東方影響録   作:ナツゴレソ

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121.0 オリジナルとイミテーション

 世界には同じ顔をした人間が三人はいる。よく聞いた話だが、実際に対面するとショックが大きい。いや、ある日突然出会っただけならこうはならない。

 殺意すら覚えた相手が同じ顔を持っていたからこそ思ってしまうのだ。こいつは、俺が辿ったかもしれない姿の一つなのかもしれない、と。

 卑屈な性格から出るただの妄想だ。だが、そんな馬鹿馬鹿しい考えが確実に心と頭を蝕んでいた。思わず、左の眼窩を庇っていた左手を握り締める。そんな俺を踏みつけながら男は嗜虐的な笑みを見せつけてくる。

 

「どうだ、自分が誰かの偽物とわかった気持ちは? お前の過去も力も、俺の模倣でしかない。だから、言ったのだ。お前は、俺の下位互換だとな」

「………………」

「おいおい、何か喋れよ。それとも、絶望しきってしまって頭の中真っ白か?」

 

 鼻の骨折も治ったのだろう、男の舌がいい感じに回り始める。優位に立った瞬間、これだ。これが、俺と同類だと? 馬鹿な。二度も三度も同じパターンを繰り返す、まったく学習能力がないこれが俺であるわけがない。蝕まれた感情を握り削り、四肢に活を入れる。

 俺はこいつを否定しないといけない。こいつは俺じゃない。俺じゃない、俺じゃない!

 

「勝手に……言ってろッ!!」

 

 俺は踏みつけていた足を掴む。感触は一瞬のみ。反射的に男が自身の影響を消したのだろう。が、だからこそ踏みつけていた靴底の圧力も消えていた。

 俺は男の身体をすり抜けながら、飛行能力で起き上がる。そして、間髪入れずに力任せの裏拳を振るう。が、当たらない。不意打ちではなかったし、影響の力も込めきれていなかったのだ。やむを得ない。

 すぐさま切り替え、後退する。が、男は追っては来なかった。ただ、俺の顔で嘲笑を続けている。

 

「自分の顔は殴りにくいか? そんなことはないだろう? あれだけ殴ったんだからな」

「どうせ……ただの顔真似だろう?」

「はっ、馬鹿だなぁ。この顔のオリジナルは、私だよ。お前はただのイミテーションだ」

「………………」

 

 あっそう、と返事をするのも億劫になるほど話が通じない。俺は腹のそこで煮えたぎる感情を冷まそうと息を一つ吐き出す。

 落ち着け。よく考えればこの男の言葉を鵜呑みにする意味はない。影響の力ならいくらでもインチキしようはあるのだから。

 そもそも偽物か、本物か、何を根拠に言っているのだろうか? 確かに顔と能力、よく見れば体格も変わりはない。兄弟と言われていたら納得していただろう。だが……俺とお前は歩いてきた道が決定的に違う。少なくとも、この幻想郷の中では。

 お前は誰かを救おうとしたか? 手を伸ばそうとしたか? この大き過ぎる力を何に使った? 本物だとか偽物だとか関係はない。俺と、この男は決定的に違う。だから……

 俺は左眼が治ったのを瞬きして確認しながら、息を吐く。

 

「何を言おうと俺はお前じゃない」

「……それで?」

「勝手に比べて悦に入ってろ。その間に俺はお前を倒して、霊夢を救ける」

「はっ……ならば、せめてもの慈悲だ。お前を跪かせ、博麗の巫女を殺してやろう。そうすればお前は、自分が偽物だと自覚するだろう?」

「どうしようもないほど話が通じないッ! 『剣伎「紫桜閃々」』ッ!」

 

 霧雨の剣を抜き打ち、高速で突進する。相手が反応するより速くに切り上げを放ったつもりなのだが、切っ先は男の身体をスルリと抜ける。

 やはりいくら早くても正面からは無理か。だが、布石は打った。そのまま駆け抜け、霧に身を溶かす。斬撃を放った際に事前に撒いていたものだ。しかも、冬の雨のおかげで紅魔館の地下よりも広域に生み出せている。風が強いのですぐ霧散してしまうだろうが、それまでに決定打を入れれば問題ない。

 

「二番煎じだな! しかも道具頼りで!」

「他人を散々利用した奴が言うかッ!?」

 

 霧から腕だけ出して剣を振るう。踏み込みも腰も入ってない、牽制だ。男もすり抜けず半身をそらして躱すだけ。しかし、うっとおしそうな顔をしている。避け方も素人そのものだ。すぐさま霧化して背後に回り、足払い。足を上げて躱されかけるが、僅かに足先が引っかかって男を転倒させることに成功する。

 すぐさま霧雨の剣を逆手に持ち変え、マウントポジションを取る。そして柄尻に掌底を押し付け、全体重を掛けて剣先を喉に突き立てた。

 

