東方影響録   作:ナツゴレソ

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28.5 夢のような朝

 久々の布団はまるで雲に寝そべっているかのような夢心地だった。しばらくまともな寝床にありつけなかった反動か、まるで泥の様に眠ってしまっていたようだ。

 まだ眠っていたい、そんな誘惑から引き摺り出してくれたのは……障子越しの朝の陽ざしとどこからか軽快な音、そしてほのかな味噌の匂いだった。

 名残惜しく思いながらも目を開けると、台所に立つ男性の後ろ姿が映る。黒く短い髪に細身だけどがっしりした背中……小さな私からしたら背もすごく高く見える。

 

「えっと……」

 

 確か、北斗って言うんだっけ? あの人が朝食を作るのか……大丈夫だろうか?

 少し心配になってしばらく眺めてみるけれど、慣れた手つきでテキパキと包丁を動かしている姿を見てホッとした。味は期待していいみたい。

 私は起き上がってゆっくりと手足と翼をを動かしてみる。

 

「……痛い」

 

 流石に一日では治らないよね。けれど彼の好意に甘えて長居する訳にはいかない。命を救ってくれただけじゃなく、これだけの事もしてくれたんだから……これ以上迷惑をかけ過ぎる前に今日の朝にでもここを出よう。

 

「ん、おはよう。もう起きた?」

 

 布団の上で羽を伸ばしていると私が起きていることに、気付いた北斗が振り向いて挨拶してくる。誰かと話すことすら久しぶりで、思わず心臓が舞い上がってしまう。

 昨日も何回か喋ったが、まだ人間と話すのは慣れなかった。

 

「うん……料理するのね」

「まあね。意外だってよく言われるよ」

 

 ぶっきらぼうな私の問いに、北斗は手を動かしながら背中越しに返してくれる。この人間は本当に人当たりが……妖怪当たりがいいと思う。博麗の巫女がお人好しと言っていたけど、まさにそんな感じだ。

 だからついついその優しさに甘えたくなってしまう。駄目だって、わかっているのに……

 布団を片付けて食卓で待っていると、博麗の巫女もやってきて朝食が並べられる。白米に味噌汁と卵焼き、なんら変哲ないメニューなのに、私にとっては今まで食べたことがないくらい美味しい料理だった。

 

 

 

 食事を終えた後、私はせめてもの恩返しに食器洗いをした。家事がなんでもできるわけじゃないけど……お皿を洗うくらいはできる。

 片付け終え別れの挨拶をしよう外に出ると北斗と巫女が組手をしていた。巫女が振るう拳を北斗は腕や手で受け止めている。巫女はともかく、北斗が戦えるとは思っていなかった。

 もしかして……あの人も妖怪退治をするのだろうか? だったら、嫌だなあ……

 しばらく複雑な心持ちのまま、二人の組手を眺めていると空から何かが飛んでくる。長い緑髪の巫女服の女性だ。博麗の巫女の仲間だろうか?

 

「センパイ! 今日も特訓のお手伝いを……」

 

 緑の巫女服は満面の笑顔で地面に降り立ち……私の姿を見て固まった。妖怪がいることに驚いたのだろうか。

 攻撃されるのかと思い身を固めていると、その女性は口をわなわな震わせながら、拳を振るっていた北斗に突っかかった。

 

「ちょっとセンパイ! 誰ですかこの子は!?」

「うおっ!? 早苗!? 危ないからちょっと待って……」

「あっ」

 

 北斗がそれを宥めようとしたその時、博麗の巫女が声を上げた。まるで吸い込まれるかのように巫女の拳が顔面にめり込み、美しい放物線を描きながら北斗が吹き飛んでいった。

 

 

 

「センパイは誰にでもいい顔し過ぎです! お人好しも程々にしないといつか痛い目に遭いますよ!?」

「さっき遭ったばかりなんだが……」

 

 ひとしきり私の事を説明し終えた北斗は恨めしそうに緑の巫女を睨む。

 しかし彼女は一瞬言葉に詰まっただけで、両手を腰に当て頬を膨らませながら叱り続ける。

 

