「宗教弾圧って……穏やかじゃないですね」
きな臭い話に、俺は目を細めながら呟いた。
外の世界……特段日本では神仏への信仰が著しく減ってはいる。しかし、それでも世界を見れば信仰の自由が唱えられており、弾圧者は憎むべき社会悪と見做される。輝夜さんの口振りからして、それは幻想郷も同じみたいだ。
輝夜さんは俺の淡泊な反応を見てさらに不思議そうに首を傾げた。
「……その様子じゃ知らなかったようね」
「ええ、ここ最近人里には行っていなかったので。神社は変わらず参拝客が来ないですから、里の動向はつい疎かになってしまうんです」
「そっかー、わからないんじゃ仕方がないわね。異変なら私が解決してやろうと思っていたのに……流石に原因の糸口がないとどうしようもないわね」
輝夜さんが残念そうに肩を落とす。
てっきり異変解決は霊夢や魔理沙だけの仕事だと思っていたが……そういうわけでもないのか。まあ、魔理沙もそうかもだが、輝夜さんも興味本位で顔を突っ込みたい、というだけで理由としては十分なのかもしれない。
そんな姿を見かねたようで、永琳さんもうやうやしくだがハッキリと輝夜さんに向けて注意し始める。
「姫様、お戯れはご自重ください。そもそもそんな話どこで聞かれたのですか?」
「もこたんからの又聞きよ。里の人間がおかしいから気を付けた方がいいってね」
もこたん……ってもしかして妹紅さんのことか!? あだ名で呼ぶってことは親しい友人なのか。
しかし、もこた……妹紅さんと話した時はそんな話はしなかったけどな。まあ、見た目なら俺はただの里の人間だし、宗教弾圧に関与している可能性を危惧して、口に出さなかったのかもしれない。
俺がそんな考えを巡らせていると、今度は永琳さんが不思議そうに腕を組んだ。
「それにしてもおかしな話ね。ついこないだまで宗教戦争なんてやるほど宗教ブームだったのに」
「ええ、俺もここは信仰の根強い土地だと思ってましたけど……」
俺は永琳さんの言葉に頷きながら、再度思考に浸る。
こないだ里に出向いた時も、かなりの人が路上での宗教勧誘を聞いていた。なのにまるで手のひらを返したような反応はなんなのだろうか?
そういえばあの時通りすがりの人と話した時、俺は少し否定的な意見を言った覚えがある。宗教を否定するつもりなんて全くなかったのだが……まさかその意識が原因なのだろうか? 自意識過剰かもしれないが、気になってしまう。
……結界の件といい、自殺者の件といい、やはり俺の能力は不鮮明で曖昧だ。ならば、もっと自分から積極的に調べるべきなのかもしれない。
「北斗君? どうしたの突然押し黙って?」
おっと、つい考え込んでしまっていたようだ。いつの間にか輝夜さんがマジマジと顔を覗いてきていた。慌てて俺は首と手を横に振った。
「ん、いえ。ちょっと考え事です。気にしないでください」
「そう、ならいいのだけれど……あくまでも宗教弾圧とか異変とかいうのは事態を面白く揶揄した冗談よ。確かに宗教を敬遠にしている風潮はあるみたいだけど、流行り廃りでそうなったことよくあるだろうし、深く考えないでね?」
「ええ、わかってます」
心配そうな輝夜さんの忠告に素直に頷くと、淡い蛍のような微かな笑みが返ってくる。それはあまりに可憐で、ドキリと心臓が跳ね上がる。なるほど、絶世の美女といわれる所以が垣間見えた気がする。
永遠亭を後にした俺はまず人里に降り立った。念のため街の中を歩いて様子を見ておくぐらいのつもりだったのだが……里全体に漂う雰囲気に、危機感を覚えてしまう。
「暗いな……」
以前と比べ、明らかに活気がなくなっている。人通りも少ないし、話し声もあまりしない。これは俺が噂を知っているからそう感じてしまうだけなのだろうか?
