東方影響録   作:ナツゴレソ

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108.0 月と太陽

 フランちゃんが七色の翼を煌めかしながらゆっくりと降りてくる。その姿を、俺とレミリアさんはただ眺めていた。いや、きっとレミリアさんは混乱しているだろう。フランちゃんが、ここにいる意味を考えているはずだ。

 フランちゃんは俺の隣に着くと、掌を差し出してくる。

 手の中には小さな熊のぬいぐるみがあった。元はフランちゃんに貰ったもので、俺が手紙と同封したものだ。

 

「ホクト……手紙、読んだよ」

「うん」

「この子……ぬいぐるみのおかげでホクトの場所もわかった。全部ホクトの予想通りだね」

 

 予想通り? そんなことはない。俺は首を振った。

 そもそもフランちゃんがこの場に来てくれるかどうかすらわからなかったのだから。

 

「まったくだよ」

 

 俺がぬいぐるみを受け取ろうとしたその時、俺とフランちゃんの間を裂くように紅い槍が通り抜けていく。

 危うくフランちゃんのぬいぐるみが壊れるところだった。俺はぬいぐるみをポケットにしまいながら、それを投げた張本人を睨む。

 レミリアさんは腰に手を当てながら、楽しそうに肩を揺らしていた。

 

「運命を操るこの私を弄ぶなんてね……一体どうやったのかしら?」

「……俺は大したことはしてませんよ」

 

 ただぬいぐるみに魔術の細工をして、俺の魔力を追いかけるようにしただけだ。アリスさんから習った人形を用いた魔術の一つだが……練習通り上手くいったようで良かった。

 しかし、それ以外のことは何もしていない。手紙にもきっとレミリアさんと戦うだろうことと、ぬいぐるみが俺の居場所を教えてくれることしか書かなかった。

 俺は、フランちゃんがどうするべきか何も伝えはしなかった。

 

「違うよ、お姉様」

 

 フランちゃんが俺の前に立ちながら首を振る。その両手は身体の前で強く握りしめられていた。怖いのか、それとも……

 

「私は……自分で選んだよ。確かにホクトやコイシ達からヒントはもらったけど、私が考えて決めたんだよ」

「フラン……」

「ねぇ、お姉様……私、間違ってる?」

 

 震えた声でフランちゃんが尋ねると、レミリアさんは虚を突かれたように空中で立ち尽くした。

 話してほしい。レミリアさんがそこにいる理由を……せめて、フランちゃんにだけは。

 俺は心の中で懇願するが……レミリアさんは無言でグングニルを構えるだけだった。そんな彼女を見て、俺は口を挟まずにいられなかった。

 

「……レミリアさん!」

「選択に間違いなんて存在しないわ。あるのは後付けの結果論と無意味な後悔だけよ」

「そうやって煙に巻いて!」

 

 俺は怒りのまま力を振り絞り、グングニルとレーヴァテインを生み出す。同時に背中に天狗の翼を現出させる。

 複数の妖怪の影響を同時に受けるのは未知数な部分が多く危険なのは理解している。だが、これくらいしないとレミリアさんに一発入れられない!

 

「なんで、そんなに……そんな頑なに隠すんですか!?」

 

 言葉と共にグングニルを投擲。間髪入れずにそれを追うように全力でレミリアさんに肉薄する。

 当然レミリアさんは自身の巨大な紅槍で俺の投槍を弾く。が、すぐさま弾かれた槍を再度掴み振り下ろす。先程と攻守の立場が逆転する。レミリアさんが俺の一撃を槍で受け止めていた。

 

「……しつこい! 貴方には関係ないことだと言ったでしょう!」

「納得いきません! フランちゃんだってそう思ったからここにいるんでしょう!?」

「時が戻れば忘れることよ!」

「魔理沙は俺が止めます!」

 

 俺は右手のグングニルから手を離し、すれ違うように背後に回り込む。レミリアさんは空振りで僅かに態勢を崩していた。

 すぐさま反転。レーヴァテインを腰だめに構え、突っ込む。

 レミリアさんも振り向こうとするが……遅い。もうレーヴァテインの切っ先はレミリアさんの懐に入り込んでいた。

 

「強欲ね。何もかも抱きかかえようとしても、大切なものを取りこぼすだけよ」

 

 ……はずだった。しかし、紅剣は虚しく空を切る。突然レミリアさんが視界から消えていた。躱された? あのタイミングでか!?

