……そんな筈はない。どうして、東風谷が幻想郷に……しかも守矢神社にいるんだ?
いや、そもそもどうして俺は今まで彼女のことを忘れていたんだろうか?
わからない。様々な思考が入り混じって頭の中がパニック状態だった。何を話していいか分からず、俺は立ち尽くしてしまう。目の前の少女も同様みたいで言葉を失っている。
とりあえず何か喋ろうと最初の言葉を探そうとするが……
「センパイっ!!」
それより先に、突然東風谷に抱きつかれる。女の子の柔らかな感触と安心するような体温が、目の前にいる人物が幻じゃないことを実感させてくれた。
「えっ、ちょ……」
「センパイセンパイセンパイ! 本当にセンパイだ! 二度と会えないと思ってました! 絶対に……会えないって、っ……」
「………………」
感情の堰が切れた様に、東風谷は俺の肩口に顔を埋め嗚咽を必死に堪えていた。
そんな元後輩の姿に俺は茫然としてしまうが……しばらくしてから、ぎこちなくだがその頭を優しく撫でてやる。柔らかな髪、匂い……懐かしく思えた。
そうしてやってあげていると東風谷も大分落ち着いてきたようで、肩の震えが収まっていた。それはいいのだが……
「……そろそろ離れてくれてもいいんじゃないか?」
「嫌です。今は顔がグチャグチャなんでセンパイに見せたくないです。あと勿体無い」
「勿体無いって何だ!? あー、目を瞑っててやるから化粧を直してこい」
「化粧はしてません! すっぴんです! いいですか!? 絶対に目を開けないでくださいよ、絶対に!」
フリだろうか? そこまで言われると、どんな顔をしているか見てやりたくなるな。そんな悪戯心が芽生えて顔を覗き込もうとするが、その前に東風谷は手で俺の目の位置を抑えて目隠しした。
「ちょっ、東風谷!?」
「センパイは意外と嘘つきですからね。暴れないでください」
そんなこと言われてもこれ本当に恥ずかしいんだが!? 仕方なく言う通り大人しくしていると、東風谷は何故か突然黙り込んでしまった。
「あの……東風谷?」
「喋らないでください」
次は聞かないで下さいとか来るのだろうか。しかし、やけに緊張感が空気が漂ってくるが、一体何をしているのだろうか?
「あー、ごほん、さ、早苗! 何いちゃいちゃやってんだ!」
「か、神奈子様!?」
と、唐突上ずった声で誰かが東風谷を呼ぶ。その瞬間目に当てられていた手の感触がなくなる。
目を開ける東風谷は涙で腫れたのか、顔を真っ赤にしていた。
不思議に思って声のした方を見ると、神社の前に二人の女性が立っていた。片や威厳に溢れた顔立ちの背の高い女性。何故か東風谷同様真っ赤にしていた。
もう一方は金髪に麦わら帽子を被った小さな女の子だったが、見た目に不釣り合いな白けた顔をしていた。
「神奈子……どうして止めるのさ? せっかくいいところだったのに……」
「さ、早苗にはまだ早いわ! それに何処の馬の骨かもわからないのに……!」
「はぁ……過保護ねぇ……」
何の話かはイマイチ分からないが……この二人が只者じゃないことくらいは俺にもわかる。俺は緊張を隠しつつ、やうやしさを意識しながら話掛けてみる。
「えっと……もしかして、守矢の神でいらっしゃる八坂神奈子様と洩矢諏訪子様でしょうか?」
「……如何にも」
「そだよー」
各々頷く。見た目だけならただの女の子にしか見えないが……まあ、幻想郷だし驚いたりはしない。
息を一つ吐いてから俺は二人の前に跪き、頭を下げる。
「御身の御前でのご無礼お赦しください。如何様に罰していただき構いませんが、何卒荒ぶる御魂をお沈めになり、私の話をお聞きくださいませんでしょうか?」
俺はない頭を使って神様との会話を試みる。正直神の怒りを買わないかビクビクものだったが……
「お、おお! 信仰だ! 久しぶりの信仰の力だー!」
