42.0 氷の妖精とそうめん
幻想郷にも夏がやってきた。
外の世界では減りつつある蝉の声も、幻想郷では引っ切り無しに鳴いている。うだる様な暑さと喧噪ではあるが、それが実に夏らしくて嫌いではなかった。
それにアスファルトだらけの都会に比べたら、この程度の熱気は大したことないと思えた。
「………………」
「おーい、霊夢。大丈夫かー?」
俺は縁側で路上に打ち上げられた魚のように倒れる霊夢に声を掛けるが……返事がない。ただのダラケ巫女のようだ。しかし、霊夢がこうなるのも仕方ない。
かく言う俺も連日の猛暑日でバテ気味になっていた。
冷房や冷蔵庫があった外の世界が懐かしいが、ここに無いものを考えていても涼しくはならない。せめて氷くらい手に入ればいいんだが……里の氷売りから買っても、神社に戻るまでに溶けてしまうんだからどうしようもない
「はぁ……あっつ……」
「生身の人間は辛そうだねー」
刀から出てきた火依が俺と霊夢を見て他人事のように言う。
どうやら幽霊は特に暑さとは無縁のようだ。むしろ、近くにいるとほんのり冷たい。妖夢の半霊に触れた時のようだ。
本物の幽霊は凍傷するほど冷たいらしいから、火依の状態は幽霊というより半霊といった状態なのかもしれないが。
「……火依、ちょっと来なさい」
「………………?」
突然、霊夢が火依を呼ぶ。火依は目をパチクリさせながらも、言われた通り近付いていく。すると霊夢は緩慢な動きで起き上がり、火依に抱き着いた。
「え、ちょっ……」
「あー……冷たい。やっぱり夏は幽霊ね……」
火依は無理やり霊夢の膝に乗せられて、戸惑った表情を浮かべている。対して霊夢は火依の頭に顎を乗せ、だらけた顔をさらけ出していた。
「私を冷房代わりにしないでー」
「減るもんじゃないんだからいいじゃない。ふぅ、生き返るー……」
幽霊なんだから嫌ならすり抜ければいいのに、なすがまま抱き着かれている。
初めて会った時は張りつめた空気が漂っていたが、今はそれはまったくない。むしろ姉妹の様に仲が良かった。
そもそも霊夢は妖怪退治を生業にしていると言いながら、神社に寄ってくる妖怪とは普通に接している。偶に妖怪神社と呼ばれることを嘆いてはいるが、それを積極的には改善しようとしないあたり、現状を気に入っているのかもしれない。単に面倒くさいだけかもしれないが。
まあ、二人が打ち解けてくれて何よりだ。俺は二人の様子を微笑ましく思いながら、昼飯の準備をしようと動き出す。
その時、どこからか視線を感じた。
当たりを見回すが、少なくとも霊夢か火依ではない。気のせいか……もしくは、天狗が覗き見でもしているのだろう。俺は特段気にも掛けず、台所に向かって歩き出した。
夏のお昼といえば麺類、というイメージが強い。作る側からしたらお湯を沸かして湯掻かないといけないのだからそれなりに辛いのだが、それでも手早くできて食べやすいのは魅力的だ。
俺はキンキンに冷えた井戸水に湯掻いたそうめんをくぐらせ、ざるに上げる。そして、外から取り寄せた麺つゆをそうめん鉢に入れ、これまた冷えた井戸水で薄め刻み葱を入れる。
「よし、完成だ。温くならない内に持って行きますか」
氷があればそんなこと気にしなくていいのだが、ないものは仕方がない。俺はお盆にそうめんと鉢と箸を乗せ、急ぎ足で縁側に出る。が、火依と霊夢の姿はなかった。
それに何だか表が騒がしい。それに真夏とは思えない冷たい外気が漂ってきている。肌寒く感じてしまうほどだ。
何事かと思い、境内に様子を見に行くと……鳥居の上に氷の花が広がっていた。
どうやら霊夢が水色の小さな女の子と弾幕ごっこをしているようだ。女の子の方が氷の弾幕を使っているから涼しいのか……? 俺は賽銭箱に腰を掛けてボケーっと弾幕を眺める火依の隣に行く。
「……霊夢の知り合い?」
「みたい。多分、氷の妖精」
「へえ……今の時期にうってつけな妖精だな」
俺は火依にそうめん鉢を渡しながら呟いた。しばらく二人でそうめんを戴きながら観戦していると、決着はすぐ着いた。霊夢にボコボコニされた女の子が地面に座り込んで地団駄を踏む。
「くっそー! また負けた! アタイはさいきょーなのに、なんでいっつも勝てないんだよー!」
「ふふん、妖精に負ける程度では博麗の巫女は務まらないのよ。ま、夏ならいつでも相手になるわ」
霊夢は妖精の女の子を見下ろしながら、お祓い棒で肩を叩いている。流石博麗の巫女、あんな小さな妖精相手にも手を抜かないとは大人気ない。と思っているのは俺だけのようで、女の子はすぐ立ち上がって自分の腰に手を当てた。
「今日はチョーシが悪かったから負けたけど、次は絶対負けないんだから」
「はいはい、分かったから……北斗、私の分も残してるんでしょうね?」
「残ってるし足りなかったらまた湯掻くよ。はい、めんつゆ」
俺は霊夢にもそうめん鉢と箸を渡す。と妖精の女の子がその様子をジッと見ていたので、俺はその子に魔理沙用に用意しておいた予備のつゆと箸を渡す。
「はい、君も良かったら食べていきなよ」
「ぶ、ぶしのなさけは受けないわ!」