 天狗以上の高速移動じゃないか。いや、それ以上の、まさしく瞬間移動だ。そんな芸当ができるのは……

 

「咲夜さん……」

「久方振り。貴方と戦うことはないと思っていたのだけれど……わからないわね、運命というものは」

 

 俺の位置から十数メートルほど離れた場所に、マフラーを巻いたメイドの姿があった。やや背後に不服そうな顔をしたレミリアさんも浮かんでいる。

 咲夜さんは一瞬だけこちらに視線を送ってから、レミリアさんに向かってうやうやしく礼をした。

 

「お二人と同時に相手されるのはいくらお嬢様でも分が悪いかと思い馳せ参じました。差し出がましかったでしょうか?」

「……咲夜じゃなければ殺していた所ね。ただ貴女も思うところがあってここに来たのでしょう? それを責める気は無いわ」

「お気遣い、ありがとうございます」

 

 咲夜さんが再度礼をする。そんな二人を眺めながら、俺は小さく舌打ちしてしまう。二対一を作りたかったわけじゃないのだが……咲夜さんがレミリアさんと合流するのは、予想中最悪の展開だった。

 咲夜さんの時止めは乱戦でこそ輝く。時を止めれば的確に、確実に敵だけを攻撃し、味方に気を配れる。出来れば一騎打ちで倒したい相手だったのに……儘ならないな。

 なんて心中でやさぐれていると、咲夜さんが俺の方を向いた。相変わらずの澄ました表情。そこへ僅かに影が落ちる。

 

「どうかしら? 貴女が救いたいとのたまった相手に立ち塞がれる気分は」

「………………」

「……ごめんなさい、貴方に意地悪したいわけじゃないの。けれど私は、お嬢様しか選べないから」

 

 そう言うと咲夜さんは自分の腕を抱くようにしながら、視線を切った。

 ……返す言葉が見当たらない。俺には咲夜さんが選んだ道を非難することはできなかった。

 繰り返す時間の中でも一分も揺るがない忠誠を、俺は理解できないから。従者と主……咲夜さんがレミリアさんに付き従う理由を、知らないから。

 

「はぁ……」

 

 思わず深いため息を吐いてしまう。

 レミリアさんが永遠を望む理由もそうだが……知らないことばかりだ。取り返しがつかないことになりそうな予感がして、足が止まってしまいそうになる。

 それでも……今、俺が信じているものを信じるしかない。こんな俺を、信じてくれる人達もいるんだから。

 ふと誰かが俺の左腕を掴んだ。見下ろすとフランちゃんが両手で俺の腕を掴みながら、そっと顔を覗き込んでいた。

 

「ホクト、私も戦うよ」

「フランちゃん……」

「お姉様は私が間違ってるとは言わなかった。運命を見ることができる、お姉様が。だからきっと私は間違ってない、って思うの」

 

 間違ってない。その言葉に俺は一瞬息が詰まる。

 フランちゃんは立場も何も関係なくレミリアさんのことを信じていた。それは余りに純真過ぎて危うくも映るが……同時に眩しくも見えた。

 

「お姉様自身も、咲夜も、魔理沙も……ホクトだって間違ってるって言わなかった。だからきっと……私達も正しくて、お姉様達も正しい」

 

 ……初めてフランちゃんと出会った時、俺は彼女のことを太陽みたいだと感じた。ただそれはレミリアさんと対照的な姿を揶揄してのことだったが……

 自分を滅ぼしかねない強過ぎる力、不安定な感情と行動……そして時折垣間見える強い意志。

 

「だったら私は……私が選んだ方を信じたいから! お姉様や咲夜とだって戦ってみせるわ!」

 

 熱血を湛えたような紅の瞳が一際強く輝く。それを見た瞬間、俺の心に落ちようとしていた影が全て照らされたように思えた。

 ありがとう。俺はフランちゃんの頭を撫でてから、咲夜さんに向き直る。そして、ゆっくりと首を振ってみせる。

 

「咲夜さんが謝る必要はないです。レミリアさんとも、咲夜さんとも、戦うんだってわかりきっていましたから」

「あら、私と違って先見の明があるのね」

 

 咲夜さんが冗談めかして言うが、俺はただ無言で大きく息を吐く。そして、おもむろに右手にお札を、左手にリボルバー持った。

 既に吸血鬼化は解けていた。もう一度影響を受けることもできるが、鴉天狗の翼との併用は身体への負担が大き過ぎる。今後のことを考えたら温存しておきたかった。

 

「俺にはもう時間が残されてないんです。押し通ります!」

「……出来るものならやってみろよ! 『神鬼「レミリアストーカー」』!」

 