無邪気に喜んでいた。拍子抜けでポカンとした顔で見上げていると、東風谷が俺を立ち上がらせて膝の砂を払ってくれる。そして満面の笑みで背中を押してくる。
「まずは立ち話も何ですから上がってください。聞きたいことも話したいこともいっぱいありますし」
客間に通された俺は、幻想郷に来た経緯から俺の能力のこと、今起きている里の異変の原因が俺かもしれないこと、全て包み隠さず話した。
問答無用で殺される可能性ももあるのは承知していたが、それでも神様に隠し事をするよりマシだと思ってのことだ。三人は話を静かに聞いていたが話し終えると、突然東風谷が立ち上がって俺の頭をポカリと叩いた。
「痛……えっ、何?」
「センパイのバカ……忘れ去られたいなんて考えるなんて……そんなの、忘れた人が辛いじゃないですか」
「……ごめん」
俺が謝ると、さらにもう一度ポカリと頭を叩いた。丸っこい手でか弱く殴られていたのでちょっとびっくりする程度の反応しか出来ない。
「それに紅魔館に行ったり天狗に喧嘩売ったり……無鉄砲です、自分を大事にしてません」
「……悪かった。ごめんなさい」
さらに頭もう一度頭を叩かれる。痛くはないが、東風谷の悲痛な訴えが染み込んでくるようだった。俺は反省して俯く。すると東風谷の説教はさらに続いた。
「私のことも忘れて……そもそも霊夢さんとこに居候ってどういうことですか!? 紅魔館の人達とも仲良くなってるみたいですし、学生の時の人間力ゼロのセンパイはどこ行ったのですか!?」
前言撤回。説教などではなく何故かよく分からない理由で理不尽に貶されていた。
……しかし、本当にどうして東風谷のことを忘れていたのだろうか?よく考えれば、外の世界にいた時は気になることすらなかった。いつ別れたかすら分からない。不思議な話だ。
原因がわからず首を傾げていると、神奈子様が咳払いをして割って入ってくる。
「……それは私の施した力の所為ね」
「力、ですか?」
俺は神奈子様に向き直り尋ねる。ちなみに口調は下手で分かりにくいし面倒くさいから普通でいいと、諏訪子様に言われたのでただの敬語だ。
「ああ、私達はつい最近幻想郷へ移ってきた訳だが……バカンスがしたくてここに来た訳じゃない。とある事情があるんだ」
「ええ、霊夢からある程度は聞いています。信仰のため、ですよね? 確かに昨今の外の人間は神様をあんまり信じようしないですよね」
「それを理解しているなら話は早い。私と諏訪子は存在を維持するためにこちらの世界に移ることを決めた訳だが……早苗が付いていくとうるさくてね。仕方がなく三人で幻想郷に引っ越しできたわけさ」
……なるほど。外の世界の知り合いである東風谷がこっちにいる理由はわかった。だがそれより気になったのは、俺が東風谷を忘れていた件だ。
「ただ神ならいざ知らず、人が突然行方不明になれば色々と面倒が起きるからな。そこでなけなしの信仰を使い……」
「東風谷に関する記憶を封じたわけですか」
神奈子様は重々しく頷いた。そして東風谷に申し訳なさそうな顔を向ける。
「今まで黙っていてすまなかった。お前が要らぬ心配をすると思っての行動だったが、まさかこんなことになるとは……」
「いえそんな滅相もありません! それにセンパイも私のことを思い出してくれましたし、謝ることは何もありませんよ!」
東風谷と神奈子様はお互いに頭を下げ合う。そんな姿を側からボケーっと眺めていた諏訪子様が、思い出したように口を開く。
「それはどうでもいいんだけどさー、結局早苗と北斗の関係って何よ? 元恋人?」
「こ、恋びッ!?」
諏訪子様の問いに、東風谷が顔を真っ赤にする。初々しい反応だ。からかわれているだけだろうに……
「高校の先輩と後輩ですよ。とあるきっかけで仲良くなったんですよ」
横からフォローを入れると諏訪子様は俺を見てから、はぁ……と溜息を吐いた。
