東方影響録   作:ナツゴレソ

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114.5 Last Word

 目の前で星が砕けたかのような衝撃と轟音だった。結界を張っていなかったら、気絶していたかもしれない。

 私は閃光で焼かれた目を押さえながら、なんとか地上に降り立つ。まだ頭がクラクラする。けれど、どうでもいい。今は、北斗と魔理沙がどうなったのか気になって仕方がなかった。

 なんとか薄眼を開けて辺りを見回すけれど、二人の姿は見えない。ただ本棚が悉く崩れて残骸のように積み重なっているだけだ。

 床も粉々に砕けて足の踏み場もない。まともに歩ける床は、もう魔法陣の上にしか残っていなかった。きっとアリスかパチュリーが魔法陣を守ろうとしたのでしょうね。

 ただ、あれほどの衝撃だ。よく見ると、ところどころ白線が途切れてしまっていた。魔法には詳しくないけれど、きっとあのままでは巻き戻しの魔術は発動しないでしょうね。

 ……と、その魔法陣の中、ちょうど私の正面に輪郭のボヤけた黒く大きな背を見つける。

 

「北斗……!」

 

 アイツの姿を見た瞬間、思わず声が出る。

 北斗が来てくれた。救けてくれた。約束を、守ってくれた。

 それが例えようもないほどに嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて。その大きくて頼もしい背中が、とても愛おしく思えて……私はつい手を伸ばそうとする。

 

「霊夢、泣いてる……?」

 

 そんな私に、火依が背後から話しかけてくる。

 不意打ちの指摘に、私は慌てて袖で顔を拭う。確かに袖が微かに湿っている。どうやら本当に泣いてしまっていたようだ。

 私は心配そうに顔を覗き込もうとする火依を、慌てて手のひらで制す。

 

「ちが……そんなんじゃないわ、大丈夫。それより、状況を教えて。まだ視力が回復してないの」

「う、うん。私は段々見えてきてるけ、ど……」

 

 誤魔化し半分に尋ねてみると、急に火依が黙り込んでしまう。そんな様子が気になって私は一体何か見えたのか、尋ねようとする。

 ……けれどその瞬間、目の前の黒い背中が傾いた。けたたましい金属音の中、まるで走馬灯でも見ているかのようにゆっくりと、静かに、北斗が崩れ落ちていく。

 白んでいた視界に、ぼんやりと輪郭が戻ってくる。そこには血溜まりに両膝を突きうずくまる北斗と、それを見下ろす黒髪の少女の姿があった。

 少女は何をするでもない。ただ本を片手に魔法陣の中心に立ったまま静かに北斗を見下ろしている。

 対する北斗も力無く俯いたまま微動だにしない。両肩から血がとめどなく滴っており、その先にあるはずの左腕が……なかった。

 

「っ…………」

 

 私は思わず口元を押さえながら絶句する。火依も隣で声にならない悲鳴を上げていた。

 繰り返される時間の中で何度も見せられた、トラウマの光景。北斗の死。その記憶の残滓が目の前の背中に重なっていく。終わりの光景、また全部元に戻ってしまう。この一週間が、記憶が、思い出が……

 

「駄目……」

 

 止めて、それだけは……止めて。また忘れ去られてしまう。雪の道を二人で歩いたあの時間も、風花の約束も、私の記憶にだけ残って埋没していく。そしていつかは私も忘れてしまって……

 嫌だ。お願いだから……私を独りぼっちにしないでよッ!

 

「北斗に……近寄るなッ!!」

 

 気付けば私は放たれた矢のように、少女目掛けて走り出していた。もう手遅れだ、と頭の片隅から声がする。それでも感情が身体を動かし続けていた。

 私は右手に霊力を高圧縮した陰陽玉を握りしめ、一気に距離を詰める。それでも少女は微動だにしないが……構わず私は構わずありったけの霊力を叩き下ろす。

 

「『宝具「陰陽鬼神玉」』ッ!」

 

 ……後先考えない全力の一撃だった。もしかしたら僅かにだけれど殺意も篭っていたかもしれない。

 けれど、腕から伝わってきた感触は余りにも空虚だった。何か特別なことをした訳じゃない。ただ少女が右手をかざした。それだけで陰陽玉も跡形もなく掻き消えていた。

 愕然としている間もない。すぐさま横薙ぎにお祓い棒を振るおうとするが、それより先に右の手首を掴まれてしまう。細い指が肌に食い込み、骨を軋ませる。人のそれとは思えない握力だった。

