東方影響録   作:ナツゴレソ

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1.0 幻想郷の住人と博麗大結界

 空の旅を数十分ほど堪能したところで、俺は無事地面に降り立つことが出来た。地面の上にへたり込む俺の肩を霧雨が苦笑いを浮かべながら叩く。

 

「着いたぜ、北斗……って大丈夫かよお前」

「あ、あぁ……なんとか。ただ今は足が大地に接していることの素晴らしさを噛み締めてるだけだ」

「馬鹿なこと言ってる余裕があるんなら荷物を運んでくれよなー?」

 

 霧雨はそれだけ言い残すとさっさと店の中へ入っていってしまう。俺は伸びをしながら立ち上がると、眼前にひっそりと佇むを店を観察する。

 薄暗い森の入り口に一軒だけ建っており、周りにはお店どころか民家の一つも見当たらない。裏手には白い桜が咲いているのが見える。ここは珍しい桜が多いんだな。

 店の入り口の上には『香霖堂』と書かれた達筆の看板が掲げてあるが、それより店の前に乱雑に並べられた何処かのバス停や狸の置物やらに視線が集まってしまう。

 パッと見ガラクタばかりの店だけど……これで商売になるのか?場所、売り物、どちらの観点から素人目で見ても、儲かるとは思えない。

 

「まあ、まったく常識の通じないあの子の知り合いの店らしいし……店主も変わり者なのかもな」

 

 店内には聞こえないような小声で一人呟きながら、風呂敷包みを持って店内に入る。

 店内も雑然としているのかとしているのかと思っていたが、物が多いなりによく整頓されていた。品物にまったく統一性がないので雑然としているイメージは拭えないが。

 

「……色んなものが置いてあるな……おっと、ごめん」

「………………」

 

 キョロキョロと売り物を物色していたせいで、危うく立ち読みをしていた女の子に当たりそうになる。しかし女の子はまったく意に介した様子もなく、静かに本を読んでいた。

 俺はせめて邪魔にならないように静かに女の子の後ろを通る。立ち読みとはいえこんな店にお客さんがいるとは……それにしても羽の生えた服とはなかなか前衛的なデザインだ。

 店の奥に行くと霧雨がカウンターに座っている店員らしき銀髪の男性と話をしていた。眼鏡をかけた物腰穏やかな印象の青年で、ガタイもよくかなりの美形だ。モテそうだなぁ……

 なんて感想を抱きながら突っ立っていると、俺の存在に気付いた青年は立ち上がって柔和な笑みを浮かべながら荷物を受け取ってくれる。

 

「やあ、君が件の外来人だね。初めまして、僕はここで商いをしている森近霖之助だ。短い付き合いかもしれないけどよろしく」

「はぁ……輝星北斗です。あの、短い付き合いというのは?」

 

 初対面で不躾だとは思うが、素直に気になったことを聞いてみると……森近さんはカウンターで風呂敷を広げる片手間答えてくれる。

 

「君は外の世界から来たんだろう? 魔理沙が博麗神社……元の世界に帰れる場所まで送ってくれるみたいだから、何もなければもう会うことはないだろう」

「霧雨も言ってましたが、外の世界って何のことですか?」

「あんま苗字で呼ぶなよな! 呼び捨てで魔理沙にしろ!」

 

 話を聞いていたのか、店の商品を物色していた霧雨から声が上がる。ちなみに室内だからか帽子は脱いでおり、くせっ毛だけど綺麗な金髪を晒していた。そんな霧雨……もとい魔理沙の反応に俺と森近さんは顔を見合わせる。

 

「だとさ。僕のことも霖之助でいいよ。それで、外の世界云々についてだけど……話せば長くなるし、君には信じられないかもしれないよ?」

「構いません。差し支えがなければ教えてもらえませんか?」

 

 

 

 

 

 ……それからしばらく霖之助さんの話を聞いた。ここが幻想郷という俺の住んでいた世界とは隔絶された場所だということ。幻想郷には外の世界で忘れ去られたものが流れ着くこと。そして現実世界で忘れ去られた神々や妖怪が存在しているということ。

 霖之助さんは分かりやすく丁寧に説明してくれた。茶々を入れながらだが、魔理沙も分からないところを補足してくれたのも理解を助けてくれた。

 最初は信じられなかった俺だったが……先程の飛行体験のお陰か、話の終わりごろにはすんなりと現実を受け入れることができていた。

 

「……つまり、俺のような外来人は元の世界で忘れ去られたことで、ここ幻想郷に来たかもしれないんですね」

「うん、君がいた無縁塚というのがそういう場所だから可能性は高いだろうね」

「そう、ですか……」

 

