東方影響録   作:ナツゴレソ

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46.5 無意識の異変

「だれ、って……何言ってるのよ。北斗よ。一緒に住んでいたじゃない……」

「………?」

 

 火依は本当に分からなさそうに、首を傾げている。

 ……何かの冗談かしら? それにしてもまったく趣味が悪い。危うく本当に騙されるところだったじゃない。

 私は腰に手を当てながら、溜息を一つ吐く。

 

「あのねぇ私だって怒るのよ? 北斗は一応アンタを助けた恩人じゃない。本人が聞いたら泣くわよ?」

「助け……た? あぁ、あの人は、北斗って言うの? もしかして霊夢の友達?」

「……貴方を封魂刀に封じたのは誰よ?」

「えっ……覚えてない、けど……」

 

 ……理解が追い付けない。なんで? どうやら火依は助けられたことは覚えているようだけれど……なぜだか北斗に関する記憶だけが曖昧になっている。そんな気がする。

 だと、したら……北斗は、今……

 

「どうしたの、霊夢?顔色が悪いわよ……」

 

 自分でも頭の血の気が引いていくのが分かる。夏だというのに身体中が冷や汗で冷え切っていた。多分私の顔色は真っ青になっているだろう。

 どういうこと? 火依の記憶が奪われたの? 私のことは覚えているのに、北斗のことだけを忘れてしまったのだろうか?

 ……とにかく冷静にならないと。そして、まずは状況をはっきり把握しないと。何が起こっているのかを特定しないと、対処しようがない。

 私は胸元を抑えて深呼吸をする。まだ背中に怖気が残っているけれど、いくらか心拍数は抑えられた。

 よし……まず北斗を忘れているのが火依だけかどうかを確かめるべきね。そうなると、一番近いのは紅魔館か。

 

「火依、ちょっとまた出かけて来るわ。留守番、よろしくね」

「えっ、ちょっと霊夢……」

 

 私は火依の制止を無視して魔法陣のある納屋に向かおうとするが、その時裏口の取っ手口が開く。一瞬、北斗かと期待してしまうが、現れたのは意外にも慧音先生だった。

 

「あぁ、博麗の! ここにいたか!」

「慧音先生じゃない!? 何か用かしら? 悪いけれど、今少し取り込んでいるのよ」

 

 私は急ぎ足で横を通ろうとするが、それを見た慧音先生が少しホッとした声が上げた。

 

「なんだ、お前も異変に気付いたか!」

「なっ……!」

 

 私は思わず振り向き絶句する。こんな時に異変が重なるなんて……

 不幸は重なるというけれど……幾らなんでも、このタイミングは最悪だ。

 あまりの状況に眩暈すら感じてしまうが、何とか気を保って慧音先生に向き直る。

 

「……異変ってどういうこと?」

「なっ、気付いてなかったのか……! 実は人里の人間がほとんど見えなくなってしまったんだ。老若男女一切問わず、一刻もしない内にだ!」

「見えなく……? 消えたじゃなくて?」

 

 慧音先生の引っ掛かる言い方に私は眉をひそめる。同じニュアンスに思えるけれどどうも気になったので尋ねたのだけれど……

 先生は自分を宥めるかの様に長い髪を撫でながら、重々しく頷いた。

 

「あぁ、何と言えばいいのか……灯りが付いていたり生活の後は見られるんだが、人の姿だけは見えないんだ。私や妹紅、阿求みたいに全員そうなったわけじゃないんだが、人里はさながら明るいお化け屋敷みたいになってるよ」

「誰かがいる気配は姿が見えない……先生、その中には自分の教え子も?」

 

 もしかしてと思い、私は先生に尋ねる。

 この里の状況……消えた北斗の状況とかなり似ている。もしかしたら、北斗もこの異変に飲み込まれてしまったのかもしれない。そう思った私は慧音先生に質問する。

 

「ん? あぁ、含まれているぞ。私が寺子屋前で遊ぶ子供たちを見守っているときに起こったからな。それがどうした?」

「……誰が消えたか、はっきり思い出せる?」

「自分の教え子を忘れる教師などいるものか。それは勿論……」

 

 自信満々な先生だったが、目を瞑って固まってしまう。そして、しばらくして……がっくりと地面に膝を突いた。後ろの火依もその姿を見てギョッとしている。

 

「すまないみんな……私は教師失格だ……!」

「あー、先生。ちょっと落ち着いて……もう一つ聞きたいんだけど、北斗って知っているかしら?」

「北斗……北の空にある七つ星のことか? それが何の関係があるんだ?」

「……ええ、ちょっとね」

 

 やっぱり、北斗の名前を知らない。まだまだあやふやだけれど、ようやく状況が見えてきたわね。

 私は立ち上がった慧音先生と、勝手口から顔を出して一連の話を聞いていた火依に向かって言う。

 

「この異変は人が消える異変なんかじゃない。『存在を忘れ、視界から消えてしまう異変』よ」

「存在を忘れ……」

「視界から消える、だと?」

 

 二人は理解のいかないような顔をしている。それはそうだろう。おそらく、この異変の影響下に置かれていないのは今のところ私一人だけみたいだし。

 私は思考を整理する為にもう一度深呼吸をしてから……努めてゆったりとした口調で、話し始める。

 

「落ち着いて、よく聞きなさい。まず、火依が助けられた人や封魂刀に封じた人を思い出せなかったり、慧音先生が自分の生徒を思い出せなかったりしているけれど……それは貴方達も異変の被害を受けているからよ」

「異変の被害……私と先生がおかしくなっているってこと?」

 

 火依がむっとした顔で睨みつけてくるが、私は手をひらひら振って否定する。

 