とりあえず誰かから話を聞きたいところだが……聞く内容が内容だけあって誰に話しかけて良いか決めあぐねていると、唐突に後ろから声を掛けられる。
「おや、君は……北斗君、だったか」
振り向くと、そこには慧音さんがいた。左手には本が数冊握られている。そういえばこの人は寺子屋の先生だったか。知的で常に落ちついているこの人なら……何か知っているかもしれない。とりあえず俺の思惑を置いて、世間話でお茶を濁す。
「慧音さんこんにちわ。いい天気ですね」
「そうだな。天狗の新聞でもしばらく晴れ模様だよ。そういえば……まだ帰れる目途は立たないのか?」
「……えぇ、残念ながら」
「そうか……まあ、ここは妖怪に気をつければいいところだ。無責任な言い方だが外の世界に固執することもないとは思うぞ」
慧音さんは少し顔を曇らせながらも、励ましの言葉をくれる。やましい気持ちは無いとはいえ、心配してくれている人を騙していることに心が痛む。
いっそ正直に話してしまいたかったが、里を人間に悪影響を与えているなんて知られたら、どうなるか……少なくともいい状況にはならないだろう。
「しかし、こんなところに一人で立ち尽くしてどうしたんだ?」
「それなんですけど……街の様子が変な気がして」
「変……というと?」
「いや、路上でやっていた布教活動もやってないし……」
俺の言葉に周囲の人たちが凍り付いたように静まり返る。辺りを見回すと里の人達があまり良くない種類の視線を向けていた。これでも言葉を濁したつもりだったのだが……思わずたじろいでしまっていると、突然慧音さんに手首を掴まれる。
「ちょ、ちょっとこっち来い!」
慌てて慧音さんが手を引いて路地裏に連れて行かれる。これ、傍から見たらちょっと危ない光景だが、慧音さんはそれを気にする様子もない。俺はなすがままに引っ張られながら尋ねる。
「ど、どうしたんですか突然?」
「……あまり声を大きくして言えないんだが、宗教についての話を里の中でしない方がいい」
背中越し、ボリュームを抑えた慧音さんの忠告が飛んでくる。
やはり、妹紅さんないし輝夜さんの言ってた噂は本当のようだ。大通りから離れた長屋通りの端で、俺はこっそりと慧音さんに尋ねる。
「何かあったんですか?」
「いや、不祥事があったわけではないんだ。ただ、里の中に前触れもなくそういう風潮が流れ始めたんだ」
なるほど、何か事件があったわけではないのか。だとしたらやはり俺の能力が関与している可能性はありそうだ。この際だ、聞けることは聞いてしまおう。
「宗教、と言ってましたけど具体的に何の宗教が敬遠されているんですか?」
「そういうわけでもないんだ……何というか、宗教全体が避けられているみたいでな。仏教や神道、さらには道教まで、宗教と思われるものはなんでもだ」
「……随分大雑把ですね」
しかし、俺はそこまで宗教を嫌っている訳じゃないと思っているのだが、深層心理ではそうではないのだろうか。わからないが……とにかく今は情報を集めるしかない。
「あと、もう一つだけ聞いていいですか?」
「なんだ?」
「……最近里で自殺している人が増えたって聞いたんですけど、どうなんですか?」
「………………」
本来聞きにくいことだが……流れのままに聞いてみると、案の定慧音さんは押し黙ってしまう。やはり答えられなのだろう。聞かなかったことにしてくださいと言おうとするが、それより早く慧音さんが口を開く。
「そうだな、最近そういう話も耳にする。宗教の多くは自殺を是としない。自殺は自身の殺生にあたると考える宗派もあるくらいだ。それを鑑みれば、自殺に踏み切ったのは信仰がなくなった人、の可能性もあるかもな」
本当に小さく抑えた声で慧音さんが神妙に語る。
なるほど、そういう考え方には至らなかった。どちらも原因が同じで別々に発生している異変ではなく、一つの異変から別の現象が誘引される可能性だってあるのか。
兎にも角にももっと調べる必要があるな。
「そうですか……何だか気になるんで、宗教家の人にも話を聞きたいですけど、どこで聞けますか?」
「……あまり勧めたくないのだが、確実なのは里の郊外に命蓮寺だな。もしくは妖怪の山の頂上にある守矢神社だが……あそこは天狗の縄張りだから唯の人間では見ることも叶わないだろう」
妖怪の山の頂上にある神社……レミリアさんが導いてくれた場所はその守矢神社のことなのだろうか? 気にはなるが……最優先で行くべきは命蓮寺か。
ここまで親切に教えてくれたんだ、慧音さんにも一応伝えておこう。
「わかりました。とりあえず命蓮寺へ向かってみます」
「お、おい! 本当に行くのか!? あそこは元は多く人が参拝していた場所だが妖怪も多い。今の状況で、気が立っているかもしれないぞ」
「からかいに行くわけじゃないですから大丈夫ですよ。方角はどっちですか?」
「え、ああ、むこうの方だが……」
「分かりました」
俺は一言だけ返してから、宙に浮いて見せる。慧音さんは一瞬俺が飛んだことに驚きはしたが、すぐさま真剣な表情に戻っていた。そんな彼女に俺は深く頭を下げた。
「色々教えてくれてありがとうございました。あと、心配してくれて、嬉しかったです」
それだけ言い残して、俺は命蓮寺に向かって飛ぶ。
……思えば慧音さんに空を飛べるのを見せるのは良くなかったかもしれない。まあ、いざとなったら逃げる手立てもあると見せておけば安心するだろう。それにこれ以上嘘も吐きたくなかった。
しばらく飛ぶと、大きな寺が見えてくる。里からそれほど離れていない。歩いても一時間ほどで辿り着ける距離だ。
俺は地蔵が並ぶ門の前に降りて、辺りを見回す。
博麗神社と比べると悲しくなるほど大きな境内に入ると灯篭が並ぶ石畳の奥に見事な本堂が俺を出迎えてくれていた。
いい景色だ。これは観光目当てで来る人もいそうだな。なんて、考えながら歩いていると本殿の前の階段に一人の女性が立っているのを見つける。
「ようこそ、命蓮寺にいらっしゃいました」
女性は恭しく礼をして、ゆっくりと階段を降りてくる。紫のグラデ―ジョンのかかった金髪のロングウェーブ、ドレスにマントを身に付けた、仏教とは縁遠そうな姿ではあるが……観光客でもなさそうだ。
「今日の来られたのは参拝でしょうか、仏門に入られにきましたか? それとも……」
女性は右手に金剛杵というのだったか?それを突きつけて問いかけてくる。あくまで柔和な笑みを崩さずに。だが、敵意を見せつけながら。
「私たちの信仰の邪魔をしに来たのですか?」