 

「この……離しなさい、よ……」

 

 ……悪態をつきながら目の前の少女を睨みつけたところで、気付く。気付いてしまう。

 赤黒く変色した左手の甲に、本の表紙から伸びた血管の束が突き刺さっていることに。しかも、体内に潜り込んで、本に生気でも吸うかのように脈打っている。

 思わず左手から目をそらす。けれど、血管はいつの間にか足元に……魔法陣の上に大樹の根の様に広がっていた。そして、少女の腕や首筋からも、本人のものでない血管が飛び出ていることに気付く。

 まるで人間が樹木に寄生されたかの様なグロテスクな姿を目の当たりにして、思わず吐き気を覚える。

 

「う……そ……」

 

 けれど、何よりショックだったのは……金色に輝いていたはずの瞳と髪が、人の血を煮詰めた様な濁り混じった赤と黒の色に染まっていたことだった。

 

「ま、りさ……」

「……無駄だぜ。今の私には、誰も勝てない」

 

 聞き飽きるほど聞いたはずの声で囁かれると、私は指先一つ動かせなくなる。その姿、声、そして異常な魔力の波動に全身がすくんでしまう。

 

 

 

 ……そして我に返った時には、私は無造作に投げ捨てられていた。

 治りかけていた視界がグルングルンと回転して、またグチャグチャになる。体勢を立て直す間もなかった。床を幾度も転がり、壁にぶつかる。

 

「ッ……ァ……」

「霊夢ッ! しっかりして!」

 

 背中を打つ衝撃で肺の空気が一気に押し出される。火依に呼びかけられなければ、意識を保てなかったかもしれない。

 全身が軋むように痛い。特に握り潰されかけた右の手首と腕の痛みが酷かった。

 私は床をもんどり打ちながら、後のくっきり残った右腕に目をやる。辛うじて動きはするけれど、お札を投げたりは出来そうになかった。

 それでも休んでいられない。私は壁にすがりながらなんとか立ち上がる。そしてもう一度、変わり果てた魔理沙を確認して……絶望した。

 

「……なんて姿してるのよ。アンタ、自分が何をしたかわかってるの!?」

「あぁ、わかってるぜ。何度もやったからな。今更説教してくれるなよ」

「何度も、ってそれじゃあ……」

「こうするしかなかったんだよ。世界を丸々上書きするにはそれ相応の魔力がいる。それを確保するには、幻想郷中の『畏れ』を集める必要があった」

 

 『畏れ』を集める? ……そうか、だから魔理沙はわざわざ時を止めると幻想郷中に公言したのか。幻想郷中、特に里から畏れられるために。そして集めた膨大な『畏れ』を魔力に変え、足元にある魔術を発動させるつもりだったのか。

 ……いつか魔理沙は人を辞め、魔女になるだろうとは予期はしていた。けれど、今の魔理沙は人でも魔女でもない。魔術による強化や不老なんて生易しいものとは比較しようがない存在。

 

 

 

 魔理沙は、既に『人妖』に成り果てていた。

 

 

 

 それも他の妖怪と比べ物にならない、幻想郷全ての畏怖を掻き集めても足りない程の『畏れ』を身体に内包した、正真正銘の怪物だった。

 私は心臓が締め付けられるような感覚を覚えて、胸元を抑える。

 霖之助さんが危惧したことが本当に起きてしまった。里から、人妖が出て、幻想郷を脅かしている。許されざる事だ。

 だとしたら、私は……博麗の巫女としての使命を果たさなければならない。

 

「そんな姿になってまで私を生かしたいの……?」

「……違う。霊夢を殺したい奴らが多過ぎるから、ここまでしないといけなくなったんだ」

「曲解しないでよ! 貴方が勝手にそう思い込んで、勝手に歪んでいるだけでしょう!?」

「歪ませたのは霊夢だろうがッ!」

 

 魔理沙の怒り声に私は身を含めてしまう。

 怖かった。今、目の前にいる異形になりかけた少女が霧雨魔理沙だと信じられなくて……目を閉じたくなる。けれど、魔理沙は止まらない。堰を切ったように、その異形は言葉を連ねていく。

