東方影響録   作:ナツゴレソ

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119.0 告白とさようなら

 鋭い痛みが胸を貫く。

 これまで何度も殺されかけて、死ぬほど痛い思いをしてきたが、今回はそのどれとも違う。心を手掴みにされながら、刃を突きつけられた様な剥き出しの痛みがあった。

 スマホが手から落ち、強風に騒めく眼下の林へと落ちていく。腹部で異物感が主張し続けている。俺は歯を食いしばりながら、震える手で腹に刺さった包丁を抜き捨てた。

 内臓に届くほど深く刺されていたはずなのだが、蓬莱人の力は凄まじく数秒の内に治ってしまう。もう傷跡一つ残っていない。

 だが、胸の痛みは消えることなく、絶え間なく責め立ててくる。

 

「センパイ、大丈夫……なんですね」

 

 反射的に心配してしまったのであろう早苗が微妙な顔で聞いてくる。が、俺はそれに答えられない。我ながら女々しいが、正直平気ではなかった。

 俺は痛みを紛らわそうと、大きく息を吐く。そんな俺の姿を、こいしは何も言わず虚ろな瞳で、ジッと見つめていた。

 ……刺された理由はなんとなくわかる。俺と同じく思い詰めやすい性格だ、これくらいはやると思っていた。それに、こいしが俺のことを他人より好いてくれていることも気付いていた。

 わかっている。だから俺はこいしの能力も鑑みて、こう尋ねることにする。

 

「こいし、いつから見ていたんだ?」

「……最初から」

 

 躊躇いがちにこいしが呟く。風の中で僅かに聞こえた声の震え、それだけで俺は全てを察した。

 こいしは生贄のことも、不老不死のことも、霊夢への想いも知ってなお、俺を止めようとしている。こんな鉄の刃ではなく、感情の刃で傷付けて、俺を心の底から諦めさせるために。

 俺はふと、こいしのサードアイに目を遣る。瞼に当たる部分が不恰好に縫われて開かなくなっていた。それだけじゃない、管の部分には生々しい傷跡がいくつも残っていた。

 他人より傷付きやすくて脆い、こいしの心を形にしているかの様で苦しい。どんな気持ちで俺を刺したのか考えるだけで足が竦みそうになる。だが……それでも、背筋を伸ばしこいしと向き合う。

 

「見ていたなら分かるだろう。俺はもう止まれない。だから……」

「北斗、私はね。霊夢のことが嫌いなわけじゃないの」

 

 何とか説得しようとするが、脈略のない言葉で遮られてしまう。

 いや、言葉だけじゃない。こいしの表情を目の当たりにして、俺は二の句を継げなくなる。帽子を抑え微かな笑みを浮かべながら、静かに涙を流す彼女の姿を。

 

「どっちかというと、好きな部類に入ると思う。だけど……もし、二人が死にそうでどちらかしか救けられないとしたら、私は迷わず北斗を選ぶよ」

「……こいし」

「私は北斗が誰より好きだから。他の誰に恨まれてもどうでもいい。北斗が私のことを嫌いになっても……絶対に行かせないから」

 

 ……これは決意だ。俺が霊夢を救けるために手段は選ばないと心に決めた様に、こいしは自分の恋を犠牲にしてでも俺を止めようと誓ったのだ。その事実が、更に胸の傷を抉る。

 まだ足りないのか。また誰かの思いを踏みにじらないといけないのか。どうして、こんな酷い事しかできない俺を止めようとしてくれるのか。

 こいしが、両手を広げる。臨戦態勢だ。もう、やるしかない。俺もホルダーからお札を抜こうとする。

 が、その手を誰かが取る。振り向くと、早苗が小さく首を振っていた。

 

「センパイは先に行ってください。こいしさんの相手は、私がします」

「……ダメだ。早苗は手を出さないでくれ。こいしはきっと、俺が決着を付けないと納得しない」

「そうかもしれません。けれど、センパイには時間がないでしょう?」

「………………」

 

