目の前に火の粉が舞い散る。髪の焼けるような嫌な臭いが鼻を突く。いざとなれば割って入ってでも止めるつもりだったのに、その隙すらなかった。
「ほく、と……」
誰かが茫然と呟く。誰もが、その場で立ち尽くしてしまっていた。
私も目の前の光景が信じらない……信じたくなかった。北斗が、妹紅と一緒に燃え尽きてしまった。妹紅は蓬莱人だ、どうせすぐ復活する。けれど北斗は……ただの人間だ。
私は逸る動悸を押えて辺りを見回す。早苗も妖夢も口に手を当てて茫然と目を見開いている。その時、魔理沙が急に走り出した。
「お、おい咲夜!? 大丈夫か!?」
振り向くと、地面に両膝を突いて顔を歪める咲夜と酷い火傷をした北斗であろうものが横たわっていた。
近くには封魂刀も刺さっていて、火依が真っ青な顔で北斗を揺すっていた。私も足が勝手に動く。慌てて北斗に駆け寄る。
「……ごめん、なさい。これが……精一杯だったわ」
傍らで座り込んでいる咲夜が途切れ途切れの口調で喋る。その両手は火傷だらけで見るも痛々しい。しかし、北斗はそれ以上の火傷を全身にしていた。身体中が爛れている。当然意識もない、息をしてるのかも分からない。
「永琳、鈴仙、早く手当を!」
輝夜が声を上げると、二人は治療具を持って駆け寄ってくる。鈴仙が私と火依を押し退けて脈、そして瞳孔を調べるが……そして、目を閉じて首を振った。それを見た永琳が手際良く咲夜の手当てをし始める。
私は一瞬呆けてしまうが、我に返って永琳に向かって声を張った。
「……ちょっと、今はどう考えたって北斗を優先して治療するのが普通でしょう!?」
「霊夢……」
永琳は一言だけ呟いて、咲夜の火傷の手当てを続ける。それを見て、私は絶句した。そして、北斗の前に膝を突く。この傷では助からないであろうことは、頭の中ではわかっていた。けど、心のどこかでずっと否定しようとしていた。
紅魔館の時のように、何かの作戦で……なんて馬鹿なことを考えていた。咲夜の姿を見ればそれがないことくらい分かるはずなのに。 思わず地面に拳を叩きつける。自分から攻撃を受けていたあの時、嫌な予感はしていた。
あそこで止めていれば……いや、そもそも北斗と火依だけで戦わせなければ。とめどなく後悔が溢れていく。今更、何も、意味がないのに。
「霊夢……」
魔理沙が心配そうに声を掛けてくるが、瞳に涙を一杯湛えて言われても返す言葉がない。私はグシャグシャの顔を見えていられなくなって、視線を逸らす。その視線上で、炎が揺らめいた。まったく無傷の姿で、妹紅が下りてくる。
その顔は不老不死という存在に似つかわず真っ青で、今にも倒れそうだった。しかし、倒れる前に早苗がその襟元を掴んで右拳を振るった。
「ぐっ……」
「……ッ!? 早苗!?」
妖夢が慌てて早苗を羽交い絞めにして止めようとする。しかし、早苗は無言のまま暴れ続ける。妹紅はただ木偶人形のように拳を受け続けていた。
一瞬躊躇してしまったが、すぐさま二人の間に入ろうとする。が、それより早く慧音さんが割って入り、妹紅の代わりに拳を受け止める。
「つぅ……早苗、止めてくれ! 頼む、頼む……から」
「ッ……う、く……」
突然割って入った慧音を殴ってしまい、幾分か冷静になった早苗が口元をワナワナさせながら呻く。そして、泣きべそを掻きながら崩れ落ちうわ言の様に呟いた。
「だったら……センパイを、センパイを返してくださいよぉ……」
「……すまない」
慧音は一言だけ呟くと力なく膝を突き、地面を掴むように頭を下げる。その弱々しく小さな姿を妹紅が震える瞳で見つめていた。
「どうして……全部私のせい、なのに……」
妹紅のその呟きに答えを返す者はいないかった。私も歯を食いしばって黙りこくる。北斗を殺したのは紛れもなく妹紅だ。けれど、死んだ命を返すことなんて出来るわけがない。命は奪うものではない。死んだら、それで終わり。
……なんて口に出してしまいそうな口を必死に抑えた。
自分が気持ち悪かった。目の前で人が死んだというのに、それを冷静に見ている自分が、早苗のように感情を振りかざせない私が。白玉楼に行った時は思いのまま好き勝手言えたのに……
あの時はコイツが受け止めてくれた。今だって私も早苗と一緒になって暴れれば、慌てて飛び起きて止めてくれるんじゃないか、なんて夢見てしまう。
ふと、北斗の左手に目が行く。何かを握りしめているようだった。私は固くなった指をほぐすようにゆっくりと開かせる。手の中には一枚のスペカが入っていた。
「は、はは……」
力のない空笑いが私の口から洩れる。『裏技「天崩昇連脚」』。アイツが珍しく無茶を言って教えるよう言った技。結局、私のとは大分違う物になってしまったが、よく真似したものだと思う。
思えば北斗はずっと無茶しっぱなしだったわよね。それを鑑みればこんな結末は予想出来た、はず、なのに……
嫌だ……嫌よ私は! 思い出話なんてしたくない! アイツにはまだ叩き込まないといけないことがいっぱいあったのに、それを、どうして……
「死ねないって言ったじゃない……! それなのにアンタら本気で死にたかったの……?」
あの時、北斗の台詞を聞いて少しはマシになったと思ったのに。途中で不安になるようなことを言い出したけど、信じて本気にしなかった。どうしてよりによって取り返しのつかないことをしたのよ……!
