地鳴りが大図書館に響き渡る。遠くの本棚からバサバサと本が落ちる音がして、私は思わず顔をしかめた。
夜明けまで耐えれば勝てるこの戦いで、籠城するのは至極当然のこと。けれど、よりにもよって紅魔館の大図書館に居座らなくてもいいだろうに。
「まったく……迷惑掛けるなら、本を勝手に持っていくだけにしてほしいわね」
……まあ、屋内でこれほどの広さを確保できるのはここぐらいなのはわかるのだけれど。こっちはいい迷惑だわ。
私は足元の巨大な魔法陣に目を一瞥してから、椅子の背もたれにもたれかかる。大図書館中心に置かれていた机と椅子は全て端に寄せられており、いささか窮屈だった。
いつもなら恨み節を一つ二つ言ってやるところなのだけれど……今の魔理沙には、冗談一つ言える気がしなかった。
「……パチュリー、魔法陣は?」
「保護まで完了してるわ。床ごと破壊されない限り、魔法陣は消えないわ。それに小悪魔に何度も見直しもさせた。間違いはない。後は……魔力を流すだけでいつでも起動するはずよ」
まあ、魔理沙からもらったメモが正しかったらの話ではあるが。こればっかりは原本を見せてもらえないのだから確かめようがない。
結局、小悪魔は終ぞあの本の中身を盗み見ることはできなかった。ただ実際に自分の手で魔法陣を書いたおかげで、あの本の正体がある程度見えてきた。
どうやらあの本は……『復元方法が書かれた記録機』の様だ。あの本に一週間前の幻想郷の情報を完全に記録し、魔術により復元、上書きすることで幻想郷を丸々リセット……作り直しているみたいなのだ。
……つまり私達は知らずのうちに存在ごと消し去られて、生まれ直していることになる、のかもしれない。
私はあまりの途方もなさに本を読む気も失せ、ただ魔法陣の縁をつま先でそっとなぞる。
ゾッとする話だ。魔術は不可能を可能にするための術ではあるけれど、幻想郷丸々再構築するなんてまるで創造神の様じゃないか。北斗の影響の力なんて比にならないわよ。
……いや、確かに理論上では可能なのかもしれない。けれど、幻想郷を作り変えるほどの魔力を、エネルギー量を一体どうやって確保するつもりなのかしら? はっきり言ってしまえば、不可能だと思うのだけれど……
椅子に座ったまま考えに耽っていると、魔理沙が割って入る様に話しかけてくる。
「もうすぐ霊夢達が来る。私が相手をするから、パチュリーは他を置いても魔法陣を守り切ってくれ」
「……わかったわ」
「任せたからな」
魔理沙はそれだけ言うと、書架に背を預け黙り込んでしまう。
普段からお喋り好きな魔理沙らしくない素っ気ない返し。それに一瞬誰が話してるかわからないくらいに重々しい声音に、私は雑音を聞かされているような不快感を覚えてしまう。
この一週間、魔理沙はずっと静かだった。
何かしら調べ物したり思い出したかの様に館外に出ていくことも、しばしば見受けられたが……それ以外の時間はここでジッとして動こうとしなかった。
気味が悪い。はっきり言って今の魔理沙は私の知っている魔理沙らしくなかった。
「……はぁ」
私をそんな彼女を本越しに見つめながら、溜息を吐いた。
……なんて、私は魔理沙の何を知ったつもりでいるのかしら? 彼女の、本当の目的すら知らされていないのに。
永遠亭の姫達は……いや、信実を知らない者達はこの状況自体を求めているみたいだけれど、どうやら魔理沙にはそれ以外に目的があるようだった。
レミィと咲夜、あと守矢の風祝あたりは知っている様だけれど……過去の私も今の私も、まだまだ真意にまで辿り着く事は出来ていなかった。
「……まったく、憂鬱ね」
私の溜息に同意する様にそう呟いたのはアリスだ。対面の席に座わる彼女は仕切りに指を動かしながら、足を組み替える。
三日前から魔理沙を手伝いたいと合流してきた彼女だけれど、その顔には疲れが見えた。魔法開発に煮詰まっている時以上にやつれている。
無理もない。私も同じく疲労を感じていた。身体ではなく、精神……心が。
アリスはふと人形を操る手を止め、グッ、と椅子の背もたれに寄りかかった。
「明日には何もかも一週間前に元通り。こんな状況じゃあ人形一つ縫えないわ。不毛過ぎるもの」
「……なんて愚痴る癖に、貴女は魔理沙を手伝うのね」
「それは……興味本位よ。アイツがこんな滅茶苦茶な魔術式を、どうやって起動させるのか、気になるもの。貴女だってそうでしょう?」