「ぐ、が……!」

「ッ……!」

 

 だが、喉に突き刺さる前に男が剣身を掴んで抵抗をしてくる。白刃取りというには不格好な抵抗だ。だがその力は意外にも強く、霧雨の剣の切れ味も相まって、拮抗してしまう。数秒、お互いに必死さと憎悪を込めた視線を交し合う。俺は影響の力を全力で注ぎながらさらに切っ先を押し込む。

 

「ッ……ッ……!」

「……こ、のッ!」

 

 こんなただの人殺しのようなやり方、その凶器にこの剣を使いたくはなかった。まるで魔理沙と霖之助さんに犯行を加担させているようで罪悪感で呼吸が苦しい。周囲の音が消える。視界が白んで、今にも気絶しそうだ。

 だが、それもここまでだ。今、ここで終わらせる。終わらせなければならないし、一刻も早く終わらせたかった。じゃないと、霊夢が……

 焦りに駆られ歯が割れんばかりに食いしばる。そんな時、周囲の音が消え、不意に背筋がおぞけが走った。身体が恐怖で悲鳴を上げている。身体の底から這い上がってくる感覚に覚えがあった。これは死の予感だ。なぜ、攻撃もされていないのに。

 ……いや、違う。これは罠だ! 咄嗟に地面を蹴り上空へ逃げる。そして凍るように冷たくなった身体を摩りながら激しく乱れた呼吸を必死に整える。

 

「はっ、はあ、なん、だ……!?」

 

 突然呼吸が出来なくなった。それに体温が急激に奪われている。精神的なものじゃない。何かが俺の身体に起こっていた。幸い蓬莱の薬のおかげですぐ回復するだろうが、少なくとあのままでいたら酸欠で気絶、かつ身体が凍りついていただろう。

 おかしい。確かに外気は全身が凍ってしまいそうなほどに冷たいが、今までは我慢できていた。あまりにも急だ。それに息が切れるわけでもなく呼吸が出来なくなったのもおかしい。何か、何か仕掛けられている?

 

「ッ……!」

「………………」

 

 混乱している間に男が起き上がられてしまう。男は狂気的な笑みを浮かべながら何か口を動かし、鋭い抜き手を放ってくる。回避はできないと判断し、反射的に剣を捨て右手を差し出す。まるで豆腐を掬うかのように右手が骨ごとズタズタにされる。砕かれた肉と骨が宙に舞う。同時にまた息苦しさと冷気が襲ってきていた。

 『否定結界』! 声にならない宣言しながら左手の上に結界を生み出し、男に押し付けようとするが、瞬間移動で逃げられてしまう。だが、それと同時に呼吸と熱が戻ってくる。肺が酸素を求めて勝手に心臓を動かす。俺は過呼吸にならないよう抑えながら、呼吸を繰り返し、そして理解する。

 

「ッ……そういう、ことか」

 

 この現象はあの男に近づいたら発生しており、その間は周囲の音が消える。加えて奴は概念的な影響を消すことが出来る。これだけ気付ければ仮説は立つ。

 パチュリーさんに借りた本でたまたま読んだ内容だが、人が宇宙に生身で出るとたちまち皮膚の水分が蒸発して気化熱を奪われ、体内が凍り付いてしまうらしい。つまり、この男は……

 

「空気の影響を消して、自分の周囲に真空を生み出しているのか」

「勘がいいじゃないか。その洞察力で俺とお前の力の差も感じ取ってもらいたいものだがね」

「知るかよ」

 

 芝居掛かった動きで手を叩く鏡写しの姿に、俺は腹立たしさの篭った悪態を吐き捨てる。癪ではあるが男の反応が確証になった。

 確かに真空なら音が聞こえないことにも、呼吸が出来ないことにも説明がつく。空気がなければ音の振動は伝わらないからな。ただ、どうやって男の周りだけ真空を作ってるのかは物理学的に謎だが……影響の力が何でもありなのは自分がよく知っている。この際、気にしてもどうにもならない。問題は、あの男が今まで以上に倒しにくくなったという事実だ。

 影響をなくすことで攻撃を躱し、距離の影響をなくして瞬間移動、攻撃は素手だがすべて致命的で、かつ近付かれれば真空で動きを制限してくる。過去最高に厄介な相手だ。蓬莱の薬がなければ五、六回は死んでいただろう。今のところ勝算などない。

 だが、今更障害が増えたところで諦めるわけにもいかない。こいつを倒すのは、あくまで通過点に過ぎないのだから。

 

「偽物だろうと力で劣っていようとお前は倒す。倒さないといけない。お前は、幻想郷に生きてはいけない人間だ」

「は、ハハハッ! 何度も言っているだろう!? 要らないのはお前だ! お前だけじゃないッ! この世界もッ!」

 

