない男がいきなり自分の名前を口にすれば、誰だってびっくりするわよ!

 

 ――いや。 じゃなくて、その人が……。》

 

 えっ!? あの、あ、だって、こんなに雨に打たれて―― 「急性幻光虫症」 を発生……症している人だもの。 仕方がないわ。

 

 ――うーむ。 しかしそれにしても、なかなかに刺激的な台詞を口走っている。》

 

 そーんなの、いちいち真に受けててどうすんのよ!! 相手は幻光虫患者よ! あなたも知ってるでしょ。

 

 それは、まあ……そうですが。

 

 じゃあ実際のところ、どうするのよ。

 

 ――どうしよう、レンちゃん! ねえ、どうする?

 

 「み、見なかったことに……」

 

 さっきの言葉は?

 

 「では、聞かなかったことに――」

 

 …………。

 

     ◇

 

 彼女の遭遇してしまった事件について、今ここで、とやかくと言っても仕方がない。

 大切なのは、それが現実に起こったということであり、それが全てである。

 ごくごく平凡な女の子の人生にもドラマの動き始める瞬間はあって……。

 

 夕靄の立ち込める、雨の降り頻るザナルカンドの街の片隅で――もう一人のレンの人生の最終章はこうして幕を開けた。

 

 

   ――〔つづく〕――

 

 

   【初出】 小説を読もう!  2010年2月1日

  


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