東方影響録   作:ナツゴレソ

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115.5 スターシーカー

 北斗の指が、霊夢の細い指先に触れる。その瞬間、まるで彫刻の様に動かなかった霊夢の身体が、靴音と共に動き出す。

 驚きはしない。霊夢と北斗なら……特に北斗の『影響を与える程度の力』ならこれくらいやってのけると想定していた。

 そう、だから殺した。何度も、何度も何度も何度も……北斗が死んでも何とも思わなくなるほど何回も殺した。私が、私じゃない他の誰かが、北斗の力そのものが、最後には必ず北斗を殺した。

 ……そう、きっとこの一瞬が来ることを恐れていたから。

 無音の空間にまたブーツの靴音が鳴る。霊夢は俯きがちに微笑んでいた。

 

「ありがとう、北斗。信じていたわ。貴方が、私を救ってくれるって。ここに、連れて来てくれるのは貴方だけにしか出来なかった」

 

 今まで見たこともない表情だった。喜びを唇で噛みしめる様な、淡く優しい笑み。それを見た瞬間、嫉妬の混濁した、やるせない気持ちになる。私がここまでやってきたことに意味はないと突き放された様な気がしたんだ。

 そして、霊夢をこんな顔にさせた時点で、北斗に負けた様に思えて……みっとも無い問いが口を突く。

 

「……本当に、お前は、それで救われたのかよ? 私は、お前を苦しめていただけなのか!?」

 

 そんなこと聞いて一体何の意味があるのか。答えなんて大方決まっているはずなのに。それでも、北斗の言葉を信じて、間違っていなかったという証を求める。嘘でも、慰めが欲しかった。

 ややあって、霊夢が斜め下に顔を反らしながら呟く。

 

「別に、私は貴方がやったことを迷惑だと思ってないわよ。ただ、そんな姿になってまでやることじゃないと思っただけ」

「………………」

「まあ、アンタらしいと思ったわ。どこまでも往生際悪く頑固になれるアンタが……羨ましかった。私は、誰かのためにそこまで出来ないから」

「だったら……だったら! 何で霊夢はここにいるんだよ。何で私を止めようとするんだよ!?」

 

 そう言いながら私は、癖で頭の帽子に手を伸ばす。けれど、掴んだのは身体に寄生した血管だった。気色の悪い感触に思わず顔をしかめる。

 ……私なんかを羨ましいと思うなら、往生際悪く生きてくれ。人柱なんてならないって、意地汚く頑固に拒んでくれよ。そうしてくれるだけで、私はいつまでだってこの時間を続けられる覚悟ができるのに。

 握りしめた拳を力なく振り下ろしてから数秒後、おもむろに霊夢が口を開く。

 

「アンタが一番よくわかっているでしょう? この時間に、もう答えは残されていないって」

「………………」

 

 ……ああ、そうだ。私はこの常世の幻想郷で、無限の時間の中で、霊夢を人柱にしない方法を探し続けた。けれど……たった一つの答えしか見つけられなかった。

 

「手段が目的にすり変わっている。よくある話よ。アンタはもう、私を救う手立てを探してなんかいない。この時間こそ、貴方が見つけた、私を生かす方法なのよね?」

 

 違う、と叫びかけた喉に嘘が詰まる。今更隠しても意味はない。きっと、いつかは気付かれてしまうって、わかっていたじゃないか。ただ、どうしてこうもままならないのかと嘆きたくなる。

 常識外の紫はまだしも、霊夢と咲夜の記憶をリセット出来なかったのは大誤算だった。そうだ、霊夢の記憶さえ残らなければこんな辛い思いをさせることなく、霊夢を救えたのに……

 伽藍堂だ。手の中に残ったのはこの魔導書だけ。全ての元凶を引き裂きたくなる衝動を、必死に抑えながら……私は目の前の黒い瞳を見つめ返す。

 

「……あぁ、そうだぜ。これが、私が見つけた答えだ」

 

 そして、認める。開き直ったとも言えるかもしれない。けれど、そんな清々しいものじゃなくて私の心は酷い自己嫌悪に苛まれていた。

 答えを見つけられなかった挙句、一番短絡的な解決方法を唯一無二のものだと言い張る。そんな私の姿は……

 

「側から見たら笑い草だろうさ。そりゃあ、霊夢も、北斗も止めに来る訳だ」

「………………」

「けれど、それでも私はこれが唯一正しいと信じてる。こうすることでしか、霊夢の運命を変えることができないと思ったんだよ」

 

