「さてさて、どこから入るつもり?」
「どこも何もそこに扉があるよ」
俺はスマホのライトで目の前の闇を照らして、文に指し示してやる。そこには一人が通れるくらいの木製の扉があった。
厨房に食材等を運び入れるための勝手口だ。咲夜さんに買い出しの荷物持ちや仕入れの手伝いを何度もさせられたのでよく知っている。扉には鍵を掛けていないことも。
立て付けの悪くなった扉を壊さないよう気を付けながら引っ張り開けようとしていると、後ろから間延びした声がする。
「へー、意外ねぇ。北斗なら正面から入らないと気が済まないとか言いそうなのに」
「……まあ、状況が状況だからな」
文に頭の中を見透かされているようで癪だが、確かにコソコソと裏から入るのはあまりいい気がしない。
そもそも咲夜さんには無用心だと注意したことがあるのだが……『悪魔の館に盗みに入るのは魔理沙くらいよ』と鼻で笑われてしまった。
レミリアさんも気にしていないようだったからそれ以上は言わなかったが……まさか俺自身がその無用心さ、もとい豪胆さを利用することになるとは思ってもみなかった。
「良心の呵責はあるよ。けど、どこから入ろうと不法浸入は不法浸入だから。わざわざ表に回って入っても同罪だ」
「そういう後ろ向きな割り切り方は流石ねえ」
「……褒めてないだろ」
「後ろ向きだろうと前向きだろうと進んでる道が間違っていなければいいんじゃない?」
いちいち引っかかる言い方をする。加減して扉を引いていたのに、ついイラっときて腕に力が入り過ぎてしまう。
勢いよく扉が開いたと同時に取っ手が軽くなる。嫌な予感がして手の中を見ると……そこには無残に引き千切られたドアノブがあった。
俺は思わず恨みがましく文を睨む。
「あやや、やってしまいましたねぇ。ドンマイ!」
「……わざとらしい」
俺はドアノブを足元に落としながら溜息を吐く。
この異変が終わったら謝らないといけないな。まあ、大図書館でももっと物を壊してしまいそうだが……なんて思いながら、俺は厨房に足を踏み入れる。
中に明かりは一切ない。そもそも外から観察してみても、正面以外に明かりが付けられていないようだった。
きっと地下にしか人が残っていないのだろう。魔理沙とパチュリーさん……それ以外にも誰かいるだろうか?
何はともあれ急がないと……時間は思った以上に切迫している。少なくとも、これ以上休憩している暇はない。
俺はスマホの明かりを頼りに、厨房内をゆっくり進んでいく。当然だが人の気配はない。薄気味悪い静けさが漂うだけだ。
「ん、この感じ……?」
ふと文が足を止めた。その仕草を不思議に思った俺は、何かあったのか尋ねようと文に向き直る。
……が、文の姿を見るより先に、宙に浮かぶ包丁に目が奪われた。
驚きの声を上げる暇もなく、包丁が俺の眉間目掛けて飛んでくる。咄嗟に身体を仰け反らせながら包丁の腹を叩いて軌道をずらす。しかし、包丁は地面に落ちることなく空中で向きを変え、今度は心臓目掛けて突っ込んでくる。
左右はキッチン台で身を躱すこともできない。俺は次に来る痛みを覚悟して、歯を食いしばりながら両腕で心臓を守ろうとする。
「伏せなさい!」
だが肩越しの叫びを耳にして、すぐさま尻餅を突くようにして身体を屈ませる。
次の瞬間、頭上で烈風が走った。風に煽られた包丁は周りのボウルやら調味料入れと一緒に吹き飛び、タイル貼りの壁に叩きつけられる。まるで意志を持っていたかのように飛び回っていた包丁も、ようやく地面に落ちた。
俺は巻き上げられた胡椒にむせながら、立ち上がる。
「ケホッ……荒っぽいな。けど助かったよ」
「いえ……安心するのはまだ早いわ」
そう言うと文は表情で葉団扇を突き出し、包丁がぶつかった壁を指す。見上げる文の顔は暗がりでも険しい表情をしているのがわかる。
俺も警戒しながら、落としたスマホを拾い上げ壁を照らす。しかし、そこには誰も……
「ようやく黒幕が自ら手を下しに来たみたいよ」
「……まったくだよ。辻褄合わせに帳尻合わせ。その末遂に私が出ないといけなくなったわけだ」
突然、いなかった場所に黒いローブを来た男が現れる。いや、現れたというより……元々いた誰かに今気づいたという感覚。こいしの能力に近い感じがした。
「おま、えは……」
「……ああ、そうか。そういえばお前の前に現れるのは初めてだったな。お前が早く退場していれば合わなくても良かったはずなんだがな」
「退場? 何のことだ……」
「素人のアドリブには頭を抱える。特に、退場するはずだった奴がここに至るまでずっと主役のような目立ち方をするんだから……目障りだよ」
訳のわからない臭い台詞を一人勝手にのたまわったと思えば、黒いローブをはためかせながら隠し持っていた包丁を無造作に投げつけてくる。
思いがけず顔に飛んできたので首をいなして躱すが……ギリギリ掠ったようで頬に微かな痛みが走った。俺は思わず顔をしかめる。
明確な憎悪と殺意。俺は、この男を初めてみるが……覚えがあった。
俺はスマホをしまい、息を吐く。普段微かな体温を帯びているはずの吐息が、冬の大気以上に冷たく感じた。
「そうか。お前が今までの異変を起こした張本人か」
「失敬だな。私はトリックスターとして物語を回しただけ……それも仕方がなくだ。影響の力にも限界はあるからな。出来損ないのお前ならよくわかるはずだろう?」
「……何を言っている?」
トリックスター? 物語を回す? 出来損ない?