「……まあね」
同じ魔法使い、魔女として、この大規模な魔術をどうやって成功させるのか、興味がないと言えば嘘になる。またレミィに頼まれて手伝っている側面もあるのも認める。
けれど、一番気になっているのは……過去の私の行動だった。
私は傍に置かれた一冊の本を手に取り、開く。ページの余白には書いた覚えのない、私の字で書かれた端書きがあった。
『28週目、第6夜。また北斗がやってきて、死んだ。これ以上続ける理由がわからない。霊夢も、咲夜も限界が来ている。魔理沙は何を考えているのだろうか』
この悲痛な文章は前回の、リセット前の私が書いた日記だ。この本には特殊な魔術を施しており、時間リセットの影響を受けないようになっていた。
一部特異点がいるようだけれど……時間リセットが行われると、幻想郷内の事象だけじゃなく住民の記憶も失われる。
どうやらそれは私も例外じゃないようで、今の所この日記でしか過去を窺い知ることができない状態だった。
で、だ。問題は、これまで計28回の時間リセットが行われているのに、肝心の最終日の記述が……魔術の起動方法、魔理沙の目的、それらが一切書かれていないことだった。
書けなかったのか、はたまた書かなかったのか。確かめないといけない気がした。そうしないと、後悔する気がして……
どうせ真相がわかっても忘れてしまうくせに、ね。そう思うと自ずと口の端から愚痴が溢れる。確かにアリスの言う通り、不毛だった。
「……こういう時、レミィの『運命を操る程度の能力』が羨ましくなるわね」
「藪から棒にらしくない事言うわね。てっきり私は、動かない大図書館は他人のことなんてどうでもいいと思っているのかと」
「私だってないものねだりくらいするわ。誰彼構わず口に出さないだけ」
「あら、それこそ意外じゃない。そんなに私を買ってくれていたなんてね」
何を勘違いしているのか、アリスはこちらにウィンクを飛ばしてくる。別に他意はないのだけれど……ただ誰でもいいから弱音を吐き出してしまいたいほどセンチメンタルな感情になっていただけだ。
苦し紛れに手元の本を机の上に放り投げる。それと同時に、バン、と大きな音が大図書館に響いた。入口の方、扉の音だ。
紅魔館の周りには絶えず結界を張っているし、館内はアリスの人形とそれを繋ぐ傀儡糸で見張っているはずだ。
私は横目でアリスに目配せする。
「誰?」
「……人形も糸も反応はないわ。味方ならこんなまどろっこしい出入りの仕方しないでしょう? なら……」
私とアリスは同時に立ち上がる。魔理沙も書架から背を離し箒を手に取り臨戦状態だ。
もし味方ならこんな私達を騙す様な入り方はしない。まあ、レミィ辺りは冗談でやりそうではあるけれど……今頃彼女は戦場で暴れまわっているでしょう。だとしたら考えられるのは……
三人で入口を注視していると、室内にモヤ……白い霧が掛かっているのに気付く。
咄嗟に口元を抑える。確かにカビ臭いところではあるけれど、室内に霧ができるわけがない。明らかに人工的な霧だ。吸い込めば身体に何が起こるかわからない。
「コホッ、コホッ……『金土符「ジンジャガスト」』」
私は席を抑えながらなんとかつむじ風を生み出し、霧を一気に吹き飛ばす。本がボトボトと落ちる音もするけれど、仕方がない。
瞬く間に霧は大図書館の端まで追いやられた。そんな中、霧の中から人影が現れる。
高身長で体格がいい。けれど、眼鏡と落ち着いた佇まいが知的さを意識させる銀髪の青年……
彼を見た瞬間、魔理沙が帽子の上から頭を掻いた。それは僅かだけれど、魔理沙らしい仕草だった。
「……よりにもよって、お前が一番最初に来るのかよ。香霖」
「少しズルをさせて貰ったよ。そうでもしないと、僕が北斗や霊夢に追いつけないからね。まあ、結局追い抜いてしまった形になったんだけど」
「なら来るまで待ってても構わないぜ」
「その必要はない。悪い魔法使いを懲らしめるくらい、僕一人でやってみせるさ」
彼は確か森近霖之助……だったかしら? 咲夜がたまに行く店の店主だ。
青年は落ち着き払った様子で私達の前までやってくると、眼鏡をかけ直す。左手には赤く錆び付いた柳葉型の剣を下げている。随分切れ味が悪そうな剣ね。
と、その剣を見た魔理沙が僅かに反応する。
「その剣……」
「『霧雨の剣』だ。君が持ってきたんだから、一目でわかっただろう?」
「……なんでそんな鉄屑を、今更」