私は動かない北斗の胸元に握り拳を振り下ろす。けれど当然反応はない。いつもなら苦笑い浮かべて痛い痛い言うのに。
「こんなんじゃあの世なんて行けるわけないじゃない! アンタに言いたいことがいっぱいあるのに、説教すら……出来ないじゃない! 偉そうに言っておいて、自分は残された私達の気持ちはわかってないじゃない!」
叫ぶ声は竹林に木霊する。しかし、誰も答えてはくれない。気付けば、空から雨が降ってきていた。私はずぶ濡れになりながら北斗の胸に顔を埋める。雨の音に混じって心音が聞こえてくる。自分の脈だってことは分かっている、けどそれが北斗の心臓の音であったなら……
二つの鼓動がずれていく。まるで遠くに行ってしまうかのように、私より速足の心拍数で……
「……え? 心臓の、音?」
「霊夢……?」
咲夜の手当てを終えた鈴仙が暗い顔で近付いてくるのを見て、私は慌てて顔を上げて尋ねた。
「ねぇ……まだ、心臓が動いてるんだけど……?」
「それは自分の脈と間違えてるだけよ。ほら、手を取って……」
鈴仙は困惑しながらも脈を計ろうと、右腕を手に取った。その瞬間、ピクリと指先が動いた。自分の目を疑う様に目元を拭い、鈴仙が脈と瞳孔を確認する。
「嘘……お師匠様! まだ息が……息があります!」
「何ですって!?」
永琳も驚きながら北斗に駆け寄り、同じことをする。そしてすぐさま立ち上がり声を張り上げる。
「優曇華、手術室へ運ぶわよ担架! 霊夢、咲夜に包帯を巻いておいて! 彼は、私が必ず助けるわ」
慌ただしく、二人は動き始める。残された私達は何が何だか分からず、雨に打たれていた。
それから日が暮れるまで、私達は交わす言葉も少なめにずっと手術が終わるのを待っていた。誰もが、本当に北斗が生きていると信じらていないようで、明るい顔をしているものはいなかった。
魔理沙はせわしなく行ったり来たりしていた。咲夜は傷のせいか熱が出始めたため、奥で眠っている。妖夢は手が動いていないと落ち着かないと、食事を作ったり咲夜の看病をしていた。早苗は手術室の前でずっと祈っている。火依は膝を抱えたまま微動だにしない。輝夜は自室に籠ったまま出てこない。てゐも何処かへ行ってしまった。妹紅と慧音の二人は部屋の片隅でお互いを支え合う様に、ジッと寄り添っている。私は……どうしてたかあまり覚えていない。
日も沈みきった頃になって、手術室から永琳が出てくる。その間、一時も休まず祈りを奉げていた早苗が一番に立ち上がる。
「永琳さん! センパイは……センパイはどうなったんですか!?」
「彼は……生きているわ。いえ、生き返ったという方が正しいわね」
「生き……返った……」
早苗が腰砕けになってへたり込む。何とか支えてやると、早苗は声を上げて泣き始めた。私も信じられない気持ちでいっぱいだ。
流石に蓬莱人でも半日も治療をして疲れたのか、永琳は大きなため息を吐いてから喋り出す。
「本当に信じられないわ。普通ならあり得ない回復力で傷が癒えていくのだもの。意識だって戻るか分からない傷なのにもう目覚めてるなんてあり得ないわ」
「もう、起きてるのか!? いや、無事で何よりだが……あれだけの傷なのにそんなことあり得るのか?」
ようやく腰を落ち着かせた魔理沙が永琳に尋ねる。その場にいた全員が疑問に思ったことだろう。永琳は近くの壁に背を預けて、答える。
「普通の人間ではあり得ないわ。妖怪、それも吸血鬼並みの回復力ね。いや、傷を再生するのではなくて元の状態へ巻き戻しているのだから、それ以上に効率的ね」
「……どういう、こと?」
膝を抱えていた火依が顔だけ上げて尋ねる。しかし、永琳はそれに応えず首を振る。
「私が憶測で言うより、彼本人から話を聞いた方がいいわ。一応まだ安静にしないといけないから面会は一人限定ってことにするわ。そうね、落ち着いて話の聞けて伝えるのが上手そうな……霊夢、貴女が会うといいわ」