 戦線布告を待ちわびていたかのように、レミリアさんが上空に飛び上がり弾幕を放つ。紅一色の濃密な弾幕の雨が敵味方構わず降り注いだ。

 いや、気付けばもう咲夜さんの姿がない。とっくに安全地帯に逃げたようだ。フランちゃんが近くにいるし、ここは結界を張って凌いでもよかったが……

 

「『「夢葬回帰」!』」

 

 俺は周囲に否定結界を走らせ、弾幕を打ち消していく。そして弾幕の切れ目を見計らい、否定結界を圧縮。否定弾として左手のリボルバーに再装填する。

 手首のスナップでシリンダーを戻したところで、突如空中にナイフ群が現れる。

 ほぼ全方位。結界を張るどころか避ける間もないほどの至近距離。せめてフランちゃんに当たらないように覆い隠すように抱きしめる。

 

「きゅっとして……ドカーン!」

 

 死を覚悟したその時、声と共に目の前が爆ぜる。俺はフランちゃんを抱えたまま大きく吹き飛ばされる。が……派手な爆発の割にダメージは微小だ。むしろ安全地帯に避難することが出来た。

 

「ごめんホクト! まだ加減が効かなくて巻き込んじゃった!」

「いや、助かった! ありが……」

 

 と、腕の中のお礼を言いかけたところで背後に殺気を感じる。すぐさま突き飛ばすようにフランちゃんから手を離し、前宙するように真後ろを蹴り上げる。

 軽いが確かな手応え。逆さになりながら後ろを確認すると、咲夜さんが右手を抑えながら下がるのが見えた。

 

「何処かの巫女よろしく勘がいいじゃない!」

「アレの相手をしてれば勝手に……ね!」

 

 体勢そのままにリボルバーを構え放つ。が、銃声が鳴るよりも速く咲夜さんの姿が消えた。あのタイミングでも当たらないのかよ!

 

「余所見はしないとあれほど! 『運命「ミゼラブルフェイト」』」

 

 姿勢を戻そうとする暇も与えてくれない。逆様になった俺の行く手を塞ぐように紅い鎖が走る。マズい、身動きひとつ取れない。必死にお札と否定弾で弾幕を張り抵抗するが……これじゃあ時を止める必要もなく、いいナイフの的だ。

 

「ジッとしててホクト! 今度はちゃんと調整して……」

「させるわけないでしょう」

 

 フランちゃんが俺に向けて手の平かざそうとするが、その右腕に鎖が絡みついた。まるで釣竿に引っかかった魚のようにフランちゃんが上空に引っ張られていく。

 

「フランちゃ……」

「さあ、今度は妹様に頼らず次は自力で避けなさい。『幻符「殺人ドール」』」

 

 フランちゃんを気にかける余裕すら与えられない。既にナイフが空中にばら撒かれていた。

 鎖の牢に囚われて、逃げ場はない。結界も間に合わない。防ぐには……

 

「『獣符「グラフティッド・バリアント』」

 

 イメージするのはキメラの姿。瞬間、黒の甲殻が全身包み込み、異形の獣の姿に変貌する。鵺に植え付けられた正体不明の種を利用した変身だ。

 銀製のナイフが身体中に当たるが、分厚い甲殻に阻まれて刺さりもしなかった。それには咲夜も驚いていた。

 

「吸血鬼に、蓬莱人、お次は怪人? ますます人間離れするわね」

 

 呆れたような咲夜さんの皮肉を無視して、俺は紅の鎖を握り締めた。触れただけで肉が焼けるような痛みが走るが……無視して力尽くに引き千切る。

 砕いた破片が霧散していく中、見上げるとレミリアさんと目が合う。幼い少女の口角がニヤリと吊り上がっていく。

 その背後では鎖に縛られたフランちゃんが、蜘蛛の巣に絡め取られた蝶の様にもがいていた。思わずフランちゃんの名前を呼ぼうとするが、口から漏れたのは獣の唸り声だった。

 

「クク……久しぶりだなぁ黒いの。また会えたな」

「………………」

「殊勝じゃないか。わざわざリベンジの機会をくれるなんてね」

 

 レミリアさんは空中に張られた鎖を撫でながら愉快そうに言う。

 やっぱりあの時……キメラの正体が俺だって気づいてたんじゃないか。本当に性格が悪い。そこんところ妹とは正反対だよ。

 喋れないので内心で毒付きながら、背中の翼を広げ、突撃を仕掛ける。狙いはレミリアさんじゃなく、フランちゃんを拘束してる鎖だ。

 

「さあ今回も愚直に来いよ! 『魔符「全世界ナイトメア」』!」

 

 レミリアさん両手を広げ、高らかに宣言する。紅い月夜がより真紅に染まる。過去体験したことがないほど苛烈な弾幕が戦場に降り注いだ。

 俺はその紅の嵐の中に、両手を目の前でクロスしながら一直線に突っ込む。俺じゃあこのスペルを華麗に躱すなんて出来ない。だが被弾してでもフランちゃんは助ける!

