東方影響録   作:ナツゴレソ

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112.0 選択の答えと強者

 遂に辿り着いてしまった。俺は浮き足立ちかけている思考を落ち着かせようと、白い息を吐き出す。

 そして、意を決して見上げる。結界と柵の向こう側、紅月に照らされたその紅い洋館はおどろおどろしくも美しかった。

 紅霧異変の時もこんな紅い月夜だったらしいが……その時の霊夢や魔理沙はこの館を見てどう思ったのだろうか? 大方趣味が悪い、なんて悪態を吐いてそうだが。

 ……妨害がなければだが、きっと霊夢は俺より先に紅魔館に辿り着いているだろう。もしかしたらもう魔理沙に会って弾幕ごっこを始めているかもしれない。

 

「俺も急がないと……」

 

 霊夢の実力を信じていないわけではない。だが一度魔理沙に負けたのをこの目で見ているのもあって、不安を感じずにいられなかった。

 俺は両手を見つめながら軽く指を動かしてみる。かじかんでいて感覚が鈍くはあるが、それも無視出来るほどだ。

 紫さんが用意してくれた焚き火と飛行中の風のおかげで、服も乾いてきている。代わりに体温はかなり奪われたが……身体が動かない程ではない。十分戦える。

 

「よし」

 

 まずはなんとかして結界を超えないといけない。抜け穴を探す時間はなさそうだし、否定結界を使って無理やり突破するしかないだろう。

 連戦で疲弊しているのもあって、出来れば魔理沙に会うまで極力霊力を温存したかったのだが……入れなければ元も子もない。

 俺はお札を抜いて意識を集中させる。

 

「ようやく見つけたわ」

 

 が、不意に響いた声に意識を奪われる。後ろ……森の方からだ。すぐさま振り向いてお札を投げようとするが……大袈裟に両手を上げる姿を見て、止める。

 

「……なんだ、文か。紛らわしい」

「ぞんざいな反応ねぇ。霊夢じゃなくてガッカリしたかしら?」

「………………」

「あやや、ちょっとした冗談じゃない。そんな酷い顔しないでよ」

 

 俺は思わず顔を隠す様に口に手を当てる。自分では表情を殺していたつもりだったのだが、顔に出てしまっていたらしい。自分の不器用さに凹んでいると、文はわざとらしく話題を変える。

 

「それにしても随分遅い到着ねぇ。こちらからしたら都合がいいけれど」

「……色々あってね。文こそ幻想郷最速らしくなく遅い到着じゃないか。霊夢や火依と一緒じゃなかったのか?」

「えぇ、少し用がありまして。霊夢達には悪いけれど、はぐれたフリして別行動させてもらったわ」

「用……?」

 

 俺が眉をひそめると、文が何気なく数歩横にズレる。奥には闇の中に浮かぶ冬木群しかないが……

 いや、目を凝らしたら辛うじて見える。誰か……いる?

 

「こんばんわ北斗ちゃん。数日ぶりね」

 

 つい最近聞いた声とあまり好きになれない呼び方で、ピンとくる。

 案の定影から現れたのは天魔さんだ。だが、今までと纏う雰囲気が違うことに気付く。

 剣呑……とは違う。今にも膝を突き、かしずいてしまいそうになる程の、威圧感を覚えていた。先まで気配を一切感じ取れなかったというのに……

 

「……こんなところに天狗の長が居ていいんですか? まさか天魔さん直々に手伝ってくれるわけではないでしょう?」

 

 震えを隠しながら声を振り絞るが……自分でも緊張混じりのそれなのがわかる。舌がうまく回らない。霧の湖で嫌という程水を飲んだのに、今は口の中がカラカラだった。

 どうにか聞こえる音にはなっていたらしく、天魔さんは笑顔で言葉を返してくれる。

 

「ええ、残念ながら。けれど、もしかしたら北斗ちゃんを助ける形にはなるかも」

「……どういう意味ですか?」

 