 前に進んでも、今より良くなるなんて誰も保証してくれない。後悔した時にはもう手遅れなんだ。なら、立ち止まっていいじゃないか。この時間の中なら、誰も置いて行ったりしないのだから。

 

「霊夢、もう一度聞くぜ。私は、間違っているのか?」

 

 我ながら往生際が悪い。でも、私は……北斗の答えじゃなくて、霊夢の言葉が欲しかった。それが、どんな答えであっても……

 

「ええ、間違っているわ。魔理沙は間違っている。そしてきっと……北斗も、私もね」

 

 キッパリとした声音に反して、随分曖昧な言葉が返ってくる。

 北斗はどっちも間違っていないと言い、霊夢はどちらも間違っていると言う。正反対の答えを並べられるけれど……私はそのどちらもすんなりと受け入れられた。

 

「そうか、だから弾幕ごっこを選んだのかもな」

「………………?」

「いや、何でもない。ただの独り言だぜ」

 

 私は霊夢の不思議そうな視線を、首を振って振り払う。どちらも正しく、間違っているから私達は平行線で交わらない。きっと私達はたわいのない遊びの、勝ち負けの結果でしか折り合えない。

 そうだ、最初から……私が、弾幕ごっこで霊夢を倒したあの時からこうなることは決まっていたんだろう。なのに私は、土壇場でもスペルカードに拘り続けた北斗を嘲笑った。追い込まれた末にブレた私の方がよっぽどカッコ悪いのにな。

 

「……そろそろ決着を付けないとな。さあ、始めようぜ霊夢。また、最初から」

「えぇ、そうね。時間もなさそうだし、終わらせましょうか魔理沙。今日、この瞬間で」

 

 私が右手のミニ八卦炉を霊夢に向け、細胞の一つ一つから掻き集めた魔力を注いでいく。私も霊夢もきっと、この一発分の魔力しか残っていない。

 勝負は単純で一瞬。当てた方が勝ち。そして、どちらも当てられなければ……時間切れで私の勝ちだ。アンフェアな状況は少し気に入らないが……私だって床に縫い付けられて動けないんだ。プラマイゼロだと思ってくれよ。

 

「ッ……ハァ、ハァ……」

 

 自分の呼吸音が耳につく。魔力を込めるに応じて、指先から熱が奪われてゆくのがありありとわかる。存在全部を全てを魔力に変えているかのような喪失感。少し心地良い。

 まるで自分の人生を捧げて親友を生かそうとしているみたいじゃないか……なんて、こんな重たい自己満足の押し付けしか出来なかったから、霊夢に認められなかったのかもな。

 ……何でこうなってしまったのだろうか。ちょっと前まではどんな場面でも弾幕ごっこを楽しめていたはずなのに。今はこんなに……辛い。

 

「それでも私は……お前を生かす! 『恋符「マスタースパーク」』」

「大きな……お世話よ! 『霊符「夢想封印」』」

 

 宣言と同時に霊夢が走り出す。その周囲にはいつの間にか八つの光弾が生み出されていた。速攻する霊夢の動きに触発されてマスパを放とうとするが……寸前で留まる。

 罠だ。愚直に攻めるフリをして、回避からのカウンターを狙っている。ならギリギリまで引きつけて撃てばいい。相打ちはない。同時に撃てば霊夢の弾幕程度ならかき消せる!

 

「来いよ霊夢ッ!!」

「ッ……魔理沙ッ!!」

 

 霊夢が数歩手前まで来た瞬間、最後の一撃を放つ。手の中のミニ八卦炉にヒビが入るほどの全力、この間合いは必中の距離だ。

 ……はずなのに、寸のところで霊夢は横にスライディングしてマスタースパークを躱していた。まるでこうなることがわかっていたかのように。読まれていることまでお見通し、とでも言いたいのかよ……!

 

「ふざ、けるなぁぁっっ!!」

 

 霊夢を追ってマスパで横薙ぐ。反動で腕が折れてしまいそうになるが……いや、腕の骨数本で勝てるなら!

 すぐさま光の柱が霊夢に追いつく。が、霊夢も既に光弾をこちらに放っていた。相殺は間に合わない、このままでは!