 

「なんでお前も火依も……北斗も、私の邪魔をするんだよ……! 私は、間違ってない! 死者を生き返らせるわけでも、不老不死になりたいわけでもない! ただ、もう少しだけ……もう少しだけ生きてて欲しいって願っているだけなのに!」

 

 ……それは誰もが願うが絶対に叶わない、夜空の星の様な願いだった。

 否応もなく、彼女が霧雨魔理沙だと思い知らされてしまう。まるで恋の様に一途に、まっすぐに突き進んでいく彼女の姿は私のよく知る霧雨魔理沙そのものだった。

 ただ、私が憧れていた魔理沙の、うっとおしいほど眩しい光は失われていた。

 

「なぁ、霊夢。私は間違ってるのか? 大人しくお前が死ぬのを待ってればよかったのか? どうなんだよ、教えてくれよ霊夢ッ!」

「魔理沙……」

 

 口から言葉が出てこない。何も言い返せなかった。さっきまでは、はっきりと魔理沙を否定出来たのに……

 ううん、別に私は魔理沙を否定したいわけじゃない。ましてや死にたいわけじゃない。死にたくない。当たり前じゃない。未練だって数え切れないほどあるし、もっと……北斗達と一緒にいたいわよ。

 だから、私は元に戻って欲しいだけ。少し前の、誰も欠けていない何でもない時間に帰りたいだけなの。それが束の間の安らぎだったとしても、その大切な一瞬を守れるなら、それでよかったのに……

 

 

 

 どうして、こんなことになってしまったのだろう。

 

 

 

「間違ってないよ」

「ッ……」

「魔理沙は、間違ってない。けど……魔理沙のやり方は、霊夢を傷付ける」

 

 不意に聞こえてきた掠れた声で、深みにはまりかけていた私の意識が陸まで引き戻される。

 私に向けられた筈の問いに答えたのは……北斗だった。

 左腕のあった場所からは絶え間なく血が流れ出ていて、足元の血溜まりは広がり続けていた。左腕だけじゃない。身体中に大小様々な傷があるみたいで、身体中から血の雫が滴っていた。

 まるで血の池地獄を泳いできたかの様な格好に、私も、火依も……魔理沙さえも呆然してしまう。けれど、そんな私達を他所に、あろうことか北斗は柳葉の剣を杖に立ち上がろうしはじめる。

 それを見て火依が悲鳴に近い声を上げた。

 

「駄目ッ、動かないで北斗……!」

「大丈夫、だ。俺は、こんなところで……死ねない」

「でも……」

「俺が死ねば、霊夢が諦めてしまう。約束を……破ってしまう。それは、それだけは駄目だ。絶対に……」

 

 北斗は浅い呼吸を繰り返しながら立ち上がると、一瞬だけこちらに視線を送ってくる。あれだけを血を失って、意識だって朦朧としているはずなのに、しっかりと目線が合う。

 ……あのバカはこんな姿になっても、私が隠していたことを知っても律儀に約束を守ろうとしてくれているのか。あんな誤魔化すためだけの酷い約束を。

 

「北斗、私は……」

「なんでそんなにまでなって、霊夢を殺そうとするんだよ!」

 

 私の言葉を遮る様に魔理沙が叫ぶ。それを皮切りに魔理沙の周囲からいくつもの赤黒い光線が伸び、北斗に降り注いだ。

 私が回り込んで庇う暇もない。それは北斗の身体を掠めるように走り抜け、図書館の壁を穿った。

 ……一瞬の出来事だった。冷や汗が全身から吹き出る。

 もし避けようと動いていたら、北斗は死んでいただろう。当てなかったのは、魔理沙の手心だ。いつでも殺せると忠告したいのか、避けると読んだのが外れたか、もしくは……北斗を撃つ覚悟がなかったのか。

 どういった意図かはわからないけれど……攻撃された北斗はボロ雑巾のような身体をよろめかせながら、それでもその場に立ち続けていた。

 

「……魔理沙だって、わかってるはずだ。どちらが間違っているわけじゃない。ただ、手段が対立しているだけだって」

「違う、違うぜ北斗。私は霊夢を生かすためにどんなことでもすると決めた。だが、お前は霊夢を見殺しにしようとしてるんだぞ!?」

「見殺しになんか、しない……」

「だったらなんで!? どうやって霊夢を救けるつもりなんだよ!? 適当なこと言って誤魔化すんじゃねぇよ!」

 