武士の情けって……敵の情けと言いたかったのだろうか? 別に敵というわけじゃないんだけど。しかし、意地を張る女の子はそうめんに目が釘付けになっている。
「腹が減っては戦は出来ないっていうじゃないか。多めに作ってあるからどうぞ」
さらに勧めてみるが、女の子は意地になって首を振る。が、それも限界のようだ。しばらくして、妖精の女の子は腕を組んでそっぽ向いた。
「よ、妖精は食べなくてもヘーキだけどね! 大ちゃんが食べたそうにしてるなら仕方ないね!」
「えっ!?」
女の子がそう言うと、茂みの奥から声が上がる。あぁ、もう一人?居たのか。追加で湯掻かないとな。
「ふー、なかなかウマかったわ! ほら、大ちゃん! お礼を言わないと!」
「ほとんどチルノちゃんが食べたんだけど……えっと、御馳走様でした」
「お粗末様。こんなものでよかったらまたいつでも出すよ」
俺は妖精の二人……チルノちゃんと大妖精ちゃんの嬉しそうな顔で、満たされた気持ちになった。あれだけ美味しそうに食べてくれたら作り甲斐があるってものだ。
「かと言って、毎日集りに来ないでよ……夏の間はいいけど」
そう呟くと霊夢は夏にも関わらず熱いお茶を飲んだ。いや、チルノのせいでやや肌寒いから丁度いいかも。俺は食器を重ねて洗いに行こうとするが、それをチルノちゃんの視線が止める。
「……えっと、何?」
「うーん、お前どっかで見たことがある気がするんだけど……」
「初対面だと思うけど……あぁ、新聞でも見たんじゃない? 不本意ながら結構載せられてるし」
本当に不本意でね! ここ最近、俺の事を書き過ぎてて人里歩くだけで、ヒソヒソ話されるレベルで有名人なってて困ってる。まあ、身から出たサビではあるのだが……
それで納得したか分からないが、チルノちゃんはふーんと俺の顔を覗き込んでくる。そして、突然人差し指を突きつけた。
「よーし、勝負だ!」
「……はい?」
「ユーメージンなんだろ? あ お前を倒してアタイも有名になってやる!」
「いや。俺を倒しても有名になるとは限らないと思うんだけど……」
そう言って聞かせてみるが、チルノちゃんは戦うまで引き下がる気はないようだ。仕方ない。俺は息を一つ吐いて食器を置く。そして軽く体を動かしながらが境内に立つ。
「わかった。けど、まだ弾幕ごっこは慣れてないから手加減できないからね」
「ふふん、手加減なんてしてたら……死ぬよ」
おお、見た目によらず怖いことを言う。こんな小さい子でもおそらく弾幕ごっこの年季は向こうの方が上だし、油断はできない。そもそも妖精に年齢という概念があるかわからないが。
「いっくぞー!! 『氷符「ソードフリーザー」』!」
チルノは叫ぶが早いか一瞬で氷の剣を作りだし、縦回転しながら突っ込んでくる。凄い圧迫感、まるで巨大な丸のこだ。
「ちょ、いきなり得物での戦いかよ!」
俺は驚きながらも腰から封魂刀を抜いて、なんとかいなす。家にいる時くらい刀を外して過ごしたいのだが、火依がどうしてもつけてろと言うから肌身離さず身に着けていたのがよかった。
その回転の勢いのまま、空に浮き上がったチルノに対して俺もスペカを突き出す。
「『波及「スロー・ザ・ストーン」』!」
俺は手の中に生み出した弾をチルノへ投げつける。チルノはそれをヒラリと待って躱すが、その背後で弾は爆発し水面に広がる波紋のような無数の弾幕になる。
「な、後ろから攻撃とはひきょーな!」
狙ってやったわけじゃないんだけど……まあ、結果オーライだ。俺は構わず弾を投げまくる。
しかし、自称最強を名乗るだけあって、チルノちゃんも上手く躱していた。時より弾幕を凍らし、弾速を落とす芸当までやってのけていた。流石氷の妖精といったところか。
「北斗ー、頑張れー」
「妖精に負けたら笑われ者になるわよー」
外野から霊夢と火依が応援してくれる。やる気になるような応援じゃないけど、まあないよりマシだ。
「チルノちゃん怪我しないでねー!」
対してチルノちゃんは大妖精ちゃんが応援している。微笑ましい。
俺とチルノちゃんはお互いに空中に上がりながら距離を取り合う。
「これならどーだ!? 『凍符「マイナスK」』!」
「『乱符「ローレンツ・バタフライ」』!」
ほぼ同時に同時にスペカを展開。空が弾幕に埋め尽くされた。
チルノちゃんの放った弾幕は途中から割れて、弾ける。外気と弾内部の温度差で割れたのか、なかなか科学的な弾幕だ。
奇しくも似た性質の弾幕勝負になる。
俺は密度の高い弾幕を九字切りの結界で防ぎながら、負けずに弾幕を放ち続ける。チルノちゃんも弾幕の間を擦れ擦れで避けていく。弾幕勝負は小柄な方が絶対有利だよな。女の子ばっかり弾幕ごっこしているのはそのせいだったりするのかも。
しかし、かなり実力が拮抗している。今まで相手した人達は大抵、実力が上だからほぼ相手にならないか、手を抜かれていたのだが……なるほど、この戦いでようやく弾幕ごっこの面白さの神髄を感じられているのかもしれない。
ギリギリを掠めていく攻撃、至近距離で描かれる弾幕のイルミネーション。道理でみんながハマるわけだ。このまさかそれをチルノちゃんに教えてもらうことになるとはな。
俺は凍えそうな温度の中とは真反対な熱い試合を、子供のような純粋さで楽しんだ。