東方影響録   作:ナツゴレソ

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3.0 湯豆腐と熱燗

「うま、うーまっ! なんだこの湯豆腐旨え!」

 

 ホクホク顔で豆腐に舌鼓を打ってくれている魔理沙を見て、俺はホッと息を吐いた。どうやら非常識を常識としている幻想郷でも味覚の基準は変わらないらしい。

 あの後魔理沙に押し切られた霊夢が、俺の歓迎会を開いてくれると言ってくれたのだが……そこで俺は食事の用意を買って出たのだ。

 これから泊まらせてもらうんだから自分が出来ることなら何でもやりたい。それにこれでも最低限家事は出来るつもりだ。穀潰しになりたくはないからな。

 まあ、かまどや七輪での料理は最初戸惑って、結局霊夢に手伝ってもらったんだけどね。そんな霊夢の箸の進みも悪くなさそうだ。

 

「そんな大袈裟に騒ぐほどじゃないでしょう……確かに美味しいけど」

「はは、勝手に作ってしまったけど、好評でよかった」

 

 炬燵で一緒に鍋を囲む二人の様子に、俺は頬を緩める。

 簡単そうな湯豆腐でも上手く作るコツはある。昆布でしっかりダシを取り、ぐつぐつと煮立てないように気をつけるだけでも味に違いが出るものだ。

 ぶっちゃけおいしい豆腐を使うことが一番なんだが……醤油と味醂、出ダシに刻んだネギ、ミョウガ、大葉をたっぷりの付けダレはなかなか自信策だ。冬場は鶏肉なんかも入れてよく一人鍋をやっていたなぁ……

 

「まさか料理が得意なんてな……こりゃ次の宴会は楽しみだな! いい肴を頼むぜ!」

 

 そう言いながら魔理沙は頬を上気させながら熱燗を差し出してくる。渋々お猪口を突き出すと、魔理沙は満面の笑みでギリギリのところまで注いでくる。

 

「ちょ、危なっ!」

 

 慌ててお猪口に口を付け、一気に食道に流し込む。辛口で火傷しそうなほど熱々の日本酒が身体の芯から温めてくれる。鍋と炬燵も相まって汗が出てしまいそうなほどだ。

 そんな俺の様子を見た霊夢と魔理沙がおー、と声を上げた。

 

「なかなか飲みっぷりもいいな! 何処かの甲斐性無しとは大違いだ!」

「あら、見た目によらずイケる口みたいですね! はい、もう一杯!」

 

 間髪入れず、霊夢もお酌をしてくる。飲ませてばっかに見えるがこの二人もかなり熱燗を開けていた。

 外の世界じゃ法律に引っかかる年齢なんだが……幻想郷ではそんなこと関係ないみたいだ。二人とも随分飲み慣れてる。しかもペースも随分早い。

 外の世界でもお目にかかれない上等な酒だから今のところ悪酔いしてはないが……もうそろそろヤバイ。

 俺としては控えたいのだが……女の子ふたりに挟まれお酌をしてもらっては断るに断れなかった。

 せめてへべれけになって間違いを起こすことだけは避けなけいとな。ま、最悪こっそり戻せばいいか。なんて仕事の付き合いで覚えた技を頼りにお猪口をあおっていると、霊夢が熱燗瓶を振りながら机に突っ伏した。

 

「あー、もうなくなっちゃったわ……魔理沙作ってきてー」

「霊夢、気付いた時に何も言わずに用意できるのがモテる秘訣だぜ」

「へー、それじゃあさっきから気付いていた癖に何もしていない誰かさんはモテないわね」

「まあまあ……俺が作ってくるから鍋の中身を片していてくれ」

 

 俺はお互いに軽口を叩き合う二人を宥めながら立ち上がる。そしてお盆に熱燗の瓶を集めていると、ふと二人の視線が集まっていることに気付く。

 

「え、な、何?」

「いやぁ……幻想郷では稀有な存在だなぁ、って」

「そうね。絶対損する性格だわ」

「褒めてるようで褒めてないだろ」

 

 俺は肩を竦めてみせながら台所へ向かう。

 熱燗を温めるためのお湯を別の鍋で沸くのを待っていると幾らか酔いが醒めてきた。意識を失うほど酔った経験はないのだが、酔うと手先と足元がおぼつか無くなるので何回か熱燗瓶を割りそうになってしまった。

 そういえばこの神社……ガスは通ってないみたいだが水道や電気は通っているようで、水道もあるし電気も蛍光灯の明かりだった。調味料も色々あったし、日本酒以外にもビールとかもあるみたいだし……そこらへん深く考えてしまうせいで、結界に綻びが出来るのかもしれないが。