 俺はいかんとしがたい気持ちで相槌を打つ。ある程度気落ちするところはあったが、絶望するほどの内容ではなかった。

 そもそも俺は特段誰かと仲良くしていた訳ではない。むしろ人付き合いが億劫とまで思っていた節もあったのは自分も認めるところだ。他人の悪意の仕業ならいざ知らず、自業自得を他人のせいにするようなことはしたくなかった。

 いつの間にか出されたお茶をすすりながら自嘲に浸っていると、魔理沙がお茶請けの煎餅をボリボリ食べながら渋い顔で首をかしげた。

 

「……お前、空飛んだ時はあんな五月蝿かったのに意外とすんなり信じちまうんだな」

「空を飛んだ後だからこそ、あり得ない話ではないとは思えているかな」

 

 それに作り話にしては嘘くさすぎるし手間がかかり過ぎてるし。まあ、万が一嘘ならこんな長々と丁寧に説明してくれた霖之助の演技に拍手を送るだけだ。

 

「ただ、神様や妖怪の話はまだ信じられないかな」

 

 俺は未だに立ち読みを続ける羽根の生えた女の子を横目で盗み見る。やはりただの奇抜なファッションの女の子にしか見えない。霖之助さんも人間と妖怪のハーフらしいが、髪の色ぐらいしかそれらしい特徴は見当たらない。

 そんな俺の仕草に気付いた霖之助さんは眼鏡を直しながら、ニヤリと笑った。

 

「まあ、弾幕ごっこを実際に見てみたら否応にも信じるしかなくなるさ。ただ、見るような事態に陥らないよう祈っているよ」

「そうですね。当たりどころが悪かったら死ぬとか聞いたら、流れ弾が怖くて見たいとは言えませんよ」

「そうだね。たまに店の近くでやってるけど、遠慮してもらいたいものだ」

 

 男同士うんうん頷いていると、それを見ていた魔理沙が口をへの字に曲げながら肩を竦める。

 

「まったくなさけねー! スリリングなのがいいんじゃねーか!」

「……魔理沙、余り口うるさく言いたくないが、君はもう少し自分の体を大事にした方がいい。貰い手がいなくなっても知らないぞ。僕が貰う訳にもいかないんだから……」

「な、ななな……よ、余計なお世話だー!!」

 

 霖之助さんの説教に顔を真っ赤にした魔理沙はそこら辺の物を投げ散らかした。そんな二人のやりとりを俺は微笑ましくも、少し虚しい気持ちで眺めていた。

 

 

 

 ……それからしばらく三人で談笑をして、店を出ることになった。俺はわざわざ外まで見送りに出てきてくれた霖之助さんに深々と頭を下げる。

 

「色々話してもらってありがとうございました。何もお礼できなくて心苦しいですが……」

「気にしないでくれ。少しの間だけれど外の世界のことを聞けて楽しかったよ。それじゃあ、壮健で」

「はい、霖之助さんもお元気で」

 

 俺は再度霖之助さんに頭を下げて、魔理沙の箒に乗せてもらい博麗神社という場所を目指した。

 その道中、箒での移動にも幾分慣れてきたところで肩越しに魔理沙が風に負けない大声で話しかけてくる。

 

「なぁ、いい場所だろここ!」

「……そうだな、少なくとも見返りがないのに色々助けてくれる魔理沙や霖之助さんには頭が上がらない。色々ありがとうな、魔理沙」

「そういうのを直接言われると照れるぜ」

 

 大きな帽子で顔を隠しているあたり、本当に照れているようだ。その姿を眺めてほっこりしていると、帽子を抑えたまま魔理沙が呟く。

 

「……だから、あんまり思い詰めんなよ。向こうで忘れられちまっても、こっちに住んじまえばいいんだ。お前なら結構楽しくやっていけると思うぜ」

 

 その言葉に俺は声が出なくなる。勝手気儘で大雑把な性格だと思っていたのだが、気にしてくれていたのか。当然だ、出会って一日も立っていないのに人を理解出来る訳がないのだから。

 きっと俺は彼女の……霧雨魔理沙の事を永遠に分からないだろう。

 魔理沙はああいってくれたけど、俺は幻想郷に住むつもりはない。たとえ世の中から忘れ去られていようとも、これまでの生活を捨ててこの世界に移住を決められるほど、俺は思い切りはよくなかった。だからこの世界に来ることは二度とないだろう。

 だが……その気持ちだけは大事に受け取って元の世界に帰ろう。一時の出会い、それを貰えただけでもう十分だ。俺は魔理沙に聞こえないように小さな声でもう一度、ありがとうと囁いた。

 

 

 

 

 

「着いたぜ北斗! おーい、霊夢ー! 参拝客持ってきてやったぞー!」

 