 

「駄目……ホクト!!」

 

 フランちゃんが叫ぶが、やめはしない。

 被弾する度に腕や肩の甲殻がボロボロと崩れていく。翼膜は瞬く間に穴が空き身体中から血を吹くが、不思議と痛みはなかった。キメラの身体の副作用か、はたまた脳内麻薬が出まくっているのか……どっちでもいい。

 一瞬のうちに嵐を抜け、レミリアさんの背後……鎖の出所目掛け折れかけ右の爪を力任せに振り下ろす。

 

「ッラァッ!!」

「ハッ、本当にまっすぐ来るやつがあるかよ! 『悪魔「レミリアストレッチ」』!」

 

 が、懐に入ったレミリアさんが右手が霞むほどの速度で爪を振う。

 胴体がなくなるかと思うほどの衝撃で、腹部の甲殻が吹き飛ぶ。凄まじい一撃にフラついたところへ、さらに肩、腕、足、背中にナイフが突き刺さる。耐えきれず、口から血反吐を吐いた。重力に引かれ地上へ落下していく。

 

「ホクト……ホクトォッ!?」

 

 ……フランちゃんが名前を呼んでくれなかったら、意識が飛んでいたところだ。なんとか浮力を取り戻し体勢を立て直す間も、フランちゃんは叫び続けていた。

 

「逃げてホクト……離してよお姉様! 私は……」

「フラン……貴女だってわかるでしょう? 永遠が手に入れば咲夜と北斗に置いていかれることはなくなるわ」

 

 レミリアさんは近付けないよう牽制の弾幕を放ちながら背中越しにフランちゃんへ語りかける。

 それは初めて明かした理由らしい理由だった。俺が想像していたものとまったく同じ理由だが……本当にそれだけなのか? どうも引っかかったが……二人分の弾幕を避けるのに必死で考えが回らない。

 レミリアさんは弾幕と共に更に語気を強める。

 

「考えたことがないわけじゃないでしょう……!? 人は妖怪と同じ時間を生きることは出来ない。いつか運命の別れがやってくる。だから……」

「だから、この時間を繰り返すの……?」

 

 俯きがちに呟いたフランちゃんの言葉に、レミリアさんは何も返さない。が、ずっと放ち続けていた弾幕を止めて、フランちゃんに向き直った。

 

「そんなの……嫌だ」

「フラン! これ以上我儘は……」

「お姉様が何で永遠が欲しいかわからないけど……私は嫌だ! もっと色んなことを知りたい! 色んな人と会いたい! 色んな思い出を作りたいもの……! もう閉じ込められるのは嫌だ!」

 

 それは495年もの間止まった時間の中で生きた少女の、悲痛な願いだった。自由を求め抗い、願いを叫ぶ。

 瞬間、フランちゃんを縛る紅色の鎖が砕ける。その残滓の中、レミリアさんが後退りしながらグングニルを構えた。

 

「フラン、お前は……!」

「『QED「495年の波紋」』!」

 

 宣言と同時に、フランちゃんの周囲の空間から衝撃波が放たれる。慌てて距離を取るが、余波がぶつかるだけで外皮がひび割れていくのがわかる。咲夜さんも、ナイフの設置に苦心して攻撃の手を緩めていた。

 そんな中メトロノームのように規則正しい間隔で放たれる波濤の合間をかいくぐりながら、レミリアさんが吠える。

 

「ッ……聞きなさいフランッ!! 貴女は……いえ、北斗も! 絶対に後悔することになるわ! だから……」

「だったらなんで最初から止めなかったの!?」

「そ、れは……」

「わかんない……何もわかんないよ! 後悔するかなんてわかんない! お姉様がどうしたいのかもわかんない! 一つも教えてくれないのに……止まれないよ!」

 

 フランちゃんの感情的な叫びに呼応して、一際大きな衝撃が放たれる。逃げる暇もない。それはレミリアさんだけじゃなく、俺や咲夜さん、そして眼下の戦場をも否応なく巻き込んだ。


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