チリチリと肌が焼ける感覚。重苦しい圧迫感。普段、何気ない時に見せる隙も今は一切見られない。退治していたのは数百年の時を生きた夜の王。
「メイド隊は霊夢達の足留めをしろ。私と北斗の時間に割って入ったら……消し飛ばすわ」
少女は凄みのある声音で、妖精メイド達に指示を出す。
彼女とは以前にも対峙したことがあるが……その時以上に感じる、畏怖。赤い月を背に見下ろす少女を前にして、俺は足を震わせていた。
いや、恐怖だけでそうなっているわけじゃない。武者震いしていた。つよがりなんかじゃない。この時を……待ちに待っていた。
俺は背中に烏天狗の翼を顕現させながら、後ろの三人に叫ぶ。
「霊夢、火依……あと文も! 取り巻きを倒して先に進んでくれ! レミリアさんは俺が食い止める!」
「ちょっと北斗!? 本気!?」
「本気、だ!」
霊夢の言葉に短く返すと同時に、亜音速でレミリアさんに突っ込む。そのままサマーソルトを放つが身を翻して左に躱されてしまう。
すぐさま左翼を羽ばたかせ、身体を横にスライドさせながら反転。体勢を立て直す。
対してレミリアさんが右手の爪を振り上げようとしていた。しかし、振りが大きい。右手一本で抜刀し、いなす。さすがに力負けするが、反動で距離は取れた。左の爪のレンジから逃れ安堵していると……クク、と堪えたような笑いが聞こえた。
「せっかちだな。もう少し語らってからでもいいじゃない」
「レミリアさんこそ。紅魔館の主人がこんな最前線に来ていいんですか?」
「面白くない話だけれど、今回私は大将じゃないもの。今頃大将は大図書館内で術式の準備中よ」
「………………」
やはり魔理沙は紅魔館内か。別の場所に逃げられた可能性も危惧していたのだが……レミリアさんのおかげでその憂いは無くなった。これで目先の強敵に集中できる。
感触を確かめるように刀の柄を握り直していると、レミリアさんが舌を出し艶かしい仕草で爪から滴り流れる血を舐め取り始める。どうやら肩を僅かにかすっていたようだ。
「熱視線を向けてくれるじゃない。そんなに見つめられたら……うっかり本気になってしまいそう」
「加減はしてくださいよ。じゃないと死んでしまいます」
「だから殺したくなると言ったんだよ! 『紅符「『スカーレットシュート」』!」
目の前に紅の弾幕が鳳仙花のように広がる。大小二つの弾が空間を制圧していく。
弾速は速いが避けれないことはない。だが段々と逃げ道が塞がれつつあった。防御に徹するのは簡単だが、逃げたくない。なら前に出るしか!
背中の翼を一旦仕舞い、慣れた移動速度で弾幕を潜り抜けていく。レミリアさんも意図を汲んでくれたようで、蝙蝠の翼を広げジワリジワリと接近してくる。
「……相変わらず猪突猛進ね! 度胸は認めるけれど芸がないわ!」
「芸に出来るほどの実力がないんで……ね!」
至近距離の間合い入る直前、リボルバーの銃口を向けトリガーを絞る。マズルフラッシュと炸裂音が迸り、レミリアさんの首が横に跳ねる。当たってない、頬を掠めただけだ。
「ッ……銃なんて不躾な物を!」
しかし、すぐ踏み込んでくる。いつの間にか右手には紅い槍が握られていた。鋭い突きが来る。刀を振り上げて切っ先を逸らす。
一撃だけじゃない。何度も突き、切り払い、叩き下ろしてくる。それを後退しながら躱す、弾く、隙を見つけ否定弾を撃ち込む。身体の端々が裂け、背景の紅い弾幕の中に血の飛沫が混ざっていく。
「いい、いい! 久しぶりだ! 全身が燃えてしまいそうなほど苛烈な闘争! 何百年振りかしら!? けれどまだ足りない! もっと感じさせなさい! 強く、激しく……全てを私に曝け出せ!」
スカートを翻し、血を舞い上げながら、レミリアさんが踊る。俺はその優雅であり残虐な槍捌きを夢中になって躱す。斬る。撃つ。
真冬の寒さなど感じる暇などない。視界の紅蓮がアドレナリンを巡らせていく。その狂気的な笑みが、紅玉が向ける視線が、指の動き一つが、鋭敏になった感覚に信号を送り続ける。
今、五感の全ては彼女に向けられていた。
「はぁ!」
「チィ……やるじゃない北斗」
一瞬の間を突いて放った回し蹴りで、レミリアさんから離れる。
俺はすぐさまリボルバーを腰のホルスターに戻し、両手で刀を握った。既に否定弾は七発全て使い切った。再装填したいところだが、レミリアさんがそんな悠長な時間をくれる訳がない。後は刀と霊夢のお札で戦うしかない。
小さく息を吐き、腰を落とす。空中で足を踏ん張らせる。
「『剣伎「紫桜閃々」』!」
「『夜王「ドラキュラクレイドル」』!」
ほぼ同時のタイミングでスペルを宣言、お互いに高速の突貫を敢行する。目の前に真紅の奔流が迫ってくる。凄まじい圧力だ。だが、逃げない。迎え撃つ!