 別に参拝しに来たのではないのだが……勝手に裏に回っていった魔理沙を他所に、俺は一面桜色の辺りを見回す。周囲は森で覆われており、その中にぽっかりと古びた神社が立っている、といった印象だ。

 境内はよく掃き清められていて桜の花びら一つ落ちていない。きっと仕事熱心な巫女さんがいるに違いない。

 だが……こんな質素な神社から元の世界に帰れるのだろうか? 魔理沙が言っているんだから本当のことだろうけど、この神社を見ていると不安になってしまう。と、神社を一周してきた魔理沙が首を傾げながら帰ってくる。

 

「おっかしいな……いつもなら縁側で薄いお茶飲んでる時間なんだが……」

「その、霊夢?って人がいないと帰れないのか?」

「まあ、基本的には。紫でも帰せるがあいつ何処にいるか分かんねえし、何より胡散臭いからなぁ……」

「誰が胡散臭いですって?」

 

 突然背後から声が聞こえて俺は思わず目の前に飛び退いた。振り向くと中華風の独特な服を着た少女が長い金髪を靡かせていた。

 年齢は自分と同じか年下に見えるのだが……同年代とは思えない妖艶な雰囲気を纏っている。底が見えないというか……得体の知れない不思議な少女、というのが第一印象だった。魔理沙はその少女に気付くとパチンと器用に指を鳴らした。

 

「おお、紫! ナイスタイミングだぜ」

「清々しいまでの掌返しね。もしかして、彼を外の世界に戻して欲しいのかしら?」

「話が早いぜ。霊夢もどっかいってるし……頼む、この通り!」

 

 魔理沙は両手を合わせて頼み込んでくれている。俺も魔理沙に習ってお願いしようとするが、身体が動くより早く紫と呼ばれた少女に傘の先を突きつけられ身動きを封じられた。いつの間に傘を……いや、それより何でこんなことを……

 訳も分からず困惑していると、目の前の女性は俺を冷ややかな目で睨みながら喋り始める。

 

「霊夢なら結界の修復で忙しくしているわ……恐らく貴方の所為でね」

「……俺の、せい?」

 

 俺は唐突に向けられた敵意にたじろぎながらも、何とか言葉を絞り出す。

 当然ながら、全く身に覚えがない。そもそも、結界なんて霖之助さんの話で少し出たくらいで、何のことかサッパリだ。そんなよくわからないものをどうにかできる力なんて俺にありはしない。

 魔理沙も同じことを考えていたようで必死に弁解してくれる。

 

「ま、待てよ紫! 北斗は空飛んだぐらいで騒ぐ普通の人間だぜ? 結界をどうこう出来るわけないし、そもそもさっきまでずっと一緒に行動していたぜ!?」

「そう、『確かに彼は何も行動していない』。側から見れば普通の人間。この異変が起こらなければ、私も気付かなかったでしょう」

「異変……?」

 

 聞き慣れない言葉に、俺は眉をひそめた。しかし魔理沙だけはその単語に顔付きを変える。紫は俺から目を離すことなく話し続ける。

 

「常識と非常識を分ける博麗大結界の崩壊……幻想郷が崩壊しかねない異変です」

「幻想郷の……崩壊だって!? 何だってそんなことが……」

 

 魔理沙が困惑した瞳を俺に向けてくる。どう判断したらいいか迷っているようだ。しかし、それに応える余裕なんてなかった。

 言っていることはさっぱり分からないが、状況が悪くなっていることはヒシヒシと感じる。紫さんはおもむろに傘を下すと、前触れもなく空間に現れた紫色の裂け目に腰を下ろす。

 ……さっきも突然背後に現れていたが、少なくとも普通の人間でないではないようだ。彼女も所謂妖怪なのだろうか?

 

「順を追って話しましょう。結界の異変が起こったのは今日の昼ごろ……ちょうど、彼が幻想入りした時刻と重なりますね」

「……まさか、それだけ北斗を犯人って決めつけようとしているんじゃないだろうな?」

「最後まで話は聞くものよ」

 

 魔理沙がここぞとばかりに噛み付くが、紫さんは冷静にそれをいなす。彼女のあくまで理性的な様子は静かに、しかし確実に俺の不安心を煽っていた。

 

「今回の異変は前触れも何もなかった。突然、博麗大結界が内側から歪んでしまったわ。これは今までになかったことよ」

「……話の腰を折るようで悪いですが、その『はくれいだいけっかい』って何なんですか?」

 

 俺は恐る恐る紫さんに尋ねる。流石に話が分からない状態のままじゃ、言い訳の一つも出来ない。心の中にためらいはあったが、思い切って聞いてみることにした。

 