名指しで指名されるとは思っても見なかった。けれど、確かにこのメンバーの中では私が適任かもね。私は何も言わず頷いて、促されるがまま永琳の後へ付いて行った。
「……やあ、霊夢。心配かけてごめん」
北斗の開口一番の台詞は謝罪だった。入院室、そのベッドに寝かされた北斗はあちこちに包帯を巻いてはいるが、深手はほとんどない。あんな火傷をしていたとは想像もつかないほどだ。
明らかに異常な傷の治り方をしている。さっきの姿はまるで夢だったのかもしれないと自分の記憶を疑ってしまいたくなるほどだ。
「どうやって、生き返ったの?」
つい、ぶっきらぼうな言い方になる。しかし、北斗は気にした様子もなく軽く右腕を動かしながら言う。
「あー……それは、俺が一時的に蓬莱人になってるからだよ」
「蓬莱人って……まさか、アンタは!?」
「……輝夜さんと妹紅さん、二人のの影響を大きくして、不死の力を得たんだよ。二人みたいに一瞬で傷が治るみたいなことはないけど……あはは、ぶっつけ本番で上手くいってよガッ!?」
そういいながら笑う北斗の顔に私は渾身の右拳を埋める。在り得ない。いくら影響の力が万能に近い能力でもそんなこと出来るわけ……
いや、ないなんて言えないか。幻想郷だものねぇ。けれどどうしても納得がいかず、鼻の頭を擦る北斗に私は溜め息を吐いた。
「はぁ……それをあの局面で実践するなんて呆れた。本当に死んだらどうするつもりだったの?」
「……それはそれで、よかったと思う。元々俺なんていなかった方が、妹紅さんも慧音さんも、永遠亭の人達も上手く生きていくはずだったんだ。だからそれで……」
「本当にいいと思ってるの?」
私はあまりにも自暴自棄な言葉に腹が立って北斗の胸倉を掴み引き寄せる。目と鼻の先に北斗の顔があるが、どうでもいい。私はそのままの距離で喋る。
「アンタは死んでる時の私達の様子を見てないからそんなこと言えるのよ。それはそれは酷かったわよ。特に早苗とかね」
「それは……悪かったと」
「思ってたら、自分がいない方がなんて馬鹿な仮定の話はしないわ」
そう吐き捨てるように言うと、北斗は返す言葉を失ったようで、バツが悪そうに口を噤んだ。
……そう、黙っているつもりなら言いたいことを言わせてもらうわ。
「輝夜の問答の時は少しは成長したのかと思ったけど、まったくね。それに妹紅へ言った言葉も薄っぺら、自分がそれをする気がないんだから当然よね」
「……その通りかもしれないが、死ぬつもりなんて微塵もなかったのは信じてくれ。自分を人質に、ってやつも半ばハッタリだったんだから」
「そうじゃなかったら今頃アンタの顔はボコボコになってるわよ。私が言いたいのは、アンタが自分の命を軽く見過ぎだって言いたいの」
北斗が視線を逸らすが、私はあえてそのまま説教を続ける。こんなことを言いたかった訳じゃないのに、言葉が溢れてきて仕方がなかった。
「アンタはアイツらの願いを叶えるために命を張った。けれどね、その為に自分の命と、その命と一緒に生きている私達の思いを蔑ろにするのは違うんじゃないかしら?」
「………………」
「もうアンタの人生はアンタだけの物じゃなくなってるの。いい加減それを自覚しなさい」
私はそれだけ言って、襟から手を放す。叱られて少しはシュンとなるかと思ったのだけど、北斗は黙ったまま自分の包帯を巻かれた手を眺めるだけだった。まあ、考える時間は必要かもね。
「私の分の説教は終わりよ。元気になったら、他の奴らの分も聞いてやることね」
私は返事を待たずに、部屋を後にする。入口外で待っていた永琳に病人に手荒なことをするなと咎められるが、無視して魔理沙たちの元へ向かう。
本当は、生きててよかった、と言いたかった。けど……本人を前にしては口に出すのは、今の私にはとても無理だった。