 早苗の言う通りだ。博麗大結界の封印は解かれつつある。それに霊夢もあの場所に向かおうとしているはずだ。あの男との決着をつける時間を鑑みても、もう時間はない。

 だが、こいしがこんな思いつめたのは自分のせいだ。それを、よりにもよって早苗になんとかして貰おうだなんて、無責任にも程があるだろう。

 覚えて欲しい、とは思う。だが、こんな形でこいしを、二人を傷付けたくはない。ならせめて、俺が出来ることを……やるしかない。

 俺は早苗の手を振り払い、再度お札を構えようとする。だが、またすぐ早苗に制される。トン、と背中で身体を押され無理やり前に回られてしまう。

 

「ッ……待て早苗!」

「『奇跡「神の風」』

 

 制止するが、もう遅い。既に早苗はスペルを発動させてしまっていた。龍神の起こす嵐よりも強烈な風が早苗を中心に渦巻き、俺もこいしも怯んで下がってしまう。

 

「……お邪魔虫はやめてよ早苗! 何にもいいことなんてないんだからッ!」

「そういう訳にはいきません。センパイに後悔してもらいたくない。だから私はここにいるんです!」

 

 早苗はこいしの苛立ちの声に毅然とした態度で返す。

 しかし、烈風に髪を乱されながらこいしと対峙するその背中に、迷いは微塵も感じられない。確固たる覚悟があった。

 吹き荒ぶ嵐を弾幕と共に放つ。光弾を木の葉の様な身軽さで躱すこいしだが、その表情は苦悶に歪んでいる。トレードマークの烏羽色の帽子もあっという間に飛んでいってしまっていた。

 

「そーやっていい子ぶって後悔するのは早苗なのに! 貴女だって北斗がいなくなってほしくないでしょ!?」

「そうですね。嫌です。きっとこれから何回も後悔して泣くことになりそうです」

「だったらッ!」

「けれど、だとしても私はセンパイが望むままにしてほしい。センパイが好きだから、センパイの望みを叶えてあげたい。それは……おかしいことですか?」

 

 早苗の混ざりっけのない白の様な、静かでありながら純真で劇烈な言葉に、俺は何も言葉が出てこなくなる。とても嬉しくて、悲しい。ここまで言ってくれる彼女が本当に眩しくて……

 好きだという気持ちは胸に焼きつく程にわかる。けれど、どうして、ここまでしてくれるのか。

 気迫に押されたのか、こいしが後退する。いや、ただ下がったわけじゃない。こいしは袖で目元を拭うと、早苗を睨み返す。右手には既にスペルカードが握り込まれていた。

 

「おかしいよ。それに可哀想。そんなことしても後悔しか残らないよ?」

「それは、お互い様です」

「違うよ、全然違う。北斗は……ここに、残るんだから! 『「ブランブリーローズガーデン」』ッ!」

 

 早苗の起こす風の中に薔薇型の弾幕が混ざる。それと同時に身体がこいしに向かって引き込まれていく。風に押された訳じゃない。目に見えない引力に捕まっていた。

 こいしも本気だ。別れ離れになりたくない一心で、本気で俺を止めようとしている。

 幻想郷で生きたい。こいしを見ていると、昔の俺にはなかったごく単純な欲望が、腹の底から這い上がってくる。迷いが身体に絡みつき、動きを鈍くさせていた。

 ……ふざけるな! たかが一年前に来た死にたがりが、今更になって!

 天狗の翼を広げ全力で羽ばたくが、迷っていた時間が仇となる。既に全力で飛んでもその場に留まることしか出来なくなるほどの距離まで吸い寄せられてしまっていた。

 花の嵐の中心部、薔薇の花の中ではこいしが両手を広げ待っていた。自分の瞳を殺し、誰にも見つけられなくなった少女が、一人になりたくないと呼んでいる。それに応えられるのは……

 

 

 

「この……馬鹿ッ!」

 

 その時、顎骨に強い衝撃が走る。強烈な打撃に脳が揺れ、意識が飛びかける。ボヤける視界の中には、拳を突き出した早苗の姿があった。

 

「何しているんですかセンパイッ! 先輩自身の覚悟を……私の気持ちを無駄にするつもりですか!?」

「さ、なえ……!」

「行ってッ! 行ってくださいセンパイッ! 貴方が後悔しない様に!」

 