 子供の様に首を振る魔理沙に、北斗が微かに笑う。血だらけで笑うその姿は一見猟奇的だ。けれど、その瞳に淀みは一切ない。ただ真っ直ぐ、魔理沙を見据えていた。

 その姿が夢で見た北斗と重なる。ボロボロになっても、死ぬとわかっていても前に進み続ける。そんなアイツの姿が見るに耐えなくて……諦めようとしたのに。

 

 

 

「それでも……だ。それでも、霊夢は、絶対に俺が救ける」

 

 

 

 それは永遠に失われたはずの、最後の言葉だった。

 あぁ、まったく。何度やり直しても、私が何をしようと北斗は変わらないんでしょうね。

 少し、悲しいけれど、安心した。きっとこれから北斗が生きる道の先に……

 

 

 

 

 

 私がいなくても、きっと、大丈夫だ。

 

「ッ……どうしてお前は、そうやって全部自分の所為みたいに背負ってしまうんだよ!?」

 

 北斗の覚悟を目の当たりにして、魔理沙が赤混じりの黒髪を振り乱しながら叫ぶ。その烈火のごとき感情に呼応して、足元の魔法陣が赤い光を帯びていく。いや、線が光っているわけじゃない。魔法陣の線上をなぞる様に血管が伸び始めていた。

 まさか……血管で魔法陣を描き直そうとしているの!? 魔術に疎い私じゃそれが出来るかどうかはわからないけれど、それくらいの無茶、魔理沙ならやりかねない!

 反射的に北斗達に向かって駆け出す。けれど、そんな私に目もくれず魔理沙は駄々をこね続けていた。

 

「駄目なんだよ! 北斗の方法じゃあ霊夢を確実に救けられない! 私なら絶対に救けられる! 絶対に救けるために、ここまでしたんだから!」

「その方法じゃ、霊夢が苦しむっていい加減受け入れろ! 霊夢だけじゃない。魔理沙だって……」

「ッ……こんなところで私を出してくるじゃねぇ!」

 

 北斗の言葉を遮る様に、超高密度の光弾群を放ってくる。万全な状態でもマトモに避けられないほどの弾幕だ。今の北斗に対処出来るはずない。

 私は火依を連れ、全速力で魔理沙の前に回り込んで結界を張る。二重、三重、火依の炎の力も借りながら幾重にも結界を形成していく。

 

「くっ……」

「霊夢! 私、もう霊力が……」

「わかってる!」

 

 私も、火依も、霊力ももう底をさらうほどしかない。けれど、北斗を殺させるわけにはいかなかった。半ば意地だ。

 癪だけれど、北斗が言う通りだ。北斗が死んだら、私はもう諦めてしまう。二度とここには来れなくなる。だから、きっと、これが……私が、北斗が、魔理沙を止める最後のチャンスだ。絶対に北斗だけは死なせない……!

 

「霊夢」

 

 歯を食いしばり最後の霊力を振り絞ろうとしたその時、唐突に北斗が耳元で囁いてくる。私はこそばゆさに身体を硬くしながら話を聞くけれど……その馬鹿馬鹿しい内容に、さらに顔をしかめさせられる。

 

「……本気でやるつもり? 魔理沙も同じ様なこと言っていたけれど、アンタはどうやっても自分を犠牲にする方法しか浮かばないのね」

「毎回言ってるけど、死ぬ気はないよ」

「当然よ、絶対に殺させないわ。約束、守ってくれるんでしょ?」

 

 約束を守らせるために北斗を守る、なんてまるで言葉遊びの様だ。こんな状況なのに少し頬が緩んでしまう。随分余裕があるわね、私。

 ……もう迷いはない。例えどんなに魔理沙が私のことを思って、自分を犠牲にしていても、私はもう既に北斗を選んだ。私の弱さを受け入れてくれた、北斗を。

 二度と後戻りはしない。例えどんな結末になったとしても……

 

 

 

 ただ、北斗を信じて、明日を迎えるだけだ。

 

 

 

「『Last Word「夢想天生」』』

 

 私は張り巡らせた結界を一斉に解き、全霊力を注ぎ込んでスペルカードを発動させた。


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