 頃合いを見て日本酒を注いだ熱燗を鍋に突っ込む。二、三分ほど温めてから上げると、ちょうどぬる燗ほどのいい塩梅の温度になっていた。

 

「うし、二人とも出来たぞー……って、寝てるし」

 

 熱燗をお盆に乗せて居間に戻ると、霊夢と魔理沙は仲良く二人で炬燵に潜り込んで眠っていた。どうやら酔いと炬燵の魔力の相乗効果にやられてしまったようだ。流石炬燵といったところか。

 

「おーい……炬燵で寝ると疲れが取れないぞー……ちゃんと着替えて布団で寝ろー」

 

 熱燗を炬燵の上に置き声を掛けるが、二人とも身動ぎをするだけで起きる気配はない。俺はつい腕を組んで唸ってしまう。

 

「うーん、困った。コタツで寝かすのは身体に悪いけど、布団を用意しようにも場所が分からないし、熱燗も鍋もどうしようか……」

「布団なら霊夢の部屋に二揃いあるわよ」

「部屋かぁ……女の子の部屋に勝手に入るのは気が引けるけど仕方ないか……って」

 

 俺は驚きながら振り向くと、紫さんがいつの間にか炬燵に入って頬杖を突いていた。音も気配もまったくなかった……まさに神出鬼没だな。

 

「……もっと心臓に優しい現れ方してくださいよ」

「神出鬼没が私の代名詞よ。それより早く用意してあげなさいな」

「あ、はい。出来れば二人を起こしておいてください」

 

 俺は紫さんに促されるがままに、霊夢の部屋に入って布団を二組用意する。女の子の部屋に初めて入ったけど、畳部屋に化粧台と衣装箪笥、そして取ってつけたようにぬいぐるみが何体か置かれているだけの質素な部屋であまり緊張はしなかった。

 居間に戻ると、紫さんは一人で熱燗をちびちび飲んでいるだけで二人を起こそうとした様子が全くなかった。ちなみにあの短時間で二本も空けている。流石妖怪、うわばみですね。

 俺は頭を掻きながら紫さんに咎めるような視線を向ける。

 

「起こしてくれって言ったんですけど……」

「できれば、でしょう? 魔理沙はともかく霊夢を起こすなんて怖くて私には出来ないわ」

「あー、まあ、さっきもボコボコにされてべそかきながら帰っていったらしいし仕方な……ってうおっ!?」

 

 突然目の前に白黒の物体が降ってきて、反射的に両手で抱える。バランスを取ってから腕の中で魔理沙が微かな寝息を立てていた。

 突然のことに困惑していると、紫が扇で障子の方を差した。

 

「無駄口叩いてないで、運んであげなさい」

「スキマ……って言うんでしたっけ、便利ですね」

 

 俺はスキマで移動させられた腕の中の魔理沙を抱え直し、恐る恐る霊夢の部屋まで運ぶ。思った以上に小柄で軽い。腕から伝わる体温も高めで、子供みたいだと思ってしまう。

 

「今日はご苦労様……ありがとな」

 

 努めて優しく敷き布団に下ろし、掛け布団をかけてやると幸せそうな顔で寝返りを打った。なんだか妹か娘が出来たみたいな気分だ。

 この流れで同様に霊夢も部屋まで運ぶ。ちなみにスキマを通すと気付いて殴られるから嫌、とのことで俺の手で抱き上げた。魔理沙程小柄ではないが、霊夢も軽いのでまったく苦ではない。よく考えると、魔理沙と霊夢以外お姫様抱っこした経験はないので比べるのもどうかと思うが。

 ……今さら気付いたのだが、この状況で目を覚まされたらあらぬ誤解を受けそうだ。割れ物を扱うかの如く慎重に霊夢を布団に下ろし、掛け布団を掛けてミッションコンプリートと思ったその時……

 

「……ん?」

 

 霊夢の、クリクリとした丸い眼と眼が合った。しかも、ちょうど両手で掛け布団を肩まで掛けた形、はたから見たら押し倒したようにも見えなくはない体勢で。

 ここで顔を真っ赤にしてくれるのなら可愛げがあったが、霊夢は無言のまま据わった瞳で睨んできた。視線に射抜かれた瞬間、酔いが一気に冷めるのがわかる。

 

「……えっと」

 

 ヤバい、どうする!? どうするも何も、すぐ離れないと紫さんのようにボコられる……いや、それだと押し倒して起きたから逃げたように思われてしまう! しかし、この状況はなんとかしなければ……!

