「はぁ、はぁ……やるじゃないか、えーっと……お前、名前何だっけ?」
「さっき昼ごはんの時名乗ったんだけどなぁ……北斗だよ」
俺とチルノちゃんはお互いに石畳の上に大の字になっていた。夏の空に浮かぶ入道雲がよく見える。
どちらもスペカも気力も使い切るほどの、本気の戦いだった。チルノちゃんは倒れたまま顔をこちらに向いて指を突きつける。
「北斗! これからはあたいのライバルよ! いいわね!?」
「ライバルって……」
そんなもの漫画の中だけのものだと思っていたが、まさか自分に出来るとは思ってもみなかった。子供っぽいとは思う。だが自分の口角が吊り上がっていくのがわかる。
「わかったよ、チルノ」
「これからあたい以外に負けちゃダメだからね!」
「厳しいこと言うなぁ……チルノこそ負けないようにね」
「トーゼン! あたいはサイキョーなんだから!」
最強、さっき霊夢に負けていたんだけど……
だがライバルと言われて悪い気はしない。俺達は互いを見合ってから、同時に空に拳を突き上げた。それを霊夢達が何とも言えない表情で眺めていた。
「アンタ……妖精とライバルだなんて、それでいいのかしら?」
チルノと大妖精ちゃんが帰った後食器を洗っていると、背後から霊夢が呆れたように言ってくる。霊夢はチルノを過小評価しているのか。俺としては結構な実力だと思うんだが……
俺は食器を布巾で拭きながら、後ろを振り向く。
「妖精ってそんなに負けたらいけないのか?」
「そういうわけじゃないんだけれど……アレに負けたら格好が悪いじゃない」
「……それは暗に俺が恰好悪いと?」
「否定はしないわ」
そう言うと霊夢は口元を押さえながらクスリと笑う。否定してくれよ……
まあ、確かにあんな小さい子と互角で納得するのも男らしくないかもしれないけどさ。俺は苦笑しながら6つのそうめん鉢を食器の乾燥台に並べてから、霊夢に向き直る。
すると、さっきまで上機嫌だった霊夢が、何故か険しい顔をしていた。
「……どうした、霊夢?」
「いや、なんでもないわ。多分、気のせいよ」
霊夢は神妙な顔で腕を組んでまま居間に戻っていく。その様子が妙に気になって後ろ姿を眺めていたが……家事がまだ残っていたので、そちらを先に済ませることにした。
次の日、朝の組手を終わらせた霊夢はすぐに何処かへ出かけてしまった。どうも昨日から様子が変だったが、霊夢は特段何も話してくれなかった。
俺がそれとなく聞いてみても杞憂で終わればいいから、とだけしか言ってくれなかったし……結局分からず仕舞いだ。まあ、何かあったら霊夢から話してくれるだろうし、霊夢の実力を鑑みれば心配はいらないだろう。
そんなわけで日課の掃除を済ませた俺は、居間でパチュリーに借りた本を読んでいた。そんな折、唐突に障子が開け放たれる。
いつもより薄手のエプロンドレスと身につけた、白黒金髪の少女。
「北斗ー! いるかー?」
「……ん? 魔理沙か。霊夢じゃなくて俺に用?」
自分を指差してみると、魔理沙がカクンと頷く。
珍しい。いつも用事がなくても霊夢と馬鹿話をしに来るか、飯を集りに来るのだが……今日は違うようだ。魔理沙は妙にせわしなく辺りをキョロキョロ見回してから、小さな声で話しかけてくる。
「霊夢も火依もいないのか?」
「まあね、霊夢なら今朝どこかへ行ってしまったよ。火依は封魂刀の中で寝てる」
「あー、霊夢はいないのか……ま、土産でも買って帰ればいいか。それじゃあ北斗、人里へ行こうぜ!」
魔理沙は帽子を押さえながら、満面の笑顔で手を伸ばしてくる。いや、見ての通り本を読んでいるところなんだが……
まあ、どうせそろそろ買い出しに行かないといけないから構わないか。俺は本に栞を挟んで、机に置く。
「いいよ。けど、何の用で行くんだ?」
「おーっと、男からしたら女の子と一緒に人里へ行くこと自体が目的みたいなもんだぜ? 霊夢と早苗と……あと火依辺りに誘われても、同じような返しをしない様にな!」
「は、はぁ……」
何故か魔理沙に呆れ顔で怒られてしまった。
唐突過ぎて意図がよく分からないが……まあ、たまには人里を見て回るのもいいかもしれない。一人でそういうことをするのってなんだか気が引けるし。
「わかった、とりあえず準備するから待っててくれ」
「おう、4秒で支度しな!」
「せめてその10倍は欲しい所だ」
そんなわけで、俺と魔理沙と刀の中の火依で人里へやって来た。最初はブラブラと辺りを散策するだけかと思っていたのだが、魔理沙は一目散に一つの店に入った。後ろを付いて歩いていた俺はこじんまりとした店の前で看板を見上げる。