 曖昧な台詞に首をかしげるが、天魔さんは答えてはくれない。

 ただ俺の背丈以上ある長い錫杖の石突で地面を叩きながら、緩やかな歩みで近付いてくるだけだ。

 その錫杖に取り付けられた鉄輪が鳴るたびに、全身が金縛りに遭ったかの様に強張る。術の類じゃない……恐怖で身体が竦んでいた。

 言動や態度、文の様子からして怒りを向けられている訳じゃない、と思う。なら天魔さんは一体何に向けて威圧しているのか……

 

「それより北斗ちゃ……いえ、外来人、輝星北斗に聞きたいことがあるの。答えてくれる?」

 

 俺が緊張で回りの鈍った頭で考えていると、天魔さんが改まった様子で訪ねてくる。

 

「私はね、幻想郷に貴方がやって来たその日から見守っていたわ。監視の意図あったけれど……貴方に期待していたの。色んな事柄を変えてくれるんじゃないかって、予感がしていてね」

「………………」

「だからこそ、聞いておきたいの。天狗の長として、一人の妖怪として、二つの側面から貴方に尋ねるわ」

 

 天魔さんは錫杖の石突きを首元に突きつけてくる。その一挙手一投足に殺意はまったく感じられなかった。故に俺は一切反応出来なかった。

 

「輝星北斗、貴方はこの異変の真実を知った。そしてこれから貴方は博麗霊夢の死か、博麗霊夢を裏切るのか選ばないとならない訳だけれど……答えは出ているのかしら?」

 

 ……それはずっと頭の中でずっと首をもたげていた問いだった。

 このまま、霊夢の望むまま異変を解決していいのか。たとえ霊夢が傷付くとしても霊夢が生きる未来を選ぶのか、揺らいでいた。

 ……揺らぐ? 違う。絶望していただけだ。あまりに救いがなさ過ぎて絶望し打ちひしがれていただけ。

 結局のところ、どうしたいかなんて決まっているじゃないか。

 

 

 

 ……選択肢はない。だが、答えは最初から持っていた。

 

 

 

「霊夢は俺が救けます。そう約束しましたから」

 

 俺は突きつけられた錫杖を掴み返す。不思議なことに先まで身体を縛っていた恐怖は消えていた。

 この状況……懐かしい。デジャブすら覚える。初めて幻想郷に来たあの日も死を賭けた選択を突きつけられた。あの時はまだ何もわからず、ただ張りぼての使命感と申し訳なさだけで答えた。

 だが今は……はっきりと自分の意思を持って立ち向かえた。

 

「そして異変も解決します。俺が、魔理沙を止めます」

「……異変を解決すれば、人柱の運命から逃れるすべはなくなる。貴方がもたらした明日が霊夢を殺すかもしれないのよ?」

「この時間が終わらない限り霊夢は苦しみ続けます」

「永遠の苦痛より安らかな死、なんて貴方らしい考え方ね」

 

 俺は天魔さんの意地悪を鼻で笑い飛ばしてやる。その手の皮肉は言われ過ぎてもう聞き飽きた。というか耐性が付いていた。

 今更死んだほうがマシだなんて言うつもりは、もうない。それが誰かの死なら尚更に。

 俺は錫杖から手を離し、息を思いっきり吐き出す。

 

「死なせません。異変も解決しますし、霊夢を人柱にもさせないです」

 

 どちらかなんてない。どちらを選んでも霊夢を救えないなら、その選択に意味はないから。

 それを聞いて逆に天魔さんが鼻を鳴らす。石突を喉仏に添え、さらに圧を強めてくる。

 

「今度は得意の理想論? 貴方の強欲にも思える姿勢は嫌いじゃないけれど、いつか一兎も得られず全てを失う時が来るわよ」

「……それでもやります。不可能に近い理想論を成立させるのが、俺の『影響を与える程度の能力』です。例え確率がゼロでもやってみせますよ」

 

 毅然と言い返すと、天魔さんがパチクリと瞬きする。その隣で静観していた文も組んでいた腕を解いて、まじまじとこちらを見つめてきていた。

 しばらくして天魔さんの威圧感が緩まり、錫杖も下げられる。

 

「へぇ……北斗ちゃんは自分の力が嫌いだと思っていたのだけれど、私の勘違いだったみたいね」

「嫌いでしたよ。でも、これがなければここまで来れませんでしたから」

 