 強い語気に反して、男が瞬間移動なしでゆっくりと近付いてくる。余裕を見せているつもりか。目測でおおよそ5mほどの間合いに入るや否や、またあの息苦しさと静寂さに襲われる。

 距離を取って戦うべきなのだろうが、一瞬で距離を縮められるこの男から遠ざかっても手数が減るだけだ。右腕はもう治っている。リスク覚悟で接近戦を仕掛けるしかない。

 俺は両手に否定結界を作り出し、男の懐に飛び込んで叩きつける。が、それより早く男が数メートル後ろに瞬間移動してしまう。真空の間合いを維持しながら避けるつもりか。大方窒息による昏倒を狙っているのだろう。

 させない。左手の否定結界を投げ飛ばし、避けさせる。僅かに右へ瞬間移動したのを視認してから間髪入れず、否定結界を放つ。しかし、これも当たらない。だが、耳に音は戻ってきた。酸素を取り込みながら凍える身体を摩っていると、男がやや離れた正面に戻ってくる。

 

「目障りなんだよ……! 始まりから間違えている世界でのうのうと生きている奴ら全員ッ! その世界を好きとか言って生贄になろうとする博麗の巫女も、お前もッ! 気持ち悪いんだよッ!」

「俺にしてみれば、そこまで固執するお前の方がよっぽど気持ち悪いよ。お前だって、ここにいるだろう?」

「……好きでいるわけじゃない!」

 

 男が、俺の顔で泣き言の様なことを叫ぶ。まるで自分が言っている様で、イライラする。

 確かに俺の幻想入りは理不尽だった。影響の力なんていつ持っていたかわからないものに振り回されて、正直たまらなかった。でも、俺は受け入れた。現状も、世界も、運命も含めて、影響の力も受け入れた俺がここにいる! お前と俺に何の因果があるか知らないが、力だけ受け入れたお前が何かの本物になれるはずがない!

 

「俺は……俺が選んでここにいるんだ! 受け入れないなら、勝手に出て行けッ!」

「何も知らない、ただの人間がぁぁっ!!」

 

 獣の様な咆哮と共に男の姿が消える。同時に身体が真空に蝕まれてゆく。接近されている。背後、じゃない。真上だ。根拠はない。彼女のように直勘に全てを委ねる。見上げてからでは遅い。右足に影響の力を収集させ、身体を半身ずらしながら回る。そして、左足で空中を踏みしめ、さっきまで自分が立っていた場所を、あらん限りの力で蹴り上げた。

 膝から爪先に掛けてズシリと重みが乗る。自分とほぼ同じ体重が乗っているのだから、当然だ。一緒に落下しそうになるが、身体中の腱が切るつもりで全力で振り切る。

 

「……ぐ、ぁああっ!?」

 

 苦悶の声を上げながら男の身体がくの字に折れ曲がり、宙に舞い上がる。もう酸欠寸前だ、ここしかない。飛びかかるように追いかけ、サマーソルトで顎を削る。一発で終わらない。三連続サマーソルトとかかと落としのコンビネーション。

 

「『裏技「天崩昇連脚」』ッ!!」

 

 ブーツの踵が、額を割り弾丸の様に男を吹っ飛ばす。勝った、と確認する前に目の前が白み、重力に身体が捕らわれる。俺は、受け身も取れず地面に叩きつけられる。どこかの骨が折れた感触。だが、どこが痛んだかわからないほど疲弊していた。

 ……これは、まずい。気を失ってしまう。それは駄目だ。意識が切れる寸前、僅かに残った力で舌を噛む。稲妻のような痛みが脳髄に響く。血反吐を吐きながら、両手で地面を握りしめる。半ば博打の様な気付けだったが、上手くいった様だ。

 俺は口の中の物足りない感触にゾッとしながら、地を這う姿のまま男を探す。かなり遠くに蹴り飛ばした気がしたのだが、男は同じような姿で近くに転がっていた。呼吸が出来ることから男の意識は刈り取れているようで、安心する。

 後は、起き上がって止めを刺すだけ。立ち上がるにはもう少しだけ時間はかかるだろうが、それくらいの時間はまだ……

 

「……酷いザマね、北斗」

 

 あると、思っていた。だが、その感情を押し殺した様な声を聴いた瞬間、そうではないと気付かされる。

 ……間に合わなかった。失敗した。俺の選択は、最悪の一つ手前の結果に誘導することしかできなかった。俺の嘘は、僅かな時間稼ぎにしかならなかった。

 後悔し、絶望する。そして……もしかしたら勘違いかもしれない、なんて欠片すら存在しない希望を抱きながら顔を上げる。

 

 

 

 

 

 だが、そこには紅白色の巫女が毅然とした表情で立っているばかりだった。


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