「そうじゃない……と断定はできないけれど、違うと思うわ。おかしいのは間違いなく人里の住民、そして……」

 

 北斗、でしょうね。

 十中八九、北斗の失踪はこの異変に関わっている。北斗が受けた状況が人里に影響してしまっているか、一つの異変に北斗が巻き込まれたのかは今のところ分からない。そして、この異変の首謀者は……

 

「古明地こいし、アイツが犯人ね」

 

 その名前に幻想郷に来て日の浅い火依はいまいちリアクションが薄いが、慧音先生はすぐさま反応を示した。

 

「こめいじ……? という地底にあるという地霊殿の主か」

「それの妹よ。アイツの能力は『無意識を操る程度の能力』。例え私達の目の前で踊ろうととも、自分の存在を認識させない。なんてことが出来る面倒な能力よ」

「……それって、異変とまったく同じ」

 

 火依の言う通り、消えた人間に関する記憶が飛んでいるのは解せないがそれを除けば、こいしの能力そのものだ。異変の原因が分かり、慧音先生は揚々と声を張る。

 

「なるほどな! なら、そのこいしという奴を見つければ……!」

「ま、問題はそんな奴をどうやって捕まえるかだけど」

「………………」

 

 私の言葉に先生はすっかり意気消沈してしまった。あら、ぬか喜びさせたかしら?

 けれど、実際問題困ったわね。こいしを探そうなんて思ったことがないから、出来るかどうかわからない。そもそも消えている相手を探す方法なんてあるのかしら?

 手詰まりの状況に頭を悩ませていると、突然、目の前にスキマが開く。そこから胡散臭そうなのが降りてきた。

 

「ごきげんよう、みなさん。お揃いで何よりですわ」

「……どうせ盗み聞きしてたんでしょう、紫」

 

 私は日が沈んでいるのに関わらず傘を差している紫に睨むが、扇子で口を隠しながら微笑むだけだ。

 

「えぇ、貴女がどこまで影響を受けているのか様子を見るつもりだったのだけれど……まったく受けていないとは、思っても見なかったわ」

「……それが分かるってことは、紫もじゃない」

「私はそれ、境界を少し弄ってね。さて霊夢……一つ聞いていいかしら? この異変、覚り妖怪の妹を倒してそれで終わる異変だと本当に思っているのかしら?」

「………………」

 

 紫の口振りに嫌な予感を覚えてしまう。私は押し黙ってしまう。この勿体ぶったような歯痒い口振り……間違いない。私の勘は、当たっている。

 ……言いたくなかった、決定的な言葉を。こんなことになるなら、紫も他の奴みたいに忘れてしまっていればよかったものを……

 夏の暑さのせいか、それとも動揺しているためか、汗が首筋を伝っていく。喉はカラカラだ。静かに睨み合っていると、その間に慧音先生が入ってくる。

 

「そういうことだ? こいしとやらを懲らしめれば終わりじゃないのか?」

「いいえ、もう一人首謀者……いえ、元凶がいるわ。それは……」

「紫ッ!!」

 

 私は声を張り上げて、紫の話を遮った。

 コイツは……紫は、北斗を排除しようとしている。今や北斗を知っている人はほとんどいない。能力を持ってしまったがために異変を起こしているだけの人間としか見られないだろう。それを異変を解決しようとするものや、里を守る者が容赦するとは思えない。

 簡単に殺される。北斗と仲良くしていた者達が手を掛け、そして手遅れになってから気付く、最悪のシナリオが頭に浮かんできて、私は必死にそれを振り払う。

 

「まだ北斗が原因だなんて分からないじゃない! 早とちりしないでよ!」

「あら、それはそうですわね……じゃあ、彼が原因だったらどうするつもりかしら?」

 

 私は一瞬言葉に詰まってしまう。紫の冷徹な視線が私を射抜く。

 違う、違う違う違う! 私は暴走する思考を必死に抑えながら……できるだけ落ち着いた口調を意識して口を開く。

 

「それは……何とかする。北斗は、私が何とかするわ」

「何とかねぇ……それはどこまでやってくれるってことかしら?」

 

 紫は微笑を浮かべたまま尋ねてくる。その目は笑っていない。問いかけてきている、私の覚悟を。

 

「今回の異変は、今まで起こしてきたそれとは違うわ。人里が滅びかねない異変よ。それを博麗の巫女たる貴女がみすみす見逃すのかしら?」

「北斗は人間よ! 私は人間を守るのが……」

「貴方の仕事は幻想郷を守ることが仕事よ。その一環として人を守っているだけ。実際人間が一人、二人が死のうと幻想郷に影響はないわ」

 

 その言葉に、目の前に火花が散った。紫を黙らせようと感情のまま拳を振るうが、虚しく空を切る。そして後ろから纏わりつくような不快な声が続く。

 

「それに……もう、彼は人妖の域に達している。貴方も薄々気づいていたことでしょう?」

「黙れ!」

 

 再度背後に拳を振るうが、それも当たらない。スキマ妖怪にこんなのが当たるわけがない。それでも、恐怖を遠ざけるように様に拳を振うしかなかった。

 あの致命傷から蓬莱人の力を自身に影響させて復活してから、私はずっと恐れていた。

 きっといつか、彼は妖怪の力も使ってしまう。あるいはその力を利用され、大きな異変を起こしてしまうと。その時私はどうしたらいいのか、ずっと答えが出せていなかった。

 今、選択を迫られていた。この場で、この瞬間に。

 

「霊夢、覚悟を決めなさい。この異変、最悪の場合は……北斗を殺さなければならないわ」

 

 紫の一言に、私は頷くことも断ることもできず、立ち尽くした。


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