 それくらいわかっている。影響の力が幻想郷に導いてくれた。魔理沙に、早苗に、火依に……霊夢に、みんなに引き合わせてくれた。

 そのことには感謝している。だから、俺も少しくらい信じてみることにした。それだけだ。

 

「結局、この影響の力も自分自身のものですからね。いい加減自分と向き合わないと」

「……いいね、最初の頃とは大違い。前向きになったじゃない。ま、リセットの数日前後もなかなかショボくれていたけれど」

「う……」

 

 その時の俺は相当カッコ悪かっただろうから、今すぐ忘れてもらいたいところだ。まあ、ぬえや星さん、白蓮さんの叱咤のおかげで自分の力の向き合い方を考えるようになった訳なんだが。

 天魔さんのプレッシャーから解放され手の汗をズボンで拭いていると、天魔さんが翼をはためかせクッと腕を前に伸ばし笑う。

 

「何にせよ、北斗ちゃんが異変解決を諦めるって言わなくてよかったわー! 場合によっては殺さないといけなかったもの」

「……それ、冗談じゃないんですよね」

「どうだろうねー? ま、本当に良かったわ。これで……殺すのは一匹で済みそうだ」

 

 えっ、と聞き直す暇もなかった。まばたきする一瞬のうちに頭目掛けて突きが飛んでくる。

 奇跡的に首を横に逸らして躱すと、背後で挽肉を潰した様な湿った音がする。そこでようやく悟る。

 

「酷い挨拶じゃない。久方振りの再会にさぁ」

 

 俺の背後に何か……いる!

 横っ飛びしながら反転すると、そこには闇を纏う金髪の女性が立っていた。石突は彼女の左眼を抉ろうとしていたみたいだが、直前で伏せがれた様だ。女性の顔半分が闇に覆われており、石突きを受け止めていた。

 ルーミア、しかも幼い姿じゃなく俺に意味深なことを言ってきた大人の姿をした方だ。

 

「本当に久しぶりだねえ、天魔。北斗は数日振り。ほら、言った通りすぐ会えたでしょう?」

「北斗ちゃん、私の後ろまで来て。こいつと貴方は決して戦ってはいけない。文、北斗を任せます」

「あらら、無視? そんな警戒しなくても北斗は殺さないってば。この子のおかげで私が出てこれ……」

 

 ルーミアがおどける様に笑いながら何か言いかけるが、けたたましい金属音がそれを遮る。天魔さんが錫杖を振るった音なのはわかる。

 だが、薙ぎ払いなのか突きなのか一切見えなかった。そして、ルーミアがどうやってそれを防いだのかも。

 本能が警告する。今の俺ではこの二人に到底勝てない。これが幻想郷の強者の、本気……

 

「……喋っている途中に殴りかかるなんて野蛮が過ぎるわね、この鳥畜生」

「お前は封印されてる間に随分弱くなった様だ。今のは挨拶じゃないか。私達にとってのね」

 

 天魔さんとルーミアとの間に一触即発空気が漂う。さながら火薬庫の中でタバコに火を付けるかの様な、危険過ぎる雰囲気だ。決して仲は良くないみたいだが……何か因縁があるのだろうか?

 そういえば天魔さんは別件でここに来たと言っていたが……もしかしてルーミアに会うためだったのか? だとしたら先まで放っていた威圧感にも納得がいく。

 ……なにせ今、天魔さんから、先とは比べものにならない程のプレッシャーを感じているのだから。

 半ば置いてけぼりの状況下のまま修羅場に巻き込まれ、困惑と萎縮をしていると……不意に文が俺の右手を取った。

 

「北斗、ここは拙い。裏手に回るわよ」

「待ってくれ、二人は……」

「北斗には関係ないことだし、二人に巻き込まれたら本当に死ぬわよ。それに……貴方には何より優先してしないといけないことがあるでしょう?」

「……わかった」

 