一体何になりきっているつもりなのかわからないが……とにかく、こいつが今までの異変を手引きしたのは間違いなさそうだ。紫さんが言っていた通り、俺と同じ影響の力を持つ男。
自然握り拳に力がこもる。もし俺がこの力を好き勝手に使っていたらこの男みたくなっていたのだろうか? そう考えると同族嫌悪を覚えずにいられなかった。
それに……こいつのやったことはどうしても許せない。出来ることなら、今すぐこいつを地面に這いつくばらせてやりたかった。
だが、それじゃあこいつの目的を知ることができない。せめて脳内だけは冷静であろうと気を確かに保ちながら、俺は男に問いかける。
「……なんであんなことをした? 何が目的だ? 魔理沙に……何を吹き込んだ?」
「質問が多いな。誰も嫌がることはしてないさ。どいつもこいつも叶いもしない愚かしい願いを望んだから私が助言してやっただけだ。下にいるあの馬鹿な魔法使いの小娘だって……」
だが、男の臭い芝居掛かった言葉を聞けたのはそこまでだった。
右拳から強い衝撃と鈍い感触、そして焼け付くような痛みが伝わってくる。金属音が弾けるや否や、暗闇に血飛沫と折れた歯が舞い飛ぶ。
「あやや……キッツイのが入ったわねぇ」
後ろから文の引きつり気味の苦笑いが聞こえる。気付けば俺はフードの奥に拳を叩き込んでいた。
……人を殴ったことは何度もある。が、顔面に向けて、それも拳の皮が裂けるほどのパンチを撃ったのは初めてだった。
だが、罪悪感は一切ない。今、俺は心の底からこの男を憎んでいた。
「ふざけるな」
異変を起こしたから許せない訳じゃない。妹紅さんは不死からの解放を、こいしは孤独な姉の日の当たる場所を……そして魔理沙は一人の友人の明日を。悩みながら、苦しみながら……それでも求め続けた純真な願いを、まるで玩具で遊んでいるかのように笑ったことが、利用しようとしたことが……どうしても許せなかった。
俺は拳から流れる血もそのままに、男を見下ろす。闇の中のせいでフードの奥は見えないが……微かに呻き声が聞こえる。
男は頭を抱えながら立ち上がると、口から血混じりの唾を吐き捨てた。
「……あぁ、クソッタレ。これだから野蛮なやつと話すのは嫌なんだ。人の話を聞きやしない」
「性根も腐った奴に言われたくない。フードを取って顔を見せろ」
「はっ……不意打ちの一発を当てたくらいで粋がって!」
そう吠えると男は急に右腕を高々と上げる。それと同時にそこら中の物をポルターガイストの様に浮かべ、こちらに向かって飛んできた。
刀があれば弾いて前に進むこともできたかもしれないが、今は封魂刀しかない。すぐさま結界を張ろうとするが、それより先に文がキッチン台を駆け上がる。
「粋がっているのはどっちかしら!?」
葉団扇を一閃させ再び猛烈な風が起こす。男を飛んできている物ごと壁に叩きつけようとするつもりか。
いつもより風の威力が強い。もしかしたらこれが文の本気なのかもしれない。そう思いながら追撃の準備に腰のホルスターからお札を抜く。
「……本当にどちらだろうね。無駄というのに」
「なっ……」
だが、男は風をもろに受けても微動だにしない。ボウルも、包丁も、風すらも男の身体を完全に通り抜けていく。まるで、男自体が投影であるかの様に。
俺はついお札を持つ手を下げて呆然としてしまう。
「幻術か……?」
「ククッ、そんな子供騙しじゃないさ。私は確かにここにいる。けれど、誰も触れられない……こんな風にな!」
そう言うと男は俺に向かって高速で近付いてくる。