「僕は弱いからね。道具に頼るしかないのさ」
霖之助は剣身を撫でながらそう言うと、また大図書館内に霧が立ち込めてくる。どうやらこれは彼が生み出している様だ。
あれはマズい気がする。私はすぐさまつむじ風で吹き飛ばそうとするが……
「パチュリー、手を出すな! お前は魔法陣を守ってくれ! アリスもだ!」
そう叫んだのは魔理沙だ。すぐさま箒にまたがり、霧を切り裂くほどの速度で飛び立つ。
愚直に飛び出していったけれど……わかっているのかしら? この霧はただの目眩しじゃない。少なくともアリスの感知を無効化する何かを持っている。きっと闇雲に攻撃しても意味がないはずだ。
なんて老婆心を働かせるのも癪なので、私は渋々ながら言われた通り魔法陣手前まで下がる。
「まったく自分勝手ね!」
「………………」
同じく後退するアリスの愚痴に内心で同意しながら、私は魔法陣の外縁に沿って結界を張る。
北斗がしてきた例の攻撃にも耐えられる様改良した自信の結界魔術だ。簡単には破けまい。けれど、念には念を入れて……
「アリス」
「わかってるわ。上海、蓬莱!」
さらにアリスがその周囲に二体の人形と感知用の傀儡糸を配置する。少し過剰ではあるけれど、これで鉄壁。魔法陣を破壊されての負けはなくなった。
けれど万が一……魔理沙が負ければ、時間リセットは行えなくなる。その時点で私は終わりだ。魔理沙はそこら辺理解して指示していると信じたいけれど……
「『魔空「アステロイドベルト」』」
魔理沙は天井近くまで飛び上がると、八卦炉を構え絵に描いたような星型の弾幕を霧の中に打ち下ろす。
膨大な量の弾幕だ。あれなら霧の中の何処にいようとも関係ない。弾幕ごっこどころか空も飛べなさそうな彼なら尚のこと、避けられはしないだろう。この霧がただの霧じゃなければ、だけれど。
流星群が次々と爆ぜ、霧を吹き飛ばしていく。けれど、霧が晴れた先に霖之助の姿はなかった。
「消えた……?」
「まさか。そんな妖怪じみたこと、半人半妖の僕じゃできないさ」
私の呟きに、至近距離から誰かが答える。背後を振り向くと、魔法陣を挟んで反対側に霖之助が立っていた。
瞬間移動した!? 一体どんな手を使って……!?
「はあっ!!」
霖之助は柳葉の剣を両手で振り上げると、結界に切っ先を突き立てる。激しい衝撃が結界を伝って室内全体を駆け抜けていく。机の上の本類も吹き飛んでしまった。だから嫌だったのに……!
衝撃は十数秒続くけれど……パンッ、と風船が弾ける様な音と共に、霖之助が結界に弾かれる。そして床を数度転がってから、フラフラと片膝をつきながら起き上がる。
「ッ……流石に結界は破れないか。こんな時霊夢の得意技が羨ましくなるな」
「……ないものねだりは女々しいわよ」
結界越しに私が言うと、横からアリスにジト目で睨まれてしまった。ちょっとした冗談じゃない……
と、反対側から低い笑い声が聞こえてくる。見ると、霖之助が片膝を付いたまま両肩を揺らしていた。
「くく……そう言われると僕も弱い。なにせ半人半妖だからね。半端者の性根がついてしまっているのかもしれない」
「自分の身体のせいにするのは良くないわ」
「それはわかっているさ。でもどうも色々後悔が多くてね……今回のことだって後悔してるんだよ」
そこまで言うと、霖之助は剣を杖にしながらゆっくりと立ち上がる。かなりの負荷がかかったはずなのに、柳葉の剣にはヒビ一つ入っていない。あれは……ただの剣じゃなさそうね。
霖之助は誰かさんの真似か、大きく息を吐いてから剣先をこちらに向けてくる。
「けど、もうしない。今、僕は後悔しないためにここにいるから。必ず……止めてみせるよ。魔理沙」
またもや霧が立ち込めていく。どうやら霖之助にとっての生命線はこの霧みたいね。
彼、まだまだ得体が知れない。やはり手助けした方がいいかもしれない。そう考えた私は上空の魔理沙に向かって、叫ぼうとする。
けれど、それは魔理沙の豆鉄砲を食らった様な表情で止められてしまう。
「……そうか。お前は、あの香霖すら変えてしまうのか」
「魔理沙……?」
「やっぱ凄えやつだよ。北斗」
どうして北斗の名前を出したのかわからないけれど、魔理沙は独り言を言い終えるや否や、弾幕を放ちながら霧の中へ突っ込んで行ってしまった。
その顔は先ほどまでのそれとは違う。彼女らしい、呆れるくらい楽しそうな表情を浮かべていた。