 咄嗟にミニ八卦炉を思いっきり握り締める。瞬間、指向性を持たせていた八卦炉が砕け、閃光が目の前に拡散される。指先から血飛沫と爪が飛ぶ。思わず出かけた悲鳴を奥歯で噛み潰す。そして光と涙で滲む視界で八つの光弾が消えていくのを見据える。

 勝った。私は左手の魔導書を強く握り込む。直撃は取れなかったが、霊夢の最後の一撃は防いだ。負けじゃないなら、終わりじゃないなら!

 

「私の勝ちだ」

「私の勝ちよ」

 

 ……それは勝利を確信してしまったが故の気の緩みだった。ほんの僅か数瞬、光の中で霊夢を見失う。そして気付いたときには、途切れ途切れな吐息が届くほどの至近距離に霊夢を入れてしまっていた。

 反射的に背後に飛ぼうとするが、触手に縫い付けられた身体じゃそれも叶わない。

 

「『神技「天覇風神脚」』」

 

 強烈な蹴り上げに顎を撃ち抜かれ、地面から足が離れる。脳と視界が激しく揺れる。それでも目を閉じない。歯を食いしばり、手を伸ばす。

 まるで椿の花弁の様に華麗に舞う彼女の目の端から……微かな雫が溢れていた。

 

 

 

 ……なんだよ、霊夢。泣くぐらいなら、間違ってるなんて言うなよな。

 衝撃と共に触手がブチブチと千切れる音が鳴り響く。一瞬のうちに四連撃を食らった私はあまりに呆気なく、意識を手放した。

 

 

 

 

 

 柔らかいタオルケットの肌触り。随分久しぶりな気がする。長い間忘れていた、抗いがたい感覚だ。やりたいことがいっぱいある気がするのに、今日だけは惰眠を貪りたくなる。出来ればずっと、このままで。

 が、ふと妙な引っかかりを覚えた私は、目蓋を擦り半ば無理やり目を開ける。すると、そこには金髪碧眼の、人形の様な顔があった。

 

「あら、起きたのね。死んだ様に寝てたから一生起きないのかと思ったわ」

「アリ、ス……」

「……もう少し横になってなさい。お茶を入れてくるから」

 

 アリスは開口一番悪態をついたかと思えばすぐ立ち上がり、どこかへ行ってしまう。そこでようやく自分が紅魔館の一室に寝かされていることに気付く。

 

 

 

 そして、私が霊夢に負けたことにも。

 悔しさはあまり感じない。ただ一日掛けて高く積み上げたトランプタワーを崩された様な空虚感だけがあった。今は何も考えたくない。気だるい気分に体が支配されていた。

 壁紙の目に悪い赤色に顔をしかめながら、しばらく無心でベッドの上でゴロゴロしていると、フワフワとした心地に包まれる。誰のかは知らないが、少し大きめのネグリジェの感触も心地よい。

 ……こんなに熟睡出来たのはいつ以来だろうか。覚えていない。きっと、リセット開始より前だろう。思い返せばループが始まってまともに寝れた日なんか無かった気がする。

 

「……まだちょっと眠いな」

 

 額に手の甲を当てると、手に包帯が巻かれていることに気付く。

 所々血が滲んでいるが、指先まで綺麗に巻かれている。それに不思議と痛みもない。アリスが魔法で痛覚を麻痺させているのかもしれない。心なしか、手の感覚も鈍い気がした。

 しばらく天井に手の平をかざしながら手をグーパーしていると、扉を開く音がする。上半身を起こすと、アリスがバケットを持って部屋へ入ってくるところだった。

 

「あまり動かない方がいいわ。自分が思っている以上に貴女の身体、ボロボロだから」

 

 アリスは枕元近くに置かれた椅子に腰掛けると、人形と協力して静かにお茶を入れ始める。それをベッドの上で、仄かに漂う豊かな茶葉の匂いを楽しみながら待っていると、急にアリスが人形を操る手を止めた。

 

「貴女に寄生していたあの使い魔……いえ、邪悪な神の現し身と言った方が正しいかしら? 取り除くのには苦労したわ。心臓まで寄生されていたらしくて、永琳先生も匙を投げかけたほどよ」

 

 邪神の現し身、ねぇ……あまり深く知ろうとしていなかったんだが、どうやら私は相当マズイものを頼りにしていたようだ。

 よくよく考えればあの見えないクソ野郎に勧められたものが安全なものであるはずもなかったか。元より命をかける覚悟はあったけれど、それでも肝が冷えるのには変わりはない。

 