「……鈴奈庵、何の店だろう?」
俺は確かめるためにのれんをくぐって中へ入る。すると、そこはそこらかしこに本棚の置かれた空間だった。紅魔館地下の大図書館と違って風通しは良くカビ臭くはないが、何だか別の嫌な雰囲気を感じる店だった。
「古本屋か」
「いいえ……貸本屋よ」
店の奥から聞き慣れない声が聞こえる。奥のカウンターを見ると小柄な女の子が座っていた。市松模様の着物にエプロン、そして鈴の付いた髪留めでツインテールにしている。
言ったら悪いが、こんな古本ばかりの場所に似つかわしくない活発そうな女の子だ。
「始めまして、貴方が噂の輝星北斗さんね」
「あー、世間をお騒がせしてすみませんね……」
こんな子でも知ってるのかよ……この人里で俺の名前だけが独り歩きしている感じ、あまりいい気分がしないな。そんな気持ちを極力顔に出さない様にしながら店の奥へ歩いて行く。
「見たところ、外来の本ばっか見たいだけど儲かるの? えーっと……」
「本居小鈴よ。ま、人並みの生活は出来るわ。それに色んな本を手に取れるこの仕事を気に入ってるのよ。無職さん」
「………………」
駄目だ、泣いてはいけない。この憎しみはあの鴉天狗にぶつけるんだ……! 俺が一人孤独にやるせない気持ちと戦っていると、本を物色していた魔理沙がひょっこり顔を出す。
「おーい小鈴、この本を買いたいんだが、どれくらいだ?」
「えっ、買うんですか? その魔術書は結構レアなんで……」
小鈴ちゃんは眼鏡を掛けると、パチパチとそろばんを弾いて魔理沙に見せる。しかし、魔理沙はニヤけ顏で俺を指差して言う。
「おっと、お代はあっちから頼むぜ」
「……おい、魔理沙。もしかして俺は奢らせるために連れて来られたのか?」
「失敬だな、貢がせるために連れて来たんだぜ」
「なお悪いわ!」
まったく言い訳の一つでもすればいいのに、さも当然のようにあっけからんとしているんだが文句も言いにくい。俺は魔理沙の代わりに向けられたそろばんを見る。一冊の本とは思えない値段だった。
渋々自分の財布と相談してみるが、流石に今は持ち合わせが足りない。
「ここは貸本屋だろ? 借りるんじゃ駄目なのか?」
「……ちょっと、大掛かりな魔法を作るために必要なんだ。いちいち借りる時間も惜しい。だから頼む!」
普段見せない真剣な表情で魔理沙が頼み込んでくる。その普段おちゃらけている彼女からは想像もつかない真っ直ぐな視線に捕まり、俺は言葉に詰まってしまう。そして、にらめっこ続けること数秒、俺は額に手を当てて小鈴ちゃんへ言う。
「……前払いで半分払う。残りはまた今度払うけどそれでいいか?」
「えっ、本当に払うんですか!? てか、無職なのに半分も出せるんですか!?」
「いちいち失礼だね、君……まあ、とある事情でお金は結構余っててね。けど魔理沙、今回は日頃の世話になってるお礼ってことにしとくけど、次から貸だからな!」
「この本が手に入るんだったら何でもいいぜ! サンキュな!」
魔理沙が目当ての本を両手で挟んで俺を拝むように頭を下げた。その様子に、俺はつい目の前でため息を吐いてしまう。
……俺が金を余らせていたとしても、代金を出すのはお門違いとは分かっている。しかし、魔理沙の珍しい真剣な表情にやられてしまった。
ま、魔理沙の事だ。魔法を変なことに使うことはないだろう……と思いたい。
代金を払い小鈴ちゃんの勘定を待っていると、不意に入り口の方に人が入ってくるのが見える。俺は適当に眺めていた本を閉じ、そちらの方に目を向ける。
「邪魔するわ。この資料も外れだったから別のを借りて……って」
俺とそのお客さんと目が合った。着物姿の紫色の髪に、花の髪飾りを付けた小鈴ちゃんと同い年くらいの女の子だ。着物や出で立ちからして、高貴な生まれなのがよくわかる。名家のお嬢様だろうか?などと考えていると女の子は目を見開いて急に迫ってくる。
「あの、もしかして貴方は輝星北斗ですか!?」
「えっ、そうだけど……」
俺は袖を掴んで顔を寄せてくる女の子から身を逸らせながら頷く。すると、その女の子は我に返ったようで、俺から離れて咳払いをする。気付けば、ほんのりと頬に朱が差していた。
「こほん、失礼しました。私は稗田家の当主、九代目『御阿礼の子』の稗田阿求と申します。貴方からお話を聞きたいのですが、よろしいですか?」
「……はい?」
突然の申し出に付いていけず、訝しげに首を傾げるしかなかった。