「……あぁ、畜生。どれくらい寝ちまってたんだ?」
三角帽子が水を吸って重い。手に持つ箒なんて原形を保っていなかった。私はまだグワングワンと揺れる視界を右手で支えながら、みぞれの降る無縁塚を進んでいく。厚い雲で太陽は見えないが、感覚からしてもうすぐ日が落ち始める頃合いだろうか。
雨のぬかるみとたまに落ちているガラクタの相乗効果で実に歩きにくい。というか、もう既に3回転んだ。普段なら宙に浮かんで移動するところだが、魔力が切れてそれもままならなかった。
笑えてくるほど満身創痍。我ながら歩けるだけで褒めてやりたいほど、ボロボロだ。これも無理したツケだ、やむをえない。傷も治ってないのにこの天候の中、魔力が切れるまで全力で飛べば意識の一つや二つなくなって当たり前だろうさ。お陀仏しなかっただけ運が良ったと思おう。まあ、ツケは死ぬまでツケておくのが信条なんだが。
……今は私のことはどうでもいい。それよりあの馬鹿供のことだ。
「霊夢と北斗は……どうなったんだ?」
どうなったのか気が気でない。つい、原型を失い始めた箒と帽子を強く握りしめてしまう。霊夢は北斗に出会えたのだろうか? 一発ぐらい殴れただろうか? あの全部持っていっちまう馬鹿野郎を止められただろうか?
……北斗が、幻想郷を滅ぼすなんて言い出したのは、きっと私の行動が要因となっている。私は世界を作り変えてでも霊夢を生かそうとした。
馬鹿だと思うが後悔はしていない。だが……北斗はそれを否定したくせに、アイツは私の真似事をしようとしている。まったく本物の馬鹿野郎だ。
いや、アイツのことだ。幻想郷を犠牲に霊夢を救けたりはしない。きっと、呆れてしまうほど貧乏なクジを引きに行っているはずだ。おおよそ予想が付く。そして、それが叶っても叶わなくても、霊夢と北斗が不幸になるのがわかって……やるせなくなる。
酷い倦怠感に襲われ、膝が折れる。目の前がチカチカと明るくなったり暗くなったりする。
「……やべ、また魔力切れか」
気付いた時には視界が傾いていた。そして何かに寄りかかる暇もなく、目の前が暗転。そのまま前のめりで地面にぶつかる。
と、思ったその直前、誰かに右腕を取られ支えられる。細腕だが、力が強い。というか思った以上に力強過ぎて肩が外れかけたぞ!? 一体どこのどいつだ……?
「あやや、誰かと思えばつい昨日まで幻想郷の話題を総なめにしていた魔理沙さんじゃないですか。どうして黒幕がこんなところで、野垂れ死かけてるんですか?」
「勝手に殺すな。って、この白々しい口振りは……文か?」
声ではあんまりピンと来なかったが、慇懃無礼な口調で気付く。まあ、取ってつけた様な感嘆符で丸分かりではあるのだが。私は濡れた地面に尻餅をつきながらボヤける視界で見上げた。
「呆れるぜ。こんなところまで取材に来るとは、根っからのパパラッチだな」
「そりゃそうです! と言いたいところなんだけど、今回は仕事じゃないの」
「……へぇ?」
「柄になくお節介を焼いてみたら、同じくお節介を焼いて倒れかけているのを見つけてね。同族を助けてあげたってわけ」
急に文の口調が変わった。どうやら本当に特ダネ探しをしに来た訳じゃないらしい。文の重苦しい声と山伏の衣装で理解する。
じゃあ、なんでこんなところに居るのか。お節介云々言っていたのも含め気になるが、今はそれどころじゃない。自分の身体以上に、そこら辺にいる天狗のことなどどうでもよかった。
いや、あくまで利用出来なかったらの話だが。
「そりゃどうも。ついでと言ったらなんだが、焼いてほしいお節介があるんだが、いいか?」