 文の真剣な説得に俺は釈然としないながら頷く。

 確かに俺には関係ないことだろうし、不用意に首を突っ込んでいい事柄じゃなさそうなのも察していた。気になると言えば嘘にはなるが……

 俺は睨み合う二人を横目に、屋敷の裏手に向けて走りだした。

 

 

 

 

 

 紅魔館の裏口に辿り着いたところで、俺は文の手をそっと振り払い立ち止まる。すると文も足を止めて俺の方に向き直った。

 

「……なぁ、文も霊夢のこと知っていたのか?」

「知らなかったわよ。けれど、何かあるとは思っていたわ。じゃなければ天魔様が博麗神社に直接来たりしないだろうし」

「そう……だな」

 

 そういえば霊夢と天魔さんが二人きりで話をしていたことがあった。その時俺は然程気にしていなかったな……感が悪過ぎだ。

 内心自分の鈍感さに落胆していると、カツカツと文が靴音を鳴らしながら近付いてくる。何か言われるのだろうか、と顔を上げるが……

 

「お待ちしていましたわ、北斗様」

 

 聞こえたのは別の声だった。文が振り向くその先、いつの間にか青髪の女性が妖艶な笑みを浮かべて立っていた。

 彼女は……先日早苗とお茶した時に話をしたな。名前は、確か青娥さん、だったか。早苗といい、天魔さんといい、今日は随分待ち伏せされてるな。

 

「どうしてここに? いや、そもそもどうしてここに来るってわかって……」

「深い理由はありませんわ。ただ、貴方の力になれればと思いまして。私はただのしがない仙人ではございますが、壁抜けの術には自信がありまして……」

 

 そう言うと青娥さんは髪からかんざしを一本抜き取り、それで結界に大きめ丸を身体いっぱい使って描き始める。そして弧が繋がり円になった瞬間、その通りキレイに穴が空いた。

 

「どうぞお入りくださいな。どうやらもう霊夢さん達は入られているみたいですわよ」

 

 青娥さんが微笑を浮かべながら結界の穴へ誘おうとする。しかし俺は、足を動かさない。素直に彼女を信用しようとは到底思えなかった。

 そもそも結界を破るためだけに来てくれたとうそぶくなら、正面で待っているべきだろう。なのに裏口で待っているってことは……俺と天魔さん、そしてルーミアの話を聞いていたことになる。

 隣の文も険しい顔で前に出てくる。右手には葉団扇が握られており、警戒しているのがありありとわかった。

 

「仙人……しかも邪仙の類の貴女が、なんでわざわさ北斗を助ける必要があるのかしら?」

「あら、人を助けるのに善意以外の何かが必要かしら? ねえ、北斗様?」

「………………」

 

 含みのある視線が絡みついてくる。まるで貴女の心中は何でも知っていると言わんばかりの表情だ。

 ……どうもこの人は苦手だ。さとりさんの様に心の内が完全に見透かされているなら開き直れることも出来たが……青娥さんに関してはそれがわからない。

 いや、というより彼女と喋っていると、自分自身がどう思っていたのかわからなくなっていく様な感覚がするのだ。まるで霧が立ち込める峠に迷い込んだように。

 だから俺は肯定も否定もせず無言を貫いてみたのだが……青娥さんはより笑みを深くした。

 

「安心してくださいな。本当に裏はないのですよ。ただ……貴方が恩を感じてくれるなら、私もここまで来た甲斐があるというもの。その程度なのですよ」

 

 そう言って青娥さんはスカートを軽くつまみ上げながら、一礼する。この胡散臭さ……紫レベル、いや、それ以上だ。

 

「ということらしいけれど……どうするつもり、北斗?」

「……どうするも何も、やることは決まっているから」

 

 それだけ言って俺は青娥さんの空けた穴を屈みながら通ろうとする。その瞬間、カサッと右手の中に乾いた感触がする。

 不思議に思って軽く握っていた手のひらを開いてみると、そこには小さな和紙の切れ端が入っていた。しかも、何か書いて……

 

「………………」

「どうかご武運を、北斗様」

 

 ……俺は背中越しに掛けられた言葉に何も返さない。代わりにその和紙をくちゃくちゃに握り締め、ポケットに突っ込んだ。


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