ローブの上でもわかりやすく、右腕を振りかぶっている。軌道は横から……右フックだ。簡単に防げる。俺はそれを左腕で受け止め、カウンターでもう一撃右の拳を叩き込んでやろうとする。
「ぐっ……」
しかし、次の瞬間、視界が激しく揺れていた。頬の痛みにたじろいだ俺は、後ろに数歩よろめく。
確かに防いだはずの右の拳が思いっきり顔に入った。それにカウンターも全く手応えがなかった。
いや、視界の端に僅かに捉えていた。男の顔を通り過ぎていく俺の拳と、ガードした俺の腕をすり抜けながら迫る男の拳を。
俺は文と一緒に勝手口前まで下がる。口の中は血の味が広がっていた。
こちらから触ることすら出来ず、一方的に干渉されてしまう。こいつの能力は……
「触れられるものを選べるのか……?」
「……それは応用の一つさ。言っただろう? 影響の力だと。そしてお前は私の……劣化品だ」
応用、劣化品、そして……影響の力。ちょうどさっき会った青娥さんの言葉を思い出した。今、俺が出来ることが俺の能力の全てだと限らないと。
そう、もし影響を与えるだけじゃなく影響をなくすことが出来たとしたら……!
「私の力は『影響を操る程度の能力』! 一方的に与えることしかできない、いや……他人を捻じ曲げることすら躊躇するお前では到底辿り着けないステージに私はいるんだよ!」
……俺の上位互換の能力。他者からの影響をなくせば、弾幕に当たらないどころか触れるものすら選べるってわけか。
青娥さんの見識は案外的外れではなかった様だ。これは……紫さんの『境界を操る程度の能力』に匹敵する力だ。
まさに無敵の力を前にして気後れするが……同時に疑問も浮かんだ。触れるものを選べるならば、どうして俺の拳はあの男に当たったのだろうか? あいつのミスか? 不意打ちだったから反応できなかったか? それとも……
何か閃きそうになるが、その前に文が背中越しに話しかけてくる。
「……北斗、先に行きなさい。この男は私が相手するわ」
「相手って、こいつには何も攻撃が効かないのにどうやって……」
「やりようはあるわ。それに貴方が今優先しないといけないのは魔理沙でしょう? 私は個人的な恨みもあるからこいつ優先なの」
「………………」
文が俺の背に手を乗せてくる。柔らかい手に、力が入っているのがありありとわかった。俺は息を吐きながら目を瞑る。
……ようやく姿を現した黒幕をこの手で倒せないのは、正直言って剛腹ものだ。
だが、おそらくこいつを倒しても魔理沙は止まらない。先に進んでいるであろう霊夢や火依を信じていないわけじゃないが……それでも後詰として俺も向かわないといけないだろう。
それに今のところ、こいつには攻撃が効かない。時間稼ぎに徹されれば、魔理沙を止める時間は無くなってしまうだろう。いや、もしかしたらこいつはそれを狙っているのかもしれない。だったら、こいつの思い通りになるわけにはいかない。
「……頼んだ!」
今は文を信じるしかない。俺は背中を押されるまま男に突っ込む。勢い任せの体当たりだったが、当然のごとく体をすり抜けさせて躱される。
勢い余って床を転がり壁に激突する最中、背後から嘲笑が聞こえてくる。
「無様な! 不意打ちが二度も通じるもの……」
だがすぐさま起き上がり、男の後ろにあった厨房出口へと脇目も振らず走る。背後から光弾が幾つも飛んでくるが振り向くことはしなかった。
ここからの道程はよく知っている。俺は一心不乱に大図書館へ向かって飛ぶ。
「……これが終わったら絶対に、お前を倒す」
そして魔理沙達の前で土下座して謝らせてやる。俺は血が出るほど噛んでいた唇を舐めながら、そう心に決めた。