目で捉えられる速度は超えているはずなのに、わかる。交差するその瞬間、渾身の一刀を放つ。
硬い手応えが手に伝わってくる。力はギリギリ拮抗しているが……このまま受け止め続ければ刀が折れてしまう!
「くっ……」
咄嗟に手首の力を緩め、身体を縮こめる。
瞬く間に視界がグチャグチャになった。紅い閃光を纏ったレミリアさんの突撃で、俺は木の葉のように吹き飛ばされる。
「はぁ、はぁ……」
何とか体勢を立て直した時には息も絶え絶えになってしまっていた。余波で至るところボロボロにされたが、何とか直撃は避けられた。刀も僅かな刃こぼれがあるだけで折れていない。
俺は僅かに安堵して刀を鞘に戻し、左手をポケットに突っ込んだ。
まだ戦える、が……これ以上まともにやり合っても勝てないだろう。万が一勝てても魔理沙の下まで辿り着けなくなる。それじゃあ意味がない。消耗を控えながら、レミリアさんを倒すか足止めしつつ振り切る……そんなこと、人間の俺には出来ない。なら……
「休憩は終わったかしら?」
「ッ……!」
背後から幼くも威風のある声がする。反射で背後にお札を投げるが、いとも簡単に爪で切り裂かれてしまう。
「強引な!」
「私から目を逸らすからよ!」
相変わらずの横暴ぶりを引っ提げながら、レミリアが肉薄してくる。爪での攻撃を警戒し低く構えるが、それを予期していたかのように蹴り上げが飛んでくる。
「『鬼化「スカーレット・ブラッド」』!」
受け止めるギリギリのタイミングで発動出来た。人間の身体でさっきのを抑えにいったら手が複雑骨折していただろう。
すかさず右手にグングニル、左手にレーヴァテインを生成し、レミリアさんを振り払う。これで身体能力は一時的に五分まで持ち込めた。これだけで倒せるとは思えないが、隙を作ることくらいは……!
紅く迸る槍と刃を構え直すと、唐突にレミリアさんが笑い出す。上品な微笑じゃない、高笑いだ。
「アハハハハッ!! ついに使ったわね……私の力を! 待ち侘びたわ!」
「……嬉しそうですね」
「えぇ、とっても……今までの北斗もなかなか面白かったけれど、手応えが悪くてねぇ。ちょっとストレスだったのよ。それに……」
レミリアさんは自らの太腿から腰、胸元から唇までなぞるように指を這わせると、そっと天上……月を指差した。
「私の力を使った北斗を倒してこそ、貴方は心の底から私を畏れるわ。項垂れ、膝を付き、足の甲に口付けしてくれる……」
「…………………」
「ねぇ、北斗。一度フラれていながら未練がましいけれど……私は、欲しいものは何が何でも手に入れる主義なの」
月を示す手の中に巨大な槍が現れる。レミリアさんは、俺のグングニルの倍はありそうな槍を回転させ軌跡を描くと……俺に突きつけた。
「最後にもう一度だけ言うわ。私のモノになりなさい、北斗」
「お断りします」
俺は即答する。以前聞かれた時は迷ってしまったが、今は一分の疑念もない。この異変は絶対に解決する。そう決めていた。
俺の返答を聞いてレミリアさんは、槍先を下ろしながらやや不満そうに頬を膨らました。
「分かりきっていたけれど……少しくらい迷ってくれてもいいじゃない。私、そんなに魅力ないかしら?」
「俺がそういうステレオタイプの欲望で動く人間じゃないって、知ってるはずでしょう?」
「それとこれとは話が違うのよ……まあ、いいけれど」
レミリアさんは興醒めしたように空中で爪を弄っていたが……一頻り愚痴ると機嫌が直ってきたのか、元のテンションに戻ってきた。
「どうせ私が勝てば、貴方は屈服せざるを得ない。咲夜がそうなったようにね」
「……俺が負ければ時間は巻き戻されます。何の意味もありませんよ」
「いや、あるわ。貴方の魂に私の傷痕を残せるじゃない!」
そう叫ぶとレミリアさんは鋭い犬歯を剥き出しにしながら、体を小さく縮め込んだ。そして……次の瞬間、レミリアさんの姿が眼前にまで移る。驚きながらもレーヴァテインを振り上げるが、宙返りしながら躱されてしまう。その途中、レミリアさんが紅の巨槍を持ち変えたのに気付く。
