暗い執務室の中、私は片膝を突き頭を下げていた。まるで大名への謁見の様じゃないか。
ああ、煩わしい。古風な悪習にイラつかされる。いつから天狗は武士になったのかしら? 人を見下しておいて、人と変わらない社会を作り上げているのだから滑稽だ。
「首尾はどうだ射命丸」
「はっ、博麗の巫女と魔法の森の魔法使い、問題なく追い払いました」
「ふん、当然だな。人間の小娘二人程度退けられなければ天狗なぞ呼べんわ」
相変わらずふんぞり返ることしか能のない大天狗が、顎髭を撫でながら鼻息荒くのたまう。
自分で相手にしたこともない癖に、自分が倒したかの様な大口を叩いている。ここまで来ると笑いを取りに来てるのかと思っちゃうわね。
「引き継ぎ警備に当たれ。誰一人立ち入られせるな」
「御意」
執務室を去る間際、ちらりと横目で盗み見する。
大天狗の横に並ぶように立つ男……仮面とローブを身に着けた、誰が見たって胡散臭いやつ。突然現れ、当たり前のように大天狗達のアドバイザーを始めた自称預言者。
誰がどう見てもおかしなやつだというのに何故か誰も彼を信用しているようだった。それどころかその新参者の意見を積極的に取り入れている。あの保守しか出来ない頭でっかちとは思えない挙動だ。
おかしい。何か違和感ある。その根源は分かっているのに、何もできないのが歯がゆくて仕方がない。この状況、天魔様は彼をどう思っているのかしら……?
「失礼します」
気になるけれど、私の居間の地位では天魔様に会うのに何人も頭を下げないといけない。まったく、本当に忌々しいわ……
苛立ちを隠しながら部屋を出て詰所に向けて歩いていると、はたてが壁に寄りかかって待ち構えていた。退屈そうに弄っていた携帯電話を畳むと、ツインテールに結んだ髪を払った。
「あら、隊長様。忙しそうで大変そうねぇ……」
「……引きこもりは暇そうでいいわね」
お互いに挨拶代わりに罵り合う。いつものやり取りだが、流石に今日はじゃれ合う気になれなかった。それほどまでに今日の私はイラついていた。
「用がないなら私は行くわよ」
「用ならあるわよ」
その脇を通り過ぎようとするがそれを遮る様に、はたてが新聞を投げて寄越してくる。仕方なく手にとって開けてみるけれど……すぐに後悔する。
これは……コネとパワハラで新聞大会優勝を掻っ攫った鞍馬諧報じゃない。よりにもよって何で今これを渡してくるのよ……はたての訳のわからない行動に辟易としながら見出しを読んでみる。
「……『外来人による宗教弾圧、犯人の名は……輝星北斗』、ねぇ。内容は相変わらず事実無根の内容をさも真実の様に書いてるわねぇ……決定的な証拠は何もなし。これが一体どうしたの?」
「これ見た妖怪の信者達が血眼になって彼を探している。宗教迫害を許すなとね」
「今まで溜まっていた宗教家達の不満が、こんな安っぽい種火で爆発した訳ね。で、その当の本人は?」
私が尋ねるとはたては携帯電話を開いて何かを打ち始めるが……しばらくして首を横に振った。
「分からないわ。念写も出来ないことから場所はある程度予想は付くだろうけど……」
念写、千里眼で見つからない場所で最初に浮かぶのは……それらを阻害する結界の中に入っている可能性だ。霊夢の結界ならそれくらいは容易だろう。やはり一番の候補は博麗神社だ。
あとはスキマ妖怪に隠されている、もしくは外の世界に逃れている可能性もあるけれど、北斗さんとスキマ妖怪は立場上敵対している。それは考えにくい。
そしてほぼないけれど、もう一つ可能性として……
「あら、椛じゃない。どうしたの文以上に不機嫌そうじゃない」
「……あぁ、はたてさんに文さんですか。ちょっと色々ありまして」
考え事に気がとられている間に椛がやってきていた。尻尾が垂れ下がって、目が狐の様に釣り上がっている。確かに不機嫌そうだわ。それに身に着けている衣服も水浸しになっている。ずいぶん惨めな格好だけれど……どうしたのかしら?
