17.0 うつろわぬものと落とし穴
二週間ほどすると、霊夢との訓練や妖夢の剣術稽古をこなしても骨折部分の痛みがなくなるほどになった。現代医療顔負けの適切な処置に俺は脱帽せざるを得ない。永琳さん様々だ。
個人的な感覚ではもう完全に治っていると思うのだが……永琳さんから経過を見せるように言い付けられていた。ということで、ただいま通院のため永遠亭に向っている真っ最中、なのだが……
「……迷った」
俺は竹林の中でなす術なく立ち尽くした。霊夢が下りた場所と同じ場所に降りたつもりなのだが、今やどっちに里があるかすらわからない。初めて幻想郷に来た時の迷いっぷりを思い出してしまうな。
「仕方がない、一旦上から竹林を抜けて出直すしかないか……」
霊夢に一人で大丈夫と意地を張った手前、わざわざもどって案内を頼むのは情けないったらありゃしないが、もうこれは仕方ないだろう。ため息を吐きながら霊夢への言い訳を考えていると竹林の向こうから人影が現れる。そういえばこの竹林は妖怪が結構いるらしい。
妖怪との初めての実践になるか、俺は一応護身用に持ってきた封魂刀を構える。だが現れたのは長い銀髪のやや中性的な女性だった。最近銀髪の女性ばっかと出会っているような気がするんだが……まあ、偶然か。
「こんなところで刀を構えて、剣の練習か?」
「そのつもりで来てはないんですけど……貴女次第ですね」
女性の問いに構えを崩さず答えると、女性は白けた顔でひらひらと両手を上げた。
「せっかく迷っていそうだから、声を掛けたのに酷い挨拶だね。私はただの健康マニアよ」
「健康マニア……?」
よくわからないが。とりあえず襲ってくる妖怪じゃなさそうだ。俺は刀から手を放して、頭を下げた。
「失礼しました。永遠亭を目指しているんですけど、ここは妖怪も多いと聞いてるんで、つい身構えてしまって」
「ま、ここに来るのはそれか筍狩りかのどちらかだろうけどさ。そういうことなら案内しようか?」
女性は胸をポン、と叩いて買って出てくれる。正直信じていいか疑わしくもあったが……正直案内してくれるなら渡りに船だ。
「本当ですか? よろしくお願いできますか?」
素直に好意に甘えることにした。ま、今のところ俺が空を飛べるのを知らなそうだし、逃げるだけなら何とかなるだろうと楽観していたのもあるんだが。俺の反応を見て女性も満足気に頷く。
「わかった、頼まされよう。私は藤原妹紅だ。普段からこの竹林の案内を生業にしてる。安心して任せてくれ」
「輝星北斗です。事情があって博麗神社で居候をしています」
「居候? ああ、霊夢が男を囲ったって聞いたけど君か」
俺はつい苦虫を噛み潰したような顔をしてしまう。囲ったって……段々悪く広がっていないか? 風の噂なんて碌なもんじゃないな。
「そんなんじゃないですよ……とにかくお願いします。お代はどれくらいですか?」
「ん?ああ、今回は要らないよ。初回サービスだ」
さいですか。俺は取り出しかけた財布をしまう。
幻想郷はあんまりお金に執着がない人が多い気がする。霊夢も毎日日課のようにお賽銭箱を覗いて落胆はしているがその状況をあまり悪く思ってないようだし、魔理沙も霧雨魔法店というのをやってるらしいが活動しているところを見たことがない。そういえば永琳さんも診療代、薬代ともにかなり良心的だった。腕は確かなのに里から離れてやっているあたり、あんまりお金を稼ごうという気はないのが見て取れる。
まあ、良く考えれば幻想郷は大金持ちでも使うところがない気もするのでこんなものなのかもしれない。もしくは外の世界がお金に固執し過ぎているのかもしれないが。
「それじゃあ、よろしくお願いします」
「ああ、はぐれないように付いてきなよ」
俺は迷いなく進んでいく妹紅さんの後を付いて行く。まったく同じような景色なのにどうして道がハッキリわかるのか不思議だ。そういう能力かそれとも、素人には分からない細部の違いがあるのだろうか?