「で、天才が諦めたわりに私はまだ生きてるけど?」

「本を直接燃やしたら一瞬で灰になったわよ。あまりにも呆気なかったからこっちがびっくりしたわ」

 

 アリスは肩をすくめてみせると、お茶に砂糖とミルクを沢山入れていく。まるで子供扱いされているようで、少し腹が立った。そのせいか、少しぶっきらぼうな声音になる。

 

「……燃やしたのか? お前やパチュリーからしたら喉から手が出るほど欲しがると思ったんだが」

「私はあんなのに頼らないわよ。まあ、私もあの本の虫があっさりと燃やしたのには驚いたけれど。それにしても、貴女がこんなものに頼るとも思わなかったわ」

「……棘のある言い方だな」

「刺しているもの。棘とか釘とか色々ね」

 

 アリスはにべなく言うと、押し付けるようにティーカップを渡してくる。中を覗くと唐辛子でも入っているのかというほど赤い液体が波々と注がれていた。

 

「なんだこれ?」

「さあ? 適当な引き出しに入っていた茶葉を入れただけだから私はわからないわ。もちろん味見もしてないわ」

「病みあがりなんだから勘弁してくれよ……」

 

 見た目に反して良い匂いがするものだから口にしようかどうか迷っていると……アリスがバケットから皿を取り出す。パンに目玉焼きを乗せたトーストだ。それを見た瞬間、腹の虫が鳴いてしまう。私はバツが悪くなってつい頰を掻く。

 

「……あー、しばらく何も食ってなかったからな。助かるぜ」

「食欲があることはいいことよ。はい、召し上がれ」

「サンキュー、いただきま……」

「あ、その前に……一つ聞いていいかしら?」

 

 トーストに伸ばしていた手を引っ込める。お預けを食らった飼い犬の様な気持ちで、睨むが……アリスは真剣な顔をしていた。

 

「北斗に事情を話さなかったのには理由があるの?」

「………………」

「彼なら最初から事を話してさえいれば、手を貸してくれたはずよ。例え霊夢を敵に回してもね。それに彼の力さえあればこの異変も……」

「だからだよ」

 

 私はアリスを言おうとした言葉を遮る。

 わかっているさ。アイツの……北斗の『影響を操る程度の能力』があれば、里から畏れを集める必要はなかっただろう。そもそも、この状況に最初から最後まで争い続けていたのは北斗だけだ。アイツが味方だったなら、この状況は揺らぎもしなかっただろう。

 私は紅茶に浮かぶ茶葉のカケラを眺めながら、呟く。

 

「北斗は霊夢の味方じゃないといけないんだよ。アイツが霊夢を裏切ったら、本当に心が折れしまう。それに……」

「………………?」

「影響の力に頼りたくなかった。頼ってしまったら、アイツの才能に負けたような気がするし」

「北斗の……才能に? 貴女が?」

 

 アリスが不思議そうに尋ねてくる。けれど、私は何も答えず、真っ赤な紅茶に口を付けた。あれだけ警戒していたのに、いざ飲んでみるとなんて事はない。柔らかい味わいが口に広がった。

 普段なら自分の弱さを露呈することなんてしない。ましてや誰かに嫉妬する有様なんて、自分自身でも直視したくないのに。霊夢達に負けたショックでメンタルがやられているのかもしれない。

 つい顔を伏せて俯いていると、アリスがトーストの乗った皿を手渡してくる。

 

「……魔理沙は、北斗に勝ちたかったの?」

「かも、な。言ってしまえば結局、私は霊夢を助けたかったんじゃなくて……北斗に勝ちたかっただけなのかもな」

 

 私はその皿を受け取らずに小さく息を吐く。結局私は北斗に負けたくなくて、霊夢に勝つ機会を永遠に失いたくなかっただけなんだろう。いずれにしろ醜い嫉妬だ。自分が嫌になる。

 けど、それでも……届かないとわかっていても、手を伸ばすことをやめられないんだから仕方がない。

 

「たまにさ、霊夢や北斗が眩しい星の様に思えるんだ。いつでも会えるのに、すげぇ遠く見える時があって……悔しいんだよ。なんであんな風に輝けないのかって」

 

 右手でおさげ髪の解けた髪を弄りながら、ある日を思い出す。霊夢と香霖で流星祈祷会をした日のことだ。雲ひとつない静かな冬の夜だった。あの日の星空は今でも鮮明に覚えている。雨の様に絶え間なく降ってきては、闇の中に消えていった輝きに、私は憧れた。

