「ねえ……私と遊びましょ?」
宝石を散りばめたような、不思議な羽を持つ女の子がにっこり笑いかけてくる。
一見無垢な少女の笑みだが……薄ら寒いものを感じてしまうのは、なぜだろうか? いや、ここは紅魔館、悪魔の館だ。だとしたら目の前に彼女は……妖怪だろう。だとしたら俺より年上でもおかしくない。
俺はしばらく警戒して声を出せずにいたが……息を一つ吐いてから何とか言葉を紡ぎだす。
「いいけど……俺は人間だから弾幕ごっこはできないよ」
「えーっ!? けど霊夢だって魔理沙だって相手してくれたよ!?」
念のため釘を刺しておいたのだが、案の定弾幕ごっこが目的だったようだ。誘いを断られた女の子は声を上げ駄々をこね始めるが、俺は首を振った。
「あの二人は普通じゃない人間だからできるかもしれないけど、俺は普通の人間。空すら飛べないから」
「むー!」
「膨れても出来ないものは出来ないから。まあ、二人とも来てるから後で相手してもらいなよ」
霊夢達に押し付けるようにして誤魔化すと、頬を膨らませていた女の子も納得したようで渋々と頷いてくれる。
「わかった……それじゃあお話しましょ。それくらいは出来るでしょ?」
「日本語で喋ってくれるならね」
「変な意地悪なんていないわ。よいしょっと」
そういうと女の子は扉の前で体操座りになる。丈の短いスカートをまったく気にしない据わり方で俺は内心少しドキリとしてしまう。
慌てて俺は彼女の隣の壁へもたれ掛るようにして座る。少女から微かに甘い果実の香りが漂ってくるほどの距離だ。なるべくそれを意識しないように心掛けながら、喋りかける。
「……それならまずは自己紹介しようか。俺は輝星北斗。外来人だよ。君は?」
「フランドール・スカーレット、みんなフランって呼ぶ」
「スカーレットって……もしかしてレミリアさんの妹さん?」
「うん」
フランドールと名乗った女の子が短く頷く。そうか、レミリアさんの妹か……言われてみれば顔付きは似ているかもしれない。ただ髪の色のせいか印象はどこか対照的に思えた。まるで月と太陽だ。いや、レミリアさんの妹なら彼女もきっと吸血鬼だろうし、太陽は似つかわしくないか。
俺の勝手な第一印象はともかくとして……こんな状況だ。彼女には聞きたいことがいっぱいあった。
「それじゃあ、えーっと……フランちゃん、まず聞きたいんだけど、ここ君の部屋?」
「そうだよ」
「別の部屋で寝てたんだけど、どうしてここに運ばれたのか、わかる?」
「知らない。突然床に転がっていたもの。咲夜が運んだのかも」
ぞんざいな口調でフランちゃんが言う。もし彼女が言う通り咲夜さんがやったとしたら……レミリアさんの指示だろうか? 何の目的があってフランちゃんの部屋に放り込まれたか……
見当がつかず首を捻っていると、フランちゃんがトンと踵で床を蹴った。
「いつも通り扉には鍵が付いてるし、もしかしたら貴方も私みたいに閉じ込めるつもりなのかもね」
「閉じ込めるって……」
「そ、私閉じ込められてるの。495年間ずーっと」
さもそれが当然の様な口調で呟くフランちゃんの姿に、俺は返す言葉を失ってしまう。確かに部屋を見回すと長い期間住まれていたような痕跡はあるが……こんな小さな子供が、俺の何十倍も生きているなんて信じられなかった。495年……想像がつかないほど途方もない時間だ。何より何でフランちゃんがそんなことをされないといけないのか、理解できなかった。
「そんな……レミリアさんがしたの?」
「うん……ううん」
俺の困惑混じりの問いに、フランちゃんは一度頷くが……すぐにふるふると横に首を振る。何か迷ったような、そんな仕草だった。
「出ようと思ったら出られたよ。紅魔館の中くらいなら歩き回っても気付かれないし……もしバレても素直に戻ればお姉様は何も言わないもの」
「じゃあ、どうして君は……」
どうして500年近くも閉じ籠ったのか?とは口に出せなかった。その横顔がとても寂しそうだったからだ。しばらくその表情を盗み見ていると……しばらくしてフランちゃんが退屈を埋めるように足をパタパタさせ始めた。
「まぁ理由は色々あるよ。お姉様を困らせたくもなかったし、その時はあんまりお外にも興味なかったし」
「そっか」
俺は短く返事を返すことしか出来ない。お互いに黙り込んでしまう。
気まずい空気のせいもあったが、それ以上に無理に暗い話をさせてしまった事への罪悪感が、掛ける言葉を無くしていた。
そんな空気に耐えられなかったわけではないが……俺はしばらく考えてから、思ったことを素直に聞いてみることにした。
「フランちゃんはお姉さんのこと……どう思ってるの?」
「……別に。何とも思ってないわ」
ぶっきらぼうに呟く。その表情は暗い。
……もしかしたら、フランちゃんはもう諦めているのかもしれない。自分の今に、未来に……希望なんてない、と。それは、あまりにも悲しくて……
「ッ……!」
ふと、そんな姿が何故だか誰かの悲しげな笑顔とダブった。顔も名前も思い出せない。だけど、その笑みだけは脳裏に焼き付いていた。そうだ、その子は俺にこう言ったんだ。
「何とも思ってない、は一番悲しい答えだよ」
「悲しい?」
「無関心っていうのはその人のこと一番遠い人だと思っていることになるよ。好きよりはもちろん、嫌いよりも遠い。どうなろうと何にも思わないんだから」
「…………」
フランちゃんは表情を隠すように、膝の上で組んでいた腕に顔をうずめた。少し説教くさくなったかな。けれど何故か思い出したその言葉を呟かずにいられなかった。あの時の俺は……それを言われてどう思ったんだろうか?