「……はいはい。どうせ、霊夢のところに運べと言うのでしょう」
「話が早くて助かるぜ……って、なんでわかったんだ?」
驚きながら問いかけると、文は不自然に黙り込んでしまう。そして、しばらくしてから乱暴に私を背負い、ゆっくりと宙を飛び始めた。
「お、おい……」
「わかるわよ。誰も彼も言うこと為すこと変わらないのだから。私を含めてね。けれど、オススメはしないわ」
「は? どういうことだよ?」
「私達は脇役で、どうやっても傍観者でしかない。このまま大人しく帰ってベッドで眠っていれば、何も見ずに明日を迎えられるわよ。それに……」
「それが新聞屋の言うことかよ。いいから運んでくれ」
煩わしい戯言は、聞きたくない。立場なんて構うものか。傍観者な私にだって何か出来るかもしれない。例え何も出来ないとしても、すごすごと帰れるわけがない。
文は軽い溜息を吐くと、はいはいと気怠そうに言いながら移動を始める。それを確認してから、私はまだ時折暗転する視界を閉じる。じっとして魔力を戻すことに専念しないと、今のままじゃ立つこともままならないからな。
いつの間にか、しきりに帽子を打っていたみぞれは止んでおり、冷たい強風が足下の木々を揺らす音だけが鼓膜を揺らしていた。
「着いたわよ」
文の言葉と瓦礫を踏み抜く音で私はうたた寝から目覚める。
そこは無縁塚の森の中で、妙に開けた場所だった。奥の方には箒で掃いて一箇所に集めたかの様に墓石が積まれており、卒塔婆も悉く倒されている。どうやらここで一悶着あったみたいだな。
私は文の背から、片膝を突きながら降りる。一眠りしたから復活した、という訳にもいかなかったみたいだ。まだ頭がクラクラしている。魔力の回復度合いから鑑みて、然程時間が経っていない様だった。
「……おい、霊夢と北斗は」
「そこに居ますよ。片方だけですけど」
「かた……ほう……?」
私は帽子の縁で顔を拭い、再度辺りを見回す。すると、木の近くに金髪と青い翼を見つける。そして、二人の後ろ姿の奥で……
霊夢が、泣いていた。地面にぺたんと座り込んで、まるで声をなくしたかの様に静かに、でも叫ぶ様に空を見上げながら止めどなく泣き続けている。紅白色の巫女服もボロボロ。リボンも解けて長い髪が地面に付き泥だらけ。まるで泣き方がわからない幼い子供の様に、ひたすら不器用に泣いていた。
初めて見た。あんな霊夢の姿を。いつも余裕ぶって、冷めた態度を取っていたアイツが、本気で泣いている。それだけで目から涙が溢れてくる。
……あぁ、そうか、文が言っていたことはそういうことか。私に出来ることは何も残っていない。全て、もう終わった後なのだ。霊夢にとって最悪な結果で。
私も、文も、紫も……火依も、ただその姿を見つめていた。掛ける言葉もない。きっと、何を言おうと霊夢には届かないから。
「魔理沙……」
「……火依」
覚束ない足取りで、火依がこちらに近付いてくる。その両目は充血しており、頬には涙の跡がいくつも残っていた。霊体だというのに背中の青い羽は水を吸って重そうになっていた。
……火依も、私達と同じように霊夢と北斗を追ってここまで来たのか。
「北斗は、どうした……?」
「………………」
私の問いに、火依は顔を伏せ、首を振る。その姿を見て、理解する。何がどうなったかはわからないが、一つだけ分かる。あの涙を、止められるのは一人しかいなくて、そいつはもうここにはいないのだと。
あれだけ吹き荒んでいた風も今は止んで、空で腹を見せていた龍の姿ももうない。ただ厚い雲の合間から差し込む夕日が、もうすぐ夜が来ることを警告するだけだった。