マズい。すぐさま剣と槍を交差し、ガードしながら全速力で背後に飛ぶ。
「『神槍「スピア・ザ・グングニル」』」
世界が紅に染まった。
肺から空気が一気に逃げ出し、呼吸が止まる。代わりに口から血が溢れた。衝撃が身体の芯を貫き、足の指先まで全身に痛覚が走る。だが、辛うじて投げ放たれた槍の先は俺の胸を貫きはしていなかった。模造したレーヴァテインとグングニルがレミリアさんの放った投槍を受け止めていた。
「オオオオッッ!!」
気力を振り絞り耐えること数秒、エネルギーの進撃が止まり苦痛の時間が終わる。レミリアの投じたグングニルと共に、俺の手の中にあった剣と槍も消滅した。
俺は口の中に溢れた血を飲み込み、再度レーヴァテインとグングニルを作り出す。吸血鬼の身体の頑丈さと回復力のおかげか、まだ十分に身体は動いた。
乱れる呼吸を押し殺し気合いの一声を上げて構えると、レミリアさんに嘆息されてしまう。
「呆れた。それほどまで意固地になって戦うほどの理由が、貴方にあるのかしら?」
「……レミリアさんこそ、何でそっち側に、立っているん……ですか? 永遠の、時間、なんて……」
「お前にそれを教える必要はないな」
「……それは、フランちゃんもですか?」
途切れ途切れの言葉で尋ねると、レミリアさんの動きが止まる。そして猫のような目がゆっくり細められていく。明らかに不機嫌になっていた。
……フランちゃんが家出した時、レミリアさんは追いはしなかった。だが何も思わないはずがない。なんたって姉妹なんだから。
「なんで、フランちゃんに、話さなかったん、ですか? 家族にも、言えない秘密って……なんなんですか!?」
俺は掠れそうな喉で、叫ぶ。他人の姉妹喧嘩に口出すなんて、出しゃばり過ぎだと承知している。けれど、口を出さずにはいられなかった。
些細な行き違いで始まった、たわいのない姉妹喧嘩なのかもしれない。レミリアさんにとっては魔理沙への協力の方が重要だったのかもしれない。それでも、俺は……フランちゃんと向き合って欲しかった。少しでも気にかけて欲しかった。だが、先までのレミリアさんにそんな様子は見受けられなかった。だから、腹が立った。
「目に余るな! お前のそのお人好し……時々不愉快なんだよ、人の心に見境なく入り込んでくるな!」
レミリアさんが怒りの声を上げながら、巨槍を振り上げる。力任せの一撃だが、それは恐ろしく速く、鋭かった。
なんとかそれをレーヴァテインとグングニルで受け止めるが……先と同じ、エネルギーの衝突で四肢が傷付いていく。また鉄の味が食道を登ってくる。今にも吐きそうだ。
確かに、レミリアさんにとってはただの迷惑なお節介だろう。反論の余地もない。それでもレミリアさんの、フランちゃんのためになると思ったから……
「堕ちなさい! 北斗!」
「……ッ!」
だから……呼んだ。
「『禁弾「スターボウブレイク」』!」
押し負けそうになったその時、聞き覚えがある声が耳に届く。同時に俺とレミリアさんの間を隔てるかのように七色の光の雨が降り注いだ。二人ほぼ同タイミングでバックダッシュし避ける。
その雨の中、偶然垣間見たレミリアさんの表情は驚愕の色に染まっていた。
「なっ……このスペルカードは……」
レミリアさんは夜空を見上げる。そしてしばらくして、俺の方を睨んでくる。怒りと悔しさ、そして堪え切れない笑みとバツの悪い思い、それらが全て読み取れるような複雑な顔をしていた。
「……お前は、そういうことを平然とする男だよ。北斗」
「褒め言葉として受け取っておきます」
俺はレミリアさんの言葉に皮肉と不敵な笑みを返す。俺達の上にいたのは、一人の小さな少女だ。
紅い霧に染まった月に映えるその姿。七色の宝石を吊り下げた様な無機質的な美しい翼、手にはスペード型の矢尻の杖。そして姉とは対照的な金髪の短髪……
「お姉様、私……来たよ」
もう一人の吸血鬼、フランちゃんは自分の胸元を抑えながら、小さくもはっきりした声で呟いた。