……多分、そんなものかと話半分に聞いてのだろう。そうじゃなければ、俺がこの世界に来ることはなかったのだから。
「俺が幻想郷に来てしまったのはみんなが俺に無関心になったから……いや、無関心になって欲しいと俺自身願ってしまったからなんだ」
俺の独白に、フランちゃんは不思議そうにこちらを見る。我ながら変なことを言っている自覚はあったので、つい変な笑いが込み上げてくる。
滑稽だな……これは誰かに聞かせるような、『お話』なんかじゃない。ただの懺悔だ。フランちゃんをダシにして、自分の中の膿を出そうとしている最低の行為だ。けれど溢れ出す言葉は止められなかった。
「けど、その願いが叶った時、世界は俺を追い出した。当然、一人で生きるなんて無理な話なんだろうね」
「……パチュリーがたまに持ってくる本でそんな話があった」
膝を抱いて静かに聞いていたフランちゃんが俺に向き直る。俺は胡座をかき直しながら努めて優しい口調で問いかける。
「……どんなお話?」
「うーんとね、どんな願い事でも3つだけ叶えられるマジックアイテムを手に入れた夫婦のお話。おじいさんとおばあさんが話し合ってお金持ちになりたいって願ったら、自分達の息子が死んでその人に掛かっていた保険のお金が手に入ったの」
「……えっ」
唐突に話の雲行きが怪しくなってきて、俺は変な声を上げてしまう。だがフランちゃんはそんな俺を気にした様子もなく淡々と話を続ける。
「次に息子を生き返してと願ったら、息子はゾンビになって生き返るの。だから最後に息子を土に返して、って願うってお話」
「……あー、うん、なるほどね。フランちゃん、結構怖いお話知ってるんだね」
最初はランプの精の話みたいハートフルなのを想像していたのだが意外と残酷で後味の悪い話だった。しかしなるほど、境遇は似ているかもしれない。あまりの救われなさに思わず空笑いが出てしまう。
「ははは……けれど、結構当てはまるってるかもね。軽い気持ちで祈ったら、本当に叶って後悔する、今まさにそんな感じだ」
「それじゃあ、ホクトの能力は三つの願いを叶える程度の能力?」
「かもしれないね……だとしてももう一個使っちゃってるけど」
「すごいすごい! 私も叶えて欲しいなー!」
もちろん皮肉めいた冗談で言ったつもりなんだが、フランちゃんは食いついたようで身を乗り出して瞳を輝かせる。495年以上生きてはいるが、子供の夢を壊すのは忍びない。便乗してあげることにした。
「あはは……そうだとしたら、フランちゃんは何を願うのかな?」
「うーんとね、霊夢や魔理沙以外のお友達も作ってお外で遊びたいな。二人のお家にも行ってみたいし、あとお話で出てきた海っていうのも見てみたいな。それとそれと……」
フランちゃんは次々と、願いを口に出していく。3つどころか、両手両足使っても数え切れないほどだ。その願いのどれもが俺にとってはたわいもないもので……495年の内に叶えることはできなかったのだろうか、と思わずにいられなかった。レミリアさんはどうしてこんな素直で純真な子をずっと閉じ込めてたのだろうか……?
