それから俺は火依ちゃんの亡骸を抱いて、命蓮寺へ訪れた。
当然寺にいる妖怪達に警戒されたが、騒ぎを聞きつけやってきた白蓮さんに事情を話すと、血で汚れた亡骸を綺麗にしてくれ供養も快く引き受けてくれた。
現代ではその多くは火葬だが幻想郷では土葬が一般的なようで、埋葬はすぐに行われた。
「……これでよかったのかな」
俺は火依ちゃんの亡骸に鍬で土をかけながら、誰にも聞こえないように呟く。
俺が思いついた火依を『生かす』方法は、封魂刀を使うことだった。
封魂刀はその刀身で切った者の魂を封じる。だから俺は火依ちゃんが死ぬ前に封魂刀で火依ちゃんを切り、魂を刀の中へ封印した。幻想郷なら彼女の魂の憑代になるものが見つかるかもしれない。そう考えて。
そんなものあるかどうかわからないし、そもそも今この刀の中に火依ちゃんの魂が入っているかどうかすら定かではない。
そもそもだ。もしそうして生き延びることができたとして、はたしてそれは生きているという事になるのだろうか?
そんな倫理観も何も素っ飛ばして俺は、この行為に及んでいた。ただ、目の前の彼女を放っておけないという偽善的な理由で、俺は死にかけていた火依ちゃんの身体に封魂刀を突き刺したのだ。
「はぁ……」
思わずため息が出た。自分の行なった行為がおぞましいものに思えて、今更後悔していた。
ああ、自分の浅ましさに腹が立ってくる。けれどこれは……あの時俺が思いついた火依ちゃんを助ける唯一の方法だった。
もし、憑代が見つかって火依ちゃんが俺の前に立った時、何を言われるだろうか? それを考えると怖くなって、つい左手で刀の柄尻を握りしめる。
「北斗さん? 刀を眺めてどうしたんですか?」
つい思いにふけっていると、読経と供養を終えた白蓮さんが不思議そうに問いかけてくる。慌てて俺は鍬を両手に握りしめて首を振る。
「あ、いえ……何でもないです。今日はありがとうございました」
「いえ、これこそ私達の役割ですから。しかし、北斗さんは本当に徳に溢れた御方ですね。やはり私と共に仏の道を歩んでみませんか?」
「……俺はそんな出来た人間じゃないですよ」
俺は首を振って断る。少なくとも俺のやった事は仏道には反している。白蓮さんが全てを知ればどう思うだろうか?
いや、何と思われようとも俺はそれを受け止めないといけない。そんな覚悟すらせずに俺は……本当に自分が浅ましく思えてならなかった。
博麗神社に戻った時には日もすっかり落ち、夕方になっていた。
オレンジ色に染まる境内にゆっくりと降りていくと、霊夢が賽銭箱を覗いては唸る、いつもの習慣をしていた。いくら覗いてもないものはないと思うんだが……
「……ただいま」
「どこ行ってたの? 突然何処かへ行ってしまって帰って来ない、って早苗がうるさかったわよ」
俺が声を掛けると、霊夢は賽銭箱に座りながら言う。その眉はへの字に曲がっていた。相当愚痴られたらしい。
……しまった。早苗にまで気が利かなかった。こんなことなら咲夜さんに言伝を頼んでおけばよかったな。
俺は頭を掻きながら恐る恐る霊夢に尋ねる。
「もしかして、俺を探して……」
「ないわよ。さっきまでここで待っていたけれど、遅くなりそうだから帰らせたわ。ちょうど入れ違いになったみたいね」
「そうか、早苗には悪いことをしてしまったな……」
「そう思うんなら明日にでも謝りに行けば? それより……」
霊夢は不機嫌そうに足をブラブラさせながら、俺の背後を指差して呟く。
「アンタまたそいつ拾ってきたの? とことんお人好しねぇ……まあ構わないけれど」
「……は?」
そいつ? 誰の事だ? 何のことかさっぱりわからず、霊夢が示している方を振り返ってみる。
……すると、そこには夕日に輝く鮮やかな青い翼が広がっていた。
「え……」
「……バレた」
