その後レミリアさんとチェスの試合を数戦行ったが、終ぞ勝てることはなかった。あの運命を見通す能力さえなければ、勝てたものを……
理不尽な悔しさを感じていると、ふと時間が気になってスマホで確認する。ここには窓がないから時間感覚が狂うんだが……想像していた時間とさほど違ってはいなかった。だが……
「そういえば、咲夜さんは帰りが遅いですね。普段からこれくらい時間が掛かるんですか?」
「ん? そうね……言われてみれば遅いわ。ま、妖怪の後始末でもしているのかもね」
レミリアさんはチェスの駒をドミノ倒しみたいに並べては倒しながら適当なことを呟く。どうやら丸バツゲーム……もといチェスにすっかり飽きてしまったようだ。普通にやればもう少し楽しめただろうに。
あ、チェスに集中しすぎて忘れていたが、早苗は大丈夫だろうか? 流石にあのまま放っておくと機嫌を損ねそうだ。
様子を見に行こうと思い立ったその時、部屋にノックの音が四回響いた。レミリアさんがそれに対応する。
「入れ」
「失礼いたします。ただいま戻りました。遅くなりまして申し訳ありません……あら、北斗。来てたのね」
「お邪魔してます。ちょうどさっき話してたんですよ、帰りが遅いって。どうかしたんですか?」
興味本位で尋ねると、咲夜さんは頬に指を当て考え込む。
「それが、ずっと後ろを付いて来るストーカー妖怪に付き纏われてね……本来は躓かなければ襲ってこない妖怪なのにどうしてか、私に限って襲ってきて驚いたわ」
俺は咲夜さんが何気ない世間話みたく喋った内容に、引っ掛かりを覚える。付き纏われて……躓かなければ襲ってこない妖怪。まさかそれって……
「送り犬……!」
「あら、知ってるのね。姿が見えないから手間取ってしまったわ」
咲夜さんは僅かに驚きながら、自分の方を揉んだ。
送り狼……あれは妹紅さんがやっつけたはずじゃないのか? それにどうしてコケていない咲夜さんが襲われてたんだ……?
疑問が次々と浮かんでくる。そんな俺の訝しい顔を察したのか、咲夜さんが説明を始める。
「どうやら里でも被害が多発しているみたいよ。あれは群れで一体の妖怪らしいから、一匹倒した程度じゃ被害は収まらない。いずれ霊夢が動き出すかもね」
「ふぅん……なるほど、その妖怪は外の世界からの新参者ね」
「新参者? どうしてそうわかるんですか?」
俺はレミリアさんの言葉に問いを投げかける。するとレミリアさんはベッドに寝転んで、足をばたつかせ始めた。
「簡単な話よ。里に手を出して霊夢が黙っている訳がないわ。ましてや人間に組する妖怪に目を付けられれば、もう幻想郷で生きる場所がなくなるじゃない。ま、もう既にこの夜の王を敵に回しただけでも人生終了のお知らせね」
「妖怪生の間違いでは?」
「つまらない言葉遊びは止めなさい、咲夜」
そんな咲夜さんとレミリアさんとの他愛もないやり取りを聞き流しながら……俺は頭の中で別の事を考えていた。新参者の妖怪……その単語で、青い翼の彼女を思い出す。
妖怪考え過ぎなのかもしれないが……火依は里の方へ行った。嫌な予感がする。
「どうしたの北斗? 顔色が悪いわよ」
咲夜さんが不思議そうに顔を覗き込む。自分でも顔から血の気が引いていくのがわかる。動悸も激しい。
そんな様子を見ていたレミリアさんは俺をじっと見つめて……ふと目を伏せる。何ら変哲のない仕草だったが、何故かそれが不自然に見えて追及せずにいられなかった。
「レミリアさん」
俺が名前を呼ぶと、レミリアさんはビクリと一瞬だけ身を震わせ……そして、諦めたように溜め息を吐いた。そして……やや間を空けてから、力なく首を振る。
「北斗……貴方の考えていることは、当たっているわ」
「っ!!」
その一言に雷を撃たれたような衝撃が走る。
なんだ、なんだこれは。あまりに出来過ぎてる。まるでご都合主義の悲劇じゃないか。こんなあり得ない予想が本当に当たっているのか。いや、けれどレミリアさんの能力は……未来の可能性を、運命を見ることができる。だとしたら……!
「待ちなさい北斗!」
俺が居ても立っても居られず走りだそうとしたその時、レミリアさんが俺を呼び止める。振り向くと、レミリアさんが鋭い妖怪としての視線を向けて来ていた。
猫の様な瞳は鋭く細められている。俺は幼い少女の表情に、底知れない畏れを抱かずにいられなかった。
「何処へ行くつもりかしら?」
「……レミリアさんなら聞かなくても分かるはずです」
「なら私が貴方を止める理由も分かるわよね。さっきも言ったわ。貴方を後悔させたくはない、と」
レミリアさんが俺を睨みながら幼いながら底冷えする声で言う。背筋が凍るような感覚が走る。だが、同時にあることも分かった。レミリアさんが止める理由、俺が考えられるのは二つしかない。
「俺が行かなければ、火依ちゃん……あの妖怪は助かるんですか?」
「………………」
俺が尋ねると、レミリアさんは無言で首を横に振った。
……『運命を操る程度の能力』は自分の取る行動の範囲でしか未来を動かせない。レミリアさんが俺を呼び止めたことで、果たしてどれほどの未来が変わったのだろうか。
いや、レミリアのあの様子では……ならどうしてレミリアさんは俺を止めたのだろうか? 簡単だ。きっと……行けば恐ろしい出来事が待っているからだろう。
耳を塞いでやり過ごすのが賢い生き方のかもしれない。現実を受け入れることに意味はないのかもしれない。だけど……それでも俺は逃げたくなかった。
「……やっぱり俺は行きます」
「北斗!」
レミリアさんは堪えきれなくなったように声を上げる。隣の咲夜さんも驚くほどだ。運命を見る吸血鬼の少女はしばらく拳を握って俯いていたが……不意に握り拳から力が抜ける。
「貴方の運命を覗かせてもらったわ。あの妖怪とは昨日会ったばっかりの相手に踏み込み過ぎじゃないかしら? その日会ったフランを助けた貴方に言う言葉じゃないかもしれないけれど」
そう……かもしれない。別に彼女に一目惚れしたとかそういうわけではない。けれど、どうしてもチラついてしまうのだ。傷だらけの姿が、あの儚い笑顔が。
傍らに立つ咲夜さんも何も喋らないが、不安そうな目をこちらに向けている。俺は二人に笑顔を向ける。きっと不格好な、ひきつった笑みだったと思う。
「レミリアさんの思いは御察しします。ありがたくかんじています。だけど、行かない方がよっぽど後悔すると思うんで。多分向き合わないとこの先、一生逃げてしまうと思うんです」
生きている限り、避けれない別れ。俺がずっと逃げていたもの。本当は行きたくなってない。今も足が竦んでいるかもしれない。それでも、見なかったことにするなんてことは俺にはできない。
しばらくレミリアさんと視線を交わし合うが……先に逸らしたのはレミリアさんの方だった。
「……わかったわ。そこまで言うなら止めはしない。運命と向き合う選択をした貴方を尊重するわ」
「レミリアさん……」
「行きなさい。ここから真っ直ぐ命蓮寺に向けて飛ぶといいわ」
「はい、ありがとうございました」
俺は一礼して駆けだす。レミリアさんに背中を押されている内に辿り着けるように、速く、走った。