「なるほどねぇ……早苗も難儀な相手を痛ッ!?あーうー、殴らなくてもいいじゃん」
「余計なことを聞くからです!」
神を殴った……すげえな東風谷。しかし、話している様子を見ていると、巫女……じゃなくて風祝と神様との関係というより家族みたいだ。
……あぁ、そうか。東風谷は幻想郷で幸せな日々を送っていたのか。
よかった。勝手に忘れてしまっておいて、言える事じゃないかもしれないが、本当によかった。
じゃれ合う二人を微笑ましく眺めていると神奈子さんがこちらを見て咳払いをする。
「さて、話を戻そうか。輝星北斗、お前はこの異変が自身のせいだと思っているようね」
「……可能性は高いです」
「それは見当違いよ。貴方はこの異変の元凶ではない」
「……ッ!? どういうことですか!?」
俺は思わず目を見開いて前のめりになる。だが、神奈子様はそんな俺を片手で宥めた。
「落ち着きなさい。まず私達神が信仰の元に成り立っているのは知っているわね」
「ええ、信仰がなくなれば妖怪も同然になるとも聞きました」
「忌々しい話だけれどその通りよ。つまり今回の異変で私と諏訪子の信仰は減り、かなりその状況に近付いている」
……やはり神奈子様も諏訪子様も力を失っている。白蓮さんが懸念した通りだったようだ。
「けれど北斗が私達に跪いたとき、私達はお前から確かに信仰の力が流れ込んできた。もし暗にお前が信仰を否定しているのなら、こんなことはありえないわ」
「そう、ですか……よかった」
俺は思わず安堵の吐息を漏らす。
目に見える様な証拠ではなかったが、一番の被害者であった二柱の神様が無実を認めてくれたは大きな収穫だ。
俺は思わず安堵の息を吐いて脱力する。が、神様のまであることを思い出して慌てて姿勢を直し、神奈子様に向かって頭を下げる。
「ありがとうございます。これでこの異変について大きく前進することが出来ました」
「こちらこそ、貴方の話は興味深かったわ。君達が異変を解決することを大いに期待しているわよ」
「はい、頑張ります」
さて用は済んだ。日も暮れてきたしお暇しようと立ち上がると、東風谷が寂しそうな顔をする。
「え、帰っちゃうんですか!? せめて夕食だけでも食べていってくださいよ!」
「何なら泊まってもいいわよー」
「す、諏訪子! 男女が一つ屋根の下でお泊りなんて……まだ早苗には早すぎるわ!」
東風谷の言葉に諏訪子様と神奈子様が茶々を入れてくる。なんというか……女三人寄れば姦しい、という言葉が浮かんだ。神様に対して失礼だが。
俺は苦笑いを浮かべながら首を振る。
「悪い、急いで帰って無事を知らせないと、二人も気が気でないだろうから……」
「そうですか……けど、今度来たときは食べていって下さいね?」
「わかった。この異変が解決したら、必ず」
そう約束してみせると、東風谷は嬉しそうに胸の前でガッツポーズする。
それにしても、結局二人は守矢神社に来れなかった様だ。ただではやられなさそうなあの二人が天狗に追い払われたのだろうか?
不安に感じながらも境内に出ると、見送りに出てきた神奈子様に突然緊張が走る。
「結界に誰かが触れたな」
俺と同じく見送りに出ていた東風谷と諏訪子様は辺りを見回す。もしかして霊夢達かと思ったのだが、あたりに人影は見当たらない。ただ、境内の石畳の上に新聞が投げ捨てられているだけだ。
気になった俺はそれを拾って広げると……
「……なっ!?」
俺は記事の内容を読んで絶句する。そんな俺の様子を不思議に思ったのか、東風谷も新聞を横から覗き込んでくる。
鞍馬諧報と銘打たれた新聞の見出しには……
「どうしたんですかセンパイ? 何々……『外来人による宗教弾圧、犯人の名は……輝星北斗』!?」
俺は頭が真っ白になって、新聞を握りしめて立ち尽くすしかできなかった。