初めて会った時もこれくらいの刻限だったか。やや幼い顔付き、セミロングの青い髪、カッターシャツにプリーツスカートを身に付けた、翼が印象的な妖怪の少女が、フワフワと空中に浮かんでいた。
「火依……!?」
俺は在り得ない光景に、目を疑った。そんな……どうして……
しばらく言葉を失っていると、おもむろに霊夢が立ち上がり火依に近付いていく。そして、火依ちゃんの身体を触ろうとするが……その手が空は切る。
「えっ!?」
「……わー、凄い違和感」
驚く俺を他所に、火依ちゃんは他人事のように驚いている。
霊夢はそんな間抜けに見えるだろう俺と、暢気な火依ちゃんを交互に眺め……小さく溜息を吐いてから、首を傾げた。
「……何だかややこしいことになってるわね。とりあえず、家に上がりましょ。お腹空いたわ」
火依ちゃんのことは気になったが、まず俺が今までの出来事を包み隠さず霊夢に話すことにした。
レミリアさんに導かれて火依ちゃんの危機を知ったこと、送り犬を退治したこと……そして、火依ちゃんを斬って魂を封魂刀へ封じたこと、亡骸は命蓮寺に供養してもらったこと。
倫理観から外れた行いだ、それに関して二言三言指摘される思っていたのだが……そんなことはなく、霊夢は終始無言で話を聞いていた。一通り説明し終えたところで、俺は火依ちゃんに向き直る。
「俺は君を封魂刀に封印したと思うんだけど、どうして生きているんだ? ものには触れれないみたいだし……」
「私も分からない。気付いたらその刀の中にいたから、色々試してるうちに外に出られたんだけど……」
そう言いながら火依ちゃんは障子を何度もすり抜けてみせたりする。やはり肉体は持っていないようだ。ということは幽霊になっているのだろうか?
二人で考えていると、見かねた霊夢が呆れ顔で口を挟む。
「はぁ……ちょっとは落ち着きなさい。簡単な話じゃない。『火依は確かに封魂刀に封じられている』けれど、『幽霊のような状態でなら外に出られる』ってことでしょ。北斗だって同じ様な状態になってたじゃない」
「あ、あぁ……そうなのかもしれないけど、俺の時は自分で外に出られなかった、というか意識がまったくなかったぞ?」
あの時……封魂刀に魂を封印されていた時の記憶はまったくない。
まるでぽっかりと時間が飛んでしまったかのような感覚すらあったのだが……俺と火依との違いは何だろうか?
俺がない頭を使って考えていると、霊夢は顎に手を当て少し溜めてから喋り出す。
「……もしかしたらこの刀は持ち主の実力次第で封印の強さが変わるんじゃないかしら?」
「封印の強さ……?」
「ええ、あの男は意識を取り換える術を生み出すほど刀の力を引き出していた。魂の封印を強めるくらい出来るんじゃないかしら? 対して北斗は……ねぇ?」
ねぇ?って……いや、そりゃあ確かにこの刀の事はまったくわからないけどさ。遠回しな言い草が逆に傷付く。
しかし、そこまで言われてようやく俺も理解が追い付いてきた。
「つまり、今火依ちゃんが幽霊みたいに行動できてるのは封印が弱いから、ってことか」
「ええ、そう考えていいと思うわ。それにしても妖怪が幽霊になるなんて見たことも聞いたこともないわねぇ……」
霊夢はしばらく興味津々な様子で火依ちゃんを眺めていたが、フッと僅かに笑って肩を竦めた。
「良かったわね。明確なアイデンティティーが出来たわよ。これで少しは強くなれるんじゃない?」
「………………!」
そう言われて、火依ちゃんは霊夢をマジマジと見つめ返す。今朝霊夢が言ったアレは、火依ちゃんを笑うような意味はなかったのか。
レミリアさんは妖怪の強さは自己の過大解釈できるかで変わると言っていた。なら、火依ちゃんのように幽霊としての性質が加わったのは強さ的にプラス要素なのかもしれない。
だが……それでいいのだろうか?