 この間一秒に満たない思考が巡る。この頭の回転がどうして死にかけた時に出来なかったのだろうか?咄嗟に俺は優しく霊夢の頭を撫でると、彼女はビクリと身を固めた。

 

「……片付けはやっておくからゆっくりお休み。出来たらちゃんと着替えて寝るんだぞ」

「えっ……あ……へ?」

 

 魔理沙を起こさぬよう囁くと、霊夢は目を白黒させながらしどろもどろな声を出した。

 内心ではビンタの一発くらい覚悟していたのだが、襲ってくる様子がないようなので俺は静かに部屋を立ち去った。

 よ、よかった……やっぱりトラブル発生時は誠実な対応が一番だ。俺は自分自身を絶賛しながら居間に戻ると、紫さんに呆れ顔を向けられる。

 

「逆効果だったと私は思うけどね」

「……見てたなら助け舟くらい出してください」

 

 ……スキマの能力は心も読めるのだろうか?

 俺は炬燵に入りながら紫さんを咎める。その拍子に足と足が当たってしまい、慌てて正座に直った。しかし紫さんは大して気にした様子もなく、微かに赤く染まった頬を緩めた。

 

「嫌よ、あんな面白い状況傍観した方が面白いわ。あわよくば死んでくれたらラッキーだし」

「………………」

 

 無言で抗議の視線を送るが、紫さんはすまし顔でお猪口に口を付けるだけだ。それから一度、二度、お猪口の酒を空にしたところで、紫さんが思い出したかのように口を開いた。

 

「言っておくけれど、貴方の事はあの二人に任せるわよ。ただ貴方が死んでしまった方が幻想郷のためになると、今でも思っているけれど」

「……本当に幻想郷を愛してるんですね」

「ええ、私のすべてを投げ出していいほどに」

「そうですか」

 

 俺は短く頷くと、手酌をしようとする紫さんの手を押し止めて代わりに注ぐ。

 すると紫さんは俺の前に別のお猪口を置いて、お返しとばかりになみなみと注いでくる。俺はそれを一口で飲み干した。動いた身体に辛口の酒がじんわりと染みこんで、思わず吐息が漏れてしまう。

 

「ふぅ……それじゃあ頑張って幻想郷の常識とやらを知らないといけませんね」

「そのことだけれど、どうするかあの子たちとは……話してなさそうね」

「それくらい自分で考えますよ。まずは自分の能力を調べようと思っています」

「……あら、それはどうしてかしら?」

 

 紫さんが肘をついて俺の顔を覗き込んでくる。艶っぽい仕草に少しドキドキするが、何とか気を落ち着かせて話し始める。

 

「今のところ具体的にどんな能力で、どんなリスクがあるとかなにも分かっていないですから。そんな状態じゃ危険過ぎますし、本当に幻想郷が滅んでしまうかもしれません。それにどう意識の変化をさせればいいのかの指標になるしれませんし……って、どうかしました?」

「い、いえ、なんでもありませんわ」

 

 何故かまじまじとこちらを見つめてくる紫さんに尋ねるが、誤魔化すように俺のお猪口にお酒を注ぐ。幻想郷の女性は飲ませないと気が済まないのだろうか?

 熱燗を置くと紫さんは咳払いを一つしてから、人差し指を立たせながら喋り出す。

 

「そういうことでしたら紅魔館の魔女が適任でしょう」

「こうまかん?なんだかおどろおどろしい響きですね。悪魔でも出てきそうだ」

 

 茶化してみると、紫さんは不敵な笑みを浮かべた。扇を手の中で弄びながらウィンクを飛ばしてくる。

 

「あら、察しがいいわね。あそこの館の主レミリア・スカーレットは吸血鬼よ。話は通じる方だけれど、礼を失すればどうなるかわからないわよ」

「最初から危険度が高そうなんですが……トマトジュースでも持っていけばいいんですか?」

「トマトジュースより甘いお菓子の方が喜ぶと思うわ」

 

 冗談で言ったつもりなのだが……日本に甘い物好きの吸血鬼がいるのか。斬新だな。なんて感心していると、紫さんは咳払い一つして会話の間合いを取った。

 

「話を戻すと、あそこの魔女は知識だけは豊富ですし、異変にも敏感だから何かヒントの一つは聞けるんじゃないかしら」

「なるほど、わかりました」

 

 ヒントか……確かに今、自分の能力に関しての情報は皆無だ。何かしら取っ掛かりが欲しいところだ。そんなことを考えているとふと紫に話したかったことを思い出す。

 

