霊夢達が聞いたら呆れられるかもしれないが、俺は自分が死んでいたなんて、今でも実感がなかった。
正直言えば、半日ほど気を失っていたぐらいにしか思っていなかった。なので、翌日早苗達に滅茶苦茶怒られた時は随分狼狽してしまった。
特に早苗は顔をくしゃくしゃにしながら色んなことを言われた。自分を大切にしてないとか、無鉄砲とか、馬鹿とか。まあ、咲夜さんに傷物にされたから責任を取ってください、と冗談を言われたときが一番騒いでいたけど。
だが……みんなに説教されて、ようやく霊夢の言葉の意味がわかった。俺は誰かの人生の一部になっている。なってしまったのだろう。
妹紅さんに対して偉そうに『一緒に生きて欲しいという声を聞け』だなんてのたまった割に、結局俺の方が全然聞こうとしていなかったって訳だ。そりゃ霊夢も呆れるし、みんなには怒られるだろう。
「情けないなぁ……」
俺は自嘲に浸りながらベッドの上で寝返りを打つ。蓬莱人化した代償か、とても眠たかった。蓬莱人に睡眠が必須かどうかは知らないが……ただの人間が無理やり不死になった代償みたいなものだろう。
なら甘んじて受けるべきだろう。永遠の生も、時に置いていかれる恐怖も、俺なんかじゃ背負えない。
「ふぅ……」
俺はうつ伏せになって目を閉じる。永琳さんには寝るのも仕事だと言われたし、少し眠ろう。
昼過ぎだが、天気は悪いようで部屋の中は暗い。そのまま水底へと沈んでいくように意識を手放そうとしたその時、唐突に飛び込んできたノックの音に邪魔をされてしまう。
誰だろう? 霊夢達は一旦帰ったらしいし、永琳さんか鈴仙さんだろうか。俺は微睡みの心地良さを名残惜しく思いながら、姿勢と衣服を正してから声をかける。
「どうぞ」
しかし、返事はない。声が聞こえなかったのかと思ってもう一度声を掛けると、恐る恐るといった様子で背の高い銀髪の女性が入ってくる。きっと生涯見間違えるはずもない。鮮烈な印象を焼き付けられた、彼女。
「妹紅さん……」
「……今、話いいか?」
妹紅さんはバツが悪そうに頭を掻きながら聞いてくる。近くの椅子を勧めると、素直に座るが……それからずっと黙ってしまった。
どう話を切り出そうものか困っているのだろう。気持ちは分かる。俺もなんて声を掛ければいいか分からないんだから。二人一緒になって戸惑うこと数分、意を決して俺から口火を切った。
「えっと、結局勝負はあやふやになっちゃいましたね。ま、この有様だから俺が負けってことになりそうですけど」
「馬鹿な事を言うな。完全に私の負けだよ」
妹紅さんはやや俯きながら小さく首を振る。そして自嘲的な憂いの表情を顔に貼り付けながら、ゆっくりと足を組んでそこに頬杖を突く。
「霊夢から聞いた。能力を使って一時的に蓬莱人になるなんてな。まったく無茶をする」
「……不老不死を否定していないと示す方法は、あれしか思いつきませんでしたから」
……そう、ただ死にそうだから生き返った訳じゃない。俺の目的は、俺が不死を否定しない限り、蓬莱人を殺すことは出来ない』と気付かせることだった。
以前の宗教不信の異変の際にも行った、自分の気持ちの強さを目に見える形で示すやり方だ。本当は分かりやすい傷でも負ってそれを治して見せようと思っていたのだが……博打が過ぎたな。
「自分が不死になれるほど蓬莱人を肯定出来るのなら、私がどんなに脅しても意味はない、ということか。本当に、完敗だよ」
妹紅さんは諦めたように微笑む。まるで憑き物の取れたような優しい笑顔だった。俺も釣られて同じような笑顔を返した。
「それじゃあ、俺の要求は聞き入れてもらえるんですか?」
「それは……まだわからない。お前が目覚めた後、慧音と話し合った。慧音もよく分からなくなったって言ってたよ。だから、これから二人で考えることにした」
「そう、ですか……」
よかった。それは……本当に、よかった。何とか俺の作った歪んだピースは型にはまりそうだ。俺のやれることはやった。後は妹紅さんと慧音さんとの問題だ。
達成感からの虚脱で思わず口からため息が漏れる。後は不老不死を打ち消す薬を作り、しかるべき人に渡せばこの件は終わりだ。俺の安堵した様子を見て、妹紅さんは子供のような仕草でブンブンと首を振ってから切り出す。
「何だ、その……悪かったな、私がそそのかされたばっかりに……」
「そそのかされた? 誰にですか?」
「……数日前に竹林に迷い込んだ男に、お前の能力なら不死も殺せるかもしれないと言われたんだ。黒いローブで顔を隠した変な奴だったよ」
「黒いローブ……」
……まったく心当たりがない。しかし、そいつは間違いなく妹紅さんが蓬莱人だってことを知って話していたのだろう。妹紅さんを俺にけしかけた形だ。正体、目的、何もかもわからないが、少し気に掛けた方がいいかもしれない。
それから二言三言交わすと、妹紅さんはさっさと帰っていってしまった。その言葉の端々には最後まで戸惑いが含まれていた。
けれど、それがきっと妹紅さんの飾らない姿なのだろう。そう思うのは……流石に勝手すぎるだろうか?