話の間が空いたところで、霊夢が欠伸を噛み殺しながら呟く。日はすっかり落ちてしまっており、腹の虫も空腹を主張していた。
「さて、いい加減お腹空いたわね。北斗、何か作るの? 面倒だったらまたインスタントでも……」
「いや、作るから。ちょっと待ってて……」
そう言って俺は台所に立ち三人前の料理を作ろうとする。が、ふと思いついた疑問で手を止めてしまう。肉体のない火依は食事は食べられるのだろうか?
それを火依ちゃんに聞くのは心苦しい。どうするか、悩んでいると火依ちゃんがフワリと飛んでくる。
「……何を作るの?」
俺は火依ちゃんの問いに答えられない。いや、献立は決まっているのだが、心の準備が出来ないまま火依ちゃんが現れて動揺してしまった。何とか深呼吸で立て直して、喋り始める。
「え、えっと……時間もないし焼き魚と味噌汁かな。それで、火依ちゃんは食事って……」
「火依」
「へ?」
火依ちゃんは突然、ズイッと小さな顔を近付けてくる。俺は急な距離感につい仰け反りながら尋ねる。
「えっと……何の事?」
「呼び方、さっきは火依って呼んでくれた」
「えっ、あれはつい驚いて……」
「火依」
意外と押しが強い。てか、早苗といい、どうして女の子は名前で呼ばせたがるのかわからない。別に嫌なわけじゃないけどさ。
「ひ、火依。これでいいか?」
「うん」
火依ちゃん……火依は満足げに頷いて、居間に戻ろうとする。俺は慌てて呼び止めようとするが、それより先に火依が口を開いた。
「……味噌汁の具は麩と豆腐がいい」
それだけ呟くと、火依は壁の中へ消えた。
えっと……それって食事出来るってことか。一体どういう原理で……なんて考えるのは時間の無駄か。ここは幻想郷だ。
いつもより一人多くなった食事も終わり、俺は風呂を沸かすため神社の裏で薪を焚いていた。そこへ明かりに吸い寄せられる虫の様なフラフラ感で火依が現れる。
「炎の匂い……」
「ん?」
火依はフラフラと近付いてきて、火の付いた薪を一本手に取る。
食事の時も箸を使っていたが、触れるものを選べるのか。便利だな。一体何をするのかと眺めていると、なんとその薪に付いた炎を口から吸い取った。
「んー、微妙」
火依は口を尖がらせながら薪を投げて戻す。少し驚いたが、そういえば彼女は自分を火喰い鳥と言っていたな。しかし、炎にも味があるのか……今度藍さんにライターでも買ってきてもらおうか。
そんなことをぼんやり考えていると、火依は俺の隣にしゃがみ込む。というか地面に足を付けてないので丸まったような姿だ。
しばらく二人で無言のまま炎を眺めていると、火依が薪の焼ける音より小さな声で囁いた。
「北斗」
「ん? 何?」
「ありがとう」
火依のあまりに率直で簡潔な言葉に、俺は吸う息が詰まる。
ついマジマジと火依を見つめてしまう。焚き木を眺める横顔は、嬉しそうな淡い笑顔だった。
……恨まれていると思っていた。だから、不意のお礼につい目頭が熱くなるのを感じてしまう。俺は眉間を押えて、必死にそれを堪えようとする。そしてそんな俺の仕草を変な顔で見つめる火依に、作り笑いを見せる。
火依が許したからといって、俺がやったことが正当化されるわけではない。いつかその報いを受けるときが来るかもしれない。
けれど、もう後悔はない。この一言を聞けた。それだけで、十分だ。