東方影響録   作:ナツゴレソ

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31.0 存在否定と悪魔の囁き

 咲夜さんを疑っていた訳ではないが、どうやら送り犬が複数いるのは本当のようだ。

 里へ向かう道の半ばあたり、雑木林群があるあたりからピッタリ気配が背中に張り付いている。以前感じたものと同じだ、間違いない。

 レミリアさんは命蓮寺へ向かえば、出会えるようなことを言っていたが……場所も分からないし、火依ちゃんがどういう状態に陥っているかもわからない。

 だが……いや、だからこそ、このままこいつに付いて来られる訳にはいかない。俺は雑木林近くにあった、手頃な広さの平原に降りていく。

 

「お、とっと……」

 

 そして着地の瞬間にワザとらしくコケてみせる。すると、背後の気配から歓喜にも似た唸りが上がった。話に聞いた通りだ。俺は片膝を突いたまま振り向きざまに納刀したままの封魂刀で薙ぐ。

 それは痩せた真っ黒な犬の鼻先を捉え、送り犬をたじろがせる。

 

「……不可視の妖怪って訳じゃないみたいだな。追いかける相手がコケない限り見えないってことか? 道理で咲夜さんが見つけられないわけだ」

 

 腕に伝わる手応えを確かめながら独りごちる。あの洒脱な咲夜さんが野良妖怪相手でもワザとであろうとも躓いた姿を見せるとは思えないし……そういう弱点、もとい性質を持つ妖怪なんだろう。

 なんて考えていると、体勢を低くして構えていた送り犬が突然遠吠えを始める。すると四方八方から似た姿の影のような犬が集まってきた。

 

「なるほど……群で一体の妖怪か」

 

 俺が刀をダラリと下げた状態で呟くと、送り犬の一匹が老人のようなしゃがれた声で喋り始める。

 

「人間……死をもって償え」

「我らを生み出したのは貴様ら人間だ」

「自らの嗜好のために我らを飼い、飽きれば捨てる」

「はぁ……? 俺が何をしたって言うんだ?」

 

 あえて問いただしてみるが、返答は返ってこない。一方的な、恨み節だ。完全に私怨だけで動いているようだ。老若男女様々な声が矢継ぎ早に言葉を紡いでいく。

 

「挙句の果ては生きることも許されず、捕まえ殺す」

「命を弄ぶ人間よ、報いを受けろ」

「貴様らそうしたように! あらん限り苦しみをもって死ね!」

 

 一方的に捲し立てた送り犬達は有無を言わせず一斉に飛びかかってくる。

 俺は真上に飛んでそれらを躱し、真下にお札をばら撒く。それに触れた犬はその場に縛られたように固まった。

 だが、犬の牙は空中にも迫る。様子を見ていた数体が、宙を蹴るように襲いかかってきたのだ。一体を踏み台にするように蹴り逃れながら、スペカを引き抜く。

 スペルカードルールを守ろうとしない妖怪相手に使う意味は手加減しかないのだが、今のところ俺はこれを使わないと弾幕を上手くイメージ出来ないからこうするしかない。

 

「『乱符「ローレンツ・バタフライ」』!」

 

 全速力で高度を取ってから弾幕を放つ。離れれば離れるほど密度の高まる弾幕攻撃だ。送り犬は空中とは思えない俊敏なターンで回避しようとするが、動きが大きい。躱した先に迫る弾幕に次々とヒットしていき、地面に撃ち落されていく。

 やはり新参者だ。弾幕に慣れていない。最小限の回避を行えていなかった。俺も偉そうに言える実力ではないが、少なくとも今回は俺の方が分がある。

 有利を実感した瞬間、弾幕の死角、やや後方の下の方から獣の声が届く。まだ伏兵がいたようだ。俺は噛み付きを宙返りで避けてその頭を刀で叩き潰す。続けざま弾幕を続けて放とうとするが、周囲を見て止める。

 

「チッ……」

 

