60.0 焼き芋と鴉天狗
幻想郷にも秋がやってきた。霊夢は境内に落ち葉がしっきりなしに落ちて面倒だなんて言っているけれど、俺は秋が好きだ。他の季節が嫌いというわけではないが、この季節は過ごしやすく落ち着ける。それに目に鮮やかな紅葉は時間を忘れて眺めていられる。
しかし、この二人は紅葉より焼き芋のようだ。昼下がり、霊夢と火依は境内で焚き火を囲みながら三時のおやつが焼けるのを待っていた。
「うー、寒い……早く炬燵に入りたい……」
「芋でも焼こうって言い始めたのは霊夢なのに……火、足そうか?」
自分の手に息を吹きかけながらぼやく霊夢に、火依が指先から火を出しながら問いかける。ここぞとばかり、自分の能力を有効活用している。もしかしたら、役に立てて嬉しいのかもしれない。
「芋が消炭になるぞ。もうすぐだから、二人とも我慢しろ」
俺は堪え性のない二人を叱咤しながら、焚火からやや離れた所で木刀での素振りを繰り返す。最初は手にいくつもタコができて家事をするのにも痛かったが、今や手の平はなめし革のように硬くなっている。ただこれ以上刀を振っているであろう妖夢の手が柔らかいのはどうにも解せないが。こればっかりは幻想郷の不思議だ。
日課の素振りを終えた後、そろそろ芋も焼けたかというところで、空から黒い影が降りてくる。普段の格好に耳当てとマフラーをした文だ。
「あやや! 丁度良かった、皆様お揃いで!」
「ええ、ひじょーに悪いタイミングで来たわね。絶対に計ったでしょう。、」
騒がしい天狗の姿を見た霊夢が、箒の柄で焚き火を突っつきながら出会い頭の皮肉を飛ばす。口辛く言ってはいるが、持ち前の勘で余分に焼いてるくせに。まったく素直じゃない。
俺は火ばさみで芋を探りながら、文に話しかける。
「今日も取材か?」
「んー、今日は記者じゃなくて天狗としての仕事をしに来たの。ま、要人警護というか付き添いみたいなのものね」
「付き添い……?」
首を傾げていると、また空からフワリと影が下りてくる。マスクとサングラスでそれっぽく顔を隠しているが、背中の巨大な黒翼のせいで変装も台無しだ。
無駄に怪しい姿の輩を目の前に、霊夢と火依が警戒して立ち上がる。不穏な空気を感じた俺は慌てて二人の前に割って入る。
「えっと……天魔さん、お久しぶりです」
距離感に戸惑いながら声を掛けると、天魔さんはあっさり変装を外して無邪気な笑顔で手を振ってくる。
「ふふ、北斗ちゃんも元気そうね。活躍はちゃんとチェックしてるわよ」
活躍というか迷惑掛けてるだけなんだが……苦々しい思いで手を振り返していると、急に火依が俺の背に隠れる。どうも火依は人見知りの気が強い。別に直せとは言わないけど、そこまでビクビクしなくていいのに。
「で、コイツはだれよ? 退治していい妖怪?」
霊夢がお祓い棒で焚火からアルミホイルで巻かれた芋をほじくり出しながら聞いてくる。初対面の相手だというのにいつも通り自分勝手だ。ま、問答無用に退治しようとするよりマシか。
とりあえず天魔さんのことを二人に紹介しようとするが、それより先に天魔さんが霊夢の前に立ち塞がる。
「な、何よ……ジロジロと顔を見て……」
「んー……」
困惑する霊夢を他所に、天魔さんは品定めするかのようにしばらく顔を覗き込む。そしてしばらくして、小さく笑った。
「やっぱり、親子だねえ。先代とよく似てるわ。主に性格が」
「………………」
何気なく天魔さんが呟いた言葉に、霊夢が一瞬だけ反応を見せる。先代……霊夢の前の博麗の巫女の事か? そういえば、この幻想郷に来てから霊夢より前の博麗の巫女の事を聞いたことがない。
頭の隅で引っ掛かっていたのだが……何故か聞いてはいけないタブーのように思えてならなかったので、ずっと触れられずにいたのだ。
先代の巫女は誰で、どんな人で、今はどうしているか。俺は何一つ知らなかった。霊夢はしばらく口を噤んでいたが……
「お茶を入れて来るわ。二人を居間に案内して」
俺にそれだけ言い残して台所に向かっていく。霊夢が自分から積極的に妖怪を招き入れようとするなんて、今まで見たことのない光景だ。
面食らった俺と火依は思わず顔を見合わせた。
「いやー、いいねぇ炬燵。それに焼き芋なんて久しぶりに食べたわー!」
「天狗だって焼き芋ぐらいしますよ? 天魔様が酒のアテしか食べないような生活をしてるだけです。しかし、炬燵はいけませんねぇ……ついウトウトしてしまいます」