「幻想郷を覆う常識と非常識を分かつ結界です。外の世界の非常識を幻想郷での常識とすることで成り立っている理論結界。まあ、『この結界のおかげで外の人間は幻想郷に気が付かず、外の世界で忘れ去られた物や人間、妖怪が流れ付くようようになっている』、と認識していれば十分でしょう」

 

 無視されるかもしれないと危惧していたのだが、紫さんは丁寧に解説してくれた。根はいい人なのかもしれない。状況的に敵対しているだけで。その事実が、俺の心をさらに苛んだ。

 俺はつい俯いてしまうが……紫さんは粛々と話を続けていく。

 

「話を戻しましょう。結界の歪みの原因はすぐわかった。結界の内部……幻想郷に外の常識を持った人間が現れたことです」

「お、おい! 待てよ紫! 今までだって外来人のひとりふたり迷い込んできてただろう!? どうして北斗の時だけこんなことに……」

 

 魔理沙が必死になって俺を庇おうとしてくれているのが伝わってくる。だが、同時にその口調がどんどん尻すぼみなっていくのもありありとわかってしまう。

 

「そう、魔理沙の言う通り、外の常識を持った外来人がひとりふたり迷い込んでも結界は揺らぎはしないわ。けれど、歪みは引き起こされた。『まるで数十万単位の外来人が一度に幻想入りした』かのような大規模な歪みがね。当然そんな人数が幻想入りした痕跡はないわ。そのタイミングで幻想入りしたのは私の調べではただ一人」

 

 魔理沙と紫さんの視線が俺に集まる。沈黙を切り裂くように春風が駆け抜け、花びらを散らす。

 

「そう、輝星北斗。あなただけです」

「……なるほど。筋は通っていると思います」

 

 まるで噛ませの刑事に冤罪を被らされたのような心境だ。このままだとよくわからない理由で殺されてしまう、それは理不尽だ。俺は怒りの感情を隠す気もなく、真っ直ぐ紫さんを睨み返す。

 

「けど、それは状況証拠を集めただけで、俺が犯人だっていう明確な証拠もないじゃないですか」

「ええ、そうね」

「……そもそも貴女の話が本当かどうかも確かめようがないですよ」

「確かに貴方の言う通りだわ。けれど……」

 

 不気味なほど素直に頷いていた紫さんだったが、突然右手に持った傘を放り投げた。瞬間、首に鈍い痛み圧迫感が遅い、息ができなくなる。

 ……目の前に出来た紫色の裂け目から白い手が伸びて、俺の首を絞めていた。その空間に浮かび上がる無数の目と目が合う。その瞬間、全身の血が抜かれたような寒気と共に痛みが襲ってくる。

 

「そんなことはどうでもいいの……今、ここで貴方を殺して結界が直ればそれで異変は御仕舞。それでいいとは思わない?」

「……っが……あ……!」

 

 必死にもがくが、細腕とは思えない力で首を掴んでいる。下手をすればそのまま首をもぎり切られそうなほどだ。俺は悲鳴も上げられず、僅かなうめき声を洩らすことしか出来ない。

 

「おい止めろ紫! 早まるな!」

 

 魔理沙が必死に制止の声を上げてくれる。眼だけで魔理沙を追うと、八角柱の香炉のそうなものを紫さんに突きつけていた。対する紫さんは俺の首を絞めたまま魔理沙を睨み返す。

 

「あら、私を止めるの? 幻想郷を守ろうとしている私を。貴方は幻想郷を滅ぼしたいの?」

「ぐっ……」

 

 その言葉に魔理沙は歯を食いしばる。確かに俺を助ければ幻想郷の崩壊を幇助したと言えるかもしれない。だが、あまりにも、やり方が……あぁ、駄目だ。もう駄目だ。限界だ。視界が、ぼやけて……

 

 

 

 

 

「ゴハッ、ガッ! ハッ、八ッ、八ッ……ハァ!」

 

 薄れゆく意識の中、俺は死を覚悟していた。だが脳内が真っ白になった瞬間、軽い衝撃が体を叩いて呼吸を戻してくれた。

 俺は地面をのた打ち回りながら必死で呼吸する。全身が酸素を求めて仕方なかった。心臓の鼓動が耳の奥で五月蠅く脈打っている。

 

「なん……だ……?」

 

 何とか戻り始めた視界が最初に捉えたのは、紅白の衣装だった。

 ……しいて言うなら巫女服だろうか? 大きな赤いリボンで髪を纏めた少女が、紫さんに立ち塞がる様に立っていた。その凛とした立ち振る舞いに俺は状況も忘れて見とれてしまう。そんな俺の視線をまったく気にした様子もなく、少女は髪を払った。

 

「博麗の巫女の前で、人間に手を出すなんて……いい度胸してるわね」


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