永琳さんはああ言ったが……やはり本人の意志を聞きたいので話を聞くことにした。無理やり連れて行くのも良くないしな。そのことを永琳さんに伝えると、入院室に通される。
格子戸から差し込む夕日の明かりしかない薄暗い部屋、そこに小柄な影が浮かぶ。体のあちこちに包帯を巻いたか細い身体、夕暮れの色に負けないほど輝く青の翼とセミロングの髪。
服は血で汚れていた以前のものと違って、カッターシャツとプリーツスカートと現代っぽい恰好をしていた。借り物だろうか? シャツの背中はただ切っただけの不自然なスリットがあった。
「……誰?」
「あ、えっと……」
ベットに腰掛けた女の子がこちらを向く。心の奥まで見透かされてしまただそうなほど澄んだ瞳を向けられ、俺はつい言葉に詰まってしまう。
しかし、黙っていると怪しまれるだろう。なんとか絞り出すように喋り出す。
「俺は輝星北斗だ。怪我していた君を見つけた者だよ」
「……運んでくれたのも、貴方?」
女の子は小さな声で尋ねてくる。見上げる丸い瞳が微かに震えている。まあ、 寝起きに見ず知らずの男がいたら不安になるのも無理はない。
俺はできるだけ怖がらせないように女の子の声に合わせ、声音を押えて喋ることにした。
「まあね。とりあえず無事そうでよかったよ」
「うん、ありがとう」
女の子はそれだけ言って黙り込んでしまったので、会話が途切れてしまう。何だかあんまり会話の好きな子じゃないのだろうか? そうだとしたら申し訳ないが、色々聞いておきたいことがあるからしばらく付き合ってもらおう。
「一応聞いておきたいんんだけど、君を襲ったのって……」
「わからない。姿が見えないんだけど、背中からずっと追いかけてきてて……躓いたら突然襲ってきた。その時は犬みたいな姿をしてた」
「そう、か……」
……やっぱり、この子を襲ったのは妹紅さんがやっつけた送り犬とかいう奴のようだ。
妖怪が妖怪を襲う。そんなこともあるのか。
ふと、女の子の手に目が止まる。祈る様に握りしめられた両手は明らかに震えていた。妖怪とはいえ、あれだけの怪我をする体験は思い出すだけで恐ろしいだろう。何も考えず聞いてしまったのは無神経だったな。
「嫌なことを聞いた。ごめん」
俺が謝ると女の子は首を振って否定してくれる。本当はこれも聞くのははばかれるのだが、いずれは聞かないといけないし思い切って聞こう。
「えっと、永琳さん……お医者さんから聞いたけど、行く場所ないんだって?」
少女はビクリと身を震わせて……やや間を空けてから俯く。まるで正座をするように膝をぴったりと合わせていた。
「はい、私は幻想郷に来たばっかりなので……」
「……よかったら、寝床くらいは貸すよ。俺も居候の身だけどさ」
俺は頭を掻きながら、女の子に提案する。すると女の子は驚いたように顔を上げる。
さながらナンパのような言い草になってしまった。慌てて霊夢もいるからと言い訳しようとするが、女の子はそれより先に首を振った。
「……助けてもらったのにこれ以上迷惑を掛けられません」
「かといって、ここにはずっといられないし、休む場所もないんだろう?」
「………………」
俺が指摘すると女の子は言葉に窮したように俯いてしまう。
お節介が過ぎる自覚はあったが……それでもこんな傷だらけで震えている女の子を放っておくほど、冷血になりきれなかった。
「せめて怪我が治るか、住処が決まるまでは厄介になりなよ。霊夢……女の子もいるから心配しなくていいし」
「……わかりました」
半ば強引に押してみると、女の子は躊躇いをみせながらも最後は頷いてくれた。内心で安堵の溜息を吐きながら、俺は女の子に手を差し伸べる。
「それじゃあ、日が落ち切る前に出ようと思うんだけど……すぐ動ける? えっと……」
「波山 火依(なみやま ひより)です。大丈夫です。行きましょう」
火依ちゃんは立ち上がると、伸びをするように羽を動かす。翼も怪我しているのだが、どうやら飛ぶのも平気そうだ。
入院室を出て永琳さんに一言挨拶し帰ろうとしたところ、門の入口に輝夜さんが立っていた。どこか遠くを眺めていたようだが……俺達に気付くと、振り返って不満げな顔を見せる。
「あら、もう帰っちゃうの」
「はい、今日は本来は小火騒ぎで永遠亭が気になって来ただけですから」
「そ、そう……なら仕方ないわね! うん仕方がない!」
俺の言葉に何故だか輝夜さんが動揺している。まさか火事の原因が輝夜さんだったり……いや、お姫様がそんなことするはずもないか。
「そういうことなんで……それじゃあ、また」
「あ、ちょっといいかしら」
挨拶もそこそこに飛び立とうとする俺達を、輝夜さんが呼び止める。爪先を浮かせながら空中で振り向くと、輝夜さんはやけに真剣な表情で俺を見つめていた。
「今度でいいんだけど、折り入った話があるからここに来てくれないかしら? 出来れば、一人で」
「はあ……構わないですけど」
「……いつでもいいわよ。何なら来なくてもいいわ」
変な言い回しだ。来なくてもいいって……用があるのかないのか、イマイチはっきりしない。
まあ、どうせ何かの手伝いだろう。急ぎの用じゃないみたいだし、この子の事が一段落したら行ってみるか。俺は輝夜さんに見送られながら永遠亭を後にした。