「あぁ、話は変わりますが紫さんに頼みたいことがあります」

 

 頼みごとをするにあたって俺は姿勢を正すと、紫さんに訝しげな表情を返される。お猪口を煽ると、ドン、と威圧的に炬燵に置いた。

 

「手伝いなら霊夢達に任せると言ったはずだけれど……」

「それはそうなんですが……外の世界と行き来出来るのは紫だけだと霊夢に聞きまして」

「まあ、確かにその通りね」

 

 この話、実は最初は霊夢に頼んだのだが……彼女は結界を緩めて道を作ることは出来るが外には出る訳にはいかないとのことで断られたのだ。そもそも霊夢や魔理沙は外に出たことがないらしいから、頼み事をするのは難しかっただろうけど。

 その点、霊夢曰く紫さんは塩や海の幸など外の世界の物を輸入する事業をしているらしいので、外の事もよく分かるだろう。そもそも頻繁に外と行き来しているのは紫さんとその式っていうのだけらしいし。

 紫さんは納得したようで俺に向き直りながら問いかけてくる。

 

「それで、要件は何かしら?」

「外の世界の、俺の銀行口座が残っているか調べてほしいんです」

「あら、貴方は外の世界で能力で忘れ去れた存在よ? どうして残っていると思ったのかしら?」

 

 駄目元の頼みだったのだが紫さんは胡散臭そうな、しかしどこか愉快げな微笑を浮かべながら尋ねてくる。まるで試すような口調で、だ。

 俺は息を一つ吐いてから、紫さんに説明を始める。

 

「……俺のことを調べたと言いましたよね。もし『外の世界で完璧に存在が消えてしまった』というのなら、『どうして忘れ去らたということが分かったのか』と疑問に思いまして。俺の名前を知っていたのも引っかかりました。何か痕跡が残っていたんじゃないですか?例えば……WEB上のデータとか」

 

 そこまで言い切ると、紫さんはご名答とばかりに芝居掛かった動きで手を叩いた。

 

「どうやらなかなか頭も悪くないみたいね」

「褒めてもお酌しかできませんよ」

 

 俺は照れ隠しに酒を注ぐ。元々自分の能力を調べようと思ったのもこれがきっかけだ。この考えが正しければ博麗大結界、外の人間には影響が出たのに電子的なデータにはそれが出ていないというわけだ。これは俺の能力に関してのヒントになるかもしれない。

 

「使えなかったら仕方がありませんが、使えるなら換金もして貰いたいです。さすがにあの歳頃の女の子に養われるのは情けないんで」

「あら、そういうところも意外と気にするのね」

「俺にだってプライドくらいありますよ。もちろん、常識の範囲で手間賃を勝手に取ってくれて構いませんし、残った口座も好きに使ってください。個人の口座なんて役に立たちそうにありませんけど」

 

 そこまで俺が喋り終わると紫さんはしばらく黙りこんだ後、パチンと指を鳴らした。

 すると台所に紫さんに似た中華風の衣装を着た長身ブロンドの美人が現れた。背にはふさふさとした尻尾のようなものが複数本見える。もしかしなくても妖怪だろう。

 

「藍、話は聞いていたわね」

「はい」

「彼の言う通りにして上げなさい」

「畏まりました」

 

 一礼すると藍と呼ばれた女性はいずこへと消えてしまった。彼女がやってくれるならせめて一言お願いしますとでも言いたかったのだが……仕方がない、またの機会にしよう。

 代わりというの何だが、俺は炬燵に手を突いて紫さんに頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

「これも私の商いよ。それと、外の世界で欲しいものがあれば仲買も請け負うわ。何でも買えるというわけではないけれどね」

「いえ、助かります」

 

 正直外の物は手に入らないと思っていたので大助かりだ。ただ貯金も多いというわけではない。考えて使う必要があるし、こっちでの食いぶちも見つける必要がある。

 外で生活できなくなった今、問題は山積みだ。

 

「それより、まだ付き合えるでしょう?」

 

 紫さんは空の熱燗瓶を振りながら微笑む。会話の合間合間にずっと組み交わしていたせいでもうなくなってしまったようだ。

 今更だが、先ほどまで俺を殺そうとしていた奴と酒を飲むだなんて、随分呑気な話だ。だが、そうは言っても断る理由もない。

 

「……もう少しだけですよ」

 

 俺も釣られるように苦笑いを浮かべると熱燗を作るため立ち上がった。その後スキマから取り出したつまみと湯豆腐を食べながら、俺と紫さんは夜が更けるまでダラダラと酒を交わし合った。


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