「本当はあんまり喋りたくないんですけど……霊夢と魔理沙と交戦中に人間が入ってきたじゃないですか。なので注意勧告だけして追い返そうとしたんですけど、そいつに勝負を挑まれて……」
「まさか負けたの!? 椛、ちょっと鍛え方が足りないんじゃない?」
はたてが大袈裟に囃し立てからかうと、椛が尻尾を逆立て怒る。
「本当は負けてません! けど、天魔様が現れて彼が勝ちだと仰ったので仕方ないじゃないですか……」
「天魔様が?」
私は眉を潜める。内心で驚いていた。普段滅多に人前に現れない天魔様がどうしてそんな、一人の人間に肩入れするようなことを……? いや、もしかして……
「椛、その勝負を挑んだ人間って、輝星北斗って名前じゃなかったかしら?」
「えっ!?」
私の問いにはたてが目を丸くする。言い当てられた椛も戸惑い、驚きながらも頷く。
「は、はい。そうですけど……」
「そして負けた貴方は彼を守矢神社まで通した、と」
「ちょ、も、もしかして見ていたんですか!?」
「そういうわけじゃないわ。ただ、そうだとしたら辻褄が合うだけよ」
……これではっきりしたわね。北斗さんの居場所は十中八九、守矢神社だ。
大天狗達はこの異変であそこの神が力を失ったのを知り、さらなる信仰の低下を計るため、守矢神社への出入りを完全に封じた。現状完全に敵対している守矢神社なら、千里眼を警戒して結界を周囲に張っている可能性は十分ある。
それに北斗さんは以前から妖怪の山へ行くことを目標にしていた。特訓もしていたし、異変の調査もしていた。このタイミングで来ても何らおかしくはない。
それもこれも彼なら面白い記事を提供してくれそうだと、『幻想郷に来たその日から』目を付けておいたお陰なのだけど、肝心なところで鞍馬諧報に出し抜かれるなんて……
「本当に、癪に障るわ……」
「あ、文さん?」
椛が不安そうに顔を覗き込んでくる。しまった、そんな怖い顔をしていたかしら? 確かには腹を立ててはいたけれど、そんな顔に出ていたのかしら。
まあ、前から注視していたネタを横取りされたあげく、あからさまな扇動で彼を貶めようとするだけの内容を書かれたとあっては……流石に一記者として我慢ならないものがあった。
確かに北斗さんの能力を知れば彼が犯人だと疑いたくなるのも分からなくもないが、記者は奉行でも探偵でもない。ただ見た真実を伝えなければならないのに……!
「ホント……新聞、舐めてるわね」
「え、ちょっと文さん!?」
気付けば私は鞍馬諧報を握りしめ、守矢神社へ向けて飛んでいた。そして鞍馬諧報を境内へと投げ入れた。今の私に出来る『嫌がらせ』はこれぐらいしかない。
しかし、どうも大天狗達の動きが解せない。天魔様が動いたのもそのせいだろう。やはり天魔様もあの自称預言者を信用していないようだ。一体あれは何が目的なのだろうか……?
「ま、つまらない天狗の社会のことはどうでもいいわ」
私は夕暮れの空の中で、独りごちる。
人間にこれほど興味を持ったのは、霊夢や魔理沙以来久しぶりだ。きっと彼はこれからどんどん私にネタを提供してくれる存在になる。幻想郷中が彼を注目するはずだ。
「この異変の中心は紛れもなく彼。面白いネタを期待してますよ」
私は目の前にいない外来人に向けてウインクを飛ばした。