日が落ち切った頃、博麗神社へ帰ると、カップ麺を食べてる霊夢に案の定訝しげな表情を向けられた。その顔を見た途端、火依ちゃんは俺の背に隠れてしまう。
それに気付くと、霊夢がさらに苦虫を噛み潰したようになった。
「……北斗、嫌な予感がするんだけど後ろのそれは何かしら?」
「それって……いや、事情があるから聞いて欲しんだけどその前に一ついいか?」
「何かしら?」
首を傾げる霊夢にカップ麺を指差して言う。これは事前に藍さんに頼んで買ってきてもらったものだ。一応保存食として戸棚の奥に隠しておいたんだが……
「まさか夕食をそれで済ますつもりか?」
「ええ、これお湯を入れて待つだけなんて楽ね。まだ湧いたお湯があるから、晩飯はこれにしましょ」
「これ非常用に買っといたものなんだけどなぁ……まあ、時間も遅いしそれでいいか。ごめんね、こんな手抜きのもので……」
火依ちゃんに謝ろうとするが、意外にも彼女はキラキラと目を輝かしてカップ麺を見つめていた。
そういえば火依ちゃんはここ最近幻想入りしたと言っていたか。ならインスタント食品を知っていてもおかしくない。だが、まさか大好物とは思いもよらなかった。
お湯を入れて待つこと三分。
「頂きます!」
さっきまでの物静かな様子とは打って変わって、元気な声を上げる。妖怪がカップラーメン好き……本当、幻想郷って寛大だな。
五分待っている間に一通りの説明をすると、霊夢は人一倍大きなため息を吐いてガックリ肩を下ろす。
「本当に、アンタって奴はすぐトラブルに巻き込まれて……ついでにお人良しなんだから!」
「ご、ごめん……けど、せめて今日だけでも……」
「はぁ……いいわよ。どうせ駄目だなんて言ったら自分が出ていくから止めろとか言いそうだし。一人も二人も大して変わらないわよ」
霊夢は辟易としたようにそう言い切って、自棄気味に麺を啜った。何だかんだいって霊夢も世話焼きの気がある。本人は目覚めが悪くなるって言い訳するけどね。
「ありがとう霊夢」
「ふん……」
お礼を言うが、霊夢の返しはそっけない。本当に素直になれないと言うか可愛げがないというか……
ふと火依の様子を伺うと、何故か霊夢をジッと見ていた。そしておもむろに口を開く。
「……貴女が噂の博麗の巫女?」
「ええ、本来妖怪ならなりふり構わず退治するところ何だけど、感謝しなさいよ」
「……そう」
火依は素っ気ない返事を返すと、何事もなかったかのようにカップ麺を食べ始める。そのやり取りを不思議に思いながら俺も、箸に手を付けた。
麺をすすると、キツイと思えるほど濃い味が口の中を支配した。
その夜、火依が居間で眠った後、縁側で涼んでいると寝間着姿の霊夢がやってくる。普段自分の部屋で眠る時以外、巫女服なのに珍しい。何か用だろうか?
「身持ちの固い霊夢がそんな恰好で……危ないぞ」
茶化すと霊夢は俺の真後ろに立ち、手刀を頭に落としてくる。痛くはない。ただ頭を撫でるような、いじらしい攻撃だ。
「追い出されたいのかしら?」
「ごめんごめん、けど珍しいと思ってね……どうかしたの?」
「ちょっと言っておきたいことがあってね」
霊夢は座らず、俺の背後に立ったまま言う。背中越しに聞こえるその口調は少し真剣だ。俺は……敢えて庭を眺めたまま霊夢の話を聞くことにした。
「あの妖怪と慣れ合うのはやめときなさい」
「……それはどういう意味?」
不穏な台詞に驚きながらも尋ねる。すると霊夢は俺の頭を木魚みたいにポンポンと叩きながら答え始める。
「あの妖怪はかなり弱い部類よ。送り犬にやられるようじゃこの幻想郷では生きていけない」
「……そのためにスペルカードルールがあるんじゃないのか?」
「あれはあくまで人間が妖怪と戦うためのルールであって、妖怪同士でそれを守る義理はないのよ。特に低級の妖怪共はね」
その時、俺は手に嫌な汗が滲んていた。
妖怪の楽園のようなこの場所だったが、やはり綺麗事だけではないわけだ。弱肉強食、妖怪の中でも自然の摂理は変わらない、ってことか。
「だからと言ってここにずっと住まわせるなんて出来ないわよ。それは私が許さないからなんて理由じゃない。妖怪が人間に守られて生きるなんてことをすれば、その妖怪は精神的に死に至るわ。妖怪が、妖怪で居られなくなる」
それは……俺だって理解している。
妖怪は精神的に依存した存在。それはレミリアさん達から教わった。重々承知だ。だからこそ幻想郷が必要であり、俺が結界を脅かしていることが問題視されているとも……わかっている。
「貴方に出来るのはなるべく早く、あの妖怪の住処を見つけてやって忘れること。そうしないと……」
「俺が辛い思いをする、と?」
俺の言葉に霊夢の手が止まる。
そうか、これは……ある意味で幻想郷の絶対の正義である博麗の巫女からの、せめてもの助言。霊夢なりのお節介、優しさなのだろう。
悲しいほど正論だ。今俺が幻想郷で生きていることを実感させられる言葉だ。だが……納得はいかなかった。
「俺は……」
わかったと頷けばよかったのか? 何とかしようと言うべきだったのか?
気付いた時は霊夢はいなくなっていた。ただ、俺の胸の中に答えのない問題が残るだけだった。