 俺は舌打ちしながら刀を構え直す。気付けば、まるで時計盤の様に四方八方を囲まれていた。これじゃ近くなるほど弾幕密度が薄まるローレンツ・バタフライでは不利にしかならない。

 弾幕をひとしきり浴びせれば懲りて逃げてくれると期待していたのだが……仕方ない、か。俺はスペカを取り出し、そこに意識を集中させる。そして頭の中では思考を必死に巡らせる。

 ……幻想郷は外の世界で科学的に解明され存在を認められなくなった、忘れ去られた妖怪達がやってくる。では山道等を通った時に背後から追いかけてきて、つまずけば喰い殺す妖怪、送り犬の正体とは何か?

 思いつくのは野犬だ。そして先程の奴らの台詞。そこから導かれるこいつ等の正体は……

 送り犬達はしばらく様子を見ていたが、一匹の吠え声によって堰を切ったように一斉に俺の元へ殺到する。無数の牙が俺の身体に触れようとしたその直前に、俺はスペカを掲げた。

 

「『現符「否定結界」』」

 

 その瞬間、スペカを中心に球体の霊力が解き放たれ、結界が形成される。範囲は小さい。半径一メートルの小さな結界だ。しかし、触れた送り犬達が悲鳴すら上げる間もなく煙の様に霧散していく。

 見る見ると数の減っていき、残ったのは茶色の毛並みの老犬一匹だった。ボロボロの身体で目の前でフワフワと宙に浮いている。

 

「……何をした?」

 

 弱々しい老人の声で、送り犬『だった』老犬が問いかけてくる。俺は掲げておいたスペカを下げてからそれに答える。

 

「何、か。説明するのは難しいけど……お前に分かる言い方をすれば、お前を妖怪ではなくした。というところだ」

 

 初めて実戦で使ったが……我ながら恐ろしいほど強力だ。このスペカは霊夢と早苗とずっと練習していた結界術の副産物で生まれたものだ。

 霊夢は結界のことを、何かとの境界を強化し障壁や封印にする術だと言っていた。神の領域と人の領域、夢と現、幻想郷と外の世界……俺の作った結界は『幻想郷の常識と外の世界の常識を別つ』結界。結界内は俺の中にある外の世界の常識を強めた空間になっている。

 そこに外の世界で正体が明るみになっている妖怪等が入れば、存在を否定されてそれの維持ができなくなる。それについての明確な知識が必要にはなるが、それさえ用意できれば俺は妖怪を消し去る事ができた。

 

「妖怪殺しの結界か」

「あぁ、それが近い。これを生み出した時に霊夢や紫に非常時以外使うなと言われるほどの凶悪なスペカだ」

 

 ただ、俺がその妖怪の正体を知っていなければ効果はなく、レミリアさんやフランちゃんなど存在は分かっていても多くの時間を過ごして俺の中でそこにいるのが普通だと思ってしまっている存在などにも効き目は薄い。今回はどうやら、俺が予想していたとおりの存在だったようだ。

 

「お前の正体は……外の世界で野山に捨てられたペットだな」

「……如何にも」

 

 老犬は諦めたように力なく肯定する。外の世界でペットから野犬化した犬が、さらに妖怪化してしまったわけだ。もしかしたら、保健所などで殺されたペットの怨念も憑りついていたのかもしれない。

 ただ、実体としては老犬が化けただけの妖怪だったようで、妖怪としての存在が否定されて犬に戻っただけで済んだみたいだ。今この老犬は僅かに残った妖怪の力で空を飛んでいるのだろう。

 

「ならば、また我らを殺すか人間?」

 

 老犬が俺を恨みったらしく吐き捨てる。その目はまだ復讐に滾っていた。まったく本当に人間への憎しみが強い……まあ、無理もないが。

 捨てられた動物の気持ちなんて人間には理解出来ないだろう。少なくとも俺はわかる、なんて聖人振ることは出来なかった。

 人間はきっと知らず知らず怨念を受けながら生きているのだ。自分達のエゴで、自分達の利益のために。それが正しいとは思わない。が、間違ってるとも言えなかった。だから……

