東方影響録   作:ナツゴレソ

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117.0 清算とスケープゴート

 強風と凍る雨の中、俺は妖怪の山の麓、守矢神社に至る参道の入り口に降り立つ。

 寒空の下で待っていたのは早苗だった。和傘を差し静かに佇む彼女の前に立つと、笑みを返してくれる。普段なら花が咲いたような明るい笑顔で出迎えてくれるはずなのだが、今日のそれは淡く憂げなものだった。

 

「お疲れ様です、センパイ。約束、守ってくれました?」

「……あぁ」

 

 開口一番に尋ねられ、俺はやや俯きがちに素っ気なく答えてしまう。すると、早苗は何も言わずジッと顔を見つめてくる。もしかして嘘をついていないかと疑っているのか。あるいは自分のしたことに後悔しているのか。

 もし後者だとしたら聞かなければならない。早苗がどうしたいのか、どうなりたいかを。だから、まずは約束の件について聞く。

 

「早苗、どうして霊夢に告白させたんだ?」

「……センパイは誰かと約束しないとしてくれそうにありませんから」

「随分ヘタレだと思われてたんだな、俺」

 

 自嘲気味に笑うと、早苗もつられたように口元を抑える。けれどそれも僅かな時間で、すぐにお互いに黙り込んでしまう。

 枯葉がさざ波のように残響していく。互いに距離感を掴めていないような気まずさに息が詰まりそうだった。

 俺が霊夢に告白したのは……もちろん自分の意思いもあったが、早苗と約束をしたからだった。全てを終わらせるつもりなら、全部ちゃんと清算して欲しいと、早苗に言われたからだった。

 清算……早苗の言うそれがなんのことかははっきりわからない。だが、少なくとも俺はまだそれが出来ていないと思っていた。

 

「なあ早苗、俺は……お前のことだって大事に思っている。だから、自分を犠牲にするようなことを」

「やめてください。それを、センパイが言っても意味が無いことくらい自覚してくださいよ。私はただセンパイの願いを叶えたいからここにいるんです。それに……」

 

 言い淀んだ言葉は飲み込まれ、封殺される。決して口に出すまいとキツく真一文字に結ばれた唇を見たら、それ以上聞き質すことは出来なかった。

 ……早苗は何を言いたかったのか。わからない俺はやはり鈍感なのだろうか? 慕ってくれている彼女の思いすら汲み取れない自分に嫌気が差す。

 

「……悪かった。早苗の好意に甘えているのは俺なのにな」

「いえ、そんな……」

「もう行こう。きっと、あの人も気付いただろうし」

 

 そう促すと早苗は重い足取りで歩き出す。俺はその数歩後ろに付いていく。やや丸くなった背中に、後悔を覚えながら。

 俺達は良くも悪くも、元先輩と元後輩の関係性を守ってきた。いや、二人の関係を守り続けたのは俺じゃない。早苗だ。俺のことをセンパイと呼び続け、思いを秘めて壊さないよう我慢していたのは早苗なのだ。

 

「……そこまでしてもらえるほど、俺は早苗に何かを与えられていたか?」

 

 独り言は聞こえなかったようで何も帰ってこない。

 そう、何も……何も清算していない。なのに俺はそれを自覚しながら背負ったもの踏み倒す道を選んでいた。

 

 

 

 

 

 空も飛ばず、時間をかけて妖怪の山を登る。目指したのは中腹あたりにある小さな滝……初めてここに来た時、椛と戦った場所だ。

 その薄暗い滝壺の側に、闇に溶け込むような翼を持つ影が二人。天魔さんと文だ。山伏の正装を着込んでいるが、文の方は腕や羽に包帯を巻いている。あの影響を操ると自称していた男にやられたのだろう。一つ、借りが増えた。

 俺達が着くや否や、天魔さんはいつもより落ち着いた様子でゆっくりと微笑む。

 