霊夢に言われた通り居間に通すと、天魔さんと文は炬燵で完全に寛いでいた。霊夢は炬燵で芋を食べながらその様子を微妙な顔で見ている。
そして、火依は逃げるように刀の中に戻ってしまった。親戚が来た時に居心地が悪くて部屋に隠れる子供みたいだ。
それにしてもこの人たちはただダラダラしにきたのだろうか? まぁ、あり得なくはない気がするが……このままじゃ炬燵の魔力にやられて二人とも眠ってしまいそうだし、思い切って俺から話を切り出す。
「で、いったい何しにここに来たんですか?」
「そりゃあ、勿論暇を潰しに来たに決まってるじゃない!」
「ま、天魔様は仕事ほっぽりだしてここに来てるんですけどね」
嬉々として言う天魔さんに文が間髪入れず横槍を入れる。すると、天魔さんは糸の切れた人形のように机に突っ伏してしまった。
「……はぁぁぁ、もう嫌だー! 私なんてどーせほとんど飾りなんだから仕事全部文ちゃんがやってよー!」
「私は能天気が過ぎるんでしがない記者が似合ってるんですよ。それに私じゃ天魔様の足元にも及びませんから」
「そんなこと言ったら私一生隠居出来ないじゃない~!」
寛ぎに来たというか、ボヤキに来たようだ。何だかこのまま夜までここにいて宴会になりそうな予感がして、晩飯の内容を思案し始めた所で天魔さんが顔を上げる。
「……まぁ、私の話はいいの。それより北斗ちゃんと霊夢ちゃん、二人にそれぞれ話があるの」
「えっと、別々の話があるってことですか?」
「そういうこと。特に霊夢ちゃんの話は……」
天魔さんが申し訳なさそうに俺の方を見た。それでなんとなく察する。どうやら俺が居ては出来ない話のようだ。
ふと、一瞬だけ霊夢と目が合う。その瞳の中にほんの僅かに不安の色が見えたような気がする。不安? あの霊夢が? まさか。見間違いに違いない。
「ちょっと早いですが夕食の準備をします。天魔さんと文さんも食べていきますよね?」
「ごめんね。北斗ちゃんへのお話は、食事中ってことで……」
俺は後ろ髪を引かれる感覚を覚えながらも、天魔さんに頷きを返して炬燵から立ち上がった。
「先代の博麗の巫女はなんというか……空気みたいな人だったわ」
「空気って……アチチッ!?」
俺は焼きナスの皮剥きに苦戦しながら、文に聞き返す。『俺には』話せないようなことかと思っていたが、文も俺と同じく席を外しているところからして、霊夢と天魔さんの秘密の話のようだ。
文は壁に背を預け、手記をパラパラとめくりながら喋る。
「まるでいるかいないかわからないような人だった。名前も覚えていない。存在していたことすら知らなかった人もいるかもね。けど間違いなく異変を解決するもの、結界を守護する者は存在したわ」
「そう、なのか」
俺は相打ち程度は返すが手を休めない。先代の巫女の話。気になりはするが……あまり真剣に聞きたくはなかった。そんな俺の反応の薄さが気にくわなかったのか、文に溜息を吐かれてしまう。
「……気になってそうだから話してみたんだけど、あまり興味がある話題じゃなかったかしら?」
「そんなことはないよ」
正直気になるのは確かだ。だが、文のように根掘り葉掘り聞いてまで深入りしたいとは思えないだけだ。霊夢が、俺の過去の全てを知らないように、俺も霊夢の過去を知りはしない。
それくらいの距離感で接する方がお互い気楽だ。少なくとも霊夢はそんな距離感を望んでいるように思うのだ。
「ただ……」
「ただ?」
「いや、なんでもない」
俺は目ざとい文の問いを僅かに俯いてはぐらかす。
天魔さんは先代と既知の間柄だと匂わせていた。二人がしているのは先代の巫女についての話なのだろうか? だとしたら彼女の母親の話になるのかもしれない。
霊夢の、母親……もし会えるなら会ってみたい。そういう好奇心はほんの僅かだけあった。
料理も仕上がりつつあったところで、突然文が背後で手を叩く。
「そうだ、北斗。私も貴方にだけ話したいことがあったのを忘れていたわ」
「文が? 取材じゃなくて?」
「ええ、友人として貴方に忠告よ」
「……文が、俺の事を友人だと思っていたのは結構意外だな」
俺は茶化しながらも調理の手を止めて、文の方へ向く。忠告なんて物々しい言葉を使うんだ、片手間に聞かない方がいいだろう。
「それで、なんだ?」
「……『無意識化の異変』は私達天狗の里でも影響が現れるほど、広い範囲で起こったわ。おそらく幻想郷全体で影響が出たでしょう」