それから数日経って俺は自身の蓬莱人化した後遺症の検査と、不老不死を否定する薬の精製のために、一時的に永遠亭へ滞在することになった。
精製といっても、献血されたり、否定結界で実際不死を無効化して見せたりするだけで、特殊なことをしたわけではなかった。こんなことで薬が出来るのか甚だ疑問だったが……
「治験薬が完成したわ。また来てもらうことにはなると思うけれど、とりあえずは帰ってもらって結構よ」
「えっ」
一週間もせずに薬が形になった時は、流石に目が点になった。永遠亭の台所を借りて夕飯の支度をしていた俺は、永琳さんの予想以上有能さに茫然としてしまう。
「大した貢献をしたとは思えないのですが……それに、よくこんな短時間で作れましたね」
「ウイルスを作れるならワクチンも作れるものなのよ。ただ少しのきっかけが足りなかっただけ」
なるほど、わからん。俺には生涯到底理解できそうにない理屈だ。これが天才の理論というやつなのかもしれない。まあ、難航するよりいいと思うことにするか。
「えっと、おめでとうございます。それじゃあ、明日の朝に出ますね。数日ですけど、ありがとうございました」
「お礼を言うのはこちらの方よ。製薬を手伝うだけでよかったのに、料理まで作ってもらっちゃって……」
そんな話をしていると、輝夜さんが台所に顔を出す。覗き込むその頬に、さらさらとした髪が頬を流れていく。流石かぐや姫、艶めかしい仕草だ。しかし、彼女の口から出たのは麗しい姿に似合わないお転婆娘の言葉だった。
「えっ、北斗君帰っちゃうの!? あんな貧乏巫女の所で住まなくてもいいじゃない! ここで死ぬまで料理番やってよ!」
輝夜さんは話を聞いていたのか、頬を膨らませて我儘を言い始める。嬉しい冗談だが、結界の事を考えると博麗神社にいるべきだろう。あと霊夢と火依だけだとカップ麺ばっか食べてそうだし……
「せっかくの申し出ですけど、ごめんなさい。また来たときは是非作らせてもらいますから、それで勘弁してください」
「むー……なら今日はとびっきり豪勢にしてよね! 蔵の食材使い切っちゃっていいから!」
流石姫様だ。わがまま放題、好き勝手言って何処かへ行ってしまった。それを側から見ていた永琳さんが、頬に手を当てて溜息を吐く。まるで面倒を見る母か姉のような仕草だった。
「まったく……ごめんなさいねぇ。立場上どうしても甘やかしちゃうのよ」
「いえ、折角ですから食材は使い切らない程度に奮発しましょうか」
あれだけ期待してもらえると作り甲斐があるってものだ。事前に処理をしておいた塩漬けの筍を短冊切りにしていると、背中越しに永琳さんが語り始める。
「あの子ね、本当はどうでもよかったと思うの」
「……どうでもいい、というと?」
永琳さんらしくない、随分説明が足りない台詞だ。手を止めず、背を向けたまま尋ねるがすぐには返ってこない。包丁の音が数回鳴った後、永琳さんは戸惑いのようなものが混じった、陰鬱な吐息を漏らしてから喋り出した。
「姫様……いえ、輝夜は本当は自分が死にたいとは思っていないの。きっとね、薬が欲しかったのは……私を解放するためよ」
「永琳さんを……?」
「ええ。蓬莱の薬を作る様に頼んだのは自分なのに、それを負い目に思っている私を少しでも楽にしたいなんて思ってるのよ」
「いい子じゃないですか」
圧倒的に年上だけど、二人の関係は微笑ましく思えた。永琳さんにバレないようにニヤけていると、今度は悩ましそうなため息が聞こえてくる。
「普段からそれくらい思いやりがあればもっといいのだけれどねぇ……」
「はは……お姫様らしいじゃないですか」
まるで我が子のような言い草に思わず笑ってしまう。するとつられたような笑いの後、永琳さんの声のトーンが元に戻る。
「けれどね、私の望みはそんなことじゃないの」
ポツリと水面に落としたような言葉。それが引っ掛かった俺は包丁を動かす手を止め、永琳さんの顔を見る。てっきり責任から解放された様な、清々しい表情をしているのかと思ったのだが、そうではなかった。微笑を浮かべながら格子窓の外を見つめる女性の横顔に、俺は哀愁を覚えた。
「私は、この時が永遠に続いてくれればそれでいいの」
……それは叶わないと知りながらも、願わずにいられない人の姿だった。
永遠の生を手に入れても、永遠の幸せは決して手に入れることはできない。いつか来る終わりに怯えて、今を生きている。普通の人と変わらない人の姿だった。
俺は何も言わずに料理に戻りながら、思いを巡らせる。
輝夜さんはどうして蓬莱の薬を作る様に頼んだのだろう? ただ死が怖かったからだろうか? それとも何か別の望みがあったのだろうか?
はたしてその答えは俺が生きている内に聞けるのだろうか? ……きっと永遠に知らなくてもいいことだ。