 あの星の様に誰かを照らしたい。どんな暗闇でも一人でも進んでいける強さが欲しかった。例え瞬く間に消える光だったとしても……

 私が思い出と自分の弱さにズブズブ浸かっていると、不意にアリスが呟く。

 

「……自分を観測出来ていないだけじゃない?」

「ん……? 今なんて……」

「何でもないわ。それより、早く食べたら? 紅茶、冷めるわよ」

「あ、あぁ……それじゃあ」

 

 私は困惑しながらもアリスに促されるがまま、トーストに齧り付く。そして、素朴な味付けホッとしながら、さっきの言葉の意味を考える。

 けれど……いくら考えても私に当てはまりそうな答えは、浮かばなかった。

 

 

 

 

 

「そういえば、霊夢と北斗はどうしてる?」

 

 私は弾幕ごっこの痕が残ったままのエプロンドレスに着替えながら、アリスに尋ねる。すると、アリスは椅子に座ったまま指を顎に当てた。

 

「あの二人? 知らないわね。神社に戻って宴会の準備でもしてるんじゃないかしら?」

「適当に言った割にはありえそうだな……」

「気になるのなら見に行ったら? パチュリーが珍しく気を利かせて転送用の魔法陣を直していたわよ」

「……ん、あぁ」

 

 私は曖昧な返事を返しながら、煤けた箒と帽子を手に取る。

 正直なところ、あまり気が進まない。どんな顔してあいつらに会えばいいかわからないし……何を言われるか想像も付かない。まあ、会わないままでいるのも逆に落ち着かないし、行くんだけどさ。

 

「ま、一応様子を見に行っとくよ」

「そう……なら早く出た方がいいわよ。聞いた話だと嵐が来てるらしいから」

 

 まるで母親の様なことを言いながら、アリスがヒラヒラと手を振る。どうやら人形を縫うのに忙しくて付いてこないようだ。ぞんざいに扱いたいのか心配したいのかよくわからないな……

 ま、今回は世話になったし、借りにしといてやるか。私は肩をすくめて見せながら、真っ赤な部屋を後にする。いつも通り、変わらず接してくれたアリスに感謝をしながら。

 

 

 

 

 

 ……荒れてる、とは聞いていたがそれどころじゃなかった。

 魔法陣を通り納屋から出ると、アリスが言う通り雨が降っていた。いや、雨じゃない。地面に溶けかけた氷が積ろうとしている。氷の雨……凍雨か。いや、そんなことはどうでもいい。どうでもよくなるほどの光景が頭上に広がっていた。

 

「なんだよ、あれ……」

 

 私は凍雨を降らせている空を見上げて呆然となる。分厚い雲海の中を何か黒い影が泳いでいる。波打つ様に飛ぶ巨大な影。時より腹が見える。あれは……

 

「龍……ッ!!」

 

 華仙が飼ってる龍なら見たことはある。だが、それとじゃ大きさの比にならないほどデカい。何せ、幻想郷の東の端にある博麗神社からでも、わかるほどに巨大なのだから。

 

「嵐どころの騒ぎじゃないじゃねぇか……!」

 

 気付けば私は全力で駆け出していた。ぬかるんだ地面に足を取られかけるが、それでも止まれなかった。止まれるわけもなかった。もし、あれが私の予想通りの存在なら……急がないといけない。

 今更後悔が募ってくる。なんで、私は負けてしまったのかと。もっと手段なんて選ばずにいればよかったのに! 嫌だ、まだ私は霊夢と別れたくない。まだアイツに勝ってない。一緒にいたいのに!

 

「霊夢ッ!!」

 

 叫びながら神社の表境内に出る。

 すると、まず真っ先に目に入ったのは見慣れた紅白色の衣装だった。境内の真ん中で、お祓い棒片手に突っ立っている。霊夢に対峙するように北斗もいる。右手はすっかり治った様で、柳葉の刃……霧雨の剣が握られていた。

 ……よかった。とりあえずは、間に合った。思わず安堵の溜息を吐く。

 

 

 

 

 

 が、すぐ後悔することになる。博麗神社に来たことじゃない。私が今までやって来たことに、そして霊夢に負けてしまったことを……時を進めてしまったことを!

 

「おい……なん、で、なんでッ! 何してんだよ北斗ッ!?」

 

 私の叫びに反応して、北斗が冷徹な視線をこちらに向けてくる。その手に持つ剣の切っ先は、霊夢の首元に向けられていた。


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