 早苗は両手で俺を突き飛ばすと背後から迫る弾幕を魔法陣で防ぐ。よく見るとその姿はボロボロで、俺を殴るためだけにどれだけ傷付いたかがうかがわれた。

 今の一撃は効いた。前にも一度殴られたが、その時以上だ。物理的にも、精神的にも。だがお陰で……

 

「目が覚めた。すまない早苗」

「……謝らないでください。どれだけボロボロでも前に進み続けるのがセンパイなんですから。せめて、最後まで好きでいさせてください」

 

 そう言いながら早苗は俺に背を向ける。一瞬見えたその横顔の頰には、雫が流れていた。

 ……もう迷ってる姿を早苗に見せるわけにはいかない。霊夢に生きてもらうために、早苗を幻滅させないためにも、俺は辿り着かなければならない。

 俺は早苗と背中合わせになる。服越しに伝わる熱から、彼女が泣いているのがわかった。

 

「さようなら、センパイ。初恋でした。『秘術「忘却の祭儀」』」

「早苗、どうか……幸せに。『剣伎「紫桜閃々」』」

 

 俺はせめてもの祈りを告げながら、早苗と同時にスペルを発動させる。この願いがせめて彼女に影響を与えられるように、と。

 ……ふと、頭の奥の方でずっと掛かっていた錠前が、外れたような気がした。が、その扉の先のものを確認する時間はなく、俺は霧雨の剣の柄に手をかけ、集中力を溜める。

 

「無茶言わないでくださいよ、馬鹿」

 

 風を踏みしめた瞬間、早苗が小さく吐き捨てる。返す暇も言葉もなかった。

 居合で風と弾幕を切り裂きながら、空間を連続で蹴る。内臓が飛び出そうな程の圧力を感じるが、それも僅か。先程の苦戦が嘘のように簡単に、こいしの重力から逃れた。

 もう振り向くことは許されない。俺はその勢いのままに無縁塚へ向かって飛んだ。

 

 

 

 

 

 ……もし、たらればの話をするならば。彼女ともう少し話す時間があったらならば、伝えたいことがあった。

 心を閉じた彼女が、寂しいと感じる様になってくれて、嬉しかったと。俺が変わっていけたように、再び心を開こうとしてくれて、嬉しかったと。

 

『私は……ずっと一人……』

 

 怨霊の中でそう呟いていた彼女が、ここまで変われたのに。それだけでも伝えられたら他の誰かに、もっと心を開けていたかもしれないのに。

 俺は飛行速度を無理やり上げる。この思いを振り切らないと、戻ってしまいそうだから。身体がバラバラなりそうな程の加速に、身を委ねながら紫の桜を目指す。

 

 

 

 ……思い出したことがある。記憶の深淵の奥にある扉の向こうの景色。桜の舞う田んぼの土手道で、彼女は俺を見つめていた。彼女はもう二度と会えないと、僅かにはにかみながら言った。俺は理解できなかった。

 確か、その時の俺は高校を卒業して遠くに行く予定があった。けれど、たまにはここに戻ってくるだろうし、後輩の様子を見に行くくらいどうってことなかった。

 なのに、彼女は首を横に振り、一方的に別れを告げたのだ。

 

『さようなら、北斗先輩。初恋、でした』

 

 彼女は泣きながら、たしかにそう言った。これは元の世界で封じられた、記憶。彼女が幻想郷に旅立つ日。それ以降、俺は彼女のことを忘れてしまう。もう一度、出会うあの日まで。

 俺は言葉にならない叫びを上げながら、嵐の空を駆ける。俺はこんな悲しい告白を、俺は二度もさせたのか。どうして、こんな、最後になって、覚えてくれてありがとうとすら言えないまま、また二度と会えないのか。

 

 

 

 瞳を失った少女への小さな願いと現人神と呼ばれた普通の女の子が起こしたもう二度とない奇跡。それを踏み越えてでも、前に進むしかなくて。俺はただ行き場のない感情を意味のない声に乗せて放つしかなかった。


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