「来たね北斗ちゃん……いや、最後の博麗の巫女、と呼んだ方がいいかしら?」

「博麗の巫女は変わらず霊夢ですよ。ただ力を借り受けただけの男に肩書きなんていらないでしょう」

「随分やさぐれてるわねぇ……いや、貴方にとっては後世に名前が残らない方が好ましいか」

 

 天魔さんはそう呟くと微かな笑みを浮かべる。そこに皮肉のニュアンスはかない。まるで子供の我儘に根負けしたような諦念だ。

 と、天魔さんの隣に立つ文と目が合う。しかし、すぐ顔を逸らされてしまう。普段は一方的であっても饒舌な文だが、今日は喋りたくないようだ。

 

「さて、貴方がここに来たのはもう一人の影響を操る男の居場所を知りたいから。それで間違いないのよね?」

「はい、天魔さんなら何か知っているかと思いまして」

「まあね。けれど、アレは幻想郷を滅ぼそうとした。北斗ちゃんがどうこうしなくても、あの男は紫が消すわ。されなくても、私が始末する」

 

 天魔さんは笑みを絶やさないまま、軽い口調で言う。けれど、瞳の奥には薄暗い炎が宿っていた。

 チャンスがあれば宗教異変の時の借りを返すつもりなのだろう。というより幻想郷を統べる者として絶対に生かしておけないという決意がそこにあった。

 実力。立場。どちらの観点から見ても紫さん、あるいは天魔さんが適任だろう。だが、それでも譲れない。

 

「あいつは俺が倒さないといけないんです。そうじゃないと俺は、終われない。何も清算出来ない。この一年のこと全部ここで終わらせる。そして……」

「自分は生贄になって元通り。それで許されると思っているの?」

 

 唐突にそれまで黙っていた文が口を挟む。向き直ると、文は闇の中に散った火花のような怒りの表情を向けていた。その感情に気付いた瞬間、早苗が俺を押しのけるように前に出てくる。

 文が握る刀が、早苗の喉元に添えられていた。切っ先が震えている。怒りにか。それとも何かを恐れているのか。

 

「……退いてください、早苗さん」

「どきません。センパイは私が守ります」

「味方面して、貴方のせいでもあるでしょう!? 貴女が北斗に真実を打ち明けていなかったらこいつがこんなこと言い出すこともなかった!」

「ッ……出歯亀しといて偉そうなッ!!」

「やめろッ!」

 

 鋭い恫喝に、文と早苗が閉口する。制止を掛けたのは天魔さんだ。俺は、自分の事だというのに……何も言わず立っていることしか出来なかった。滝に水が落ちていく音が騒々しくて、イライラが募る。

 言わないといけない。早苗のせいじゃないのだと、俺が決めたことで誰かが責められることなんてあってはならないから。

 

「早苗、下がってくれ」

「センパイ、私は私のしたことに責任を持ちたいんです。センパイが望むなら……センパイが私の中からいなくなっても!」

「早苗! いいから。大丈夫だ……わかってるから」

「………………」

 

 強めに諌めるが、早苗は動かない。ただ少しは頭が冷えたようだ。何も言葉が返ってこないのを確認して、俺は滝の音量に負けないように、冷たい空気を吸い込んでから喋り出す。

 

「文、俺はよかったと思ってるんだ。あの時点で気付いてなかったら、きっと間に合っていなかった。今、何も出来ない自分が許せなくて死んでいたと思う」

「……簡単に死ぬなんて言わないでよ」

「そう、だな。簡単には死ねない。だから、俺は決めたんだ」

 

 

 

 ずっと考えていたことがある。俺はどうして今まで命を賭けて誰かを救おうとしてきたのかを。

 

「龍神の生贄には俺がなる」

 

 きっと俺は、自分の命を何かに置き換えたかったんだ。無為に散らすのが許されないなら、誰かの為に命を使いたかった。誰かの気持ちが蔑ろになることから目を逸らしながら、自分の命の意味を他人に押し付けようとしていたんだ。

 そして、死に損ねて、彷徨った最後は幻想郷に……霊夢の元に辿り着いた。

 