 

「殺しはしない。ただ、質問に答えてもらう。お前らが以前襲った青い翼の妖怪、お前は何処にいるか知っているな」

 

 俺は刀を握りしめながら問いかける。老犬はしばらく黙っていたが、耳障りの悪い声でボソリと呟いた。

 

「報復か?」

 

 その一言で目の前が真っ赤になったような錯覚を覚える。無意識のうちに右手が封魂刀を抜きそうなっていた。俺は必死に歯をくいしばって怒りの衝動を抑え込む。

 人間に恨みがあると言っておきながらそれと全く無関係の火依を襲い、罪悪感の一つもない顔で立っていることに憎悪すら感じた。しかし俺は必死に感情を抑えて……震える喉で言った。

 

「案内しろ。後は何処となり勝手に失せればいい」

 

 

 

 

 

 老犬に連れて来られたのは、命蓮寺の近くの林だった。火依ちゃんはすぐ見つかった。木の一本にもたれ掛って座っているのが遠巻きにも見えていた。俺は送り犬を刀で脅して追い払ってから、傍に駆け寄るが……凄惨な光景に思わず口を押えてしまう。

 前以上に酷い出血だ。カッターシャツは白い場所がなくなるほど血に染まっている。傷も深い。これは、もう……

 

「だ、れ……」

 

 俺は目の前が暗転しそうなほど動揺していたが、ボロボロの身体から放たれた声に我に返った。ゆっくりと膝をつくと、震える声で火依ちゃんに話し掛ける。

 

「火依……ちゃん……」

「ほ、くと?」

 

 俺は近付いて頬に左手を当てると、ほんの僅かに目蓋が持ち上がる。

 視点は定まっていない。本当にまずい……風前のともし火だ。頭の中を後悔が埋め尽くす。つい、懺悔の言葉が口を突く。

 

「ごめん、俺があの時止めていれば……」

「……だれ、も悪くない、よ……ぅ、……でも、来て、くれ、てうれし……か……た……」

 

 吐き出す息も途切れ途切れだ。もう喋らなくていい、そう言いたかったが火依ちゃんは青くなった唇で喋るのを止めなかった。緩慢な動きで俺の方を見つめ、微かに笑みを浮かべる。

 

「け、ど……けど、ね……もっ……と……いきた、か……ったよ……」

 

 血でどろどろになった火依の右手が、俺の手を掴む。力はない筈なのに、それでも心を握り絞められたような錯覚に陥った。心臓が止まりそうな……いや、止まった方がマシだと思えるほど、胸が痛かった。思わず両の拳を握りしめる。

 

「火……依……!」

「い……き、た……ぃ……」

 

 こんなに痛い思いをしても、それでも生きたいと思うのか……!これが、これが生への執着。俺が失ってしまった生物の、根源の欲望。頬から薄れつつある体温が、指からは痛いほどの生の欲求が、伝わってきて、胸が、張り裂けそうだった。

 火依がこれほどまで望んでいるのに、俺は何も、出来ないのか……!

 

「俺は……俺は……!」

 

 血の味がするほど歯を食いしばって考えるが、助ける方法は見つからなかった。

 

 

 

 

 

 そう『助ける方法』は。

 

 

 

 それは突然の閃きだった。こんなことを思いつくなんて俺は狂っている。自分でそう思えるほどの異常な閃きだった。

 手段は、実に、実に簡単だ。ただ邪魔になっているのは、俺の倫理観だけ。だが、それも思ったより簡単に……まるで沼に投げ込んだ石の様に簡単に、沈んでいった。

 これが世に言う、悪魔との囁きか。なら、俺はこう言おうか。

 

 

 

 悪魔でも何でもいい……願いを叶えてくれるなら、と。


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