「ホクト! ちゃんと聞いてる?」
「え、うん、もちろんだよ。フランちゃんはやりたいこといっぱいあるんだな……って思って」
「うん! どれも叶いそうにない夢ばっかりだし、迷っちゃうなー」
フランちゃんのたわいもない言葉が胸を締め付ける。外さえ出られれば簡単なことなのに……! 息が胸に詰まる。我慢できなかった。俺は思わず立ち上がってフランちゃんに向き直る。
「よし、その願い俺が叶えるのを手伝うよ!」
「手伝う? 能力使ってくれないの?」
「フランちゃんがしてくれたお話でも願いを叶えたら不幸になっちゃったでしょ?」
「そうだけど……」
フランちゃんは不服そうにまた体操座りになってかかとで床を叩く。実際には俺の能力はそんな都合のいいものではない。そもそもどうやって使うかもわかっていないし……だけど、このままこの子のことを放っておくことは、俺にはできなかった。
「だから、俺はフランちゃんが願いを自分で叶えられるようにお手伝い出来ないかな、って思ってる」
「……自分で?」
「そうだよ。それには自分自身が変わらないといけないけどね」
「え……私が変わるの?」
フランちゃんは訝しげに首を傾る。色々と偉そうに講釈垂れているが、俺が言えた話ではない、と心の中で毒づく。もし俺が今のまま変わらなければ幻想郷が滅びてしまうのだから。だから、せめて自分にも言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「うん、ちょっと理不尽に感じると思うけど、自分で事態を変えようと動かないと回りも動いてくれない。フランちゃんが変わればみんながそれに応えてくれて、きっと今言ったことを次々叶えられるはずだよ」
「ホント!? じゃあ私変わる! 変わるって思えるように変わったから何か願い事叶うよね!?」
フランちゃんは立ち上がると元気よく飛び跳ねながら聞いてくる。こじ付けに近い屁理屈だが……俺は敢えて力強く頷いてみせる。
「ああ、そうだな……それじゃあ一つ。フランちゃん、俺と友達になってくれないかな」
俺が右手を差し出して握手を求めると……フランちゃんはマジマジとそれを見つめてから、満面の笑みで両手を握った。
「うん! 私とホクトは友達! これで一つ目!」
フランちゃんは脱臼しそうなほどブンブンと腕を振る。本当に嬉しそうだ。まあ、本当は同じ女の子の友達の方がいいんだろうけど……まあ、きっかけを作るのも大事だろうさ。
「よし、それじゃあ二つ目だけど、フランちゃんは外に出たいんだよね……」
「あ……」
俺の言葉を聞いたフランちゃんはハッとなると、しょげたように口を紡ぐ。やはり姉に迷惑を掛けたくないのだろう。俺はフランちゃんの目線に合わせるようにしゃがんで、小さな肩を叩く。
「大丈夫、俺がちゃんと掛け合ってあげるから。レミリアさんの許可が下りれば問題はないだろ?」
ジッとフランちゃんの紅い目を見つめながら言い聞かせると、不安そうだが頷いてくれる。正直俺も説得できるか不安だが、フランちゃんのために何とかしてあげたい気持ちの方が強い。それに……何でこの子を監禁したのか、そしてその部屋に俺を入れた意図も気になるし。
だが、レミリアさんに会う前に目先の問題が一つあった。
「それでこの部屋から出たいんだけど、フランちゃんはどうやって外に出たの?」
「えっとね、この扉を」
フランちゃんはおもむろに扉に向けて右手を突き出す。
「きゅっとしてドカーン」
そして軽く握りこむと、突然扉が吹っ飛んで粉々になった。
「ってするんだよ」
「へ、へぇ……すごいな」
俺は平然と扉を粉砕したフランちゃんに、茫然とした返事を返すことしか出来なかった。
……そういえばこの子も妖怪なんだった。なるほど、道理で扉だけ真新しいわけだ。出ようと思えば外に出られるという言葉の意味は、こういう意味だったのか。
「よし、それじゃあ……お姉さんの部屋どこか分かる?」
「うん! こっちだよ!」
俺達が歩き出そうとしたその時、近くで何かが爆発したような音がした。館中が震えるような振動が伝わってくる。
「これは……」
「誰かがパチュリーのとこで弾幕ごっこしてしているみたい。魔理沙と霊夢っぽい匂いもする」
「よく分かるね、フランちゃん」
「すっと閉じ込められてたから、物音で何やってるか分かるようになっちゃった。後人間は匂いでなんとなく分かる」
「そっか……」
地下だから正確には分からないが、まだ朝にはなっていないはずだ。それなら魔理沙と霊夢はわざわざあの後パチュリーさんのところへ向かったのか?しかも弾幕ごっこをしている……気になるな。
「フランちゃん、ちょっとそこに寄ってみたいんだけどいいかな?」
「うん、いいよ!」
非力な俺からしたら、こんな振動するほど激しい弾幕ごっこやらをやっている部屋に入りたくはないのだが……フランちゃんの前で尻込みしている訳にはいかない。俺はフランちゃんに手を引かれながら廊下を進んでいった。