 

 

 俺の言葉に誰も驚きはしない。ただ早苗は顔を逸らし、文は力なく刀を下ろす。そして天魔さんはしばらく目を閉じてから、苦笑いを浮かべる。

 

「なるほど、まさしくスケープゴート、というわけね」

「………………」

「確かに今の君は巫女の代わりができるほど成長しているわ。いや、影響の力を鑑みれば霊夢ちゃんより適正があるかもね」

「……ありがとうございます」

 

 褒めているつもりなのか嫌味なのかはわからないが、天魔さんからそう言ってくれるのは心強い。自分の力が足りなくて結果結界を維持出来ませんでした、じゃあ悔やんでも悔やみ切れないからな。

 しかし、安心している暇もなく天魔さんが言葉を連ねる。

 

「実に君らしいやり方だわ。けれど、輝星北斗らしくない」

「………………」

「聞いていいかしら? 常に誠実で筋を通し抜こうとする貴方が、何故霊夢に嘘を吐いたの?」

「……打算的な理由は色々あります」

 

 例えば、霊夢に俺を追わせて人柱になるまでの時間を稼ぎたかった、とか。保険としても意味合いもある。もし俺が身代わりになった後霊夢が巫女としての役目を果たせなかったと責められた時、俺が邪魔したことにすれば矛先は向かない筈だ。

 そして……とても身勝手で女々しい理由もあった。

 いずれにしろ、嘘を吐くメリットはあっても正直に話すメリットはない。そう考えているのだが、どうやら天魔さんは気に入らないようで落胆したように溜息を吐く。

 

「そこが君らしくないんだよ。どんなに回り道になっても、否定されても、逃げずに真正面から向き続けてきた君はどこにいったんだい?」

「……それができないから嘘を付くしかなかったんですよ。もうゲームは始まってる。なら、今ある手札を切るしかないじゃないですか」

 

 言い訳臭くなる自分の言葉に堪らなくなる。本当のことを言ってるはずなのに、まるで自分が死にたいが為に動いているみたいに錯覚してしまう。

 違う。違うからこそ、俺は彼女達を裏切ったのに。

 

「説得する時間はなかった、と言いたいの? 貴方と霊夢との関係はそんなものだったの? 一年も一緒に暮らした相手なのに冷たいね」

「ッ……! 全部正しいようなことを言う!」

 

 図星を突かれつい相手が誰を忘れて突っかかってしまう。だが、胸倉を掴んだ拳は固く解けない。八つ当たりだとわかっていても、止められなかった。

 

「説得できるならしていたさ! けど俺が霊夢の代わりなるなんてアイツが許す筈ない! それしかなかったんだ! こんな俺じゃあ、霊夢が悲しむやり方しか見つからなかったんだよ! 魔理沙に偉そうに説教しといてこれさ!」

「北斗ッ!」

「センパイッ!」

「あるなら教えてくれよ! 誰も悲しまない犠牲にならない方法があるなら! 全部見えるアンタならそれくらいわかるだろ!?」

 

 早苗に羽交い締めにされても、文に腕を掴まれても言葉を叩きつけ続けてしまう。

 本当は自分自身に言いかった言葉ばかりだった。出来ることなら馬乗りになって動かなくなるまで拳を振り下ろしながら、罵るように言ってやりたかった。

 無理やり引き剥がされ、ようやく自分が醜い醜態をさらしていることに気付く。血の気が引いていく脳内で必死に詫びの言葉を探していると、天魔さんが崩れた服を直しながら小さく首を振る。

 

「そうね、誰もが納得する解決方法は私も持ち合わせていないわ。それに霊夢との関係に関しては、私が口を出せることじゃなかったことも認める。だから……」

 

 天魔さんが視線を逸らす。いや、俺の後ろに目を向けた。背後に立つ早苗かと思ったが違う。他の森の中にいる誰かに……振り向いて確かめる。

 

「……私だったら言えるよね」

 