「それにしても助かりました。出直そうかと考えていたところでしたよ」
「そうなの? そもそも君は元気そうなのに、どうしてあそこに行く必要があるんだ?」
「少し前に骨折しまして、まあ、治りきったかの確認みたいなものですね」
「……骨折ねぇ」
妹紅さんは興味無さそうな声を上げる。その後も妹紅さんとポツポツと会話を交わした。妹紅さん本人の話になるとやけに寡黙になるのは気になったが、なんとか和やかな空気を維持したまま永遠亭に付くことが出来た。俺は振り向いて妹紅さんに頭をさげる。
「ありがとうございました。もしかしたら、また頼むかもしれません」
「うん? 帰りも送っていくぞ?」
「いえ、俺も一応飛べるんで帰りは大丈夫です」
「そうか、それじゃあお大事にな」
妹紅さんはにべなく、それだけ言ってさっさと帰ってしまった。何というか……不思議な雰囲気の人だった。浮世離れしたというか……達観しているというか……
俺は何気なく永遠亭の敷居を跨ごうとして、ギリギリのタイミングで足を止める。また落とし穴が掘ってあるな。
そういえば、前に来たときも掘ってあったな……そしてその時はウサギ耳の女の子が落ちていたみたいだった。また引っ掛かったら可哀そうだし、ワザと踏んで穴を空けとくか。俺は空を飛ぶ準備をしながら、落とし穴に足を踏みこもうとする。
「危なぁーいッ!!」
その時突然、件の長いウサギ耳の女の子が飛び出してきて俺に向かって手を伸ばす。が、その手は届かず、女の子は落とし穴を踏んで落ちてしまう。俺は落とし穴の上に浮かびながら……なんとも言えない徒労感を覚え、脱力した。
穴に落ちた女の子を引き上げると、膝を擦りむいていたの救急箱を借りて手当てをすることになった。女の子は最初、自分でできると言い張っていたが、あまりに不憫で。これくらいはやってあげたいと、老婆心で半ば無理やり任させてもらった。
俺は何万もする陶器に触れるかのような慎重な手つきで、擦り傷を消毒していく。
「えっと、大丈夫?」
「え、えぇ……慣れてるから」
「なんかごめんね……危ないから穴開けとこうと思ったんだけど……」
「ううん、貴方が飛べるとは思ってなかったから……」
永遠亭に怪我を見てもらいにきたのに、女の子の手当てをすることになるとは思ってもみなかった。擦り剥けた膝を……スカートに気をつけながら消毒していると、女の子がポツリと呟いた。
「人間って思ったより優しいのね」
「……どうだろう、人によるかな」
俺は苦笑いを浮かべながら手当てを済ませ、立ち上がる。やっぱり目に付く長い耳は、間近で見ると萎れたように僅かに変形していた。彼女の過去に一体何かあったなんて、赤の他人の俺には窺い知れないことだ。だが幻想郷……
「俺は外来人だけど、人間も妖怪も大して変わらないと思うよ」
「………………」
俺は笑ってそう言うが、女の子は押し黙って自分の膝を眺めているだけで、何も言わなかった。
診察を終えた後、俺は永琳さんに先程の出来事を話した。すると永琳さんは申し訳なさそうに自分の顔に手を当て、嘆息を漏らした。
「ごめんなさいねぇ。あの子、臆病なところがあって人間が苦手なのよ」
「いえ……気にしていませんから」
そんなことより毎回入口に落とし穴を仕掛けるのを止めてもらいたいのだが。まあ、妖怪がみんな人間より強いわけではないってことなのだろう。永琳さんは暗くなった空気を吹き飛ばすように息を吐いてから、話を変える。
「それより骨折だけど、完治したみたいね。激しい運動もしているみたいだし、もう大丈夫そうね」
「……わかりますか」
「筋肉を触ればバレるわよ。ヒビとは言ってもそれが骨折に繋がる可能性もあるのだから、次からは絶対安静よ」
「は、はい」
次がないことを祈りながら会計を済ませ帰ろうとしたところ、診察室に輝夜さんが入ってくる。そして俺の顔を見るや、甘える時の猫のように頬を緩ませた。
「あらいらっしゃい北斗君。ちょうどよかった、貴方に聞きたいことがあるの」
「聞きたいこと?」
「ええ、里の事だけど……少し様子が変みたいなの」
里の様子が変、その言葉に背中に嫌な汗がにじむ。俺は震える手を握り締め、平静を努めながら尋ねる。
「何があったんですか?」
「そうねぇ、簡単にいえば……」
輝夜さんは小鳥の様に首を傾げてから、僅かに口角を吊り上げながら呟く。
「宗教弾圧が起こってるかもしれないわ」