「それはさっきも謝りましたよ! ごめんなさい! けど、本当によくないと思います! 誰にでも優しいのはセンパイの長所ですが、誰彼構わず好意をばら撒くのはちょっと違いませんか?」

「それはそれとして、組手の最中に跳び込んでくるのも違うんじゃない?」

「うっ……」

 

 説教をしていた緑の巫女が、博麗の巫女の鋭い指摘で言葉を詰まらせる。まったく正論だ。けれど殴った本人が言うのもどうかと思うけれど。

 二人にとがめられた緑の巫女は少し不貞腐れたような顔で北斗に謝る。

 

「すみませんでした。少し気が動転して……」

「ああ、うん、大丈夫だから。今度から気をつけてくれればいいよ」

 

 北斗はそう言いながら苦笑いを浮かべる。どんなことでも許してしまいそうな笑顔だ。

 それにしても別れを切り出す機会を完全に失ってしまった。こんなややこしいことになったのも私が遠因になったとも言えるし……

 ふと緑の巫女と目が合う。睨まれてしまった。そんな顔をしなくてもすぐ出ていくつもりなんだけど……

 

「それで、今日は『アレ』の練習はしないの?」

 

 そんな私達の視線を知ってか知らずか、博麗の巫女がいつの間にか用意していたお茶を片手に問いかけた。アレ?何のことだろうか?

 

「いや、わざわざ来てくれた早苗には悪いけど今日は止めとく。ちょっと思うところがあってね」

「思うところ? なんですか?」

 

 緑の巫女が尋ねるが、北斗はまた笑って誤魔化す。そればっかりだけど、癖になっているのだろうか? なってそうだ。

 

「まぁ、色々とね。そうだ火依ちゃん、昨日から気になってたんだけど、君って何の妖怪なの?」

「えっ……」

 

 私に話を振られるとは思ってなかったので、一瞬呆けてしまった。私はやや考えてから、おもむろに答える。

 

「……色々呼び名があったからハッキリとは分からない。火喰いとか犬鳳凰とかバサバサとか」

 

 適当に聞こえたかもしれないけど、自分も自分のことをそこまで知らないからしょうがない。『炎を吸い取る程度の能力』しかない唯の鳥の妖怪としかはっきり説明できないのだから。

 そんな私の様子を見て、博麗の巫女がにべなく呟く。

 

「なるほどね……道理で弱いわけね」

「霊夢!」

 

 北斗が顔を強張らせる。博麗の巫女の遠慮のない言葉に聞いても、特段嫌な気持ちにはならなかった。

 私は弱い。事実なのだから仕方ないし、言い返す意味もないもの。ただ朝の陽気に似つかわしくない気まずい空気が辺りに漂うのは……嫌だった。

 

「………………? そんな弱い妖怪じゃないと思いますけど?」

 

 対して緑の巫女は空気を読まずに首を傾げていた。

 ……変な空気だけど頃合いかもしれない。私は意を決して、口を開く。

 

「……ずっと言いそびれてたけど、私もう行きます。寝床を貸していただきありがとうございました」

「そう」

 

 家主の博麗の巫女に頭を下げると、短い返事だけが飛んでくる。もう少し嫌味でも言われると思っていたのだけど……

 私は特にお世話になった北斗に向き直って、もう一度頭を下げた。

 

「北斗も、ありがとう。ご飯美味しかった」

「……行く宛もないのにどうするんだ?」

 

 ……そんな辛そうな顔で困る質問をしないでほしい。昨日の夜に聞いた話の時もこんな顔をしていたのだろうか?

 私が答えを出せず押し黙っていると、緑の巫女が遠慮がちに手を上げる。

 

「あのー、困ってるなら命蓮寺に行ってみたらどうですか? あそこには相談事を聞いてくれる妖怪もいるらしいですし、力になってくれると思いますよ」

 

 命蓮寺……確か里の外れにあったあの寺か。北斗達に迷惑を掛けるよりいいかもしれない。それが駄目でも……また竹林の中でなんとか生きていけばいいし。

 

「わかりました。そうしてみます」

 

 私はそれだけ言って、空へ飛び去る。

 振り返りはしない。脇目も振らず、前へと飛ぶ。本当は北斗に言いたかったことが色々あった。けれど……それを上手く言葉にできそうになかった。


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