 青い翼、淡い髪色と肌。そして悲しそうに歪んだ顔。それを見た瞬間、胸が締め付けられるような感覚に襲われる。

 あぁ、そうだ。俺と霊夢との仲に口出しできるとしたら……一番近い場所に居た彼女だけかもしれない。

 

「火依、お前は……」

「止めに来たよ、北斗。そして、貴方を止めた後霊夢も止める」

 

 そう言いながら火依は緩慢な速度で茂みから出てくる。今にも泣きそうな表情とは裏腹に、強気な台詞が返ってきて俺は内心驚く。

 そうか、火依は霊夢にも俺にも付かないのか。意外、だが火依らしい選択だと思う。だが……

 

「無理だ。俺と霊夢に勝てないことくらい火依だってわかってるはずだ」

「……やってみないとわからない」

「それに俺と霊夢、どちらかが人柱にならないと幻想郷が滅びる。そうしたらお前だって……」

「滅びればいいよ」

 

 拗ねた子供のような言動が、癪に触る。ただの感情論、それ以下の駄々っ子だ。いや、違う……これは同族嫌悪だ。

 足が動く。勝手に拳が振り上げられる。火依が幽霊じゃなければ、思いっきり頬を殴りつけていたところだった。火依の身体をすり抜け、背中合わせになる。それでも俺は背後に向けて叫び続ける。

 

「ふざけるなよ火依ッ! 幻想郷にはここでしか生きれない妖怪が沢山いる! 自分もその一人だろうがッ! 全員道連れにして俺と霊夢が残っても何の意味もないだろうが!」

「じゃあ一人が犠牲になればいいの!? 北斗も言ってたじゃないッ! そんな世界、滅びてしまえばいいって!」

「本気で言ってないことくらいわかれよッ! 俺は……幻想郷もお前も大事なんだッ!」

「それ、でもッ! 関係ないッ! たとえ私が消えてしまったとしても……絶対に止めるからッ!」

 

 火依の身体が燃え上がる。近くの木々から火が出そうなほどの熱量。今までに見たことのない力だ。俺はたまらず火依から距離を取ってしまう。

 普通じゃない。自らの霊体を削ってまで力を出しているのか。言葉通り、火依は消えてしまうのを覚悟の上で俺と戦うつもりか。

 

「やめろ火依ッ! そんなやり方……」

 

 間違っている、なんて言えない。これは俺と同じやり方だ。火依は、俺の真似をしているだけ。当然のように自己犠牲を選んできた自分への報いだ。

 これは霊夢も、早苗も……火依だって止めろと言っていたのに従わなかった俺への罰だ。

 

 

 

 だが、謹んで受けるつもりはなかった。

 

 

 

 俺は息を一つ吐き、火依に向き直る。そして肌を焼く感覚も、火依の頬を流れる涙も無視して、一歩踏み出す。

 

「そんなことしても無駄だよ火依。お前じゃあ……いや、誰も、俺を止められない」

「だから……そんなことやってみないとわからないじゃないッ! 『盗火「プロメテウス・メテオ」』!」

 

 巨大な炎の塊が視界を埋める。ゼロ距離の攻撃だ。当然回避も防御も間に合わない。だから、俺はその炎球に両手を突っ込む。

 

「北斗ッ!?」

 

 呼んだのは早苗か、火依か。判別する間もなく、それどころじゃなくなる。

 激痛は一瞬。すぐに感覚はなくなった。瞬く間に全身が燃え上がる。身体中の水分が蒸発するような感覚、焼死。

 こんな感覚、自分から推んで味わうようなものじゃない。だが、輝夜さんと同じ痛みを知ることで、ようやく、自分が、死ねない身体になっていることを実感する。

 

「な、んで……死んでないの、それじゃあ、それじゃあまるで」

「蓬莱人、みたいか?」

 

 俺は焼かれながら治っていく両手を見つめながら呟く。猿真似の影響とは違う。本物の『リザレクション』の感覚を痛みと共に噛みしめる。

 

「これでわかっただろう? 俺には、絶対に勝てないって」


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