「………………」
「過ぎたことをどうこう言わないわよ。少なくとも、私はね。けれど、私みたいに無意識化しなかった者は多くいる。北斗が知らない奴も含めてね。そいつらが貴方をどう思うか……」
ある者は危険分子だと排除しようとし、ある者は俺を利用をしようとするものも出てくるかもしれない、ってことか。
今までもそうではあったが、今回の件は『宗教不信』の時とは規模が違い過ぎる。何より人里だけの出来事だからと静観していた者も、自らの身に火の粉が掛かれば黙っていないだろう。今以上に身の回りに気を付けないといけないな。
「わかった。注意する……ありがとな」
俺はそう返してすぐ調理に戻る。友人と言ってくれた相手からの忠告だ。しっかり気に留めておくべきだろう。
と、気付けば火に掛けていたお吸い物が吹き出しそうになっていた。慌てて火から離して一息ついてところで、更に文の声が続く。
「待った、まだもう一つ話があるわ。私的にはこっちの方が重要よ」
「もう一つ……? もう手が離せないんだけど」
炊き込みご飯も出来上がるだろうし、お吸い物も暖かい内に出した方がいいに決まってる。時を逃せば飯は不味くなるのだ。
「そのままでいいわよ。ちょっとした愚痴みたいなものだから」
重要な愚痴って、どっちなんだよ……俺は細葱を切りながら、心の中で突っ込む。真剣に聴けばいいのか、聞き流せばいいのか戸惑っている内に文は手の中でペンをクルクルと回しながら口を開く。
「北斗、何で鴉天狗が新聞記者を生業にしてると思う?」
「えっ? それは……能力的な適正もあるし、情報の重要さよく知ってるからじゃないのか?」
「限りなく正答に近いわね。ええ、私達は誰よりも早く知り、記録する。数百年前からずっとその生業を繰り返してきたわ。そんな私達がされて一番怒ることって何かしら?」
「……新聞をけなされること?」
思いついたことを口に出してみるが、無言の否定をされる。その後いくつか答えてみるが、文から正解の言葉を貰うことはできなかった。
正直、わからなかった。怒るポイントなんて人それぞれだろう。そもそも人間のそれすら把握できないのに知り合いが数人しかいない天狗の沸点なんて分かりようがない。第一に天狗の社会を詳しく知らないんだから、察することすら不可能だ。
しばらく答えに窮していると、痺れを切らした文がようやく口を開く。
「正解は記録自体を消されることよ。いや、貴方に言うならば、記憶を消されること、かしらね」
「記憶……」
その口調で、以前投げかけられた文の言葉が思い起こされる。
『これでも私も結構怒ってるんだからね』
文はそれで怒っていたのか。あの時は純粋に早苗やフランちゃんが抱いていた感情と同じニュアンスだと思っていたが……そうだとしたら、別の申し訳なさを感じてきた。
「それもあるけど、勝手にそんなことされたら誰だって頭に来ると思うわよ?」
「えっ!?」
慌てて口を押える。考えていることが口に出てしまっていたのか。慌てて文の顔を伺うが、そこに怒りの感情は全く見えず、むしろ可笑しそうな笑みを浮かべていた。
どうやら勘違いのようで、俺は顔が熱くなるのを感じた。心中を予測されたのか……流石天狗だと思うことにしよう。文はニヤケ顔を浮かべたまま話を続ける。
「ま、要は情報を得ることは容易いだけに、保管、管理の方に重みを置いてるってことね。だから、それが失われた、改ざんされたとなるとメンツを潰されたと思うわけ」
「……それで新聞という紙媒体で残していると」
「そういうこと。言ってしまえば、私達は忘れることを一番嫌うってことよ」
「言いたいことはわかったけど……何が言いたいんだ?」
俺はお盆に料理を乗せながら聞く。すると文はしばらく間を空けてから嫌に真剣な表情で呟く。
「……実は」
「実は?」
「椛が『いつまで経っても約束を守りに来ない!』と、それでもうカンカンで! 今度有給取ってここにカチコミに行くって言ってましたから覚悟しておいた方がいいですよ!」
「ありがとうとても有意義な話だった!」
目を爛々と光らせて襲ってくる椛さんの姿が想起されて、思わず身震いがする。彼女が有給を取るまでに対策を考えないといけないな……
結局文に真面目な話をはぐらかされたような気もするが、料理をしながらあれこれ考えられるほど俺は器用ではなかった。